Thursday 31 January 2013

ナノテクとコンパニオン

東京ビックサイトでやっている、ナノテクと国際水ソル―ションの展示会に行った。どちらも文科系の者として、分かりにくい分野である。特に目に見えないナノテクは、余計に縁遠く感じる。掃除機や洗濯機を見せられ、「これが最先端のハイテク技術を使った商品です」と言われても、どこがハイテクでどこが旧式か困ってしまうのと同じだ。

ナノテクに比べ、水は少し身近だ。海水を淡水にする技術が紹介されていた。実用化されれば、中東やアジアの人々にとってどんなに生活が改善されることだろう。下水をろ過する循環もあった。今まで捨てていた汚水が、ろ過して飲めるようになれば、これも素晴らしいことだ。

国際色も豊かで、日本ばかりでなく、韓国、ロシア、ドイツ、ベルギー、スペイン、イラン等々多くのブースが出ていた。ただ、一番印象に残ったのはコンパニオンだった。モーターショー張りのミニに包んだ衣装で、パンフ配りを配られると断る訳にもいかない。アンケートにも、質問が分からないのに、つい応えてしまう。私みたいな人ばかりではないだろうが、華やかな雰囲気だった。来年はもっと勉強してから行ってみたい。

マンガ考

ビルの広場に人がそれも若い学生世代が、昼過ぎから座って何やらステージが始まるのを待っていた。寒いのにコンクリートの上に肩を寄せ合っている。中に頭の禿げたおじさんも混じっている。何のステージかと聞くと、きゃりーぱみゅぱみゅだそうだ。それを聞いて余計に、そのおじさんが小さく見えてきた。あの人は一帯どういう気なのだろうと。

電車の中でマンガを読んでいる大人もそうだ。ネクタイスーツ姿でいい年してマンガを読んでいるのを見ると、腹立たしくなる。“小さな大人”が成熟を意味するなら、“大きな子供”が未成熟な日本人と重なるからだ。同時に、文化と国の荒廃を感じるのだ。ただ結構数が多いので、ある時これは社会現象かと思い始めた。確かにマンガならぬアニメは、今や列記とした日本のソフト産業になって、随分前から世界で浸透し始めた。「めぞん一刻」は20年前からフランスで人気があったが、日本の狭いアパートを舞台にした青春話が受けていた。また先日もNHKフランス語講座で、フランスの学生が教授に、「マンガを勉強するので日本に留学したい」というスキットを使っていたのに驚いた。知らないのは自分ばかりで、いつの間にか世の中は変わってきているのだ。

かく言う私も、子供の時は分秒を惜しんでマンガを読んだ。今でも、外国の名所旧跡で求めるのは小学生向けのマンガ読本である。本だと英語で苦労するが、マンガ本だと時間的に節約できるからだ。あまり偉そうなことは言えない。

Monday 28 January 2013

お棺と寝る中国人

近くて遠い国、それは韓国と中国と昔から言われている。特に中国のことは殆ど知らない。思い出してパール・バックの「大地(The good earth)」を読み直している。1900年初頭の中国を描いた物語で、パール・バックはこれで当時ノーベル賞を取ったという。

面白いのは、人は死期が近づくとお棺を取り寄せ、横に於いて一緒に寝る習慣だ。お棺でもピンからキリまであるので、少しでもいいお棺が運び込まれると、病人は安心して死後に夢を馳せるのだそうだ。今風に考えるととても気味が悪いが、然したる医療もない、死と向かい合える時代の産物だった。それから、喪に服する期間が当時は3年と長かった。この期間、家族の祭事は厳禁され時間が止まった。勿論相続も含まれたので、故人の財産は凍結され、頭が冷えた頃に分割された。

その他、結婚相手探しは親族に頼む習慣、妾・奴隷の余生は保証されたこと、蓄財の銀貨・宝石は壁や地下に埋めて隠す、今でいう箪笥預金が一般的だったこと、農民は貧しいが土地にしがみ付けば生きて行かれたこと等々、古き良き時代の中国が満載している。その後の共産党、文革・・・と続く暗くて重い時代を思うと、とても隣国を感じるのである。


