Friday 26 July 2024

「滅びた事ない国」1位の日本

ミシュランガイドを頼りに2〜3つ星を目指して廻った。コリントス(Kotinthos)、ミケーネ(Mycanae)、エピダブロス(Epidavros)、ミストラス(Mystras)、メッソーニ(Methoni)、オリンピア(Olympia)、ヴァッセ(Vasses)、メテオラ(Meteora)、エレフシナ(Elefsina)等々・・・。

どれも広大な敷地に広がる遺跡である。最初は珍しがっていたが、次第にどれも同じに見えてきた。ただ年代を調べると、ミケーネが紀元前16〜12世紀と一番古く、大方は紀元前6〜3世紀、ミストラスの町やメッソーニの要塞跡、メテオラの修道院に至っては14世紀と比較的新しかった。同じ廃墟とは言え、歴史が違うと建造目的や用途も異なった。 

 これらを破壊した側も、時代によって違った。古くは東西のローマ帝国、中世からはオスマン帝国だった。ただバルカン半島を旅すると「オスマン=侵略者」のイメージが強かったが、気のせいかギリシャはそれを感じなかった。歴史の半分を東西ローマ帝国に仕えた名残だったのだろうか?将又ギリシャ人の非西洋意識なのか?いつか識者に聞いてみたい。

ところでこの古代遺跡を前にすると、日本の歴史なんか小さく見えてきた。縄文時代か弥生時代頃だろうか?しかし帰ってから改めて調べてみてビックリした。

何と世界で「滅びた事のない国」の1位は日本であった。紀元前660年の神武天皇から今に繋がる天皇制は2700年にもなり、ギネス認定されていた。因みに2位はデンマーク、3位は958年の英国、中国に至っては80年にも満たない。日本はギリシャより古かったのだった!

 逆に複雑な感情を持つのは、今のギリシャ市民である。レストランでワインを頼む時、当然「ギリシャのローカルワインね!」と言うと、ボーイは「ギリシャをマケドニアって言う奴がいるけれど、これは本物のギリシャワインだ!」と訳の分からない言い訳をする。

ヘレニズム文明を築いたギリシャの英雄アレキサンドロス大王は、隣国マケドニアの出身、今では西マケドニアはギリシャの隣国だったりするのが引っ掛かるのだろう。過去を遡ると自分の国ではなかったりして、自身のルーツは誰しも気になるのである。

Wednesday 24 July 2024

オリンピアのトラック

間もなくオリンピックが開かれる。今年はパリが舞台である。あの汚いセーヌ川で泳ぐというので大丈夫かと思うが、レトロで粋な計らいもフランスの特徴である。選手は柔軟でタフであった欲しい。

そのオリンピックの聖地、オリンピア(Olympia)の遺跡を訪れた。アテネから南西へ360㎞、崩れたとはいえ、古代遺跡が当時のまま残っていた。今でも聖火のスタートとなるゼウス神殿や選手宣誓の館など、高度な精神文化が宿っていたのが伺えた。

中でも感動的だったのはトラック競技場である。一周300m程だろうか、トラックの真ん中に下りてスタンドを見上げると、「テルマエ・ロマエ」の映画に出て来るような歓声が聞こえてきた。

 古代オリンピックは紀元前776年から西暦393年まで、4年ごとに1200年の永きに渡りこの地で開催されたというから驚きである。オリンピックの起源は戦火、疫病を逃れた人々の健康を志向したようだ。そう言えば、Epidavrosというやはりミシュラン3つ星の遺跡には、今でも使える野外劇場があり、これも病んだ人々の精神回復が目的だったという。当時のギリシャ人は、今にも増して健全な社会を追求していた。

処でマラソンの起源になったアテネ郊外のマラソナス(Marathonas)にも足を運んだ。BC490年にペルシャ軍に勝利した報告を、一人の兵士が42㎞を走ったのが由来だった。マラソンとはその兵士の名前かと思いきや、戦場となった町の名前だった。

