Wednesday 29 June 2011

テニスと忍耐

私の趣味は長年のテニスだ。特にクラブテニスが好きである。ぶらっと行くといつも顔見知りが居て2-3セットやる。終わってから、他愛もない話をしながらクラブハウスで飲むビールはいいものだ。今まで内外7つのクラブに所属してきたが、東京のホームクラブは何と言っても最高だ。メンバーがいい。そしてシンガポールも居心地が良かった。色々な国の人が交じり合って、いつ行っても仲間に入れてもらえた。

反面、パリのクラブでは色々難儀した。ヨーロッパでテニス楽しむのは思っている以上に大変である。まず予め同程度のパートナーを見つける必要がある。見も知らずの国でこれが中々大変である。そもそもテニスをやらないことには実力が分からないのに、その機会がないのだ。運よくパートナーを見つけた後は、晴れて日時を相談しクラブのコートを確保する。今回も同じ、黙っていても始まらないでの、クラブのHPで自己紹介を出したり、勇気を出してこれはと思う人にアタックしたり・・・。


昔所属していた東京のクラブに年配のイタリア人がいた。彼は著名な人だったが、足が悪かったこともあり、人々はあまり相手をしなかった。ある時、紀伊国屋の本屋に行くと彼の日本語で書いた本が並んでいた。見ると日本社会の閉鎖性をテーマにした本で、テニスクラブもその例外ではないのには参った。そうならない様にもう暫く頑張るしかない。クラブは入り込むまで時間と忍耐が要る。

Tuesday 28 June 2011

ハンザの町にて

U-Boatを見に行ったついでに、リューベリック(Lübeck)とブレーメン(Bremen)といったハンザ同盟の町に寄ってみた。


ハンザ同盟は、13-15世紀にバルト海沿岸の都市を繋いだ貿易圏である。布教と王を守る騎士団の常駐、その中で育ったのが沿岸都市だった。特にリューベックはその中心として栄えただけあって、教会の数が半端でなかった。15世紀に入り、物の流れがバルト海から大西洋に移ったのをきっかけに都市の役目は終わった、かに見えた。にも拘らずそれから500年、現在でも町々は隆々としている。一つは観光に力を入れた成果だろう。戦争で壊れた都市を忠実に再現、中世の面影を取戻した。これに掛けたお金と情熱は凄かった。もう1つは工業化だ。今回通ったブレーメンにもメルセデスベンツの大工場があったように北ドイツは工業のメッカである。この両輪が旨く噛み合った。

ブレーメンでは小さな民宿に泊まり、街を散策した。20年振りで懐かしかった。グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」で有名な街だ。広場では、同じグリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」装束を着た男が、子供たちをガイドしていた。いつぞや阿部謹也氏の名著を読んだことがあったが、子供たちを浚って行った笛吹き男は、時代の世相を反映した風刺物語だそうだ。泥棒を追っ払う鶏やロバから成るブレーメンの音楽隊の話も、ひょっとしてその類かも知れない。この季節、ドイツは白アスパラガスが旬である。さり気なく出てきたアスパラガススープが旨かった。

Monday 27 June 2011

ドイツのU-Boat

大分前になるが、ドイツ帰りのOさんと飲んでいた時に聞いたキールのU‐Boatの話がずっと気になっていた。というのは、先の2回の大戦に纏わる博物館は、その80%がフランスに集中しておりドイツには余りないからだ。
キール(Kiel)は現在は20万人程の北ドイツの都市だが、その昔はハンザ同盟として、また先の大戦では軍港として栄えた町である。その町に世界でも数少なくなったドイツの潜水艦”U‐Boat 995”が保存されているというのでわざわざ見に行ってみた。道に迷った挙句、キールから15kmも離れたLaboeという町の海事博物館にそれは横たわっていた。陸に上がった河童ではないが、想像していた迫力には乏しいものの、貴重な雄姿をやっと見ることが出来た。

実はこのU‐Boat、戦後は連合国のノルウェー政府が管理していたが役目も終わりドイツ政府に1マルクで買取を打診した。しかしドイツは威信にかけてこれを拒否、結局民間団体が間に入り今日の形になったらしい。隣接する博物館の地下は、ドイツ海軍の英霊を祭る慰霊碑が置かれてあったが、そんな海の魂が圧倒したのかも知れない。ともあれはるばる来た甲斐があった。

中々辿り着けなかったのは、地元の若い人に聞いても知らなかったり、今では人々の過去の記憶になっているからだ。街では夏のフェスティバルが催されていて、各国の屋台に多くのドイツ人観光客で賑わっていた。ここでも、戦後は遠くなりにけり!

