大和特攻から3週間後に、ご子息もカミカゼで沖縄に突っ込んだ。同じ月に夫と一人息子を亡くした夫人は、二人を追うように逝ったという。現存するご自宅には毎年この時期になると立派な桜が花を付ける。桜の幹は二つに分かれているので、筆者は「父子(おやこ)桜」と呼んでいた。戦争を知らなくても、それを見ると当時の様子が蘇ってくる。
もう一つ、毎日のように通うテニス倶楽部がある。今時珍しいクレーコートで11面もある。整備に時間と手間が掛かるものの、クレーは足への負担が少ないから好評である。
実はその土地はオーナーの祖父が、日露戦争で殉死した弔慰金で買った土地だった。日露戦争では海と陸で25万人もの死傷者が出た。取り分け陸軍の損害は甚大だったが、そこで倒れた人の所縁で毎日元気を貰っている。
敷地にはやはり大きな桜の木が聳えている。倶楽部会員はこの季節、テニスそっちのけで花見をやる。故人がどこかで、目を細めて見ているような気がしている。
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