Wednesday 30 November 2016

Good Music, Good Life!

その大船でコーヒーショップに入った。スタバは良く使うが、こじんまりしていた静かな喫茶店で過ごすのは久々だ。木目基調のセンスいい店構えで、暫しクラシックの三重奏に聞き入ってしまった。

思わず、「これ、何ていう曲ですか?」と店主に聞いた。しかし「いやー何でしょうね?インターネットラジオですから・・・」という返事が返ってきた。それで遅ればせながら、初めてインターネット云々を知った。今更と思うかもしれないが、余計な解説がない音楽環境は、とてもすっきりしていた。

昔住んでいたシンガポールでも、部屋に始終流れていたのがこの手の番組だ。その時は多分有線だったが、いつも最後にGood Music, Good Life!で終わった。それは上質なソファーに体が吸い込まれていくような快適さであった。すっかり忘れていた音楽だが、時間を豊かにしてくれる。

Tuesday 29 November 2016

大船のかんのん食堂

先日、大船の駅に降りた。駅からほど近い処に、有名な「かんのん食堂」があるというので寄ってみた。隣の魚屋から仕入れる活きのいい魚が美味いという。早速、シマアジの刺身とキスの天ぷらを頼む。酒は地元茅ケ崎の「青天」である。如何にも湘南らしい酒だった。升から零れて皿に溢れ、2合近くはあっただろうか、酒飲みの心を擽る計らいが難い。2杯目はこれまた静岡の「臥龍梅」である。これは非常に美味かった。夕方になると、年配のハイカーで一杯になった。どうやら近くの小山をハイキングして、降りて来たらしい。それにしても随分遠くに来た感覚にさせる雰囲気があった。

酒を飲んでいるうちに、初めてと思っていた大船だったが、「待てよ、昔来たことがあったな?」と記憶が蘇ってきた。それはあまりいい思い出ではなかった。若い頃、とある人を送ってから東京に戻ろうとすると既に終電になっていた。駅のベンチで一夜を過ごそうと思ったが、それも何かと泊まる場所を探し歩いた。ところがどこも一杯で、何故か唯一空いていたのがラブホテル風の処だった。一人だったからだろうか、係りの人から「朝に開けますから」と言われ、外から鍵を掛けられた。結局、朝になり逃げるように帰った・・・。

そんな事を思い出していると、折角の美酒も段々味が苦くなってきた。

Saturday 26 November 2016

カストロとキューバ危機

キューバのカストロ元首相が亡くなった。冷戦時代を含め、20世紀の歴史証人みたいな人だった。先日、アメリカとの国交が回復して本当に良かった。あのままだったら、共産主義の化石になっていただろう。

思い出すのは何と言ってもあのキューバ危機である。ソ連の核弾頭をキューバに配備し、核戦争が一触即発であった。彼がOKを出していたら、アメリカの首都は勿論、今のキューバもなかっただろう。

当時のアメリカ大統領はJ.F.ケネディーである。そのケネディーが暫くして暗殺された。犯人はオズワルドと言われているが、流石今では信じる人は皆無である。いくつかの仮説の中にカストロ主犯説もあった。キューバ革命を阻止しようと、CIAが暗躍した反目である。しかしそれも今となってはおかしな話である。何年か前にダラスの暗殺現場を訪れた時、それを肌で実感した。色々あるかも知れないが、世界を救った彼は偉かった!と思いたい。

Friday 25 November 2016

つるフサの法則

何年振りになるだろうが、久々に週刊誌を買った。昔は飲んで帰ると、良く電車の中で読んだものだ。仕事から解放され、頭を使わないで楽しめたからだろうか?今から思えば一種のルーチンだったが、すっかり過去のものになってしまった。

その週刊誌、今回は週刊ポストである。相変わらずエッチな路線は昔と変わらない。サラリーマンも世代交代しているので、こんなセンスでは今に合っているのだろうかと心配になる。ページをパラパラと捲り、それでも「ジンクスの大研究」の特集は中々面白かった。

例えば景気が良くなるとスカートの丈が短くなることは良く知られているが、「ビストロSMAP」に出演すると総理になれたり、タモリと共演すると女子アナのゲン担ぎになるという。確かに米大統領選の後は円安だ。政治では韓国では末期の大統領が外遊に出ると大事件が起きたり、専制国家(ナチ、ソ連、ユーゴ)がオリンピックを開催すると10年以内に体制が崩壊したとか、で中国はどう・・・?だったり。取り分け、ソ連の「つるフサ」の法則には面白かった。レーニン以降、指導者は禿と禿でない人が交互になっている。

