Thursday 30 April 2015

長嶋選手とドジャース

すっかり野球とご無沙汰してしまっている。昔は一喜一憂したプロ野球だが、最近はどちらが勝とうがどうでも良くなってきた。これは本当のファンには失礼かと思っているが、残念乍ら気持ちは離れている。

そんな矢先、あるインタビューで長嶋さんが「今一番やりたいことは何ですか?」の質問に、「それはランニングです」と応えたのがとても印象的だった。患った脳梗塞も大分回復してきたようだ。田園調布に住む友人によると、街で長嶋さんの散歩にすれ違うと、「おはようございます!」と声を掛ける。すると必ず返してくれるらしい。そしてその声も昔に比べれ物にならない程張りがあるという。

現役だった頃、とあるジャイアンツのコーチの家にお邪魔した事があった。サインボール、サイン色紙、写真など沢山頂いて帰ってきた。当時は王や金田も居た巨人の黄金時代、ドジャースとのキャンプに映る長嶋選手はまだ若々しい。そんな時代を知っているからこそ、早く元気な姿を取り戻して欲しい。

Tuesday 28 April 2015

バルセロナの不思議

錦織選手がバルセロナオープンで優勝した。決勝はややひやひやしたが大したものだった。これで2連覇、由緒あるトーナメントでナダルに肩を並べるようになった。それにしてもバルセロナって分からないことが多い。

例えば、テニスはこれからイタリアオープン、ローランギャロス、ドイツオープンと国際大会が目白押しだ。それはまるでイチゴや野菜の収穫のように初夏のヨーロッパを北上する。その矢先がマドリッド大会である。どうして同じスペインで2つの大会が続くのだろう?以前チェロのカザルスを引き合いに出したが、ひょっとしてカタロニアと関係があるのだろうか。

それから今回バルセロナオープンが開かれたゴドーという倶楽部である。大会の名称はゴドー伯爵杯(Trofeo Conde de Godó)である。ローラン・ギャロス氏が地中海を横断した飛行士のように有名かと言えばそうでない。スペインに駐在したKさんに聞いても、ゴドー伯爵は誰だか分からない。ひょっとして、作家サムエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら(Waiting for Godot)」のゴドーかと思ったが、全く関係はないようだ。テニスも沙流ことながら、まだまだ興味は尽きない。

Sunday 26 April 2015

心の玉手箱

日経新聞の夕刊に心の玉手箱というコラムがある。著名人が自身の大切な一品を紹介している。自分だったら何にするだろう、そう思うと真っ先に浮ぶのが少年のブロンズ像である。
 
今から30年近く前になるだろうか、自由が丘の街を歩いていた時に偶然見つけた。少年がポケットに手を突っ込み、視線を落とし自信が無さそうに立っている。シャツはだらしなく、足元の空き缶は空虚な雰囲気を醸し出している。思わず足を止め店に入った。とても高価ではなかったが、さして安くもなかった。持ち合わせがなかったので、一週間して取りに行った記憶がある。
 
気に入ったのは、自身の少年時代と重なったからだ。感受性が豊かな反面、落ち込みも大きい。色々な事に自信がなくなり、将来に対する不安が募る。このブロンズを見ていると、忘れかけた時間が蘇る。

Saturday 25 April 2015

骨董品のストーリー

「何でも鑑定団」はいつ見ても面白いTV番組だ。骨董の値段は基より、当たり外れの出展者の表情がいい。アンティックからガラクタになった瞬間に、人生が否定されてしまうスリルがある。中でも昔にお世話になった人から頂いた品が、一瞬にして価値がないと知ってしまうのは凄い。恩人が詐欺師になってしまうからだ。

ただ例外もある。随分昔になるが「旅情(原題:Summertime )」という映画があった。キャサリン・ヘプバーンが演じるオールドミスがイタリアのベニスを旅する。ぶらっと寄った店でアンチックのグラスを買ったが、暫くしてそれは土産物の偽物だと分かって返しに行く。ところがそれが縁で店主との恋に落ちるというストーリーである。

お金で失敗したかも知れないが、ロマンスが相殺するという如何にもイタリアを舞台にした物語であった。普通はそう上手くはいかないが、多かれ少なかれ骨董品にはストーリーがある。

