Friday 30 September 2011

展示品のない歴史博物館

紅葉が深まる、芸術の秋である。リニューアルしたエストニア歴史博物館を覘いてみた。行ってビックリ、ガランとした一部屋と地下だけで展示品は殆どない、気短な人なら5分で見終ってしまう。それでもって入場料は5ユーロもした、パリのオルセー美術館でも8ユーロなのに。

ただこれにも次第に慣れてきた。エストニアだけでなく、ラトビア、リトアニアのバルトの国々は、400年もの間ロシア(ソ連)に支配されたので、金目の物が残っている筈はなかった。またそもそも自前の王国も無かったので、文化と呼べる歴史的な遺産など無いのである。あるのは旧KGB本部、ソ連とドイツの占領博物館、収容所跡など、暗い過去の関係ばかりである。そう云えばポーランドもそうだった。

 歴史博物館のタイトルは、生存への執念(Spirit of Survival)である。パネルには、「我々はヨーロッパの中で最も不幸な歴史と、厳しい気候の中に生きてきた民族である。こうして生きていること自体が幸せである」と書いてあった。今更だが、時として目に見えない物の方が迫力があったりする。

Wednesday 28 September 2011

ピンと来ないユーロ危機

ユーロ危機が始まって久しいが、1ユーロが100円近くになってきた。私の経験だと、ユーロは120円から160円の間を行ったり来たりするものだと思っていた。やはり事態は予想以上に深刻なのだろう。


ところが当地に居ると、その危機感があまり伝わってこない。大きな理由は3つあると思う。第1は域内貿易が多いため決済通貨はユーロ建て、つまり企業に為替リスクがないこと。強いて言えば財政負担による税や公共料金、住宅金利の上昇等が懸念されるが、実施されるまでタイムラグがある。第2はこれは経済ではなく政治問題だということ。先日もTV座談会で、大手のCEOが「この危機を乗り越えるコンダクターが居ない」と嘆くと、IMFの専務理事は「結局はギリシャの政治家の問題」と切り返していた。第3は欧州の国民性である。多くが人が経済より宗教や芸術の世界で生きている(気がする)。


ユーロ圏は強い経済国がより強く、弱い経済国がより弱くなるシステムである。強い国、例えばドイツはその結果黒字になり、弱い国、例えばギリシャは赤字になる。ところが、その不均衡を是正するために、ドイツはギリシャの債権カットを行うので、結局は均等化される互助会だ。個人的には、”長年の知恵が解決してくれる”と楽観しているが、どうなることやら。

ドナルド・キーン氏の帰化

日本文学の大御所であるドナルド・キーン氏が日本に帰化するという。日本人以上に日本のことを知り、長年住み慣れた日本とはいえ、89歳でこうした決断をしたことに驚いた。週刊誌によると、日本の医療、特に聖路加病院の体験が決め手になったようだ。普段疑問視していた日本の医療であったが、これを契機に再認識もした。

日本人は老後ハワイなど、海外に移り住む人は多い。ただ最後は畳の上で死にたいと、引き揚げて来る人も多い。この辺、島国民族の習性かも知れない。また本人はいいと思っても、伴侶がノーと云えばそれで終わりだ。その点、キーン氏は生涯独身の身軽さもあったのかも知れない。

アメリカの仕事をしていた時に、マイグレーション(Migration)という言葉があるのを知った。「移住」という意味だが、古くは欧州からアメリカ大陸へ、西部開拓史では東から西に、そして現代では東西海岸から南へ、アメリカ人は常に移動を続けている民族である。土地に縛られないアメリカ人と、土地に縛られる日本人、その違いは大きい。キーン氏にもそうした血が流れているのだろう。

Monday 26 September 2011

秋のマッシュルーム狩り

郊外の森を走っていると、路肩に車を止めて森の中に入って行く人たちを見かける。パブ仲間のリチェックさんもその一人で、この時期マッシュルーム狩りに余念がない。


彼はスイス人だが、既に定年を迎え悠々自適の生活をしている。若い時は地元スイスアルプスで山岳ガイドをしていたというので、脚には自信がある。一度連れて行ってやると誘われてはいるが、中々日程が合わず残念がっていたら、この週末、自慢のマッシュルームを使ったリゾットをご馳走してくれた。バターと玉葱との相性も良く、流石採り立てだけあって美味しかった。