因みにその町にあるマラソン博物館には、歴代の優勝者の写真と靴が飾ってあった。Qちゃんや野口みずき、円谷選手や有森さんも含めて、日本人ランナーに取り分け多くのスペースを割いていたのが印象的だった。

Tuesday 23 July 2024

小泉八雲の生地

ギリシャ人で思い出すのはマリア・カラスとJFKのジャクリーヌ夫人、最近ではテニスのチチパスぐらいである。処がガイドブックには、ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)こと小泉八雲が出てくる。折角なので、彼の名前の由来にもなった生地レフカダ(Lefkada)島を訪れてみた。

ギリシャの北西に位置するこの島は、90度回転する移動式の桟橋と、モンサンミシェルのような土手道(Causeway)を通って入った。途中大型ヨットが通過するのを待つ事10分、島の玄関口に彼の胸像が建っていた。

 ハーンは英国陸軍の軍医の子供として1850年にこの地で生まれた。アメリカのジャーナリストとして来日したのが1890年、40歳の時だった。以来松江を皮切りに早稲田、東大などの教師を務め54歳で没した。日本人の妻(節子)を娶り、その彼女をヒロインにしたNHK連続小説「ばけばけ」が来年放映されるというので楽しみだ。

 帰ってから早速彼の作品をいくつか読んでみた。来日当初の「日本瞥見記(Glimpses of Unfamiliar Japan)には、人力車から眺めた風景を、「東洋の額縁の中に西洋(ミシン屋や写真館)が入っている。全てがミニュチュアの世界だ!」と興味深い表現で語っていた。また有名な「怪談」や「骨董」など、多分妻から聞いた話なのだろうか?日本の怨霊や霊魂に強い関心があった事も伺えた。

また面白かったのは、距離をマイル、重さをポンド表記していた事だった。内容は全く日本で訳も素晴らしかったが、これだけはどうしようもなかったようだ。

時を経て、異国への旅を通じて、古き幕末の日本と日本人を垣間見るきっかけにもなった。不思議な気分である。島から北に車を走らせると、夏のこの季節、ビーチは多くの海水浴の人でごった返していた。

Monday 22 July 2024

アテネの落書き

今年は日本とギリシャの外交125周年、佳子さんに肖った訳ではないが、そんなギリシャをゆっくり旅してみた。 

まずアテネに着いて驚かされたのは、落書きの多さである。至る所の壁や施設にペンキが塗られていた。2009年から始まった財政危機の煽りなのか、一見人心の荒廃ともみれたが、当時の人々、取り分け若者の怒りが伝わって来た。

一連の発端は政府による財政赤字の隠ぺいだった。GDP比で5%の財政赤字は実は12%もあった。背景には国民の4人に1人は公務員で定年は53歳、年金は現役時代と同じ額が支給されるなど、財政破綻は縁故主義の蔓延だった。

EUは緊急支援の見返りに改革を迫ると、失業率は2014年には26%にも上がった。勤勉をモットーとする西洋流のリストラにも反感があり、落書きに繋がったようだ。ギリシャ人は肌が黒いし、ギリシャ正教はキリスト教でもイスラム教でもない。その特殊な民族性と、それでも何とか西洋社会の中で生きるジレンマだった気がする。

改革は消費税が未だに23%と高いように道半ばである。ただ今の治安はいいし、街も落ち着きを取り戻していた。オリーブとレモンをふんだんに使ったギリシャ料理はヘルシーで飽きが来ないし、何より素朴なワインが美味しい。

ソクラテスやプラトンを生んだ栄光の古代、ローマとビザンチンの間の微妙な立ち位置、その過去の遺産で生きる観光立国、エメラルドのエーゲ海と白い大理石に代表される風景を思い出しながら、これから旅を振り返ってみたい。