毛沢東の亡霊

尖閣に揺れる日中関係、日増しに緊張が高まっている気がする。その中国を知りたくて、「赤い高粱(コーリャン)」と「ワイルド・スワン」を読み返してみた。赤い・・も凄い作品だったが、ワイルド・・は一少女の目線で見た親近感があった。著者のユン・チアンは自分と同世代、こちらが学校に通っていた頃に、貧困と迫害の生死を彷徨っていたことになる。改めて異国を感じた。

著者は紅衛兵をやる一方で、共産党幹部から反体制のレッテルを張られる両親、些細なことで迫害された人々を見てきた。そこで分かったのは、文革に名を借りた内部抗争、それも毛沢東の保身だった。自分を守ろうと内部に敵を作り、権力に近づく者を粛清する、それも大衆の私的な嫉妬、恨みのはけ口を利用する稚拙な手法だった。これで林彪、劉少奇、鄧小平を追放した。

読んでいて、最近首相になった周近平が「汚職を撲滅する」と言っていたのを思い出した。当時もこれを理由に走資派をでっち上げ、自己批判させた。一党独裁だから、子弟を優先させるのはごく自然なことなのに、いざとなると強権に出る。今回はどうなるのだろう。毛沢東の肖像画はまだ天安門に掛かっている。亡霊が出てきて、内部の敵どころか外部の敵を作り出さねばいいが。







冬の皇居マラソン

冬の日曜日、皇居マラソンに参加してみた。皇居を2周する10kmレースである。朝、眠い目をこすり、着くと多くの若者が集まっている。完走を目標に走り出す。竹橋をスタート、千鳥ヶ淵の登りを過ぎ、半蔵門から桜田門に下ると、眼下にお堀が開けて来た。この季節、緑が透き通った水に浮かび美しい。


さして無事完走、毎日新聞社ビルのシャワー室で着替え、やおら築地に繰り出す。築地は休日でも地方や中国・韓国から来た人で活況だ。今日はご褒美とばかり寿司清本店へ行く。乾いた咽喉にまずは麒麟ビールを流し込み、充実感と昼前から飲む優越感を味わう。正に至福の時だった。

マラソンは決して好きでやっているのではない。飽く迄も補強の一つだ。そんな斜に構えた気持ちが、今日まで続く秘訣である。例えば10kmを走ると、残りの距離を自分に言い聞かせる。例えば3Km走ると後7km、9kmだと後1kmといった具合である。こうすると気が楽だ。また皇居を走ってみたい!そんな気にさせる一日だった。




Saturday 26 January 2013

アゼランカの故郷

全豪オープンも佳境に入り、今夜は女子シングルス決勝があった。ベラルーシのアゼランカと中国のリー・ナの組み合わせだった。リー有利との予想に反し、結局アゼランカが昨年に続き2連覇した。それにしても2人とも元気が無く、見ていて物足りなかった。それでもアゼランカは若くて美人だし、TV映りは良かったので、余興としてはまずまずだったのかも知れない。

アゼランカはベラルーシの選手だ。ベラルーシと云えば、あまり知られていないがシャラポアの故郷だ。このブログでも書いたが、彼女の両親はチェルノブイイの原発事故で、故郷を捨て娘をアメリカに送った。正に原発事故が生んだシンデレラ物語だった。シャラポアは現在アメリカ籍からロシア籍に戻ったが、本当はベラルーシ人なのだった。

ベラルーシは世界自殺番付で4位の国だ。旧ソ連の属国としてさしたる産業もなく、将来に希望が持てないのかも知れない。加えてチェルノブイイ事故も起きた。それでなくても首都ミンスクは、第2次大戦にドイツ戦車隊との激戦地として多大な被害を受けた国であった。試合中に花火が上がり一時試合が中断された。今日は、オーストラリアに英国人が上陸した記念日(1789年1月26日)だったようだが、当時のベラルーシはそれから間もなくしてロシアに併合され、悪夢が始まった。今夜は、そんな暗い過去を吹っ飛ばすようだった。

