Friday 30 December 2016

2001年宇宙の旅

テレビを点けると、「2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey)」をやっていた。スタンリー・キューブリックの名作で今まで何度も見たが、改めてその先見性には感心してしまう。例えば月には既にステーションがあり、スチュワーデスもいる飛行船で往復する。木星を目指すロケットの乗組員は冬眠していたり、今でいう人工知能(AI)が悪さをしたり、とても50年近い昔の作品とは思えない。

宇宙を扱った映画は、マックデーモンの「オデッセイー」や「トゥモローランド」、「スター・ウオーズ」など沢山あるが、正直あまり興味はなかった。現実離れした空想の世界で、子供向けの娯楽映画に見えるからだ。ただこうして「2001年・・・」を見続けると、少し見方も変わってくるというものだ。

「2001年・・」が上映されたのは1968年で、その翌年の1969年にはアポロ11号が月面着陸に成功した。あれから大分時間が経つので、今頃は月に町が出来てもおかしくない頃だ。人類は本当に月に行ったのだろうか?先日その疑問を専門家であるNさんに尋ねてみた。「あれはどこかの撮影所で撮った画像ではないの?」。Nさんは「いや本当に行っています。アームストロング船長の足跡は、最近もロケットから撮った写真で確認されています!」と自信気に語ってくれたが、未だに半信半疑である。素人にはどこからが現実でどこからが空想なのか、分かり難い世界である。

Tuesday 27 December 2016

曽根崎心中


その高野山行く前日、大阪の梅田に泊まった。駅から繁華街を歩くと曽根崎に出た。ここが曽根崎心中で有名な一角かと、こじんまりした入口から地元の露神社に入り「徳兵衛とおはつ」の像に出会った。浄瑠璃は見たことはないが、今から300年の昔、ここの醤油屋と恋に落ちた女郎の哀れを思い浮かべ、暫し思いに耽った。
大阪を最初に訪れたのは今から30年前だっただろうか、どこからか匂ってくるドブ川の悪臭とゴチャゴチャした街並みは凡そ好きになれなかった。加えて阪神電車の鄙びた茶色と、その車内で聞こえるどぎつい大阪弁には閉口した。以来、いつまで経っても土地勘が出てこないのはその為と思っている。

ところが最近何度か訪れている内に、段々イメージが変わってきた。それは何と言っても食事が安くて旨い!の一語に尽きる。一緒に行ったAさんが「曽根崎にはいい寿司屋が多いです」と教えてくれた。気が付けば、地元の老舗「亀すし」の前だった。本店と総本店の二つが狭い通路を隔てて向かい合っている不思議な店構えだったが、活気のある店内の雰囲気が外から伝わって来た。結局総本店に入り3つ4つ摘まんでみた。どれもネタは新鮮で安かった。酒が廻って来るうちに、さっきのおはつを思い出し、今も変わらぬ浪速の風情に浸ったのであった。

Saturday 24 December 2016

雹の降る高野山

大阪に行った際、和歌山まで足を延ばし、高野山に登った。電車を乗り継ぐこと2時間半、着いた先は霊場に相応しい深山の聖地であった。下界では冬だというのに温かな日であったが、そこは時折雹が降る寒さであった。

杉の大木の合間を歩くと、1200年を経た多くの墓が沢山並んでいた。墓石に付いた苔が長い年月を感じさせた。知った名前も多かった。織田信長と明智光秀、徳川と豊臣、そして井伊、武田・・安芸の浅野家はあの浅野内匠頭だろうか、かつて歴史上の因縁同志が、終わってみれば同じ場所に眠っている・・・それはとても不思議な光景だった。その他、陸軍や海軍の部隊や最近では会社名義の慰霊碑も多かった。

それにしても、折角下界から逃れても、こうして毎日、世界から来た観光客の視線に晒される霊の気分ってどういうものだろう?静かにしておいて欲しいのか、それとも時を経て見られ続いていることを喜んでいるのだろうか?こればかりは分からなかった。車もない時代に、大きな墓石をどこからどうやって運んだのだろうという疑問も残った。寺や道路は良く整理され、今でも人々の営みが続いていることも驚きだった。

Friday 23 December 2016

贈与かローンか?

ジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記の最終本、「これこそ男だ(This Was A Man)」を読み終えた。何と言っても5年で7冊目になる歳月が掛かっている。最後はどういうオチがあるのだろう?それを一途にここまで来たが、至って平穏で彼の人生を振り返るものだった。

最大の謎は、主人公のハリーと妻のエマの父親が同じかどうかだった。物語の始まりが、それらしき伏線から始まっていたから最もである。ところがそれも最後はDNAでさらっと流して、やはりハリーの父は本来の親だったと片付けていた。長い物語ではそれが大きなテーマで、2人の結婚の障害でもあっただけに、少し肩透かしの感があった。しかし下世話な憶測を他所に、信じた愛を全うする姿こそが、正に著者が描こうとした処だったのかも知れない。

読んでいて今に通じる面白い箇所も多かった。例えばレディー・バージニアが再婚した男から収入を得るが、贈与だと莫大な所得税が掛かるのでローンを選択する。ところが夫が死亡すると返済義務が生じてしまう・・・、また遺産で相続した陶磁器を換金しようとするが転売禁止だったり、財産目当ての結婚は結局元も木阿弥であった。また夫婦の会話に、さだまさしの関白宣言ではないが、「俺より早く逝ってはいけない」みたいな件がある。それではどの位待てばいいかというと、本文の中ではfortnightという単語が出てきた。調べて見ると2週間という意味だった。本書のタイプはStorytelling(語り)というらしく、原書ならではの発見も多かった。ともあれ長い間読者としての義務も果たした気分になりホッとした。

Monday 19 December 2016

カジノの必勝法

カジノ法案が通った。ギャンブルはやらないので余り関心はないが、競馬や競輪があってどうした反対意見が出るのか不思議だった。カジノはむしろいいイメージで、例えばラスベガスは先住民のインディアン末裔の雇用の受け皿だったり、ロンドンやシンガポールも高額なバンカー給与の再分配の場所だったからだ。

カジノの映画と言えば最近では007の「カジノロワイヤル」だが、何と言っても「カサブランカ」が有名である。ハンフリー・ボガード演じるディックの店の話である。アルバニアからアメリカに向かう若夫婦には金がない。その足元に付け込んで現地の警察官が若妻に言い寄る。それを知ったディックが窮地を救うのであった。彼はディーラーがルーレットに投げ込む番号を知っているから、若い夫にそこに掛けるように耳打ちする。して夫は渡航費が入り、ディーラーは損をし、その美談に従業員は歓喜するのであった。

斯くしてギャンブルは人と人の関係が大事だという事を教えてくれる。黙っていれば必ず損をする仕組みだが、ある人が必ず勝てる秘密を教えてくれた。それはディーラーと懇意になる事だった。勿論それには時間が掛かり、盆暮れの付け届から旅行の土産物、最後は家族ぐるみの付き合いが大事だという。その関係が出来ると、ある日連れて行ったお客には気が付かれないで連戦連勝で帰ってもらえる演出が保証されるらしい。最もそこに辿り着くまでどれだけ投資をするか、終わってみれば元の木阿弥かも知れない。儲けようと思うからギスギスするが、所詮は社交場と思うと快適な場所の気がする。

Sunday 18 December 2016

ルクサンブール公園

人生の晩年に差し掛かった楽しみ、それは自身の人生を振り返る事と思っている。上手く行った事は10%、残りの90%は失敗経験である。その苦さや恥ずかしさを肴にして静かに回顧する・・・、それこそ終わった人だけに許される特権であろう。でもそれはどこで、どうやって・・・?

今日の日経新聞に野見山暁治さんの「10日間のパリ」が掲載されていた。文化勲章も受賞した96歳に画家である。その彼が、昔住んでいたパリに行き、ルクサンブール公園で過ごした話であった。「昔座っていたベンチで思いに耽っていると、一条の光が目に入ってきた」という件は、とても分かる気がした。1950年代の自身と今を重ね合わせ、60年の歳月をタイムスリップしたのであった。

パリの冬は寒いけど風がないから好きな人が多い。カシミアのコートをしっかり着れば、ベンチで過ごすことは左程苦ではない。人の気配もないから余計快適である。パリにはその他に、チュイルリー公園やモンソー公園、郊外に足を延ばせばソー公園などいい処が沢山ある。東京の小石川植物園や新宿御苑も悪くないが、そんな過ごし方もあったな?と知った。

Saturday 17 December 2016

レディー・バージニア

ジェフリー・アーチャーの「クリフトン年代記」の最終本が出た。早速取り寄せて読んでいる。今回のタイトルは、「これこそ男だ(This Was A Man)」である。2011年から始まったので、かれこれ5年経つ。シリーズも7作目になり、第一作を雪に閉ざされたアパートで読み始めた頃が懐かしい。