Sunday 26 June 2011

世界が狭くなる

金曜日の夕方になると街は英国人で溢れる。多くは若い男のグループで、安いビール目当てに遥々やってくる。そのためPubは彼らに占領される。もともと大柄で声が大きく、その上中にはフーリガン顔負けの者もいるので、彼らが入ってくると地元の人はそそくさと退散する。

これを可能にしているのが、安い航空券である。時期にもよるが、この季節でも往復7千円から1万円強である。私もこの連休にその一つ、Ryanairを初めて使ってみた。休み前だというのに、空席があり、ドイツのBremenを1万7千円程で往復出来た。安さの秘密はよく分からないが、通常の航空会社の使わない時間帯を使っている。例えば誰もが欲しがる「金曜発、日曜戻り」などが出来なかったり、出発時間も朝の6-7時台と結構厳しい。また荷物は一律10Kgとなっており、それをオーバーすると手数料が別途掛かる仕組みである。それから飛行場もロンドンはLuton空港であったり、繋ぐ町もEdinburgh, Rigaなどマイナーに特化している。

ともあれ利用者にとっては安いのが一番である。昔シンガポールに居たことがあるが、現地の人々は週末になるとBangkokやJakartaに買い物に行っていた。これからはそんな感覚なのだろう。益々世界が狭くなる。

Friday 24 June 2011

サウナの世界

北欧、取り分けフィンランドはサウナの発祥の地である。Pubで会った男が言っていたが、森の中のサウナは、スモーキーのアロマがあり何とも言えない癒しだと。一風呂浴びて飛び込む湖の冷たさ、そして上がって飲む冷たいビール、正に至福の喜びとはこういうことを言うらしい。何故か彼らは群れることが嫌いである。そのためサマーハウスと呼ばれる田舎の別荘も、辺鄙な所を好む。これがサウナから裸で飛び出しても、何一つ憚らない環境を作り出している。

私はそこまで行かないが町のサウナを時々利用する。ロシア時代の古い建物で、ウェディングドレス屋の1階にある。小さな窓口でロシア人のおばさんに勘定を済ませ更衣室に入ると、いつもロシア人の大男が火照った体を冷まして大議論している。言葉が全く分からないが、”ポピュラリズム”とか聞こえる所を見ると、いまだに社会主義を懐古しているだろうか思ってしまう。

サウナの部屋は、ヒビの入った白煉瓦と4m近くある天井、それに昼でも薄暗くどこかで見た様な光景だ。出た所には石のベットが置いてある。そうここは東欧で見た収容所そっくりだ。シャワーもひょっとして水の代わりにガスが出てくる気がする。サウナには白樺の葉を束ねたものを持って入り、ひたすら体を叩く。いつぞや2mもするロシア人の男がそれじゃ駄目だとばかり、バシバシやってくれた。痛いの何のと思わず「アイテー!」と。男は気を良くしたか又しても・・・・。それもそのはず、「アイタ」はこっちの言葉で”有難う”なのだった。

先日、住宅展示会に行ったらログハウスのサウナを売っていた。中を覗いて見ると、何と裸の女性がバスタオル一枚で応対していた。いつか、男の話の世界に一度触れてみたい。

Wednesday 22 June 2011

チョコの味

スーパーに行くとチョコレートが沢山並んでいる。湿度が低く、特に寒い冬は余計美味しく感じられる。 場所柄ベルギーなど欧州のものが多い。1枚100円程度と日本で買う3分の1位で有難い。中でもスイスの牛のマークが入ったミルカ(Milka)はお気に入りの1枚だ。ミルクの甘みが何とも言えない。

ところで、最近の国際化はブランドイメージが先行し、本来の会社はよく分からないことが多い。例えばミルカはスイスかと思いきやアメリカのKraft社であったり、高級チョコレートの代名詞になっているゴディバ(Godiva)は、ベルギーからトルコのYildiz社に移っていたりする。また貝の形をしたゲイラン(Guylain)もベルギーの会社から今では韓国のLotteが親会社のようだ。