マッシュルームの見つけ方は、やはりコツがあるらしい。朝早く森に入り、他人が見つける前に収穫することや、群生している場所には白い菌が付着しているなど.....。ただ、気温が上がってくるとダニや蚊に襲われリスクも大きいという。採ってきたマッシュルームに蜘蛛が付着し、車の中が巣で張り巡らされていた事もあったらしい。ともあれ、美食には相応の対価を払っているようだ。

Sunday 25 September 2011

全米オープンとフェデラー

2週間前の全米オープンテニスは、第1シードのジョコビッチが優勝した。見所は、何といっても準決勝のフェデラー戦、最後までドキドキし面白かった。

大方の予想はジョコビッチ優位だった。しかし蓋を開けてみると、フェデラーが2セット連取し、四方やの期待は高まった。その後2セットダウン、勝負は最終セットへ。遂に5-3になりフェデラーが2度のマッチポイント握った。誰もがこれで勝負は決まったと思ったが、ジョコビッチの捨て身のレターンエースが入り、その後サーブに力が入ったか、こともあろうにゲームを落としてしまった。かくして、息を吹き替えしたジョコビッチに圧倒され逆転された。

最近力を落としてきたフェデラーの、数少ないチャンスだっただけに正直がっかりした。その後彼はどうしていたかと思ったら、オーストラリアのシドニーでデビスカップを戦っていた。最近はフェースブックに登録しておくと、フェデラー本人から通信が届く。ところが今週になり長期休養に入るという。まさか引退する訳ではないと思うが、ファンとして気掛かりだ。

Friday 23 September 2011

中村俊輔とグラスゴーの町

日も暮れたのでグラスゴーで泊まることにした。グラスゴーと云うと産業革命、紡績工場を想像していたが、今では寂れた都会に過ぎなかった。ホテルで「どこか良いパブはないか」と聞くと、"The Pot Still"がいいと言う。行くと大変な人だかり、どうやら地元セルティックFCのサッカーファンらしく、日本人だと分かると「Nakamuraがいたよ!」と話しかけてきた。サッカーは門外だが、あの中村俊輔はここでプレーしていたのかと知った。


セルティック(Celtic)の意味はケルト人、アイルランドからの移民も多く、従ってカソリック系である。そう云えば中村のユニホームも緑と白のアイルランドカラーだった。一方、同じグラスゴーにRangers FCというプロテスタント系のクラブもあり、因縁のライバルだそうだ。ケルト人といってもピンと来ないが、道路標識など今でも英語とケルト系のゲール語の併記がされている。田舎で人と話すと、何だか聞いたことがない言葉を耳にする、途中でゲール語かと気が付くことが良くあった。

グラスゴーの広場には、偉人の銅像が建っていた。誰かと思ったら、「蛍の光」や「故郷の空」のロバート・バーンズや蒸気機関車のジェームス・ワットなど、馴染みの人も多かった。

Thursday 22 September 2011

スコッチウィスキーの旅

スコットランドと云えばスコッチウィスキー、車を走らせ大きな町に入ると醸造所を良く見かける。立ち寄って試飲を申し出ると、小さなグラスの注いでくれる。大抵何種類かの銘柄があるので、比べる為にともう1杯、又次の町に寄っては試飲し・・・。

今回は、ライチョウのマークで日本でも有名な”Famous Grouse”の醸造所を訪れた。スコットランドの古都パース郊外の静かな村にあった。敷地内に入るとモルトのいい香りがし、近くを流れるタレット川の音だけが聞こえてくる。暫くすると、案内ツアーがスタートし、20人ほどの一行に混じって話を聞いた。こんな田舎まで結構来る人が多いに驚いた。Famous Grouseはスコットランド最古の醸造所で、ブレンドウィスキーである。北のハイランド地方に行くとシングルモルトになるらしい。長年親しんではいたが、ラベルに何年物の年数表示がないのに気が付いた。理由を係りの人に聞くと、「それは秘密」と返ってきた。


調子に乗って飲み過ぎると危ない。天国を旅する気分が、本当の天国行きになり兼ねない。いつぞやフランスのボルドー地方(勿論こちらはワイン)で危ない思いをしたことがあったが、ともあれ酒蔵で飲む味に勝るものはない。

