Wednesday 31 July 2019

憲法改正何が悪い!

家を片付けていると、昔の新聞が出て来た。2004年5月の日経新聞で、見出しは「憲法改正5割を超す」だった。なんだ!昔から変わらないんだ?と思った。最近でこそ改憲賛成が反対を上回ってきたが、それでも両者は相変わらず拮抗している。英国のEU離脱の国民投票もそうだったが、伯仲するのは人間の心理と関係がありそうだ。何かを得れば何かを失う、そんな期待と不安が混じり合うと人は分からなくなって行く。

そもそも今の憲法はアメリカ人が作ったモノである。戦後間もない頃、それも2週間程で書き上げたというから、優秀な法律家だったのだろう。それを金科玉条のように大事にする姿は一見滑稽だが、一方でとても日本的な感じもする。いつの時代も外圧によって変わってきた日本人の事だから、(冗談だが)今回もまたアメリカに下書きしてもらうと上手くいくかも知れない。

ところが政治家になるとそうも行かないようだ。70年代の後半だっただろうか、ある結婚式に出た事がある。新婦の父は山梨の代議士で、主賓は金丸信議員だった。彼は新郎新婦と同じ壇上に座り、挨拶に立つと祝福の言葉もそこそこに、「憲法改正何が悪い!」と演説を始めた。とても結婚式どころでは無くなったが、国を背負うと力が入るようだ。今年はその改正の節目になる。9条だけでなく、国の形について考える機会になりそうだ。

Thursday 25 July 2019

併合と地政学

何年か前にタリンに住んでいた時だった。それは冬の寒い日、眠れないので近くの居酒屋に一杯飲みに行った。中に入ると、大勢の人が集まっていた。近くの人に「これは何かの会ですか?」と聞くと、「今日は建国記念日だ!」と言う。皆んな静かに、この日を祝っているのが伝わって来た。ベルリンの壁が崩壊して20余年経った頃だった。1百万人の小さな民族だが、こうして生き延びていた。

そもそもエストニアなんて国は元々無かった。民族はどこかの大国の傘下にあり、農奴として分散村と称する森の中に住んでいた。直近はソ連、今でもあちこちに痕跡があるコルホーズの集団農業に従事していた。ヒットラーのドイツになった時は、少し希望が射したが直ぐ終わってしまった。その前が長いロシア時代、嘗てはスウェーデンやデンマークの支配もあった。スウェーデン時代は、学校や町も作ってくれたから一番良かったようだ。一方ソ連は、住宅の不法占拠や追放・破壊の暗い時代だった。市内にある歴史博物館には、ガランとして殆ど展示物がない。それは農奴と金銀財宝、芸術は無縁だったことを正直に語っている。

今でも国にはロシア人が住んでいるが、あまり好きな人はいない。ただ相手は大国だし、またいつ国境を越えて来るか分からない恐怖心が強いから、心の中ではそう思っても、表立って悪口は言わない。その点、同じく併合された韓国とは対照的である。その違いがどこから来るのか?一つは階級制度の有無、エストニアは皆農奴だったが、韓国は両班をトップにした階級社会があった。百田尚樹さんが、韓国人に先祖が何だったか聞くと、殆どの人は両班と応えると言っていたが、抑圧され続けた反動が今でも生きているような気がする。もう一つは地政学である。エストニアは陸続きだが、韓国と日本は海を隔てている。海に向かって叫んでも怖くない!そんな距離感も、無遠慮な原因かも知れない。

Monday 22 July 2019

ポートラッシュの町

昨日は全英オープンゴルフ(The Open)の最終日、物凄い雨と風の中で死闘を制したのは地元アイルランドのシェーン・ローリー選手だった。3日目までトップグループに居たアメリカのホームズ選手が、この日だけで16オーバーも叩くなど、プロでも次から次へとブッシュに打ち込む姿が見ていて痛々しかった。その中でローリー選手が歯を食い縛りながら、しかも半袖姿で頑張っていた姿が印象的だった。

