Thursday 29 January 2015

アウシュビッツの解放70年

今年は第2次大戦が終わって70年になる。ヒトで云えば生涯が終わろうとする時間だ。早くも1月27日がアウシュビッツが解放された日としてニュースになっている。その中で当時16歳の老婆の証言は痛々しかった。両親がガス室に送られた後、メンゲル医師の前でバレリーナだった少女はバレーを踊らせられたという。それが縁で奇跡的と生き残った。「ドアから入り煙突から出て行く」と称された彼の地、折しも寒いこの季節は想像を絶する。

思えば今から20年程前だったか、アウシュビッツを訪れたことがある。まだベルリンの壁が崩れて間もない頃、ポーランドの空港には張り詰めた雰囲気が残っていた。ワルシャワから田舎道を車を走らせること数時間、辿りついたアウシュビッツは写真の通りの完璧な姿で残っていた。

特にその凄さは、看守が分類した鞄、靴、眼鏡、髪の毛等々が綺麗にガラスケースに山積みにされていた事だった。ドイツ人の極めて几帳面な性格を反映していたこともリアルだった。そして何より犠牲者の写真が一人一人額に掛けてあり、訪問者に何かを訴えているようで怖かった。色々な場所を訪れたが、その迫力に気持ち悪くなり戻しそうになった記憶がある。

Tuesday 27 January 2015

駅伝のタスキ騒動

今年の都道府県駅伝で、愛知の選手がタスキを投げて失格になった。第一走者の高校生がゴール手前で脱水状態になり朦朧とする中、あと数センチでタスキが渡せなかった。その後、愛知チームは、箱根駅伝で活躍した青学の神野の力走で大きく挽回したが、結局幻のレースになってしまった。

駅伝は日本が発祥の地という。その起源は知らないが、たまたま読んでいる「ペリー提督、日本遠征記」の中にそれに近い話が載っていた。それは郵便夫の話である。ペリーは日本の歴史のみならず、金属、木材、医学等々詳しく調べていたが、配達も記していた。「郵便夫は二人一組で全力で走り、自分達の区間の外れまで来ると次の郵便夫が待ち構えており、近寄るやいなや郵便物を投げ渡し・・・」という件である。

所詮タスキは渡ればいい。今回はどう考えても失速した高校生が可哀相だ。ルールの原点回帰が望まれる。


Sunday 25 January 2015

ヒトも冬眠する

先日テレビの仰天ニュースで、アメリカ人の男が2か月も冬眠した番組があった。仕事も上手く行かず、世間が嫌になって冬山に逃げて来た男が、1週間経ってそろそろ食べ物が無くなったので麓に戻ろうとした。ところが車のエンジンが掛からず、仕方なく車の中で雪を凌ぐことにした。ドンドン体温が下がりやがて意識を失ってしまう。そして2か月経った時発見されるのだが、何と彼は生きていたという話だ。

 

雪国に暮らすと外は寒くて暗い、人も居ない。そう思うと自然に家から出たくなくなり、ベットの上が世の中で一番快い場所と脳が思ってしまう。すると寝ても寝ても起きたくない状態がやってくる。それが冬眠である。決して熟睡する訳ではないが、只管ダラダラと昏睡状態が続くのである。日によっては20時間近くも寝れる時があるから驚く。
 
この前、氷の張った池でジッとしている鯉を見て、「寝ているんだよ!」と友人に言ったことがある。すると「良く分かるね?」と驚かれた。人間でも冬眠することを知ってから、やけにその世界に詳しくなった。

Friday 23 January 2015

WTC爆破犯人の息子

ISに日本人2人が拘束され緊張が続いている。拘束されたジャーナリストのお母さんがマスコミに出てきて、必死に息子の釈放を訴えている。事件は親兄弟など家族を巻き込む。

