Friday 30 December 2016

2001年宇宙の旅

テレビを点けると、「2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey)」をやっていた。スタンリー・キューブリックの名作で今まで何度も見たが、改めてその先見性には感心してしまう。例えば月には既にステーションがあり、スチュワーデスもいる飛行船で往復する。木星を目指すロケットの乗組員は冬眠していたり、今でいう人工知能(AI)が悪さをしたり、とても50年近い昔の作品とは思えない。

宇宙を扱った映画は、マックデーモンの「オデッセイー」や「トゥモローランド」、「スター・ウオーズ」など沢山あるが、正直あまり興味はなかった。現実離れした空想の世界で、子供向けの娯楽映画に見えるからだ。ただこうして「2001年・・・」を見続けると、少し見方も変わってくるというものだ。

「2001年・・」が上映されたのは1968年で、その翌年の1969年にはアポロ11号が月面着陸に成功した。あれから大分時間が経つので、今頃は月に町が出来てもおかしくない頃だ。人類は本当に月に行ったのだろうか?先日その疑問を専門家であるNさんに尋ねてみた。「あれはどこかの撮影所で撮った画像ではないの?」。Nさんは「いや本当に行っています。アームストロング船長の足跡は、最近もロケットから撮った写真で確認されています!」と自信気に語ってくれたが、未だに半信半疑である。素人にはどこからが現実でどこからが空想なのか、分かり難い世界である。

Tuesday 27 December 2016

曽根崎心中


その高野山行く前日、大阪の梅田に泊まった。駅から繁華街を歩くと曽根崎に出た。ここが曽根崎心中で有名な一角かと、こじんまりした入口から地元の露神社に入り「徳兵衛とおはつ」の像に出会った。浄瑠璃は見たことはないが、今から300年の昔、ここの醤油屋と恋に落ちた女郎の哀れを思い浮かべ、暫し思いに耽った。
大阪を最初に訪れたのは今から30年前だっただろうか、どこからか匂ってくるドブ川の悪臭とゴチャゴチャした街並みは凡そ好きになれなかった。加えて阪神電車の鄙びた茶色と、その車内で聞こえるどぎつい大阪弁には閉口した。以来、いつまで経っても土地勘が出てこないのはその為と思っている。

ところが最近何度か訪れている内に、段々イメージが変わってきた。それは何と言っても食事が安くて旨い!の一語に尽きる。一緒に行ったAさんが「曽根崎にはいい寿司屋が多いです」と教えてくれた。気が付けば、地元の老舗「亀すし」の前だった。本店と総本店の二つが狭い通路を隔てて向かい合っている不思議な店構えだったが、活気のある店内の雰囲気が外から伝わって来た。結局総本店に入り3つ4つ摘まんでみた。どれもネタは新鮮で安かった。酒が廻って来るうちに、さっきのおはつを思い出し、今も変わらぬ浪速の風情に浸ったのであった。

Saturday 24 December 2016

雹の降る高野山

大阪に行った際、和歌山まで足を延ばし、高野山に登った。電車を乗り継ぐこと2時間半、着いた先は霊場に相応しい深山の聖地であった。下界では冬だというのに温かな日であったが、そこは時折雹が降る寒さであった。

杉の大木の合間を歩くと、1200年を経た多くの墓が沢山並んでいた。墓石に付いた苔が長い年月を感じさせた。知った名前も多かった。織田信長と明智光秀、徳川と豊臣、そして井伊、武田・・安芸の浅野家はあの浅野内匠頭だろうか、かつて歴史上の因縁同志が、終わってみれば同じ場所に眠っている・・・それはとても不思議な光景だった。その他、陸軍や海軍の部隊や最近では会社名義の慰霊碑も多かった。

それにしても、折角下界から逃れても、こうして毎日、世界から来た観光客の視線に晒される霊の気分ってどういうものだろう?静かにしておいて欲しいのか、それとも時を経て見られ続いていることを喜んでいるのだろうか?こればかりは分からなかった。車もない時代に、大きな墓石をどこからどうやって運んだのだろうという疑問も残った。寺や道路は良く整理され、今でも人々の営みが続いていることも驚きだった。

Friday 23 December 2016

贈与かローンか?

ジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記の最終本、「これこそ男だ(This Was A Man)」を読み終えた。何と言っても5年で7冊目になる歳月が掛かっている。最後はどういうオチがあるのだろう?それを一途にここまで来たが、至って平穏で彼の人生を振り返るものだった。

最大の謎は、主人公のハリーと妻のエマの父親が同じかどうかだった。物語の始まりが、それらしき伏線から始まっていたから最もである。ところがそれも最後はDNAでさらっと流して、やはりハリーの父は本来の親だったと片付けていた。長い物語ではそれが大きなテーマで、2人の結婚の障害でもあっただけに、少し肩透かしの感があった。しかし下世話な憶測を他所に、信じた愛を全うする姿こそが、正に著者が描こうとした処だったのかも知れない。

読んでいて今に通じる面白い箇所も多かった。例えばレディー・バージニアが再婚した男から収入を得るが、贈与だと莫大な所得税が掛かるのでローンを選択する。ところが夫が死亡すると返済義務が生じてしまう・・・、また遺産で相続した陶磁器を換金しようとするが転売禁止だったり、財産目当ての結婚は結局元も木阿弥であった。また夫婦の会話に、さだまさしの関白宣言ではないが、「俺より早く逝ってはいけない」みたいな件がある。それではどの位待てばいいかというと、本文の中ではfortnightという単語が出てきた。調べて見ると2週間という意味だった。本書のタイプはStorytelling(語り)というらしく、原書ならではの発見も多かった。ともあれ長い間読者としての義務も果たした気分になりホッとした。

Monday 19 December 2016

カジノの必勝法

カジノ法案が通った。ギャンブルはやらないので余り関心はないが、競馬や競輪があってどうした反対意見が出るのか不思議だった。カジノはむしろいいイメージで、例えばラスベガスは先住民のインディアン末裔の雇用の受け皿だったり、ロンドンやシンガポールも高額なバンカー給与の再分配の場所だったからだ。

カジノの映画と言えば最近では007の「カジノロワイヤル」だが、何と言っても「カサブランカ」が有名である。ハンフリー・ボガード演じるディックの店の話である。アルバニアからアメリカに向かう若夫婦には金がない。その足元に付け込んで現地の警察官が若妻に言い寄る。それを知ったディックが窮地を救うのであった。彼はディーラーがルーレットに投げ込む番号を知っているから、若い夫にそこに掛けるように耳打ちする。して夫は渡航費が入り、ディーラーは損をし、その美談に従業員は歓喜するのであった。

斯くしてギャンブルは人と人の関係が大事だという事を教えてくれる。黙っていれば必ず損をする仕組みだが、ある人が必ず勝てる秘密を教えてくれた。それはディーラーと懇意になる事だった。勿論それには時間が掛かり、盆暮れの付け届から旅行の土産物、最後は家族ぐるみの付き合いが大事だという。その関係が出来ると、ある日連れて行ったお客には気が付かれないで連戦連勝で帰ってもらえる演出が保証されるらしい。最もそこに辿り着くまでどれだけ投資をするか、終わってみれば元の木阿弥かも知れない。儲けようと思うからギスギスするが、所詮は社交場と思うと快適な場所の気がする。

Sunday 18 December 2016

ルクサンブール公園

人生の晩年に差し掛かった楽しみ、それは自身の人生を振り返る事と思っている。上手く行った事は10%、残りの90%は失敗経験である。その苦さや恥ずかしさを肴にして静かに回顧する・・・、それこそ終わった人だけに許される特権であろう。でもそれはどこで、どうやって・・・?

