Saturday 31 December 2011

休刊のお知らせ

いつも「Pubの話」を読んで頂き、有難うございます。

調子に乗ってビールを飲み過ぎたこともあり、暫くは休肝ならぬ休刊することにしました。

改めて、今までのご愛顧にお礼申し上げます。

Friday 30 December 2011

縦笛の音色

アイルランドに行った時、クロンマックノイズ(Clonmacnoise)というカソリックの聖地を訪れた。6世紀から信仰で栄えたが、バイキングやイングランドの略奪で16世紀には廃墟になった村である。今では、ハイクロスと呼ばれる十字架の石碑だけが当時の面影を残していた。不便な所だが、日本語のパンフレットがあったのには驚いた。

その夜、近くのアスロン(Athlone)という小さな町に泊まった。例によってパブに入ると、片隅でアイルランド民謡を奏でていた。縦笛とアコーディオンだけの至って質素な音色だったが、地元の人は静かに聴き入っていた。それはまるで迫害を受けた故人を偲ぶかのようで、何とも言えない厳粛な雰囲気だった。

今年は随分と飲み歩いたが、やはりアイリッシュパブの居心地はいい。中でもこの晩のことがとても印象に残っている。

Thursday 29 December 2011

シャンパンの泡

人はお目出度い時にシャンパンを飲む。上品な口当たりと、栓を開けた時の音が縁起いい。ある人が、その秘密はバブル(泡)にあると云っていた。シャンパンのバブルは最初は小さく生まれ、段々と上に上がって行くに連れて大きくなる、まるで希望ようだ、という事らしい。バブルは次から次へと湧いて来て最後は弾ける、これも人生に似ている。

このシャンパン、フランスのシャンパーニュ地方の発泡酒だけを指す名称である。パリから車で1時間程の町ランス(Reims)には、モエ・エ・シャンドン(Moët & Chandon)など多くのシャンパン酒蔵がある。行くと、美しいコンパニオンが案内してくれる。

シャンパンとはいかなかったが、今年は良くビールを飲んだ。行き付けのパブでは、地元ビールが7時までのハッピーアワーだと、1パイントがたったの170円で飲める。客の回転がいいせいか、いつ行ってもとても新鮮で、シャンパンの様なバブルが勢い良く湧いている。これを3杯飲むといい気持になる。

Wednesday 28 December 2011

白鳥と過ごす世界

タリンは港町なのでカモメが多い。アパートの屋上にも良く飛来するし、朝の歩道では鳩と共に餌を漁って歩いている。鳥が人間を恐れない光景は、いつ見てものんびりするものがある。

もう暫くすると白鳥もやって来る。どこから来るのか分からないが、流氷と共にやってくる。港近くの海岸線には、白鳥が集まるスポットがあり多くの観光客で賑わう。人を全く恐れないどころか、餌をやると追いかけてくるので、いつぞや小さな子供が泣いていたこともあった。野生の白鳥と暫く一緒にいると、不思議な気持になってくる。白鳥と少年を描いた「ニルスの不思議な旅」も、こうした世界から生まれたと想像する。

カモも年中いる。ただ私はカモを見ると、「美味しそうだな」と思う悪い癖がある。オレンジソースで煮込んだ鴨料理(コンフィ)を思い出してしまうのである。

Tuesday 27 December 2011

ワイルドギース

ややオタクっぽくなるが、昔「ワイルドギース(Wild Geese)」という映画があった。イギリス政府が傭兵を雇ってアフリカの指導者を救出するというストーリーで、主役のリチャード・バートンが格好良かった。

先般アイルランドを旅行した時、「ボイン河の戦い」の古戦場を訪れた。1690年にアイルランドを舞台にした戦いで、イングランドのプロテスタントとカソリックの主導権争いであった。結果はプロテスタントのウィリアムス3世軍が勝ったが、この時に傭兵とした参加したのが地元のアイルランド人2万人であった。アイルランド人はカソリックのため、この時は敗者に廻ったが、彼らをワイルドギースと呼んでいた。

以来ワイルドギースという名称は、フランス、スペイン、イタリアなどのカソリック国で活躍したアイルランド人の傭兵を指したそうだ。映画「ダイハード」のジョン・マクレーン(John McClane)、「インディ・ジョーンズ」のハリソン・フォード(Harrison Ford)、古くは西部劇のジョン・ウェン(John Weyne)もアイルランド系だ。未だに勇ましい人が多いのはそのせいだろうか。

Monday 26 December 2011

キューリジュースの秘密

市場やスーパーの食料コーナーに行くと、キュウリの塩漬けが樽に入って売っている。所謂ピクルスである。こちらの人は、大きなキュウリをランチ代わりにバクバク食べる。いつぞや美女がかじっているのを見て、興醒めしたことがある。

ところでこのキューリの塩漬けを、ジュースにして飲む慣わしがあるという。決して美味しいとは思えないが、実はソ連時代の抵抗の一つだったらしい。いつぞやこのブログで紹介した歌の祭典は、国民の心を一つにする重要なイベントだった。ソ連の支配下、歌は唯一の自己表現として独立を勝ち取る力になった。このジュースも当時、飲む人が飲むと静かなファイトが沸いてくるものだったらしい。正に知る人ぞ知る魔法のジュースだった。

この国の人々は寡黙だ。男同志が怒鳴り合い、女が奇声を上げる光景は殆ど見たことがない。あまり静かなので、時としてひんやりした寒さすら感じる。まだまだ国民性を分かるには時間が掛かるが、ピクルスの酸っぱさにその秘密があるのかも知れない。

Saturday 24 December 2011

雨のクリスマス

今年の冬は中々雪が降らない。バルト地方だけでなくヨーロッパ全体がそんな感じだ。今週になってスイスアルプスの方は大雪が降ったらしいが、ここは相変わらず雨ばかり降っている。でも人々はさして気にしていない様子だ。日本のように季節を冠した挨拶の習慣もない。

今日はクリスマスイブ、と言ってもお店は開いているし教会の鐘の音も聞こえて来ないのでムードがない。ここの国の人はあまり教会に行く習慣がないようだし、国の3分の1を占めるロシア人のクリスマスは1月のためかも知れない。今頃、クリスマスツリーを買って帰る人も多い。

そうは言ってもこの季節、多くの人は国に帰る。昔パブで働いていた女子学生も、留学先のイギリスから久々に戻って来たし、飲み仲間のMさんは、国に帰る前にと先日自慢の料理を振る舞ってくれた。Mさんはスイス人、仲間のRさんと呼ばれて行くと、レンズ豆のスープとグリーペッパーを使った牛肉のソティーは美味だった。今頃は自宅で寛いでいるのだろう。

Friday 23 December 2011

3.11の記憶

今年もあと残すところ1週間になってきた。今年の最大の出来事は、何と言っても3月の大震災だった。

3.11の朝、いつものように起きてBBCを点けると緊急ニュースが流れている。聞くと日本のようで、慌ててCNNに切り替えた。そうすると、津波が田畑を浸食している映像が飛び込んで来た。飛行機から生中継されている映像で、家、自動車、人々が次から次へと濁流に呑み込まれていく。余りの出来事に、何が起きたのか分からないで傍観している人も映っている。「逃げなきゃ駄目だよ!」と思っても、ただ声が空を切るだけで何も出来ない。1時間程続いただろうか、暫く放心状態になった。後で知ったが、この映像は日本では放映されなかったらしい。

