Monday 31 March 2014

ドイツのカミカゼ大佐

ヒットラーの暗殺と言えば、以前にもこのブログで書いたスタッフェンベルグ(Claus von Stauffenberg)が有名だ。側近だった彼は、終戦の1年前に爆弾を至近距離に置いた。計画は失敗し多くの同僚が処刑されたが、その崇高な勇気は湛えられている。トム・クルーズが演じた映画にもなった。

ところがその1年前にやはり暗殺未遂があったという。先のル・ポアン誌によると、それはやはり大佐のゲルスドルフ(Colonel von Gersdorff)という人の話だった。彼は爆弾を抱え、側近のヒムラー共々一毛打尽の暗殺を試みたという。計画はヒットラーがあまりに早く立ち去ったために遂行は見送られたが、彼のことを同誌はカミカゼ大佐と呼んでいた。

ゲルスドルフもやはりvonが付くので貴族の出身だ。戦時中、幸い彼の素顔はバレなかったようだがそこはドイツ、必ずしも戦後の評価は複雑みたいだ。それにしても未だに自己犠牲の代名詞はカミカゼなのか。

Sunday 30 March 2014

ガガーリンの死

3月27日のル・ポアン誌にガガーリンの話が載っていた。ユーリ・ガガーリン(Youri Gagarine)は世界初の有人飛行に成功したソ連の宇宙飛行士である。その日は、彼が死んでから46年目の日であった。

ガガーリンは1968年のその日、予てから申請していたミグ戦闘機の初飛行に搭乗、墜落し死亡した。34歳の若さであった。死亡の原因は酸素器の故障、観測気球を避け損なった等々諸説あるらしいが定かでない。冷戦最中だったこともあり陰謀説まで囁かれた。形を成さない亡骸の箱が公開されのも、如何にもソ連らしかった。そしてその後、同じ宇宙飛行士だったアレクシー・レノオフにも同じような事故があった。彼はやはり世界初の宇宙遊泳に成功した英雄だったが、操縦していたヘリコプターに2度の爆発音が起きたという。幸い一命を取り留めたが、記事では2人の飛行士が、知らずとKGBの機械になっていったのではないかと疑問視していた。

替え玉と隠蔽体質、そしてNO2を作らないのは旧来のロシアの体質だった。このソ連の事件も、ひょっとしてそうだったのか?と思った記事であった。

Saturday 29 March 2014

アイルランド音楽を聴きに

アイルランド音楽隊が来日したので聴きに行った。閑散としていると思っていたら、中野サンプラザの会場がほぼ満席になっていた。結構好きな人って多いんだ!

楽師5人とダンサー4人を含め総勢11名のグループである。演奏が始まる前に映像でアイルランドを紹介し、曲の解説もスクリーンの映し出す。演奏家の人達も、片言の日本語を良く勉強して受けていた。曲はアイルランドの民謡で、リズミカルなダンス曲からしんみり聞くものまで、上手くミックスされていて飽きなかった。大使館の後援を得て、日本各地を19回も公演するというので大掛りなツアーだ。アイルランド音楽と言えば、代表的なのはモーリー・マロン(Molly Marone)だ。残念ながらこの日は演奏されなかった。ただ一角牛(Horned Cow)という大飢饉の時の歌は良かった。

アイルランドの歴史は抑圧の歴史だ。今でもその戦いは続いていて、英国領の北アイルランドはウクライナとクリミアみたいな関係だ。それでいて、明るく陽気なメロディーはアイルランド人の性格を良く表している。世界の人から愛され、多くが移り住んだアメリカでも、未だにその子孫が心の故郷としている理由もそこにある。そんなことを考えながら、曲に耳を傾けた。

