tag:blogger.com,1999:blog-44922243971738042232024-03-19T11:48:29.065+09:00Pubの話Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.comBlogger1835125tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-43389878265027074842024-03-19T10:59:00.004+09:002024-03-19T11:47:56.738+09:00バトルオブセックス<span style="font-size: large;">大谷選手の結婚で連日盛り上がっている。お似合いのカップルで誰しもが祝福しているのが伝わってくる。しかも新天地で、今後10年間のスタートに相応しいタイミングだった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ニュースではその大谷夫妻が韓国入りし、ドジャースのオーナー達との懇親会に出た写真が公開された。驚いたのは、夫妻が挨拶していたのはテニスのビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)だった。何故彼女がこんな処にいるのだろう?そう思って調べてみたら、何とドジャースの共同経営者になっていた。</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhERM-ryMr_xRJbpwaxs6ZVRQ5Haa4fDbKo6NRaNiSxn83C1B7zf8X3XonlTwXUP-o7X_BWW81QQ2lYCnQIjOUQuAwryvZe1noq4T46erqAtaad0D9WOr8smlX7jKGq3_DsSeopWVyLPQGSi3rUVclP-uM2rD10teauIE3nw6Q6l65oYq_KiLDTgIRTNsY/s197/king%205.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="113" data-original-width="197" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhERM-ryMr_xRJbpwaxs6ZVRQ5Haa4fDbKo6NRaNiSxn83C1B7zf8X3XonlTwXUP-o7X_BWW81QQ2lYCnQIjOUQuAwryvZe1noq4T46erqAtaad0D9WOr8smlX7jKGq3_DsSeopWVyLPQGSi3rUVclP-uM2rD10teauIE3nw6Q6l65oYq_KiLDTgIRTNsY/s200/king%205.jpg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">ロサンジェルス・ロジャーズの株主はヘルメットにも書いてあるグッゲンハイム(Guggenheim Baseball Management) であるが、その株主の一人がキング夫人であった。他にもマジック・ジョンソンなど富豪が入っている。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> キング夫人は60-80年代に活躍したテニス選手で、グランドスラムのタイトルを39も持つ女傑である。記憶に新しいのは1973年に行われた往年の男子選手ボビー・リッグスとの余興試合である。男女対抗戦(Battle of the Sexes)と呼ばれ、5セットマッチで行われたその一戦は、30歳の彼女が55歳のリックスにストレート勝した。折しも男女同権運動の最中、それを契機に女子テニスの賞金が男子並みに引き上げられたのだった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 彼女はレズビアンを公言している。相手はイレーナ・クロスという女性だが、彼女もやはりドジャースの株主に名を連ねていた。そんな影響からか、ドジャースはLGBT night と称するLGBT者向けの特別企画もやっている。
グッゲンハイムはユダヤ財閥だし、大谷選手を通じてアメリカの多様なダイナミズムに触れるのであった。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-51663825041063582362024-03-14T13:05:00.042+09:002024-03-19T11:31:09.654+09:00WCMの時代<span style="font-size: large;">来週は日銀会合がある。長らく続いた金融緩和もそろそろ終わりに近づいている。春闘の賃上げが大企業では上手く行っているようだが問題は中小だ。末端まで行き渡って初めてその準備が整う。何とか種火に火がついて欲しいと願っているが、日銀のかじ取りが気になる。</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiyhcHI2xYKwZa8RMvuaw2o1vyokWah5K5NTDlXpwClBGTmBGJ4Xwv-1irqj4mInkkZeetK3cRfU1NJdJgXQtLv4bHTdtwybded_6ATTlHsHt1-zFVkAf935fHfcSMzqP1Ch4bolXWpDlBHHG5M2j_xvr023B0f_pG6Uule-VoHVk3lOERYQW6eAN9kLgA/s612/chart2.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="408" data-original-width="612" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiyhcHI2xYKwZa8RMvuaw2o1vyokWah5K5NTDlXpwClBGTmBGJ4Xwv-1irqj4mInkkZeetK3cRfU1NJdJgXQtLv4bHTdtwybded_6ATTlHsHt1-zFVkAf935fHfcSMzqP1Ch4bolXWpDlBHHG5M2j_xvr023B0f_pG6Uule-VoHVk3lOERYQW6eAN9kLgA/s200/chart2.jpg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
今の若い人は低金利の時代が長いから、金利には余り関心がないのかも知れない。ただ金利が上がってくると、個人資産や企業収益に直結するので見方も変わるだろう。昔は如何に金利の低いカネを調達して高金利で運用するか、金利には敏感でこのテーマの研修も多かった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"><span> 思い出すのはWCM(運転資本マネージメント)である。運転資本は売上債権や在庫と仕入債務の差額である。当時のビジネススクールで流行った手法らしく、この+が大きければ資金余剰に繋がった。</span></span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">中でも注目されたのが、負債で大きな部分を占める買掛金だった。買掛金の回転期間を長くして回転率を下げれば、その分手元資金の運用に多く廻せた。勿論取引慣習や仕入れ先の事情もあるが、これは未払金も同じであった。仕入先にどう交渉するか、結論はそう簡単に出るものではなかったが。</span><p><span style="font-size: large;">逆に売掛金は、回収期間を短くし回転率を上げればいい。その分手元資金が多くなり、金利収入が増える。販売先に毎日担当者が日参するとか、それも美人なら相手も軟化するかも?など、冗談も交えて真面目に議論した日が懐かしい。</span></p></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-66199424452673678292024-03-12T13:42:00.001+09:002024-03-12T22:06:12.002+09:00罰金と国際指名手配<span style="font-size: large;">先日、オーストラリアの市役所から封筒が届いた。何か嫌な予感がしたが案の定、罰金の請求書が入っていた。夕方に買い物に行った際、路上駐車したのがいけなかったようだ。10分ちょっと止めただけなのに、300ドル(3万円)も請求された。地球の裏側まで追ってくる役所仕事に、何か国際指名手配されたような気分になった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuJkd7HPWxgneKuoM3qgm1ztvE_c-b3mT7Ofcz0o6ToKWZXomW-eH7N7UKJOwhJ_DmSwHdfQU8sfZlZa-kM9bfa3OG7kTJ3sqUVZud65WhJxI5o3ZNDHFzI47T8UyKJEOJne6VLvSRoRVGKkaYuu-j_UtKAiQ_fffTc0pNLVCjCv_dWy_6wvmurZI0aS8/s4896/DSC07146.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiuJkd7HPWxgneKuoM3qgm1ztvE_c-b3mT7Ofcz0o6ToKWZXomW-eH7N7UKJOwhJ_DmSwHdfQU8sfZlZa-kM9bfa3OG7kTJ3sqUVZud65WhJxI5o3ZNDHFzI47T8UyKJEOJne6VLvSRoRVGKkaYuu-j_UtKAiQ_fffTc0pNLVCjCv_dWy_6wvmurZI0aS8/s200/DSC07146.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
ネットで調べると、詫び状を出せば許して貰えたケースもあると知った。早速「悪うございました!二度とこのような事はしません!」と長々手紙を認めて出したが、果たして結果はどうなる事やら。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 旅をしていると車に掛かるトラブルは付き物だ。随分前だがロンドンで、車に戻ると車輪にロック装置が付いていた。警察で罰金を払い、パトカーに同乗しロックを外してもらったが、半日が台無しになってしまった。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> クロアチアでは止めていたはずの車が無くなっていた。近くにいたタクシーの運転手に聞くと、レッカー車で持って行かれたという。レッカー場所はタクシーの運転手が知っていたので、郊外まで高いタクシー代を払って取りに行った。罰金も高かったし、まさか「レッカー会社とタクシー運転手がグル?」かと思える出来事だった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">幸い大きな事故はないが、バックしてきた車に当てられた事があった。ブルガリアの田舎町で、相手は老人だった。その日はこらから空港に向かう処で、本来なら警察を呼んで事故証明を取る処をすっかり忘れてしまった。幸い相手の運転免許書や現場の写真を沢山撮ったので、保険で全額カバーされ事なきを得た。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 処でその車保険だが、レンタカーを借りると結構な額になる。だから運転マナーがいいオーストラリアではあえて掛けない事にしている。「万が一の時は大丈夫?」と友人に聞かれるが、今の処無傷で済んでいる。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-89450858049258656102024-03-04T10:56:00.004+09:002024-03-05T09:04:29.173+09:00持ち株会で1億円<span style="font-size: large;">日経平均が遂に4万円を超えた。昨年末頃から予感がしていたが、今の相場は勢いが違う。これからも未だ上がり続けるのだろうか?それともバブルが弾けるのだろうか?素人には分かりようもないが、気になって仕方ない。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgYQtQNhOpCkOhWUbxw0X8BxGDI4czsWjLhAjFAkdp-CwykiOoglBfB2pSjkgaWiIYpfq8zIhkS7MrXSw2T3EhvcMmEWEziOCqqh-qOFgJFJxshlJOPH73MwMFSKYqachl7fQWMj1DTFPhpwcu8xFkEmPQZAfrsCjG93crocr2PuZxEL-iabwADdUWLDVs/s5472/DSC02298.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="5472" data-original-width="3648" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgYQtQNhOpCkOhWUbxw0X8BxGDI4czsWjLhAjFAkdp-CwykiOoglBfB2pSjkgaWiIYpfq8zIhkS7MrXSw2T3EhvcMmEWEziOCqqh-qOFgJFJxshlJOPH73MwMFSKYqachl7fQWMj1DTFPhpwcu8xFkEmPQZAfrsCjG93crocr2PuZxEL-iabwADdUWLDVs/s200/DSC02298.JPG" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