Friday 25 January 2013

DSK事件が終わって

DSKこと、ドミニク・ストラス・カーンの事件が結審し、被害者に150万ドルを払うことで和解した。事件は2年前、当時のIMF専務理事がNYのホテルで起こした強姦容疑だった。DSKは合意があったと主張したが、結果から見る限り被害者に軍配が上がった形だ。

それにしてもこの事件は最初から不自然なことが多かった。被害者の女性はギニア人の売春婦で、事件後に仲間とつるんでいた会話が発覚したり、事件後何も無かったように友達とお茶を飲んでいたという。折しも当時のDSKは、フランス大統領候補の最右翼だった。もしも彼が立候補していたら、同じ社会党のオランドに代わって大統領になっていたかも知れない。また欧州通貨危機の最中、彼のみぞ知る秘密は山ほどあったはずだ。

DSKは元TVキャスターの奥さんとも離婚、現在はパリ北部のリール市で起きたカールトン事件で調査されている。こちらはリールのビジネスマンや警察幹部が6年間で11回も乱交パーティーをやった事件で、舞台になったカールトンホテルを捩ってその売春グループへの関与が取り沙汰されている。叩けば埃が出る人には違いないが、私にはどうしても黒幕が居る気がしてならない。

Wednesday 23 January 2013

襟を正す地酒の店


昨夜は久々にいい居酒屋に巡り会えた。新橋の駅から徒歩で2-3分のところにある酒店である。日本酒好きのSさんが連れて行ってくれた。店には普段見たこともない地酒が数多く用意されていた。

嬉しかったのは0.7合のグラスだ。飲み比べする酒好きの適量を良く知っている。料理は新鮮、特に鯛としめ鯖が旨く、〆のそばも良かった。それでいて控え目で酒とのバランスがいい。客は酒談義をしながら、静かに酒そのもを楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。こちらもつい襟を正してしまう。水を頼むと、誰かが「これ甘い!」という。店の人に聞いてみたら、源泉を汲んできて濾過し出しているという。細かな気配りが酒を一層引き立てていた。

富山、秋田、佐賀・・・と地酒巡りをし、中でも古伊万里という佐賀の酒が気に入った。出来れば又来て全てを制覇してみたい・・・そんな気にさせる店だった。

アルジェリアの惨事

アルジェリアで大惨事が起きた。日本人を含む多くの外国人がイスラム過激派の犠牲になった。日本と関係が深かった国だけに、とても許せない気持ちで一杯だ。

昔から、アルジェリアは天然ガスの埋蔵量が世界5位の有望な国だ。日本との関係も深く、70年代には日本の銀行が国の経済計画を委託されたり、今回の日揮、伊藤忠など多くの日系企業が関係してきた。私も若い頃、積み荷を東京湾まで見に行った。まだアルジェリアに行ったことがない私に、関係者の人々は首都アルジェは緑が多く、気候もいい素晴らしい所だと口を揃え絶賛していた。

アルジェリアと聞くと思い出すのは、作家のカミュである。アルジェリアからフランスに渡った作家で、代表作の「異邦人」で一躍有名になった。母親が死んだ暑い日に、人を殺してしまうストーリーだ。その原因が太陽の眩しさと不条理だという。当初このロジックがさっぱり分からなかった。不条理は英語の"Absurd"の訳だが、頭と体がバラバラな状態を指す。また原題はエトランジェ―なので、「異邦人」は「外人」だ。複雑に人種が絡み合う土地柄を感じる。

Monday 21 January 2013

タヌキの話


暫く前、犬の散歩をしていた時に、路肩に猫らしき動物が死んでいた。通りかかった人が、「タヌキですよ」と言う。そう言えば猫にしては形が変だ。どうやら交通事故にあったらしいが、タヌキが都内の住宅地に出るとは思わなかった。ところがそれから何日かして、今度は神社の境内で生きているタヌキを見た。そして昨夜は、遂に我が家の庭までやってきた。