Friday 28 March 2014

泡盛と海ぶどう

石垣島で美味しかったのは泡盛だ。普段あまり飲む機会がないが、島には日本酒がないので仕方なく飲み始めた。折角なので古酒と呼ばれる3年以上のビンテージを味わった。飲んでみると意外と行ける。30度はあるのでストレートより、オンザロックか水割りがいい。かなり飲んだ割には、蒸留酒のためか翌日殆ど残らない。

泡盛に合うのは地元の産物だ。海ぶどうと称する海藻、地どうふ、太いもずく、地ダコ等々、最後は黒牛の牛握りだ。どれも南国ならではの食べ物だが、八重山そばだけはどうしても口に合わない。

そもそも暑いと中々酒を飲む気にならない。体が受け付けないのかも知れない。いい例が中東だ。宗教上で禁止しているのも、健康上の理由に思えてならない。そもそも透き通るような海を見ていれば、ストレスも溜まらない。

Thursday 27 March 2014

沖縄守備隊と八原参謀

「尖閣諸島に行くにはどうするの?」と地元の人に聞いた。すると「それは与那国島まで行かなきゃ」と言われた。いくら西端といっても、石垣島からは170Kmもあるから無理だ。与那国島には今、海上自衛隊の停泊港を作っているという。

旅すがら、石垣島の書店で買った稲垣武著「沖縄 悲運の作戦」が面白かった。沖縄守備隊の参謀だった八原博通大佐の生涯を綴った本である。守備隊長牛島中将の自決を娶り、大本営への報告への脱出途中で捕まった人である。硫黄島の籠城教訓を生かそうと練った作戦が、血気に流行る周囲に足蹴にされたり、良識派だったが当時は異端の人だったようだ。

実はその本に石垣島は殆どで来ない。それもそのはず、大本営はマッカーサーの蛙飛び作戦で、レイテから一気に沖縄に戦場が飛んだためだった。唯一石垣島には空港が建設された。それは民間人がスコップで切り開いた空港だったが、結局飛び立つ飛行機もないまま終戦を迎えたようだ。石垣島の住民は戦争にこそ巻き込まれなかったが、マラリアで多くの命を失った。それは沖縄戦を前に来島した日本軍が、平地の牛を徴収して住民をマラリアの多い山岳地帯に追いやったからだ。その賠償請求は今でも続いているというので戦争の傷は深い。

Wednesday 26 March 2014

石垣紀行

「尖閣諸島を見てきます!」、勿論冗談だがそう言い残して日本の最南端、先島諸島に飛んだ。昨年から石垣島に直行便が出来て、3時間半で行ける。ヨーロッパだったら3時間半も飛べば、スカンジナビアからパリの距離だ。日本は海洋面積を入れて世界6位、改めて広い国だと実感した。

着いてみると中国人らしき旅行者が多かった。聞くと台湾人だという。石垣と台北は週2便が飛んでいるらしい。そういえば街並みもどこか台湾に似ている。白い2階建てのコンクリート家屋、台湾そばに台湾式マッサージ・・・、島の西にある名倉は台湾人の町だったという。地図で見れば台湾は目と鼻の先、果たしてその後の住み心地はどうなのだろう。

それにしても島の人はあまり愛想が良くない。クールというか不愛想な感じだ。レストランで水のお代わりを頼んでも、他に誰も客がいないのにセルフサービスと言われるし、無表情な人が多い。昔薩摩が琉球を攻めたとき、琉球は島に人頭税を課した。そのためか、沖縄の人は本島の人を嫌うように、先島の人は沖縄の人を嫌うという。シンガポール人もそうだったが、兎角島国の人はよそ者を煙たく思う。日本と韓国や中国も然り、隣人感情は難しい。

Wednesday 19 March 2014

アーウィンのゴルフ教本

学生時代に有名な経済学のF教授がいた。難解な経済原論をいとも簡単に解説する。終わってみて分かったような気になるが、説明してみろと言われて出来るものではない。ただその起承転結は流石だった。