Friday 21 June 2024

小池知事の学歴疑惑

都知事選が始まった。50人以上が立候補する混戦である。300万円を出せば誰でも出れる。だから売名行為を目的とする人もいるのだろう。それにしても本命の4人を含め、これといった人がいないのも困ったものである。

消去法で行くと、やはり小池さんかと思っている。過去の実績で無難にやってくれるだろう。ただ例の学歴詐称が気になる。元側近は刑事告発したり、カイロ時代の旧友の書いた記事も信憑性がある。特に元環境省の人は、昔から存じ上げている誠実な人だけに猶更である。

所が残念な事に、これがスタンフォード大やハーバード大ならいざ知らず、カイロ大となると関心度はグッと下がる。「そんな処(と言っては失礼だが)出ても出なくても、どうでもいい!」というのが率直の感想である。

一方で思い出すのは、松本清張の「砂の器」である。名を馳せた音楽家が、過去を知る恩人を殺害する事から事件が発覚する。孤児だった彼は、戦後のドサクサに紛れ焼失した戸籍を使い、別人に成り済ましたのであった。時間と共に嘘がバレていく恐怖は、名を成した人ほど大きいのである。

 それにしても何故マスコミも含めて、カイロ大に照会できないのだろう?と不思議である。普通は問い合わせれば、「そんな人は卒業生にいません」と返ってくる。その辺の曖昧さが事態をより複雑にしている。

Thursday 20 June 2024

古代の列石群

英国のストーンヘンジに、ペンキのようなものが掛けれられた。犯人は環境保護団体という。暫く前にも美術館で同じような事件があったが、環境とは真逆の行為に理解に苦しむ。

そのストーンヘンジだが、古代の習慣、儀式など謎に包まれている。ただ規模はこじんまりしていて、他の列石群に比べれば点のようなものである。ロンドンから近いせいだろうか?

 代表的な列石群の一つは、フランスのブルゴーニュ地方のカルナック(Carnac)だろう。数にして3000個はあるだろうか、高さ4m程の巨石が、1kmに渡って続いているのば圧巻である。ブルターニュ地方には、他にも沢山のメンヒルと呼ばれる列石が多く、ケルト人の祖先の足跡が伺える。 

 もう一つはスコットランドの北端に位置するオークニー島である。こちらはストーンサークルと呼ばれる直径にして30m程の石柱群、古代住居跡や円墳が残っている。時代はカルナックもそうだが、紀元前3000年頃と言う。今でも寒くて不便な島に、太古から文明が栄えていたかと思うと人間の逞しさを感じるのである。

エジプトのピラミッドもそうだが、誰がどうやってこんなに重い石を運んで組立てたのか?石は当時のまま現存しているから、触れる事によって古代のロマンが蘇るのである。

Wednesday 19 June 2024

ラ・ロッシェルと島々

映画「史上最大の作戦」は史実に忠実な作品で、ロケも殆ど現存する現場で行われた。ただ上陸のノルマンディーだけは、空爆で丘も変形してしまったため、中西部のレ島(Ile de Re)になった。以前わざわざ見に行った事があるが、確かに長く続く海岸線は映画のシーンだった。

レ島は近くのオレロン島と並び、牡蛎が有名な島である。夏になると観光客が訪れるが、コートダジュールが立派なホテルが立ち並ぶ上流階級向けなのに対し、車でキャンプする極めて庶民的な場所であった。 

 フランスの島は文化が凝縮していて面白い。有名なモン・サン・ミッシェルは言うまでもないが、ナポレオンの故郷コルシカ島には、モヤイ像のような古代遺跡が多く残っていて歴史を感じた。美しい島を意味するブルターニュのベル島(Belle Ile)には、黄色い口ばしを持つパフィンという珍しい鳥が生息していた。湾には立派なヨットが停泊していて、フランス人の豊かな生活振りを垣間見た場所でもあった。 