今年の開催場所は、北アイルランドのロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ倶楽部(Royal Portrush Golf Club)であった。何処かで聞いた事あるな?と思ってアルバムを手繰ると、8年前に泊まった港町だった。寒村と言ってもいい田舎町で、小さなレストランでビールを飲んでいると、隣に居合わせた男と意気投合した。ただゲール語なのか?言葉がちっとも聞き取れなかった。その時は、町の近くにあるジャイアント・コーズウェー(Giant Causeway)という奇石群を見に行った。自然で出来た幅30cm程の六角柱の石群が、海岸線をまるで芸術作品のように敷き詰めていた。ユネスコの世界遺産やミシュランの3つ星にもなっていて、入り口には18世紀に遥々馬車でやってきた貴婦人の絵が掛かっている古くからの観光名所だった。そこからちょっと内陸に入ると、ブッシュミルズ(Bushmilles)の町がある。あの有名なアイリッシュウイスキーの醸造所で、何とも言えない古風な感じがした。ブッシュミルズは、ジャック・ヒギンズの小説に出て来る殺し屋が、一仕事を終えて飲む酒だ。普通は2回のところ3回も蒸留するため、色は薄いが味はしっかりしている。

会場になったロイヤル・ポートラッシュ倶楽部であるが、この日の為に6-7月はクローズしたようだ。ただ来週からまた使えるようで、メンバーでなくても平日の9:40~11:50と午後2時以降には廻れるようだ。費用は今回の本コースが£220、短いコースなら£50というから安い。1951年にやはりThe Openが開かれた時には観客が8000人だったが、今回は19万枚のチケットが販売され、世界で6百万人が観戦したと言う。多分もう行く事は無いだろうが、ひょんな事で昔を思い出した。

Saturday 20 July 2019

グラーツの町

久々に中公新書の物語シリーズ「オーストリアの歴史」が出版された。この手の本にしては分厚かった。ファンとして早速読んでみたが、正直ガッカリ、馴染みのないカタカナの人物と年表を綴る手法は淡白で、やはり学者の書いた歴史はつまらなかった。取り分け著者は女性だった。当地の専門家として一生懸命に勉強した跡は伺えたが、生々しい歴史に躍動感がなく、「だからどうなの?」のオチがなかった。昔、誰かが男女の仕事の違いを「女性は職務に忠実で、男性は組織に忠実!」と言っていたが、物語にするには感情が要る。

そうは言っても昨年も訪れたオーストリアである。ハプスブルグ帝国やヒットラー、モーツアルトもいるから、何か一つぐらい無いかと辿ってみた。するとグラーツ(Graz)の町が出て来た。グラーツは、オーストリア南部のシュタイアーマルク州に属するオーストリア第二の都市である。ウィーンからは100km程度なので、物価の高いウィーンを避けて泊まるにはいい町であった。市内は路面電車が走るアムステルダムみたいな町で、路地裏では子供がバイトで演奏していたり、中々古風な雰囲気の町だった。翌朝に歴史博物館に行くと、欧州最大の規模と言われる鎧兜が保存されていて、改めて歴史の要所だと知った。特にハプスブルグ帝国の陸路のマップがあり、この町がバルカン半島への起点になった事が伺えた。

先の新書でもその点が触れられていて、それまでウィーンから(イタリアの)トリエステを経由で海路を取っていたバルカンルートが、グラーツが大きくなってからは、スロベニアのマリボルに至る陸路に代わったという。また本では、グラーツの地下駐車場を巡る再開発で市民が大反対した事にも触れていた。それはアヴァンギャルドの芸術と関係あるらしく、戦前住んでいたドイツ人の扱いを戦後に寛容にした歴史から来たという。ともあれ、これだけでも新書に感謝しなくてはと、少し反省した。

Thursday 18 July 2019

映画の名セリフ

若い頃に映画の名セリフに凝った時がある。例えば007、同僚のQがボンドに助言する「敵に弱みを見せるな(Never let them see you bleed)」や「いつも逃げ道を用意しておけ(Always have escape)」は結構使わせてもらった。仕事でもギリギリまで頑張らないで、駄目だと思ったら出直せばいいと悟るようになったり、相手に弱みを握られると不利になるという教訓も得た。

ハンフリー・ボガードとイングリッド・バークマンの「カサブランカ」もある。流石に「君の瞳に乾杯(Here`s looking at you,  kid)」は気障過ぎて出番が無かったが、「昨夜何していたの?」「そんな昔の事は覚えていない!(That`s so long ago, I don`t remember)」「今晩どうするの?」「そんな先の事は分からない(I never make plan that far ahead)」は間を持たせた言い回しで好きだった。また主人公のリックが犯人を匿っているのか?と聞かれた時、「俺の首は誰にも差し出さない(I stick my neck to nobody)」もいいセリフだ。