その後、多くの人からお見舞い、激励のメッセージをもらった。先日もアイルランドの片田舎で、ホテルを経営しているパキスタン人からお悔やみを言われた。遅くなりましたが、亡くなられた方々のご冥福と、家や家族を失った方々へのお見舞いを申し上げます。

Thursday 22 December 2011

ギネスの9000年リース

林景一著「アイルランド・・・」の中に、”ギネスはそこで飲むのが一番美味しい”と書いてあったのがずっと気になっていた。ビールは何と言っても作りたてに勝るものはない。札幌のサッポロビール、生麦のキリンビール、そして今回は旅の終わりに、ダブリンのギネス工場でギネスビールを飲むことにした。

市の中心に位置するギネス本社、車を降りるとチョコレートの匂いがして来た。一遍の薀蓄が終わり、最上階の展望ルームに辿り着くと、ダブリンの町が眼下に広がる素晴らしいパノラマだった。遥か彼方には、夕陽を浴びたウィックロー山に雲が流れている。そして注がれた一杯のギネスビール、クリーミーな透明感がありこれぞ至福の時であった。各国から来た人達、特に若い男女が出来立てのギネスと共に、忘れえない時を過ごしていた風景が印象的だった。

ギネスの成功はその製造方法も然る事ながら、何と言っても創始者のアーサーギネスが9000年リースを結んだことである。ダブリン市の中心に位置するこのセントジェームズゲート(St.James`s Gate)を、1759年に45ポンド/年で9000年間借り上げた。土地には、ウィックロー山から流れ出る豊富な水の水利権も付いていた。こういうのを先見性というのだろう。

Wednesday 21 December 2011

個人商店のない町

この国では身分証明書の事を、IDと云わずドキュメンツと呼ぶ。空港の入出国や銀行の窓口などで「ドキュメンツ!」と云われると、旧ソ連時代のKGBに催促されているような怖い響きがある。独立して20年経つが、こうした過去の面影がまだ多く残っている。

例えばお店である。普通、どこでもあるような八百屋、魚屋、パン屋、洋服、靴屋がこの国には殆どない。最初は気が付かないだけかと思っていたが、どこを探してもそうした個人商店がない。あるのは、市場か独立後に外資が披いた大型ショッピングモールだけである。社会主義は配給制なので、当然と云えば当然だが、これが味気のない街並みを作っている。もう一つは人の笑顔である。社会主義ではなるべく売らずに在庫を持った方が良かったので、サービス精神などといったものは当然なかった。未だに40歳以上のおばさんは、怖い顔で「次、何欲しいの?」といった命令調が絶えないのはそのためだ。

思えば学生時代、マルクス経済学を履修させられた。難解な学問に反して、終わってみればその実態はかくの如き非人間的な世界だった。歴史のイフではないが、もしもマルクスとソ連が生まれていなかったら、という思いに馳せるのである。

Friday 16 December 2011

アイスランドのサバ

パブでアイスランドから来た男と隣り合わた。アイスランド人と話すのは初めてだと云うと、男も日本人は始めてだという。聞くと人口は38万人しかいないという。「日本人は鯨を食べるだろ、俺たちも食べるんだ。日本にも輸出しているよ」と言われた。ただ最近は鯨を食べないので、あまり親近感が湧かない。

アイスランドは、近頃ノルウェーと”サバ戦争”をやっている。サバは元々ノルウェーが漁場だったが、海が温かくなったせいで北のアイスランドに行ってしまったからだ。その話に切り替え「今年はラッキーだね」と言うと、「そうなんだよ!」と喜んでいた。

余談だが、サバと聞くと、挨拶代わりにサバ!(Ça va?(仏語で”元気?”の意味)と言っていた小料理屋の女将のことを思い出す。大分歳を取られたが、元気にしているだろうか。

Wednesday 14 December 2011

サンタなんて居ない

クリスマスが近づいて来た。街にはイルミネーションが施され、ムードが出て来た。パブで飲んでいると、「いつ国(田舎)に帰る?」といった話題で持ちきりだ。

クリスマスは家族団らんで過ごす、何とも幸せなイメージがある。暖炉の前にクリスマスツリーとプレゼントの山、クリスマスソングと美味しい食事、静寂、そしてサンタクロース・・・・。

ただ家族のない人もいる。そういった人達のために、今月から”サンタなんて居ない”(There Is No Santa)ビールが、期間限定で発売された。スコットランド産のビールで、悲哀を込めている訳でもないだろうが、ジンジャーの苦い味がする。一度飲めば十分だ。クリスマスはパブも閉まってしまう。独り者には、1年で一番寂しい時期だ。

Tuesday 13 December 2011

マルタと日本海軍

シシリーから高速フェリーで2時間半、マルタに渡った。どちらも島国だが、マルタは英国領だったので英語が通じ、車は左通行だった。そのくせ、どこか街並みはギリシャ的というかアラブの匂いがした。

マルタ島の歴史を紐解くと、古くはカルタゴの一部だった。どこかと思いきや今のチュ二ジアで、ここからアフリカは目と鼻の先であった。それからアラブが来た、気のせいか睫毛が太く太ったアラブ系の女性が目に付く。その後は十字軍、ナポレオン、英国と続き、今日の西洋国になった。世界遺産の首都バレッタ(Valletta)は、十字軍の末裔、マルタ騎士団がオスマントルコから国を守った要塞として、こうした歴史の礎を象徴していた。

土産物屋には、マルタ騎士団の人形に並んでサムライを売っていた。話を聞くと、第1次大戦の際に日本海軍が駐留して、多くのUボートを撃沈したという。後でYtubeの画像を見てみると、当時の映像が残っていた。マルタの酒場ではシューターと呼ぶ一気飲みのメニューが豊富で、グランマルニエーにベイリーズを入れ口当たりがいい。遥々マルタまで来て戦った、当時の日本海軍に思いを巡らせた夜だった。

ラトビアの取り付け騒ぎ

呑気に旅行から帰ってきたら、今日隣国ラトビアで取り付け騒ぎがあった。噂の根源は、「エストニアのスウェーデン系銀行、Swedbankが清算される」であった。Swedbankはエストニアでは最大手だが、リーマンショックの後遺症がまた残っている銀行である。朝から銀行の前には、預金引き出しの列が出来たという。

ラトビア経済は、このブログでも何度か紹介させてもらっているが、2008年に国内第2の銀行パレックス銀行(Parex Bank)が破綻してから、急速に悪化している。そして先月、追い打ちを掛けるように、国内10位のラトビア銀行(Latvijas Krajbanka)が国有化されたばかりで、人々の不安が募っていた矢先だった。

幸い今のところ大事には至らなかったし、他国への波及もなかった。ただ1日で国中の預金の1.5%が引き出されたと云うから、やはり只事ではなかった。経済はドミノ現象が怖い、サブプライムの経験はその最たるものだ。折しもユーロ危機の最中、ドキッとする事件だった。

Sunday 11 December 2011

シシリーのバーにて

地中海に浮かぶシシリー島は、ローマ、ギリシャ、アラブ、そしてアフリカの間に位置している。そのため、古代から多くの外敵が船でやって来た。人々の顔は、そうした長年の混じり合った歴史を物語っている。