 レ島から桟橋を通ると、大きな港町ラ・ロッシェル(La Rochelle)に出る。ここはフランスにおけるプロテスタントの牙城で、ナントの勅令が出るまでカソリックと対立した歴史の町だった。

 第二次大戦中はドイツ軍の潜水艦基地もあったので、今でも立派なブンカ―が残っている。その跡地でロケしたのがインディー・ジョーンズの「レイダーズ」であったと、それは最近知った。

吉村昭の「深海の使者」にも、大戦中に日本の潜水艦がUボートを引き取りに行った軍港が出て来る。ひょっとしてそのラ・ロッシェルかと思って調べたが、それは近くのブレストだった。

Wednesday 12 June 2024

ロンメルの休暇

ノルマンディー上陸に纏わる小説や映画は多い。どれも興味が尽きないが、特に「上陸地点は何処?」を巡る情報戦は面白い。お互いにスパイを使って収集と偽情報の拡散を行った。

ケン・フォレットの「針の眼(Eye of the Needle)」は、英国で活動するドイツスパイの話であった。スパイは偽装を見抜いてノルマンディーを確信したが、情事に溺れて帰国出来なかった。また「烏(Jackdaws)」は反対に、パリに潜入する英国の女性スパイの話。随分前に読んだが、「上陸地点はパ・ド・カレー(Pas-de-Calais)」の偽情報の流布に成功した。

その都市カレーは、英仏を繋ぐドーバー海峡の最短ルートである。昔からフェリーの発着点で、ユーロトンネルの起点になっている。ドイツ軍の大半はここが本命と思って主力を置いていた。その為、今でも断崖には手付かずの要塞跡が数多く残っている。第二次大戦初頭に英国軍が撤退したダンケルクも近くにある。

上陸が成功した理由の一つが、司令官ロンメルの不在だった。D-Dayの6月6日は、運悪く彼の妻の誕生日であった。長らく休暇を取っていなかったロンメルは、暫くは侵攻がないものと判断し、その日に合わせて国に帰る事にした。 

 彼は前々日の6月4日の朝7時に、司令部のあったフランスのラ・ロッシュ・ギオン(La Roche-Gyon)村を発って、自宅のあるドイツのヘルリンゲン(Herrlingen)に向かった。当時は安全上の理由で、将校の移動に飛行機が禁じられていたので車だった。

距離にして約800km、コーネリアス・ライアンの「史上最大の作戦(The Longest Day)」には「夕方の3時ごろに着いた」と書いてあったので、時速100㎞以上で走った計算になる。当時の道路事情を考えると物凄く速かった。

彼が家で寛いでいた頃に侵攻が進んでいたかと思うと、何ともやり切れない心境を察する。そういえば、戦後アルゼンチンに逃亡して潜伏していたアイヒマンも、奥さんの誕生日に花を買った事で身元がバレて捕まった。身内には甘くなるのは人間だから仕方ないのだが・・・。

Saturday 8 June 2024

ノルマンディー上陸80年

今週の6月6日はD-Day 80周年だった。ノルマンディーにはバイデン大統領はじめ、各国首脳20人が集まった。ウクライナのゼレンスキーやイギリスのウイリアム王子、そして映画「プライベート・ライアン」の主役トム・ハンクス氏も来ていた。

15万人の兵士を動員した大作戦だったが、未だにベテランと称する元兵士が数多く残っている。当時20代だった若者は今では100歳を超えている。その矍鑠とした姿にはビックリするが、流石に何年か前の式典でパラシュート降下を再現した元気もなくなり、車椅子姿の人が目立った。今年は会場に向かう途中の空港で、息を引き取ったアメリカ人の元兵士もいたようだ。