今日の日経新聞に野見山暁治さんの「10日間のパリ」が掲載されていた。文化勲章も受賞した96歳に画家である。その彼が、昔住んでいたパリに行き、ルクサンブール公園で過ごした話であった。「昔座っていたベンチで思いに耽っていると、一条の光が目に入ってきた」という件は、とても分かる気がした。1950年代の自身と今を重ね合わせ、60年の歳月をタイムスリップしたのであった。

パリの冬は寒いけど風がないから好きな人が多い。カシミアのコートをしっかり着れば、ベンチで過ごすことは左程苦ではない。人の気配もないから余計快適である。パリにはその他に、チュイルリー公園やモンソー公園、郊外に足を延ばせばソー公園などいい処が沢山ある。東京の小石川植物園や新宿御苑も悪くないが、そんな過ごし方もあったな?と知った。

Saturday 17 December 2016

レディー・バージニア

ジェフリー・アーチャーの「クリフトン年代記」の最終本が出た。早速取り寄せて読んでいる。今回のタイトルは、「これこそ男だ(This Was A Man)」である。2011年から始まったので、かれこれ5年経つ。シリーズも7作目になり、第一作を雪に閉ざされたアパートで読み始めた頃が懐かしい。

登場人物の一人に、レディー・バージニア(Lady Virginia)という派手な女性がいる。主人公の奥さんの弟の元妻である。全編に渡り、陰で主人公夫妻を邪魔する悪女であるが、前作辺りからお金に困り始めた。その金策に親族を頼りアメリカのルイジアナ州にあるバトン・ルージュに行く。先日黒人の暴動が起きた町だが、元フランス領なのに英国人移民もいたようだ。

今回はその金策で、アルゼンチンのブエノスアイレスやオーストラリアのパースも出て来る。つくづく英国人のネットワークの広さに驚かされる。また会社買収では数字が良く出てくるが、お金に拘る強かで貪欲な国民性にも感心してしまう。著者の英語はとても分かり易く、相変わらず流れに品がある。結末がどうなるのか楽しみだ。

Wednesday 14 December 2016

怪しい1000円札

トランプ効果で株価がどんどん上がっている。アメリカでは雇用統計もいいので、いよいよFRBは利上げに踏み切るのだろうか?そうなれば、ドル高になるからアメリカにお金が集まる。日本は円安が続くから、株価も上がり誰もがハッピーである。

そんな中、最近ちょっと気になっていることがある。それは今更だったが、日銀は国の機関だと思っていたら、政府出資は55%に過ぎない事だった。残りの45%は個人株主で全て匿名との事であった。中立でなかったら、ETF買いなど特定会社の株買い占めにならないのだろうか?心配になってFRBも調べてみれば、こちらも株主はモルガン銀行、チェースマンハッタン銀行等の純然たる民間企業であった。

そんな話をしていたら、友人のM君が、日銀の1000円札を取り出して何やら始めた。野口英世の顔を真ん中で半分に折ると左右全く違う顔になるとか、裏面の逆さ富士はどこか外国の山に似ている・・・。NIPPON GINKOの文字も折り方でWWWになるとか、かの1ドル紙幣に至ってはピラミッドの目があったり、何か変である。身近な世界だけに興味が尽きなくなってきた。そもそもオリンピックも民間事業だから、お上意識が未だに残っている方がおかしいのかも知れないが、この冬の夜長はその怪しい世界に浸りそうだ。

Monday 12 December 2016

シングルスの逆転負け

先日、久々にシングルスのテニストーナメントに出てみた。第一試合はボールを拾いまくり、2時間の接戦を制した。次はシード選手との二回戦であった。最初のセットを取ったが次を取られ一進一退のゲーム運びになった。そして迎えた最終セットはタイムブレークの中、リードしながら何度かマッチポイントを握った。しかし結局逆転され敗退してしまった。

その時は頭が真っ白だったが、時間が経つにつれ次第に思い当たる事があった。そう言えば、ボールを打ちながら翌週の事を考えていたな?。「もしも勝ったら、翌週に予定しているイベントをキャンセルしなければならないけど、どうしよう?」。正に要らぬ皮算用だった。

邪念は自分だけかと思っていたら、Yさんは翌日の演奏会のことを、Tさんは夕方に予約していた店の二次会で歌う曲の事が頭を巡ってきたという。所詮はアマチュアだから、普段の生活が入り混じってしまう。それにしても負けた相手は結局優勝した。あの時踏ん張っていれば金星だったのにと、時間が経つにつれその悔しさが募るのであった。

Sunday 11 December 2016

赤城の温泉

その群馬県だが、本州のヘソにあってはいささか寂しい地域である。高い山もないし海にも面していない、あるのは小高い小山と狭い農地である。その変哲のない風景は刺激がなく、好きになれない。

特に赤城山近辺は辺鄙な場所である。今ですらそんな感じだから、「赤城の山も今宵限り・・」の国定忠治の時代は、さぞかし寂しい場所だったのだろう。破落戸をやっても、余りカネにはならなかったのではないか。

そうは言っても、温泉を求めて昨年は赤城温泉、今年は藪原は藪原の一軒宿を訪れた。どちらも周囲は夕方になると真っ暗で、正に陸の孤島であった。さぞかし閑散としているのだろう?と思ったが、近所の人で適度に混んでいた。それにしにしても、東京から見れば大阪や名古屋以上に遠い感がある。

Friday 9 December 2016

中島飛行機の富嶽

太平洋戦争の開戦日に放映された、NHKの「幻の飛行機計画」は良かった。隼などを製造した中島飛行機の爆撃機「富嶽」の話であった。終戦末期に、B29を上回る性能でアメリカ本土を爆撃する壮大な発想だった。結局は生産に至らなかったが、1万mの高度を保つターボ技術が日本に無かったという。

面白かったのは、番組の最後に若い軍事評論家が「中島知久平は戦後の旅客機まで考えていたのではないか?」と好意的なコメントをした。ところが当時を知る年配の技術者は、「それは違います。設計に携わった人達は勝つことだけを考えてやっていました。だから戦後は誰も当時を語ろうとしなかったのです」とポツリと語った。それがとても印象的だった。

以前、群馬県にあった中島の小泉製作所跡を訪れたことがある。今では分社化し企業の工場地になっているが、辺りには当時の面影が所々残っていた。例えば東武鉄道の西小泉駅は小さな駅だが、そこが終着駅になっていた。不自然だが、良く見ると工場まで延びていた線路が道路に埋められていた。また工場前の道路は長く真っ直ぐだった。昔は滑走路だったことが容易に想像出来た。それにしても、凄い飛行機を考えたものだ。

Thursday 8 December 2016

真珠湾攻撃と単冠湾

「今日は真珠湾ですね!」、朝誰かが挨拶代わりに言う。「そうですね・・・、今頃第一次攻撃隊が引き上げてきた頃でしょうか?」と応える。天気晴朗なれど波高し!外を見ると快晴で富士山がくっきり見えた。ニイタカヤマノボレ!の暗号が聞こえて来るようだった。

