Saturday 30 June 2018

メキシコ国境の話

トランプ大統領が選挙戦の時、メキシコとの壁を作ると言っていた。実際どんなものか、見た事がなかったが、映画「ボーダーライン(原題:Sicario )」を見てそれがよく分かった。延々と砂漠の中にフェンスが続いていた。映画は麻薬取締犯を追うアクションドラマである。中々迫力もあり、改めてメキシコ国境の捜査も面白かった。これなら移民の取り締まりも理解できる!と思えて来る。

映画の舞台はファレスという町だった。どこかなと思って調べてみたら、対岸はあの国境の町エルパソだった。2つの町は、ジョン・ウィンの西部劇に出て来るエル・グランデ川を挟んでいる。映画でも騎兵隊が川を越えてあわてて戻るシーンがあった。エルパソは70年代に訪れたが、当時からスペイン語が飛び交うメキシコの飛び地だった。また数年前にテキサス州を旅した時も、この辺りのレストランのスペイン語表記には参った。

アラモの砦があるサン・アントニオから南に下ると、ビックベンド(Big Bend)国立公園がある。砂漠がそのまま保護されているワイルドな自然である。車に跳ねられた動物にハゲタカが群がり、至る所にトカゲが出た。自然はどこも昔のままだが、メキシコに渡ると怖い世界があるようだ。

Wednesday 27 June 2018

スターリングラード

明日は運命のポーランド戦である。勝つか引き分けなら決勝ラウンドに進める、正に運命の一戦である。その会場はボルゴグラード、旧名はスターリングラード、あの独ソ戦の激戦地である。

試合も沙流事ながら、テレビに映し出されたボルガ川を見て、いつか見た景色に思えた。それは多分、映画「スターリングラード(原題:Enemy At The Gates)」の映像だった。映画の冒頭で、そのボルガ川を武器も支給されないソ連の兵士が渡って行くシーンが出て来る。何隻かは岸にたどり着く前に、多くの船が沈んでしまう。攻防戦は900日と言うので2年以上続いた事になる。市民だけでも100万人の犠牲者を出し、その数は当時の日本を大きく上回る大変な数だった。攻め入ったドイツ軍は冬将軍に邪魔され、モスクワまであと一歩の処で停滞した。ソ連はナポレオンに続き、再度防衛に成功した。

映画ではソ連のスナイパーが主役だった。狭い廃墟から虱潰しに敵を襲う戦いは、地味で根気が要った。明日の試合はどうなるのか、勝っても次がある長丁場だ。その地の英霊に敬意を称したチームに女神がほほ笑む気がする。

Tuesday 26 June 2018

ポツダムの鱒料理

ザリガニで思い出した訳では無いが、今まで美味しかった料理の一つに鱒があった。それはポツダム郊外の湖で獲れた鱒だった。今から20年以上前になるか、とあるミッションで欧州を巡る出張があった。仕事は兎も角、現地のアテンドならガイド顔負けを自負していたので、行程は凝って特にオフは選りすぐった。取り分け昼夜の食事とエンターテイメントには情熱を傾けた。

その中でドイツのポツダム近郊に行った時だった。仕事を終え、例のポツダム宣言の宮殿に連れて行った。あのルーズベルト、チャーチル、スターリンが座ったテーブルが当時のまま残っている、言わば歴史の舞台である。ベルリンからバスで1時間弱だったか、今の日本の運命を決定付けた場所だったので、皆感銘も一入だった。

そしてランチの時間になった。予てから予約していたレストランに向かった。湖畔を望むレストランは、当時ミシュランの1つ星が付いていた。ミシュランの信者を自負する者にとって、それは初めて行く所だったが、決して人を裏切らない自信があった。案の定、静かなテラスでその湖で獲れたマスと、モーゼルの白ワインの組み合わせは最高だった。同行した通訳の人から、「コーディネートはこーでぃなきゃ!」のお褒めの言葉を頂いた。その時の感激をミッションのメンバーが共有していて、未だに集まって飲むモメンタムになっている。

Sunday 24 June 2018

阿寒湖のザリガニ

今朝の読売新聞に、ザリガニの話が出ていた。マリモで有名な北海道の阿寒湖で生息しているという。所謂外来種だが、今になっては、レイクロブスターと称し、地元の貴重な観光資源になっているという。獲っても獲っても大丈夫らしい。何やら食料不足の戦前に、北米から持ってきたらしい。