いつぞや同僚が韓国土産に地元のチョコを持ってきたことがあった。まさか朝鮮人参が混じっていた訳ではないだろうが、あまり人気がなかった。ビールも地ビールかと思うと、デンマークとフィンランドの子会社だったりしたことは、以前ブログで紹介させてもらった。資本は変われど生産地は変わらないはずだ。それに拘って折角の美味しさを逃してしまっては元も子もない。知らない方が幸せなことも時々ある。

Tuesday 21 June 2011

Wimbledonと芝コート

今年もWimbledonが始まった。初日から伊達が久々の白星を上げたり、錦織が2002年の覇者Hewittと当たるなど目が離せない。注目はやはりFedererの7度目の優勝だろう。Nadalが実力に勝っているとはいえ、サーブアンドボレーの芝ではもう一度勝てるかも知れないからだ。個人的には、地元のMurryやWimbledon決勝で3回も涙を呑んでいるRoddickに一度勝たせてやりたい気持ちもあるが。

それにしても、芝の緑と白ウェアのコントラストは本当に美しく品がある。一度見に行ったがセンターコートは絵のようだった。選手にも清爽感が出る。それにサブコート、手を伸ばすと選手に触れると思うくらい近くで見れる。


ところでこの芝コート、摩擦が少ないためボールはバウンドしないし、足が滑りやすい。私も一度だけ体験したことがある。場所はマレーシアのクアラルンプールにある名門Royal Selangor Club、駐在の先輩がテニス好きの私を連れて行ってくれた。その時の感覚は、真新しい運動靴で家の中を歩いたような、ふかふかしたものがあった。コートがとても狭く見えたし、ボールもバウンドすると勢いが死んでしまい、クレーとは別物であった。

果して今年はどういうドラマが待っているのだろう。

Monday 20 June 2011

原発のジレンマ

エストニア経済を支えているのは、電力料金の安さにある。KWhの当たりの電力料金は6円程度とドイツ・日本の半分程度である。外資の生産拠点が多いのも、この光熱費の安さが1つの魅力になっている。

その秘密は”オイルシェール(Oil shale)”にある。オイルシェールは油を含む岩石であり、この国ではエネルギー源の90%を賄っている貴重な資源である。ただ問題も多く、生産量は世界の70%を占めるように他国では殆ど使っていない資源でもある。それは燃焼の際に発生する温室効果ガスが多かったり効率の問題らしい。採掘現場は西のロシア国境近く、ロシア人居住地に集中する。今でも、ぼた山が多く残る決していい環境とは言えない地域だ。

この安いオイルシェールも、このまま堀続ければ早くてあと20年で枯渇してしまうという。問題はその後である。政府は2023年までに原発を始めると宣言していたが、ここにきて福島の問題が出て来てしまった。原発についてはドイツがいち早く2022年までに全廃、イタリアも先の国民投票で圧倒的多数で廃止を選択したように、欧州の世論は圧倒的にNO!になってしまった。まだ時間はあるとはいえ悩ましい問題だ。

Sunday 19 June 2011

プロヴァンスの旅

1月から導入が始まったユーロ通貨だが、コインのデザインは各国独自で行う。エストニアは国の地図を入れたが国境が違うとロシアからクレームがあった。一方紙幣は欧州共通で、代表的な橋、門が描かれている。5ユーロ札を見ていたら、懐かしの南仏プロヴァンスの橋であった。今回はそのプロヴァンスを紹介してみたい。

南仏プロヴァンス地方は、いつぞやピーターメイルの小説で有名になったが、古代ローマ遺跡が残るフランスの代表的な観光スポットである。この季節、降り注ぐ太陽を求めて世界から多くの人が集まる。その代表的なのが紙幣になったポンデュガール(Pont du Gard)の水道橋である。高さ50mの古代遺跡はとても美しくそして圧巻だ。今でも幅2m弱の手すりもない橋の上を渡りきる人がいる。近くにはレボー(Les-Baux)と呼ばれる中世の廃墟が残っている。ポンペイのように、散策しながら歴史に思いを馳せるのが何とも言えない。因みにこの2つがミッシェランガイドの3つ星である。