戦争を知らないから、それは「トラ・トラ・トラ」や「パール・ハーバー」の映画の世界である。三船敏郎扮する山本五十六長官が、散々抵抗した挙句、最後は「真珠湾攻撃は私の信念です」とゴーサインを出す。戦後はクリスチャンになった淵田少佐が、「我奇襲に成功せり」の電報を打電する。満州事変から追い詰められ日本のマグマが爆発した日であった。ただ実際は、きっとナレーションも無ければ音楽も俳優もない、モノクロのドキュメンタリー風だったのだろう。

あれから75年、最近ではルーズベルトが事前に日本の開戦を知っていたと言うから、始まるべくして始まったと思っている。今一番行ってみたいのは、択捉島の単冠湾である。連合艦隊が出発前に終結した港である。それを取り上げた佐々木譲著「エトロフ発緊急電」はとても面白い小説だ。ロシアのプーチンが今月来日するというから期待している。

Monday 5 December 2016

コーブの港

そのタイタニック号が最後に出港したコーブ(Cobh)の港には、アイルランドから最初にアメリカに渡った親子の銅像が建っている。1892年というから、タイタニックに先立つ事20年前である。アイルランドからアメリカに渡った人は多く、今やその末裔は30百万人以上と言われる。タイタニックの事件が無かったら、忘れられていた人達だったかも知れない。

有名なアイリッシュは、J.F.ケネディー、リーガン、クリントンやオバマなどの大統領から、ジョン・ウェン、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードなど多彩だ。アラモの砦を守ったのもアイリッシュ、アンタッチャブルに出て来る警察官もアイリッシュ、字幕には出来ないのは差別用語なのだろうか?

コーブの町の近くには、アイリッシュウィスキーのジェムソン(Jameson)の蒸留所がある。ジャック・ヒギンズの小説で、IRAの殺し屋が仕事前に飲むウィスキーである。そのジェムソンがタイタニックの世界と相まって、何とも旅情を誘うのである。

Saturday 3 December 2016

中国のタイタニック号

CNNに、中国の四川省でタイタニック号を建造するというニュースが出ていた。タイタニック号は1912年に沈没したからかれこれ100年になる。現代に蘇ったのは、何と言ってもデカプリオの映画からだろう。よく「船を沈めたのは英国人だが、造ったのはアイルランド人だ」と言われている。勿論それはアイルランド人が言うのだが、その恩恵に預かっているのはアイルランドの気がする。

北アイルランドの首都ベルファースト(英国領)には、3年前に大きなテーマパークが出来た。実際にタイタニックを建造したドックが現存している隣だから、結構歴史を彷彿とさせる迫力がある。2年前に訪れたが、ディズニーのような仕掛けもあり、多くの観光客が押し寄せていた。またタイタニックが出港した港町は、それをテーマに村おこしをしている。中でもコーブ(Cobh)は最後に寄った港だったので、立派な資料館が残っていた。そこから海を渡ったアイルランド人を紹介していているのだが、中でもダニー・バックレイ(Dannie Buckley)という若い男の話は興味深かった。彼は生存者の一人だったが、アメリカに渡って第一次大戦に出征した。ところが終戦の一日前に28歳の若さで死んだという。運命と言うか、呪いがあったのだろうか?

それにしても、四川省と言えば山奥だ。いくら観光とは言え、どんな船が出来るのだろう?

Wednesday 30 November 2016

Good Music, Good Life!

その大船でコーヒーショップに入った。スタバは良く使うが、こじんまりしていた静かな喫茶店で過ごすのは久々だ。木目基調のセンスいい店構えで、暫しクラシックの三重奏に聞き入ってしまった。

思わず、「これ、何ていう曲ですか?」と店主に聞いた。しかし「いやー何でしょうね?インターネットラジオですから・・・」という返事が返ってきた。それで遅ればせながら、初めてインターネット云々を知った。今更と思うかもしれないが、余計な解説がない音楽環境は、とてもすっきりしていた。

昔住んでいたシンガポールでも、部屋に始終流れていたのがこの手の番組だ。その時は多分有線だったが、いつも最後にGood Music, Good Life!で終わった。それは上質なソファーに体が吸い込まれていくような快適さであった。すっかり忘れていた音楽だが、時間を豊かにしてくれる。

Tuesday 29 November 2016

大船のかんのん食堂

先日、大船の駅に降りた。駅からほど近い処に、有名な「かんのん食堂」があるというので寄ってみた。隣の魚屋から仕入れる活きのいい魚が美味いという。早速、シマアジの刺身とキスの天ぷらを頼む。酒は地元茅ケ崎の「青天」である。如何にも湘南らしい酒だった。升から零れて皿に溢れ、2合近くはあっただろうか、酒飲みの心を擽る計らいが難い。2杯目はこれまた静岡の「臥龍梅」である。これは非常に美味かった。夕方になると、年配のハイカーで一杯になった。どうやら近くの小山をハイキングして、降りて来たらしい。それにしても随分遠くに来た感覚にさせる雰囲気があった。

酒を飲んでいるうちに、初めてと思っていた大船だったが、「待てよ、昔来たことがあったな?」と記憶が蘇ってきた。それはあまりいい思い出ではなかった。若い頃、とある人を送ってから東京に戻ろうとすると既に終電になっていた。駅のベンチで一夜を過ごそうと思ったが、それも何かと泊まる場所を探し歩いた。ところがどこも一杯で、何故か唯一空いていたのがラブホテル風の処だった。一人だったからだろうか、係りの人から「朝に開けますから」と言われ、外から鍵を掛けられた。結局、朝になり逃げるように帰った・・・。

そんな事を思い出していると、折角の美酒も段々味が苦くなってきた。

Saturday 26 November 2016

カストロとキューバ危機

キューバのカストロ元首相が亡くなった。冷戦時代を含め、20世紀の歴史証人みたいな人だった。先日、アメリカとの国交が回復して本当に良かった。あのままだったら、共産主義の化石になっていただろう。

思い出すのは何と言ってもあのキューバ危機である。ソ連の核弾頭をキューバに配備し、核戦争が一触即発であった。彼がOKを出していたら、アメリカの首都は勿論、今のキューバもなかっただろう。

当時のアメリカ大統領はJ.F.ケネディーである。そのケネディーが暫くして暗殺された。犯人はオズワルドと言われているが、流石今では信じる人は皆無である。いくつかの仮説の中にカストロ主犯説もあった。キューバ革命を阻止しようと、CIAが暗躍した反目である。しかしそれも今となってはおかしな話である。何年か前にダラスの暗殺現場を訪れた時、それを肌で実感した。色々あるかも知れないが、世界を救った彼は偉かった!と思いたい。

Friday 25 November 2016

つるフサの法則

何年振りになるだろうが、久々に週刊誌を買った。昔は飲んで帰ると、良く電車の中で読んだものだ。仕事から解放され、頭を使わないで楽しめたからだろうか?今から思えば一種のルーチンだったが、すっかり過去のものになってしまった。

その週刊誌、今回は週刊ポストである。相変わらずエッチな路線は昔と変わらない。サラリーマンも世代交代しているので、こんなセンスでは今に合っているのだろうかと心配になる。ページをパラパラと捲り、それでも「ジンクスの大研究」の特集は中々面白かった。

