Saturday 29 June 2013

京都のウィスキー

大阪から京都に行った。今回は鞍馬、貴船の神社に寄ってみた。牛若丸の深山だが、1300年前とは思えない静けさであった。野生の鹿も生息し、清流で冷やしそうめんを出す料理やが立ち並ぶ、夏の観光的スポットだった。

それから南に下り、サントリーの山崎工場を訪れた。出来たのウィスキーを試すと思うと、気持ちが高まる。18年、12年、8年・・・と立て続けに「山崎」を試飲する。お客は誰もいないので、係の女性と話が弾む。彼女曰く、シングルモルトのシングルとは、同じ蒸留所内のウィスキーを指すらしい。またラベルのXX年というのは、最低寝かした年数だそうだ。ここでは、うん蓄が心良い。そして、同じサントリーの「白州」は山梨工場、「響」は山崎と白州をブレンドしたものという。そう聞くと、山梨工場に行って見たくなる。

最後はCask95(95年産の樽出し)とXXX号Potと称する蒸留前の透明の水を試した。一杯100-200円なので、何杯でも行ける。ここも「遥々訪れる価値のある」場所であった。

Friday 28 June 2013

幸之助の教訓

久々に大阪に行った。北浜に泊まり、こじんまりした居酒屋で、地元のマダケ(筍)、ハモのキュウリ和えを肴に、丹波の酒を楽しんだ。大阪というとドブの匂いが鼻を突く先入観があったが、随分と洗練された町になってきた。
翌日は松下幸之助の記念館に寄ってみた。今更だが、幸之助さんは立派な人だっと思った。丁稚でスタートした少年時代、路面電車を見て電気社会を予感したそうだ。写真を見ていて、子供の時から最後まで、顔や目つきが殆ど変っていないのにビックリした。早くして生涯の天命を悟ったかのような人に見えた。

パナソニックは今や大変な時を迎えている。赤字で5000人を削減する一方、18億円の退職金には世間がびっくりした。幸之助さんがいたら、多分こんなことにはならなかったかも知れない。使い古された語録に思うところは少なかった。でも、「愉快に働いておられるか?」の教訓は、十分今に通じる天の声である。


Thursday 27 June 2013

ローラとバングラディッシュ

女優のローラのお父さんが詐欺で国際手配されたという。海外で払った医療の還付請求だそうだが、外人でないと中々思い付かない手口だ。それにしてもローラは気の毒だ。いつも電車のエステ広告で、笑顔を投げかけてくれるだけに、ついつい同情してしまう。

 
彼女はロシア系に見えたが、お父さんがバングラディッシュ人だとは知らなかった。日本には1万人のバングラディッシュ人が住んでいるという。先日ラジオを聴いていたら、東日本大震災が起きた翌日、着の身着のままでボランティアに駆け付けたのが、在日のバングディッシュとパキスタンの人達だったと言う。彼らの国で大洪水が起きた時、日本が助けたお返しだそうだ。日本人でも中々出来ないのに、聴いていて頭が下がる思いだった。

その時作ったのがカレーライスだそうだ。カレーは大人数に高いカロリーを配給できる、正に打って付けの食事だった。日頃殆ど接することはないが、日本には色々な国の人が住んでいる。

Sunday 23 June 2013

カモの家族

近くの公園で暫く前にカモの子供が生まれた。それも二家族でコガモが7羽と9羽もいる。

朝早く犬の散歩方々、カメラを持って見に行く。居場所と思われる川の中州付近には近所の人がいっぱい詰めかけている。朝は年配の人が圧倒的に多い。カモの家族は朝早く川を泳ぎ、7時過ぎには中州に上がり休息をしている。そのため、中々泳いでいる姿を見るのは難しい。特に昼間や夕方行ってもいない。どこかに隠れているのかも知れない。

季節は雨期だ。今年は雨が少ないとは云うものの、雨が降ると川の水位は上がり、用水路状態になってしまう。そんな時、あのカモ一家はどこに避難しているのだろう?ただでさえもカラスなどの外敵から守らなくてはならない。野良猫ばかりではなく、公園には野生のドラマがある。