Thursday 23 April 2015

酒自慢の会

酒好きが集まって、酒自慢の会を結成した。メンバーが自慢の酒を持ち寄り、静かに吟味する。第1回は神奈川の酒「隆」と「泉橋酒造の生もと」である。場所は持ち込みが許される、とある会社の接待用ラウンジを借りた。

全員の杯が行き届いたところで、そろりと口に含む。して感想は・・・、新潟のような透明感や神戸のような重みはない。ただ誰かが「昔の酒のようだ」と称していたように、飲み終わってから仄かな癖が残る特徴があった。参加者の1人が「尖っている」と表現していたのは、極めて陽を得ていた。

メンバーはあえて絞り込み5名で発足した。その内、話を聞きつけた酒飲みが「俺も入れてくれ」と言ってくる。その時は、「中々会の規則が厳しいのでごめんなさい」とまずは断る。すると益々入りたくなるので、そこで「貴方だけだよ!」と言って仲間に入れるやる。そんな先のことまで計算しているから、余計酒が旨くなる。

Tuesday 21 April 2015

Broken Line Monument

It has passed a year since South Korean ferry sank at sea. It was miserable accident that more 290 people mostly young students became victim. Time runs so quickly but the protest for the government is still continuing.

In 1994, there was also a big maritime disaster in the Baltic Sea. It was an Estonian ferry that sank on the way to Stockholm from Tallinn. More than 800 passengers dead including 500 Swedish and 280 Estonian. When I was jogging at the Tallinn harbor the other day, I found strange figured monument. It was called Broken Line Monument that mourns the nightmare.

This kind of ferry is famous for drinking alcohol boat. Many Swedish and Finnish used to come to Estonia for the sole purpose of drinking beer with cheap price. As the ferry sank in the midnight, it was easy to imagine people must have been drunk. Whenever I come across a maritime disaster, I remember this monument.



Saturday 18 April 2015

官房長官と握手して

今年も「内閣、桜を見る会」に呼ばれた。昨年に続き、天気にも恵まれ最高の八重桜であった。場所は新宿御苑、一般客が来る8時半から10時半を貸切る。環境庁が手を尽くした庭園は、それは見事だ。これぞ税金を払っている見るお零れである。そしてSP、日頃警察姿は敵対視しがちだが、今日ばかりは自分を守っている。そんな体験は滅多にないだけに、これなら税金を払ってもいいかなという気分になった。

花見に欠かせないのは本当の華である。公平性を期すためか、昨年来たAKBに代わり今年はももクロが呼ばれていた。余りの遠巻きに誰がいるのか殆んど分からなかったが、吉田羊の和服姿は流石女優だった。その他、飯島秘書官、高村副総裁、公明党の市川さん、高橋英樹・・・国会議員が地方から上京している支持者との写真撮影に興じていた。

近くに目を転じると菅官房長官がいた。お願いして写真に収まってもらうと、握手の手を差し伸べてくれた。思わず「官房長官、応援させて頂いています!」と言ってしまった。その瞬間頭が真っ白になって、何を言われた分からない。こんな体験は初めてだった。何か魔法に掛かったようで、「言われればどこにでも行きます」の心境になった。国のために命を捧げると言うが、これかと思えた一瞬だった。

Thursday 16 April 2015

対馬のロシア艦隊

日本の領土防衛と称し、刻々と準備が進んでいる。気のせいか、住宅地の上を飛ぶヘリコプターがやたらに増えてきた。テニスボールのトスを上げると、上空に飛行機が重なって見える。誰かが、「その内テニスコートもスカットミサイルの基地として没収されるぞ」と心配していた。

そんな中、中公新書「勝海舟と幕末外交」は面白かった。やや専門過ぎるきらいはあったが、幕末の混乱期、対馬に居座ったロシア艦隊を追っ払った話であった。外国語も稚拙だった時代、当時の侍は英国を上手く使ってロシアに圧力を掛けた。その結果、相交えることなくロシア艦隊は去って行った。時あたかもクリミア戦争で英国がロシアを破った時代、日本はそのパワーポリテックスを使った。

裏で動いたのが勝海舟だった。鎖国の時代、外国人の殺傷事件は多かった。一歩間違えれば日米、日英の戦争になっていても不思議ではなかった。それをグッと抑えた大局観を誰もが持っていた。あの頃でも出来たのだから、まだまだ知恵の出し方が足りない、そう思った一冊だった。