ゴルフの解説書も同じだ。内藤雄士、芹澤信雄、藤井誠、高橋勝成、書斎のゴルフ、ゴルフの教科書等々、あれこれ読んでみたがどれも今一だ。そもそも言葉が分かり難い。インサイドアウト、ハンドファースト、グリップエンドと言われても、何を指すのか知る人ぞ知る言葉である。多分聞いてみれば、「なんだ!」と思うものだろうが、初めての人にはチンプンカンプンだ。出来の悪い人ほど横文字を使いたがるいい例かも知れない。

その点古典であるが、ヘイル・アーウィン(Hale S Irwin)の「実践ゴルフ120ポイント」は素晴らしい。訳がNHKの磯村尚徳氏である。全米で3度も優勝したプレーヤーだけあって、ポイントを大きく掴み、繰り返しスゥイングのエッセンスを解説している。何事もそうだが、二流に話を聞いても一生分かるものも見えてこない。

Monday 17 March 2014

横田めぐみさん

昨日、横田夫妻がめぐみさんの娘と会った。場所は第三国のモンゴル、ニュースを見る限りとても嬉しそうだった。

めぐみさんが拉致されたのは新潟市内の海岸だ。護国神社と呼ばれる大きな境内から、ちょっと歩くと松並木の海に出る。海岸は当時から切り立った砂浜と防波用のテトラポットが置いてあった。子供の頃、その砂丘を転がって遊んだ記憶がある。失踪した付近の新潟小学校の校歌は、「日本海の荒波に、打たれて強い我ら我ら・・・」で始まるように、日本海の波は年中荒い。そこに北の工作員が船で乗り付け浚って行った。1977年というから、もうあれから37年も経つ。

横田夫妻はその間只管待ち続けている。戦っていると言った方がいいかも知れない。人生の大半を、しかも四六時中それに掛けて生きてきた夫妻の心境は如何なるものか、それを思うと背筋が伸びるのである。やっと孫には会えた、次は娘だ。一度でもいいからめぐみさんに会わせてやりたい!

Sunday 16 March 2014

シンガポールとビールの味

テニスクラブでボード打ちをしていたら、Tさんとばったり会った。Tさんはシンガポールに駐在している営業マンだ。仕事で帰国したというので、シンガポール駐在経験から「どう、シンガポールって好きになった?」と聞いてみた。帰ってきたのは「ヒューガルデン(Hoegaarden)が美味しくて・・・」という意外な言葉だった。

それを聞いてさもありなんと思った。というのも、シンガポールは国土が狭いので、いちいち飛行機の切符を買わないと移動出来ない。そして何より熱い。それもそのはず、南十字星が見える赤道直下の国だ。人々の楽しみは食べることだ。旧英国の植民地だった影響か、道路と海外からの輸入文化は現在も健在だ。中でも食は、築地の魚を週2便運んでいるように充実している。特にビールは旨い。3-4日もすれば気が抜けてしまう生ビールは、回転率がいいせいか常時本国の味を堪能出来る。私が連日通っていたのは、オーチャードロードから入ったマーディー・マーフィー(Muddy Marphy)のパブである。そこで覚えたキルケニー(Kilkenney)は、透明感ある絶品だった。後日談もあり、その駐在から6年して本場のアイルランドのキルケニー市を訪れ飲み比べもした。

シンガポールは2つのクリーンの街という。一つは読んで文字の通り清潔という意味だ。ガムやタバコを落としても罰せられる。もう一つは厳しいという意味だ。元々は中国、インドから逃れてきた人達の雑居な文化の国である。そのため規律を厳しくして統治しているが、タイやインドネシアと違って堅苦しいのが難点だ。ビールは確かに旨いが、地ビールでいいからリラックスして飲みたい、それが駐在員の本音ではないだろうか。



