Tuesday, 17 June 2025

USスチールと黄金株

 ずっと気になっていたUSスチールの買収が決着した。トランプが色々と渋るなら、ブレークダウンも仕方ないと思っていた矢先だった。

特に黄金株の登場にはビックリした。屋上屋を架されたようで、以来喉に小骨が刺さった感じがしている。先方の弁護士が捻り出したウルトラシーなのだろうが、つくづくアメリカ人の悪知恵には感心した。ただ確か日本では認められていないので、法的に大丈夫なのだろうか?

買収金額の2兆円と今後の投資の2兆円、日鉄がコミットした4兆円は凄い金額である。同社の売り上げが8兆円だから、改めてその額の大きさに驚かされる。又買収額はキャッシュで払わねばならない。そんな資金調達も大丈夫なのだろうか?

そして何より100%の完全子会社化の方が気になる。日鉄の経営陣にはアメリカ留学組も多いと聞くが、問題は英語である。所謂契約交渉のような1対1のバイならいいが、マルチ(大人数の議論)になるとレベルが違ってくる。

取締役会など喧々諤々の声が飛び交う中、2〜3年程度の留学英語では到底太刀打ちできないのは明らかである。特に時にはジョークやユーモアも交えて人心を掴む事も必要だ。正直で人がいいだけではマネージに限界がある。

思い出すのは、東芝のウェスティングハウス買収である。アメリカの老舗電機メーカーを大胆にも手に入れたのは良かったが、数年後に破綻して1ドルで売却、東芝もそれがきっかけになり破綻した。トップの誤った決断が、従業員や株主の財産と未来を奪ってしまった。

古くは三菱地所のロックフェラーセンター買収失敗もあった。人種の偏見も根強いし、日本人がアメリカ人を管理する最も苦手な事が、これから始まろうとしている。「鉄は国家なり」の会社だけに心配である。

Saturday, 14 June 2025

偉大な父

先週、長嶋茂雄さんが亡くなった。御年89歳、脳梗塞を患ってから不自由が続いたが、随分とリハビリに頑張っておられた。明るくアグレッシブな性格は多くの人に愛され、国民的アイドルであった。長い間ご苦労様、心からご冥福をお祈りしたい。

その偉大な父の下で育ったのが一茂さんである。父の背中を追って立教から巨人に入った。ただ30歳で戦力外通告を、しかも実の父親から告げられ、暫くして野球を諦めた。

父が社会から評価されるほど、益々小さく感じる自分だったのに違いない。今までよくグレないで来たと思う。最近はテレビで活躍しているのを見るにつけ、やっと自分の居場所を見つけた気がする。

ポルトガルの英雄クリスティアン・ロナルドの長男も先日プロでデビューしたり、松岡修造の息子もアメリカから軽井沢Futuresに参加していた。今はいいが、同じジャンルの父を超えられない時どうなるのか、少し心配である。

一方で全く違う道を歩む息子も多い。アガシとグラフの息子はサッカー選手に、ゴッドファーザーの息子もオペラ歌手になった。この方が伸び伸び生きる事が出来る。

偉大な父から逃れた息子もいた。思い出すのはマッカーサーである。一時は大統領候補にもなった第二次大戦の英雄だが、一人息子は戦争が終わるとジャズのピアニストになった。やがて父親の名前が重荷になり、姓も変えNYの下町に消えて行ったのである。

また古くはロシアのピュートル大帝もいた。ロシアの西洋化の礎を築いた人だったが、息子は病弱で性格も大人しく父と対立した。その父から逃れようと、挙句の果て反旗まで翻したが失敗し、最後は(父に)処刑された。戦乱の世にはよくある話かも知れないが、何故か気になっている。

そもそも偉大な父なんて世間が勝手に付けた形容詞に過ぎない。それなのに実際は中々その呪縛から抜け出せないのである。

Tuesday, 10 June 2025

ガウディ没99年

 TVを見ていたら、芦田愛菜さんのバルセロナ旅をやっていた。随分予習をしたようで、連れの女優相手に蘊蓄を披露していた。改めて解説されると勉強になった。有名なサグラダ・ファミリアも良かったが、やはりガウディが設計し、晩年の住居として使っていたミラ邸は、彼をより身近に感じる場所だった。