Saturday 22 June 2013

麒麟の生麦工場ビール

今週は良く飲んだ。飲み疲れの1週間だった。連日歳替えもなく杯を重ね、最後は久々のカラオケまで行ってしまった。

中でも恵比寿のサッポロビールと麒麟の横浜工場では盛り上がった。流石本場の生ビールの味は格別だった。麒麟は生麦の不便な所にあった。近くの駅からタクシーで行ったが、正にミシュラン風に云えば、遥々行く価値がある場所であった。日頃から親しみのあるラガービールだったが、ここのは透明感が全く違った。

ビールは何と言っても出来たてに勝る味はない。ダブリンのギネス、アイルランドのキルケニー、バンクーバーのグランビル、札幌のサッポロビール・・・思えばあちこち行ったものだ。でもまだまだ、今後は取り敢えず国産の残り2社、京都のサントリーと新松田のアサヒビールに行かねば!

Tuesday 18 June 2013

バストーニュのNats!

駅で電車を待っていたらOさんにバッタリ会った。Oさんは開口一番、「この前バルジ大作戦見たよ、バストーニュも出てきたよ!」と云う。知らない人が聞くと、戦争オタクの会話に聞こえるかも知れないが、お互い同じ穴のムジナである。

Oさんは長らくドイツに居たせいか、WWIIの史跡巡りが好きだ。バストーニュはベルギー・ドイツ国境の町で、第2次大戦の末期に連合軍が孤立した町である。霧が晴れず救援もままならぬ連合軍に、ドイツ軍の将校は降伏を迫った。その時の返事がNats(バカ!)、スラングが通じなかったという逸話で有名な言葉になった。数年前にアルザスからオランダに抜ける途中この近くを通った。ハイヤーの運転手は御爺さんはドイツ側、お父さんはフランス側に立って戦ったという息子さんだった。そんな彼が、気を利かせて立ち寄ってくれたのがそのバストーニュだった。

その翌年、また仕事の合間を縫って本格的に周辺のアルデンヌを探索した。連合軍とドイツ軍が置いて行った武器は沢山の地元博物館の保存されており、マニアにとっては貴重な発見になった。その時1ユーロで買った薬莢は宝物である。ひょんな事で当時を思い出した。

Monday 17 June 2013

ロンドンのスリ

ロンドンに住む英国人と話していたら、スリの話になった。昔から大都会にスリは付き物だが、最近は携帯電話が狙われると言う。街中で電話している最中にひったくられたり、テーブルに置くと知らない間に無くなるケースが多発しているという。その数、年間70万台というから半端ではない。

それから新聞紙を持って近づく伝統的な手口も健在らしい。差し出される新聞に気を取られている内に、懐に手を伸ばして財布を盗む。ただ一時流行ったアイスクリームで服を汚し、謝り方々どさくさに塗れて盗む手法はあまりないという。

地下鉄は特に要注意だ。ロンドンの地下鉄は深いので、エレベーターも長い。その特徴を利用し盗むと反対側に飛び乗り逃げる。また地下鉄のドアが開いた瞬間に小銭をばらまき、気を取られ屈んだ隙に懐に手を入れ、ドアが閉まる直前に外に出る手口である。ともあれ、親子代々それを職業にしている人達だ。振り込め詐欺ではないが、次々と新手が出て来るので気が許せない。

Sunday 16 June 2013

田中邦衛の娘さん

NHKのワシントン支局長が女性になった。見ていて安心感がありいい人選だったと思ったが、何とあの田中邦衛の娘さんだと聞いて驚いた。

田中邦衛と云えば、脇役ではいぶし銀のようなの芸人だ。思い出すのは北の国からの五郎だ。富良野の大地に根を張り、素朴で正直な人柄は多くの人の心を打った。特にドラマの後半で遺言を書くシーンがあった。書いては破り、そのうち墨と涙で顔が真っ黒になってしまう・・・、田中さんならではの名演技だった。