例えば景気が良くなるとスカートの丈が短くなることは良く知られているが、「ビストロSMAP」に出演すると総理になれたり、タモリと共演すると女子アナのゲン担ぎになるという。確かに米大統領選の後は円安だ。政治では韓国では末期の大統領が外遊に出ると大事件が起きたり、専制国家(ナチ、ソ連、ユーゴ)がオリンピックを開催すると10年以内に体制が崩壊したとか、で中国はどう・・・?だったり。取り分け、ソ連の「つるフサ」の法則には面白かった。レーニン以降、指導者は禿と禿でない人が交互になっている。

Wednesday 23 November 2016

初冬の上諏訪

今年も上諏訪を訪れた。初冬のどんよりとした空は何となく気が重くなる。それでも紅葉の季節、過ぎ行く秋を惜しむように最後の華を咲かせている。

例によって温泉に寄る。今回は駅の案内所で紹介してもらった浜の湯にした。大きな旅館で、何年か前に日本の温泉100選に選ばれただけあって、大きな湯船は中々良かった。まだ陽が高いので人も疎らで静かだ。源泉かけ流しの贅沢な水音だけが聞こえて来る。暫し目を閉じ、喧騒を忘れ自然に浸る。

すっかり寛いだ処で、地元の真澄を呑む。ここの空気と良くマッチして、何とも言えぬ甘い味わいである。つまみには馬刺しを頼む。決して美味いとは言えないが、ここならではの雰囲気がある。店の人から、「来週には雪が降ります」と言われた。早いもので、今年もあと1カ月になろうとしている・・・。

Saturday 19 November 2016

ピラミッドの空間

最近、クフ王のピラミッドに未知の空間があることが発見された。高度な機器を使って日本人が調べたという。ちょうどハンコック著の「神々の指紋(原題:Fingerprints Of The God)」を読んでいた時だったので目に留まった。例の石をどうやって積み上げたとか、高さは円周率(π)を使い、3つのピラミッドがオリオン星座の形になっているなど、高度な紀元前の文明とその謎に暫し立ち止った。そう言えば、人類の起源はアフリカで、今の日本人もそこから来たとか!というから、地球の過去には想像を絶するものがあったのかも知れない。

30年ほど前になるか、そのピラミッドを訪れた。26度の急勾配の通路を身を屈めながら中央の王の間に向かって登った。着いた先はガランとして空間だったが、そこに置かれたいた石棺で、ナポレオンが一夜を過ごしたというから驚いた。暑さと酸欠でフラフラになった記憶がある。

参加したツアーは10名ほどの日本からの旅行者だった。ある時参加者の一人から「社会科の先生ですか?」と聞かれた。「ハァー・・・」と黙っていると、いつの間にか皆から先生と呼ばれるようになった。旅の中でも唯一の団体旅行で、楽しかった思い出がある。

Friday 18 November 2016

アメリカの利上げ

トランプショックで、思わぬ株高になってきた。アメリカの減税と財投を期待しているらしい。長い間待っていたFRBの利上げもいよいよ秒読みになっていた感がある。黒田日銀の物価2%の目標も、ひょっとすればあっと言う間に達成されるかも知れない。

先日、元伊藤忠会長の丹羽氏の「習近平は一体何を考えているのか?」の新書を読んでみた。過激なタイトルとは裏腹に、実務家らしい緻密な視線が印象的な本だった。中でもアメリカの利上げは、中国経済が要と言う。つまり利上げをすれば世界のおカネがアメリカに集まるが、世界の景気循環、取り分け中国が失速してしまっては元も子もないという件である。だからアメリカは中国経済を見ている。表向きは対峙しているが、テーブルの下では手を握っていると言われる所以である。

しかし、それらの期待が裏切られれば元の木阿弥だ。金利を上げても、経済が付いて来なければ逆戻りになってしまう。取り分け、今回はアメリカの白人層が心配だ。白人労働者がまさかホワイトカラーに成ろうと思っている訳ではないだろうが、変わらぬ現実に直面した時が心配だ。今の株価はそれを織り込んでいればいいのだが・・・。

Thursday 17 November 2016

彦根から関ヶ原へ

いつもは新幹線で通り過ぎてしまうが、時間があったのでローカル線に乗ってみた。琵琶湖線から米原で東海道本線に乗り換え、名古屋まで出るルートである。途中、彦根で下車した。前回来た時は入れなかった彦根城を一度見てみたかった。

夕方の薄暗い中、石垣を登ること数分、辿り着くと城は思ったより小さかった。それでも階段は急勾配で、ベルギー人一行とフーフー言いながら必死で上がった。天守閣から見下ろした琵琶湖は、当時の面影を忍ばせた。築城は1622年というから、かれこれ400年なる。タクシーで駅に戻ったが、運転手が「この辺の観光地と言えば、彦根より長浜です!」と言っていたのが気になった。

して米原から大垣を経て名古屋に向かった。途中、関ヶ原駅で電車が止まった。辺りは山に囲まれた静かな一帯だが、古戦場の名を冠した駅があるとは知らなかった。とても徳川、石田両軍合わせて15万人が剣を交えた場所には見えない。ただネットで調べてみたら、当時を語るスポットが盛り沢山だという。次回は是非訪れてみたい場所になった。

Monday 14 November 2016

インフェルノ(Inferno)

ダン・ブラウンの三作目、「インフェルノ(Inferno)」を見た。冒頭からトム・ハンクス扮するラングドン教授が出て来て追われている。目まぐるしい展開に、何が何だか分からない。前日の酒が残っていたせいもあって、頭が痛くなってきた。例によって、イタリアの歴史建造物を舞台にした謎解きは面白いが、一体誰が何にために戦っているのか殆ど分からないまま進行した。

ただ相変わらず舞台は華やかで楽しめた。イタリアのフィレンツェから始まりベネチアに移り、最後はイスタンブールの地下で終わる。今回はダンテの神曲がテーマだったが、ちょっとした教養があれあば、同じような仕掛けを作れる気もした。また前回の「天使と悪魔(Angels and Demons)」は原爆、今回は細菌が脅威だった。分かり易くていいが、折角歴史を深堀しているのだから、パンドラの箱を開けるような仕掛けがドキドキする。

最近は映画付いていて、ボーンシリーズの5作目「ジェイソン・ボーン(Jason Bourne)」も見た。こちらも同様に、余りにも早すぎる展開に着いて行けなかった。未だに一度ではストーリーが理解出来ない。

Sunday 13 November 2016

石黒修さんを偲んで

テニスの石黒修さんの訃報があった。享年80歳だった。我の事は忘れ、石黒さんも歳を取ったものだと思った。石黒さんと云えば、日本テニス界のレジェンドだ。デビスカップの活躍も沙流事ながら、プロ第一号だった。生憎と世代が違うので現役時代を知らないが、さぞかし格好良かったのではないだろうか。先日の日経新聞の私の履歴書で、東宝の松岡さんが出ていたが、恐らく同じ世代だろう。

石黒さんを初めて見たのは、渋谷の東急百貨店のテニス用品売り場だった。三菱電機から東急に移った頃だったか?「あっ石黒さんだ!」、そうは分かったが、とても近付ける雰囲気ではなかった。そそくさと退散した記憶がある。2回目は彼が50代の頃だったか、自身が入っていたテニスクラブに来たことがあった。ネット越しにそのプレーを見たが、サーブの振り下しが早いのが印象的だった。迫力は左程無かったが、厳つい肩でコンパクトに振り回すフォアハンドは、正にテレビで見た彼だった。

今日は風もなく温かな一日であった。テニスコートで、横にいた長老が石黒さんと同じテニス部だったので、「ご同期位ですか?」と聞くと、「俺の方が上だよ」と叱られた。頑張ればまだまだテニスは出来たのに・・・。