登場人物の一人に、レディー・バージニア(Lady Virginia)という派手な女性がいる。主人公の奥さんの弟の元妻である。全編に渡り、陰で主人公夫妻を邪魔する悪女であるが、前作辺りからお金に困り始めた。その金策に親族を頼りアメリカのルイジアナ州にあるバトン・ルージュに行く。先日黒人の暴動が起きた町だが、元フランス領なのに英国人移民もいたようだ。

今回はその金策で、アルゼンチンのブエノスアイレスやオーストラリアのパースも出て来る。つくづく英国人のネットワークの広さに驚かされる。また会社買収では数字が良く出てくるが、お金に拘る強かで貪欲な国民性にも感心してしまう。著者の英語はとても分かり易く、相変わらず流れに品がある。結末がどうなるのか楽しみだ。

Wednesday 14 December 2016

怪しい1000円札

トランプ効果で株価がどんどん上がっている。アメリカでは雇用統計もいいので、いよいよFRBは利上げに踏み切るのだろうか?そうなれば、ドル高になるからアメリカにお金が集まる。日本は円安が続くから、株価も上がり誰もがハッピーである。

そんな中、最近ちょっと気になっていることがある。それは今更だったが、日銀は国の機関だと思っていたら、政府出資は55%に過ぎない事だった。残りの45%は個人株主で全て匿名との事であった。中立でなかったら、ETF買いなど特定会社の株買い占めにならないのだろうか?心配になってFRBも調べてみれば、こちらも株主はモルガン銀行、チェースマンハッタン銀行等の純然たる民間企業であった。

そんな話をしていたら、友人のM君が、日銀の1000円札を取り出して何やら始めた。野口英世の顔を真ん中で半分に折ると左右全く違う顔になるとか、裏面の逆さ富士はどこか外国の山に似ている・・・。NIPPON GINKOの文字も折り方でWWWになるとか、かの1ドル紙幣に至ってはピラミッドの目があったり、何か変である。身近な世界だけに興味が尽きなくなってきた。そもそもオリンピックも民間事業だから、お上意識が未だに残っている方がおかしいのかも知れないが、この冬の夜長はその怪しい世界に浸りそうだ。

Monday 12 December 2016

シングルスの逆転負け

先日、久々にシングルスのテニストーナメントに出てみた。第一試合はボールを拾いまくり、2時間の接戦を制した。次はシード選手との二回戦であった。最初のセットを取ったが次を取られ一進一退のゲーム運びになった。そして迎えた最終セットはタイムブレークの中、リードしながら何度かマッチポイントを握った。しかし結局逆転され敗退してしまった。

その時は頭が真っ白だったが、時間が経つにつれ次第に思い当たる事があった。そう言えば、ボールを打ちながら翌週の事を考えていたな?。「もしも勝ったら、翌週に予定しているイベントをキャンセルしなければならないけど、どうしよう?」。正に要らぬ皮算用だった。

邪念は自分だけかと思っていたら、Yさんは翌日の演奏会のことを、Tさんは夕方に予約していた店の二次会で歌う曲の事が頭を巡ってきたという。所詮はアマチュアだから、普段の生活が入り混じってしまう。それにしても負けた相手は結局優勝した。あの時踏ん張っていれば金星だったのにと、時間が経つにつれその悔しさが募るのであった。

Sunday 11 December 2016

赤城の温泉

その群馬県だが、本州のヘソにあってはいささか寂しい地域である。高い山もないし海にも面していない、あるのは小高い小山と狭い農地である。その変哲のない風景は刺激がなく、好きになれない。

特に赤城山近辺は辺鄙な場所である。今ですらそんな感じだから、「赤城の山も今宵限り・・」の国定忠治の時代は、さぞかし寂しい場所だったのだろう。破落戸をやっても、余りカネにはならなかったのではないか。

そうは言っても、温泉を求めて昨年は赤城温泉、今年は藪原は藪原の一軒宿を訪れた。どちらも周囲は夕方になると真っ暗で、正に陸の孤島であった。さぞかし閑散としているのだろう?と思ったが、近所の人で適度に混んでいた。それにしにしても、東京から見れば大阪や名古屋以上に遠い感がある。

Friday 9 December 2016

中島飛行機の富嶽

太平洋戦争の開戦日に放映された、NHKの「幻の飛行機計画」は良かった。隼などを製造した中島飛行機の爆撃機「富嶽」の話であった。終戦末期に、B29を上回る性能でアメリカ本土を爆撃する壮大な発想だった。結局は生産に至らなかったが、1万mの高度を保つターボ技術が日本に無かったという。

