Friday 30 July 2021

Tokyo 2020考

東京オリンピックが始まって一週間が経った。阿部兄妹や大野翔平の柔道、女子ソフトボールなど、連日のメダル奪取で盛り上がっている。特に阿部兄選手が、「勝つことだけ考えていたので、緊張なんかしませんでした!」と試合後のインタビューで語っていたが印象的だった。正に集中とはそういう事か!と思った。一方で心配されたコロナ感染者が連日増え続けているし、多くのケチが付いて人の名誉も傷付けられた。森会長やIOCの竹田さん始め、エンブレムの佐野氏、音楽の小山田氏、クリエイティブの佐々木氏など、特にホロコーストを比喩した小林氏は最悪だったが、彼らの人生も大きく変わったのは確かだ。そんな不安と失態の中だから喜びもつかの間である。

そもそも無観客試合になった時点で、オリンピックが何か他人事になってしまったのは否めない。折角苦労して手に入れたチケットだが、待っていた期間が長かった分ガッカリ度も大きかった。誰もいない会場でプレイする選手も見ていて気の毒である。声援無しでは元気も出ないだろうし、本戦の前にバブルの中で孤独との戦いがある。又この日のために準備してきた大会関係者も本当に可愛そうだ。新しい有明コートのスタンドや立派な霞が関CCのギャラリー席などを見るにつけ、つくづく空しい気持ちになってくる。今から言っても仕方ないが、やはり去年に予定通り開いておけば良かった! 

オリンピックは夢の舞台が華やかなだけに、その反動や特に終わってからの後始末が大変だ。多額の費用負担や施設の再利用はどうなるのだろう?旅をしていると、昔のオリンピック会場跡地に出くわす事がよくあるが、それはオリンピックの陰を語っている。例えば1984年のサラエボ、その後の内戦で今では銃弾の跡ばかりが残る残骸だった。1994年のノルウェーのリリーハンメルは過疎地のようだったし、1992年のバルセロナも丘の上に使われなくなった施設が放置されていた。2000年のシドニーは綺麗なスポーツ町として再生されてはいたが、都心から車で一時間の場所は不便で住んでいる人も疎らだった。東京2020もゲームが終わると直ぐにその問題が出て来る。

Monday 26 July 2021

ボブ・ラングレーの山岳小説

往年の名画「黄色いリボン」は、騎兵隊を華やかに描いている。ジョン・ウェン演じる大尉や、ジョアン・ドルー演じる後任の中尉のフィアンセなど、何ともバランスが良く何度見ても飽きない作品である。大尉が最後の仕事を終え去って行く途中、功績が認められ少佐として呼び戻されるオチもいい。一度終わった人生に再登板の声が掛かるのは、サラリーマンなら誰しも共感を呼ぶシーンである。 

こちらも古い本だが、ボブ・ラングレーの小説「オータム・タイガー(Autumn Tiger)」も、そんな退任を目の前にした男がもう一仕事する話である。アメリカの情報局に勤務する主人公は、ある時若い頃に関係した敵のスパイが亡命する作戦に駆り出される。時は第二次大戦の末期、ソ連が英米のベルリン侵攻を邪魔する陽動作戦を立て、アメリカに移送されるドイツ軍捕虜の中にスパイを送り込んだのであった。主人公は最後に昔のスパイの素顔に触れるのであるが、その大胆な発想と壮大な仕掛けに驚かされるのである。それにしても数十年前の過去と向かい合う晩年の出会いは、中々重みがある。

ボブ・ラングレーは有名な山岳小説「北壁の死闘(Traverse of The Gods)」も去る事ながら、最近読んだ「ブリザードの死闘(Avenge The Belgrano)」も素晴らしかった。前者が第二次大戦下のドイツ科学者の救出なら、後者はスコットランドを舞台にしたフォークランド紛争を題材にしている。どちらも岩山での逃避行はスリル満点で、普段ご縁がないアルゼンチン人の国民性にも触れる事が出来た。これから「ランニング・フォックス秘密指令(The War of The Running Fox)」も読んでみようと思っている。