Friday 14 March 2014

鴬の声

ホーホケキョ!朝の公園で鴬が鳴いている。梅の開花に合わせ計ったようにやって来る。それにしても鴬の鳴き声はとても風流だ。正に寒かった冬の終わりを感じる瞬間である。

飲み屋では菜の花のおひたしや、カンパチが出始めた。先月までは富山湾で採れた白エビとホタルイカが名物だった。そろそろそら豆やカツオの季節になる。そして桜の開花で春本番を迎える。予想だと東京は25日前後だというので、例年並だろうか。

寒さで萎縮した体も、ちょっと気温が上がるとリラックスして解放感が出て来る。春はいつもの事ながら、何かが始まる予感がする。

Thursday 13 March 2014

諏訪の片倉館

最近は何とか遺産の話が多い。和食、キムチ・・延いては従軍慰安婦まで申請しているという。中でも違和感のあるのは富岡の製糸工場だ。街の道路には、取って付けたようにシルクロードが走っている。

今日は雨の中、上諏訪の片倉館を訪れた。80年を超える由緒ある天然温泉で、国の需要文化財に指定された建造物でもある。割引券があると300円で入れるのも嬉しい。その片倉館は、大正時代に地場の片倉工業が作った公衆浴場という。当時の社長がヨーロッパで啓蒙され、千人風呂と言って従業員が沢山入れる風呂を作った。実際には30人程しか入れないが、それでも底の砂利は歴史を感じた。天井も高く、レトロな雰囲気は一見の価値があった。

その片倉工業は、先の富岡製糸工場をバブルの時の買収したようだ。結局失敗して富岡市に売却したが、跡継ぎのバタバタが目に浮かんだ。つくづく暖簾を継承のは大変だ。地元の酒「麗人のごとし」を飲みながら、今も淡々と流れる単純温泉にあれこれ思いを馳せたのであった。

Tuesday 11 March 2014

シャドー81

マレーシア航空機が謎の失跡を遂げた。飛び立って間もなくレーダーから消えたという。中国人が多かったのでウイグル自治区のテロか、将又アジアのバミューダトライアングル版か、事件の真相解明が待たれる。

思い出すのは2009年のエアフランス航空の事故だ。リオ・ディジャネイロからパリに向かうエアバス330、これも突然レーダーから消えた。事故は機長が休憩中だったり人為的な要素が強いと言われているが、ボイスレコーダーが発見されるまで2年もかかった。今回も未だに機体が発見されていないところを見ると、原因が判明するまで結構時間が掛かるかも知れない。

飛行機が消えた小説は、ルシアン・ネイハム著の「シャドー81(Shadow 81)」である。かなり昔の本だが、恩師が若い頃翻訳してベストセラーになった。物語はロサンゼルスを飛び立った旅客機が、盗難された戦闘機にハイジャックされるというストーリーだ。戦闘機は低空のためレーダーに映らず、犯人の特定が難航する。大金をそれも誰も殺傷しないで巻き上げる痛快さが売りだ。シャドーとは影のように現れる様子を指しているが、今回もひょっとしてUFOみたいな物体が関係しているのだろうか?

Monday 10 March 2014

恋するフォーチュンクッキー

先日昔の友人と食事した時だ。仲間の一人に大病院の院長がいた。面白かったのは、病院とAKB48の話だった。


ある時、「先生、ちょっと来て頂けませんか?」と事務の女性に言われ、彼は近くの広場に連れていかれた。何事かと思ったが、言われるままにアドリブを付けると、待っていましたとばかり職員が集まってきた。そして肩を組んで簡単なステップを踏んだところで撮影が終わった。暫くして、出来上がったCMの映像を見てみると、AKB48の恋するフォーチュンクッキーの曲に合わせて、外科、内科、皮膚科、レントゲン科・・・会計課、庶務課、受付等々・・の職員が代わる代わる音楽に合わせ踊っていた。初めて聴くAKBと、繋ぎ合わせると一つの映像になる企画はとても新鮮だったという。