区に聞くと、タヌキは保護動物なので駆除はしていないと言う。こうして自然が身近にあるのが、何故かホッとする珍事だった。

タヌキというと、タヌキ親父とかタヌキ寝入りなど、不貞不貞しいが滑稽で愛らしい響きがある。ある時、会社の女の子に「あなたはタヌキに似ているね」と言ってしまったことがある。愛嬌があって可愛らしいという意味を込めて言ったつもりが、機嫌を損ねてしまった。悪いことは重なるもので、その晩はたまたま飲み会に行った店の名前がまた「狸」だった。以来2度と口を利いてもらえなかった。あまり関係ないが、タヌキというとこれを思い出す。


Saturday 19 January 2013

他人の振り見て


板東英二さんが脱税疑惑でTVから姿を消した。板東さんは、「世界不思議発見」の番組に長年レギュラー出演するなど、スポーツと芸能両方に成功した人だった。当年72才、ここまでやってきて、まさに晩節を汚すことになってしまった。

昔、上司のKさんに連れられ、立派な料亭に行ったことがあった。そこは昔からKさんがよく使う処で、女将も若い頃からの馴染みだった。ところが、Kさんがトイレに立って居なくなった時に、女将は「あの人は変わったね・・・」とポロッとため息を付いた。余程若い頃が輝いていたのだろう、巧みな話術で人を魅了するKさんだったが、話し方に品位がなくなってしまったと言いたいようだった。

他人の背中は見えても、自分の背中が曲がってきたのは中々気が付かないものだ。こうなると、”他人の振り見て我が振り直せ”、で行くしかない。最後まで人生は気が抜けない。

Thursday 17 January 2013

ペダルを漕ぐと


もう帰国してしまったが、ベルギー人のBさんは自転車が趣味だった。いつも我が家に遊びに来る時は、ズボンのすそをまくり上げ、ペダルを漕いでやって来た。「車が危ないでしょ」と心配していたら、彼はサイクリング用のいい道筋を知っていた。外人用の地図があり、川副や静かな道を案内していたのだ。後日真似して走ってみると、確かに時間を感じさえないコースだった。
似たような発見は、外人用のはとバスに乗った時だった。英語の案内を聞きながら、普段とは違った東京の景色に驚いたことがあった。高尾山、浮世絵など外人が価値を見出して日本人が再認識したものは多い。カラオケ、アニメ、寿司、禅、柔道、武士道…もそうだ。

そんなBさんは、今でも桜の季節に日本にやって来る。昨年もわざわざ本国から自転車を持参し、まだ寒さが残る山陰と会津の山道を走破した。普段は通り過ぎてしまう景色も、ゆっくり走ると意外な発見があるのかも知れない。

Wednesday 16 January 2013

辛い朝だが・・・

祝日に大雪が降った。成人式の14日、昔からこの頃には良く雪が降る。そうでなくても、寒さで朝起きるのがしんどい。加えて犬の散歩があるので、余計に早起きしなくてはならない。「7時前に起きるのが辛くて・・・」と、同僚のOさん話したら怒られてしまった。Oさんは通勤に2時間以上かけて会社にやってくるので、5時には目を覚ますという。酒も良く飲む人なので夜も遅い。同じ貉(むじな)として頭が下がる思いだった。

学生時代にも、茨城から3時間かけて通学していたK君がいた。奨学金をもらいながら地味な学生生活を送る人だった。長い車中で良く本を読んでいるとは聞いてはいたが、その彼が大学に残り、気が付くと教授になっていた。

サラリーマンにとって通勤時間は大きなウェイトを占める。差こそあれ、どう過ごすかは人生そのものかも知れない。

ロッド・レーバーの思い出

テニスの全豪オープンが開幕した。錦織・伊藤・伊達の日本勢がそろって白星スタートをするなど盛り上がっている。今年もどんな展開になるのか楽しみだ。会場はロッドレーバーアリーナ、往年のロッド・レーバー(Rod Laver)の名を冠した会場だ。