Friday 16 July 2021

9日で作った野口ワクチン

オリンピックが始まろうとしている。日増しに高まる期待と不安だが、日本製ワクチンはいつになったら出来るのだろう?そんな中、福島旅行のご縁で野口英世の逸話を知った。彼はアフリカの活躍が有名だが、実は南米エクアドルの黄熱病で開発した野口ワクチンの方がよっぽど貢献度が高かった事が分かった。ロックフェラー財団に勤めていた42歳の時、エクアドル政府に招聘されわずか9日でワクチンを開発し、黄熱病の猛威を絶ったという。その時政府から贈呈された名誉大佐の軍服が記念館に飾られていた。100年前に僅か9日でしかも一人で出来た技に、今の医療の不甲斐なさを痛感したのであった。

野口英世は黄熱病も沙流事ながら、梅毒病のスピロヘータの純粋培養にも始めて成功したという。当時の欧米ではこちらの方で病んでいた人が多く、シューマン、シューベルト、スメタナ、ハイネ、ニーチェ、マネ、ボーボワール、ゴーギャンなども罹っていたようだ。何度もノーベル賞候補になった訳も頷けた。また農家の出で大学も出ていない彼が医師試験には合格したが、どうしてアメリカの研究所に行けたのか疑問が残った。記念館ではその説明がなかったが、その理由も後で分かった。それ結婚する気もなかった婚約者から貰った持参金を渡航費に充てたのであった。彼が名を馳せてからパトロンが清算したオチも付いて、当時の様子が伝わってくる裏話だった。  

野口英世というと、今まで1000円札の都市伝説しか関心がなかった。確かに1000円札の顔は右と左では全く別人のようだし、裏から透かして見ると富士山頂に目が重なり、それは1㌦紙幣のプロビデンスの目のデザインと似ていた。ロックフェラーもネオコンの元凶だし、強ち無関係ではないと思う。しかしこうして少し彼の研究者としての姿勢を知るにつけ、あの大きな目は毎日顕微鏡を覗き続けたせいかも知れないと思えて来た。直に触れると少し見方も変わってくる。

Monday 12 July 2021

神様助けて!

何の本だか忘れたが、百田直樹氏が書いた急を要するトイレの話があった。催してから我慢を重ねトイレに駆け込むが、ズボンのチャックの先にボタンが2つもある事が災いして、最後の瞬間で間に合わなかったという失敗談である。氏の筆に掛ると、正に抱腹絶倒の文章になり噴出してしまった。誰でも同じような思いをした人は多いと思うが、私も先日ヒア汗をかいた。

それはゴルフ場での出来事だった。前日の胃の健診でバリウムを飲んだ事から事件は始まった。下剤の液体と錠剤を呑んで翌朝を迎えたが、クスリの効果が出ないので更に錠剤を呑んだ。つまり4錠という事になり、それがそもそもの間違いだった。スタートして4番ホールに差し掛かった時だったか、突然お腹の調子に異常を来し始めた。いても経ってもいられなくなり目の前が真っ暗になってきた。もしここで粗相をすれば大変な事になってしまう!二度とこのゴルフ場には来れないし、同伴していた友人ともお別れだ。幸い4番ホールと5番ホールの間に茶店があった。それは今から思えば奇跡的な幸運で、間一髪駆け込んで事なきを得た。その時は久しぶりに神様に祈った。普段はご無沙汰していた神様だったが耳を傾けてくれた。終わってから思わず「神様有難うございました!」の言葉が口を突いた。

その神様はキリストでも仏様でもなかった。映画「ダ・ビンチ・コード」で、トム・ハンクス演じるラングドン博士も同じような体験を語っていた。それは子供の頃に井戸に落ちた話で、溺れる暗闇の中でただがむしゃらに「神様助けて!」と叫んだという。キリストが実在したかどうかは別にして、誰しも心の中に神が住んでいるのかも知れない。やや次元は低かったが、そんな事と重ねた今回の事件だった。