先日三菱商事のOBに会ったら、会社には「持ち株で1億円の社員」が続出しているという。持ち株会に入り、例えば毎月3万円を25年間積み立てると、投資累計額は9百万円になる。同社の平均株価は600〜900円程度だったので、少ない人でも累計の株数は1万株を超えている。今の株価は分割前で1万円なので、時価は少なくても1億円という計算である。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"><span> 商社株はバフェット氏が動いた昨年の夏ごろから急騰し始めた。あの時買っていれば!と後悔しても始まらないが、全く羨ましい限りである。普通の人が1億円の株資産なんて!</span><span>何か落ち着かなくなってきた</span><span>。</span></span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> このタイミングで出版された清原達郎氏の「わが投資術」も、気になったので早速読んでみた。所得番付1位にもなった伝説のディーラーが、引退を契機に手法と哲学を開陳したという。「小型株のショート(空売り)」なんてとても真似できるものではないが、修羅場を生きた人の文章は張りがあって面白かった。(最後の)日本株の楽観シナリオも気になった。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-41753003214343263742024-03-02T10:22:00.006+09:002024-03-02T15:36:36.726+09:00真綿のウクライナ避難民<span style="font-size: large;">ウクライナが侵略され2年が経つ。最初の頃は毎日伝えられる戦況に戦々恐々としていた。ただ最近では長引く戦争に、戦争疲れというか厭世気分が漂っている。アメリカの支援予算は滞ってきたし、最大の避難民受け入れ国であるポーランドで、国境を閉めたと聞くと猶更である。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">以前から気になっていたが、遠く離れた日本にいると今一ピンと来ないもの事実である。ウクライナに行った事もないし、ウクライナ人とも話したことがないのも大きい。これでは遺憾と、三鷹にウクライナ避難民がやっているカフェがあると知って行ってみた。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAZfBjNBuh6da8BnCD0y9Xx5kSEyrUrP9iGW4n63SAkgHRseJpV4Rtm8ax4xSDmzmz1LwxYBwdwdSZuqHGWo5_qpi0ranOMjCK5OHrV57lKWk2cwCXmvP9m2a04DCkU8CLoq6kykOw4cRIuCNiFxgEE3Q8xRXbGdfQyPhugksY-7zzSJlLIESyj-OHntk/s640/ukraine%202.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhAZfBjNBuh6da8BnCD0y9Xx5kSEyrUrP9iGW4n63SAkgHRseJpV4Rtm8ax4xSDmzmz1LwxYBwdwdSZuqHGWo5_qpi0ranOMjCK5OHrV57lKWk2cwCXmvP9m2a04DCkU8CLoq6kykOw4cRIuCNiFxgEE3Q8xRXbGdfQyPhugksY-7zzSJlLIESyj-OHntk/s200/ukraine%202.jpg" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
それは昨年開業したという小さなレストラン&キャフェだった。入るといかにも素人と思われるウクライナ女性が2人で切り盛りしていた。メニューはハッシュドポテトに似たジャガイモや、豆腐ハンバーグのような郷土料理で軽食だった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">ワインも店に置いてあったのは数本で、ボトルで頼むとあまりそういう客はいないらしく驚かれた。
壁にウクライナの地図が掛かっていて、「あっ!ここがドネツク州、ここがワインのオデッサ!」と、日頃のニュースの世界と重ね合わせた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"><span>日本へのウクライナ避難民は2000人強という。国に夫や家族を残して女手ひとつでこうして自活するのは大変だ。飲食業だから中には変な客もいるかも知れない。そんな心配を他所に、</span><span>片言の日本語で頑張っていた彼女たちの姿が正に真綿に包まれていた。</span></span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-33192485758700539832024-02-25T17:51:00.006+09:002024-02-25T17:56:31.983+09:00「部屋の象」ワイン<span style="font-size: large;"><span>オーストラリアは農産国である。チーズ、ミルク、ヨーグルトなどの乳製品はビックリする新鮮さである。普段は飲まない</span><span>オレンジジュースも病みつきになる。そしてワインである。</span></span><div><p><span style="font-size: large;">例えば日本のスーパーでもよく見かける「黄色い尻尾(Yellow Tail)」というテーブルワインがある。本場でも日本と殆ど同じ価格で売っていたが、味は破格に美味しかった。「これって別物?」とも思ったが、ワインは揺れに弱いからその理由も頷けた。</span></p><p><span style="font-size: large;"><span>特にラベルのユニークさは世界一である。フランスだと醸造所や産地・年代など規制が厳しから、ラベルを見るとグレードが直ぐ分かる画一性がある。</span><span>オーストラリアはそれが緩いのか、勝手なネーミングで遊び心満載であった。</span></span></p><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi-ndiHedXX0AAf5OUNwDtfrOMoXORBQ4rno4Ds6T2DRw8hdxzZbeQs87-okeRtP87e0BNLHFquS8d-Q9M0-XhYYpGDvW_MMHj9PsbPG91U-BzYdr0pld2iVoxNn_ZRBMjgwkMSGryaEwdijlrP66Ylc8APWLzGNGXW6U9agx2b2YHPggXrVP3jCWKQjO4/s320/wine%201.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="320" data-original-width="240" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi-ndiHedXX0AAf5OUNwDtfrOMoXORBQ4rno4Ds6T2DRw8hdxzZbeQs87-okeRtP87e0BNLHFquS8d-Q9M0-XhYYpGDvW_MMHj9PsbPG91U-BzYdr0pld2iVoxNn_ZRBMjgwkMSGryaEwdijlrP66Ylc8APWLzGNGXW6U9agx2b2YHPggXrVP3jCWKQjO4/s200/wine%201.jpg" /></span></a></div><span style="font-size: large;">
そのいい例が、先般書いた「19人の犯罪者(19 Crimes)である。19人(19種類)の犯罪者の顔写真は正に圧巻であった。また先のYellow Tailも、カンガルーをイラストしたいかにもオーストラリアらしい一品であった。三種類あってオーストラリアはShirazの産地とはいうが、個人的にはシャルドネ・ソ―ヴィニョンが気に入っている。
</span><div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8j63xyOFGFs_F5eFvs_gwhsQ0v96vLqlc-tkz4sTkbXp8u_uEMwF1XFk_HnPObyJinFWBduMugoKDFVn744w81g515cjk-_nCDqm5JK2unSQAr4_hc259W74FkWxScHlUWIe219B-oCZ20kwCc5OM8_Yyg3R-IynSj3yvOPJz38PCJGaarTaPU9VP2S8/s194/wine%203.jpg" style="display: block; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="182" data-original-width="194" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj8j63xyOFGFs_F5eFvs_gwhsQ0v96vLqlc-tkz4sTkbXp8u_uEMwF1XFk_HnPObyJinFWBduMugoKDFVn744w81g515cjk-_nCDqm5JK2unSQAr4_hc259W74FkWxScHlUWIe219B-oCZ20kwCc5OM8_Yyg3R-IynSj3yvOPJz38PCJGaarTaPU9VP2S8/s200/wine%203.jpg" width="200" /></span></a></div><span style="font-size: large;">