そもそも田中さんは昔から年齢不詳の人だった。最初に見たのは60年代の若大将シリーズの青大将だ。とても大学生とは思えない設定だったが不思議と嵌っていた。親の七光りでバカ息子、遊び人だがヒトは良く、スミちゃんを追っかけては最後は若大将にボコボコにされてしまう、ワンパターンの筋書きにピッタシだった。あの時代にはそんな奴が一人二人いたものだ。その娘さんが今アメリカからニュースを伝えている。とても不思議な気がする。

Thursday 13 June 2013

砂の女

先日、ひょんなことで安倍公房の「砂の女」を読み返した。昆虫取りにやってきた男が、村の女に捕まってしまう話だ。もがけばもがく程砂地獄に嵌って行く、怖い話だ。同じ砂だが、松本清張の「砂の器」という推理小説もあった。若い頃明け方まで読んで、犯人が女だと分かった時は眠気も吹き飛び、やはりとても怖い思いをした記憶がある。

それにしても、どうして女だと怖いのだろう?そのせいかお岩さんや貞子など、日本のホラー物の主人公は殆ど女だ。例外はオバケのQ太郎ぐらいである。外国は良く分からないが、マイケルジャクソンのスリラー、フランケンシュタイン、ジキルとハイド、ジャック・・男が多いのに。

日頃から良からぬことを思って生きているからなのだろうか。それとも女性を蔑視してきたツケなのだろうか。はてはジメジメした日本の風土が生んだが文化なのだろうか?こればっかりは良く分からない・・・。

Wednesday 12 June 2013

トップスのチョコレートケーキ

「これからトップスのチョコレートケーキを食べに行くの・・・!」、今から40年ほど前になるか、クラスで紅一点のハイセンスな女子がさり気なく言う。それを聞いた兵がそれはどこかと探し求めて行った店が、当時流行っていた赤坂のTBSビルに入っていた「トップス」だった。
 
トップスのチョコレートケーキは、軽いタッチのチョコレートに胡桃が入った当時は珍しい感覚だった。遠くから時代の先端を求めて食べにくる人も多かった。隣はイタリアンの「グラナータ」が入っていた。テーブルクロスが赤と白のチェック柄で、イタリアの田舎食堂を思わせる雰囲気があった。小泉元首相も通ったらしく、その後接待で良く使っていたようだ。

ケーキを食べた後は、芝公園のアメリカン図書館に行くのが定番のコースになった。館内は広々していてクッション紛いの大きな椅子があった。読めない英語の本をアクセサリーに、昼寝に耽るという訳だ。ここは流石今では無くなったが、トップス、グラナータ、そして高級しゃぶしゃぶのざくろは健在だ。久々にチョコレートケーキを食べて当時を思い出した。

Tuesday 11 June 2013

揺れるトルコ

トルコが揺れている。小競り合いは昔から日常化している国だけに些細なことでは驚かない。ただ今回は負傷者だけでも4000人を超えたというので異常事態だ。禁酒や子供3人の出産強制が発端らしい。

それにしてもトルコはよく分からない国だ。東西の接点だけに文化が混じるのは分かるが、イスラム教にあって、キリスト教圏のEUに入りたいと言う。また今回の禁酒にしても、イスラム教なら当然なのに公然と飲んでいる。その辺、オスマン帝国がイスラム教とギリシャ正教の両方を受け入れていた名残なのだろうか?また一口にトルコと言っても、クルド、アラブ、ギリシャ、アルメニア等様々な少数民族が入り乱れる国だ。そのため言語が多岐に渡るが、トルコ語を強制して抑え込んでのが現状だ。このブログでも紹介させてもらった小島剛一氏の本に良く書かれている。その意味で、バルカン半島のように一度事が起きると火が付く風土である。

古くはナイチンゲールやアラビアのロレンスの舞台にもなった場所だ。オリンピックの対立候補ではあるが、飛び抜けた親日国である。遠い国だが、暫く見て行こうと思う。

Monday 10 June 2013

オランド夫妻とPACS

先週、フランスのオランド大統領が公式訪問した。宿舎は赤坂の迎賓館、フランスのベルサイユ宮殿を模した建物に泊まる気持ちはどんなものだったのだろう。日本人がフランスに行って江戸城擬きに泊まるようなものだ。これは何とかして欲しい。