Friday 11 November 2016

有馬の中韓人

晩秋の六甲は寒かった。三宮から電車に乗り、2年振りに有馬温泉を訪れた。静かに温泉に浸かろうと思っていたら、平日だというのに大混雑だった。良く聞くと韓国語と中国語ばかりが行き交っている。日本中、どこに行っても半ば占領状態だが、山の奥まで一杯とは驚きだった。ゆっくり寛ぐ気にもなれず、そそくさと逃げるように山を下りた。

特に中国人の声は大きく、何気ない会話も日本人には怒鳴り合っているように聞こえる。それでも、普段の電車の中では自重しているのがよく分かる。ただそれも例の「カエルの楽園」ではないが、ウシガエルが半数を超えると突如状況は変化する気がする。いい例がGDPである。2011年に中国が日本を抜いて第2位になると、急に態度が豹変し大国意識が擡げ出した。

今回のトランプの勝利も英国のEU離脱も、根っ子は外国からの移民が増えたことだ。観光客ならまだいいが、日本の国際化も間違えると、同じような道を辿る気がした。ともあれ折角の有馬温泉であったが、今日火事があった。早めに切り上げて良かったのかも知れない。

Thursday 10 November 2016

トランプ氏が勝って

それにしても驚いた。まさか大統領選でトランプ氏が勝つとは思っても居なかった。日経平均が昨日は1000円下げ、今日は1000円戻す混乱はそれを物語っていた。アメリカの選挙戦の事は良く分からないが、白人のシニアの多くが彼を支持したという。田舎に行けば行くほど人気があると聞いて、イタリアのベルスコーニ氏を思い出した。保守的でカネの匂いがし、女性関係が華やかでしかもどちらも金持ちだ。

日本の反応は、米軍の駐留費の肩代わりや輸出品の関税が高くなるなど、戦々恐々としている。ふと思ったが、戦時中のマッカーサー元帥ってこんな先入観だったのかも知れない。ただ、いざ駐留すると天皇を大事にし国の復興に尽力し、マッカーサー通りではないが、最後は畏敬の念に変わった。今回もひょっとしてデフレから脱却し、憲法改正や国連の常任理事国入りを後押しする切っ掛けになるかも知れない。

ところで、トランプの勝利を随分前から予想した木村太郎さんって凄いと思った。彼は長年の職業感だと言っていたが、多くがクリントンに傾く中、唯一頑なに信じていた。中々出来るものでない。

Monday 7 November 2016

保険より今に投資?

ゴルフ仲間のSさんが念願のホールインワンを達成した。毎週のようにプレイしている彼だが、生涯初めてだという。それは嬉しそうだった。「これでも引っ叩いて下さい!」と、羨む同僚に記念品のボールを作り配っていた。幸いゴルフ保険に入っていたので、出費は救われたらしい。それを聞いてハタと考えてしまった。というのも、元々保険には極力入らないことにしているからだ。

若い頃は会社に出入りする生保のおばさんに半ば強制的に加入させられてしまったが、ある時期から考えが変った。それはバブルの末期、信じていた会社が傾き始めたからだ。不透明な将来より、現実の今を取りたい、そう考えるようになった。例えばお寿司、昔は一番好きなトロを最後に残したが、最近は最初に食べてしまう。保険の掛け金があるなら、今に投資する。どこかで、日本人の生命保険に掛けるお金は世界一だと聞いたこともあるから、強ち間違えでもないだろう。

そうは言ってもホールインワンは気になって仕方ない。万が一入れば20~30万円が出ていく。身近に出た人が居ただけに悩ましい。

Friday 4 November 2016

赤い風船

大昔の話になるが、学生時代におじさんから家庭教師をやらないか?と話があった。生徒は何と浅田美代子さんで、当時女学館高の2年生だった。堺正章の「時間ですよ!」に出始めた頃だった。勿論、二つ返事で引き受けた。おじさん同士が同じ会社だったこともあり、進学を心配して親が相談したようだった。思いも寄らぬ幸運の矢を得た。

早速ブロマイドが数枚送られてきた。プロが撮った可愛らしい笑顔が、今まで見た事もない世界に見えた。ところが待てど暮らせど一向に連絡がない。変だなと思っていたら、人気が出て高校を中退し芸能界入りしてしまったらしい。ブランコに乗って歌う「赤い風船」が身近になっていただけに、ガッカリした記憶がある。

彼女はそれから暫くして吉田拓郎氏と結婚した。最近、ボブ・ディランのノーベル賞に引っかけよく新聞に出てくる彼である。そんな事で、忘れていた当時を思い出した。何度も思うが、あの時家庭教師をやっていたらどうなっていたのだろう?

Wednesday 2 November 2016

秋の竹原

瀬戸内の町、竹原を訪れた。広島空港から山をぬって海に向かうと、中洲みたいな町に出た。ホテルにチュックインし、まだ陽が残っていたので、保存地区に行ってみた。安芸の小京都と呼ばれるだけあって、江戸時代から明治にかけての古い町並みが情緒的だった。マッサンこと竹鶴酒造の地元ということもあり、リタさんと並んだ像も建っていた。

それにしても、呉に近かったので戦争中の爆撃はなかったのだろうか?そんな事を考えながら1時間ほど歩き、通り須賀らの赤提灯に寄った。老夫婦が40年以上も続けている店だった。寒かったので、熱燗を頼むと、「誠境」という珍しい地酒が出てきた。おでん、茹でた小エビ、そして焼き鳥と言われるままにつまむ。隣で90歳になるという地元の長老が飲んでいた。常連らしく、一合に湯豆腐を飲むと、さっと切り上げて行った。

昔は塩田で栄えた町である。そう云えば、焼き鳥の塩加減がやけに効いていた。人影も疎らな静かな町であった。

Sunday 30 October 2016

葛餅のトラウマ

日本人だったら、おそらく嫌いな人はいないだろう、それが葛餅である。無味だが、きな粉と黒蜜を掛けると味が引き立つ。それはフグ刺しに似ている。酢醤油に付けて初めて食感が出て来る。正にモノトーンの日本文化を象徴する食材である。

と言う事で、時々住吉の葛餅を買って帰る。勿論自分用であるが、時々「ひょっとして今晩はご馳走になってしまうかも?」という時に、お土産用として持っていく。ボリュームがあって重く、それでいて値段が手頃なのでこの手にピッタリである。何と言っても賞味期限が短いから、貰った方は生物特有の有難さがある。

実は亡くなった祖母が大好きだった。祖母は私が海外駐在していた時に、ある人が飛行機に乗ると聞いて託してくれた事があった。ところが葛餅の賞味期限は大体3日だから、着いたら直ぐに食べないといけない。祖母はそれが心配で心配で、毎日「食べた?」と慣れない国際電話をしてきた記憶がある。以来、今でも葛餅は3日というトラウマが出来てしまった。

Friday 28 October 2016

Apple-Pen

I have a Pen, I have an Apple. Oh!Apple-Pen. 今は流行のピコ太郎の動画である。改めて見てみると、何のことはない動画である。チンピラ風の男が適当な芸をやっているって印象だ。

今日は金曜日、風邪で喉が渇いたので昼から飴ばかり舐めていた。そのせいか喉がとても乾いたので、帰り道にいつものパブに寄った。やっとたどり着きお目当てのOld Speckled Henを飲んでいると、横の男が話しかけてきた。聞くと英国人で日本に滞在してながらドキュメンタリーを作りをやっていると言う。傍らには大きなカメラがあり、今週末はハローウィンを撮りに行くらしい。

ピコ太郎のネタもハローウィンも、どちらも外来をネタにした現象だ。昔から海外製品を日本風に加工して輸出するのが得意だった国民性だが、今や三次産業が引き継いでいる。

Thursday 27 October 2016

看護婦は天使?