コルレオーネ村のような内陸は、やはりローマ時代の名残か西洋的な顔立ちの人が多い。皆、彫りが深く立派だ。田舎でもジャケットとネクタイ姿の老人が多く、イタリアだけあっていい靴を履いている。外で屯うのは男達で、女はあまり見ない。パレルモ(Palermo)などの都市に入ると、白い装束に帽子姿のアラブ人を見る。スラム化した凄い場所に住んでいる。カターニア(Catania)の田舎街道には、昼間から黒人娼婦が立っていたのには驚いた。

パレルモのバーで飲んでいると、地元の人が入れ替わりエスプレッソのコーヒーを飲みにくる。バーの主人と男同士頬すりを交わし、二言三言話しては帰って行く。子供もお菓子を買いに来るが、これも主人が抱擁を交わす。アルコールを飲む人はあまり見ない。言葉は分からないが、皆良くおしゃべりする。シシリーの人は古風で、熱く濃いものを感じる。
 




シシリーの要塞町

シシリー島をドライブすると、海に向かって切り立つ岩山がとてもダイナミックである。山頂には身を寄せ合うように、家々が建っている。白い街と地中海の青のコントラストが何とも美しい。

高台にある古代の要塞町、エリス(Erice)やエンナ(Enna)に立ち寄った。海抜1000mはあろうか、外敵から守るとはいえ、よくもこんな不便な場所に町を作ったと感心する。町に入ると至る所に井戸があり、今でも人々が生活しているから驚く。さり気なく建つ教会は、どこも古びた町から想像できないほど立派だった。 

名もない漁村で食べた、イカスミのリゾットが美味しかった。普通のイカかと思いきや、セピアと呼ぶフグに似たイカだった。すっきり味の地ワインとの相性も最高だ。市場で見るヒラメ、マグロ、タコ等どれもとても新鮮だ。バルト海から見ると、やはり地中海は夢のようだ。

Friday 9 December 2011

シシリーのカタコンブ

コルレオーネ村に行く途中、陽が暮れたのでブルジオという名もない村に泊まることにした。「ホテル、オテル、ホステリエー……」知っている限り言葉を並べても全く通じない。暗い中、黒いコートを着て屯う年配の男たちの視線が一斉に注がれる。やっと1人の男が「タバコ屋に行け」と云うので、入るとその2階が宿だった。

レストランは1軒だけあった。お腹が空いていたので、大きなピザと豚肉のマッシュルーム添い、そして地元のワイン1本を頼む。田舎でも流石イタリアは美味しい。全部で2000円ちょっとと懐も有難い。珍客にと村の宣伝ビデオを流してくれた。村に住む教会の鐘を作る職人や、昇天祭の祭りだった。血を流すキリストを担いで若い男が町を練り歩く光景は、日本の神輿とそっくりだった。


翌朝、タバコ屋の主人が言葉が話せる弟を連れてきた。数年前に父親が死んだので、この土地に戻ってオリーブ畑をやっていると云う。序に村の教会に面白いものがあるというので連れて行ってくれた。行くとカタコンブで、何と骸骨が衣装を施し安置されていた。司祭、夫婦、恋人、子供、色々な骸骨がいる。何故かあまり気味悪くない。帰り際、畑の小屋に立ち寄り、樽から出したオリーブ油を土産にくれた。「10月に早めに収穫するので、エキストラバージンだ」と云われた。

コルレオーネ村を訪ねて

イタリア経済を難しくしているのはアングラマネー、それを仕切るマフィアの存在と言われている。アンドレオッティやベルスコー二など、歴代の首相もマフィアとの関係が取り沙汰されたように根は深い。

イタリアマフィアと云えばシシリー島、今週はシシリーを旅している。折角なので、ゴッドファーザーで有名になったコルレオーネ村(Corleone)を訪ねてみた。ゴッドファーザーこと、ドン・コルレオーネはこの村の出身という。

コルレオーネ村は、シシリー島の丁度真ん中に位置する人口1万人の村である。シシリー島の古代からある町は、海沿いの岩山の上に建っている。それに対しこの地域は、周囲を山に囲まれた不便な場所にあった。見渡しても、オリーブ畑と荒れ果てた岩山しかない。村に入るとちょうど昼時、男たちが立ち話している。彫りの深い顔立ちに黒っぽいコートとハンチング帽、映画の世界がそこにあった。勇気を出してバーに入り、コーヒーを頼む。一斉に視線が注がれ、笑顔で返すが居心地はあまり良くない。まさか「マフィアはどこにいますか?」と聞く訳にも行かない。そそくさと村を出ると、何故かほっとした。

Tuesday 6 December 2011

オベリスク

空に向かって建つ一番醜いものが電信柱だとすると、一番美しいのはオベリスクである。

オベリスクは古代エジプトの宮殿に建つ記念碑である。有名なのは、パリのコンコルド広場にあるオベリスクで、ナポレオンがエジプト遠征の際に持ち帰った戦利品である。ルーブル美術館からこのオベリスクを経て、凱旋門まで一直線に伸びた風景に良く溶け込んでいる。いつぞや、エイズキャンペーンの日に、このオベリスクがピンクの帽子で覆われたことがあった。斬新な芸術性に度肝を抜かれた。

ところでオベリスクには、居間に置く20-50㎝の装飾品がある。材質はイタリア製のマーブル石が多く、中には本物に肖ってエジプト文字を施したものもある。暖炉の上などに、シンメトリーを意識して対で置くと引き立つ。殆どがセミアンチックなので、中々手に入れるのが難しい。いつぞやコレクションし始めたことがあったが、狭い日本の家にはやはり合わないので止めた。おまけに先日の地震で棚から落ちて壊れてしまった。本物を遠くから見ているのに限る。

Friday 2 December 2011

クリスマスの準備

クリスマスツリーが旧市街に立てられた。今年は強風によって2回倒れるハプニングがあった。フィンランドでもやはり倒れたという。そのせいか今年は幾分低いツリーになったが、周りには小店もオープンし雰囲気が出てきた。お馴染みの毛皮ベスト、北欧風の帽子屋やセーター、アクセサリー、キャンドルなどを売っている。ホットワインの呼び込みも賑やかだ。


この国の宗教は一応プロテスタントである。そのため教会はゴチック風だが、あまり鐘の音は聞こえて来ない。クリスマスも教会に行くより家で寛ぐ人が多い。宗教色が薄いのは、長年の歴史と関係あるかも知れない。400年続いたロシア時代はロシア正教と、昔から住んでいたドイツ人荘園主のプロテスタントが共存した。ただエストニア人は殆どが農民(農奴)だったため、教会に通う習慣が無かったようだ。これは半分私の想像もあるが、いつか確かめてみたいと思っている。

ともあれ早いもので、もう師走だ。

快適な都市とは


先日、生活の質で選んだ世界の都市ランキングが発表された。1位はウィーン、2位はチューリッヒで、ベスト10の内8つは欧州の都市だった。快適な空間には共通性があるように思う。

 1つは静けさだ。ヨーロッパの駅は、電車が音もなくホームに入っては出ていく。車内放送もなく、それでいて全く問題なく回っている。日本、特に東京の騒音はひどい。毎日通勤しているというのに、「次の駅は☓☓です」と煩いし、繰り返される人工音のベルも不快だ。お店もそうだ。最たるのが家電ショップで、30秒毎に繰り返すテーマソングには頭が痛くなる。皆、殆ど慣れっこになって麻痺しているのだろうか。