今日のル・ポアン誌に1993年に起きたワールドトレードセンター(WTC)の爆破犯人の息子の話が出ていた。彼はZak Ebrahimという31歳のアメリカ系エジプト人である。9歳の時に事件は起きたが、子供の時は周囲から疎外されていた。ただ次第に宗教と距離を置くようになり、15歳を過ぎた頃やっと物事を客観的に見れるようになった。そして今回「テロリストの息子(Un Fils de Terroriste)」という本を出したという。

凶悪犯のみならず、小保方さんや芸能人のように有名人にも必ず家族がいる。大変なのは本人だけでない。むしろ普通の生活をしている家族が大変だ。今回の何気ない記事にふとそんなことを思った。

Thursday 22 January 2015

冬の高尾

1年ぶりに冬の高尾を訪れた。都心から少し離れただけで、2-3度は体感温度が下がる。それでも今年はまだ雪は降らないというから、寒さはまだまだなのだろうか。

今日のお目当てはうかい竹亭である。都心から1時間の地にあって、美しい日本庭園を眺めながらゆっくり食事出来るお気に入りの場所である。和服の賄いさんから丁寧に料理の説明がある。雨に打たれた水車と苔の緑も風情がある。熱燗に浸りながら、暫し都会の喧噪を忘れさせてくれる。背筋が伸び日本人のDNAが呼び戻されるのか、傍らに日本刀を携えているような錯覚になる。

少し飲み足りなかったので、高尾山口の蕎麦や高橋家に寄ってみた。平日だと言うのに年配客が多い。地酒の高尾山とせいろ蕎麦を嗜む。蕎麦に腰があるとはこの事か!と思える歯ごたえは感動ものであった。この季節、冷たい水で清めたこそ生まれた食感だった。

Wednesday 21 January 2015

Nadal and Smyczek match

Australian tennis open 2015 has begun. Federer(2) and Nishikori(5) advanced for 2nd round smoothly. Today there was a match of Nadal(3). The partner was unknown Smyczek.

Nadal is super star won 14 Grand Slam singles titles. But his physical condition was not a good this evening. On the contrary, Smyczek was cool and fired strong shots. I might have thought  Smyczek won the match.

The game ran into the final set and score became 5-4 with Nadal's leading. When Nadal made the first service, one of the audience shouted so he made a fault. Then Smyczek asked a judge to make Nadal's first service again. It was incredible thing that happend for a professional player as Smyczek gave up his limited chance. Nadal finally won the match and Smyczek lost. When the game was over, Nadal celebrated Smyczek`s spirit using the word "gentleman". But Smyczek was too gentle.

Tuesday 20 January 2015

中国人の風刺マンガ

Charlie Hebdoの事件が覚める間もなく、今度は同じフランスのFluide Glacial誌が、”危ない黄色人、既に時遅し"と称した風刺画を載せた。パリの市内を出っ歯の中国人がフランス人の牽く人力車に乗っている。隣にはブロンズの女性が座り、肩に手を掛けられている。

中国は行き過ぎた冗談に気を悪くするというタイトルもあり、流石下品だと言うコメントも付いていた。ただ一方でイスラムなどの外国人が欧州文化で同化できないイライラもあるようだ。昔パリの路上でお金をせがまれたことがあった。「ノン!」と断ると、乞食は「中国人、エゴイスト!」と捨て台詞を吐いて立ち去った。目が細く吊り上がっているのは皆アジア人で、自身も中国人と思われた。その時、つくづく貧しい者に施しを与えるキリスト文化との違いを感じたものだった。

今回もそうした些細な日常が背景にあるのかも知れない。昔から中国人と話していても詰まらないと感じる。それは本音を語らないからだが、語りたくても語れない社会は百も承知である。一方で面白過ぎるのは西洋だ。その二つを一気に時間を飛び越え同化されるのは中々難しい。

Monday 19 January 2015

Sea gull at Ube

At the end of last year, I went to Ube city where was a west part of Honshu Island. Ube was a industrial city that had nothing for historical monument, touristique natural environment. 