そもそもこの辺、ローマ時代の面影が濃いのはアヴィ二オン(Avignon)にローマの教皇が居たためでもあった。教会も立派だが、「アヴィ二オンの橋で踊ろう・・・♪」の歌で有名な橋が面白い。当時、予算が無かったため川の真ん中で終わっている。

アルル(Arls)は、ゴッホがゴーギャンと出会った町だ。それが縁で耳を切る事件にもなった。ここで描いた「跳ね橋」 は再現されているし、「夜のカフェテラス」も現存するので、人々は居乍らにして絵に入り込むことが出来る。

サン・レミー・ドゥ・プロヴァンス(Saint-Remy-de-Provance)も古代遺跡が残る町だが、ノストラダムスの生まれた町で有名だ。銅像も建っている。訪れた縁で、私も一時その予言に凝った事がある。また歌にもなっているゴッホの”Starry Night”もここが舞台だ。

ニーム(Nimes)は今でも闘牛をやっている。炎天下、次から次へと闘牛士が血祭りを上げるのを見ると気持ち悪くなる。因みにジーンズのデニム(Denim)の由来は、ここからきている。

エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provance)はモネの街だ。近くに何度も描いたヴィクトワール山が聳えるシックなところである。

少し長くなり過ぎたが、書いている内に又行って見たくなってきた。

Friday 17 June 2011

小国の悲劇

今週の火曜日(6/14)、思えば街には国旗が掲揚されていた。後で聞くと強制連行の記念日だったという。

第2次大戦が始まり、ソ連がバルト3国を占領してから暫く経ったある日、今から70年前の1941年6月14日、玄関先に突然兵士が現れ「直ぐに荷物を纏めるように!」と、1万人のエストニア人を連行、シベリアに送ったのであった。バルト3国だけでも4万5千人に上ったという。

悲劇はこの後も続いた。次にやってきたのはナチスドイツであった。ソ連からの解放を期待して、バルトの国々の人々はドイツの側に立ってソ連と闘った。ノルウェーなどもそうだった。しかし待っていたのは独立への抑え込みとユダヤ人の収容であった。そして終戦近くになって又ソ連が戻ってきた。当然ドイツ側に立って戦った戦犯を逮捕、その数はエストニアだけでも7万5千人に上った。そして40年以上に渡る支配が続いた。

バルト・東欧の諸国は、いずれもソ連とドイツといった2つの大国の狭間に翻弄された。愛する国のために死ぬのはいいが支配された国のために血を流す、それがこの100年続いた小国の歴史そのものだった。

冷戦下のシベリアを舞台にした小説に、Louis L`amour著「シベリアの弧狼(The last of the breed)」がある。米パイロットがシベリアに不時着陸し脱出する話だが、厳冬の荒野を彷徨っていると山の中でエストニア人の親子に出会う。何でこんなところに?今になってみればそれが良く分かる

Thursday 16 June 2011

バイキングレース

今週末、この国の伝統行事Woman carrying raceが行われる。

男性が女性を背負って競うレースだ。出場資格は女性について17歳以上、49Kg以上という条件が付いている。参加する多くは夫婦だが、特に夫婦でなくてもいい。全長253mの池あり障害ありのコースを駆け抜ける。いつぞや日本からお笑いのイモトが参加したTVを見たことがある。面白かったのは、男が水に飛び込んだ際に前日の飲み過ぎで気絶、今度はイモトが男を背負ってゴールして大喝采を浴びていた。

そもそもこのレースは、バイキングが女性を浚っていったのが起源らしい。そう云われれば担ぎ方も写真にあるような略奪型のスタイルが多い。今でもその名残があって、レースを肴に隣国フィンランドからやってきた男が地元の若い女性を連れて行ってしまうという。

バイキングは世界から美女を浚って行ったので、北欧に美人が多い話は有名だ。しかしその後ロシアが北欧から浚っていったので、今のロシア美人が生まれたと誰かが言っていた。どこまで本当だか分からない。先日、本を読んでいたらバイキングは何とセーヌ川を遡りパリまでも行ったらしい。ただ(居心地が良かったか)多くはそこに居ついて帰って来なくなり、それがバイキングの終焉になったという。