Wednesday 23 November 2016

初冬の上諏訪

今年も上諏訪を訪れた。初冬のどんよりとした空は何となく気が重くなる。それでも紅葉の季節、過ぎ行く秋を惜しむように最後の華を咲かせている。

例によって温泉に寄る。今回は駅の案内所で紹介してもらった浜の湯にした。大きな旅館で、何年か前に日本の温泉100選に選ばれただけあって、大きな湯船は中々良かった。まだ陽が高いので人も疎らで静かだ。源泉かけ流しの贅沢な水音だけが聞こえて来る。暫し目を閉じ、喧騒を忘れ自然に浸る。

すっかり寛いだ処で、地元の真澄を呑む。ここの空気と良くマッチして、何とも言えぬ甘い味わいである。つまみには馬刺しを頼む。決して美味いとは言えないが、ここならではの雰囲気がある。店の人から、「来週には雪が降ります」と言われた。早いもので、今年もあと1カ月になろうとしている・・・。

Saturday 19 November 2016

ピラミッドの空間

最近、クフ王のピラミッドに未知の空間があることが発見された。高度な機器を使って日本人が調べたという。ちょうどハンコック著の「神々の指紋(原題:Fingerprints Of The God)」を読んでいた時だったので目に留まった。例の石をどうやって積み上げたとか、高さは円周率(π)を使い、3つのピラミッドがオリオン星座の形になっているなど、高度な紀元前の文明とその謎に暫し立ち止った。そう言えば、人類の起源はアフリカで、今の日本人もそこから来たとか!というから、地球の過去には想像を絶するものがあったのかも知れない。

30年ほど前になるか、そのピラミッドを訪れた。26度の急勾配の通路を身を屈めながら中央の王の間に向かって登った。着いた先はガランとして空間だったが、そこに置かれたいた石棺で、ナポレオンが一夜を過ごしたというから驚いた。暑さと酸欠でフラフラになった記憶がある。

参加したツアーは10名ほどの日本からの旅行者だった。ある時参加者の一人から「社会科の先生ですか?」と聞かれた。「ハァー・・・」と黙っていると、いつの間にか皆から先生と呼ばれるようになった。旅の中でも唯一の団体旅行で、楽しかった思い出がある。

Friday 18 November 2016

アメリカの利上げ

トランプショックで、思わぬ株高になってきた。アメリカの減税と財投を期待しているらしい。長い間待っていたFRBの利上げもいよいよ秒読みになっていた感がある。黒田日銀の物価2%の目標も、ひょっとすればあっと言う間に達成されるかも知れない。

先日、元伊藤忠会長の丹羽氏の「習近平は一体何を考えているのか?」の新書を読んでみた。過激なタイトルとは裏腹に、実務家らしい緻密な視線が印象的な本だった。中でもアメリカの利上げは、中国経済が要と言う。つまり利上げをすれば世界のおカネがアメリカに集まるが、世界の景気循環、取り分け中国が失速してしまっては元も子もないという件である。だからアメリカは中国経済を見ている。表向きは対峙しているが、テーブルの下では手を握っていると言われる所以である。

しかし、それらの期待が裏切られれば元の木阿弥だ。金利を上げても、経済が付いて来なければ逆戻りになってしまう。取り分け、今回はアメリカの白人層が心配だ。白人労働者がまさかホワイトカラーに成ろうと思っている訳ではないだろうが、変わらぬ現実に直面した時が心配だ。今の株価はそれを織り込んでいればいいのだが・・・。

Thursday 17 November 2016

彦根から関ヶ原へ

いつもは新幹線で通り過ぎてしまうが、時間があったのでローカル線に乗ってみた。琵琶湖線から米原で東海道本線に乗り換え、名古屋まで出るルートである。途中、彦根で下車した。前回来た時は入れなかった彦根城を一度見てみたかった。

夕方の薄暗い中、石垣を登ること数分、辿り着くと城は思ったより小さかった。それでも階段は急勾配で、ベルギー人一行とフーフー言いながら必死で上がった。天守閣から見下ろした琵琶湖は、当時の面影を忍ばせた。築城は1622年というから、かれこれ400年なる。タクシーで駅に戻ったが、運転手が「この辺の観光地と言えば、彦根より長浜です!」と言っていたのが気になった。