I had plenty time at Ube airport as next flight to Tokyo would leave 3 hours later. So I asked information desk how I spent 3 hours. Young lady told me that there was a small hot spring nearby. I followed her advice and took a taxi to go immediately. However it took 30 minutes and hot spring was closed. I was shocked very much.

The owner of hot spring had pity on me and suggested to bring me back to the airport by his car. I accepted his kindness. On the way back to the airport, he dropped me the most famous spot of Ube city that was a park with pond. There was no visitors in the cold season except sea gulls.

Saturday 17 January 2015

梅崎春生の小説「桜島」

桜島の海軍格納庫を訪ねた。沖縄が落ち、本土上陸が迫る中、錦江湾に入って来たアメリカ艦隊を魚雷で襲撃する基地跡だった。今では入り口が塞がれ、中は見ることが出来ないが、末期的な状況が伝わって来た。

その基地に暗号係として勤務していたのが、戦後「桜島」を書いた梅崎春生だった。それを桜島ビジターセンターで教えてもらった。早速本を取り寄せて読んでみた。東大を出て29歳で徴兵された作者は、竹槍の軍隊生活に欺瞞を持ちつつ終戦を迎えた。

桜島に来る前には、坊津にいたと知り驚いた。坊津は鹿児島南端の枕埼近くの入江の漁村だ。閑散としているが、007の映画「007は2度死ぬ」のロケ地になった場所として記念碑が建っている。そのことは先日のブログに書いたばかりだった。当時ボートの特攻兵器、震洋の訓練基地があったという。梅崎はそこで軍隊の苦汁を舐めたらしい。

パリのアラブ街

今回のCharlie Hebdo襲撃事件で、犯人の兄弟が住んでいたのがBellevilleという町だった。Bellevilleはアフリカ、アラブの移民街である。「美しい街」の意味とは裏腹に、その19区は永年パリに住んでいても、まず足を踏み入れることを躊躇う地域だ。日本のマスコミでは事件の背景にその経済格差を取り上げるが、現地では言わずもがなの感がある。フランスは人権の平等は保証するが、経済に平等感はない。

パリは21区ある。エッフェル塔やオルセー美術館のある7区と、ローランギャロスや粋なブティックが立ち並ぶ16区は高級住宅として人気が高い。ノートルダム寺院やコンコルド広場のある1~4区もいいが、真ん中だけに生活には不便だ。一方ムーランルージュのある18区、チャイナタウンのある13区などは少し格が落ちる。総じて西が高級で東が庶民的である。これは東京、NY、ロンドンなど都市に共通する現象だ。

階級社会のフランスにあって、教育やコネもないアフリカ、アラブ移民が付ける職業は限られている。人目に触れるレストランやホテルのボーイは難しいので、裏方の皿洗い、道路掃除、工事現場の類だ。それでも本国で暮らすことを考えれば天国だ。多くの移民は±プラスで生きている。

Thursday 15 January 2015

Charlie Hebdoの襲撃事件

シャルリ・エブド(Charlie Hebdo)襲撃はとてもショッキングな事件だった。白昼に新聞社が襲われ多くの記者が命を落とした。それだけでなく、有史以来続いているキリスト教とイスラムの対峙を、一番上手く融合していたパリで起きたことだった。それを何より感じたのは他ならぬフランス人だった。だから300万人を超える、しかも大統領はじめ多くの各国首脳がスクラムデモを組んだ。

シャルリ・エブド誌は昨日事件後の第一号として発刊した。その表紙はJe suis Charlie(私はシャルリ)で、Tout est pardonné(全てが許される)と書かれていた。その意味を巡って色々な解釈が成されているが、とある記事に共鳴した。その意味するところは、私は政教分離主義者(Je suis laicil)ということだった。これは当たっていると思った。ただ一方、「全てが許される」に至っては謎だ。罪を許すというキリスト的な意味から、出版の自由を指しているとも云う人もいた。