というのも、中公新書の「物語 スペインの歴史、人物編」の中には、ガウディの最後が詳しく描かれていたからだ。これを契機に読み返してみたが、彼はその日、いつものようにサグラダ・ファミリアでの仕事を終え、教会のミサに出てそのミラ邸に帰宅するはずだった。

処が途中で市電に轢かれて3日後に亡くなったのであった。享年73歳、今から99年前の1926年の今日6月10日であった。

病院に担ぎ込まれた時は浮浪者と間違えられた。採食主義者だった栄養不足が風貌に表れたのか、一生独身だった彼の食事は、ミラ邸の守衛の奥さんが三食作っていたという。事故の発覚も、帰宅が遅くなり不信に思った奥さんの機転が功を奏した。

著者の岩根氏は学者だが、当初作家を目指しただけあって、文章にメリハリがありとても読みやすい。前作の「物語スペインの歴史」も、セルバンテスに焦点を充て面白く纏めていた。この物語シリーズは、往々にして年表の羅列で終わる無味な学者が多い中で、「ウクライナ」の黒川氏と並んでいい出来はピカ一と思っている。

因みにサグラダ・ファミリアは来年に完成するという。その奇抜な配色はあまり趣味でないし、塔の材質にはコカ・コーラの空き瓶も入っていて興ざめした記憶がある。ただ聖書に長けキリストの物語を知ると、自ずと見方も変わってくるのである。

Thursday, 5 June 2025

天安門とマイケルチャン

昨日の6月4日は天安門事件の日であった。1989年6月4日に、民主化を求める多くの中国の学生が、天安門広場で軍によって弾圧された。

私は丁度、北京への出張を予定していた時だった。Y部長から翌朝電話があり、出張は中止にしたと連絡があったのが昨日のようである。後から聞いた話では、中国各地の駐在員が空港目指して逃げた非常事態であったから、邦人にとっても他人事ではなかった日になった。


その事件を挟んで、全仏オープンテニス(ローラン・ギャロス)が開催されていた。確か4回戦だったか、17歳のマイケルチャンが第一シードのレンドルに勝った試合を見ていた。疲労困憊の少年が、アンダーサービスまで繰り出して接戦を制した一戦であった。夜中まで見ていた記憶があるが、巨人に立ち向かう姿には心を打たれた。

チャンはその後も勝ち進み、決勝ではエドバークに逆転勝ちして優勝を果たした。同世代の中国の学生が天安門で倒れる中、(台湾系とは言え)そのジャンヌダルクのような勇姿は、世界中から称賛されたのであった。

あれから36年経って中国の経済は大きく発展した。ただ一方で締め付けもどんどん厳しくなって、独裁体制も益々進んでいる。

36年と言うと、子供が中年に、中年が老人になる時間軸である。文革を担った紅衛兵も今や70歳代に入っている。親や年長者を批判して、神社仏閣をぶっ壊した世代である。その人達が隠居に入り、何も無かったかのような子供世代がインバウンドで来日して飯を食っている。

最近は歳を取ったせいか、実はそんな独裁でもいいかと思い始めている。中国の体制が崩壊すれば、押し寄せる難民や経済の混乱の方が大きい。所詮統治の話である。そんな他人の国の事を心配するよりも、まず足元の難題の方が気になっている。

Friday, 30 May 2025

お寿司の話

 寿司屋といえば、思い出すのはYさんである。Yさんは名門ラグビー部のOBである。後輩の面倒見がよく、よく学生を連れては飯を食わせに行っていた。ただその奢り方が半端でなかった。

体育会の大柄な選手たちだから食べる量も半端ではないのを知ってか、親仁に「このカウンターの魚を全部でいくらする?」と聞く。親仁は「そう60万円位かな?」と応えると、「いいよ」と始める。そうすると学生は(当たり前だが)遠慮する事なく、思う存分食えるので大喜びするという。