 
もう1つは電信柱である。日本の町がごちゃごちゃした感じがするのは、この醜い電柱と電線のせいだ。昔このことを電力会社の人に話すと、「それは美的感覚の問題でしょう」と馬鹿な事を言っていた。丸の内の店がどうして綺麗に見えるのか、考えてみれば直ぐ分かることだ。暫し足を止め、電線がない風景を想像すると、町がもっと身近になるはずだ。勿論ヨーロッパの都市は殆どが地中化されている。簡単なことなのに、中々実現できないのは不思議で仕方ない。

Wednesday 30 November 2011

全ては時が語る

”自分だけが知っている秘密が、時間と共に明るみになって行く” そんな怖い思いは誰しもしたくはないだろう。ジェフリー・アーチャーの新作、「全ては時が語る(Only Time Will Tell)」はハラハラする小説で面白かった。

舞台は第2次大戦前のイギリス、父を亡くした少年が成長し、自分の知られざる過去と出会うストーリーだ。例によってイギリスの階級社会と血縁を巡る仕掛けが良く出来ている。少年は小さい時に父を亡くしたため、ホテルに勤める母一人で育てられる。貧しい家庭のせいで、裕福な友人の父親からは距離を置かれる、そんな設定で物語は始まる。比較的早い段階で読者には秘密を教えておき、段々とその核心に迫っていく手法は流石だ。

ジェフリー・アーチャーといえば、「百万ドルを取り返せ(Not a Penny More, Not a Penny Less)」の華麗な復讐劇が何と言っても最高だ。「ケインとアベル(Kane and Abel)」も交錯する人間関係が見事だった。今回はこの交錯型で、続編が来春出版されるというので楽しみだ。

Tuesday 29 November 2011

オーエンの理想郷

今週、世界的な食品メーカーであるネスレ(Nestle)が、アフリカで児童労働の疑惑があると報道された。場所はコートジボアールのココア工場であった。コートジボアールでは、世界のココアの35%を生産しており、5‐17歳の子供180万人がそれに携わり、その40%は未就学という。学校にも通っていない子供が作ったココアの味は、想像しただけで気味が悪い。

この児童労働、先に紹介した小説「ミレニアム」の中でも出てきた。スウェーデンの仔会社が、ベトナムで子供を働かせた事実が明るみになり、トップが更迭される。長編小説の最後を締める部分で、この問題の大きさが浮き彫りになっている。

先般スコットランドを旅した際に、グラスゴーにある「ニュー・ラナーク(New Lanark)」に立ち寄った。産業革命の最中、ロバート・オーエン(Robert Owen)が作った紡績工場、住居、学校が一体となった理想郷である。それまで労働を課していた子供に、初めて教育の機会が与えられた場所である。今では世界遺産に指定され、入り口には「若い人への教育が施されれば、不正や圧政への抵抗が育ち、引いては戦争を防げる」と書いてあった。こうした崇高な発想は中々日本人にないだけに、つくづく感心した。

Monday 28 November 2011

ルーマニアのジプシー

先日、BBCの特集でルーマニアのジプシーが紹介された。所謂ジプシーと呼ばれるロマは、国内だけでも数にして2百万人は居るという。国の人口が20百万人なので10%に相当する。ジプシーと云えば、家がなく常に移動を続ける民族だ。オペラのカルメンのような踊り子もいるかと思えば、定職がないためスリ、物乞いが多い。

有名なのはパリの乞食である。路上で物乞いしている女性は殆どこのルーマニア出身のジプシーと云われる。多くは薬で寝かした赤ん坊を抱いているが、生きているのか死んでいるのか分からない。また少年も多い。新聞紙をかざしながら寄ってきて、新聞を見ている隙に下から出した手で金を取る手口である。
ルーマニアは最近観光に力を入れている。作曲家ジョルジュ・エネスク(George Enescu)や豊かな自然を売りにしている。手付かずの郷愁を感じるので、一度行ってみたい国の一つだ。ただパブ仲間で首都ブカレストに駐在した人によると、暫く前まで「外国人の食糧がないので、大使館が本国から取り寄せていた」と、生活環境は中々厳しいのようだ。それでなくても、ルーマニアは怖い印象がある。古くはドラキュラ伯爵、攻め入るトルコ軍の兵士を串刺しにして路上に林立した話や、その後の吸血鬼のイメージもある。また少し前ではチャウシスクの独裁、体操のコマネチも被害者になった。

ユーロ危機とイタリア

今週イタリアの新首相マリオ・モンチが、独仏首脳とストラスブルグで会った。イタリアが経済破綻すれば、おそらくユーロは終わりだろう、そんな危機感が伝わってきた。

それにしてもユーロは難しい仕組みだ、とつくづく思う。昔イタリアリアの頃、リラが弱いと旅行者はここぞとばかり沢山買い物をしてお金を落としてくれた。ただユーロになってからその為替の恩恵も無くなり、代わりに増税、雇用カットなど上から押し付けが取って代わった。国民としても何か腑に落ちないのも無理はない。そして今回は国債を買えという。

今更だが、イタリアは未だにとても古い体質の国だ。街並みは元より人々もそうだ。先日イタリアに行った友人が、3つ星ホテルに泊まったのに英語放送はないし、インターネットも有料で驚いていた。暖房が入らずお湯も出ないと苦情を言うと、やって来たのが食堂のおばさんだったり、台所事情は大変らしい。夜のレストランは、相変わらず8時にならないと開かない。おしゃれにはお金をかけ、ネクタイ・スーツ文化は健在だ。ユーロの存続は、この人たちに懸かっている。

Wednesday 23 November 2011

冬眠モードに入る

冬の日はどんよりとして短い。夕方は3時半を過ぎると暗くなり、朝も明けるのは9時頃なので、一日の4分の3は夜である。外は寒いが、家の中は床暖房が効いてとても暖かい。食事が済んで本でも読んでいるとウトウトしてくる、そのまま翌朝まで寝入ってしまうことも多い。先日ある人から、「貴方も冬眠モードに入ったね」と言われた。冬眠するのは、へびやクマばかりと思っていたが、人間にもある云う。

若い頃、欧米人と一緒にいると体力の違いを実感した。長い会議を居眠りもしないで延々話し続けるし、深酒しても翌朝はケロッとしている。やはり体が大きいと違うな、と感心したものだ。しかし良く考えればどちらも同じ人間だ、そんなはずはないと思って分かったのが、彼らの夏休みである。悠に1か月は休みと取り、殆どの人が滞在型でエネルギーを蓄える。日本人のように、あちこち飛び回ることはない。そして冬もこうして、睡眠時間を多く取りエネルギーを蓄えているようだ。

ただ睡眠の弊害もある。ある本に、日照時間が少ない地域では、体内時計が狂って過眠になる傾向があると書いてあった。過眠は、別名で”冬季うつ病”と聞いて少々怖くなった。