ともあれ何とも素朴で平和な大会だ。

Wednesday 15 June 2011

キセルの話

狭い街のため普段の移動はバスと市電である。料金は1回80円程度、1か月乗り放題になると約3,000円かかる。乗る時も降りる時も切符を見せることはない。検札制を取っているからだ。総じてユーロッパはこれが多いが、ただ乗りが横行する原因にもなっている。かくいう私も時々やってしまう。

これを取り締まるのに係官が時々乗ってくる。常に3人体制で、市電の場合、前後を固めてもう一人が見て回るシステムだ。制服を着ているので分かり易く、乗っているのを確認してから切符を切れば問題ない。ただ時々、駅と駅との間で電車を止めて抜き打ちする検査がある。私も一度それで泡を食ったことがあるが、80円の切符を出すと運良く放免された。後で分かったがこれは不法移民対策らしかった。乗った方向はロシア人地区に向かう電車であった。独立後、帰化せずに無国籍になっているロシア人が多いと聞くが、その関係かも知れない。兎に角この国のロシア人の評判は悪い。

キセルの罰金は40ユーロ(5,000円弱)である。ドイツの場合、初犯と再犯では罰金が違うらしい。また取り締まり方も、取締官は私服でさり気なく乗客の隣に座り、そっとIDを見せて検札するといった云わば覆面捜査である。この辺お国柄の違いが出ている。

Tuesday 14 June 2011

サーレマ島のピサ灯台

週末、この国で一番大きいと言われる島サーレマ島(Saaremaa)に行ってみた。首都タリンからバスで4時間、途中フェリーに30分ほど乗り継いで行く。シーズンとあって、普段は人気のない島も帰省する人や観光客で賑わっていた。フィンランドから来た音楽隊が野外公会堂で演奏会を披いていたり、ドイツからの自転車旅行など様々だ。

この島の特徴は何もないことだ。古代遺跡、そそり立つ岸壁といった景勝地もない。あるのは見渡す限りの海と牧草地だけである。しかしその素朴さを求めて来る人が絶えないという。人々は農家に泊まり日光浴や釣りで過ごす。

島の北に海に立つ灯台があるというので行ってみた。国立公園になっているため車を置いて歩くこと1時間、やっとのことで辿り着いた。以前は陸に立っていたらしいが、今は浸食されて海が満ちると海中に水没してしまう。勿論無人だ。一度押し寄せる波で大きく傾いたが、その後引き潮で押し戻され今の傾斜になっているという。正にピサの灯台だ。辺りは群生するカモメが羽を休めているだけっで人っ子一人いない。

ところで冬の時期、凍りつくバルト海をどうやって渡るのかと思ったら何と氷上を車で走るという。一定間隔を取って重さが偏らないようにするというが、今まで氷が割れて事故になった事もないらしい。そういえば、昔スウェーデンがデンマークを破ったのも、厳冬期に凍った海を馬で渡った氷上進軍が功を奏したと、本に書いてあった。

Monday 13 June 2011

鹿屋

友人に薦められ、暫く前に読んだ本がとても良かった。ベストセラーにもなっているらしいが百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」である。ゼロ戦乗りだった祖父が終戦を前に特攻で逝く、孫がその最後を遡る物語だ。戦時の描写、主人公の人間性、ミステリー的な展開が見事な1冊だった。


 私の父は学徒で出征、海軍の飛行隊に配属された。土浦を経て鹿屋で終戦を迎えた。何年か前に80歳になろうかとする母を連れて鹿児島を旅したことがある。鹿屋から知覧を廻り当時の足跡を辿った。指宿では地元の人情にも触れた。

鹿屋は海軍の特攻基地であった。物語の主人公も最後はここから飛び立った。現在でも自衛隊が使っているのでその面影は残っている。富士山に似ていると、特攻機は開聞岳に別れを告げて南に飛んでいったと聞かされ、胸が詰まる思いもした。父は多くを語らなかったが特攻ではなかったらしい。戦後、海軍を誇りに思っていた反面、いろいろあったらしく学徒同期の会に誘われても一度も行かなかったようだ。