それから私も改めて、「恋するフォーチュンクッキー」なるものを聴いてみた。中々リズミカルで元気が出て来る。そして思ったのは、病院で出来るなら、お堅いお役所でも通じるかも知れない・・・外務省、金融庁・・市役所、区役所でも、そして安倍内閣でも大臣が総出で演出すればその一体化の効果抜群だ。お金を使わず、求心力を演出できるツールは、やはり若い人のアイデアに任せるのがいい。

Sunday 9 March 2014

女性の幸せは

安倍内閣が女性の社会進出を進めており、補佐官と人事院総裁に女性が登用された。これからは女性の時代らしい。思ってもいなかった人が、女性だったという理由だけで上り詰めるかも知れない。
 
しかし女性は職場でうまくやっていけるのだろうか?客観的に見て女性には2つのタイプがあると思っている。一つは普通に結婚して子供を産み、産休を取りながら働いている人だ。この人達は至極普通の感覚だ。毎日の夫婦喧嘩で社会性が研ぎ澄まされているので、職場でうまくやっていける。もう一つのタイプは結婚が上手く行かずシングルに戻った人達だ。日頃の付き合いも同じ環境の同性が多いので、どうしても偏狭的に成りがちだ。人の幸せが許せなくなると、周囲は堪ったものでない。

幸せになりたいわ!女性なら誰でも思うことだ。結婚式でも「お二人のお幸せを・・」は、殆ど新婦への華向けの言葉だ。振られた男も、最後は「幸せになって下さい」と言って引き下がる。女性が幸せでないと、社会も不幸になってしまう。


鉄道ファン

随分前になるが、長野の山中を車で走っていたら、旧友のA君が歩いていた。思わず「こんな処で何やっているの?」と声を掛けると、宿を探しているという。一緒に居たのは息子さんで、JRの週末乗り放題に参加して最中だった。そう、A君は昔からテッケンこと鉄道研究会のメンバーだ。今でも事ある度に列車を楽しんでいる。

見渡すと、周りには結構鉄道ファンが多いものだ。Nさんもその一人、いつも列車の時刻表を眺めては薀蓄を語っている。そのNさんの夢は、九州の「ななつ星」だ。3泊4日で何と一人70万円もするというので、一体どんな人が乗るのだろうと思うが予約は一杯らしい。先日博多駅にある専用の貴賓室を見る機会があった。確かにこんな部屋に通されて旅するのも悪くないと思った。

東北でも蒸気機関車が40年ぶりに改装されたニュースが出ていた。シニアが多くなるせいか、ゆっくりタイプの旅行が増えて行くのだろう。鉄道ファンにとっては嬉しいことだ。

Tuesday 4 March 2014

ロシア人って?

ケリー国務長官が「プーチンは21世にも拘わらず19世紀の振る舞いだ」と非難した。中々言い当てていると思った。それにしてもロシア人とはどういう人種だろう?まず男は体が大きく酒を飲むと暴れる先入観がある。訳の分からない言葉を発せられると怖い。バルト諸国でもBMWに乗った黒服が闊歩していたが、ロシアマフィアという噂だった。そういえばカジノで陣取るのも同じような人だった。先般読んだアンリ・ロワイヤ著「大帝ピョートル」にも、ロシア一行が泊まったロンドンの宿は滅茶苦茶に壊されたと書いてあった。やはり昔からそうだったのかと思った。

ただ女性は別だ。先のソチオリンピックで話題を浚ったのは、プラカードを持ったロシア美女だった。ニュースの解説でも張本が釘付けになったと語っていた。そのロシア美人だが、先日大阪城の天守閣で出会った。遥々階段を上り最上階に着いた時だ。ほっとして眼下の絶景を眺めていると、「すみません、写真を撮ってもらえますか?」と声を掛けられた。見ると金髪の美人であった。頼まれるままにカメラを向けると、まるでモデルのようなポーズを取るではないか!それは絵になるというか、金の鯱(しゃちほこ)をバックにした美しい光景であった。折角だったので、「どこから来たの?」と聞いてみると、流暢な日本語でロシアと答えが返って来た。単なる旅行者とは思えない。学生かモデル将又水商売か、別れてからあれこれ思いを馳せた。