 歴史のターニングポイントとなったノルマンディーは、私のお気に入りの場所の一つである。

5つの上陸海岸には未だにドイツ軍のブンカー跡が点在しているし、物資を陸揚げしてアロマンシュの港にはその艀が置き去りになっている。英国コマンドが急襲したペガサス橋や、フレンチコマンドが墜としたウイストラムの港町も当時のまま、アメリカ101空挺師団が誤って降りたサント・メール・エグリーズの教会には、(観光用なのか)落下傘兵の人形が未だにぶら下がっている。映画「The Longest Day (史上最大の作戦)」と重ね合わせた戦跡巡りは、何度行っても興味は尽きない。

上陸はアメリカ軍がオマハとユタビーチ、英国軍がゴールドとソワードビーチ、カナダ軍がジュノビーチを受け持った。今でもその分担と結束が、西側社会の原型のような気がしている。 

今年は新たに英国ノルマンディー記念館がオープンしたり、暫く前にアロマンシュの記念館も改築されたようだ。上陸地点での早朝のデモや、最終日には花火大会もあるようだ。何時かまた訪れてみたい。

Thursday 30 May 2024

小林一茶の生涯

友人で俳句を詠む人がいる。仲間を集い句会をやっている。粋な句が出来ると嬉しいらしい。いつぞや誘われたが、外で動き回っている方が向いているので丁重にお断りした。

 ところで先日長野から上越に車を走らせていた時、たまたま俳句界の巨匠、小林一茶の生誕地を通った。黒姫の近くの柏原という村で、立派な記念館もあった。暫し立ち寄り、知らざる彼の一生を綴ると意外な発見があった。

一茶は3歳で母を亡くし、15歳で江戸に奉公に出て修行を始めた。結婚は52歳の時だった。3人の子供に恵まれたが、幼くして全員早世してしまった。嫁も結婚から9年で亡くなり、最後は孤独の中、村の火災で息を引き取った。65歳であった。 

「我と来て遊べや親のない雀」は、母が死んで寂しかった8歳の頃の作品。「名月を取ってくれろと泣く子かな」は可愛がった長女と遊ぶ姿。「めでたさも中位なりおらが春」は、その長女が6歳で没した頃の歌。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」は喉かな村の風景を描いた歌等々。

家計は4石の遺産と俳句の指導料で賄っていた。ただ江戸時代末期の田舎生活は厳しかった。加えて子供の頃の寂しい家庭環境、成人して名を馳せたものの、やっと築いた家庭で次々と家族を失う生涯だった。人の心を打つのは、そんな色濃い人生が共感を呼ぶのだろう。

Sunday 26 May 2024

ダブルアックスのウゾ

佳子さまがギリシャに出発された。今年は外交樹立125周年とか、名目は兎も角、皇族の親善交流はいい事である。まして佳子さんのような可愛らしい人なら猶更である。両国の親善に繋がればこんなに嬉しいことはない。

ギリシャと言っても、恥ずかしながら思い浮かべるのは六本木のレストラン「ダブルアックス」である。

ウゾという白濁色の地酒を飲みながら、投げた皿の破片をダンサーが踏んで踊るユニークな店だった。70〜80年代によく通ったが、入社したばかりの会社の上司から「君そんな店よく知っているね!」と冷やかされた。 

 ギリシャは古代、ソクラテスやプラトンなどの哲人を輩出した歴史の原点である。今のギリシャは、その栄光で生きている化石のような国に見える。古代の後は、東西のローマ帝国とイスラム文化の狭間に生きてきた。地図で見ると首都のアテネは、イタリア(ローマ帝国)とトルコ(オスマン帝国)の間に位置する微妙な立ち位置にある。その地政学が国の運命を左右して来たのがよく分かる。

 2010年には経済危機に陥った。粉飾統計が原因だったようだが、支援するEUから「島の一つでも売れ」と比喩された。もしもユーロに加盟していなかったら、昔のギリシャ通貨「ドラクマ」だったら、通貨安になり投資が増えて回復も早かったかも知れない。イタリアの債務危機と同じで、ユーロ圏に入るのも良し悪しかと思った。 