今となってはどうでもいいことかも知れないが、この本を読んでいるうちにそんなことを思い出した。

ウクライナ

中公新書の「物語・・・の歴史」シリーズは、その道の専門家の執筆とあって大変お世話になっている。

その中でも、黒川祐次著「物語 ウクライナの歴史」はとても面白い。著者が外交官ということもあり、学者にない枝葉のバランスがとてもいい。枝では、何度か歴史上の独立の機会を探っておられるし、葉ではコサックの結婚、バルザック恋など、それだけ取り上げても本になるような話題をよく集めている。バルザックが当時遥々ウクライナの未亡人を尋ね、結婚し、しかしその長旅が原因で生涯を閉じたのは今から想うとロマンだ。それからチャイコフスキーのピアノ協奏曲の採譜の件は、とても興味深い。お会いしたことがないがお人柄が所々に感じられる本である。

ウクライナは勿論行ったこともない。ただこれが縁でとても身近になった。

Friday 10 June 2011

スペインのキューリ事件

今週の話題はスペインのキューリ事件である。ドイツで起きた大腸菌(Escherichia,略してE.coli)感染で既に27人が死亡、3000人近くが感染しているという。発覚当初はスペインのキューリが元凶だと云われた。ただその後疑いは晴れて、今では地元ハンブルグのモヤシが怪しいなど依然真相は闇の中だ。

それにしてもスペインの農家はカンカンだ。それもそのはず、この時期ヨーロッパはスペイン野菜が旬だからだ。ここのイチゴも当初はスペイン産だったが、暫くしてウクライナ産が出て、もう少しすると地元バルトの収穫が始まる。つまりスペインにとっては今が書入れ時なのだ。

スペインの農林大臣がキューリを丸かじりし安全をPRしているのを見て、菅さんのカイワレ大根を思い出した。これからEUでは風評被害の補償を始める。

Thursday 9 June 2011

ハムが美味しい!

ある冬の寒い日、例によってグラスを傾けていると、向かい側の男がこっちへ来いと合図する。髭もじゃで人相はあまり良くない。座り直してみて分かったがお互い全く言葉が通じない。ただ何かの拍子にちょっと待てと、席を立って居なくなってしまった。暫くして戻ってくると、雪混じりのサラミを3本持ってきた。どうやら地方の肉屋でタリンに行商に来たらしい。店の主人に頼んで切ってもらいご馳走になったが、これが柔らかく何とも美味かった。


この国は総じてハムが美味しい。種類も沢山ある。ところが何故かウィンナーソーセージは脂っこく牛肉も今一だ。チーズに至っては雪印のプロセスチーズのように無味乾燥としている。私は郷に入れば・・・の主義なのでさして気にならないが、知り合いのスイス人がこれをコケおろす。ある時そのスイス人がこれが本物のチーズだとばかり、地元ベルンのSbrinzというチーズをくれた。私の日本酒ではないが、本国から取り寄せているらしく、確かに臭みが強く別物だった。

美食は追及するとキリがない。所詮行きつく先は日本の味に決まっている。そんな時は”山小屋で出てきたものは、何でも旨かった!”を思い出すことにしている。

Wednesday 8 June 2011

ワインは旅愁を誘う

よく「ワインって美味しい?」と聞かれる。いろいろ探してみたが、エストニア産のワインは殆どお目に掛からない。あるのは、ラズベリー味、かんきつ類のリキュールだ。やはり年間を通しての日差しが足りないせいなのか、そういえばフィンランドワインなどもあまり見ない。店に出ているのは、もっぱらフランス、イタリアなど地元産とチリ、アルゼンチンの南米産である。私は普段安くて美味しいチリ産を飲むことが多い。

先日、たまには変わったものをとモルドバ(Moldova)・グルジア(Georgia)・ルーマニア(Romania)産を買ってみた。飲んでみるといずれも糖分が高く日本の葡萄酒に似ていたが、何とも言えぬ土の香りがして旅愁を誘った。

バルト3国を中心にした世界地図が面白いのだが、そのまま南に見ていくとルーマニア、モルドバなど東欧、旧ソ連諸国が連なる。

グルジア(何故かジョージアと書いてこう発音する)は黒海を挟んだところにある。いつぞやPubで会った男が車で2,300km走って行ってきたと豪語していた。スターリンの出身地として有名であるが、ここのワインは”世界最古の葡萄畑”だそうだ。一度訪れてみたい国だ。