暫く前に読んだイルカの話もあった。和歌山県の大地町で昔から伝統のイルカの追い込み漁を取材した作品だ。タイトルは「白人はイルカを食べてもOKで、日本人はNGの本当の理由」という講談社の本だった。著者は、400年前から続いている漁が、映画「ザ・コーブ(The Cove)」によって世界から非難された事を題材にした。確かに海を血に染め、動物みたいなイルカを食用にするのは抵抗感があるが、これも戦後食糧難の日本に解禁されたものだった。

本では、デンマーク領のフェロー諸島の同じような漁を紹介していた。どうしてあっちでは良くて日本では駄目なのか?フェロー諸島の人に言わせれば、自身は生存の為に獲っているが、大地町では第三者の売る商業目的で獲っている言っていた。ただそれもあまり説得力がなく、結局はどちらも生きるための獲って食べているに過ぎない事に思えた。都会でスーパーしか知らない者には言う資格はないが、ヒトは生きるためなら何でも食べてきた。

Saturday 23 June 2018

親しい中の礼儀

マクロン大統領の苦言に思い当たる事は多い。随分前になるが、スキー場の宿で知り合った年配客がいた。彼は一人で来ていた。一人でスキーをして楽しいのかと思って聞くと、「この歳になると、皆わがままになるので、気軽に一人がいいのです」と言う。確かに昔の友達でも、歳と共に段々我慢が効かくなるから、ややもすればつい本音が出てしまう。不用意な言葉は相手を傷つけ、折角の旅行も台無しになってしまう。

無礼講な会話は、傍から聞いていてもあまり快いものではない。いい大人が、遠慮なく昔の言葉でやり合う姿は、ややもすれば稚拙な人間関係を感じてしまう。親しい中にも礼儀あり!一定の距離感を保ってからこそ、快適な関係が築けるというものだ。若い頃は呼び捨ての間柄でも、やはり歳を取ればXXさんが無難であろう。

最近、医学関係の会に出た事がある。お互いXX先生と呼び合う雰囲気は、とても和やかで落ち着いたものを感じた。政治家をXX先生と呼ぶのと違い、お医者さんなら全く抵抗はなかった。中国人と話す時も、相手を立てようとすると、先方はXX先生と呼ぶ。若い頃は少しくすぐったかった、今ならちょうどいい。

Thursday 21 June 2018

マクロン氏の諭し

今週、フランスのマクロン大統領が15歳の少年から「やー、マニュ(Ça va Manu ?)」と呼ばれたのに対し、「ムッシュ・プレジダンかムッシュと呼びなさい!」と注意した事がニュースになった。聞きようによっては、敬意を払いなさいとも聞こえるので、早速ビデオで検証してみた。すると場所が戦没者の追悼式だったため、「ラ・マルセエーズのパルティザンの歌を歌う時なので、場所を弁えなさい!」と諭していた事が分かった。大統領は政治的な質問にも、「まずディプロマ(資格)を取るように」と応えた。その大統領の思わぬ言葉に驚いたのか、少年も神妙に聞き入って納得したようだ。

フランス人はアメリカ人に比べると、ムッシュやマダムなどを付け苗字で呼ぶのを好む。だからビジネスでも会って間もない人をファーストネームで呼ぶと、相手は黙ってしまう。その格式ばった人間関係は、長い宮廷文化から来たのかも知れない。昨今はフランスも日本のように風刺番組が多く、政治家はお笑いの種になるケースが多い。そんな中でも、こうした大統領の軽妙で単刀直入な会話に対し、襟を正すのもフランス人かと改めて思った。

ところで、その追悼式が行われたモン・ヴァレリアン要塞(forteresse du Mont-Valérien)だが、そんな場所があるとは知らなかった。パリ近郊で、ガリア時代から聖地の山とされ、普仏戦争の時には海兵隊が砦に立て籠もりパリ防衛の拠点にしたようだ。そして1940年からのドイツ占領下、4500人の人質やレジスタンスがここで処刑されたという。何かの時に行ってみようかと思う。

Wednesday 20 June 2018

コロンビア戦のハンド

昨日のワールドカップ初戦で、日本がコロンビアに勝った。下馬評はせめて引き分けだったので、上々の結果だった。その得点が開始直後のPKだった。香川選手のボールが相手のディフェンダーの腕に当たり、ハンドのレッドカードが出た。PKは兎も角、退場処分の基準は何なのか?今日のTVで多くの人が解説していた。それは故意かどうかで、故意でなければ退場にまでならなかった。