「パブロとペドロ(Pablo&Pedro)」というコミカルなワインもある。ラベルには「スペインの情熱に敬意を込めて」と書いてあったが、典型的なブレンド品である。パブロは小柄だ口煩い元気者、一方ペドロは大柄で大人しくエレガント、この二人(二つの味)が一緒になったのがこのワインという。中々旨い表現だと笑ってしまったが、10ドル(1000円)程で美味かった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">もう一つ、「部屋の象(Elephant in the Room)」もあった。オークとスモーキーな香りは、部屋に象がいる匂いだという意味である。もう少し違う表現方法はないのだろうか?とも思ってしまうが、生産者の気持ちが伝わってきた。</span><p></p></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-44090349672026039372024-02-24T16:09:00.005+09:002024-02-25T08:08:32.065+09:00オットーという男<span style="font-size: large;">高齢化の時代とは言え、長生きすればお金も掛かるし身体も弱くなる。特に伴侶に先立たれたり、病を抱えながら生きるのは大変だ。随分前だが親戚の叔父さんが亡くなった。80歳前半だったか、奥さんが亡くなるとまるで後追いするかのように逝ってしまった。昔気質の人だったので奥さんにも随分と威張っていたが、嘘のような最後だった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg-9UVYvnkbucs0DnDOfxDzxixKvUDLy0V_N7U2hOzE1C2-Byo78rqEx3hYSk151aTtFylIyrBwzU3JeLBVMLIL5w9b837l524dgWreXSmr77kojPJ8Gir9v_51DFTwQA0FeVTj6OFjdVhIvaZxZQb-a_aoI4pHJwkGVe8Jxkbabu0QHYZbeszPfsw0_bQ/s4896/DSC07009.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEg-9UVYvnkbucs0DnDOfxDzxixKvUDLy0V_N7U2hOzE1C2-Byo78rqEx3hYSk151aTtFylIyrBwzU3JeLBVMLIL5w9b837l524dgWreXSmr77kojPJ8Gir9v_51DFTwQA0FeVTj6OFjdVhIvaZxZQb-a_aoI4pHJwkGVe8Jxkbabu0QHYZbeszPfsw0_bQ/s200/DSC07009.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
そんな事を思い出しのは、昨年公開された映画「オットーという男(A Man Called Otto)」だった。トム・ハンクス演じる老人が愛妻に先立たれて、そのショックで何度か自殺を試みるが、危ない処で近所の人に助けられる話である。トム・ハンクスでなかったらとても観られたものではなかったかも知れないが、やけに共感を誘われた。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> もう一つ、昔の小説「白い犬とワルツ(To Dance With A White Dog)」も、これを契機に読み直してみた。物語はオットーと同じで、奥さんに先立たれて孤独になる老人の話である。ただオットーの元に現れたのが猫だったのに対し、此方は犬だった。普段は目にも止まらない捨て猫や捨て犬だが、いざという時には孤独を癒す伴侶になるのであった。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 処でこうした孤独は、都会生活と深い関係があるとかねがね思っている。リースマンの「群衆の孤独」ではないが、人は他人に囲まれた都会で孤独感を感じる一方で、自然の中ではそれがないからだ。確かに山を歩いていると、心細いが寂しいとは思わない。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 都会は近くにスーパーや病院があって便利だが、その便利さが逆に曲者である。定年を契機に群馬の田舎に移ったOさんは、自給自足用の畑仕事や水の汲み出しが日課である。冬の寒さに備えて薪を仕込むの大変だ。薪はあっと言う間に燃えてしまうが、チェーンで切って乾燥させ斧を入れる作業は、膨大な時間と体力が要る。ただその自然と営むルーチンに、生存本能が刺激されるという。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-27385154402633340052024-02-23T13:09:00.003+09:002024-02-23T13:28:35.760+09:00Airbnbの宿<span style="font-size: large;">今回も宿はAirbnbで探した。Airbnbは個人と個人を繋ぐ民宿ネットである。希望の条件を入力し気に入ったら申し込むと、オーナーから直接返事がくるので簡単だ。価格もホテルの半分程度だし、部屋はどこも綺麗で当たり外れがない。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 部屋は大きく分けて、共用スペースをシェアーする場合と専用する場合の二つがある。前者はキッチンやトイレが他の宿泊者と一緒になるが、学生や旅行者の時間はマチマチなので、あまり鉢合わせになることもない。冷蔵庫は段ごとに置き場が決まっている。調味料などは残ると置いて行くので、大体の必需品は揃っている。ホストと称するオーナーは多くは別の処に住んでいるので、あまり気遣いもない。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxR1KQVuoBZQD9gcZ8L-xa6a8D5Rxd9B4xZVPulJBWIYhTctDMQw9C1JWsFMuP9hSBcZrfcMqLk3zk5mSrdcbjSggJW4HSYle1Mj6e6aZpK1jAYZCrhQvZb870TX8_dohr0rdMoAxL9D1ARfSL5B1yxd-4xFXSuEpvmENJ6gl6HbxUVRdeCReZ_hxQqZc/s4896/DSC07343.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjxR1KQVuoBZQD9gcZ8L-xa6a8D5Rxd9B4xZVPulJBWIYhTctDMQw9C1JWsFMuP9hSBcZrfcMqLk3zk5mSrdcbjSggJW4HSYle1Mj6e6aZpK1jAYZCrhQvZb870TX8_dohr0rdMoAxL9D1ARfSL5B1yxd-4xFXSuEpvmENJ6gl6HbxUVRdeCReZ_hxQqZc/s200/DSC07343.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
処が昨年は間違ってホストと同居の家を選んでしまった。大きな一軒家の一室で、朝は「おはようございます」の挨拶から始まり、主人のシャワーが終わるのを見計らって使い、キッチンも彼らの食事時を外して食べる窮屈な毎日だった。若い頃なら未だしも、この歳で居候になったような気分だった。幸い主人とは気が合い、夜はよく飲んで話せたので、オーストラリア人の生活の一端に触れる事が出来た。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 彼は英国のリバプールから移って来て、今の奥さんと結婚した。3度目の結婚とかで、前の奥さんとの子供もオーストラリアに住んでいた。奥さんも二度目の結婚で、前の夫とに間に出来た男の子が一緒に住んでいた。精神に障害があったので、時折カウンセラーが時々やってきて、奥さんが熱心に耳を傾けていたのが印象的だった。素晴らしい自然に囲まれ羨ましかったが、「どこの家庭でも悩みがあるのは万国共通だ!」と思った。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 今回はそんな反省から、1LDKを占有にして快適だった。着いて鍵が中々見つからないので困った以外は、何一つ不自由はなかった。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-75750828941187871682024-02-22T10:41:00.004+09:002024-02-23T00:22:05.923+09:00International Gentleman<span style="font-size: large;">もう一つ、ゴルフ場での出来事だった。ラウンドしていると、騒々しい一団がいた。二人用のカートが4台、男たちが7〜8人が一緒に廻っていた。髭を蓄えた女装もいて、奇声も聞こえてきたので酒も入っているのが分かった。ただ田舎のゴルフ場で、週末時折見かける光景なので左程驚かなかった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ところが折り返しで擦れ違う処に来ると、隣のコースからボールが真横に飛んできた。シャンクでそれも2発続けて。腕前は素人だし、暫くプレーを中断してやり過ごす事にした。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhh9uy5KLWmLQoeN6Sjs8scSp79jg9ivKqlBW-cCdaJGEb0X6mE-SgHdysGCRKwfK8SlmBYKTyIQK-62puWJdjzCGdJO4NCpdWdJs9bs4dpmEV3wRBz5anVZC2jlt2qDKMTxKA2uRn0O9N6vVWLCBPnjrdk-xQkYfSfC6sPaB-4x7l2wB9ddoU6nIERJBI/s4896/DSC07097.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhh9uy5KLWmLQoeN6Sjs8scSp79jg9ivKqlBW-cCdaJGEb0X6mE-SgHdysGCRKwfK8SlmBYKTyIQK-62puWJdjzCGdJO4NCpdWdJs9bs4dpmEV3wRBz5anVZC2jlt2qDKMTxKA2uRn0O9N6vVWLCBPnjrdk-xQkYfSfC6sPaB-4x7l2wB9ddoU6nIERJBI/s200/DSC07097.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
するとその時どこから現れたのか、女性がカートで飛んできて彼らの処に駆け寄った。服装からしてプレー中のメンバーの人のようだった。彼女はその一団相手に何やら注意しているのが分かった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">そして終わってから私の処にやってきて、「International Gentleman、もしも彼らのボールが当たったのなら、保険が掛かっているのでクラブハウスに行くように!」と言って去って行った。その女一人で立ち向かう姿は、キリっとして実に格好良かった。日本では絶対見られない光景だった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 場所はRosewood Golf Club、カンガルーが沢山生息しているコースであった。因みにカンガルーは集団で過ごす。昼間は日陰に寝ていて、お父さんらしいオスが見張っている。ゴルファーが近づくと仲間を移動させる。中にはお腹の袋に入ったベービーも居て本当に可愛い。夕方になると活動を始め飛び回るので、ゴルフ場が突然サバンナに変わる。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-86788234235362403982024-02-21T11:57:00.003+09:002024-02-21T17:58:38.906+09:00ロストボールにはご用心<span style="font-size: large;">外国でゴルフをやると結構ドラマがある。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">先日もブリスベンの郊外でゴルフをした時だった。ティーショットを打って歩いていると、コースの真ん中に真っ白なボールが落ちていた。ロストボールは多いので拾って歩いていると、暫くして隣のコースから男が現れ、「タイトリストのボールなかった?」と聞く。ひょっとしてと、さっきのボールをみると確かにタイトリストだった。「ごめんごめん」と誤ってその場は終わった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiCbNmcpuHwRfSkl9Q2uCUx1CKFp3uh_mspQ4MT6BC1TpwCEL2cyJxLf5EGLumBux3RKa2NLtOgVvG4M0BQBSnpOpIkJh0keqrqKFtT_xCsZlyxonVxEHHWs1pkEoD93obqF4cP9BnXRw9rCULrLpHqv8hWdFYolUBJT7cCgKthe2faqh_xXGYbkETl36k/s4896/DSC07268.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiCbNmcpuHwRfSkl9Q2uCUx1CKFp3uh_mspQ4MT6BC1TpwCEL2cyJxLf5EGLumBux3RKa2NLtOgVvG4M0BQBSnpOpIkJh0keqrqKFtT_xCsZlyxonVxEHHWs1pkEoD93obqF4cP9BnXRw9rCULrLpHqv8hWdFYolUBJT7cCgKthe2faqh_xXGYbkETl36k/s200/DSC07268.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