冬のインドアテニス

当地のテニスは、10月半ばからインドアになる。雪は降っていないが、外は寒過ぎるので殆どやる人はいない。インドアの施設は新しく、小さい町にしては数が多い。オムニばかりでなく、アンツーカーのコートもある。室内は温かく、半袖半ズボンで出来る。更衣室にはサウナがあり、シャワールームも綺麗だ。ジュニアの育成に熱心で、早朝からマンツーマンで練習している光景を良く見かける。ソ連時代の名残だろうか、テニスに限らずスポーツ練習には必ずプロのコーチと効率的なプログラムがセットになっており、羨ましい環境がある。

テニスコートは基本的に時間貸しで、1時間20ユーロ前後である。これを頭割りするので、例えばシングルスの場合は1時間半借りると1人15ユーロ(1600円)になってしまう。日本的な金銭感覚だと1人5000円程になるので、かなり高い遊びになる。それだけにやる方は真剣だ。

テニス相手はクラブの掲示版や紹介で見つける。ただ中々お互いが満足する相手に巡り合うまで時間が掛かる。いつぞや、「自分はプロレベルではないが、相手をしてもいい」という男から連絡があった。会ってみると全くの初心者でガッカリしたこともある。その他、テニス界の大御所が関係者にメールを出して、トーナメントを企画することもある。このリストに載るまでが大変だが、こうして知り合った人と連絡を取り合い、コートに漕ぎ着く。

Tuesday 22 November 2011

活気付くロンドン

週末、ロンドンへミュージカルを観に行った。例のライナー航空を使うと8000円程で往復できる。小さな町から行くとやはり大都会だ。


久々のロンドンは活気があった。来年にオリンピックがあるためか、2階建てバスが新しくなり、高層ビルが増えた。そしていつ行っても人種のるつぼだ。入国審査からムスリムの黒いスカーフを被った女性に「何日いるのか」と、これには思わず「貴女の方は大丈夫?」と聞くところだった。タクシーに乗ればパキスタン人の運転手、地下鉄ではアラブ、アフリカ系のみならず、ヨーロッパの少数言語も聞こえてくる。中華、インド料理も相変わらず美味い、何世代もここに住み付いている産物だ。人種が溶け合い、それでいて落ち着いた雰囲気がある。


ミュージカルは”ウィキッド(Wicked)”にした。少々分かり難かったが、緑の肌を持つ魔法使いを巡り、偏見とは何かをテーマにしているように見えた。混沌とした人種社会をコミカルに比喩し、終わってみれば拍手喝采、劇の世界はロンドン社会そのもののようだった。英国病から完治し、イギリスは実を取って生きている。

Friday 18 November 2011

国を守る言語

本屋に行くと、真新しいエストニア語の書籍が山積されている。ショッピングモールには必ず本屋があり、そのスペースも広い。この国の人口は130万人、その内50万人がロシア人なので、エストニア語を使う人は70万人程しかいない。それを考えると、一体誰が買うのかと思ってしまうことが良くある。

背景には、政府の力の入れようがあるようだ。教員資格や国籍取得などに、エストニア語の試験を義務付けていたり、エストニア人と結婚した人を対象に語学教育を施している。加えて、この国には(昔の日本の様に)書籍で棚を飾る文化がある。いつぞやのブログ「My Estonia」の中でも、田舎の家に不似合いなバルザック全集が並んでいた。長い冬を過ごすのに本は欠かせない。

ヨーロッパの国は言語を大事にしている。言語が見えない壁になって、外国文化の侵入を防ぐからだ。典型的なのはフランスで、アカデミー・フランセーズが外来語を一つ一つ仏語に置き換えている。昔、”コンピュータ”まで、わざわざ”オーディナターフ”という仏語を作っていたのに驚いたことある。ともあれ言葉を大事にする国は強い。

Thursday 17 November 2011

雪を待つローラースキー

大分寒くなり、外に出るのに帽子が欠かせない。ただ昨年は10月下旬に降った雪が、今年はまだ降らない。先日もフィンランドで予定されていたスキー大会が雪不足で中止になったり、人々は冬用のタイヤに交換したのに拍子抜けしている。

そんな中、待ち切れないのがスキーヤーである。スキーと言っても、当地は山がないためクロスカントリースキーである。シーズンになると、町の郊外に何か所かある周遊コースに出かける。10月半ばからその準備とばかり、路上を走るローラースキーが目に付き始めた。凄いスピードで突っ込んでくるので危ない思いもする。

首相のアンシップ(Ansip)氏もクロスカントリースキー選手の一人である。昨年東京に出張した際、前日に札幌で開かれた50Kmレースに参加して周囲を驚かせたことがあった。55歳にしては若く見えるが、その彼も、練習をやり過ぎて肩を痛めたらしい。

Wednesday 16 November 2011

スウェーデンの監禁事件

友人に勧められて読んだスティーグ・ラーソンの長編小説「ミレニアム(Millennium)」は、読み応えがあった。スウェーデンを舞台にしたサスペンスで、スリル感と構成の緻密さが最後まで緊張感を保った。また普段あまり接することのない、スウェーデン社会の男女関係も興味深かった。俗に言うフリーセックスとはこういう事を指すのかと変に感心したり、全体を通して伝わる男と女の信頼関係がとても心良かった。ただ自由な関係は、時として相手を傷つけるごく当たり前のことに、北欧独特の寒さも伝わってきた。

小説の中には時々人身売買の話が出てくる。本当なのかと思っていたら、先週スウェーデンで14歳の少女が1年間、アパートに監禁されていた事件が公表された。犯人は、スウェーデン人の女とセルビア人の男で、少女の父親に1000ユーロ(10万円)を払い、セルビアのベオグラードから連れて来たという。

また時期を同じくして、当地でやはり14歳の少女が失踪したニュースが報道された。市のバスセンターで目撃されたのを最後に行方が分からなくなり、警察では写真を公開して探している。一歩路地裏に入ると、小説まがいの怖い世界が待っていそうだ。

Monday 14 November 2011

猫ひろしの挑戦

お笑いの猫ひろしが、カンボジア国籍を取ってオリンピックを目指すという。中々いい所に目を付けたと思って声援している。


10年以上前にブラジルから来たロペス(呂比須)も、日本に来たからこそワールドカップに出場出来た。そもまま本国に残っていたら、多分その機会に恵まれなかっただろう。彼は現在、本国でクラブの監督をやっているという。


スコットランドで買い求めた子供向けの歴史書に、スコットランドのサムライこと、トーマス・グラバー(Thomas Glover)が載っていた。後の長崎グラバー邸の主だが、彼もそんな一人だった。故郷の港町アバディーンから仕事を求め、上海のジャージー・マセソン商会に入ったのが縁の始まりだった。折しも日本は幕末の最中、伊藤博文など多くの志士達を英国留学に送り出したり、今日のキリンビールを築くなど、日本の近代化に大きく貢献することになった。何でもやってみるまで分からない。

111111の日

先の金曜日は2011年11月11日、111111の語呂の日だった。1988年8月8日の8が続く日に偶々シンガポールに居たことがあったが、8は中国で縁起がいいと言われた。ただ結局何もなかったし、この日もそうだった、それどころか・・・・。

いつものパブに行くと、欧州サッカー予選でアイルランドからやってきたファンでごった返していた。その晩だけで2000人も来ているというので、小さな町は緑一色となった。地元の人はトラブルを警戒し早々姿を消している。私が「皆怖がって逃げちゃったよ」と云うと、「飲んで暴れるのは英国人だ。俺たちそれからスコットランド人もそうだが、楽しく飲むだけだ」と言われた。確かにアイルランドの人は陽気で楽しい。日本人だと分かると、「おじさんが日本で長年神父をやっている」、「(隣にいた男を指して)こいつの昔の奥さんは日本人だよ」、「日本人は良くお辞儀をするね」等々日本の話題で盛り上がった。