して米原から大垣を経て名古屋に向かった。途中、関ヶ原駅で電車が止まった。辺りは山に囲まれた静かな一帯だが、古戦場の名を冠した駅があるとは知らなかった。とても徳川、石田両軍合わせて15万人が剣を交えた場所には見えない。ただネットで調べてみたら、当時を語るスポットが盛り沢山だという。次回は是非訪れてみたい場所になった。

Monday 14 November 2016

インフェルノ(Inferno)

ダン・ブラウンの三作目、「インフェルノ(Inferno)」を見た。冒頭からトム・ハンクス扮するラングドン教授が出て来て追われている。目まぐるしい展開に、何が何だか分からない。前日の酒が残っていたせいもあって、頭が痛くなってきた。例によって、イタリアの歴史建造物を舞台にした謎解きは面白いが、一体誰が何にために戦っているのか殆ど分からないまま進行した。

ただ相変わらず舞台は華やかで楽しめた。イタリアのフィレンツェから始まりベネチアに移り、最後はイスタンブールの地下で終わる。今回はダンテの神曲がテーマだったが、ちょっとした教養があれあば、同じような仕掛けを作れる気もした。また前回の「天使と悪魔(Angels and Demons)」は原爆、今回は細菌が脅威だった。分かり易くていいが、折角歴史を深堀しているのだから、パンドラの箱を開けるような仕掛けがドキドキする。

最近は映画付いていて、ボーンシリーズの5作目「ジェイソン・ボーン(Jason Bourne)」も見た。こちらも同様に、余りにも早すぎる展開に着いて行けなかった。未だに一度ではストーリーが理解出来ない。

Sunday 13 November 2016

石黒修さんを偲んで

テニスの石黒修さんの訃報があった。享年80歳だった。我の事は忘れ、石黒さんも歳を取ったものだと思った。石黒さんと云えば、日本テニス界のレジェンドだ。デビスカップの活躍も沙流事ながら、プロ第一号だった。生憎と世代が違うので現役時代を知らないが、さぞかし格好良かったのではないだろうか。先日の日経新聞の私の履歴書で、東宝の松岡さんが出ていたが、恐らく同じ世代だろう。

石黒さんを初めて見たのは、渋谷の東急百貨店のテニス用品売り場だった。三菱電機から東急に移った頃だったか?「あっ石黒さんだ!」、そうは分かったが、とても近付ける雰囲気ではなかった。そそくさと退散した記憶がある。2回目は彼が50代の頃だったか、自身が入っていたテニスクラブに来たことがあった。ネット越しにそのプレーを見たが、サーブの振り下しが早いのが印象的だった。迫力は左程無かったが、厳つい肩でコンパクトに振り回すフォアハンドは、正にテレビで見た彼だった。

今日は風もなく温かな一日であった。テニスコートで、横にいた長老が石黒さんと同じテニス部だったので、「ご同期位ですか?」と聞くと、「俺の方が上だよ」と叱られた。頑張ればまだまだテニスは出来たのに・・・。

Friday 11 November 2016

有馬の中韓人

晩秋の六甲は寒かった。三宮から電車に乗り、2年振りに有馬温泉を訪れた。静かに温泉に浸かろうと思っていたら、平日だというのに大混雑だった。良く聞くと韓国語と中国語ばかりが行き交っている。日本中、どこに行っても半ば占領状態だが、山の奥まで一杯とは驚きだった。ゆっくり寛ぐ気にもなれず、そそくさと逃げるように山を下りた。

特に中国人の声は大きく、何気ない会話も日本人には怒鳴り合っているように聞こえる。それでも、普段の電車の中では自重しているのがよく分かる。ただそれも例の「カエルの楽園」ではないが、ウシガエルが半数を超えると突如状況は変化する気がする。いい例がGDPである。2011年に中国が日本を抜いて第2位になると、急に態度が豹変し大国意識が擡げ出した。

今回のトランプの勝利も英国のEU離脱も、根っ子は外国からの移民が増えたことだ。観光客ならまだいいが、日本の国際化も間違えると、同じような道を辿る気がした。ともあれ折角の有馬温泉であったが、今日火事があった。早めに切り上げて良かったのかも知れない。

