Friday 26 July 2024

「滅びた事ない国」1位の日本

ミシュランガイドを頼りに2〜3つ星を目指して廻った。コリントス(Kotinthos)、ミケーネ(Mycanae)、エピダブロス(Epidavros)、ミストラス(Mystras)、メッソーニ(Methoni)、オリンピア(Olympia)、ヴァッセ(Vasses)、メテオラ(Meteora)、エレフシナ(Elefsina)等々・・・。

どれも広大な敷地に広がる遺跡である。最初は珍しがっていたが、次第にどれも同じに見えてきた。ただ年代を調べると、ミケーネが紀元前16〜12世紀と一番古く、大方は紀元前6〜3世紀、ミストラスの町やメッソーニの要塞跡、メテオラの修道院に至っては14世紀と比較的新しかった。同じ廃墟とは言え、歴史が違うと建造目的や用途も異なった。 

 これらを破壊した側も、時代によって違った。古くは東西のローマ帝国、中世からはオスマン帝国だった。ただバルカン半島を旅すると「オスマン=侵略者」のイメージが強かったが、気のせいかギリシャはそれを感じなかった。歴史の半分を東西ローマ帝国に仕えた名残だったのだろうか?将又ギリシャ人の非西洋意識なのか?いつか識者に聞いてみたい。

ところでこの古代遺跡を前にすると、日本の歴史なんか小さく見えてきた。縄文時代か弥生時代頃だろうか?しかし帰ってから改めて調べてみてビックリした。

何と世界で「滅びた事のない国」の1位は日本であった。紀元前660年の神武天皇から今に繋がる天皇制は2700年にもなり、ギネス認定されていた。因みに2位はデンマーク、3位は958年の英国、中国に至っては80年にも満たない。日本はギリシャより古かったのだった!

 逆に複雑な感情を持つのは、今のギリシャ市民である。レストランでワインを頼む時、当然「ギリシャのローカルワインね!」と言うと、ボーイは「ギリシャをマケドニアって言う奴がいるけれど、これは本物のギリシャワインだ!」と訳の分からない言い訳をする。

ヘレニズム文明を築いたギリシャの英雄アレキサンドロス大王は、隣国マケドニアの出身、今では西マケドニアはギリシャの隣国だったりするのが引っ掛かるのだろう。過去を遡ると自分の国ではなかったりして、自身のルーツは誰しも気になるのである。

Wednesday 24 July 2024

オリンピアのトラック

間もなくオリンピックが開かれる。今年はパリが舞台である。あの汚いセーヌ川で泳ぐというので大丈夫かと思うが、レトロで粋な計らいもフランスの特徴である。選手は柔軟でタフであった欲しい。

そのオリンピックの聖地、オリンピア(Olympia)の遺跡を訪れた。アテネから南西へ360㎞、崩れたとはいえ、古代遺跡が当時のまま残っていた。今でも聖火のスタートとなるゼウス神殿や選手宣誓の館など、高度な精神文化が宿っていたのが伺えた。

中でも感動的だったのはトラック競技場である。一周300m程だろうか、トラックの真ん中に下りてスタンドを見上げると、「テルマエ・ロマエ」の映画に出て来るような歓声が聞こえてきた。

 古代オリンピックは紀元前776年から西暦393年まで、4年ごとに1200年の永きに渡りこの地で開催されたというから驚きである。オリンピックの起源は戦火、疫病を逃れた人々の健康を志向したようだ。そう言えば、Epidavrosというやはりミシュラン3つ星の遺跡には、今でも使える野外劇場があり、これも病んだ人々の精神回復が目的だったという。当時のギリシャ人は、今にも増して健全な社会を追求していた。

処でマラソンの起源になったアテネ郊外のマラソナス(Marathonas)にも足を運んだ。BC490年にペルシャ軍に勝利した報告を、一人の兵士が42㎞を走ったのが由来だった。マラソンとはその兵士の名前かと思いきや、戦場となった町の名前だった。

因みにその町にあるマラソン博物館には、歴代の優勝者の写真と靴が飾ってあった。Qちゃんや野口みずき、円谷選手や有森さんも含めて、日本人ランナーに取り分け多くのスペースを割いていたのが印象的だった。

