Monday 22 January 2024

ダイヤモンドは永遠に

最近の若い人の結婚は至ってシンプルだ。結婚式を挙げる事もないし贈り物も控えめだ。長いデフレでとてもそんな余裕はないのだろう。

 昔は給与の三倍のダイヤモンドリングを贈るのが定番だった。駆け出しのサラリーマンにとってその額は預金を殆ど使い切る額だった。高度成長期の成せる業だったが、何故そんな事になったのか?そのカラクリがやっと分かった。

それはダイヤモンドの大手デビアス(De Beers)社のマーケティング戦略だった。70年代初頭にはダイヤモンド指輪を送る新郎は10%にも満たなかったが、その後の同社の「婚約指輪は給料の三か月分」のCMで一挙に流れが変わった。お寺のお布施ではないが、いくら渡していいのか分からない中で、初めてその標準が出来たのであった。「じゅわいよ・くちゅーるマキ」「カメリアダイヤモンド」なんて名前があった頃だった。

 そんな事を思い出したのは、あのシドニー・シェルダンの「Master of The Game(ゲームの達人)」を読み返したのが切っ掛けだった。相変わらず面白くて一気読みしてしまったが、小説のモデルは南アのダイヤモンド王のセシル・ローズだった。デビアス社はそのローズが創設した会社、今でも世界のダイヤ市場の50%以上を支配しているのだ。特に日本の小売販売は未だに世界2位と言う。不況というのに、銀座に立ち並ぶ高級ブティック店がその成功を物語っている。

 小説の中に跡を継がせようとするTonyという息子が出て来る。ただ彼は経営には関心なく絵の道を進む。ところが実権をもつ祖母は広告会社を使って監視に可愛いモデルを送り込む。それらは全てデビアス社傘下のマーケティング部門で、日本のCMも彼らが担ったのに違いない。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」は殺し文句である。不思議な輝きに見入れば益々その魅力に嵌って行く。ただそれも彼らの掌の上で躍らせられていたかと思うと、何とも複雑な気分になる。

Sunday 21 January 2024

魅力的な越後湯沢

初滑りに越後湯沢に行ってきた。晴れマークを見て前の日に決めた。新幹線に乗る事1時間、家を出て滑り出すまで4時間である。10本程滑って引き揚げれば、まだ夕食時間に戻れる。いつも行くのは石打丸山である。山頂から麓まで4㎞のコースを、只管ノンストップで滑れるのが気にっている。

スキーの板はレンタルする。ぶらっと立ち寄る馴染みのレンタル屋がある。入ると親父さんから「今年も来たの、また石打?」と聞かれる。凄いのはどこのスキー場にも、一人から送迎してくれるサービスである。ある時20分以上も掛かる三俣かぐらまで頼んだら、快く引き受けてくれたのには驚いた。

 スキー場は平日なら貸し切りかと勘違いする程ガラガラである。ただ今年は少し多かった。理由は台湾からのスキー客が増えたためである。服装は中国人と違って地味だが、家族で短期間滞在していた。

 昔水上のスキー場で滑っていた時、フランス人が「日本のスキー場は狭くて物足りない!」と愚痴を零していた。群馬はメーカーの人が多いからその関係者だろうが、その時は肩身の狭い思いがした。 

 実際アルプスのシャモニー始め、バルディゼール、バルトランス、ドゥザルプス、ティーニュは何処も広かった。ただアクセスはパリからだと丸一日は掛かるし、滞在も一週間刻みである。立派なレストランはあるが、殆どが地元のスーパーで買い込み、アパートで食べる事になる。

若い頃はまだ仲間も多かったからこれでいいのだが、年配者には不向きである。 その点日本のスキー場には居酒屋が多く、何より温泉がある。改めてその魅力を再発見している今日この頃で、これを使わない手はないと思っている。

Friday 19 January 2024

ペットロスと二頭飼い

大谷選手のデコピンが話題になっている。スーパースターに人間的な温もりを感じた人は多く何とも微笑ましかった。一方、お隣の韓国では犬食禁止法が施行された。犬を食べるのは中国人と思っていたので意外だった。犬に纏わる話は、毎日ピンからキリまで尽きない。

暫く前に「Cさんの犬が死んだようだ」と誰かが話しているのを聞いた。Cさんは奥さんに先立たれ、愛犬と二人暮らしの老人である。それだけに話す話題と言えば愛犬のことばかり、同じ犬仲間として気持ちが分かるだけに心配していた。

 案の定、Cさんはそのショックで家に閉じ籠るようになってしまった。ある時偶然道端で会ったが、まだ余震は続いていたのか元気がなかった。「早く次を買ったらいいよ!」と励ましたが、「ああ、でもね」と未だ切り替えられる状態ではなかった。

 犬は家族同様というが情が移る。大体寿命は10年ちょっとだから、必ず先に死ぬ事は分かっていても、いざその時が来ると辛い。ペットロスは誰でも経験するだろうが、中には後追いする人もいると聞く。このため我が家ではある時から2頭飼いを励行していた。

 先住犬が3-4歳になると新しいのを補充して空白が出来ないようにするのだった。こうすれば万が一のショックは和らげる。ところがある時、後から来た若いゴールデンレトリバーが突然死んでしまった。胃捻転が原因で2歳だった。以来また一頭飼いに戻っている。