故意は英語でintentionalかと思ったら、正確には deliberateだった。思い出したのは、先週のゴルフの試合で、あのミケルソン選手が動いているボールを打った事だ。本人は2打罰を覚悟で、意図的に行為に至ったという。しかしそれはルールを逆手に取ったあるまじき行為に思えた。それが可能なら、カップの処で待っていれば必ず一発で入れる事が可能だ。特に傾斜のきついグリーンなら、それを選択する人はいるはずだ。これを契機に、ルール改正があって当然だ。

かつてはマラドーナの神の手もあった。故意であっても偶然に見なされればペナルティーにはならない。誰もがそのギリギリの処で生きているのだろうが、やはりスポーツマンシップに則らないと・・・。

Tuesday 19 June 2018

出会い系海外版

最近、ネットで知り合った男達が、見知らぬ女性を連れ去り殺害する事件があった。見知らぬ他人同士だったからこそ、出来た犯行だった気がした。それにしても痛ましく許せない事だ。

かと思えば、先日会った若い人はドイツ語の国家試験に受かった。その勉強方法は、ネットを通じて友達になったドイツ人と、片方はドイツ語を、片方は日本語を相互に教え合う、というサイトを通じたものだった。授業料はタダで、しかも24時間好きな時に地球の裏側と生の体験が出来たという。とても素晴らしい仕組みだと感心した。

確か昔に、やはりこれも若い人だったが、外国を旅する時に、行く先々のホテルで現地の友達が待っている仕掛けを利用した人が居た。海外版の出会い系のサイトだろうか、「何月何日に何処どこの町に行くので、日本人に興味がある人はご連絡ください」と書き込むと、確かに誰かがロビーで待っているらしい。だから旅先で一人で食事をすることはないという。何とも羨ましい限りだが、中々年配者には真似できない。

Sunday 17 June 2018

砂の器

その「砂の器」は、何度見ても飽きない作品である。加藤剛演じる若手作曲家が、世間にデビューする、その隠された半生を追う話である。ライ病の父とあてのない放浪の末、心ある巡査が彼を拾う。その後戦争末期の爆撃のドサクサで戸籍を得て、芸大に進む。物語は彼を救った元巡査が彼を訪ねて来る処から始まる。「父親が生きているので、是非会いに行ってこい!」、巡査はそう促すが、忘れたい過去を出された挙句、その巡査を殺害してしまうのであった。所詮は砂で出来た器である。真水が入ると簡単に崩れてしまう。

有名になれば輝かしい世界が待っている。不都合な自身の過去は、折角の輝きが曇ってしまう。だから闇に葬ってしまいたい、そんな気持ちになるのだろう。何故か、佐村河内守という人を思い出した。日本のベートーベンとか言われたが、結局ゴーストライターが居た事が分かり、関係者は面目丸つぶれになった。最初は軽い気持ちで付いた嘘が、途中から引き返せなくなってしまった。

砂の器にはもう一つのメッセージがあった。それは義理人情というか、世話になった人への恩である。特に命の恩人は勿論、人の道を諭した人なら猶更だ。それはヤクザ世界の世界に似ている。戦後ヤクザ映画が人気を博したのも、そんな日本人の心理を代弁していた気もして来た。この作品を見ると、様々な事が頭を過るのである。

Saturday 16 June 2018

消したい過去

暫く前に、ある犯罪に詳しい人と話す機会があった。彼によると、一度犯罪を犯して前科が付くと、中々社会に受け入れて貰えず、また犯罪を繰り返す人が多いという。確かに相手が罪人と分かれば、普通の人なら気持ちが引いてしまう。そんな時、犯罪者なら誰しも自分の過去を消してしまいたい、そんな誘惑に心が動くのは容易に想像出来る。

最近、アマゾンプライム会員は無料動画が見れると知ったので、早速「飢餓海峡」と「砂の器」を観てみた。どちらも暗い過去を持つ男の話である。男は戦後に社会的な名声を博すが、ある時自身の過去を知る人物が現れる。ただ今更そんな事実を公にする訳にもいかず、結局その人物を殺害してしまう。映画は白黒で、戦後の復員者も出て来る。極度の貧困と差別が事件を生んだ、そんなメッセージも伝わってくるが、それにしてもこの頃の映画は迫力があった。