Wednesday 15 April 2015

リューベックの街

今週はG7外相会議がドイツで開かれている。ニュースを見ていたら、バックに二つの古い塔が建っていた。どこかで見た風景かと思ったら、リューベック(Lübeck)の街だった。

リューベックは北ドイツの港町である。13-14世紀に栄えたハンザ同盟の中心地である。暫く前に近くのキールへU-BOATが残っているというので見に行った。その帰りに泊まったが、活気がある大きな町だった。かつてバルト海を中心にした交易の要で、街並みはラトビアのリガ、エストニアのタリンに似ていた。

リューベックがもう一つ有名なのは、トーマス・マン(Thomas Mann)の生まれた街だからだ。代表作の「ブッデンブローク家の人々(Buddenbrooks)」は自身のここでの生活を描いた作品だ。有名な「魔の山(Magic Mountain)」は結核のサナトリウムを舞台にした小説である。日本では堀辰雄が「風立ちぬ」でやはりサナトリウムを舞台にしていたので、ひょっとして真似したのではと勘ぐっている。トーマス・マンはヨハン・シュトラウスとも親交があったと、生家のパンフに書いてあった。この辺を紐解くと面白い話が出てきそうだ。

Tuesday 14 April 2015

Titanic and 2 dogs

French magazine Le Point said today is a day that Titanic sank in April 14 1912. It was big accident killed 1500 people. It has passed 103 years after that.

I have a sympathy for Titanic story as I visited Cobb at county Cork of Ireland. Cobb had a museum which introduced Titanic passengers history. I was mostly impressed many Irish women were on board who headed for many countries including Australia as there was few women there.

Le Point also introduced hero dog named Rigel who saved many boat people with barking for a long time in cold sea. On the contrary there was a small dog whose owner was richest Mrs. Rothchild. She hid him in the coat so the dog saved. But this dog was killed by the car accident when they arrived at NY. Life is not easy. Even dog has a honor depends on how he ends.

Monday 13 April 2015

美しいマスターズ

今年もマスターズゴルフを楽しんだ。昼夜逆転しているので所々だが、松山の健闘やWoodsの復活など見所が多かった。今年は21歳のJordan Spiethが初優勝した。最初から独走状態だったので勝つべくして勝った。最後のホールで緊張の糸が切れたのか、短いパットを外しボギーを叩いてしまった。それが無ければ、19アンダーのコースレコードだっただけに残念だった。

それにしても、オーガスタは本当に美しい。小鳥の鳴き声がマイクに入ってくる、自然に恵まれた環境も素晴らしい。そんな中、鍛え抜かれたトッププレーヤーのスウィングは見ていてウットリしてしまう。特にSpeith始め、Justin Rose、Rory Mcilroy、Rickie Fowlerなど、若い選手は身体が柔らかいのでので余計絵になる。それでいてTショットの軸が全くぶれない。

美しいスウィングこそゴルフの神髄だ、そう思わせた4日間だった。

Saturday 11 April 2015

ポツダムの鱒

読売新聞の「戦後70年、歴史を歩く」にポツダムの宮殿が特集されていた。ベルリンから30分、終戦を間近に英米ソの首脳が集まりポツダム宣言を草稿した歴史のスポットである。今から20年程前に訪れたが、スターリンやチャーチルが出てきそうな静かな場所だった。

行ったのは英仏独を廻る10名程の調査ミッションだった。ベルリンで仕事をした後ポツダムに寄り、近くの湖で食事をした。事前にミシュランで予約した一つ星のレストランだったので、湖を見下ろしながら食べた名物の鱒は最高で好評だった。それが評価され、同行者にコーディネーターは「こうでねーと!」とお褒めの言葉を貰った。

ところが肝心の仕事の方はさっぱりだった。帰国までに報告書を纏めるため、役割分担した人がその日の内に原稿を書き、寝る前に私の部屋のドア下に投げ入れる。それを貰うと深夜に校正して帰国までに仕上げるのだが、不眠が続き1週間で体重は2kgも減った。しかも苦労して纏めた報告書は、「何を言っているのかさっぱり分からない」と酷評だった。ポツダムと聞くとその甘くて苦い記憶が蘇る。