犬は世話が大変だがそれが励みにもなる。来年にはまた次を探そうかと思っているのだが・・・・。

Saturday 13 January 2024

ゼレンスキーとブリンケン

日本に住んでいると、ユダヤ人は遠い国の人に思っていた。せいぜい昔読んだイザヤ・ベンダサンの本を思い出す位だった。ところが最近、ウクライナのゼレンスキー大統領も、支援に行ったブリンケン国防長官もどちらもユダヤ系と聞くと、次第にその思いも変わってきた。

学生時代に経済学を習った時、バイブルはポール・A・サムエルソン教授のEconomicsであった。原書を渡され四苦八苦した記憶があるが、彼の祖先はポーランドで薬屋を営むユダヤ人だった。対するマル経のカール・マルクスもドイツ系のユダヤ人だったから、彼らが学部を二分していた事になる。

 政治の世界もそうだった。当時は東西冷戦時代で、アメリカではブレジンスキーや最近亡くなったキッシンジャーが活躍していた頃だったが、彼らもポーランドやドイツから逃げてきたユダヤ人の末裔だった。対するソ連も生みの親のレーニンがユダヤ人の血を引いていた。ロシア革命はユダヤ人が起こしたと言われる所以である。

 現在でも生活にユダヤ系が深く染み込んでいる事に気付く。例えばスタバでコーヒーを飲みながらデルのパソコンを使ってフェースブックに書き込みしたり、グーグル検索を行ったり、週末ともなればディズニーランドに行くが、これらの創設者は全てユダヤ人である。

映画の世界は正に綺羅星である。ハリーポッター役のランドクリフは南ア系、スピルバーク監督はドイツ系、あのハリソン・フォードもベラルーシ出身のユダヤ人だった。古くは「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督はポーランドとルーマニア系、ウディ・アレンはロシア系、ダスティン・フォフマンはウクライナ系等々。 

 カルバン・クラインの服を着てメンデルスゾーンやシューベルトを聴けば完璧だし、正に我々はユダヤ人文化の中で生きている。

Tuesday 9 January 2024

ハーヴァード学長の解任

イスラエルのガザ侵攻を巡り、人道的な見地から抗議の声が上がっている。アメリカでは、バイデン支持にも影響が出始めているというが、反対の動きもある。ペンシルヴァニア大とハーヴァード大の学長辞任である。理由は反ユダヤ主義を取ったと議会から批判された為だった。

ハーヴァード大のクラウディン・ゲイは黒人女性だった。ハイチ出身で初の黒人学長になったようだが、後任は事態修復の為なのかユダヤ系のアラン・ガーバーが就任した。調べてみたら、ゲイの前任のローレンス・バコーも、その2つ前で財務長官にもなったサマーズもユダヤ系だった。

サマーズは日本でも有名だが、叔父にサムエルソンやケネス・アローを持つユダヤ系経済学者の一家に育った。アメリカの経済界はユダヤ系が多く、FRBの前議長のイエレンやその前のバーナンキやグリーンスパンもそうだし、FRBの株主であるロックフェラー、モルガン、ソロモン、ロスチャイルドは典型的なユダヤ資本である。

 学長辞任の背景は寄付との関係に違いない。具体的にどこからいくら貰っているか知らないが、フェースブック、アマゾン、グーグル、オラクル、デル、スタバ、チャットGTPのオープンAIなど、これら大手の創設者は全てユダヤ系の末裔と分かると、敵に廻せば大学の存立さえもままならないのだろう。

 アメリカの人口は3億人強、内ユダヤ系は6百万人強(2%)に過ぎない。ただ中枢に行けば行くほど密度が濃くなる。この辺がディープステイトと言われる所以なのかも知れないが、今回の事件でその一端を垣間見た気がした。

Friday 5 January 2024

欽ちゃんの名言

2024年が明けた。元旦から能登半島沖で大地震があり、多くの被害が出た。2日には羽田空港で日航機と海上保安庁の機体が衝突する事故も起きた。奇跡的にも乗客は全員無事だった。海保機は石川県に救援物資を運ぶ途中だったという。皮肉にも運命の糸が撚れてしまった。

新春恒例の箱根駅伝もあった。青山学院が宿敵の駒大に勝った。3区で実力差を撥ね退け首位に立ったのが勝因に見えた。「負けてたまるか大作戦」のスローガンも微笑ましかった。

 印象的だったのは青山の快挙も然る事ながら、駒大が試合が終わった翌朝にいつもの練習を始めた事だった。選手への配慮なのか、心は来年に向かって走り出していた。 

 そう言えば年末のTVで、駒大に入学した欽ちゃんが出ていた。73歳で学ぼうとする姿勢に励まされたが、監督から「何か選手にアドヴァイスしてくれ」と頼まれた話が紹介されていた。それに応えて言ったのは、「成功した時は喜ぶ時間を短くし、失敗した時も悲しむ時間を短くする」であった。

 中々の名言で、その翌朝の練習もその言葉を実践したかのようだった。喜びと悲しみが織り成すのが人生だが、大事なのは淡々と前に向かって走り続ける事、そんな生き方を教えられた。