自身の過去を消し去りたい、それは海外でも同じで、あのジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記でもそうだった。恋する女性の父が自身の父だった事が分かり、その過去から逃れたいと、第二次大戦中に沈没した船の犠牲者に成り代わった。しかしその犠牲者が犯罪者だったことが判明し、思わぬ嫌疑が掛かってしまう。都合の悪い過去を消し去ろうと、足掻けば足搔く程その糸が絡まって行く。宿命から逃れることは容易ではない。ただ少し不条理も気にもなる・・・。

Wednesday 13 June 2018

ゴルゴ13

数年前に書かれた「習近平は、必ず金正恩を殺す」というショッキングな本があった。著者はジャーナリストの近藤大介氏であった。中国のコントロールが効かず、西側を挑発する新たな指導者に我慢できない、そんな趣旨の本だった。中々良く書けた本で説得力があったので、ずっと心待ちしていた。しかしあれから4年、事態は深刻化するどころか、昨日の米朝会談に象徴されるな流れになってきた。

そのシンガポール会談だが、両国は専用車を持参したり、多くのSPを同伴するなど、セキュリティーへの配慮は異常だった。まるでシンガポールの国を貸し切ったようで、特に会場になったセントーサ島のホテルも、予約客を締め出したようだ。そんな最中、あのゴルゴ13だったら、どうやって的を仕留めるのだろう?そんな不謹慎な事が頭を過った。

ず思い浮かべたのは、宿泊先のホテルである。覆いはしてあったが、カメラでも玄関の僅かな隙間を捕えていたから余地はあった。次は移動する車である。道路は封鎖されていたが、反対車線は流れがあった。ゴルゴ13なら対抗車線から一瞬を突けたかも知れない。ただ金正恩が前日の夜にマーライオンを観光に行くのは予想外だった。特に夜だったので無理な時間帯だ。それは仕方ないにして、やはり確実なのは空港であろうか?それも直接狙うのではなく、例の銃弾の角度を使う手法である。まず何かを狙い、その反射角で的に当てる。これなら犯人がどこから撃ってきたのか分からない。久しくコミックを読んでいなかったが、若い頃の血が過った。こんな事を考えた読者は他にもいたのではないだろうか?

Tuesday 12 June 2018

米朝会談を見て

世紀の米朝会談が終わった。朝からテレビに釘付けで、何が出るのか固唾を呑んで見守った。しかし具体的な成果はなく、会うこと自体が目的だったような、政治ショーの印象がした。声明文書には、あのCVIDの言葉も無かった。ひょっとして最初から、それを条件に会議を優先したのだろうか?そんな憶測が拭えなかった。通常はトップ同士の会議はゴールだが、今回はそれがスタートになった珍しい一日だった。
 
ところで両国の首脳が泊ったホテルだが、アメリカサイドが使ったシャングリアホテルは昔から良く国際会議の会場になった。オーチャード通りから歩いては行けないので。治安も良かった。一方、北朝鮮一行が泊まったST・Regisは最近出来たので良く分からないが、近くには日本大使館やリージェントホテル、駐在者用の最高級アパートのTreetopsが立ち並んでいる。

画面を見ていて、殆どの関係者は背広姿だった。赤道直下で暑くないのか?不思議な光景だった。実はシンガポールで暮らす人々は、冷房の効いたビルで終日暮らすので、日頃から冷房対策で長袖シャツを着用している。また小さな国なのに、自転車に乗る習慣はない。暑くて歩く人がいないのだろうか、歩道が少ないためである。そのため、オーチャード通りを除けば、移動はまず車である。その車の値段は日本の約3倍、カムリでも1000万円はするし、レクサスなら家が買える。メンツを重んじる中国系は、半分ステータスシンボルとして持っている。人々の車への思い入れは半端でない。そんな事を思い出した。

Monday 11 June 2018

ナダル選手の気迫

今年もローラン・ギャロスが終わった。バルセロナ、マドリッド、モナコ、ローマと来て赤土の仕上げになる全仏オープン、毎日BS放送に釘付けになっている者にとっては、年中行事とは言え、格別な感がある。結果は、下馬評通りナダル選手の圧勝だった。ベスト16で、あの錦織選手が全く試合にならなかったティム選手も、決勝では1セットも取れずストレートで敗れた。

