Friday 30 June 2017

吉村昭を読んで

暫く前に読んだ「陸奥撃沈」の後、友人から「史実を歩く」もいいと言われて、このところ故吉村昭氏に凝っている。「わたしの流儀」「ひとり旅」と乱読している。丁寧な取材から新たな真実が分かり、全く違う物語が始まるから面白い。

例えば陸奥の沈没は自然発火と思われていたが窃盗犯の人災だったり、黒船のペリーに対応した奉行の森山栄之助の英語は、マクドナルドという漁師から習ったものだったり、生麦事件の直前、行列に道を開けたヴァン・リードという外人がいたり、山本長官機撃墜の護衛機の生き残りパイロット等々・・・、事件も沙流事ながら、その掘り起こしが作家だけあって凄い。そして小料理屋で酒を嗜む風景が良く出て来る。井の頭の地と相まって、氏のお人柄を引き立てている。

そんなエッセーを読んでいてハッとした事があった。それは自身の自慢話である。小学校に入るか入らないかした頃、著名なK博士と握手したことがあった。父親に連れて行ったもらったOB会の席である。博士は戦災で顔が焼け、指も溶けてグローブのようになっていたが、そんな手に恐々触れたのが自慢だった。しかし子供にそんな戦災の事なんて分かっていたのだろうか?話は後になって、面白く美しくするために自身で加工したのではないか?と。

Wednesday 28 June 2017

フラット化する世界

10年程前になるが、「フラット化する世界(原題:The World Is Flat)」という本が出た。インターネットが普及し、今まで考えられなかった人々が職を得た話であった。特にインドではそれが顕著だった。元々英語に強いので、ソフト開発で新たな世界を切り開いた。例えばアメリカで注文すると、その日のうちにインドで開発され、翌朝までに注文が届くという世界であった。

当時は薄らながら知ってはいたが、例えばHPのパソコンが壊れて電話すると、たどたどしい日本語で返ってくる訳が段々分かって来た記憶がある。所謂ハブと称して、台湾などのオペレーターが対応する仕組みである。

物やサービスの流れが変わると、人の関係にも変化が出始める。最近感じるのは、少し次元が違うかも知れないが、英語化・アニメ化した呼称である。会社では肩書文化の縦社会が依然健在のように見える。ただ陰では少しずつ変化が出ている。その例が人の呼び方である。例えば田中さんはタッキ-、佐藤さんはサッシー、平田さんはヒラリン・・・等々、第三者として使う時に活躍している。流石に面と向かって上司にタッキーとは言えないが、若い人はその使い分けがスマートだ。軽い呼称はファーストネームのように、人と人の関係を平らにしている。

Tuesday 27 June 2017

私をスキーに連れてって

夏だと言うのに、意外な処でスキーの話題で盛り上がった。あのバブルの絶頂期だった1987年の映画「私をスキーに連れてって」を巡り、昔のスキー愛好者が当時を振り返った。

映画は、舞台の志賀高原から万座までを車とスキーで夜間に横断するストーリーである。昔からリフトを掛ければ広大なスキー場になるのに!?と誰もが思っていたが、未だ実現していない。そんな夢を、今から30年も前に(映画とは言え)叶えたホイチョイプロの馬場康夫さんって凄い!という評価で一致した。当時若かったSさんは、この映画が契機で、トヨタのセリカGTを買ったという。一重に女にモテたい!の一心だったと言う。映画ではそのセリカで出発する時に、雪に触れ地面の温度を確認するシーンがある。それが何とも自然で格好いい!と共感する。意外だったのは、可憐な原田知世より鳥越マリを好む輩が多かったことだ。こればかりは聞いてみないと分からない。

谷越えをする夜間に使ったバックパックのランプも凄かった。今でもあれを軽量化すれば使えるし、何よりセンスのいいウェアであった。ユーミンの「サーフ天国、スキー天国」を聴きながら、金曜日の夜に関越道を北に向かえば当時が蘇る。あの時代は皆に異常な元気があった。

Saturday 24 June 2017

訳アリのホテル

先日、ロンドンの高層住宅で大きな火災があった。70人以上の人が亡くなったというが、燃え上がる炎を見ると、改めて火事の恐ろしさが伝わってきた。まるで映画「タワーリング・インフェルノ」のようだ!、そう思った人は多かったのではないだろうか?映画では屋上の水槽タンクが消火に貢献したが、そんな一抹の期待も最後まで届かなかった。