Tuesday 23 July 2024

小泉八雲の生地

ギリシャ人で思い出すのはマリア・カラスとJFKのジャクリーヌ夫人、最近ではテニスのチチパスぐらいである。処がガイドブックには、ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)こと小泉八雲が出てくる。折角なので、彼の名前の由来にもなった生地レフカダ(Lefkada)島を訪れてみた。

ギリシャの北西に位置するこの島は、90度回転する移動式の桟橋と、モンサンミシェルのような土手道(Causeway)を通って入った。途中大型ヨットが通過するのを待つ事10分、島の玄関口に彼の胸像が建っていた。

 ハーンは英国陸軍の軍医の子供として1850年にこの地で生まれた。アメリカのジャーナリストとして来日したのが1890年、40歳の時だった。以来松江を皮切りに早稲田、東大などの教師を務め54歳で没した。日本人の妻(節子)を娶り、その彼女をヒロインにしたNHK連続小説「ばけばけ」が来年放映されるというので楽しみだ。

 帰ってから早速彼の作品をいくつか読んでみた。来日当初の「日本瞥見記(Glimpses of Unfamiliar Japan)には、人力車から眺めた風景を、「東洋の額縁の中に西洋(ミシン屋や写真館)が入っている。全てがミニュチュアの世界だ!」と興味深い表現で語っていた。また有名な「怪談」や「骨董」など、多分妻から聞いた話なのだろうか?日本の怨霊や霊魂に強い関心があった事も伺えた。

また面白かったのは、距離をマイル、重さをポンド表記していた事だった。内容は全く日本で訳も素晴らしかったが、これだけはどうしようもなかったようだ。

時を経て、異国への旅を通じて、古き幕末の日本と日本人を垣間見るきっかけにもなった。不思議な気分である。島から北に車を走らせると、夏のこの季節、ビーチは多くの海水浴の人でごった返していた。

Monday 22 July 2024

アテネの落書き

今年は日本とギリシャの外交125周年、佳子さんに肖った訳ではないが、そんなギリシャをゆっくり旅してみた。 

まずアテネに着いて驚かされたのは、落書きの多さである。至る所の壁や施設にペンキが塗られていた。2009年から始まった財政危機の煽りなのか、一見人心の荒廃ともみれたが、当時の人々、取り分け若者の怒りが伝わって来た。

一連の発端は政府による財政赤字の隠ぺいだった。GDP比で5%の財政赤字は実は12%もあった。背景には国民の4人に1人は公務員で定年は53歳、年金は現役時代と同じ額が支給されるなど、財政破綻は縁故主義の蔓延だった。

EUは緊急支援の見返りに改革を迫ると、失業率は2014年には26%にも上がった。勤勉をモットーとする西洋流のリストラにも反感があり、落書きに繋がったようだ。ギリシャ人は肌が黒いし、ギリシャ正教はキリスト教でもイスラム教でもない。その特殊な民族性と、それでも何とか西洋社会の中で生きるジレンマだった気がする。

改革は消費税が未だに23%と高いように道半ばである。ただ今の治安はいいし、街も落ち着きを取り戻していた。オリーブとレモンをふんだんに使ったギリシャ料理はヘルシーで飽きが来ないし、何より素朴なワインが美味しい。

ソクラテスやプラトンを生んだ栄光の古代、ローマとビザンチンの間の微妙な立ち位置、その過去の遺産で生きる観光立国、エメラルドのエーゲ海と白い大理石に代表される風景を思い出しながら、これから旅を振り返ってみたい。

Friday 21 June 2024

小池知事の学歴疑惑

都知事選が始まった。50人以上が立候補する混戦である。300万円を出せば誰でも出れる。だから売名行為を目的とする人もいるのだろう。それにしても本命の4人を含め、これといった人がいないのも困ったものである。

消去法で行くと、やはり小池さんかと思っている。過去の実績で無難にやってくれるだろう。ただ例の学歴詐称が気になる。元側近は刑事告発したり、カイロ時代の旧友の書いた記事も信憑性がある。特に元環境省の人は、昔から存じ上げている誠実な人だけに猶更である。