最近久しぶりにそのカサブランカの映画を見てみたが、改めて奥が深い作品である。例えばイボンヌというフランス女がバーでドイツ人を同伴するのを見て、「彼女は前線で頑張っている(She may constitue entire second front)」と陰口を叩かれた後、ラ・マルセエーズを熱唱するあたりは、良く計算された構成だった。また映画の冒頭で、不法滞在者がペタン元帥の肖像画の前で射殺される処から始まるが、最後もそのビッシーの水をゴミ箱に捨てるという、これも美しい対比だった。また警部に言い寄られた妻を、リックがルーレットでカネを作ってやる件がある。夫妻はブルガリア人と言う事は、ドイツに追われたユダヤ人かと思えて来た。

Wednesday 17 July 2019

7掛けすると

それにしても、毎日目まぐるしく入って来る韓国のニュース、良く分からない事が多過ぎる。例えば三菱重工の資産差し押さえ、一体誰が何を買うのだろう?普通なら土地、預金を抑えるのだろうが、非上場株や工場は買った後の使い道も限られている。仮に現れたとしても、おカネは韓国人から韓国人に渡るだけで、何のための行為なのか分からない。文在寅の願っている南北統一もそうだ。彼の両親が北出身の気持ちも分からないではないが、そもそも南北を仕切っているのは言わずとアメリカと中国・ロシアの大国である。特に中国と交渉しない限りらちが開かないのに、況やその矛先を日本に向けるのはお門違いも甚だしい。尤も東西ドイツの統合がソ連の崩壊で実現した事を思えば、唯一の道は中国共産党の崩壊だろうが。

日本の貿易措置として、三品目の輸出停止と来月にはホワイト国からの除外が予定されている。多分政府の事だから、第3弾第4弾・・・と多くの制裁措置をリストアップしている気がする。その中で強烈なのは金融だろう。韓国の銀行は自分で外貨を調達出来ないので、昔から日本の銀行に大きく依存している。だから邦銀が一たび蛇口を閉めれば、サムソンや現代の資金繰りはあっという間に滞る。通貨スワップの協定もなくなったし、その時韓国はどうするのだろう?

70年代だったか、ソウルを走るバスがカーブに差し掛かると扉が外れて、中にいる車掌が投げ出された事があった。車掌は長時間の労働で居眠りしていたというオチも付いた。日本では絶対起きない現象に、とても韓国的な一面を見た気がした。今でも韓国製の自動車に乗ると、キムチの臭いこそしないが不安を感じる何かがある。日本人が几帳面すぎるのかも知れないが、あまり先を気にしないその日暮らし的な生き方は、日本人のセンスを7掛けしてみると初めて理解できる世界である。

Sunday 14 July 2019

韓国人は嘘をつく

暫く前にKさんと飲んでいると、「今度、大学の友人が本を出した。中々良く書けているよ」と言う。本は、松本厚治著「韓国、反日主義の起源」である。4000円以上もするので躊躇していたが、図書館で借りる事が出来たので読んでみた。600頁を超える大作だが意外とスラスラ、雨の日に一気に読んでしまった。この手の本は何といっても百田尚樹氏が面白いが、流石東大の人は勉強量が違うと感心した。特に元経済産業省の御役人だけあって、文章に隙がなく言葉も良く練れていた。

時恰も日本が貿易制裁を強化した矢先である。この1年、文政権に我慢を強いられてきた鬱積が、やっとここに来て一矢を報いた。それにしても文ちゃんはどうしてそこまで反日で頑張るのだろう?本を読んでいてある事を思い出した。80年代半ばだったか、韓国を1年担当した頃だった。出張の度に、韓国の人に頼まれた日本の学術書を買い込んで持って行った。何やら、韓国語で書かれた専門書は少ないらしく、特に日本で教育を受けた人は日本語で学ぶ習慣という。確かにその頃も日本企業がロックアウトされたり、反日の動きはあった。しかし多くの韓国人は日本に親しみを持っていた。

先の本でも、韓国人は「素面の時は反日で、酔うと親日する」とか「反日は意識的で、親日は意識下にある」とか、ひょっとして逆かと思う親日を再認識した。文ちゃんはそんな親日残滓を清算するようだが、原点は韓国史を新たに書き換えてしまった処にあるようだ。松本さんはそれを「記録の無い5000年の文化、これが韓国の歴史である」と遠回しに皮肉っていた。ありもしない過去から生まれるのは妄想である。良く「韓国人は嘘をつく」と言われる。それは話していると現実と願望がごっちゃになり、悲しいかなその矛盾を取り繕う内に、辻褄が合わなくなってしまうのである。

Friday 12 July 2019

ハニー美味しいよ!