一時ナダルは、ランキングがドンドン下がって勝てない時期があった。リオのオリンピックの時、銅メダルを掛けた試合で錦織に惜敗した頃だった。回復に励む中、確か彼の故郷マヨルカ島に、やはり故障していたフェデラーが慰問に来た。どちらも不遇な時を分かち合い励まし分かれた記憶がある。二人はそれから驚異的なカムバックを果たし、又世界1位2位に返り咲いた。ビック4の世代交代が囁かれる中、2人は未だに健在だ。

特にナダルのプレースタイルは、その攻撃性に改めて見せられるものがある。武器になるスピンの回転数は、フェデラーやジョコが2700回転/分に対し、3200回転/分と相変わらず断トツだ。そして一球に賭ける集中力と入魂の気迫が凄い。それを2週間の大会期間に渡って維持している。俗に言う繋ぎ球が無いのも特徴だ。でも、その常に攻め続けられる力の源は一体何のだろう?いつか話を聞く機会があれば聞いてみたい。

Thursday 7 June 2018

黒い十字軍

北朝鮮の核廃棄が迫っている。昔からICBMの脅威はあったが、1960年代に、あの007の映画「サンダーボール作戦(Thunderball)」でも、思えば核弾頭の争奪戦だった。海底に隠した核を、敵味方のスキューバーが争奪するシーンは見応えがあった。その頃の、ショーン・コネリーは本当に格好良かった。

それにヒントを得たかのだろうか、1961年に書かれたアリステア・マクリーン著「黒い十字軍(The Dark Crusader)」は、古い本だが中々読み応えのある小説である。冷戦の最中、何とオーストラリア人が長距離弾道弾を開発し、米ソに揺さ振りを掛ける話である。謎の基地には雇われた中国兵士がいるので、途中まで黒幕は中国人かと思ってしまう。しかし書かれた年代を思えばそれは非現実的であった。東西の冷戦を利用して、漁夫の利を得ようとする試みは、今で思えば稚拙な処もあるが、モノクロの世界はやはり迫力が違う。

マクリーンは戦争を戯曲化する天才である。それは着色された事実だから面白いのである。その創造の世界は、「事実は小説より奇なり」の反対である。彼の傑作は「荒鷲の要塞(Where Eagles Dare)」だと思う。映画にもなっているが、何度見ても飽きない不思議な作品である。「黒い十字軍」もそうだが、どちらも黒幕は英国人の二重スパイだったオチが付く。早く種明かして、後は辻褄合わせに走る処、それを延々と焦らない根気がある。その仕掛けといい、つくづく英国人は我慢強い国民性!と感心してしまう。

Tuesday 5 June 2018

R・ケネディの命日

久々に、ル・ポアン誌の今日は何の日(C'est arrivé aujourd'hui)を見ると、50年前の6月5日は、ロバート・ケネディー(Robert Kennedy)が暗殺された日だという。それは兄のJFKが暗殺されてから5年後だった。彼を兄に準え、RFKと言っているようだ。そのRFKは当時司法長官で、民主党のキャンペ-ン中にLAで43歳の若さで亡くなった。

事件は兄のJFKに比べ話題性には欠けたが、不可解な点が残るという意味で同じだった。ル・ポアン誌は、CIAが暗殺に拘わったのでは?と述べていた。犯人は24歳のパレスチナ人だった。犯行は例によってRFKがイスラエルを訪問した後だったので、その動機が疑われたようだ。しかし本人が持っていた拳銃から発射された銃弾は8発、それに対し周囲には13発の弾痕があったという。しかもその銃弾の当たった扉は直後に回収されたという。

CIAが関わっていたという説は、その事件を追った映画監督のオー・サリバン(Shane O`Sallivan)だった。正にJFKのオリバーストーンみたいな人だったが、彼が近くに居た二人の男を特定した。男の職業はどちらもブローバという時計会社の職員だったが、CIAに関係していた。それから謎の水玉模様の服を着た女も出て来る。どれも今になっては特定できないで、それはJFKの時と同じであった。ただJFKのダラスの事故現場は、当時のまま保存されていて事件の究明がまだ続いている。あの有名なノールの丘に立つと、素人でも事件の真相が伝わって来る。その点、RFKのLA現場は既に再開発で残っていないという。昨日のような事件だが、別のアメリカを知る上でとても興味深い。