ただ試合が始まる21:45までだいぶ時間がある。「ケネディー、レーガンだけでなくオバマもアイルランド系だ」と段々話が大きくなったかと思うと、その内飲め飲めとばかり、ウォッカの一気飲みが始まった。「私は中立だ」と言っても、「そんなこと構わない」とボルテージが上がっていく。終わってみればアイルランドの大勝だった。地元はハンガリー人審判のジャッジを巡って不満が残り、私の方は久々の二日酔いとなった一夜だった。

Friday 11 November 2011

Mr.ビーンの映画

Mr.ビーンの新作映画、”Johnny English”を見に行った。007のジェームズボンドを捩ったパロディーで面白かった。

Mr.ビーンは、殆ど言葉が入らないので私の様に英語が苦手な者にはちょうどいい。独特のウィットといたずらが笑いを誘い出す。日本で云えば志村けんに近い、見ているだけで何かやってくれると思わせる天性がある。笑いのツボは国によって違うので、見ていてドキッとする場面もあった。例えばMr.ビーン扮するエージェントが、エルザべス女王を殺し屋の女と間違えてボカボカと殴るシーンがある。英国王室のブラックジョークを売りにしていると聞いてはいたが、日本的にはちょっとビックリする光景だった。

言葉が入るともっと違ってくる。日本に来て日本語が達者になった外人が、日本語でジョークを言っても殆ど面白くない。いい例がデープ・スペクターで、英語に直すと面白いのだが、彼にしてそうだ。ましてや日本人が下手な英語で受けを狙うのは至難の業だ。笑の世界は奥深い。

Thursday 10 November 2011

カルマン・キャスに続け

エストニア出身で有名な人は、何と言っても把瑠都である。ただ世界的にみると、ネーメ・ヤルヴィ(Neeme Järvi)であろう。日本フィルハーモニーの首席指揮者も努めた、世界的な指揮者だ。

最近では、ウォールストリートの抗議デモのラーソン氏がいる。エスソニア生まれのカナダ人で、例の"We are the 99% ! " と叫んで、ウォールストリートを占領する運動の仕掛け人だ。私にはちょっと目的が理解できないが、この人も日本に居たらしく、奥さんは日本人である。

そして何より有名なのは、スーパーモデルのカルマン・キャス(Carmen Kass)である。ラルフ・ローレンやクリスチャン・ディオールのモデルにもなった売れっ子だ。今週彼女に続けとばかり、当地でスーパーモデルコンテストが開かれる。優勝者には英国のエージェントとの契約が待っている。街を歩けば皆モデルに見えてしまうこの国、競争率は高そうだ。

Tuesday 8 November 2011

80歳のガール

イタリア19%、ギリシャ18%、ポルトガル17%、ユーロ危機の話でない、65歳以上の高齢者の割合である。それに対し日本は何と23%になったという。つまり約4人に1人は65歳以上の長寿国になってきた。綾小路きみまろが、「病院に入ったら帰ってきてはいけないのです!そのまま(天国に)直行して頂きたいのです」と云うギャグも、もはや冗談では無くなってきた。

日本のニュースも、震災を除けば殆ど出てこない。暫く前に珍しく日本の特集をやっていたかと思いきや、何と高齢者の万引きが増えたというテーマだった。万引きの動機も金目的ではなく、人との触れ合い欲しさと聞き、侘しい思いがした。

当地の寿命も、男70歳、女80歳に上がってきた。先日の新聞に、高齢女性のダンス教室が紹介された。この教室では80歳はまだガールと呼ばれ、入会待ちも多いという。少々危なくなってくる90歳頃まで続けるらしい。一緒に歌い踊り、観客の拍手に包まれるのがいいようだ。今は発表会に向け、”ドナウのさざ波”を練習している。

Monday 7 November 2011

マレーシアの多妻制

先日いつもの様にパブで飲んでいると、出張で来たというマレーシア人とスウェーデン人の男が入って来た。


マレーシアはイスラム教なのに、彼はビールを飲んでいる。話を聞くと「国の外ではいいのだ」と言って肩を竦めた。そう云えば日本で会ったマレーシアの人もそう言って飲んでいた。国では厳しい戒律があるのだろう。昔クアラルンプールでフランス料理をご馳走になった時、ワインの代わりにスイカジュースが出てきて閉口した。そして「自分には4人の妻がいる」という。イスラムは確か最高4人まで妻を持てるのでおかしなことではない。ただ4人というのは多分多い方だと思い、「さぞかし色々大変だろ」と聞くと、「そんなことはない」と一蹴されてしまった。

一緒に来たスウェーデン人は、横で沈黙を守って聞いている。スウェーデンと言えばフリーセックス、大分意味合いが違って伝わっているが、要はユニセックスの先進国だ。女性が性的差別から解放され、社会的に自由になっている。ベストセラーになったスティーグ・ラーソンの小説「ミレニアム」の中で、その一面を垣間見ることが出来る。彼は時々頷いては首を傾げる。自由な1人を取るか、制約の中で4人を取るか、この先はもう少しアルコールが要りそうだ。

Sunday 6 November 2011

タクシーのトラブル

海外で乗ったタクシー、不愉快な思いをした旅行者は多い思う。当地も乗る度に値段が違うので、よく争いの種になる。

先日もたった2kmを走って11ユーロだというのでひと悶着あった。通常は3分の1の4ユーロ程度である。流石おかしいと文句を付けると、運転手もがんと譲らない。「窓に値段表が貼ってあるだろ」と言うので見ると、確かにその通りだ。それでも「値段表がおかしいよ」と言うと、「それならポリスを呼ぶ」ということになった。10分程してパトカーが到着、事の経緯を話すと、「この国には50社のタクシー会社があり、それぞれ値段は違う。乗る前にそれを確認して下さい」と言う。結局タクシーが正しいと分かりお開きになった。

ただ悪いことばかりではない。先日、寒さで車のバッテリーが上がってしまったことがあった。人に聞いたら、「そんな時はタクシーの運転手に相談するといいよ」と言うので、近くのタクシーを呼んで充電したもらった。運転手は仕事そっちのけで、頭が下がった。土地の習慣に慣れるのは、まだまだ時間がかかる。

Saturday 5 November 2011

クルドの本

小島剛一著「トルコのもう一つの顔」(中公新書)は、とても痛快な本だった。随分前に出版された本だし、著者は言語学者と聞いて余り期待していなかった。一般的に、学者の書いた歴史書は史実の列挙で味気ないからだ。ところがこの本は、出だしからまるで水でも流すようにすらすら読める。言語を専門的にやっている人だけあって文章が練れているし、何と言っても閉鎖社会の内側を紹介した話が面白い。
                                                                    本書はトルコの少数民族、特にクルドの実態がテーマである。ただその研究の仕方が変わっている。例えば何か月も旅するのに際し、肩掛けバック一つという軽装で、多くは野宿である。私も若い頃に良く山で野宿をしたことがある。地面に寝るのは痛いし寒い、真っ暗な中で朝が来るのが待ち遠しく何度も目を覚ます。それを承知しているだけに、こういう旅の仕方もあるのかと改めて感心した。