2年前に旅したバルカン半島、灼熱のクロアチアの街道を走ると、スイカ売りの屋台が並んでいた。喉も乾いていたので立ち寄ると、愛嬌のいいおばさんが試食用に一切れ食べさせてくれた。甘くて夏の涼にはピッタリで美味しかった。ただスイカ一個持って帰る訳にも行かないので、代わりにレモンジュースを買ってあげた。隣にはハチミツの瓶もあった。

「これってハチミツ?」と聞くと、「そうだよ、ハニー(honey)だ、美味しいよ!」と言う。ただ買う気は無かったので、昔シンガポールで覚えた「No money No honey!(お金が無ければ快楽も無し)」を引っ掛けると、「あんたハニー好きなの?」と大笑いになった。日本では「人の不幸は蜜の味」という諺がある。湿度の高い日本らしく陰湿な感じがするが、ここではカラッとしていた。

2年前のこの時期、やはりウィンブルドン大会が開催されていた。男子決勝はフェデラーと地元のチリッチの一戦だった。ただチリッチは途中で足の豆が潰れ、十分に戦える状態ではなかった。ドクターを呼んで応急処置したが、「こんな大事な時に・・・」と、試合中だがベンチで涙ぐんでしまったのが印象的だった。そのフェデラー選手が、昨日は錦織選手を破って準決勝に進んだ。あれから2年しか経っていないのか?歳のせいかクロアチアが遠い昔に思える。

Thursday 11 July 2019

蜂の話

最近、都会でハチの大群が出没している。刺されたら大変だ。近付かないに越した事は無い。昔ハチに刺された事があるが、その痛さは想像以上であった。刺された手も、グローブみたいに膨れ上がってしまった。

ハチには結構悩まされている。何年か前だが、気が付くと雨戸の中でブーンブーンと異様な音がした。周りを飛び交う姿から、直ぐにハチだと分かった。早速、殺虫剤を持って来て噴射すると、暫くして羽音が止んだ。意外とクスリには弱い事が分かった。その話を後日、出入りの大工さんにすると、「俺、蜜蜂飼っているんだ。呼んでくれたら貰いに行ったのに!」と残念がっていた。そんな事が頭にあったので、2回目に雨戸に巣作りが始まった時には、その人が来てバキュームで吸い取ってくれた。何やら女王蜂さえ捕まえれば、他の雄蜂は後から付いて行くので簡単らしい。

それにしても、一匹の雌と多数の雄が共存する世界は、考えだけで気持ちが悪くなる。雄でも生殖専門と蜜を集める働き蜂の役割分担があるというから猶更だ。また「蜂の一刺し」という言葉がある。刺した蜂は死んでしまうため、余程のことが無い限り人を刺さないらしい。自身が刺されたのも、軍手に止まった蜂を避けようと叩いたのが切っ掛けだった。花々を飛び交う自然界のキューピットだが、犬猫とはちょっと違う生き物だ。

Sunday 7 July 2019

健康寿命の話

最近、長野県に住むHさんが面白い事を言っていた。長野県と言えば、空気が綺麗で豊かな水に恵まれている。東京からも新幹線が通っているので交通の便もいい。平均寿命も、毎年ほぼ日本一をキープしている、正に理想的な土地である。ただ健康寿命になると男で20位と、グーッと落ちるという。つまり長生きはするが、病気で動けなくなる期間も長いという事である。その訳はクルマらしい。地域の移動手段はクルマしかないので、ちょっと買い物に行くのもついつい車に頼ってしまう。その習慣が長年に渡り足腰を弱めるらしい。Hさんはそれを知ってか、なるべく歩く事を心掛けているという。

確かに都市生活は、電車とバスが中心なので良く歩く。車に乗るのは郊外に出る時ぐらいだ。汚れた空気を吸って不味い水を飲んでいるかも知れないが、意外に健康にはいい環境のようだ。そう思うと、老後の移住も考え物である。良かれと思って緑の多い自然を求めても、肝心の体力が落ちてしまえば元も子もない。

車社会の典型は、やはりアメリカである。どこに行くのも車、食べるのは毎日ハンバーグだから、日本では見た事も無い巨体の人がとても多い。中には自分で歩くのも辛く、他人に助けられる姿も目に付く。いくら大きな家に住んで、安いガソリン代に助けらる便利な生活かも知れないが、これでは本末転倒である。つくづく日本の良さに気付く今日この頃である。それにしても何が幸いして災いするか、中々バランスを取るのは難しい。