ところで今回の話題になったのは、同伴した夫人が奥さんではなくパートナーだったことだ。フランスではパックス(PACS)と呼ばれる事実婚が多いので珍しいことではない。今や2組に1つは別姓を名乗る事実婚である。知人にもいるが、籍が入っていないことを除けば普通の夫婦である。子供もこのため2人に1人は婚外子だが実子が多い。PACSが広がっているのは、税金が安いのと財産分与の問題らしい。ただゲイ同士のカップルも対象なので、そこまで行くと良く分からない世界になってしまう。

それにしてもフランスは愛に寛大だ。前任のサルコジ氏も大統領在任中に3度目の結婚式を挙げているし、かつてはミッテラン大統領の隠し子も発覚した。そんな時でも、国民は見て見ぬふりをする寛容さがある。カフェではどうやって見つけたと思うほど、必ず男女が向かい合っている。誰もが自由に生きている・・・傍から見るとそんな風に感じるのだ。


 

 

 

Sunday 9 June 2013

パリのスキンヘッド

先週の木曜日、日高屋で夕食を済ませようとビールを飲んでいた。備え付けの冷酒が値段の割に美味い。客は若い人たちが多く、時給がいくらと情報交換をしている。ここは安くて量の多い大衆的な食堂だ。
 
何気なくアイフォンを見ると、フランスで左派の18歳の学生がスキンヘッドに殺害されたというニュースが目に留まった。事情は良く分からないが、極右のスキンヘッドにやられたらしい。今でもパリの町の広場では、突然ラ・マルセエーズを歌う出すナショナル・フロント党の集会がある。多くは普通の出で立ちだが、スキンヘッドも交じっている。今回の事件との因果関係は定かでないが、移民問題が根にあるのは確かだ。

フランスは移民に寛容な国と言われている。アラブ、ベトナムなど旧植民地から移り住んでいる人が多く、融合が上手くいっている。しかしイスラム女性のスカーフ問題など、時々文化の衝突が起きる。今回もその一環だったのだろう。目の前でラーメンを啜る若者を見ながら、小さな事件に思いを馳せるのであった。



Saturday 8 June 2013

時代遅れの3番アイアン

「それ何番で打ったの?」、 ロングホールで会心の第2打を打った後だった。芯を捉え真っ直ぐ飛んで行くボールを尻目に、「3番アイアンでしたが」・・・と応える。すると、最近ではロングアイアンを使う人は居なくなり、多くの人はユーティリティーだという。

そしてお昼時になり、ゴルフ場の話になった。今日は千葉のゴルフ銀座だったが、分かり難い場所だったので辿り着くのに苦労したと言った。すると「ナビは無かったのですか?」と聞かれた。どうやら今時の車で、ナビが無いのは私だけらしいことが分かった。「中古だったので・・」と苦し紛れの返事をすると、最新のナビは「XXゴルフ場に言って下さい」、「近くのレストランに行きたいので予約して下さい」と語り掛けるだけで、セットされると教えてくれた。

古いものを大事に使うのもいいが、流石これには考えさせられた。服を大事にするが故に黄ばんだ古着を使い回したり、明治の大砲宜しく、一昔前のクラブでイライラしている。髪型、服のセンス、話し方、食の好み等々、知らないうちにカビが生えた世界に生きているのかも知れない。そんなことに気が付いた日だったのだ。

Friday 7 June 2013

増え続けるアルツハイマー


日本人のアルツハイマー(認知症)が4百万人を超えたという。年々増え続け、70才台になると10人に1人が煩うらしい。レーガン大統領やサッチャー首相も掛かった病なので、驚くことではないのかも知れないが。

そう言えば、最近身近にそれらしき人を良く見かける。突然自分の過去のことを語り出す人、何度も同じ事を聞き返す人、酷くなるとレストランで食事をオーダーしておきながら、忘れて帰ってしまう人など様々だ。老化やうつ病の人が増えてきているだけに、これも社会現象かと思って日常の風景になっている。でも何か変だなと思ったら、まずその初期症状に間違えない。