Wednesday 21 September 2011

セントアンドリュースのゴルフ場

この週末スコットランドに行った。例の格安航空Ryanairを使い6,000円で往復出来る。まずゴルフの聖地セントアンドリュ-スへ。エジンバラから車を走らすこと3時間、TVで見た全英オープンの広々とした芝生が現れた。


St.Andrews Linksと称するゴルフ場は、全英オープンのOld courseを含め、7コース215ホールもあると知って驚いた。係員の人はとても親切で、週末だが「朝夕だったらラウンド出来るよ、月末はダンヒルカップがあるので駄目だけど」と教えてくれたが、今回は服装の用意もなかったので打ちっ放しで我慢することにした。新品のクラブを貸り50球打って200円、グリーンフィーもオールドコースを除けば1万円程度、10月後半からは半分と、兎に角気軽に楽しめるようだ。多くの人は2万円程度の3日券を使うという。


翌日、ぶらっと寄ったFort Williamsのゴルフクラブで、ジーンズ・Yシャツ姿でラウンドさせてもらった。クラブとボールを含めて2,000円、エジンバラ市内の信託ゴルフ場は何と1ポンドだった。ラフに入れるとまずボールは見付らないし、どこも風が冷たく強い。スコットランドは自然が美しいしウィスキーも豊富だ。ゴルフの腕は3流だが、いつか友人とゴルフサーキットをやる価値はありそうだ。

Tuesday 20 September 2011

ビール祭り

ニュースを見ていたら南ドイツのビール祭り、オクトーバーフェスト(Oktoberfest)をやっていた。バイエルン地方のミュンヘン市に、世界中からビール好き、ドイツ系の人々が集まって来る。

私も昔から一度行きたかったが、まずホテルが1年前から予約で一杯、仮に辿り着けた処でビールのテント席は地元企業が招待用に抑えられているので入れないため、ビールさえ飲めない事態に成りかねない、ということで諦めていた。ところが数年前、たまたま仕事でミュンヘン郊外の企業を訪れた際に連れて行ってもらう幸運を得た。思っていた通り、各ビール会社のテントで朝からフォークソングの音楽が演奏され、仮設の遊園地、地元の人が着飾った民族衣装が雰囲気を醸し出し、それは楽しい1日になった。

タリンでも7月にビール祭りがあった。ひょっとしてビールもタダで飲めるのではと楽しみにして行くと、何のことはない広々とした会場にいつものA Le CoqとSakuの地ビール、土産物屋、子供の遊び場、地元のロックバンドの演奏があるだけだった。伝統や文化の香りがないのに少々期待が外れた。そもそも大勢で飲む習慣があまりない土地柄かも知れない。

Monday 19 September 2011

環境と電気自動車

この春、三菱商事がエストニア政府から排出権10百万トンを購入したニュースが報道された。代金として三菱の電気自動車”i-MiEV(アイ・ミーブ)”を507台納入するという。日頃、日本との接点が少ない国だけに大きな話題になった。

町を走る車は比較的新しい。価格は日本と殆ど同じなので、多くの人は月300ユーロ(3万円)程のリース料を払って乗っている。所得差を考えると、結構な出費だ。一方で中古車も多い。郊外の中古車屋には、20万Km以上の走行距離の車がゴロゴロ置いてある。値段は6-10万円程度とこれまた安い。大丈夫なのかと聞くと、「毎年の車検が義務付けられているので、大事に乗れば40万Kmまでは走る」と言われた。


エストニアの発電源は二酸化炭素を多く含むオイルシェールのためか、環境への関心は元々高かった。早速、6月にアイ・ミーブでタリンから南仏のモンテカルロまでラリーが行われたようだ。当面はソーシャルワーカー向けに50台を割り充てる予定で、先月から利用申請の受け付け始めた。その内電気自動車のタクシーも出て来るかも知れない。

Thursday 15 September 2011

徳永英明の歌声

朝晩の冷え込みが次第に厳しくなってきた。去年の冬、スーツケース1つでやって来た頃を思い出す。


辺りは一面雪景色、バルト海の街は比較的温かいと聞いていたが、近くのスーパーに500m歩いただけでも凍りつく寒さだ。人気のないヨーロッパ特有の景色も、余計寒く感じられた。日本では殆ど使わなかった雪山用のダウンジャケットが初めて役に立った。雪道を歩きながら、ナポレオンがロシアの原野を敗走する映画のシーンを思い出す。