それから暫くして、後ろから来た男がカートで追い上げてきたので、先に行かせようと道を譲った。此方は歩きなので当然の事だった。彼は「有難う!」と豪快なショットを放ち追い越した。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">そして彼の第二打を見ていると、「あれ、それって彼のボールじゃないよ?もっと飛んでいたはずだったから?」と思った。結果はその通りで、その後彼は自分のボールを見つけて、「貴方のボールを間違って打っちゃった!」とその誤球を私に渡そうとした。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">勿論それは私のボールではなかったので固辞したが、やり取りも面倒なので受け取っておいた。
処がその後またさっきのタイトリストの男が現れ、「俺のボールなかった?」と聞く。私のポケットから出て来たのは正にそれで、不可抗力とは言え2回目でバツが悪かった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ラウンドが終わりクラブハウスに引き揚げると、支配人の耳には既にこのニュースが届いていて、「XXが文句言っていたよ!」と言われた。私も「その通りだが、複雑な事情で・・・、でも何という事をしてしまって」と謝って恥ずかしかった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> それからそれが縁で支配人と雑談が始まり、かれこれ30分程は話しただろうか?最後は見知らぬ客に同情したのか、別れ際には100周年の記念ワインやタオルを土産にくれた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">場所はSandy Gallop Golf Club、めったにこう言うことはないが、トラブルも終わってみればいい旅の思い出になったのであった。</span></div></div></div></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-86064274510743843052024-02-19T15:14:00.001+09:002024-02-19T15:14:25.487+09:0019 Crimes のワイン<span style="font-size: large;">今年の冬は暖冬でもう桜が咲いている処もある。欧州も暖かく、北半球は世界的に暖かい冬になっている。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">一方、南半球のオーストラリアは冷夏である。毎年35度になる日が多いが、今年はブリスベンでも1月から2月は30度に届くかどうか、それに加えてやたらに雨の日が多い。ゴールド・コーストの年間の雨日は30日程度と言われているので、正に異常気象である。地球の軸の傾きでも変わったのだろうか?と勘繰ってしまう。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEin8kGLcF97Slt-_7hVZJ4ED7uWURGwKXOGruh9DvcbKk99OoipqXVwWROa7qLx70xrMAQVnqChOUMBC8vfYc4oe0WeFPvS8ohSr1Yl753MPA-DyvZbTpV51NjHTO1UbcDbWLM9eIZVABEqyWszwV0ryrp9xDkj9Yemlz1ZYeweA8Q9-LMZTbgEGje5JW4/s385/19.png" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="385" data-original-width="308" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEin8kGLcF97Slt-_7hVZJ4ED7uWURGwKXOGruh9DvcbKk99OoipqXVwWROa7qLx70xrMAQVnqChOUMBC8vfYc4oe0WeFPvS8ohSr1Yl753MPA-DyvZbTpV51NjHTO1UbcDbWLM9eIZVABEqyWszwV0ryrp9xDkj9Yemlz1ZYeweA8Q9-LMZTbgEGje5JW4/s200/19.png" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
そのオーストラリアだが、治安はいいし人々も温和である。見知らぬ人同士の目が合えば、必ずにニコッとして挨拶を交わす。一番顕著なのは車の運転マナーである。制限速度は驚くほどきちっと守り、割り込みや無理な追い越しも殆どない。病院は無料だし、大きな家に住んでタダみたいなゴルフをすれば、ストレスなんて出る余地はないのだろう。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">そんなおおらかな国民性は、広大な国土と移民の過去と深い関係がある気がする。それを象徴するのが、「19 Crimes (19人の犯罪者)」というワインである。受刑者の顔写真が付いたワインの説明書には、「この国を築いた彼らはパイオニア」として称えてある。当時の移民法では大航海を経て辿り着けば、例え死刑囚でも減刑され堅気の人になったのだった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> このワインは安い割には味もしっかりしていて美味しかった。尤もこの話を飛行機で隣合わせたオーストラリア人に話すとあまりいい顔はしていなかった。面白い話も相手を選ばないと失敗する。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-71526787721672417642024-02-18T19:33:00.004+09:002024-02-19T15:16:24.661+09:00メリーポピンズの生地<span style="font-size: large;">旅をしていると意外な発見がある。先日もオーストラリアのMaryboroughという小さな町を通った時だった。市役所でトイレを借りようとすると、守衛みたいなおじさんが立っていて、「このトイレは世界一美しいトイレです!」という。確かに入ってみると、天井から壁までの美しいペインティングが施されていた。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgkgbfKOwZITERLw9mfS-JybwWMBQ8g2A5wjhreJoXyEq8dhyl8sVsltZndZu5jD9BitztQpvWF9LzVm_fxqn-HFsmda7iAa7zdOaJqPBGtwV12firpzRJweE6eI8SZW5uoLkJhl0U8lQsaPglx7mC8blE9yLYzTgKDZOlqDd2aKUXxu4qnq5qqSAMnWcM/s4896/DSC07205.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgkgbfKOwZITERLw9mfS-JybwWMBQ8g2A5wjhreJoXyEq8dhyl8sVsltZndZu5jD9BitztQpvWF9LzVm_fxqn-HFsmda7iAa7zdOaJqPBGtwV12firpzRJweE6eI8SZW5uoLkJhl0U8lQsaPglx7mC8blE9yLYzTgKDZOlqDd2aKUXxu4qnq5qqSAMnWcM/s200/DSC07205.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
それはメリーポピンズ(Mary Poppins)の世界だった。聞くとここはその作者のパメラ・トラバース(Pamela Travers)が生まれた町だった。まだ開拓当時の街並みが残るレトロな町の一角に、彼女の父が務めていた銀行跡が博物館になっていた。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ウォルト・ディズニーが作ったメリーポピンズの映画は、ジュリー・アンドリュース演じるナニー(教育係)が、銀行家の家に住み込み処から始まる。魔法で子供達を勇気付け、大人たちにも子供心を取り戻す感動作である。有名なA Spooful of SugarやChim Chim Cher-eeなどの歌も、一度聴いたら忘れられない曲である。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> しかしモデルになった銀行員の父親は、アルコール依存症で降格させられ早世し、母親もそのショックで後追いを試みるなど、家庭環境は良くなかった。そのため彼女はこの町を出て親戚の家を転々とし英国に渡る事になったのである。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEilemNlITE1CgcaLk4juXL57mTgbyItBRBhpQTXOGx-fbS2zVlC5v3u7G1mtFzKTode8J4Opvr6y-eO21K-3AKIKL7LGL9sdJPf_L44Gg-aMkklEg4Q5GWVrnnuZRyirxYb7IH0Pjrs45PCHMZppPN_GqKCbFJa0h_MeRgWHQEKhwtdBUbvkwlKxfUnaDY/s4896/DSC07206.JPG" style="clear: right; display: block; float: right; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEilemNlITE1CgcaLk4juXL57mTgbyItBRBhpQTXOGx-fbS2zVlC5v3u7G1mtFzKTode8J4Opvr6y-eO21K-3AKIKL7LGL9sdJPf_L44Gg-aMkklEg4Q5GWVrnnuZRyirxYb7IH0Pjrs45PCHMZppPN_GqKCbFJa0h_MeRgWHQEKhwtdBUbvkwlKxfUnaDY/s200/DSC07206.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
そんな幼少期を乗り越えて、パメラは児童文学者として素晴らしい作品を作った。題材は父親から聞いたケルトの童話や銀行員の家庭環境で、全て父親をベースとしていたのであった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">思い出したのはアイルランドのフォークソングである。アイルランドの歴史はイングランドの長い圧政でとても暗いものがある。ところがパブで聞く民謡は、それとは裏腹に陽気でリズミカルである。この不思議は未だによく分からないが、お父さんもアイルランド系と聞いて何か共通するものを感じたのであった。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-29314217097481379782024-01-22T11:36:00.009+09:002024-01-22T17:11:06.712+09:00ダイヤモンドは永遠に<span style="font-size: large;">最近の若い人の結婚は至ってシンプルだ。結婚式を挙げる事もないし贈り物も控えめだ。長いデフレでとてもそんな余裕はないのだろう。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 昔は給与の三倍のダイヤモンドリングを贈るのが定番だった。駆け出しのサラリーマンにとってその額は預金を殆ど使い切る額だった。高度成長期の成せる業だったが、何故そんな事になったのか?そのカラクリがやっと分かった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEizkBI3xfolJ5MDdhiKGajTZ_iMWxrh8dB558_Dq6Gcs2Lptkbhn0i7BlRCdjeN3o02ENrV48zrANpDswYwaaIiLbmepkGUWVK8ZiJuHcNLaNW5m9ikqML8u-1kC_A70t7ELRdnVDEL0Jwv4yEOFSNIKCSo9WmlmdCGxomhRsEEijQgauz2cuJ7d9WSlHs/s187/diamond.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="175" data-original-width="187" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEizkBI3xfolJ5MDdhiKGajTZ_iMWxrh8dB558_Dq6Gcs2Lptkbhn0i7BlRCdjeN3o02ENrV48zrANpDswYwaaIiLbmepkGUWVK8ZiJuHcNLaNW5m9ikqML8u-1kC_A70t7ELRdnVDEL0Jwv4yEOFSNIKCSo9WmlmdCGxomhRsEEijQgauz2cuJ7d9WSlHs/s200/diamond.jpg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