レーバーは今から50年ほど前の、オーストラリアテニス全盛時代の選手だ。グランドスラムも2回獲得し、それまで見たこともないスピード感のあるテニスを持ち込んだ。同世代にはローズウオール、エマーソン、トニー・ローチ、女子ならマーガレット・スミスなど、蒼々たるプレーヤーがいた。そんな彼らと、60年後半の日本に来たことがあった。死んだアーサー・アッシュも一緒だった。当時出来たばかりの東京体育館で見た彼は、168cmと小柄ながら、物凄いサーブ&ボレーを見せてくれた。まるで牛若丸、木のラケット時代にあって、全く別物のテニススタイルだった。

彼も当年75歳になる。誰もが、あれが今日のパワーテニスの始まりだったことを肌で感じている。いつまでも元気でいて欲しい。





Monday 14 January 2013

冬のネズミ退治

我が家は古い木造建て、隙間風が夏は心良いのが、冬になると最悪だ。暖房を付けても部屋が中々暖かくならず、厚着が欠かせない。

そんなボロ屋のせいか、冬の寒い時期になると、どこからともなくネズミが入り込む。夜も更けた頃、屋根裏でガリガリと音がする。また来たな!と思い、駆除剤を買いに行く。随分と前になるが、ある時冷蔵庫の裏に隠れていたのを発見した。この時とばかり我が家の愛犬が飛び付き、退治したことがあった。あまりの騒ぎに、近所の人が何事かとやってきた事件だった。

また今年もそんな季節になってきた。猫ならぬ犬がまた活躍してくれるといいのだが・・・。

Saturday 12 January 2013

旅気分の小川町

去年、小川町へゴルフに行った。池袋から急行で1時間、普段は取り立てて話題にする程の町ではないが、結構気に入ってしまった。

小川町は和紙の産地だ。今でも和紙マラソンと銘打った大会があるが、昔ほどの需要もないので細々やっているようだ。地元の人が、戦時中はこの和紙で風船爆弾を作っていたと言っていた。アメリカまで偏西風に乗って飛ばす本土攻撃用の兵器だ。戦争末期とはいえ、良くもこんなに馬鹿げたことを考えたものだと思ったが、実際300発以上も届いたと聞いて驚いた。地元に「女郎うなぎ」という有名な店がある。名前の由来は風船爆弾の工場労働者街と関係あるのかと思ったが、そうではないようだ。

駅前に小さな居酒屋がある。然したる料理もないが、ここに「帝松(みかどまつ)」という地酒が置いてあった。地元でも店で飲めるのはここだけだそうだ。これを飲んで急行に飛び乗り、一眠りすると池袋の着く。ちょっとした旅の気分にしてくれるのが、小川町なのだった。

Thursday 10 January 2013

リタイア後の居場所

老後はどこに行ったらいいのだろう? 「アメリカ人逃避マガジン(EFAM)」には、アメリカ人の33万人がヨーロッパに移っているという。所詮出戻りではと思ったが、意外と面白い場所に住んでいる。

それによると、ベスト5は、キプロス、スペインの島々、クロアチア、アイルランド、そしてブルガリアだった。年金生活のため、まず物価の安さが必須だ。そして気候、暖かいこと、3番目には文化だ。この要素が楽園ではないが、晩節を全うするに欠かせない条件のようだ。特に文化=宗教は大きい。スペイン、クロアチア、アイルランドは根っからのカソリック、キプロスとブルガリアは土地柄ロシア正教だが根っこはローマカソリック等々、結局居心地がいいのはやはり寛容で常識が通じるなキリスト教、特にカソリックの国だった。

最近の日本人はマレーシアに移る人が多い。物価が安いかららしいが、私にはイスラム国家が心良いとは思えない。実は前述のベスト5の内、3つに共通するものがある。それは島である。日本人は不便と思いつつ留まっているのは、そんな地形の恵みが関係しているのかも知れない。

Tuesday 8 January 2013

老後はカナリ―諸島で


エストニアのパブ仲間のMさんから、遅ればせの年賀挨拶が来た。Mさんはスイス人で50代後半、長年ホテル経営に携わり世界を渡り歩いてきた。いつも顎髭を蓄え、下ネタ話が得意だった。