Thursday 10 November 2016

トランプ氏が勝って

それにしても驚いた。まさか大統領選でトランプ氏が勝つとは思っても居なかった。日経平均が昨日は1000円下げ、今日は1000円戻す混乱はそれを物語っていた。アメリカの選挙戦の事は良く分からないが、白人のシニアの多くが彼を支持したという。田舎に行けば行くほど人気があると聞いて、イタリアのベルスコーニ氏を思い出した。保守的でカネの匂いがし、女性関係が華やかでしかもどちらも金持ちだ。

日本の反応は、米軍の駐留費の肩代わりや輸出品の関税が高くなるなど、戦々恐々としている。ふと思ったが、戦時中のマッカーサー元帥ってこんな先入観だったのかも知れない。ただ、いざ駐留すると天皇を大事にし国の復興に尽力し、マッカーサー通りではないが、最後は畏敬の念に変わった。今回もひょっとしてデフレから脱却し、憲法改正や国連の常任理事国入りを後押しする切っ掛けになるかも知れない。

ところで、トランプの勝利を随分前から予想した木村太郎さんって凄いと思った。彼は長年の職業感だと言っていたが、多くがクリントンに傾く中、唯一頑なに信じていた。中々出来るものでない。

Monday 7 November 2016

保険より今に投資?

ゴルフ仲間のSさんが念願のホールインワンを達成した。毎週のようにプレイしている彼だが、生涯初めてだという。それは嬉しそうだった。「これでも引っ叩いて下さい!」と、羨む同僚に記念品のボールを作り配っていた。幸いゴルフ保険に入っていたので、出費は救われたらしい。それを聞いてハタと考えてしまった。というのも、元々保険には極力入らないことにしているからだ。

若い頃は会社に出入りする生保のおばさんに半ば強制的に加入させられてしまったが、ある時期から考えが変った。それはバブルの末期、信じていた会社が傾き始めたからだ。不透明な将来より、現実の今を取りたい、そう考えるようになった。例えばお寿司、昔は一番好きなトロを最後に残したが、最近は最初に食べてしまう。保険の掛け金があるなら、今に投資する。どこかで、日本人の生命保険に掛けるお金は世界一だと聞いたこともあるから、強ち間違えでもないだろう。

そうは言ってもホールインワンは気になって仕方ない。万が一入れば20~30万円が出ていく。身近に出た人が居ただけに悩ましい。

Friday 4 November 2016

赤い風船

大昔の話になるが、学生時代におじさんから家庭教師をやらないか?と話があった。生徒は何と浅田美代子さんで、当時女学館高の2年生だった。堺正章の「時間ですよ!」に出始めた頃だった。勿論、二つ返事で引き受けた。おじさん同士が同じ会社だったこともあり、進学を心配して親が相談したようだった。思いも寄らぬ幸運の矢を得た。

早速ブロマイドが数枚送られてきた。プロが撮った可愛らしい笑顔が、今まで見た事もない世界に見えた。ところが待てど暮らせど一向に連絡がない。変だなと思っていたら、人気が出て高校を中退し芸能界入りしてしまったらしい。ブランコに乗って歌う「赤い風船」が身近になっていただけに、ガッカリした記憶がある。

彼女はそれから暫くして吉田拓郎氏と結婚した。最近、ボブ・ディランのノーベル賞に引っかけよく新聞に出てくる彼である。そんな事で、忘れていた当時を思い出した。何度も思うが、あの時家庭教師をやっていたらどうなっていたのだろう?

Wednesday 2 November 2016

秋の竹原

瀬戸内の町、竹原を訪れた。広島空港から山をぬって海に向かうと、中洲みたいな町に出た。ホテルにチュックインし、まだ陽が残っていたので、保存地区に行ってみた。安芸の小京都と呼ばれるだけあって、江戸時代から明治にかけての古い町並みが情緒的だった。マッサンこと竹鶴酒造の地元ということもあり、リタさんと並んだ像も建っていた。

それにしても、呉に近かったので戦争中の爆撃はなかったのだろうか?そんな事を考えながら1時間ほど歩き、通り須賀らの赤提灯に寄った。老夫婦が40年以上も続けている店だった。寒かったので、熱燗を頼むと、「誠境」という珍しい地酒が出てきた。おでん、茹でた小エビ、そして焼き鳥と言われるままにつまむ。隣で90歳になるという地元の長老が飲んでいた。常連らしく、一合に湯豆腐を飲むと、さっと切り上げて行った。

昔は塩田で栄えた町である。そう云えば、焼き鳥の塩加減がやけに効いていた。人影も疎らな静かな町であった。