日本でも馴染みのビゴーの風刺画など、フランスには昔から漫画文化に長けていた。冒険家タンタンはその代表だ。その素地は非好戦的な国民性である。戦うよりも、美食、ファッション、延いては愛に生きることこそが本道と思っている。だから描いた漫画は滑稽に見えるし、他人事のように捉える。私なりに解釈すれば、コラムの気持ちは、Je suis français (私はフランス人)なのだろう。

Wednesday 14 January 2015

鹿児島の温泉と焼酎

鹿児島は日本の中でも、最も旅のし甲斐がある県だ。何といっても温泉が多い。有名な霧島、指宿だけでなく、車を走らせれば至る所に温泉に出くわす。勿論泊まる宿はどこも温泉付きだ。当然朝晩入るので、とても昼の立ち寄り湯まで入る気がしない。

温泉の数に匹敵するのは焼酎蔵の数だ。これも至る所にある。遂々立ち寄り、試飲しては買ってしまう。今は2本ほど買えば無料で送って貰えるので有難い。夜は当然焼酎の飲み比べが始まる。水と空気が違うせいか、流石本場で飲む味は別格だ。その酒の肴はきびなご、カツオのたたき、黒豚の蒸籠蒸し、地鶏・・・中でも揚げ立ての薩摩揚げはここならではである。

そして自然も豊かだ。出水の畑では、一万羽を超える鶴が畑で羽を休めていた。世界一の鶴の渡来地で、マナヅルに至っては世界の6500羽の内半分がここで冬を越すと言う。美しい南対馬の海岸線を見ながら、旅の実感を楽しんだ。

Tuesday 13 January 2015

ビゴーの風刺画

旅の途中で読んだ清水勲著「ビゴーが見た明治ニッポン」は面白かった。ビゴー(Georges Ferdinand Bigot)は明治初頭に日本に来たジャーナリストだった。17年に渡り、漫画で当時の日本をフランスに伝えた。カメラが普及していなかった時代、その目線描写は今見ても面白いものがある。

例えば靴である。一気に文明開化した日本人は挙って丁髷を切り、和服から洋風に衣替えした。一見西洋化したように見えたが、一番苦痛だったのは靴だった。今でもレストランやオフィスでこっそり靴を脱ぎリラックスしている人は多いが、当時はもっといた。それを見付けたのはビゴーだった。また混浴や女性が胸を出すのが恥ずかしいと思わなかった文化もあった。家で威張る男が公娼女とは微妙な関係になる。中々外からでないと気が付かない日本を残していた。

先週はパリで風刺画の新聞社が襲撃された。驚いたのは早速大統領や各国の首脳始め300万人を超える人がデモを行ったことだ。宗教、フランスの自由も沙流ことながら、フランスの風刺画に秘める人々の思いは想像以上のものがあった。当時もビゴーは皮肉って面白可笑しく日本人を描いていた。ただその滑稽さこそがフランス人のような気もした。今回の事件の本質もそういう観点から暫し考えてみたい。

Monday 12 January 2015

出水の海軍司令部

知覧、鹿屋、出水、万世、桜島・・・、南九州を旅すると未だ多くの戦地跡が残っている。知覧、万世は陸軍、鹿屋、出水は海軍、何れも航空機の滑走路を持っていた場所だ。今では農地や住宅地になっているが、微かに当時の痕跡が残っている。目を閉じれば滑走路や兵舎の風景が蘇ってくる。陸軍はドイツから技術輸入した空冷エンジンの飛燕、一方海軍は三菱のゼロ戦・・・どちらも競うように配置されていた。

戦争の様相が変わったのは特攻だった。陸軍1000機の特攻の内、半分は知覧から飛んで行ったという。知覧の歴史館に行くと、特攻は昭和20年(1945年)4月以降と記されたいた。後4か月待っていれば、若い命が救われたかも知れない。一方で、彼らの志があったころこそ戦争が終わったのだという複雑な気持ちも残った。