暫く前からそろそろ引退を考えているようだった。まだまだ元気だが、毎日朝から晩まで人を使うのに疲れたと言っていた。そして今年は、いよいよスペイン領のカナリー諸島に引っ越すことにしたという。カナリ―と云えばアフリカだ。小さなアパート借りてリラックスするそうだ。昨年のエストニアの夏は寒く雨が多く、ただでさえも短い夏が殆どなかったことが効いたようだ。料理の腕も大したものだったが、窮乏生活もそろそろ限界だったのだろうか?

ヨーロッパの人は老後の生活に選択肢が多い。簡単に他の国に行って住むことが出来る。例えばフィンランド人はエストニア、ドイツ人・英国人はスペインのコスタ・デル・ソールや地中海・・・と、やはり物価が安く暖かい近場を好む。不思議とフランス人は国内に留まる。バカンスもそうだが国民性なのだろうか。勿論これらを支えるは年金だ。皆質素な生活だから何とかやっていける。

Monday 7 January 2013

バイロン・ウィンの予想


今年は年初から株価が上がっている。景気は良さそうだ、アメリカ経済が回復している・・・と思っていた。ところが、先日発表されたバイロン・ウィン氏による2013年予想では思わぬ結果が出てきた。

バイロン・ウィン氏はエコノミストとして、長年年末に翌年の10大ビックリ予想をしている。風物詩として、毎年私も楽しみにしている。ただ今回は、S&Pが1,300を割り、金融規制強化で金融株が下がり、欧州も無理が祟り株価は10%低下など、欧米経済についてとても悲観的だった。思わぬ見通しに出鼻を挫かれてしまった。一方で原油は中東依存低下で70ドル割れ、金は1,900ドルを超えるという。ただ日本はというと、円は100円を超え、日経225も12,000円を超えると云うので、我々にとっては少し明るい年になりそうだ。

同氏の予想は、今までどちらかというと経済は楽観、政治は悲観の印象が強かったように思う。その意味で、やや経済を悲観視しているのが少し気になった。2011年、2012年と予想の半分は当たった。果たして今年はどうなるのだろう?

Sunday 6 January 2013

赤ひげ

正月休みに、DVDを借り黒沢明監督の「赤ひげ」を観た。三船敏郎演じる町医者と、加山雄三演じる保本という青年医にすっかり魅ってしまった。学生気分抜けない頃の加山が、この映画出演をきっかけに、芸能界入りを決心したというのも頷けた。

ドラマは江戸の貧乏な庶民にスポットを当て、病の縁っこを抉り出している。病は気からではないが、貧乏人にはそれなりの理由があり、人には言えぬ苦しみが病になっていく、これが赤ひげ先生を通して伝わってくる。

患者は何で苦しんでいるのか、心を看取るのだ、そんな赤ひげ先生に将来を嘱望された青年医は惹かれていく。これを見て、さだまさしの歌「風に立つライオン」を思い出した。アフリカで孤軍奮闘する医者の歌だ。心を寄せる女性にも別れを告げ、自分を必要とするアフリカの人々に捧げる歌だ。久々に心を洗われるのだった。

ママは二人

フランスニュース"20 Minuites.fr"によると、2013年の最初に生まれたフランス人の赤ちゃんには、2人のお母さんがいるという。つまり代理出産のため、提供したお母さんとお腹を貸したお母さんの2人という訳だ。ところがこの2人のお母さんは、同性愛で結婚するというので、流石フランスでも話題になっているという。

随分前になるが、パリのチュエルリー公園をジョギングしていた時だ。敷地内のオランジュリー美術館の脇を通ると男たちが屯っていた。後から分かったのだが、ここはゲイの溜り場だった。パリにはこのような場所が何か所かあり、マレ地区やブローニュの森は有名だ。長年パリ市長を務めたドラノエも、自他公認のゲイだ。ゲイパレードにも参加し、公然と権利を主張していた。