それはダイヤモンドの大手デビアス(De Beers)社のマーケティング戦略だった。70年代初頭にはダイヤモンド指輪を送る新郎は10%にも満たなかったが、その後の同社の「婚約指輪は給料の三か月分」のCMで一挙に流れが変わった。お寺のお布施ではないが、いくら渡していいのか分からない中で、初めてその標準が出来たのであった。「じゅわいよ・くちゅーるマキ」「カメリアダイヤモンド」なんて名前があった頃だった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"><span> そんな事を思い出したのは、あのシドニー・シェルダンの「Master of The Game(ゲームの達人)」を読み返したのが切っ掛けだった。相変わらず面白くて一気読みしてしまったが、小説のモデルは南アのダイヤモンド王のセシル・ローズだった。</span>デビアス社はそのローズが創設した会社、今でも世界のダイヤ市場の50%以上を支配しているのだ。特に日本の小売販売は未だに世界2位と言う。不況というのに、銀座に立ち並ぶ高級ブティック店がその成功を物語っている。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 小説の中に跡を継がせようとするTonyという息子が出て来る。ただ彼は経営には関心なく絵の道を進む。ところが実権をもつ祖母は広告会社を使って監視に可愛いモデルを送り込む。それらは全てデビアス社傘下のマーケティング部門で、日本のCMも彼らが担ったのに違いない。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">「ダイヤモンドは永遠の輝き」は殺し文句である。不思議な輝きに見入れば益々その魅力に嵌って行く。ただそれも彼らの掌の上で躍らせられていたかと思うと、何とも複雑な気分になる。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-77258245231595185192024-01-21T13:41:00.002+09:002024-01-21T20:40:23.375+09:00魅力的な越後湯沢<span style="font-size: large;">初滑りに越後湯沢に行ってきた。晴れマークを見て前の日に決めた。新幹線に乗る事1時間、家を出て滑り出すまで4時間である。10本程滑って引き揚げれば、まだ夕食時間に戻れる。いつも行くのは石打丸山である。山頂から麓まで4㎞のコースを、只管ノンストップで滑れるのが気にっている。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmBxPLSUJR3PDLr4BLQAdE2STaLT0JtkqIx5Syqya1XdukqzLMDIdoXmqo4F0UZj1vXD6adLqZyWmRyh7hAWoH44et6We3M7hJUxL2levbiRkv7TTcHngZf-V6KdvkxTkJ-NOebqZX6UGJydYstiOOuYjU2gMBe5waJTYr2U4JDqpaYtqdybwc-Bb24JM/s4032/IMG_5474.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="4032" data-original-width="3024" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgmBxPLSUJR3PDLr4BLQAdE2STaLT0JtkqIx5Syqya1XdukqzLMDIdoXmqo4F0UZj1vXD6adLqZyWmRyh7hAWoH44et6We3M7hJUxL2levbiRkv7TTcHngZf-V6KdvkxTkJ-NOebqZX6UGJydYstiOOuYjU2gMBe5waJTYr2U4JDqpaYtqdybwc-Bb24JM/s200/IMG_5474.JPG" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
スキーの板はレンタルする。ぶらっと立ち寄る馴染みのレンタル屋がある。入ると親父さんから「今年も来たの、また石打?」と聞かれる。凄いのはどこのスキー場にも、一人から送迎してくれるサービスである。ある時20分以上も掛かる三俣かぐらまで頼んだら、快く引き受けてくれたのには驚いた。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> スキー場は平日なら貸し切りかと勘違いする程ガラガラである。ただ今年は少し多かった。理由は台湾からのスキー客が増えたためである。服装は中国人と違って地味だが、家族で短期間滞在していた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 昔水上のスキー場で滑っていた時、フランス人が「日本のスキー場は狭くて物足りない!」と愚痴を零していた。群馬はメーカーの人が多いからその関係者だろうが、その時は肩身の狭い思いがした。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 実際アルプスのシャモニー始め、バルディゼール、バルトランス、ドゥザルプス、ティーニュは何処も広かった。ただアクセスはパリからだと丸一日は掛かるし、滞在も一週間刻みである。立派なレストランはあるが、殆どが地元のスーパーで買い込み、アパートで食べる事になる。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">若い頃はまだ仲間も多かったからこれでいいのだが、年配者には不向きである。
その点日本のスキー場には居酒屋が多く、何より温泉がある。改めてその魅力を再発見している今日この頃で、これを使わない手はないと思っている。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-27076678651262013122024-01-19T13:29:00.001+09:002024-01-19T13:29:04.995+09:00ペットロスと二頭飼い<span style="font-size: large;">大谷選手のデコピンが話題になっている。スーパースターに人間的な温もりを感じた人は多く何とも微笑ましかった。一方、お隣の韓国では犬食禁止法が施行された。犬を食べるのは中国人と思っていたので意外だった。犬に纏わる話は、毎日ピンからキリまで尽きない。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgl_F9-Kw6JtAc6qeqeTwkfTrTdOqvNarnl5Lkb7zpD08w8cp5WhpFC5nJ4aGbFcy6qcZZm4xttTyEUUBsS_5YJEGqIuwD6cT-WRhjkDqqM0qT3oq7_FfOZQD8jo3Oj7S9d__dvBV960rcij729LrlznW6B7nV5AzmH9y-Df-CQQ6T2NsS1GPdqffwQsYY/s4896/DSC04714.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgl_F9-Kw6JtAc6qeqeTwkfTrTdOqvNarnl5Lkb7zpD08w8cp5WhpFC5nJ4aGbFcy6qcZZm4xttTyEUUBsS_5YJEGqIuwD6cT-WRhjkDqqM0qT3oq7_FfOZQD8jo3Oj7S9d__dvBV960rcij729LrlznW6B7nV5AzmH9y-Df-CQQ6T2NsS1GPdqffwQsYY/s200/DSC04714.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
暫く前に「Cさんの犬が死んだようだ」と誰かが話しているのを聞いた。Cさんは奥さんに先立たれ、愛犬と二人暮らしの老人である。それだけに話す話題と言えば愛犬のことばかり、同じ犬仲間として気持ちが分かるだけに心配していた。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 案の定、Cさんはそのショックで家に閉じ籠るようになってしまった。ある時偶然道端で会ったが、まだ余震は続いていたのか元気がなかった。「早く次を買ったらいいよ!」と励ましたが、「ああ、でもね」と未だ切り替えられる状態ではなかった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 犬は家族同様というが情が移る。大体寿命は10年ちょっとだから、必ず先に死ぬ事は分かっていても、いざその時が来ると辛い。ペットロスは誰でも経験するだろうが、中には後追いする人もいると聞く。このため我が家ではある時から2頭飼いを励行していた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 先住犬が3-4歳になると新しいのを補充して空白が出来ないようにするのだった。こうすれば万が一のショックは和らげる。ところがある時、後から来た若いゴールデンレトリバーが突然死んでしまった。胃捻転が原因で2歳だった。以来また一頭飼いに戻っている。</span><p><span style="font-size: large;">犬は世話が大変だがそれが励みにもなる。来年にはまた次を探そうかと思っているのだが・・・・。</span></p></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-77024681583220513732024-01-13T13:09:00.006+09:002024-01-15T09:35:35.952+09:00ゼレンスキーとブリンケン<span style="font-size: large;">日本に住んでいると、ユダヤ人は遠い国の人に思っていた。せいぜい昔読んだイザヤ・ベンダサンの本を思い出す位だった。ところが最近、ウクライナのゼレンスキー大統領も、支援に行ったブリンケン国防長官もどちらもユダヤ系と聞くと、次第にその思いも変わってきた。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiOmnCQMPYP6MRxTQFfCUBZws3Fgl_dvzVW8_r2iUwnxiEUoG1Du4At6cCuh-WpX__ZExGvQvbfxnSxJHnGZRsOfVm411E7XPEHkrQ0sv99YMVJXXzrle4js_AYBubHFEFqF9_XowUdJiBHaYn-9vn2pMp2rzaxBqPHXgXu2qA7VplQqGYkmbAqLAm8FTg/s4896/DSC02717.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiOmnCQMPYP6MRxTQFfCUBZws3Fgl_dvzVW8_r2iUwnxiEUoG1Du4At6cCuh-WpX__ZExGvQvbfxnSxJHnGZRsOfVm411E7XPEHkrQ0sv99YMVJXXzrle4js_AYBubHFEFqF9_XowUdJiBHaYn-9vn2pMp2rzaxBqPHXgXu2qA7VplQqGYkmbAqLAm8FTg/s200/DSC02717.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