そんな矢先、関西のホテルに泊まった。一緒に行ったSさんが予約してくれた先に泊まったが、通常の半分程度と随分安かった。安いのは有難いが、その訳をSさんに聞いてみると、「実は最近このホテルにボヤがあったのですよ!」と云うではないか。確かにホテルの外壁は塗装工事の布で覆われていて、一見休業かという雰囲気だった。気のせいか客も疎らで空いていた。

その晩は例によってアルコールが入ると、そんな心配もすっかり忘れて寝てしまった。ところが翌朝食堂でSさんに会うと、「俺は怖かったので、いつでも飛び出せるように荷支度して寝ました・・・」と云う。流石にこれには驚いた。もうここのホテルに二度と来ることはないだろう。

Tuesday 20 June 2017

カンニバル

子供の頃、「何が食べたいか」と聞かれれば、ビフテキと応える人が多かった。ビフテキはビーフ・ステーキの略語で、まだ貧しかった日本人の胃袋を満たす象徴だった気がする。

そのビフテキだが、実はフランス語としても使うようだ。Biftecksと書くが、実は久々に読んだル・ポアイン誌の「今日は何の日」に出て来た。それは何とあの佐川事件であった。このコラムに殆ど日本人は登場しない。あったのは、ルバング島の小野田少尉やイ号潜水艦など戦時中のものだった。それが、パリで起きた事件だったからなのだろうか、人肉を食べた佐川一政を取り上げていた。記事には、「カンニバル佐川が、美しいルネを切り刻んだビフテキを貪り食った」との見出しで紹介していた。

事件は1981年6月、留学生の佐川がオランダ人女性を殺害、その生肉と食べたと言う。それまで人の肉を食べるカンニバルは、アフリカやアジアの奥地の未開拓人種と思っていた。佐川が登場してから、日本もやはり野蛮人かと思われたのは辛辣だ。ただ映画「羊たちの沈黙」など、どこの世界にもカンニバルはいるのかも知れない。そんな忘れていた事件だった。

Sunday 18 June 2017

武器よさらばの舞台

そろそろ夏休みまで1カ月、今年は昨年に続き、バルカン半島の西側を廻ろうと思っている。国としては、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、そしてボスニヤ・ヘルツェゴヴィナなど、アドリア海に沿った景勝地である。所謂旧ユーゴラビアが分かれた国々で、ローマ時代の遺跡も多く残っているし、例によって多彩な宗教が織りなす歴史は興味が尽きない。

中でも観光地ではないが、行ってみたい場所がある。それはスロベニアのコバリド(Kobarid)というイタリア国境近くの町である。そこは第一次大戦で、イタリアとオーストリア・ハンガリー連合が対峙した激戦地である。当時はカポレット(Caporetto)と称し、あのヘミングウェーの小説「武器よさらば(A Farewell To Arms)」の舞台になった場所である。

そんな事もあり、この週末はゲイリー・クーパー主演の古いDVDを取り出して見てみた。確かに山岳地帯で川も多い。ヘミングウェーは第二次大戦の従軍記者としてパリに入った際に、リッツホテルのバーで一杯やった。以来そのバーは、彼の名前を冠していて、あのダイアナ妃が最後に寄った場所としても有名だ。昔そこで飲んで以来、ヘミングウェーには妙な親近感を持っている。彼がどんな気持ちでカポレットに立ったのか、今から検証するのが楽しみだ。

Friday 16 June 2017

不吉な6月25日

毎週、日曜日になると北朝鮮がミサイルを撃ってくる。実験とか言うが、いつ実弾が込められるのか不安が絶えない。単なる脅しなのか、対するアメリカも口ばかりで、日本海に派遣した空母もいつの間にか帰ってしまった。明日にでも火ぶたが切られるのだろうか?と思っていたが、少し肩すかしの感がある。両者は過去の朝鮮戦争の教訓もあるから、中々踏み切れないのかも知れない。