先日、横浜の病院で点滴事件があった。不思議と犯人はまだ捕まらないが、それにしても40人以上が異常な死を遂げたとは驚きだ。そんな矢先、カナダでも同じような事件があった。こちらは看護婦が患者に異物を供与したとして逮捕されたが、8名の長期入院患者が犠牲になった。

10数年ほど前になるか、膝の手術で1週間入院したことがあった。冷房は効いているし、何と言っても看護婦さんが親切で居心地が良かった。入院は前にも後にもこれ一回キリだが、それは天国であった。看護さん達は若くて可愛いし、言う事は何でも聞いてくれたので、出来ればずっと入院していたかった。正にそれは天使に見えた。


それもあってか、今回はショックだった。最近は介護ビジネスが盛んだから、医療の世界に色々な人が入ってくるのだろうか?動けなくなったら、最後の最後はその天使に身を任せたいから・・・。


Wednesday 26 October 2016

フィリッピン人あれこれ

フィリッピンのドゥテルテ大統領が来日している。麻薬者の過激な取り締まりや、アメリカとの決別宣言などで出しは荒々しい。何年か前にマニラに行ったことがあるが、空港は暗くて立っている軍人が怖かった。道も多くが舗装されてなく、犬の糞が放置されていた。夕方は取引先にサン・ミゲルのビールで招待されたが、お開きにはなると、一緒に飲んでいた輩が時速100キロの猛スピードでホテルへ送り届けてくれた。勿論飲酒運転で、生きた心地がしなかった。


そのフィリピンだが、経済は出稼ぎに頼っている。国民の約一割が海外で働いて母国に送金している。日本ではフィリピンパブが有名だが、駐在していた頃、フィリッピン人のおばさんに世話になったことがあった。中々いい人で、仕事は丁寧だしお金にも清かった。ところがある時、洗濯物の中に他人の下着が入っていたことがあった。聞くと洗濯機を借りて、知り合いの洗濯物を洗ったという。そのおばさんはフィリピン社会の成功者だったから、周囲から色々せがまれたらしかった。

またフィリピンの女性は、水商売でなくても独特のけばけばしさがある。ある時、出張で来た女性役員を新幹線に乗せようとしたら、突然行方不明になった。後で分かったのだが、東京駅の公安警察にその道の女と間違えられ連れて行かれた。同じアジア人でも、大統領を含めて、タイやインドネシアとちょっと違う。

Tuesday 25 October 2016

身近な事件

随分昔になるが、日経新聞の朝刊一面を、とある金融事件が飾った。そこには犯人の写真が出ていたが、「あれ!、この人Tさんじゃないか?」と分かった。それはテニス仲間のTさんだった。まさかと思ったが驚いた。普段から奥さんを尻目に、モデルのような女性を連れて来ていたのを思い出した。金廻りが良かったのだろうか?

先日、やはり同様の事件が新聞紙上を賑わせた。この人もどこかで見たことがあったな?と思っていたら、ゴルフ仲間が「あいつ、メンバーのKだよ!」と教えてくれた。言われてみれば、確かにトーナメントで優勝したKさんだった。

世の中は狭いから、悪いことは出来ないものである。昨日まで普通の人が、ある時突然に壁の向こうの人になってしまうのは、仲間にとってもショックだ。それにしても、本人はヤバいな!と思いながらプレーをしていたのだろうか?それを思うと、少し不憫な気持ちになる。

Monday 24 October 2016

ボブ・ディランの沈黙

ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した。ただ、未だに本人と連絡が取れないというから、このままだとどうなるのだろう?勲章は時の権威が決めるから、拒否する人もいるだろう。見近なのは、福澤諭吉だ。門閥制度は親の仇だったから、受け入れる訳には行かなかった。

彼が初めて来日したのは1978年だった。武道館で何度かコンサートを開いたが、とある人に誘われて聴きに行った事があった。音楽とは疎遠だったが、唯一聞いていたのが有名な「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」だった。大きなスクリーンに写し出されたレジェンドを見て、顔と名前が一致した記憶がある。

そのコンサートだが、帰り道にちょっとした事件があった。何気ない一言で、誘ってくれた人の関係が拗れた。後でしまったと思ったが後の祭りだった。歌の一節に "How many roads must a man walk down, before you call him a man"があるが、正に一人前になるには時間が掛かるということだった。詳しく語る心算も無ければ、今更どうしようもない・・・答えは風の中である。今の彼もひょっとして過去と今に彷徨っているもか知れない。

Thursday 20 October 2016

パリのヌーディスト公園

BBCのニュースを見ていたら、パリ市内にヌーディスト公園が出来るという。場所はヴァンセンヌの森のドメニル湖(Lac Daumesnil)であった。西のブーローニュの森に比べれば庶民的な地区だからだろうか? それにしてもミュンヘンの公園の一角や、バルト海岸にヌーディストエリアはあったが、これには少し驚いた。
                                            

そもそもヨーロッパは、冬の日照時間が短いことから太陽信仰がある。夏に太陽を求めるのは、生存本能に近いものがある。もう一つはユニセックス化した社会構成だ。ホモ、ゲイが市民権を得て同棲する国である。セーヌ川の川岸には夏になると砂を撒いたビーチが出現するが、昔からここに集まる人はホモが多いと有名だった。今度もその類の人の気がする。健全な男女ならやはり人前で裸になる事は恥ずかしいものである。バルト海の例では、多くは年配者であった。

自身は勇気がなくて体験したことはないが、ヌーディストビーチに行った友人のHさん夫妻曰く、普段ジメジメしている場所が、太陽に晒されるとカサカサになるらしい。一度覚えると、その快感がなんとも言えないと云う。テロ騒ぎで人気が疎らなパリであるが、新し物好きのパリジャン・パリジェンヌのエスプリが伝わって来るような話だった。

Wednesday 19 October 2016

シックス・センス

昔、シックス・センス(The Sixth Sense:霊感)という映画があった。ブルース・ウィルス演じる死者が、自身が死んだ事を理解しないまま、現世を彷徨う話である。当然周囲は見えないが、本人はそれに気が付かずに話し掛ける。そのストーリーが謎めいていて、最初は分からなかったが、何度か見ている内に段々分かってきた記憶がある。

主人公は云わば透明人間である。昔の知り合いや奥さんに話し掛けても、誰も反応しない。最近、それに近いのものを中高年の世界に感じる。年配者は何を話そうが、何を着ていようが、所詮若い人の視野には入っていない。考えてみれば、自身も若い頃に年寄りは眼中になかったから当然なのかも知れない。

「俺は透明人間だ!」、そう思ってある時、仕事中にこっそり抜け出し時間を潰していた事があった。ところが暫くして戻ってくると、「どこに行っていたのですか?」とアシスタントのおばさんに聞かれた。見えないようで見てたの!?、おばさんのシックス・センスって怖った。