学生時代に経済学を習った時、バイブルはポール・A・サムエルソン教授のEconomicsであった。原書を渡され四苦八苦した記憶があるが、彼の祖先はポーランドで薬屋を営むユダヤ人だった。対するマル経のカール・マルクスもドイツ系のユダヤ人だったから、彼らが学部を二分していた事になる。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 政治の世界もそうだった。当時は東西冷戦時代で、アメリカではブレジンスキーや最近亡くなったキッシンジャーが活躍していた頃だったが、彼らもポーランドやドイツから逃げてきたユダヤ人の末裔だった。対するソ連も生みの親のレーニンがユダヤ人の血を引いていた。ロシア革命はユダヤ人が起こしたと言われる所以である。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 現在でも生活にユダヤ系が深く染み込んでいる事に気付く。例えばスタバでコーヒーを飲みながらデルのパソコンを使ってフェースブックに書き込みしたり、グーグル検索を行ったり、週末ともなればディズニーランドに行くが、これらの創設者は全てユダヤ人である。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">映画の世界は正に綺羅星である。ハリーポッター役のランドクリフは南ア系、スピルバーク監督はドイツ系、あのハリソン・フォードもベラルーシ出身のユダヤ人だった。古くは「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督はポーランドとルーマニア系、ウディ・アレンはロシア系、ダスティン・フォフマンはウクライナ系等々。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> カルバン・クラインの服を着てメンデルスゾーンやシューベルトを聴けば完璧だし、正に我々はユダヤ人文化の中で生きている。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-73010446774700069202024-01-09T09:24:00.003+09:002024-01-13T19:15:54.053+09:00ハーヴァード学長の解任<span style="font-size: large;">イスラエルのガザ侵攻を巡り、人道的な見地から抗議の声が上がっている。アメリカでは、バイデン支持にも影響が出始めているというが、反対の動きもある。ペンシルヴァニア大とハーヴァード大の学長辞任である。理由は反ユダヤ主義を取ったと議会から批判された為だった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9e4hEvKZnTleQES5VvDHPRcc2jcp0J3dhMIcSaTX8VjXc_mNTScgDPzoSq7lnr_L-Dr_V_axzxl1xZUFLj39gcygMwle4x6tHcZDTMSAV7pDaXmBvIXaC8T-kxTGQr9HVVSAS3DccjtrLY6YWa_QQGNXcoyrXrcnYduxoB9f9c4dUZbgyCwhdX-PwXRc/s320/IMG_8713.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="320" data-original-width="240" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi9e4hEvKZnTleQES5VvDHPRcc2jcp0J3dhMIcSaTX8VjXc_mNTScgDPzoSq7lnr_L-Dr_V_axzxl1xZUFLj39gcygMwle4x6tHcZDTMSAV7pDaXmBvIXaC8T-kxTGQr9HVVSAS3DccjtrLY6YWa_QQGNXcoyrXrcnYduxoB9f9c4dUZbgyCwhdX-PwXRc/s200/IMG_8713.jpg" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
ハーヴァード大のクラウディン・ゲイは黒人女性だった。ハイチ出身で初の黒人学長になったようだが、後任は事態修復の為なのかユダヤ系のアラン・ガーバーが就任した。調べてみたら、ゲイの前任のローレンス・バコーも、その2つ前で財務長官にもなったサマーズもユダヤ系だった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">サマーズは日本でも有名だが、叔父にサムエルソンやケネス・アローを持つユダヤ系経済学者の一家に育った。アメリカの経済界はユダヤ系が多く、FRBの前議長のイエレンやその前のバーナンキやグリーンスパンもそうだし、FRBの株主であるロックフェラー、モルガン、ソロモン、ロスチャイルドは典型的なユダヤ資本である。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 学長辞任の背景は寄付との関係に違いない。具体的にどこからいくら貰っているか知らないが、フェースブック、アマゾン、グーグル、オラクル、デル、スタバ、チャットGTPのオープンAIなど、これら大手の創設者は全てユダヤ系の末裔と分かると、敵に廻せば大学の存立さえもままならないのだろう。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> アメリカの人口は3億人強、内ユダヤ系は6百万人強(2%)に過ぎない。ただ中枢に行けば行くほど密度が濃くなる。この辺がディープステイトと言われる所以なのかも知れないが、今回の事件でその一端を垣間見た気がした。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-12119153126144823512024-01-05T13:20:00.001+09:002024-01-05T15:13:49.739+09:00欽ちゃんの名言<span style="font-size: large;">2024年が明けた。元旦から能登半島沖で大地震があり、多くの被害が出た。2日には羽田空港で日航機と海上保安庁の機体が衝突する事故も起きた。奇跡的にも乗客は全員無事だった。海保機は石川県に救援物資を運ぶ途中だったという。皮肉にも運命の糸が撚れてしまった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgdnCYwqluWZKsKozknU4itd1isOrFgUN8pQhlGwVbfza71eitE0-tWmFWIRn6xBAdf92THCfiTmB4HZ1xkqwwzg5-phBQH_krWMnuOAMsDtbKq4vQJyx5bDr2_YlzrDQHFcQU3z1IKzMSO3EUXco5sEpZ8mRBQLC5rzknjhlfzUBdKSRzbwTKdp2tv2Ws/s640/gantan.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgdnCYwqluWZKsKozknU4itd1isOrFgUN8pQhlGwVbfza71eitE0-tWmFWIRn6xBAdf92THCfiTmB4HZ1xkqwwzg5-phBQH_krWMnuOAMsDtbKq4vQJyx5bDr2_YlzrDQHFcQU3z1IKzMSO3EUXco5sEpZ8mRBQLC5rzknjhlfzUBdKSRzbwTKdp2tv2Ws/s200/gantan.jpg" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
新春恒例の箱根駅伝もあった。青山学院が宿敵の駒大に勝った。3区で実力差を撥ね退け首位に立ったのが勝因に見えた。「負けてたまるか大作戦」のスローガンも微笑ましかった。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 印象的だったのは青山の快挙も然る事ながら、駒大が試合が終わった翌朝にいつもの練習を始めた事だった。選手への配慮なのか、心は来年に向かって走り出していた。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> そう言えば年末のTVで、駒大に入学した欽ちゃんが出ていた。73歳で学ぼうとする姿勢に励まされたが、監督から「何か選手にアドヴァイスしてくれ」と頼まれた話が紹介されていた。それに応えて言ったのは、「成功した時は喜ぶ時間を短くし、失敗した時も悲しむ時間を短くする」であった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 中々の名言で、その翌朝の練習もその言葉を実践したかのようだった。喜びと悲しみが織り成すのが人生だが、大事なのは淡々と前に向かって走り続ける事、そんな生き方を教えられた。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-20926391092767020492023-12-27T10:15:00.006+09:002023-12-27T10:19:30.481+09:00地下の戦跡見学<span style="font-size: large;">イスラエルとハマスの戦闘が続き、ガザの死者は2万人を超えたという。何とか止める手段はないのだろうかと、手を拱いて願うしかない。そのガザでイスラエル軍は地下トンネルを潰している。全長は550Kmに及ぶという。ハマスの原始的な技術力でよく掘ったと感心する。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">というのも先日、日吉の地下にある連合艦隊司令部跡を見に行った時、暗くて狭い通路を歩くととても長く感じられたが、それでも全長は2600mというから、改めてガザの規模には驚かされる。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span><div><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjy6W_dRHY-Ip3fkIxPHT1cevEjWFj_KCcBIJfRZLl19KOdEn10rYM8jbB0mzUbsFCa9CAOKh2xX5HxDLZQTwpm0UJzw4cBYWfex6RUa8ZUy4bAaxno4LXyQ7Cy2JERtAv5qKvNIGyuSucrqCEn3XgqtTmhVudyI53rq8nvMLarWKe-sA5Rq9zRGzpx-V4/s1120/tunnel.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="582" data-original-width="1120" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjy6W_dRHY-Ip3fkIxPHT1cevEjWFj_KCcBIJfRZLl19KOdEn10rYM8jbB0mzUbsFCa9CAOKh2xX5HxDLZQTwpm0UJzw4cBYWfex6RUa8ZUy4bAaxno4LXyQ7Cy2JERtAv5qKvNIGyuSucrqCEn3XgqtTmhVudyI53rq8nvMLarWKe-sA5Rq9zRGzpx-V4/s200/tunnel.jpg" width="200" /></span></a></div><span style="font-size: large;">