ゲイばかりでなく、フランスの男女関係も分かりにくい。友人を紹介する際に、さり気なく「こいつの奥さんは僕の昔の奥さんで・・」と、ビックリするような会話も多い。日本でもTVのお笑いに登場するゲイが多くなってきた。何だか時代に段々付いて行けなくなってきた。

Saturday 5 January 2013

ダーウィンのガラパゴス島

今日は仕事始め、多くの会社で社長さんが年頭の挨拶をした。「日本、アメリカ、中国・・今年は大事な年で・・中期的で持続可能な・・使命と役割を持って・・、正念場で、生き残りをかけて・・・・」と、毎年眠くなるようなフレーズばかりだ。おそらく年末年始の自宅で草稿を練ったのだろうが、聞いている方は堪らない。どうして身の丈言葉で話せないのだろう?、といつも思ってしまう。


その点、昔聞いたSさんの挨拶は良かった。後のNY総領事にもなった人だ。彼は正月に読んだダーウィンの「種の起源」の話を引用した。即ち、生き残るのは必ずしも強い者ではなく、環境に適応できる者だ、という一節だった。人を包み込むような大らかで知的な人柄が、余計に人を諭すようで薀蓄があった。

ダーウィンは英国人で、学校を卒業してから世界航海に出た。南米に向かい、オセアニアを回り5年かけて戻って来た。その時に種の起源のヒントを得たのが南米のガルパゴス島だった。ガラパゴスと云うと、今では日本のビジネスモデルを指すような自虐的な使われ方をしている。粘り強くて変化に敏感で生命力がある、という意味もあるのだ。

Wednesday 2 January 2013

湯沢の初滑り

天気が良さそうだったので、湯沢に初滑りに出かけた。新幹線に乗ること1時間、ガラガラの車内で、新潟産おにぎり弁当の朝飯を取る。谷川岳のトンネルを抜けると晴れている、今日はラッキーだ。馴染のレンタルショップで準備し、石打丸山へ。家を出て3時間で頂上に着く。眼下に見下ろす南魚沼の景色は、いつ見ても本当に美しい。

3時間程滑り、曇ってきたので早めに切り上げる。温泉に浸かり、いつもの居酒屋に寄る。地元の鶴齢、緑川、吉乃川を一杯ずつ煽り引き揚げる。帰りの新幹線はもう帰省客で混雑していた。

日本のスキー場は小さいけれど、こんなに便利な環境は世界でも珍しい。バルトでは零下10度の中をバスを乗り継ぎクロカントリースキーの周遊コースに通ったが、着くまでに凍りついた。歩くスキーは中々醍醐味が分からない地味なスポーツ。レストランもないので、家に戻って冷蔵庫のビールを飲むしかなく・・・、そんな昨日の事と重ね合わせた一日だった。



Tuesday 1 January 2013

平和の祈り


2013年が明けた。今年はどんな年になるのだろう。元旦の東京は晴れ渡りとても静かだ。家で一杯やり神社に向かう近所の人々、町中一杯に長閑さが漂う。何と平和な、願わくばこんな日がずっと続いて欲しい気持ちになる。

年末に広島旅行を楽しんだ。広島は小さい頃住んでいた思い出の土地だ。昔は宮島に向かう広電の沿線が段々畑だった。春になるとレンゲの絨毯が鮮やかで、寝っころがった。随分前から住宅街に変身して行ったが、瀬戸内の明るい日差しは今でも変わらない。

広島は食べ物が本当に美味しい。お好み焼き、生カキ、穴子飯・・・、今回太田川に浮かぶ屋形船で食べた「カキの天ぷら」は風情があった。お腹を満たしてところで、向かい側の平和記念館に立ち寄った。今まで何度も訪れた場所だが、相変わらずどこから集まったのかと思う程、やたらに外人が多い。館内を廻って暫くすると、誰もが敬虔な気持で無言になり、一人の人になる。傍から見ていて不思議な力を感じるが、こんな瞬間がずっと続いて欲しいと思うのだ。