ロシア人って意外と話す機会が少ない。



Monday 3 March 2014

クリミアとアンナ・カレーニナ

クリミアを死守するはずの海軍総司令官が、早々降伏したのには驚いた。BBCの速報でdefect inと言っていたが、最初意味が理解出来なかった。暫くしてロシア軍が当地を制圧し、あまりの速さに流石オバマも後手に廻ったようだ。それにしてもクリミア半島は、どういう場所なのだろう?

トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」は、ロシアがオスマントルコからクリミアを奪回する露土戦争が背景だ。ちょうどクリミア戦争が終わって20年経った頃だ。主人公のアンナは地主貴族のマダム、浮気相手はその露土戦争に従軍する将校であった。駆け落ちは結局破綻するが、同時にアンナの貴族社会もそ崩壊していく。歴史も沙流ことながら、今から思えばロシアという地は金持ちであろうが貧乏人であろうが、誰もが厳寒の中で生きる過酷な土地だった。知らなければ幸せだったが、一度黒海という温暖な地を知ると、手放したくない気持ちになったのも良く分かる。

面白いのは、露土戦争で敗れオスマントルコを去ったイスラム教徒がリビアに逃げたことだ。代理戦争ではないが、オスマントルコの残党が場所を変え、また宗教戦争をやっている。

Sunday 2 March 2014

NHKなんか要らない

NHKの籾井勝人会長の発言が物議を醸し出している。マスコミも含め、何も本音を公の場で語らなくてもいいじゃかいかと言う。確かに立場を考えれば、勇み足の感は拭えない。

ただ公共放送とは一体何なのだろう?インターネットの時代にあって、そんなものが要るのだろうか?そもそもNHKはつまらないイメージがある。それでいて強制的に受信料を徴求されるので、日頃から腹が立っている。特に嫌いなのはその偽善性だ。例えば週末のニュースで各地のお祭りを取り上げると、必ず「子供たちが美味しそうに食べていました」的な解説になる。中には「行く処が無かったので偶々寄った処、雑煮をタダで食べさせてくれた」という子供も居るかもしれない。勿論それを放映したのでは番組にならないが、取材する前から結果が出来上がっているパターンがとても気味悪い。昔はNHKに入社出来るのは縁故だけだった。思想的な信条が問われるせいだろうか、番組構成も知らずと身内言葉になっている気がする。

個人的には国営放送なんて止めてしまえばいいと思っている。今やTBSやテレ朝、果ては外国メディアがあれば十分だ。そもそもCNNやBBCを一度見た人なら、日本のニュースすら馬鹿らしくて見る気がしない。それは2次、3次情報だからだ。籾井会長にはもっと言いたい放題言ってもらい、行き付く処まで行けばいいと思っている。

映画「ホタル」を見て

週末の寒い日、朝からの雨で早々夕方から晩酌に入る。TVを点けると映画「ホタル」をやっていた。高倉健と田中裕子の主演の、知覧を舞台にした特攻隊員を描く物語だった。

ストーリーは母国が朝鮮だった陸軍少尉の話である。本人は帰らぬ人になったが、戦後その最後を伝えようと、特攻仲間が韓国遺族を訪れ形見を届けるようとする。国籍は違えど、家族を思って流れに身を捧げる姿はとても自然だった。映画を見ていて、ふと昨今の慰安婦問題を思い出した。

当時の日本軍の中には、日本人だけでなく韓国人、中国人、台湾人等々・・・色々な人種がいた。もしも慰安婦をコンフォートした兵隊も同胞だったかも知れない・・・。戦後の論理で説くのは易しいが、当時は当時の世界があった。