昔、これをテーマにした「明日への記憶」という映画があった。渡辺謙と樋口可南子が夫婦役で出ていた。初めは取引先の場所や食堂での自分の席を忘れるなど些細なところから始まり、最後は奥さんの顔も思い出せなくなってしまうストーリーだ。身近なテーマだっただけにとても切実だった。自身がコントロール出来なくなってしまったら、と思うと末恐ろしい。

Thursday 6 June 2013

出世する人しない人

会社で出世する人しない人、多くの人が第一線を退く傍ら、会社に残っているのは社長になった人達だ。仲間が集まった時に口を揃えて云うのは、「あいつが!?」という驚きだ。トップになるのは、必ずしも成績優秀で人格に秀でた人ではない。目立たない真面目タイプだったのだ。

先日飲食チェーン店で名を成した人の話を聞く機会があった。彼は若い頃は苦労したが、決して腐らなかったという。転機が訪れたのは、地方に左遷された時だった。何かのきかっけで、地元の名産を海外で苦労している仲間に送ってやろう、という気になった。段ボール箱一杯に食糧を詰め、世界の駐在員に送ってみた。勿論経費は事務所負担、誰も文句が出る由もない。喜んだのは駐在員の奥さん方、以来彼は会社の有名人になったという。

流石これは誰も思いつかないアイデアだった。安倍さんの第3の矢が発表されたが、中身に斬新さがないと株価も大幅に下がってしまった。面白いことを考える人は、意外と中央にはいないかも知れない。


Wednesday 5 June 2013

睡魔と闘う全仏オープン

昨夜はサッカーのワールドカップ最終予選、駄目かと思っていたロスタイムでオーストラリアに引き分け、ブラジル行きの切符が決まった。興奮し思わずビールも杯を重ねた。試合が終わると、今度はフレンチオープンテニスの準々決勝が始まろうしている。それもフェデラーとツォンガの好カードだ。頑張って観ようとしたが、眠くて眠くて仕方ない。7時から飲み出したビールが睡魔を誘う。
 

とても我慢出来ず途中で退散、翌朝ツォンガがストレートで勝ったことを知った。ともあれヤニック・ノア以来30年振りの地元優勝が掛かっているだけに面白い展開になってきた。ツォンガはコンゴ、ノアはカメルーン、どちらも父親がフランス人女性と結婚し生まれたハーフである。2人ともアフリカ人らしい躍動感があり、陽気な性格は人を引き付ける。

情報が少ないのも困ったものだが、こう盛り沢山な番組を熟すのは大変だ。考えてみれば贅沢な時代になってきたものだ。選手もそうだが、ファンも付き合うには体力が要る。




Sunday 2 June 2013

神田の「まつや」

週末、神田の「まつや」に行った。まだ陽が高いのに店内は一杯、遠くから蕎麦を楽しみに来ている人で賑わっている。

神田の蕎麦と云えば、一頃は「藪そば」だった。まだ土曜日が半ドンだった頃、仕事が終わると良く仲間と行ったものだった。昼から飲む日本酒は人目を憚るようでスリルがあった。そして「おそーばー・・・」と歌舞伎風のイントネーションは、そばの長さを引き出すようで情緒があった。ただ残念なことに暫く前に火災に会い、目下閉店中という。界隈には蕎麦屋の他に、揚げまんとあんみつの「竹むら」や、料亭紛いの「いせ源」がある。「いせ源」は下駄番がいて客の下足を預る。ある時、客の靴が出て来なかったことがあって大騒ぎになったが、下駄番は絶対譲らなかった。それだけ職に命を懸けていたのだろう・・・そんなことを思い出した。

「まつや」は蕎麦は元より、何といって客層がいい。多くは中年だが、週末というのにネクタイを締め着飾ってくる嘗てのジェントルマンが多い。勿論同伴するのは品のいい奥様、正に絵になっている。外人のジャーナリスト紛いの人もいたり、国際的でもある。食は文化なり!江戸の原点がここにある。