Saturday 15 October 2016

カエルの楽園

百田尚樹氏の「カエルの楽園」は面白かった。1時間程で読める。現在の中国の脅威を、童話風に仕立てている。ワシ(米国)が去ると、ヒキガエル(日本)の地にウシガエル(中国)がのそっと現れる。それは現実のイメージ的にピッタリだった。

読んでいて、グリム童話の「ハーメルンの笛吹男」を思い出した。こちらは中世に子供を連れ去る話だ。そもそも万物の世界は弱肉強食である。いい例が枝の剪定だ。生茂った木を切れば、その空いた空間に隣の枝が伸びて来る。父親を亡くした子供はイジメられるし、選挙に落ちればかつての先生からただの人になるし、サラリーマンも昇進が遅れれば、かつても部下も軽い目で見始める。事実、アメリカ軍が撤退したフィリッピンでは、南洋諸島が埋め立てられた。

カエルは茹でガエルの例が良く引き合いに出される。煮立った湯から中々出れないことから転じて、状況の判断に疎いという例えだ。カエルも政治に入ってきた・・・全く困ったものだ。

Friday 14 October 2016

プミポン国王の他界


タイのプミポン国王が亡くなった。大分前から容態は良くなかった。5年前にホアフィンに行った時、街中に国王の健康を気遣った写真が掛かっていた。後任は64歳の皇太子である。ただ彼は余り評判が良くない。

今から30年ほど前だったか、出張で滞在していたバンコクから、週末を過ごすプーケットに行ったことがあった。小さな飛行機だったが、乗客は全員搭乗が終わって離陸を待っていた。ところが待てど暮らせど中々飛び立つ気配はない。30分程してある男性が乗って来て、やっと飛び立った。聞くとタイの皇太子だという。着いたプーケットでは、別荘に愛人が待っていたらしい。我々泳いでいた沖には、監視艇が留まって警備していた。皇太子には奥さんがいたが、TVで気に入った女優がいると呼び出す噂があったという。当時から、信心深いタイの国民性を思うと将来大変だろうなと感じていたが、それが現実になった。

タイは微笑の国と云われる。女性ばかりでなく、その不思議な柔軟さと強かさから、唯一に植民地を逃れた稀有な国だった。これから人々はその微笑みを守れるのだろうか?

Thursday 13 October 2016

大学入試の電報屋

歳のせいか、人生を振り返ることが多くなってきた。昨日のことは覚えていないが、不思議と昔の記憶は鮮明だ。思えば、恥ずかしことばかりで穴に入りたくなってしまう。

先日、仕事の関係で瀬戸内地方の某国立大学を訪れた時だ。「そう言えばここはN君の学校だったな?」、N君は小学校の友人で、親の転勤で一時住んだ瀬戸内の人だ。その彼が大学受験で東京の国立大学を受けに出てきたことがあった。久々の旧交を温めた後、「また来れないので、合格発表を見てくれないか?」と頼まれた。気安く引き受け発表を見に行ったが、掲示板に彼の番号はなかった。その時は何度も確認したとは思うが、果たして見落としはなかったのだろうか・・・?今になって不安になった。

それで味を占めた訳ではないが、それから大学入試の電報屋をやった。受験日に仲間と机と看板を出し、地方から来た受験生に合否電報を打つ資金稼ぎである。桜散る、桜咲くの一行にその人の人生が掛かっていた!今から思えば冷や汗ものである。

Wednesday 12 October 2016

アメリカ人の鏡

生徒が先生に教えられた通りやったのに、終わってみればその先生から叱られる羽目になった。日清戦争で高校の卒業証書を貰い、日露戦争で大学卒業論文を書き上げたのにも拘わらず・・・。その理不尽さを、先生の立場から解説している

先日、昔の仲間が集まり自然と話題は中国の海洋進出の話になった。するとKさんが、Helen Mears著「アメリカの鏡(原題:Mirrior For Americans:Japan)」がいいよと言うので、早速取り寄せて読んでみた。著者はルース・ベネディクトのような知日家であり、戦後の占領下でこの本を出版した。マッカーサーからは発禁になったが、70年経った今、その冷静な洞察には感心してしまう。

靖国神社の遊就館に行くと、出て来た人は人が変ると云われている。それは、”何故、私達は戦わざるを得なかった?”の問が頭から離れないからである。ただその感情は半ばタブーだから、心の中に仕舞う。だが昨今は、真珠湾の開戦をルーズベルトが事前に知っていたという時代になってきた。少し救われたような気持になる一冊であった。

Tuesday 11 October 2016

ポンド安とシティー

EUからの離脱を受け、英国ポンドが最安値を付けたという。固定相場時代が860円だったので、今の127円は価値が1/6弱になった計算だ。ドルは360円から100円なので1/3弱だからその落ち込みは倍である。日本で言えば500円玉が100円玉になった感覚だろうが、それにしても英国経済が衰退は激しい。心配なのはシティーの今後だ。

思えば、シティーは時代のニーズを受け入れて来た。植民地時代の貿易金融がマーチャントバンクを生み、戦後はアメリカから流れたユーロドルで潤った。そしてユーロが生まれる前は、各国通貨のアービトラージの中心だった。それを支えたのが、シティーの街並みだ。一マイル四方に凝縮した空間は、ディーラーやバンカーにとって居心地がいいものだ。インターネットの時代とはいえ、所詮シンジケーションは人と人の関係で決まる。最近は郊外に移転する銀行が多いが、その基本はそう簡単には変わらない気がする。

加えて為替の自律機能だ。ポンドが弱くなれば、観光客にとっては好都合である。落とすお金も増え、消費が経済の好循環に繋がって行く。イタリアやギリシャの経済が中々立ち直れないのは、このツールがないからだと常々思っている。フランスはファッション、ドイツは自動車、英国には金融が似合うので頑張って欲しい。

Sunday 9 October 2016

館山のスナック

先日、千葉の館山にゴルフをしに行った。随分前から、一度行きたかった場所である。千葉とはいえ、房総半島の先なので都心からは2時間ほどかかる。そのため一泊コースだった。

案の定、ゴルフ場は空いていて、インドネシアのリゾートを思わせる雰囲気があった。高麗グリーンには悩まされたが、海を見下ろすコースはとても満足するものがあった。気候は温和だし、こんな処で余生を過ごすのも悪くない、そんな気分にさせてくれた。

加えて地魚がやはり美味かった。今日水揚げされたという魚がずらっと並び、格安の刺身で鴨川の地酒を楽しんだ。いい気分いなって店を出ると、人気はないけどネオンがやたらに目に付いた。聞くと人口4万人の町にスナックが100軒もあるという。そう言えば小料理屋で隣で飲んでいた男も、これからフィリッピンパブに寄って隣町まで帰ると言っていた。後で聞くと、館山は某暴力団の牙城だそうだ。何日も海に出て、帰って来る男を待つのが酒と女・・・それを仕切るのが組らしい。

Tuesday 4 October 2016

ノーベル賞の世界

今年もまたノーベル賞の季節がやって来た。そう思っていた矢先に、生理学の大隅教授が受賞したニュースが入った。毎年日本人が選ばれ、とても光栄である。ただいつも、理科系の研究中身についてはさっぱり分からない。兎に角専門的で難し過ぎる。一方、平和賞や身近な文学は少な駆らず良し悪しが分かる。何年前だったか、村上春樹が本命視されていた時、中国の莫言が受賞した。早速有名な「赤い高粱」を読んでみたが、なんだコレ!?の世界だった。一方の村上氏も余り好きではない。ふわふわした文体で、掴み処が無くどうもしっくり来ない。