所が残念な事に、これがスタンフォード大やハーバード大ならいざ知らず、カイロ大となると関心度はグッと下がる。「そんな処(と言っては失礼だが)出ても出なくても、どうでもいい!」というのが率直の感想である。

一方で思い出すのは、松本清張の「砂の器」である。名を馳せた音楽家が、過去を知る恩人を殺害する事から事件が発覚する。孤児だった彼は、戦後のドサクサに紛れ焼失した戸籍を使い、別人に成り済ましたのであった。時間と共に嘘がバレていく恐怖は、名を成した人ほど大きいのである。

 それにしても何故マスコミも含めて、カイロ大に照会できないのだろう?と不思議である。普通は問い合わせれば、「そんな人は卒業生にいません」と返ってくる。その辺の曖昧さが事態をより複雑にしている。

Thursday 20 June 2024

古代の列石群

英国のストーンヘンジに、ペンキのようなものが掛けれられた。犯人は環境保護団体という。暫く前にも美術館で同じような事件があったが、環境とは真逆の行為に理解に苦しむ。

そのストーンヘンジだが、古代の習慣、儀式など謎に包まれている。ただ規模はこじんまりしていて、他の列石群に比べれば点のようなものである。ロンドンから近いせいだろうか?

 代表的な列石群の一つは、フランスのブルゴーニュ地方のカルナック(Carnac)だろう。数にして3000個はあるだろうか、高さ4m程の巨石が、1kmに渡って続いているのば圧巻である。ブルターニュ地方には、他にも沢山のメンヒルと呼ばれる列石が多く、ケルト人の祖先の足跡が伺える。 

 もう一つはスコットランドの北端に位置するオークニー島である。こちらはストーンサークルと呼ばれる直径にして30m程の石柱群、古代住居跡や円墳が残っている。時代はカルナックもそうだが、紀元前3000年頃と言う。今でも寒くて不便な島に、太古から文明が栄えていたかと思うと人間の逞しさを感じるのである。

エジプトのピラミッドもそうだが、誰がどうやってこんなに重い石を運んで組立てたのか?石は当時のまま現存しているから、触れる事によって古代のロマンが蘇るのである。

Wednesday 19 June 2024

ラ・ロッシェルと島々

映画「史上最大の作戦」は史実に忠実な作品で、ロケも殆ど現存する現場で行われた。ただ上陸のノルマンディーだけは、空爆で丘も変形してしまったため、中西部のレ島(Ile de Re)になった。以前わざわざ見に行った事があるが、確かに長く続く海岸線は映画のシーンだった。

レ島は近くのオレロン島と並び、牡蛎が有名な島である。夏になると観光客が訪れるが、コートダジュールが立派なホテルが立ち並ぶ上流階級向けなのに対し、車でキャンプする極めて庶民的な場所であった。 

 フランスの島は文化が凝縮していて面白い。有名なモン・サン・ミッシェルは言うまでもないが、ナポレオンの故郷コルシカ島には、モヤイ像のような古代遺跡が多く残っていて歴史を感じた。美しい島を意味するブルターニュのベル島(Belle Ile)には、黄色い口ばしを持つパフィンという珍しい鳥が生息していた。湾には立派なヨットが停泊していて、フランス人の豊かな生活振りを垣間見た場所でもあった。 

 レ島から桟橋を通ると、大きな港町ラ・ロッシェル(La Rochelle)に出る。ここはフランスにおけるプロテスタントの牙城で、ナントの勅令が出るまでカソリックと対立した歴史の町だった。

 第二次大戦中はドイツ軍の潜水艦基地もあったので、今でも立派なブンカ―が残っている。その跡地でロケしたのがインディー・ジョーンズの「レイダーズ」であったと、それは最近知った。

吉村昭の「深海の使者」にも、大戦中に日本の潜水艦がUボートを引き取りに行った軍港が出て来る。ひょっとしてそのラ・ロッシェルかと思って調べたが、それは近くのブレストだった。