Tuesday 7 June 2011

兵士の足音

昨日は67年目のD-Dayである。といっても縁のない人も多いと思うが、1944年6月6日、連合軍の艦隊5,000隻、航空機12,000機を持って、16万人の将兵がフランスのノルマンジー海岸に上陸した日である。映画「史上最大の作戦」(The Longest Day)にみるヨーロッパ解放を象徴する日だ。いつぞやの節目では記念行事も行われたが今年は静かだ。

私は戦場の跡地が好きだ。ナポレオンが敗れたベルギーのワーテルロー(Waterloo)、第一次世界大戦のマジノ線があったフランス東部のベルダン(Verdun)、映画バルジ大作戦の舞台にもなったベルギードイツ国境のアルデンヌ(Ardennes)地方等々、随分あちこち行った。殆どが今では田舎の農地のためとても静かだ。ただ耳を澄ますと、暫くして兵士や馬のひづめの足音が聞こえてくる気がする、これが何ともいえない。

中でもノルマンジーは今まで10回以上は訪れたか、最も好きな場所だ。長い海岸線を、映画やコーネリアス・ライアン著の原作を基に一つずつ確認する作業を行う。Sord, Juno, Omaha, Gold, Utah Beachといった上陸地点、英国コマンドがグライダーで奇襲したPegasus Bridge, フランスコマンドのOuistreham,  物資陸揚げのArromanche等々。それらは今でもしっかり当時の面影を残しているから、私みたいなマニアにはたまらない。米兵のパラシュート兵が引っ掛かったSaint-Mere-Egliseの教会には、未だに屋根に白い落下傘が掛かっている。

いつぞや早朝にOmaha Beachを歩いた。この季節、普段より100m以上も遠浅になり、海に向かってどこまで歩いても砂浜が続く。深い霧で視界も遮られる中、カモメの鳴声だけが聞こえる幻想的な世界だった。

Monday 6 June 2011

Roland Garrosが終わって

Roland Garros 2011Nadalの連覇、6度目の優勝で幕を閉じた。やはり彼は強い、特にフットワークと角度のあるショットは凄い。対するFedererはベースラインぎりぎりにボールを集めたが、今回も要所で攻め切れなかった。気のせいか元気も無かった。男子は準決勝までシードが順当に勝ち上がる好カードが続いて面白かった。Andy Murray4回戦で痛めた足を引き摺りながら頑張ったのが印象的だった。

コート以外でも見所が多かった。放映したEuro Sportsでは試合後の解説を、Game Set & Mats(Matchを捩った)と称して往年のMats Wilanderが担当した。スウェーデン訛りの英語が聞きにくいが、Roland Garros2度勝っているスターのコメントは興味深かった。お相手はAnnabel Croftという美人キャスター、テニスとどういう関係かと思ったがジュニア時代にWimbledonを取っていた。授与式にも今年はCourier, Goolagongが登場した。

コマーシャルもその一つ。スポンサーの1つに時計のLonginesがあるが、Agassi, Graf夫妻が出てくる。ダンスやテニスをする子供たちを運動会の父兄よろしくビデオに撮る、といったストーリーだ。子どもは2人の子供?、だったらどんなに天才と思いきや、どうやら本物ではないらしい。

政治も少しあった。1つは女子で優勝した中国のNa Liについて、マスコミは“アジア人で初の…“とあえて中国名を避けた(ような気がした)。1989年にMichael Changが優勝した時、前後して天安門事件が起きた。人々は小さな体で立ち向かうChangを自由化と重ねて応援したものだ。その時と時代は大きく変わった。もう1つは準決勝で破れたセルビアのDjokovicFederer戦を前にした激励会が現地のロシア大使館で披かれたのが報道された。折しも先日NATOの敵Mladicが捕まったばかり。会場の声援は圧倒的にFedererだった。

フランスはこれが終わるとバカンスのシーズンが始まる。

Sunday 5 June 2011

ライラックの花

タンポポが終わりかけたかと思うと、今度はライラックとマロニエの花が咲き始めた。特にライラックのバイオレットは華やかだ。もう6月、初夏、今日はこの国の花の日だ。



それにしてもこの冬は長かった。最初の1日は1週間、1週間は1ヶ月に感じた。一面雪景色、どんよりした天気と人気のない街、そしてバルト海から吹付ける風、零下20℃の中家の中でじっと耐えるしかない。4月初め、日本から持ってきた日本酒を飲んでいるうちに無性に桜を見たくなった。居ても立ってもいられず飛行機に飛び乗ってしまった。花は人生そのもの、桜を見ると、”今年も生きている”ことを確認する。