Saturday 6 July 2019

ある陸上選手の思い出

男子短距離選手の活躍で、日本陸上界が盛り上がっている。桐生選手が10秒の壁を破ったかと思うと、サニーブラウン選手が直ぐに9秒台の記録を塗り替えた。昔のマラソンもそうだったが、いい切磋琢磨の循環が生まれているようだ。そのサニーブラウン選手が参加するというので、久しぶりに先日の日本陸上をTV観戦した。生憎の雨で記録は伸びなかったが、昔に比べると観客が多いのは嬉しかった。
 
そんな中、男子の走り幅跳びを見ていると、誰も8mを超えない!何だ、昔からちっとも伸びていないじゃないか!これにはガッカリした。日本人で初めて8mを超えたのは山田宏臣選手であった。1970年だったから今から50年も前の話である。当時は陸上競技に凝っていたので、その後に行われた国立競技場の大会に観に行った事がある。金色のユニフォームに身を包み、すらっとした容姿と豪快なシザースジャンプは本当に格好良かった。ラケットやスキーなどの用具を使ったスポーツは進化するが、生身の人間の運動能力は意外に変わらないのかも知れない。

山田選手はその後若くした亡くなった事もあり、今でも伝説の人として記憶に焼き付いている。陸上競技はやはり直に見ると、選手の息使いが伝わってくるから迫力が違う。今度は久しぶりに競技場に足を運んでみようか?

Thursday 4 July 2019

コモ湖の水死

今週、スイスの女子サッカー選手がイタリアで死亡した。美しい女性の写真につい目が止まってしまったが、場所はコモ湖であった。彼女は高台から水に飛び込んだが、浮かび上がって来なかったらしい。遺体は水深200mで発見されたというから、改めて湖の深度に驚いた。

アルプスの水は夏でも冷たい。思い出したのは、スキー場で有名なヴァルディゼールの湖であった。夏の涼を取ろうとひと泳ぎする事にした。見ると湖上に設置されていた滑り台があった。登ってみるとビルの2階ほどあったか、大人でも恐怖心が先立つ高さだった。何度も躊躇した挙句、最後は死ぬ気で飛び込んでみると、深い水の冷たさは半端ではなかった。水面と2~3mの深さでは水温が全く違った。彼女もそんな自然に吸い込まれたに違いない。

コモ湖はイタリアの避暑地である。ムッソリーニの別荘があったり、彼が逮捕された場所でもある。いつぞや湖上を走る遊覧船に乗った事があったが、湖畔の静けさが彼のその後の無残な末路と重なり、不気味な雰囲気を醸し出していた。

Wednesday 3 July 2019

香港人のDNA

香港が荒れている。中国本土への身柄引き渡しを認める「逃亡犯条例(Extraction Bill)」を巡り、多くの市民の抗議活動は、遂に議会突入まで発展するなど段々エスカレートしている。人々の気持ちはよく分かる。折角大陸から逃げて来たのに、また連れ戻されるのは敵わない。多分その感覚は、世代を超えたDNAで引き継がれている気がする。

多くの香港人は英国領時代にやってきた。ファーストネームを英語に代え、共通言語も英語にして本土との差別化を意識した。ただ97年の返還で又元の木阿弥になってしまった。それでも「一国二制度」があったので人々は住み続けた。お金のある人はカナダやアメリカなどに子供を留学させ移住の準備を進めたが、やはり仕事が無いのだろうか?また戻ってきた人が多いと聞く。ただいざとなれば、世界の主要な都市には必ずと言っていい程あるチャイナタウンが待っている。大都市だけかと思っていたら、最近ではポーランドの田舎の雑貨屋やオーストラリアのド田舎の中華料理屋でも中国人を見かけるから、世界のこんな処?と思う場所にも住む強かさがある。尤もナポレオンが流されたセントヘレナ島でも、彼の世話をしたのが中国人だったというから、今に始まる事ではないのかも知れない。

香港の問題は所詮は中国内部の話である。厳しいようだが、香港の現状を変えられるのはやはり香港人しかいない。元々一国二制度なんて詭弁だ。その気概が無ければ出て行くしかないだろう。何も狭い香港島で籠城する事もない、行く先は先人の足跡を辿れば無限に用意されている。