日吉の地下壕は太平洋戦争末期に艦隊がなくなり、陸に上がった海軍の指令部跡だった。まだ飛行機が残っていたので、そこから特攻のモールス信号を受電していたという。地下壕は1944年7月から3カ月で完成したというから早かった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 同じ地下壕は松代の大本営跡も行った。こちらは完成すれば全長10㎞の地下都市になっていた。天皇も移る予定と聞いて、当時の狂気を見る思いがした。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 最も大きかった地下都市は、チェコとポーランド国境のオスフカ(Osowka)の地下司令部であった。ドイツが1943年から作り始め、機関車も乗り入れできる巨大な地下要塞だった。完成すれば全長30㎞というから、反抗に備えたのかも知れない。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">その他、朝鮮半島の38度線、所謂非武装地帯(DMZ)にあるトンネルも比較的広かった。北が掘って発見されたものだが、地上ではまだ両軍の兵士が睨み合っていたので、緊張感があるツアーだった。</span><p><span style="font-size: large;">第一次大戦にフランスが作ったマジノ線の地下壕はよく保存されていた。べトコンの地下通路は人が一人通れるだけの狭い穴だった。</span></p></div></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-7654014098498717442023-12-24T09:21:00.003+09:002023-12-27T10:36:23.137+09:00ナポレオン街道<span style="font-size: large;">ナポレオンがエルバ島に流された後、10カ月ほどで島を脱出、パリに戻って帝位を取り戻した。所謂100日天下である。その時に通ったのが、アンティーブから北上しグルノーブルを通る、今ではナポレオン街道と呼ばれるルートである。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO1WDQJdxfARf6Im5JLyzsV75y0C6xjEvCt2zgvJF0ButySMtbU5SEUzpejj2j17UtzwMV0Ufzq_qEHIFjqZggrkmRC4IwFVIAQIbAzZeZYj-q0UgTVqH6MJNAivPcnF78nIxqPeIKz6bbXdnWCoPKVGFLiZIVpi5WXChCwO9vTIcQEpKCle5VUy1IGEk/s1536/bana8.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="1024" data-original-width="1536" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjO1WDQJdxfARf6Im5JLyzsV75y0C6xjEvCt2zgvJF0ButySMtbU5SEUzpejj2j17UtzwMV0Ufzq_qEHIFjqZggrkmRC4IwFVIAQIbAzZeZYj-q0UgTVqH6MJNAivPcnF78nIxqPeIKz6bbXdnWCoPKVGFLiZIVpi5WXChCwO9vTIcQEpKCle5VUy1IGEk/s200/bana8.jpg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
同じくこの街道を使い、パリに向かったのがジャッカルであった。フレデリック・フォーサイスの名作「ジャッカルの日」に出て来る殺し屋である。彼は革命記念日にドゴール大統領を狙うが、弾は逸れ計画は失敗する。ただそのルートが魅了的で見ていて飽きない作品である。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 例えば出発地点のアンティーブ(Antibes)は、コートダジュールの美しい港町である。ナポレオンの「鷲は鐘楼から鐘楼へと羽ばたき、やがてノートルダムの塔まで達するであろう」の碑も建っている。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ちょっと行ったグラース(Grasse)は香水の町として有名である。ネ(仏語で鼻)と称するブレンド師が世界の香水の調合をしている。日本の資生堂の香水もここで作らられている。街に入ると何とも言えないいい香りが漂ってくる。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">また映画にも出て来るが、ラフレ(Laffrey)の村ではナポレオンを捕らえに来た兵士が、逆に彼に心酔して寝返った。側近のネイ将軍も途中で合流した。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-32052881820466366542023-12-24T09:21:00.002+09:002023-12-24T16:41:53.542+09:00遺体のすり替え説<span style="font-size: large;">映画の冒頭はトゥーロン(Toulon)の奇襲から始まった。ナポレオン大尉の名を一躍有名にした一戦だった。夜襲と敵陣からの砲撃で英国艦隊を壊滅させた。</span><p><span style="font-size: large;">そのトゥーロンは南仏の軍港である。いつか車で通った事があったが、フランスの町にしては驚く程に汚かった。だからミシュランでは、背後の山からの眺望を薦めている。</span></p><p><span style="font-size: large;">ところで映画「レ・ミゼラブル」の冒頭にもジャン・バルジャンがドックで船を引っ張るシーンが出て来るが、それもトゥーロンの造船所である。思えば時を同じくして物語の主人公2人が、奇しくもこの町から人生をスタートさせたのだ。
</span></p><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirMWS9QpzQP0cYufQdqSFAeYPAwyFPrQdN0aPr50izby9f0G4l_fNGdMVCqUx3BkyuNF1lwiCqDpcSbwT-gAoFj0Y4gCyEDkKW8UDe7o-RdUH1UUzhxnPlMGWAEBsSf-AdSLid4qjgabhuTuQRBVMQbUAr8H4FpaNRY68hdrSSRsjpK-yOlip1j8UbOTM/s1118/bonaparto4.jpeg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="570" data-original-width="1118" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEirMWS9QpzQP0cYufQdqSFAeYPAwyFPrQdN0aPr50izby9f0G4l_fNGdMVCqUx3BkyuNF1lwiCqDpcSbwT-gAoFj0Y4gCyEDkKW8UDe7o-RdUH1UUzhxnPlMGWAEBsSf-AdSLid4qjgabhuTuQRBVMQbUAr8H4FpaNRY68hdrSSRsjpK-yOlip1j8UbOTM/s200/bonaparto4.jpeg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
映画は ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンがセントヘレナ島に流される処で終わる。大西洋に浮かぶその島を知る由もないが、倉田保雄さんの「ナポレオンミステリー」には面白い逸話が載っている。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 一つはナポレオンの世話をしていた男の話である。彼の名前はジェン・ユーという何と中国人だった。清皇帝の落とし子として生まれた彼は、中国から英国に渡り際に捕虜になりそこにやって来た。教養も高くどちらも捕らわれの身だった事もあり、ナポレオンとは話が合ったそうだ。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> もう一つは、フランス側が遺体を引き取りに来て棺をを空けると別人だった話である。埋葬時と19年後の引取り時に立ち会った側近の証言が門儀を醸しだした。偽物は元ナポレオンの給仕に似ていた。着ていた軍服もパレード用正装から普通の軍服に変わっていた。そこで当時お棺を管理していた英国が、遺体をウェストミンスター寺院に運んだという噂が出た。パリのアンバリッドのお墓は今や一大観光地になっている。本当だったら滑稽極まりない。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> またナポレオン自身の子孫は途絶えたが、アメリカに渡った末弟(ジェローム・ボナパルト)の話も紹介していた。ジェロームの孫はハーバードを出て、1935年に入ったのが捜査部(後のFBI)であった。ナポレオンの血が海を越えFBIに流れているという。</span><p></p></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-17979776750204723332023-12-24T09:20:00.005+09:002023-12-27T10:37:40.187+09:00ワーテルローの戦い<span style="font-size: large;"><span>アウシュテルリッツやワーテルローの戦いシーンは見応えがあった。昔のロシア版「戦争と平和」でも多くのエキストラを使って壮大だったが、</span><span>改めて今の映像技術に感心した。</span></span><div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">随分前だがそのワーテルローを訪れた事がある。今のベルギーだが、小高い丘にライオン像が建っているだけの何もない野原だった。隣接する博物館で当時を再現した映画を見た後外に出た。目を閉じると風の音の中に、馬の肥爪や兵士の怒号が聞こえ来るようで感動した記憶がある。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnUDN-c1jHtwgcRaDH6jB2-_4jNdb9977wYt03ukwDMYaEWCH6NbH5OzB5DO_3Tblm5R3RUANpBjXkN6SDmf-xXQAlPwgEnoQW-vmmJ4R6MbHeAFQYPBAA9u3ab0AhnbU_av_DqoObMLaU-0okaAtjy_uR8GxR9lyWodLyZiXECi7I5VicNklXD1nWGL4/s800/bonaparto%202.webp" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="365" data-original-width="800" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjnUDN-c1jHtwgcRaDH6jB2-_4jNdb9977wYt03ukwDMYaEWCH6NbH5OzB5DO_3Tblm5R3RUANpBjXkN6SDmf-xXQAlPwgEnoQW-vmmJ4R6MbHeAFQYPBAA9u3ab0AhnbU_av_DqoObMLaU-0okaAtjy_uR8GxR9lyWodLyZiXECi7I5VicNklXD1nWGL4/s200/bonaparto%202.webp" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