Yさんは食品を扱う問屋の社長さんであった。食べ物にはお金の糸目をつけないのか、将又宵越しのカネは持たないのが信条なのか、兎に角豪快な人だった。私も一個何千円もするフルーツや、冬になるとナポレオンの紅茶割など、高価な珍味を随分ご馳走になった。この辺はチマチマ生きるサラリーマンには中々マネ出来ない芸当であった。

その寿司の食べ方であるが、バブルの前後で少し変わった。それまでは例えば一人前を取ったとすると、安い玉子から始まり一番高価なマグロは最後の楽しみに取っておいた。処がバブルが崩壊して先行きが不透明になると、まずそのマグロから始めるようになった。「信じられるのは今」の動物本能である。

又日本人と外国人では食べる順序が違う。日本人はまずつまみと酒を楽しんでから、最後に握りで〆るのが一般的である。ただ外国人は反対に、握りでお腹を満たしてから酒を楽しむ。夕方Pubにビールを飲みに来るのも、食事を終えてからの由来に関係している。

Tuesday, 27 May 2025

ごっつぁんです!

先日、築地の寿司屋に行った時だった。若い力士二人を連れた四人組が入って来た。カウンターに力士を挟んで、如何にもタニマチ風の年配夫婦が座った。

力士は当初遠慮がちに箸を進めたが、アルコールが廻って来ると、どんどん注文をし始めた。寿司は二貫から一度に6〜8貫、大トロ、中トロ、アワビと高いネタもお構いなしである。マグロの串焼きも一挙に4本、その量は尻上がりに増えて行った。

一方タニマチ夫妻は財布を気にしているのか、飲むけど殆ど寿司には手を出さないのが対照的だった。力士は会話もなく黙々と食べ続けた。これには流石、「ごっつぁんです!」の世界に慣れているとはいえ、どうなのかな?と心配になった。20代前半から、こんな世界に浸ってしまって大丈夫なのだろうか?

思い出したのは、昔TVの特集番組で見た元横綱輪島であった。「黄金の左」の投げの豪快な力士だった。ただ現役を引退してからの晩年は、懇意だった居酒屋の一階でゴロゴロ、昼から酒を飲んで過ごしていた。それは現役時代の勇姿を知っている者から見ると、哀れであった。

サラリーマンは原則割り勘である。日本橋に「清く割り勘亭」という飲み屋があったが、ネーミングが安心感になり繁盛していた。言うまでもなく人間関係が長く続く秘訣でもある。

芸能人やスポーツ選手は若い頃にチヤホヤされるから、その慣習が全然違う。築地の若い力士を見ていてそれが気になった。


Thursday, 22 May 2025

ポルトガルとシルクロード

トランプ関税の末路について、ある人がシルクロードを引き合いに出していた。

シルクロードは古来東西を繋ぐ陸路として栄えたが、オスマン帝国が通過税や関税を課していた。ところが15世紀になってヴァスコ・ダ・ガマが海洋のインドルートを開拓すると、海運のスピードと安い輸送コストの煽りで、シルクロードは衰退したのであった。

所謂大航海時代の始まりで、その先駆けになったのがポルトガルだった。水は低き所に流れる。今回も米国を通さない物流が大きくなると、第二第三のポルトガルが出て来るかも知れない。

来月イベリア半島の旅を計画しているが、そのポルトガルは今までヨーロッパで唯一行った事がない国だけに楽しみである。あえて避けていたのには理由があった。

昔パリでポルトガル銀行の人にポルトガル料理をご馳走になった事があった。立派なレストランだったが、出て来たタラの燻製のような料理はパサパサして塩気が強く、全く喉を通らなかった。

その人は「ポルトガルは貧しい国だから、魚の保存食がメインになっている」と説明していたが、殆ど偏食もしないから余程の事だった。料理が不味いと、自ずと旅へのモチベ―ションも上がらなかったのである。

処が最近、写真家のKさんが旅した時の写真を見せてくれた。時間が止まったような街並みは素朴で、確かに豊かとはいえないが古びた魅力があった。大した産業もないのに、今まで大国スペインに飲み込まれなかったのも気になる。余り期待していないのが、吉と出るかも知れない。