家に居てもまだTVやパソコンが繋がらない、冷蔵庫のモーター音だけが鳴っている。そんな中、友人のT君が餞別にくれた徳永英明のCDに聴き入った。まさに”雪に染み込む”ような歌声であった。遠い過去のことや、色々な記憶が蘇ってくる。今年もまたあの冬が来ると思うと気が重くなる。

Wednesday 14 September 2011

ゴミ事情

早朝、家の前を掃いている光景をよく見かける。そのせいか、道にゴミはあまり落ちていなく総じて綺麗だ。犬の糞も、公園に専用の回収ボックスが置いてある。ただ家のゴミとなるとちょっと事情は異なる。

日本では常識になっている分別ゴミが、当地ではまだ浸透していない。私のアパートでも駐車場に置いてあるゴミ箱に何でも捨てる、これには少し罪悪感を覚える。ただ最近、大手スーパーに瓶の回収機器が備え付けられているのを発見した。

対象は空き瓶やペットポトルで、一本毎に機械に入れると中で識別する仕組みになっている。終わったところで出て来たレシートを持ってレジに行くと、1本0.08ユーロ(約10円弱)で現金に換えてくれる。ビールが1本0.8ユーロ程度なので大体10%が回収費になる計算だ。そのためか、朝早くからそれらしき職業と思われる人々が、大きな袋を持ってやって来る。1日2~3ユーロで暮らしている人は多いと聞くので、ちょっと集めると生活費になるようだ。

Monday 12 September 2011

タリンマラソン2011

この日曜日、恒例のタリンマラソンがあった。前日までの雨も上がり、秋晴れの下16,000人、40カ国の人が参加した。東京マラソンが35,000人なので、小さな町にしてはどこから出て来たかと思う人の数だ。レースは42km、ハーフ、10km、それに徒歩の4つで、私も10kmに参加した。

コースは、旧市街を出て海沿いの道を往復、中世の石畳や電車道もあり変化に富んでいる。競技方法は、靴にチップを付けて計測、途中の給水など日本のそれと殆ど変わらない。違いと云えば、応援の太鼓がジャズであったり、チアガールが沿道で声援したり、剣闘士の仮装がいたり。感心したのはマナーの良さだった。日本では(汚い話だが)ランナーが唾を吐くのを黙認しているが、これが殆どなく気持ち良かった。

面白かったのは、デモのようにコースを歩く10kmの徒歩だった。多くの人は、冬の雪道を散歩する時に持つポールを両手に持って歩く、中にはベビーカーにゼッケンを付けて歩く主婦もいる。わざわざ参加費を払ってまで歩く程の事でもないと思うが、イベントの少ない土地柄だからかも知れない。家から会場まで歩いて行き、荷物はいつものPubに置かせてもらった。終わってからの一杯が美味かった。

Sunday 11 September 2011

9.11、その日その時

今日は9.11、あれからもう10年になる。あの日のことは今でも良く覚えている。当時、NYのウォールストリートにあるN社の日本法人で働いていた。夜になるとNYの本社と交信する。例によって同僚が電話をしていたかと思うと、「あいつ、突然電話を切りやがった!」と怒鳴っている。何度掛けても通じない。その日は夜遅く近くのレストランで食事をし、家に帰るとあの映像が飛び込んできた。

暫く経ってから、本社のC社長がその日の出来事をリアルに伝えてきた。事態を察して直ぐに海沿いに逃げたことや、その後の犠牲者への心情など。従業員に一時金を出して、「これで家族と食事をして下さい、せめても明るいひと時を!」と励ましたり、ボランティアに奔走したのを聞いて、アメリカ人らしいハートも感じた。

例のトレードセンタービルにはその前年に訪れていた。最上階のF社は、応接に置いたルノワールなどの高級美術品で客を出迎え、(高さが)世界最高の美術館と豪語していた。そこにたどり着くまで、1階の受付で身分証に貼る写真を撮るだけでも30分も掛かった。万全を期していた筈のビルだった。事故があってから、階段を降り九死に一生を得た友人もいる。月日の経つのは早いものだが、まるで昨日のようだ。

Thursday 8 September 2011

集落のない景色

当地の田舎をドライブすると、「景色が変わらないのでつまらない」という人が多い。どこまで行っても森と野原ばかりで、肝心の村がないからだ。ドイツ人の荘園制度の下、農奴だった時代が長かった影響で、今でも群れずに住む習性がある。森の中に入ると、こんなところに家が建っていると驚くことが良くある。これを分散村(Hajaküla)と言い、国の形になっている。