面白かったのは、番組の最後に若い軍事評論家が「中島知久平は戦後の旅客機まで考えていたのではないか?」と好意的なコメントをした。ところが当時を知る年配の技術者は、「それは違います。設計に携わった人達は勝つことだけを考えてやっていました。だから戦後は誰も当時を語ろうとしなかったのです」とポツリと語った。それがとても印象的だった。

以前、群馬県にあった中島の小泉製作所跡を訪れたことがある。今では分社化し企業の工場地になっているが、辺りには当時の面影が所々残っていた。例えば東武鉄道の西小泉駅は小さな駅だが、そこが終着駅になっていた。不自然だが、良く見ると工場まで延びていた線路が道路に埋められていた。また工場前の道路は長く真っ直ぐだった。昔は滑走路だったことが容易に想像出来た。それにしても、凄い飛行機を考えたものだ。

Thursday 8 December 2016

真珠湾攻撃と単冠湾

「今日は真珠湾ですね!」、朝誰かが挨拶代わりに言う。「そうですね・・・、今頃第一次攻撃隊が引き上げてきた頃でしょうか?」と応える。天気晴朗なれど波高し!外を見ると快晴で富士山がくっきり見えた。ニイタカヤマノボレ!の暗号が聞こえて来るようだった。

戦争を知らないから、それは「トラ・トラ・トラ」や「パール・ハーバー」の映画の世界である。三船敏郎扮する山本五十六長官が、散々抵抗した挙句、最後は「真珠湾攻撃は私の信念です」とゴーサインを出す。戦後はクリスチャンになった淵田少佐が、「我奇襲に成功せり」の電報を打電する。満州事変から追い詰められ日本のマグマが爆発した日であった。ただ実際は、きっとナレーションも無ければ音楽も俳優もない、モノクロのドキュメンタリー風だったのだろう。

あれから75年、最近ではルーズベルトが事前に日本の開戦を知っていたと言うから、始まるべくして始まったと思っている。今一番行ってみたいのは、択捉島の単冠湾である。連合艦隊が出発前に終結した港である。それを取り上げた佐々木譲著「エトロフ発緊急電」はとても面白い小説だ。ロシアのプーチンが今月来日するというから期待している。

Monday 5 December 2016

コーブの港

そのタイタニック号が最後に出港したコーブ(Cobh)の港には、アイルランドから最初にアメリカに渡った親子の銅像が建っている。1892年というから、タイタニックに先立つ事20年前である。アイルランドからアメリカに渡った人は多く、今やその末裔は30百万人以上と言われる。タイタニックの事件が無かったら、忘れられていた人達だったかも知れない。

有名なアイリッシュは、J.F.ケネディー、リーガン、クリントンやオバマなどの大統領から、ジョン・ウェン、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードなど多彩だ。アラモの砦を守ったのもアイリッシュ、アンタッチャブルに出て来る警察官もアイリッシュ、字幕には出来ないのは差別用語なのだろうか?

コーブの町の近くには、アイリッシュウィスキーのジェムソン(Jameson)の蒸留所がある。ジャック・ヒギンズの小説で、IRAの殺し屋が仕事前に飲むウィスキーである。そのジェムソンがタイタニックの世界と相まって、何とも旅情を誘うのである。

Saturday 3 December 2016

中国のタイタニック号

CNNに、中国の四川省でタイタニック号を建造するというニュースが出ていた。タイタニック号は1912年に沈没したからかれこれ100年になる。現代に蘇ったのは、何と言ってもデカプリオの映画からだろう。よく「船を沈めたのは英国人だが、造ったのはアイルランド人だ」と言われている。勿論それはアイルランド人が言うのだが、その恩恵に預かっているのはアイルランドの気がする。

北アイルランドの首都ベルファースト(英国領)には、3年前に大きなテーマパークが出来た。実際にタイタニックを建造したドックが現存している隣だから、結構歴史を彷彿とさせる迫力がある。2年前に訪れたが、ディズニーのような仕掛けもあり、多くの観光客が押し寄せていた。またタイタニックが出港した港町は、それをテーマに村おこしをしている。中でもコーブ(Cobh)は最後に寄った港だったので、立派な資料館が残っていた。そこから海を渡ったアイルランド人を紹介していているのだが、中でもダニー・バックレイ(Dannie Buckley)という若い男の話は興味深かった。彼は生存者の一人だったが、アメリカに渡って第一次大戦に出征した。ところが終戦の一日前に28歳の若さで死んだという。運命と言うか、呪いがあったのだろうか?

それにしても、四川省と言えば山奥だ。いくら観光とは言え、どんな船が出来るのだろう?