クルド民族は、湾岸戦争の時に山岳地帯に逃げ生活している光景が紹介された。桁違いの生命力であった。本書の続編が出ているというので楽しみだ。

Friday 4 November 2011

スパイク一つで

先月、キリンカップで日本がベトナムと戦っていた日、ヨーロッパでは、欧州選手権予選のウエールズ対スイス、北アイルランド対エストニアが行われた。私はサッカーに関して全くの門外漢だが、世界のサッカー界は、こうして1つになって動いているのが段々分かってきた。


英国のプレミアリーグやドイツのブンデスリーガのみならず、各国にはJ1に相当するプレミアリーグがある。バルト3国では、エストニアに10、ラトビアに9、リトアニアに12のクラブがある。殆どTVに映らないので、どうやって運営しているのか分からないが、改めてサッカーのすそ野の広さを感じる。


世界で活躍する日本人も増えてきた。長友や本田といったスターばかりかと思っていたら、世界でプレーしている日本人選手は何と150人もいるという。中にはインド、ミャンマーやアルメニアなど、生活環境の厳しい国もある。当地でも2人の日本人選手が頑張っている。スパイク一つで、世界に挑戦している姿は中々頼もしい。夢はワールドカップ、ナショナルチームのメンバー入りだ。ガンバレニッポン!

Wednesday 2 November 2011

中東の嵐

この数か月、TVを点けるとリビアのニュースで埋め尽くされていた。最初はどうなる事かと思っていたが、NATOが出て来た頃から形勢が一変、後は時間の問題となり先日のガダフィ死亡で幕を閉じた。それにしても改めてアメリカの凄さを感じた。数か月前のビンラディン殺害や昔の湾岸戦争もそうだが、やると決めたら徹底的にやる国だと改めて思った。

今年はリビアだけではく、チュニジアから始まったデモが、エジプトのムラバク大統領の退陣に繋がったり、サウジアラビアやバーレーンでも似たような動きがあった。ただ中東に行ったことがないせいか、私にはどこか遠い別世界の出来事のように見えた。砂漠の中で男たちが気勢を挙げている光景は、聞いてみるまでどこの国だか区別がつかない。民主化を叫ぶ一方で、女性が全く出てこないのも変な感じがした。

数か月前、BBCがガダフィにインタビューしたことがあった。大分形勢が不利になって来た頃だったが、ガダフィは「彼方達は何も分かっていない」と端から相手にしなかった。その言葉が今でも耳に残っている。

Tuesday 1 November 2011

小さな町の盗難

先週、当地の教会でチェロの盗難があった。楽団員がちょっと目を離していた隙に盗まれたらしい。時価1千万円の高価な物だったのでちょっとした話題になった。防犯用のモニターに30-35歳のホームレスらしき男が写っていたという。ただこんなことがニュースになるくらいだから、治安はとてもいい。

大都会では、自動車の窓を割って中の荷物を盗んだり、地下鉄のスリが日常的だ。スーパーの食料品コーナーから胃袋に入れ出て行く輩もいれば、故障で助けを求めるので車を止めると、乗り逃げされたり、冗談のような話が尽きない。その点、ここでは手口に荒々しさは殆どない。小さい町なので、直ぐに捕まってしまうからかも知れない。

ただ小さな盗難はある。いい例が自転車で、置いておくと大体無くなるという。テニス仲間のA君も自転車に乗っているが片時も目を離さない。先日もテニスで体育館に行った時、自転車を更衣室まで持ち込んでいたのには驚いた。

Monday 31 October 2011

一枚の絵

旅をしていると、時々思いも掛けないものに出会うことがある。取り分け、過去の記憶と出会えば感激も一入だ。

子供の頃に百科事典で見た、コンスタブルの絵画「ソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)」は夢のような風景だった。英国の深い森、そこから立派な男女が見上げた聳え立つような教会、その自然と芸術のコントラストに、いつの間にか一番好きな絵になっていた。

それから20年ほどして、ボーンマスからバーミンガムにレンタカーで向かう途中、偶然通り掛かったソールズベリーの町で本物の大聖堂に巡り合えた。時を経て、百科事典の写真そのものの風景に感動した想いがある。そして又10年、今度はNYのメトロポリタン美術館を訪れた時のことであった。駆け足で館内を観て廻っていると、偶然その絵画が目に入った。思っていたより小さかったが、旅が完結した気分になった。こんなことは滅多にないが、一枚の絵に因縁を感じた旅だった。

サマータイム考

今日からウィンタータイムが始まった。朝に弱い者としては、1時間寝坊できるので嬉しい。一般的には、あまりウィンタータイムとは云わず、サマータイムが終わったという。

このサマータイム、日本でも随分導入の是非があったらしいが、中々実現しない。個人的にはとてもいい制度だと思っている。夕方は1時間長くなるので、仕事が終わってからスポーツ出来たり、陽の明るいう内からお茶や飲み屋に繰り出せるのは、得した気分になるからだ。サマータイムが終わった秋は、逆に朝がゆっくり過ごせるし、夕方も時間を(夏時間と思うと)得した気分になる。つまり、自然と共存したウィンウィンの関係がある。ただいいことばかりでない。子供が時差で体調を崩したりすることもあると、ある人が言っていた。

以前から気になっているが、この議論を日本では経済効果と絡めている。導入するとCO2が何トン減るとか、企業への影響はどうかとか。”エコノミックアニマル”というのは、働き過ぎもあるが、判断の基準が何でも「お金」の国民性を指している。日本人はお金に極めて清潔なはずなのに、いつの間にか損得が尺度になってきたのはとても悲しいことだ。そろそろ普通の感覚で考えてもいいのではないだろうか

Friday 28 October 2011

オーロラ

何日か前に、当地の南部でオーロラが観測された。オーロラは厳寒期に出るため、まだ雪も降らないこの時期としては珍しいという


オーロラはプラズマ粒子の衝突で起きるらしいが、詳しいことは勿論分からない。ただ真夜中に1-2時間程、それも明け方の3時頃までに出るらしい。毎日、天気図のような発生予想マップもあり、結構話題になっている。日本からは北極圏のオーロラツアーも出ているので、この機会に頑張って見てみたい気持ちはあるが、如何せん真夜中に起きている体力はないので諦めている。


そもそもオーロラと聞いて思い出すのは、映画「カサブランカ」のバー”オーロラ”である。パリで出会った2人が、サムの奏でるピアノで、あの有名な”時の過ぎゆくままに”(As Time Goes By )を聴くシーンである。最近では、「オーロラの彼方へ」(原題:Frequency)もあった。オーロラが出ると、遥か昔に亡くなった消防士の父親を思い出す、という息子の物語である。いつぞや飛行機の中で見て、胸が熱くなった記憶がある。オーロラは神秘な現象だけに、ロマンチックな追憶に繋がるらしい。

Thursday 27 October 2011

ロシア版の大奥

日本から来た人が最近の話題書「大奥騒乱」を置いて行った。江戸大奥の確執を描いた時代劇だった。当地のカドリオルグ公園にもそれに似た逸話があった。ただこちらは世継ぎではなく女帝の話である。