Saturday 10 July 2021

フィクションの会津

先日福島に行った帰り、会津若松に寄った。NHKの「八重の桜」に感化された訳ではないが、戊辰戦争のメッカに一度行ってみたかった。実際に行ってみると、余りにも観光チックなフィクションに驚いた。例えば白虎隊である。多くの少年武士が忠義を尽くして殉死したと思っていたが、実は総勢343名の内、戦死・自刃はたった53人であった。つまり290名は生き延びたのであった。ところが現地では、特に自刃した20名の墓と自刃場所が観光スポットになっていて、全く違う印象を持つのであった。 

武家屋敷もそうだった。家臣の西郷頼母という屋敷を再建し、大型の観光バスの停まれる程のこちらも観光スポットである。ただ立派な屋敷も去る事ながら、ここで驚かされたのは頼母の妻と子供5人を含む12名の婦女の自害であった。戦局の不利を悟り、白装束に身を包み辞世の句を最後に幼子を突く母親の人形姿が痛ましかった。ところが主人の頼母と長男はその前に会津を脱出し、明治維新後も生き続けたのであった。これは男として武士としてもとんでもない話である。それにも拘わらず、武家屋敷ではその事に全く触れていないのであった。

そもそも藩主の松平容保もよく分からない人だった。幕末に京都守護職を拝命し新選組と一緒になって幕府を守ろうとしたが、鳥羽・伏見の戦いが始まると、最後の将軍徳川慶喜と共に大阪城から船で江戸に逃げ帰ってしまった。家臣は夜が明けると大将がいない事にビックリ、その敵前逃亡が切っ掛けで藩主を一時クビになった。その後の会津の戦いでも、籠城を続けた挙句、最後は降伏して城を明け渡している。外では多くの会津藩士が血を流している最中、家臣からも「腹を切れば収まる」と進言されたのを拒絶したという。維新後も日光の宮司で余生を送るなど、凡そ武士たらん人だった。 

会津の住民は維新後に斗南(となみ)藩という名で、約17000人が下北半島に強制移住させられた。いわば流刑であった。という事は、今の会津の人は外から来た人なのだろうか?フィクションの歴史を平気で受け入れる感覚はその為だろうか?と思ってしまう。

Tuesday 6 July 2021

背乗りのミステリー

災害や事故がある度に思う事がある。兎角被害に関心が奪われがちの我々だが、人の不幸に付け込む悪い輩もいる。特に人が入れ替わる「成り済まし」の絶好の機会である。マネーロンダリングならぬヒューマンロンダリングには気を付けたい。

松本清張の「砂の器」は天才音楽家の過去を追うサスペンスであった。刑事が次第に核心に迫っていく展開はスリルがあり、小説と映画の両方で楽しんだ。主人公の親はライ病を患っていたので、子供の頃は親子で全国を行脚する乞食であった。そんな彼にチャンスが訪れたのは、戦時中の空襲であった。ある町役場が火事で燃え戸籍が全焼した。そのドサクサに紛れて死んだ他人に成り済まし、過去を清算する事に成功するのであった。最近では阿部寛と松島奈々子演じる「祈りの幕が下りる時」もあった。幼い娘が誤って男を殺してしまうが、彼女の父親がその男に成り済まして姿を消す物語であった。長い間隠し通せたのは、福島の原発処理という特殊な生活環境だった事が幸いした。古くは水上勉の「飢餓海峡」もあった。こちらは青函連絡船の事故に乗じて殺人を隠ぺいする男の物語であった。三国廉太郎主演の受刑者とそれを追う刑事役の伴淳三郎、男を慕う左幸子の演技が渋かった。

そう言えば、慰安婦問題を取り上げた朝日新聞の吉田清治という記者がいた。百田直樹氏の「今こそ韓国に謝ろう」の中で、彼の履歴を追うと学校の在籍記録がなく死亡届もあったという。そのミステリーを解いて行くうちに、隣国のスパイが使う成り済まし、専門用語では背乗り(はいのり)ではないか?と疑っていた。ここまで来るとかなり手が込んでいる。