 実は佳子さんに肖る訳ではないが、来月そのギリシャの旅を予定している。バルカン半島を北上して今回佳子さんも訪れるケルキラ島、その先のアルバニアも行く予定である。古代文化が凝縮するロードス島やレパントの海戦跡地など、予習に忙しい日々を送っている。

Saturday 25 May 2024

「言いたい放題特権」の提案

上川外相の「女は子供を産まずして何が女性」発言が問題になった。しかし少子化の時代、「女性を鼓舞する話で何が悪いのだろう?」と思った。その上川さんを「そんなに美しくない」と形容した麻生さんの発言も暫く前に話題になった。確かに上川さんは美人ではないが、それを超えた安心感もあるから、マスコミの勇み足が気になった。

日常的に使われるフレーズから少しでも逸脱すると、切り取るのがマスコミである。お金の為だろうが、一方でその正義感が時として鼻持ちならない。

政治資金法の改正やキックバックはその最たるものだ。確かに帳簿に付けなかったのは良くない事だが、もういい加減にして欲しい。所詮政治はドロドロしたもので、ヒトはカネがないと動かない。綺麗な水には魚は住まないから、こんな事で企業献金などに影響すれば本末転倒である。 

 政治家が当たり障りない語りになると、白けた社会になっていく。無礼講が当たり前の時代に育った者にとっては、最近の風潮が歯がゆくて仕方ない。 

 そこで提案だが、政治家には「言いたい放題」特権を与えたらどうだろうか?と思っている。非逮捕特権もある位だから、強ちおかしな話でもないだろう。「在職中の政治家の発言にはペナルティーなし」にすれば、たけしのTVタックルではないが、本音トークが行き交い、国会が盛り上がる事間違いなしである。 

彼らはいずれ選挙で洗礼を受けるから、自ずと節度も出るだろう。先生の為に徹夜で待機する役人も救われるだろうし、ブラックと比喩される霞が関改革の一丁目一番地にも繋がる。

Monday 13 May 2024

三原山は世界三大火山?

アイスランドの火山が噴火して5カ月が経つ。住居の近くまで溶岩が押し寄せる光景は、Youtubeで凄まじいものがあった。アイスランドは人口38万人の小さな国なのに、一人当たりGDPは8万ドルと世界7位のリッチ国である。その多くが観光収入によるものだから、正に国の形も変わるかも知れない。

最近、伊豆大島の三原山でも小さな噴火があった。昨年夏に訪れたので親近感を覚えたが、現地の博物館には「三原山は世界三大火山」と書いてあった。

あと二つはハワイのキラウエアとイタリアのストロンボリという。 世界には沢山の活火山があるし、国内には浅間山や阿蘇、桜島もある。何故この3つなのだろう?と不思議だったが、玄武岩製で括ったらしい。何でも「世界三大」に拘る日本人の趣味だった。 

 そのストロンボリ(Stromboli)は、昔イングリッド・バークマンの映画の舞台になった島である。島の漁師と結婚した女が、閉鎖的な島に我慢できず島を出る物語である。それを灼熱の溶岩が阻むという過酷な、あの清楚な女優のイメージからは程遠い作品だった。 

 改めて戦後のイタリアは貧しく、同じ頃に公開された「苦い米」もそうだったが、当時の日本によく似ていた。ストロンボリ島はシシリア島からフェリーで2時間で行ける。実はこの夏にまたシシリア島の旅を計画している。ロケ地巡りは魅力的だし、時間が許せば訪れてみたいと思っている。

Sunday 12 May 2024

オーロラと周波数

太陽の爆発、太陽フレアによって世界各地でオーロラが発生している。日本でも見られたらしいが、さぞかし神秘的だろう!と羨ましい限りである。

思い出すのは、そのオーロラをテーマにした映画「オーロラの彼方へ(原題:Frequency)」である。いつぞや飛行機の中で見たが、オーロラの発生によって、30年前に死んだ父親が息子と無線で繋がる話であった。父親はNYの消防士だったが殉職した。早世した父親が、大きくなった息子と会話するシーンは熱いものがこみ上げて来た。 