知覧、万世は戦後に有志が立派な場所を作った。その為遺書や引き揚げられた戦闘機が展示されていた。ただ出水は海軍司令部跡だけがひっそり残っていた。外は小高いが、地下の司令部は中々分かり難い場所だった。本物は不思議とDNAを呼び戻す。当時をもっと残して置いて欲しかった。


Sunday 11 January 2015

007 You Only Live Twice

I visited the location spot for 007 movie “ You Only Live Twice”. It was a film in 1964 a year of Tokyo Olympic. It locates at Kagoshima of South Kyushu where is very isolated fishing village. It is now famous for bonito fishing port. Prior to the filming, they said the staff hired a helicopter to look for the typical Japanese fishing village from the sky and found a very beautiful area.
 
It was only 007 movie that was taken in Japan before and after. Sean Connery and actress Hama Mie were so beautiful and flash! There were explosion of base under the big lake and Ninja training scean.

Japanese title of the movie was “ You Die Twice(007は2度死ぬ)”   It was a little bit different from the original title. How this miss translation to come? Iran Fleming adopted original sentence from poet Mastuo Basho that a man recognize his living when he was born and in the face of death. So the meaning would be you realize your living just before you die.James Bond is still alive. He only lives thrice.

Sunday 4 January 2015

心の旅路(Random Harvest)

年の瀬、TVで記憶を無くした男の話を放送していた。50代の彼は自分が誰だか分からない。でも子供時代の記憶は鮮明だ。通った小学校や住んでいた街に行くと、はっきり覚えている。

人と話していると、「あれあれ・・・」が多くなった。会った人の名前、行った場所の固有名詞が出てこないからだ。誰しも若い頃の記憶は残っているが、昨日のことは直ぐに忘れてしまう。それが老いというものだ。それが酷くなると、痴呆やアルツハイマーの病気になる。10年程前に「明日の記憶」という映画があった。渡辺謙と樋口可南子が夫妻を演じ、50歳を過ぎたサラリーマンの記憶が薄れるストーリーだった。食堂で戻るはずの自分の席を、取引先に行ったつもりが、ふとどこに向かっているのか忘れてしまう。何気ない日常に、とても他人事とは思えない迫力があった。

一方、記憶を取り戻す映画もある。好きなのは、何といっても「心の旅路(原題:Random Harvest)」である。記憶を無くした士官を助けた踊り子が男を支える。彼が記憶を取り戻し大会社の社長になると、秘書になって献身的に記憶が回復するのを待ち続ける。最後はひょんなことから記憶が蘇り、妻である彼女を思い出してハッピーエンドを迎える。記憶を無くすのは家族にとって辛いだけに、蘇る感動も大きくて、何度見ても涙してしまう。

Saturday 3 January 2015

ヒットラーとHフォード

2015年が明けた。元旦は寝坊した。何気なくTVを点けるとポーランドの強制収容所発掘のドキュメンタリーをやっていた。新年にしてはあまり相応しくない番組とは思いつつ、遂々見入ってしまう。すると今度はヒットラーと第2次対戦が始まった。フランスデュー(France2)が作っただけあり、中々良く出来ていた。

面白かったのはヒットラーの支持者だった。例えばミュンヘン一揆で投獄された時に「我が闘争(Mein Kampf)」を書いたことは有名だが、その紙を提供したのはワーグナーの娘だった。またヒットラーは反ユダヤ主義(Anti-Semitism)で有名だが、その賛同者だったヘンリー・フォードから多額の資金提供があり、ナチスは彼に最初のドイツ鷲十字勲章(Grand Cross of the German Eagle)を贈った。その後のアメリカを考えると想像も出来ないが、そんな時代があった。

この冬休みに入る前に、本屋でジョン・ピムロット著「地図で読む世界の歴史、第2次世界大戦(The Histrical Atlas of WWII)」を買って来た。秘かに部屋に籠り、歴史の検証をやっていた矢先だったので、尚更タイミングが良かった。