そんな矢先、あの「大日本帝国の興亡」の著者であるジョン・トーランドの「勝者なき戦い 朝鮮戦争(原題:In Mortal Combat KOREA1950-1953)」を読んでみた。当時の臨場感が十分伝わって来て、変な憶測記事を読んでいるよりよっぽど為になる。まず当時は、緊張が高まっても意外とソウル市民は平常で、何よりアメリカ国民の関心は低かった。今の韓国人も日本人以上に楽観している。第2に朝鮮戦争は北の侵攻で始まったが、事前に中国には知らせていなかった。北は中国の加護にあると思っていると間違いだ。彼らは勝手に行動する。3番目は平嬢とソウルの距離はたった200Kmという事である。当時もあっと言う間にソウルが落ち、南の釜山までは5日で制圧する予定だったという。もし始まれば今では一瞬で勝負が付いてしまうだろう。

そして何より前回の侵攻は1950625日の未明であり、その日は日曜日だった。奇しくも、来週の625日も日曜日である。状況といい日和と言い、不吉な予感がする。ひょっとしなければいいが・・・。

Wednesday 14 June 2017

ワルティング・マチルダ

昔、「渚にて(原題:On The Beach)」という映画があった。原子爆弾による第三次世界大戦で地球が汚染される中、唯一被害が軽かったオーストラリアを舞台にした物語である。バックの音楽は、あのオーストラリア第2の国歌とも言われるワルティング・マチルダ(Waltzing Matilda)だった。その軽快なメロディーは、悲壮な映像とは対称的に快かった。

そのワルティング・マチルダ(意味はワルツを踊るマチルダ)のマチルダだが、元々は1600年代の30年戦争で兵士に同行した女性の名前だそうだ。それが転じてオーストラリアでは放浪者が愛用する毛布の名前になったと言う。歌は放浪者が野宿する中で、寝食を共にする毛布を歌ったもので、その軽快なリズムとは裏腹に寂しい当時が伝わってくる。これもスコットランド系音楽の不思議で、その陽気さや力強さは一体どこから来るのだろうか?

実はこの歌を最近聞く切っ掛けになったのは、とある老夫婦と関係している。老夫婦の奥さんは寝たきりの脳梗塞で意識はなく、いつもご主人が看病している。話し掛けても返事はないが、不思議と音楽を聴かせると反応するらしい。特にこのワルティング・マチルダは頬が緩むと言う。それは老夫婦が新婚旅行に行ったのがオーストラリアだったからだ。この曲から当時の記憶が蘇ってくるらしい。

Sunday 11 June 2017

犬の愛情

犬馬鹿と言われるかも知れないが、犬を飼ってると、色々考えさせられる事も多い。良く人間社会では金の切り目は縁の切れ目と言われる。犬もご主人が長く家を留守すると、非情になってしまう。「俺が帰って来たぞ!」と久しぶりに出てきても、シラッとしている。犬にとってご主人様とは、所詮毎日餌をくれる人の事を指すようだ。その変わり身の早さにはショックを受けるが、生きて行く現金さがある。

それから下の世話である。「朝晩の散歩って大変なんですよ!」とは聞こえがいいが、所詮は新聞紙とビニール袋を持って、犬のお尻を追いかける。昔インドに行った時に、カースト制度の最下層の仕事の一つに、人の下の世話をする一家の話を聞いた事があった。その家族は、人々の家々を廻って汚物を回収するのだが、それも親から子に代々引き継がれる仕事という。その時は「世の中の底辺とはこの事か!」と驚いたが、気が付いてみれば毎日の自身だったりして・・・それも犬のウンチ!。

3つ目は愛情である。我が家には16歳の先住犬と4歳の犬が同居している。後から来た犬は、最初は小さくなっていたが、段々身体が大きくなるにつれ先住犬を威圧し始めた。それはじゃれているようでもあり、実際の処は良く分からない。ただ4歳の犬は良く先住犬の顔を舐める。その仕草は目ヤニを掃除しているようで、スキンシップ効果だろうか先住犬は元気を貰っているように見える。親子でもないのに、老犬を庇っている・・・、その本能ってどこから来たのだろうと?