 ひょってして今回の太陽フレアも、世界のどこかでそんなタイムトラベルが起きているかも知れない。原題の「Frequency」は周波数の意味である。時空を超えて周波数が一致すれば怪奇現象が起きる、そう思うと好奇心が掻き立てられる。

 処で次元は異なるが、映画「カサブランカ」でもオーロラが出て来る。尤もそれはバーの名前で、主人公のハンフリー・ボガード演じるリックと、イングリッド・バークマン演じるイルザが集う店である。バックには有名な「As Time Goes By」の曲が流れていて、平和だった頃のパリを彷彿とさせるのであった。 

 又シンガポールにもオーロラという飲み屋があった。日本人駐在員向けのカラオケ店で、此方もコンパニオンは神秘的だったが・・・。

Saturday 11 May 2024

東日本大震災の犬縁

昨日は愛犬レオの命日だった。早いもので3年が過ぎた。暫く前から食が細くなっていたが、最後は眠るように逝ってしまった。寡黙な犬だったが、最後も彼らしかった。

レオは東日本大震災の翌年に福島県で生まれた。ただ「福島の犬は汚染されている」の風評で、誰も引取る人はいなかった。そこで全国のブリーダー仲間が協力して、何とか一命を取り留めたのであった。その一匹が縁あって我が家に来た。普通は40〜50万円のゴールデンだが、その時はタダ同然だった。

レオは近所でも人気者だった。いつも垣根越しに黄色い足を出していると、通り掛かりの人の目に付くのを知っていた。子供も大人も「あら可愛い!」と頭を撫でてくれた。ある日散歩していると若い女性が寄って来た。彼女は子供の頃からレオを知っていたらしく、「この子私の思い出なのです!」と言う。何か悲しい事があった時の話し相手だった事も分かり、その地域貢献が誇らしかった。 

レオが死んでから暫く空しい日が続いた。「また会いたいな!」の思いは日増しに強くなった。そんなある日、まだ血統証明書が残っている事に気付き、福島のブリーダーに連絡してみる事にした。事情を話すと、近々また子犬が産まれるという。早速「是非我が家にお願いします」と予約すると、一カ月して「産まれました!」と電話が掛かって来た。あの時は嬉しかった。

それから2カ月して福島まで子犬を取りに行った。レオの甥にあたる犬で顔もそっくりだし、気性も優しい犬だった。あれから3年が経つからそろそろ3歳になる。東日本大震災が生んだ不思議な縁だが、お蔭でペットロスにもならずに済んでいる。

Friday 3 May 2024

インド産のWhisky

インドのGDPが来年の2025年に日本を抜くという。先日ドイツに抜かれた日本だが、これで5位に後退することになる。為替の成せる業とは言え、日本は英国みたいになるのだろうか?

そんな矢先、先日とある酒屋でインド産のウィスキーを見つけた。Paul Johnという銘柄だったが、早速飲んでみると中々美味かった。何やら原料に廃糖蜜を使っているというだけあって、オレンジ感覚の不思議な甘みが印象的だった。

インドには一度しか行った事がない。今から20年程前だったか、場所はムンバイの郊外だった。空港に着くと、「荷物を運ぶ」と沢山の男たちが寄って来た。中には片腕、片目もいた。駐車場までの路肩に、川の字になって寝ている家族には驚かされた。

 ホテルまで車窓から見た光景も強烈だった。ゴミが散乱する道には貧祖なバラックの家々が続き、中には泥の小屋もあった。鼻を衝く悪臭と人の多さに、東南アジアでもかつて見たことのない貧困を感じた。 