Sunday 4 July 2021

ベアリングの倒産

佐藤優の「国家の罠」という本がある。鈴木宗男の外務省事件を巡り、検察の取り調べを事細かに綴った一冊だったが、その正確な記憶力に感心した。静かな独房だと記憶が研ぎ澄まされるのだろうか、有名なヒットラーの「我が闘争」始め、セルバンテスの「ドンキホーテ」や古くはマルコポーロの「東方見聞録」もやはり獄中で執筆されたという。

金融事件を扱った「私がベアリング銀行をつぶした(原題:Rouge Trader)」も獄中で書かれた本だった。著者は犯人のニック・リーソンである。その道の人なら忘れもしない名前である彼はシンガポールのトレーダーで、一人で8億ポンドの損失を出し200年以上続いた名門のマーチャントバンクを倒産に導いた男である。改めて本を読でみると、その手口や巨大なロスが生まれた経緯が良く分かる。一つは架空取引口座を作りロスを隠した事だ。その架空取引口座が無ければロスはここまで膨らまなかった。口座番号が88888と言っていたが、8はシンガポールの華僑が好む縁起のいい番号なのに裏目に出た。2つ目は日本のバブル崩壊後の長期的な下げ局面で買いを続けた事だった。特に倒産した1995年は、阪神淡路大震災で下げ幅が大きくなった時期に重なった。3つ目は監査の甘さである。何度も救済のチャンスがあったのに、内外の監査人はそれに気が付いても騙された。 

捕まったニック・リーソンはその後どうしているかと思っていたら、6年の刑期を終えてからアイルランドのフットボールチームのCEOになったというから驚いた。被害者が大勢いる中でよく陽が当たる人生を送れると不思議に思えた。ただベアリングは仮にこの事件がなくても、他のマーチャントバンク同様いずれはインベストメントバンクに吸収されていただろう。損失は当時の為替レートで1600億円で、日本の銀行の資本金が軽く兆円を超える規模からすると小さな資本金だったからだ。そんなその後の流れが、世間をして彼を許容したのかも知れない。

Friday 2 July 2021

数奇な犬の人生

一カ月ほど前に福島県のブリーダーから連絡があり、子犬が生まれたというので見に行った。10年前の震災から初めての福島訪問である。生まれた子犬は先日死んだ愛犬の孫に当たる。一度に父方と母方の両方が生まれ、残った二匹の中から母方の方に決めた。死んだ愛犬の兄弟とその甥、つまり今回生まれた子犬の親にも巡り会った。確かに良く似ていて、持参した愛犬の写真と見比べながら、故人ならぬ故犬を語り合った。

ブリーダーさんも10年前に手放した犬の写真を見ながら、しみじみと「この子もいい人生を送った事が分かりました」と言ってくれた。話している内に、愛犬がどうして我が家にやって来たのか、その謎も解けてきた。愛犬が生まれたのは東北大震災の直後だった。当時の福島は混乱を来たし、福島産というだけで風評が立った。子犬も例外ではなく、そのため全国のブリーダーに手分けして引き取ってもらったという。その中の一匹が群馬のブリーダーを介して我が家に来た訳で、引き取り手が無かったのだろうかタダ同然だった。それにしても福島の山奥から群馬を経て東京に、そして又こうして福島に戻ってくる数奇な運命に、久々に人様のご縁を感じたのである。 

帰り道、お腹が空いたので須賀川という町で食事する事にした。偶然入ったのは「かまや食堂」というラーメン屋だったが、この醤油ベースの味が素晴らしく大感動した。そう言えば、前の晩に飲んだ廣戸川という酒もここが産地であった。喜多方や白河など福島県のラーメンは有名だが、その質の高さに改めて地方の食文化の奥深さにも触れたのであった。