公園で裸になって日光浴を楽しむ人が増えたが、この開放感は体験してみないと分からない。

Friday 3 June 2011

人口減少の怪

エストニアは小国ながら順調な経済発展を続けている。1人当たりのGDPは14千ドル、大よそ日本の1/3程度だが、10年前が4千ドルだったので凄い勢いで伸びている。2011年の1Qの経済成長率は8%とヨーロッパの中で一番高かった。

ところが、国を支える人口はずっと減少している。1991年の独立をピークにどんどん減り続き130万人になってきた。多くは旧ソ連国籍の人が帰国したためであるが、死亡率が出生率を上回ったのも一因していた。また移民の問題もある。先日発表された数字だと、昨年は5,200人がドイツ・アイルランド・米国に出て行った一方、フィンランド・ロシア・ウクライナから2,800人を受け入れたという。つまり移民の流出が続いている。若いカップルに「将来どこで働きたいか」と聞くと、即座にシンガポールだ中国だと返ってきた。5月1日から緩和されたEUの労働移動規制もこれを後押ししている。従来バルト3国、ポーランドなど東欧5か国には労働移動にいろいろ規制があったが、これが解禁されたのだ。

このパラドックスの秘密は何なのか?答えはゲートウェー型の経済と言われている。つまりシンガポールのように、税制の優遇、快適な環境を用意し外資を誘致する手法である。日本も人口が減り始めている。この辺何か参考にならないだろうか?

Thursday 2 June 2011

ユーロを導入して

エストニアがユーロを導入してから5か月が過ぎた。然したる混乱もなく平穏に来ている。


巧くいっている理由にはいくつかある。まずユーロ導入に当たり、エストニアクローンは何年も前からペッグで安定していたこと。加えて導入の物差しになるGDPに対する公的債務や財政赤字の比率が、エストニアの場合極めて良好であったことにある。特に公的債務比率は7%とEUの中で最も低い(因みにギリシャは150%、日本は200%)。また財政収支はそもそも黒字だ。

ユーロとは強い国がより強くなり、弱い国がより弱くなるメカニズムである。弱小国は為替の切り下げによる経済調整が出来ないのが最大の問題だ。ただドイツなど勝ち組が得するかというとそうでもない。ギリシャ問題はいい例で、結局弱い国を助けなくてならない宿命がある。ドイツが「金が返せないなら、島の一つでもよこせ!」というのはよく分かる。エストニアに待っているのはこうした他国への支援義務である。

ともあれ、ローカル通貨を持っていた人ならわかると思うが、ユーロの安心感は何にも増して格別だ。

Wednesday 1 June 2011

Kings of Nippon

例によってグラスを傾けていると、隣の男が話しかけてきた。誰かの似ていると思ったが、007のJawsだ。フィンランドから遊びに来ていて、(照れながら)さっきこの帽子を買ったという。日本人だったら絶対買わないだろうと思う帽子だが、なぜかこの男には良く似合っていた。おまけに服の色と合っている。荷物はビニール袋なので、野宿かと聞くと、「とんでもない、ちゃんとホステリー(相部屋のこと)に泊まっている」という。

暫くしてどこから来たのか?と聞くので、「日本」というと、自分もNipponだという。何のことかと思いきや、バンドをやっていてグループ名がKings of Nipponとのこと。それにしてもどうしてNipponなのか?どうやらアニメのAKIRA、 宮崎駿、忍者などのイメージで付けたらしい。サイトがあるのでPRしてくれと言われた。http://www.myspace.com/kingsofnippon


日本人は北欧・バルトで尊敬されている。古くはバルチック艦隊をやっつけた国、戦後の復興を乗り越えて経済大国になった国、それが今やアニメ大国になっている。


男が旨そうに飲んでいた英国産のリンゴ酒(Cider)が何故か気になった。ビールより高価でアルコールも7.4%と高かったからだ。後で飲んでみたが、ノルマンジーの素味と違ってコクがあり大変美味しかった。おかげでまたレパートリーが増えた。