Thursday 8 June 2017

名古屋のきし麺

名古屋で一番美味しいもの、それは何でしょう?ドテ焼き、きし麺、ひつまぶし、味噌カツ・・・、色々あるかも知れないが、誰もが頷くのはきし麺である。ただそれは名古屋駅のスタンドのきし麺がいい。

その駅のきし麺を久しぶりに食べてみた。汁といい、麺の感触といい、何より贅沢な鰹節をふんだんに使っていて、それは美味だった。そして何より値段が380円と超安い!その素朴さが人々を引き付けるのだろうか?以前そのきし麺を町中のそば屋で食べたことがあったが全く別物で、駅の味に勝るものはなかった。

では2番目は何だろう?個人的にはやはり「ひつまぶし」かと思う。まだ名古屋駅前がまだ開発される前だったか、豊田通商の人に老舗に連れて行って貰ったことがあった。名前は忘れたが、今ではその古めかしいビルも無くなり、明治は遠くなりにけりの感がある。ただ形は代われど名古屋駅の地下は健在だ。「びんちょうひつまぶし」に入ると中国人ばかりだったのには驚いたが、3回に分けた食べ方の薀蓄も含め堂に入っている。地元の銘酒「久平次」との相性も良く、暫し旅情に浸ったのであった。

Tuesday 6 June 2017

陸奥爆沈

随分前だったか、広島の友人が「それだったら倉橋島はどうですか?」と言う。私の戦争跡地巡り好きを知って、教えてくれたスポットだ。呉に近い倉橋島には、山本五十六元帥の通った料亭が今でも残っているらしい。

対岸には戦艦陸奥の記念館もあるらしい。陸奥は昭和18年に謎の爆沈を遂げたが、今では沈んだ柱島近くに記念館が出来ているという。吉村昭著「陸奥爆沈」を読むと、その原因解明が中々面白かった。当時は三号爆弾による自然発火説が有力だった。そのため、海軍の全艦からその爆弾を下ろしたようだが、(とある映画で)ブインの飛行場に野晒しにされていた訳がやっと分かった。

陸奥の謎については、平素から万引きを重ねていた二等兵層の罪がバレ、追い込まれた挙句の内部犯行説を著者が追っている。知らなかったが、日本海海戦後の「三笠の爆発」も飲酒時による引火だったり、「巡洋艦日進の爆沈」も昇進を苦にした兵隊の怨恨の犯行だったらしい。意外と事件は人災によるもので、正に敵は内にあった。先を急いだ時代の付けが廻って来たのかも知れないが、ともあれ犯人を通して当時の風景が伝わってくる。一度訪れてみたい場所だ。

Saturday 3 June 2017

バボラのストリングス

ローランギャロスの放送で、司会のダバディーさんがスポンサーのバボラ(Babolat)社を紹介していて面白かった。それまで、バボラはフランスのメーカーで、本社がリオンとは知らなかった。整然とした工場で、世界のテニス愛好者を魅了するストリングスが生み出されていた。

バボラのラケットは、あのナダルが愛用しているのは有名だ。物凄いスピン力は、ラケットも沙流事ながら、そのストリングスから来ているようだ。私も年初めにPro Hurricane Tourと Ecelの二種類に張り替えてみた。替えて初めて打ったボールの感覚は、何とも言えないものがあった。打球音も違うし、スキーで云えば、カービングスキーを始めて履いた時のように、急に上手くなった気にさせてくれた。

プロは試合毎に新しいガットを張り替える。何本も持っていて、その日の調子に合わせてテンションを使い分ける。素人には勿論そんな事は出来ないが、せめて時々新しくする価値はありそうだ。

Thursday 1 June 2017

BELHAVENを飲みながら

今日からもう6月だ。ローランギャロスも始まり、又眠れない季節がやってきた。陽が長くなったので、久しぶりにパブに寄ってみた。何にしようかと見渡すと、見慣れないIPAの中にBELHAVENがあった。どこかで飲んだことがあった?と思いつつ、1パイントを頼んだ。少し苦く、やはり日本の味ではないなと暫し喉を潤した。

聞くとスコットランド産だと言う。それもエジンバラ近くに醸造所があるようで、ふと4年前に旅した事を思い浮かべた。エジンバラは古い町で高台に古城が聳えている。8月だったこともあり、当月限定のミリタリー・タツゥー(Royal Edinburgh Military Tattoo)をやっていたので、何とか見れないものかと暗躍した。勿論チケットは無く、路上のダフ屋に頼んでも中々手に入らなかった。困った挙句に土産物屋の親爺に聞くと、「あそこに立っている男に聞くといい」と教えてくれた。言われるままにその男に尋ねると、運よく手配をしてくれた。

ミリタリー・タツゥーは、バグパイプで演奏する軍の音楽パレードだ。聴き慣れたブラックライオンを始め、スコットランド衣装に身を包んだ兵隊が、それは見事に行進していた。多分その時にこのBELHAVENを飲んだかも知れない。たった4年前だが遠い昔のようになってしまった。