そんな時、いつも主人公のアルフレッド・ノーベルを思い出す。彼は生涯孤独で、唯一の恋は花売り娘だった。それも果敢なく終わり、仕事に明け暮れた人生だった。時あたかも第一次大戦、ダイナマイトの需要は急増し、最後は巨額の富が残った。

ストックホルムの授与式は、今では世界クルーズで入港する観光客のツアースポットになっている。同じホールで正装して会食するのだが、賞に託けたビジネスである。お金の力は大きいから何とも言えないが、これで人生を左右する学者も多いだろう。もっとサラッと受け流していい世界だと思っている。

Saturday 1 October 2016

フリーメイソンの世界


アメリカの大統領選挙が佳境に入ってきた。先日はクリントンとトランプの討論会があった。どっちが勝つのだろう?そう思っていたら、M君が「それはクリントンに決まっている!」と自信ありげに言う。話を聞くと、最近フリーメイスンに凝っていて、情報源はその筋らしい。「怪しげな世界だな?」と言うと、何冊かの本を貸してくれた。宗教臭かったら止めようと思っていたが、結構身近な処に題材が転がっている。




有名なのは1ドル紙幣のデザインだ。ピラミッドと巨大な目。スカイツリーと東京タワーとサンシャインが正三角形になって、都庁、豊洲、日暮里の正三角形と合わせるとダビデの星になるとか、ラジオの周波数は全て6の倍数の18になるとか・・・、鳩山さんの友愛になると少し首を傾げたくなるが、温暖化の議定書など、確かに大きな意図があってもおかしくない。



一時、ノストラダムスの予言にも凝った時があった。本当かなと思って彼の生まれサン・レミ・ド・プロヴァンスや銅像のあるサロン・ド・プロヴァンスを訪れた。以来身近な人になっている。この秋の夜長はダ・ヴィンチ・コードのフリーメイスンの世界に浸りそうだ。

Wednesday 28 September 2016

伊勢籐が恋しくて

便利なようでイライラする都会、どうして欲しいかと聞かれれば、迷いなく「静かにしてくれ!」と言いたい。特に電車の車内放送は最悪だ。毎日通勤している人ばかりなのに、次の駅名放送など本当に馬鹿げている。

多くの人が集まる飲み屋もそうだ。3人も集まればテンションが上がり、30分もすれば殆ど奇声に変わる。特に若い人、それも会社仲間だと尚更だ。黙っていると分が悪いのか、我先に話し出す傾向にある。そんな時、静かに飲みたいな・・・といつも心の中で思う。ボソボソと、途中で話が中断して、又我に返って「何を話していたんだっけ?」と会話が再開する・・・そんな間合いの中で飲みたい。

若い頃よく神楽坂に通った。勿論お目当ては毘沙門天の前の路地を入った小料理であった。新政の樽酒が置いてあった。その道すがらに、今でも健在の「伊勢藤」があった。最近でこそご無沙汰しているが、煩い客は追い出されるし、酒も2合までであった。炉端から運んでくる熱燗は風情があったし、何より泉鏡花になったような大正時代の趣があった。今どきそんな場所ってないのだろうか?

Tuesday 27 September 2016

Cuba & Godfather

"I am coming back from Cuba!" that my friend said to me. Since US moved to normalize the relationship, Cuba has attracted to attention for the tourism. He was one of the man who quickly responded.

Prime Minister Shinzo Abe also visited there last week. It was an impressive speech that he quoted Hemingway`s novel and this beautiful marine charms the world people from old days.I don`t know much about Cuba but am familiar through the Godfather movie. It was in part II that revolution happened in Habana during the evening  reception and all American including Michael tried to escape from the country.

My friend also told it costed only $10 for big red lobster with salad and wine. It looks price is very cheap now. Seeing his pitures, Spanish colonial style building make us nostalgy for old days. I would like to visit once in my life.   

Monday 26 September 2016

ヴォズニアッキの優勝

今週のテニス界は、大阪なおみの活躍が話題になった。日本人離れしたプレースタイルに、誰もが伸びしろを感じた。その東レパシフィックだが、優勝したのはヴォズニアッキ(Caroline Wozniacki)選手だった。派手さこそないが、ベースラインから繰り広げる鉄壁のストロークは、今回も終始安定していた。

そのヴォズニアッキだが、2010年に本大会で優勝している。その年の3月には東日本大震災があったので、コートでは「貴方と同じ気持ち!」と書いた日の丸を持って写真に納まっていたのが印象的だった。彼女は早咲きで、当時は20歳で世界NO1のランキングであった。国籍がデンマークということもあり、バルト海ではCMに連日出ない日はない人気者だった。中でもトルコ航空のコマーシャルは、3分間ほどのコマを日に何度も放映していた。

そんな彼女も26歳になった。相変わらずお父さんが横に付いてサーキットを廻っている。サービスを構える目線が獲物を狙う姿は、昔に比べれば鋭さがないが、勝負への執念はまだある。特に準決勝のラドワンスカ戦でそれを感じた。女子テニスは華やかさが大事なので応援している。

Sunday 25 September 2016

クリミア戦争の映画

今年は良く雨が降る。中々外に出れないので家でビデオを観た。この夏、ブルガリアのシプカ峠を訪れたこともあり、クリミア戦争の「遥かなる戦場(原題:The Charge of the Light Brigade)」を思い出した。改めて見てみると、この戦いでロシアは敗れたが、400年の長きに渡ったオスマン帝国の終焉を物語っていた。この戦いから20年後、今度はシプカ峠の戦いで遂にロシアはオスマン帝国を破った。

映画はイギリスの参戦を皮肉っている。凋落のしかも異教徒に犠牲を払ったからだ。ロシアは熊、オスマンは鶏、大英帝国はライオンである。その眠れる獅子ライオンが目を覚まして熊を退治するのだが、予想外に苦戦した。原題の”騎兵旅団の突撃”は、一瞬にして1/3の騎兵を失ったヴァラクラヴァの戦いを指している。

映画の中にWubbly officerという単語が出て来る。蜘蛛の巣に揺られるような不安定から転じて”頼りにならない士官”という意味だ。それは当時の大英帝国の一面を象徴しているかのようだった。

Saturday 24 September 2016

生きて帰って来た男

昨年の小林秀雄賞を取った本だというので、小熊英二著「生きて帰って来た男」を読んでみた。父親のシベリア抑留と、戦後の半生を描いたノンフィクションだった。ごく平凡な市民が戦争に巻き込まれ、過酷なシベリアで生死を彷徨う・・・まるで濁流に飲み込まれた小枝のようであった。

本の中に死亡率の話があった。ドイツ軍の捕虜になったソ連人は6割、逆にソ連軍の捕虜になったドイツ人は3割、シベリアに抑留された日本人は1割が死亡したという。ソ連の扱いが良かったのは意外だった。中でも収容所の奥さん達は温かったようだ。そう言えばインドまで6000kmを歩いた「脱出記」も、看守の奥さんの手心があった。

読んでいて、映画「ひまわり」を思い出した。ソフィア・ローレンと「戦争と平和」のリュドミラ・サベリエワの演技が冴えた作品だ。ロシア戦線で行方不明になったイタリア人の夫を探すストーリーである。背景には、戦争で男女比が1:9になってしまった現実があった。華々しく鉄砲を撃ち合うばかりが戦争ではない・・・。