Friday 10 April 2015

日仏の父娘対立

大塚家具の父と娘が対立する騒動があった。軍配は娘に上がったが、株主の長老が親子が喧嘩しているのを見て、「そんな店の家具を誰が買いたいと思うか」と言ったのが印象的だった。

フランスでも同じような父と娘の対立が話題になっている。フロント・ナショナル(FN)の党首である娘のマリーヌ・ルペンが創業者の父ジャンマリー・ルペンのユダヤ人発言を巡っての話である。元々お父さんのジャンマリーは生粋の移民排斥主義者である。ナチスやアメリカ南部のKKKではないが、諸悪の根源は移民だと思っている。昔から広場で突然ラ・マルセエーズの国歌合唱があると、まずFNの集会だった。

特に先日のパリ風刺雑誌の襲撃以来、アラブ排斥の機運は高まっており、娘が首相になる日も次第に現実的になってきた矢先であった。父親としては「私の教育が間違っていた」と思うが、この2つのケースを見る限り、娘の主張の方が現実的な気がする。娘に任せたなら親は身を引かねば・・・。

Thursday 9 April 2015

ナオト・インティライミ

夕方、ビルの広場を通ると物凄い人だかりだ。小雨で寒いというのに、どこからこんなに沢山の人が出て来たのだろう、良く見ると殆んどが若い女性である。待っている女性に「誰が出るの?」と聞いてみた。すると、ナオト 〇×△・・・imie・・と言う。よく聞き取れ無かったので再度聞いてみたが、やはり分からなかった。3回聞いている内に、この人はひょっとしてアジア系の人ではないかと諦めた。改めて近くにいたやはり若い女性に聞いてみた。ところが結果は同じで、やはり聞き取れなかった。

このことを身近なOLに話すと、「それはナオト・インティライミよ!」と言う。最近よく見るテレビのCMの主題歌を歌っている人らしい。例のシーブリーズ、中高年にはこの製品自体が無縁だが、汗臭さを抑えるローションの宣伝である。

新しい歌手やローションはもはやどれも別世界になってきた。それにしても、歌手の取って付けたネーミングは、キャリー・ぱみゅぱむもそうだが、変な名前を付けるものだ。次第に今の時代と無縁になっていく。

Monday 6 April 2015

California Summer Snow

I visited Saijo city where was 1 hour train from Hiroshima city last month. Hiroshima is famous for atomic bomb that was completely destroyed. It was just one week before the end of WWII ! However Saijo had no war damage so it was reserved with classic scenery, high brown color chimney and white walls of sake brewery.



There were lot of visitors including foreigner and young Japanese ladies coming from long distance. They enjoy walking small alley and drop sake shop for tasting free sake. I was not exceptional one and visited 5 sake breweries on that day. When I visited Kamoizumi brewery, a owner recommended me a rare turbidity sake named Summer snow. It was a good taste. But he said it was not use in domestic as for the 100% export to California.

Sake is mostly produced by family type brewery so that their production number is very limited. I am afraid someday when foreigners come to Japan, they have no opportunity to drink good sake in Japan.

Saturday 4 April 2015

Battleship Musashi

At the opening of the movie of “Saving Private Ryan”, an old private Ryan visits American cemetery at Normandy France with his children and grandchildren. He asks his captain in tomb whether his life was properly after WWII.

There was a Sakura party last weekend with my relatives. Most of them are becoming senior and their children already graduated University and were married. It was a very peaceful moment that they are fulfilling a duty of life.Their father namely my uncle passed away more than 10 years ago and was a sailor at Battleship Musashi. Yes, he was a limited survival of sunk Musashi.

There was a news that Musashi was discovered at the bottom of Philippines channel last week. It was sunk by the attack of US air force in October 1944 and more than 1000 sailor died. I have complicated feeling and fatality. I thank for my uncle and want to report we are welcoming this spring together ! 

Wednesday 1 April 2015

Doctor neglects his health

I met a friend of tennis who was a doctor once in a while. He is a good man with warm heart and sincere personality. I remember he has saved company’s life when tennis player lost his consciousness at court. He looked a little bit being older and his breathing was getting harder than before.

After playing one set, he asked us to have a break. It was not what happened before. We were worried about his health condition but he said there was no problem as he was taking a lot of medicine.

There is a saying in Japan that failing to practice what one preaches, doctor often neglects his own health. One of our friends told it for him but he laughed.