こちらの人に寂しくないのかと聞くと慣れっこだという。治安はいいし、いざという時は猟銃もあるので心配ないらしい。それより、好きな時に釣りやキノコ採りは出来るし、馬や犬との伸び伸びした生活は代え難いものがあるという。考えてみれば都会で住む方がよっぽど大変かも知れない。孤独な群衆という本があったが、他人の視線に晒されながら生きる都会は孤独が付き纏う。その点自然は厳しいが優しい、何より四六時中変化する景色は人を飽きさせない。

日本では北海道がここに似ている気がする。TVドラマ「北の国から」で描かれた富良野の世界だ。中々真似するのは難しいが、どこか不思議な魅力がある。

Tuesday 6 September 2011

ロシアの国民感情

夕方になると近くのサッカー場で良く練習試合が始まる。先日は18歳以下のエストニア代表と、在エストニアのロシア人チームの試合があった。当地のロシア人は人口の30%、一見融和している様に見えるが、住居などまだまだ国内の棲み分けが残る。

こうした現状を本国はどう見ているのだろう。先般、ロシアのインターファックス社が行った世論調査によると、ロシアが親密と思う国のベスト5は、1)ベラルーシ、2)カザフスタン、3)ウクライナ、4)ドイツ、5)中国、逆に親密と思わない国のベスト5は、1)グルジア、2)ラトビア、3)ベラルーシ、4)アメリカ、5)リトアニア、であった。


このように、バルト3国に対する国民感情はあまり良くない。その原因は第2次大戦時の豹変にあるらしい。ソ連の属国と思っていた国が突然ドイツと共に銃を向けてきたからだ。特に将校(=指導層)を多く含んだことが、国として取り組んだ印象を与えた。ステレオタイプの国民性が気に喰わないのだ。しかし元々侵略してきたのはソ連なので、それを言う資格はないと思うが、長年蓄積した国民感情は如何ともし難いものがある。特に戦後、子飼いと思っていた国々が自国よりいい生活をしているのも、感情的に許せないのだろう。1つの国に2つの民族、複雑な共存はこれからも続く。

Monday 5 September 2011

モーリーマロンの歌

今週はやけにアイルランド人が多い。夕方から旧市街のアイリッシュパブ「モーリーマロン”Molly Malone”」を占領し、大挙して気勢を上げている。おそらくフットボールだろうと、聞いてみると案の定、エストニアとの試合を見に来たという。ただアイルランドでなく(英国領)北アイルランドだと、「北」を強調する。

その内、アイルランド民謡の演奏が始まったかと思うと、大男が代わる代わる踊り始めた。腕を後に組んでステップだけで踊る独特のダンスだ。皆楽しいそうである。北アイルランドはアイルランドなのだと言っているようにも聞こえる。それにしても、長く抑圧された歴史から、どうしてかくも軽快で陽気なリズムが生まれるのか理解に苦しむ。

一番盛り上がったのは、店の名前の”Molly Malone”の歌が始まった時だ。Molly Maloneは17世紀の魚売りの女性で、貧しい人にも魚を分け与えたところから、誰もが知っているアイルランド民謡になった。貧しさから立ち上がる不思議な旋律がある。隣り合わせたリバプールから来たという英国夫婦も大きな声で熱唱し始めた。アイリッシュとイングリッシュの関係、よそ者には分かり難い。

Sunday 4 September 2011

Sushiとコスプレ

エストニアに住んでいる日本人はまだ50人程しかいない。半分は留学生、そして大使館員、現地の人と結婚している主婦、芸術家等々、日系企業は小さな木材会社があるだけだ。そのため日本人がやっている本格的な日本レストランは未だない。


ただ昨今の日本食ブームで、現地の人がやっているレストランは何軒かある。物は試しに行ってはみたが結構流行っている。特に”Sushi ”は今や国際的な健康料理なので人気が高い。中には、日本のアニメを題材にウェイトレスがセーラー服で給仕するすし屋がある。名前がスシキャットというので、誰かに「日本では猫は神聖な動物なのか?」と聞かれたこともある。そう云えば、一度カフェでお茶を飲んでいた時、コスプレ姿の女の子の一団が入ってきた。聞くとタリン大学の日本語学科の学生で、わざわざ日本からコスチュームを輸入して楽しんでいるという。これには驚いたが、かくして日本文化は拡散していくのかと思った。