当地のカドリオルグ公園は、1700年代初頭、ロシアのピョートル大帝が奥さんの為に作った公園である。ピョートル大帝はロシアが西洋進出した原点で、この人が居なかったらその後のソ連も無かったと云われている。その意味で歴史的に大きな役割を果たした。

一方奥さんの名前はエカチェリーナ(ロシア語をエストニア語読みするとカドリオルグ)1世という。実はこの女性、元々は現ラトビアのアルクスネ(Alūksne)という村に住んでいた農民の娘であった。さぞかし美しかったのであろう、ロシアがスウェーデンと戦った大北方戦争の際に、その村を通りかかった司令官が17歳の彼女を国に連れ帰った。そしてその娘を見染めたのがピョートル大帝で、司令官は娘を大帝に献上、大帝は極秘裏に結婚した。大帝が死んだ後は、彼女が女帝になったというので、今で云えば玉の輿である。つくづく歴史はいい加減だと思う。女帝はカドリオルグ公園を一度も訪れることはなかったが、今となっては立派な観光名所として市民の憩いの場になっている。

Wednesday 26 October 2011

エストニア美人

日本でエストニアのTV番組があったという。友人によるとエストニアは、美人の国でアルコールの消費量も多いと紹介されたらしい。正にその通りである。今回はその美人について紹介したい。

エストニアの女性は、多くが長いブロンズの髪を風に靡かせ、ライトブルーの瞳がとても魅力的である。長いまつ毛とやや垂れ目の輪郭は知的な印象を与える。女子テニス界NO1のボツニアッキはデンマーク人だが、彼女に似ている人が多い。背丈も日本人並みに小さいせいか親近感がある。同じ北欧美人でも、スウェーデンはかなり大柄だし、ラトビアになると厳つくなる。いつぞや「My Estonia」で紹介したアメリカ人のジャーナリストも、いみじくもこの国の宝は美しい女性であると絶賛していた。

ただ性格は極めて内向的で恥しがり屋、そして素朴である。このため話しかけてもノリはあまり良くないし、そもそも見知らぬ人を敬遠する傾向がある。若いカップルも人前でハグすることはあっても、キスする光景はあまり見ない。こうして遠くから絵でも見るように、毎日楽しんでいる。

Tuesday 25 October 2011

「死ぬ前に」シリーズ

BBCの旅行書に、”死ぬ前に・・・”というタイトルのシリーズがある。些かショッキングだが、例えば「死ぬ前に見ておく忘れられない場所(Unforgettable Places to see before you die)」になっている。この他にも、”しておくこと”、”旅”、”散策”などのテーマがある。いずれも世界の都市、秘境などを紹介しており、旅の仕方も河下り、トレッキング、馬の旅など様々である。読者はこの本を読むと、とても死んでなんていられない気持ちになる、というのが味噌である。


先日も当地を訪れた人が、中世の街でオペラを楽しみ、地元のパブでビールを飲み、何とも落ち着いた気分になったと言っていた。このような体験が人に新たな息吹を吹き込む。本の意図もそういうところにある。

この本を寝る前に読むと、夢の中でタダで旅ができるメリットがある。

Monday 24 October 2011

スポーツに沸く日曜日

この日曜日、TVを付けるとスキーをやっていた。もうウィンターシーズンが始まったいた。会場のソルデン(Sölden)ってどこかと思いきや、ドイツアルプスの反対側、オーストリアのチロル地方であった。積雪の状態も良さそうで、女子滑降でアメリカのリンゼー・ボンが優勝していた。

モスクワで披かれている女子テニスもあった。アメリカ、東京、北京と廻るサーキット、先週はモスクワのクレムリンカップである。決勝にはエストニアの星カイア・カネッピ(Kanepi)が残った。あわやと思い応援したが、惜しいところで競り負けた。小さな国なのでレストランで彼女を見たことがある。大柄でいかにもスポーツ選手の風格があった。

夕方パブに行くと、イギリス人が大挙してプレミアリーグを観戦していた。何もここまで来て自国のサッカーを観る必要もないと思うが、人気のマンチェスターユナイテッドらしい。後で聞くとマンチェスターシティーに1/6の歴史的大敗を記したとか。一方ドイツのブンデスリーガでは、ドルトムントの香川真司がゴールを上げ大勝した。隣り合わせた男がNZ出身だという。早速ラグビーワールドカップで、NZの優勝を祝し乾杯をする。地震もあったし、何より地元の優勝は盛り上がったようだ。

Sunday 23 October 2011

リスト生誕200年

今年はフランツ・リスト生誕200年という。リストは作曲家であると共に、偉大なピアニストだったらしい。当地の記念公演でも超絶技巧練習曲とかいう難解な曲が披露された。ちんぷんかんぷんだったが、アンコールのカンパネラを聴いてホッとして帰ってきた。

ところでリストはハンガリー生まれのドイツ人である。その娘コジマはワーグナーと結婚し、その子孫が今日までバイロイト音楽祭を仕切っている。私はまだバイロイトに行ったことはないが、バイロイトのあるバイエルン地方は、ミュンヘン、ニュールンベルグなどの古都やドイツアルプス、国境を渡るとチェコのボヘミア地方、オーストリアのザルツブルグも近く、素晴らしい所である。

以前、たまたま成田空港で買ったBaigent&Leigh著”Secret Germany”という本に、このバイエルン地方の秘密が書いてあり面白かった。それはヒットラーを暗殺しようと企て、結局は失敗したスタッフェンベルグの精神土壌を解説したものだった。あの時期、あの状況で彼の勇気はどこから来たのか?本では地元のステファン・ジョージという詩人の影響と、彼の貴族としての血筋がまずあったと云う。そして何より山々に囲まれたバイエルン地方が、長年他国に影響されずにドイツ精神を醸造し、彼はそれを受け継いだという。バイエルン地方はビールのメッカ、ソーセージも美味しい。リストもその土地に守られながら今でも生きている。

Thursday 20 October 2011

タイの幽霊(ピー)

バンコクのホテルに幽霊(タイ語でピー)が出る話は有名だが、ある時、同僚のM君が体験談を聞かせてくれた。ベットに入り寝入った頃、寒気がして目が覚めたという。足元から徐々に寒さが上がってきたかと思うと、何か壁を叩く音が聞こえる。部屋の電気を付けると、何事も無かったかのようになる。何かの思い過ごしかと電気を消してベットに入ると、また暫くすると寒さが襲ってきて音が聞こえる・・・・、結局その晩は電気を煌々と付けて過ごしたという。


その話を聞いて暫く経った頃、やはりバンコクのホテルに泊まった時のことである。受付で鍵をもらい、エレベーターから降りた階は人気のない不思議な静けさがあった。部屋は3部屋もあり、1人には広過ぎる。そして夜になった。電気を消してベットに入ると、暫くして隣の居間でカタ!と音がする。扉を開けたが勿論誰もいない。気のせいかと思ったが、また暫くすると音がする。今度は本当に気持ち悪くなり、受付に頼んで部屋を交換してもらった。


同じようなことは、フランス南部の田舎に泊まった時にもあった。古い屋敷の部屋に掛かっている鏡から、誰かに見られているような気がして怖かった。ピーの正体は、ビル建設で足を滑らし命を落とした人や宿泊者など様々らしい。霊を信じるかと聞かれれば、やはりいるような気がする。ただ今までの経験から、暖かい地域で出るように思う。