ワーテルロー勝利を英国でいち早く知り、株で莫大な利益を得たのがロスチャイルド一族であった。英仏独に散った兄弟の情報網の成せる業だった。映画ではその話は出て来ないが、一体彼らがどうやって戦況を知ったのか気になっている。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 一方でアウシュテルリッツの場所は何処なのか?今回改めて調べてみたらチェコのブルノ(Brno)の郊外だと分かった。ブルノの町は5年前プラハに戻る途中で寄った。遺伝学のメンデルの生家でエンドウ豆の法則をお浚いはしたが、「地球の歩き方」にアウシュテルリッツは載っていなかった事もあり行きそびれた。やはりミシュランガイドがないと駄目だった。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">この戦いの勝因はナポレオンの陽動と分断作戦だった。オーストリア軍を囮部隊に向かっておびき寄せ、本隊を奇襲する作戦が功を奏した。今回映像で見てそれがよく分かった。</span></div></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-15953968294658196682023-12-24T09:20:00.003+09:002023-12-24T12:55:00.034+09:00ジョゼフィーヌとデュマ<span style="font-size: large;">最新の映画「ナポレオン」を観に行った。ナポレオンはヨーロッパ近代史の象徴だけに、見終わってからもあれこれ考えさせられた。4回に分けて綴ってみたい。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 映画の半分は最初の妻ジョゼフィーヌとの関係に割いていた。そのジョゼフィーヌはカリブ海の仏領マルティニーク島の貴族の娘であった。映画にも黒人議員が出ていたが、当時から海外県の人達がフランス本国に深く関与していたのが分かった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLp1wd5mzAI2ZD8YPW17yi4XMYHLfBUGwrSUSZ8_66BC73fMpKwtI9zDDmyXtjc_Qf7DXqeA3kQ51WE04w1n2ZoeuHswI7VYNqeQivnGEfKJ8jU5y44EIpFQTF0M3uMF9zi55X-39WXC3lq0lasKCKgpzEeMXhRkQ0yONgo5u3yb-855cQe33Wm7y_2nQ/s640/bonapalto.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="640" data-original-width="480" height="200" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiLp1wd5mzAI2ZD8YPW17yi4XMYHLfBUGwrSUSZ8_66BC73fMpKwtI9zDDmyXtjc_Qf7DXqeA3kQ51WE04w1n2ZoeuHswI7VYNqeQivnGEfKJ8jU5y44EIpFQTF0M3uMF9zi55X-39WXC3lq0lasKCKgpzEeMXhRkQ0yONgo5u3yb-855cQe33Wm7y_2nQ/s200/bonapalto.jpg" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
思い出したのはアレクサンダー・デュマの父親である。彼はサン・ドマング(現ハイチ)の統治に活躍したローカルの将軍だった。昔読んだ「黒い将軍」という本にその生涯が書かれていたが、そう言えばデュマの顔立ちは生粋の白人ではなかった。「モンテクリスト伯」に出て来る財宝の隠し場所もカリブ風だった。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 余談だが、2017年にフランスの人気ロック歌手のジョニー・アルディーが死んだ時、お墓をカリブ海の仏領サン・バルテルミー島に作った。風光明媚な場所でフランス人が静かに眠れるのか、以来気になっている。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> ジョゼフィーヌに話を戻すと、ナポレオンとの熱愛関係はやや違和感があった。というのも、一般的には彼女は歴史の脇役と思われていたからだ。ナポレオンには生涯3人の子供がいた。一人は二番目の奥さんマリー・テレーズの子供だったが、後二人は2人の愛人との間に生まれた。他にも女性関係は多かったようだし、こうした演出が英国的と批判される所以なのかも知れない。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-42670757462879267612023-12-11T11:11:00.006+09:002023-12-14T13:57:54.940+09:00「ドジャースの戦法」教本<span style="font-size: large;">大谷選手のドジャース移籍が決まった。契約金額も10年で7億ドルと破格である。円に直すと年間100億円になる。日本の12球団の年俸総額が400億円というから、その大きさが分かる。</span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">ドジャースでは野茂英雄や最近では前田健太などの日本人も多く活躍した。エンジェルスと同じ西海岸で、気候も温暖だから当初から本命だった。やっと決まったので新天地で頑張って欲しいと思っている。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;">ところでそのドジャースだが、昔から日本と関係が深かった。特に読売ジャイアンツの監督だった川上哲司は、1954年に出版された野球教本「ドジャースの戦法(The Dodgers` Way to Play Baseball)」を取り入れ、V9に繋げた話は有名である。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQRNLeCBdC7Yu5AQvZuapO5pHUgPllsORFa-_KtQy6PLYintbb97h-tjfZ-gYpoLhMicn_CkPnVJwqXbzr0ywigPZ2s-0_AtpXitSKQ3lFo5f8R3qpx8b7liGD6RMUN_kofX9e-9Koj3IPf-932SG2qfzUrwjBnDnDJ3162vRBcAU594TAz4on0lzTqU4/s640/dodgers.jpg" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="480" data-original-width="640" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQRNLeCBdC7Yu5AQvZuapO5pHUgPllsORFa-_KtQy6PLYintbb97h-tjfZ-gYpoLhMicn_CkPnVJwqXbzr0ywigPZ2s-0_AtpXitSKQ3lFo5f8R3qpx8b7liGD6RMUN_kofX9e-9Koj3IPf-932SG2qfzUrwjBnDnDJ3162vRBcAU594TAz4on0lzTqU4/s200/dodgers.jpg" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
ドジャース戦法とは、守備力を重視した野球である。今では常識になっているが、ヒット&ランや犠打を紹介したのもこの本だった。川上はこの本をヘッドコーチの牧野茂に読ませ、1961年にはアリゾナで巨人とドジャースの合同合宿も実現させた。 </span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 実は子供の頃に、その牧野コーチのお宅に伺った事がある。親同士が友達だった縁だが、広岡や藤田のファンだったこともあり、沢山のアルバムやトロフィーを見て興奮した覚えがある。帰り際に何枚かの写真も頂いた。その中の一枚が、そのキャンプで撮った若き長嶋、王、金田選手であった。 勿論撮ったのは牧野さんである。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 今では宝物であるが、こうして半世紀を経てまた新たな関係が始まるかと思うと感慨も一入である。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-4492224397173804223.post-4074491458091863932023-12-08T12:13:00.002+09:002023-12-08T12:13:32.459+09:00連合艦隊と酸素魚雷<span style="font-size: large;">暫く前の日経新聞の「リーダーの本棚」欄に、静岡がんセンターの山口総長が出ていた。氏の父親も医者で、ラバウルで軍医として終戦を迎えたという。その影響なのか、座右の書は意外にも伊藤正徳の「連合艦隊の最後」だった。組織として理念、戦略、戦術、システムを考える上で、海軍はその手本というのが理由だった。
</span><div class="separator" style="clear: both;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiStbXwGy17o_RegiJf_PDpcHyiSeTXDNvhWuFE8PxBGWUAscEwi88FpZzQ6COhd6R7U6KQnZwZwbLEhDCHPTSaukzmT-iwo5iY1IeKkpC1vYFK5xJwS5VbreSR1-YEDMXGaKrGLHf-XAQl86Zmv96FuafeVGBeDIuR4XZMDyhIAhhwwTDpN8K5MWA65T8/s4896/DSC02290.JPG" style="clear: left; display: block; float: left; padding: 1em 0px; text-align: center;"><span style="font-size: large;"><img alt="" border="0" data-original-height="3672" data-original-width="4896" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiStbXwGy17o_RegiJf_PDpcHyiSeTXDNvhWuFE8PxBGWUAscEwi88FpZzQ6COhd6R7U6KQnZwZwbLEhDCHPTSaukzmT-iwo5iY1IeKkpC1vYFK5xJwS5VbreSR1-YEDMXGaKrGLHf-XAQl86Zmv96FuafeVGBeDIuR4XZMDyhIAhhwwTDpN8K5MWA65T8/s200/DSC02290.JPG" width="200" /></span></a></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><span style="font-size: large;">
早速その本を取り寄せ読んでみたが、出版がまだ焼野原が残る昭和30年という事もあり、著者の気迫と無念感がにじり寄る一冊だった。確かに開戦時に254隻、その後383隻もの軍艦が建造されたが、終わってみれば49隻という事実がそれを物語っていた。 </span><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> 本の後半に酸素魚雷の話が出て来た。その速度、射程、爆薬量で英米を遥かに凌駕していた。その技術を転用した人間魚雷「回天」の成功率が高かった事もあり、終戦直後にサザーランド参謀長が真っ先に潜水艦の居場所を聞いた逸話も紹介していた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> そう言えば昔、東海岸のアナポリス(海軍兵学校)を訪れた時、校内にその酸素魚雷が置かれていた。そこは太平洋戦争の日本コーナーで「ミッドウェイ海戦を境に戦局が好転した」の碑もあり、しばし立ち止まって思いを馳せた。</span></div><div><span style="font-size: large;"><br /></span></div><div><span style="font-size: large;"> また著者は戦争末期の指揮官の在り方に批判的だった。昔は東郷元帥のように陣頭指揮していた時代から、最後は日吉の地下壕から無線で命令を出すようになったからだ。士気も上がらないし無線の精度も悪い。その失敗が電波が届かず謎の反転が起きたレイテ戦だった訳だが、分かるような気がした。</span></div>Pitthttp://www.blogger.com/profile/10330468377765607768noreply@blogger.com0