和食は恋しいが里心もつく。何もここまで来てイミテーションで我慢する必要もないと、遠慮させてもらっていた。ところが最近週に2日だけ、日本人の人が和食を作り始めた店が出来た。何とも嬉しいニュースであった。

Saturday 3 September 2011

冬支度の秋

9月になった。いつの間にか朝が始まるのは6時過ぎ、陽が暮れるのも20時頃になり始めた。毎日日照時間は5分も短くなっているので、まさに秋はつるべ落しだ。外は大分涼しくなりセーターが欠かせない、港町のため相変わらず風は強く朝晩は冷える。


1日から学校も始まった。始業式を終えた親子が夕方からフリーダム広場に集まっていた。子供向けの歌イベントやお店が出ていて、その日は食事をして帰った家族が多いという。タリン名物の焼きピーナッツ屋さんも、売り子が冬の装いになった。この格好で真冬に備える。パブ仲間は週末、森にマッシュルーム狩りに行くという。

テニス倶楽部からやっと入会の通知も来た。結構審査が厳しく、申請してから3ヶ月も掛かった。早速挨拶に行くと、「あと外でテニスが出来るのは2ヶ月ぐらいかな?、雪が降るまでね」と言われた。ヨーロッパの秋は短い、もう暫くすると長い冬がやってくる。

Friday 2 September 2011

吠えない犬

日本の話になるが、ある時近所の老夫婦がやってきて縁談を持ち掛けられた。といっても犬の話で、先方はメスのラブラドール、1歳になったばかりの我が家のオスのラブラドールの子供を授かりたいという。どうぞどうぞと快諾すると、それから数か月して計ったように9匹の子供(黒が3匹と黄色が6匹)が生まれた。我が家ではその一匹を引き取ったが、盲導犬になる犬にしては良く吠える。行き交う犬も賑やかだが、狭い公園では飼犬の事故が絶えない。


先日、福田直子著「ドイツの犬はなぜ吠えない?」を読んでいたら、犬の出来不出来は70%が躾で30%が環境だという。早速最近犬を飼い始めた知人のドイツ人に聞いてみた。そうすると、確かに飼い始めて暫くは週1回子犬学校に連れて行って基本的なことを教えるらしい。ただその他は、1日散歩を沢山するとか、犬との会話に努めるとか、特に変わったことはやっていないという。滅多に吠えないのは、森に囲まれた理想的な環境だと返ってきた。

当地でも生活に余裕が出てきたせいか、犬を飼う人が多い。どこの犬も、兎に角大人しいのにびっくりする。時折行く田舎の犬は、いつも池で釣りをしているご主人の横で幸せそうに寝ている。近づくと後ろ下がりして、木陰に隠れてしまう。犬も社会の生き物、環境がいいとおっとりと育つのかも。

Thursday 1 September 2011

ヴェンツピルスのアコーデォン弾き

ラトビアを旅していると物乞いが多いのに驚く。多くは普通の男、
カネやタバコだけでなく、ビール奢ってくれという不束者もいる。

国が荒廃しているのは勿論経済の停滞だ。2008年に国内2位のパレックス銀行が倒産してから失業率は20%を超えるなど、EUの中でも最悪の国になった。加えてロシア人問題がある。ソ連解体後に国に帰らず無国籍になった者が今でも国民の20%以上もいる。エストニアでもこの問題はあるが、それでも7%程度だ。無国籍者は、本来は国から出て行く人達だったので、居残っている不気味さがある。本人はパスポートがないので国から出ることも出来ず、そうした絶望感が物乞いに繋がるのかも知れない。


ラトビアの西にヴェンツピルス(Ventspils)という港町がある。リガ湾の入り口に位置し、バルト海を隔ててストックホルムも近く昔から交易が盛んだった町だ。そのためラトビアの中で最も経済状態がいい町と云われる。市場の近くを通ると民謡のような懐かしいメロディーが聴こえてきた。見るとスカートを履いた男がアコーディオンを奏でている。暫し足を止めて耳を傾け、去り際に小銭を投げ込んだ。すると子供がハエのように集まってその小銭を取ろうとする。アコーディオン弾きは演奏どころでなく、追い払うのに忙しくなった。