 ホテルは宮殿のように立派だったが、滞在者は敷地内から外出しないと教えてもらった。試しに一歩踏み出してみたが、泥道に糞尿が落ちているのでは?と思える雰囲気に、その意味も分かった。

一方で取引先の会社は清潔で大きかった。オーナーは世界的な馬主らしく、玄関に馬のブロンズが置いてあった。カースト制度は金持ちの家に生まれればいいが、汲み取り屋の家に生まれればそれを世襲しなければならない。会社で働いている人を見て、彼らはその呪縛から抜け出せた人かと思った。

 先のウィスキー蒸留所は、ゴアというムンバイの近くの西海岸にあった。最近の経済成長で町の様子も随分と変わっているのだろう。不思議な国の不思議な味に、ふと昔を思い出したのであった。

Tuesday 30 April 2024

為替は1986年水準

円安が加速しドルが160円に迫ってきた。物価が上がっている。永年100円台を享受してきた者にとっては、お金がどんどん減って行く感覚だ。若い人も大変だが、年金生活者にとっても厳しい時代になってきた。

原因は勿論日米の金利差である。だったら金利を上げたらいいじゃないか?と素人は思う。だが「金利が上がると住宅ローンや中小の借入金利が上がるから景気の回復が遅れる」らしい。でもこれって本当だろうか?また日銀の債務超過も噂されている。預かり金利の上昇がバランスシートを圧迫するらしいが、日銀の為に市民生活が犠牲になるのも腑に落ちない。 

 一方で株価は昨年来好調だ。資産的にはプラスマイナスプラスの人が多いのも事実だ。若い人もNISAで少なからず潤っている。 

 1ドル160円は1986年の為替水準である。1986年といえば、自民党が中曽根内閣が衆参同時選挙で快勝したり、瀬古がロンドンマラソンで優勝した年であった。北島三郎の「北酒場」やテレサテンの「時の流れに身を任せ」が流行ったり、海外ではチュルノブイリ原発で事故も起きた。日本ではこの年からバブルが始まり、当時15000円だった日経平均は3年後に4万円近くまで上がり続けた。

 ボーナスも良かったので、会社が終わるとよく仲間とタクシーで六本木に飲みに行った。長プラが7%と高かったにも拘わらず家を建てる人も多かった。ただワインや輸入品は今ほど出回っていなかった気がする。今の日本人は知らぬ間に安価な輸入品文化に浸っているので、物価の高騰感はその反動かも知れない。

 因みに前の年の1985年の為替は200円だった。時代が逆戻りするのなら、強ちあり得ないとも言えない。これからはワインやウィスキーから日本酒に、洋食は和食に、海外旅行も生涯一度に、当時を思い出して生活習慣を変えていくしかない。

Saturday 27 April 2024

別れた後に泣く男

先日とある居酒屋に入ると、面白い張り紙が目に入った。曰く「別れる前に泣く女、別れた後に泣く男」であった。中々の名言だと思っていると、隣り合わせた年配の客も頷いていた。

その店は3人の中年女性がキリ揉みしていた。忙しそうだったので訳は聞けなかったが、ひょっとして別れた男の未練を尻目に店を始めたのだろうか?

 確かに女は別れた男を忘れられる生き物と聞くし、一方で男はメソメソと過去から抜け出せない。「今昔物語」の中に、死んだ妻が忘れられず挙句の果て墓まで掘り起こす話がある。流石に男は変わり果てた妻の遺骸を見て発狂してしまうのだが・・・。

 若い人だけでなく、長年付き添った夫婦もそうだ。爺さんが先に死ぬと、婆さんは積年の呪縛から解放されて元気になるという。反対に婆さんが先に死ぬと、爺さんは一人で生きて行けないから後追いするかのように逝ってしまう。

しかこれは日本人の話で外人は少し違うようだ。シドニー・シェルダンの「Memory Of Midnight」は女が失踪した初恋の男を探し出し、彼が他の女と結婚していたのにそれを引き裂いて自分のモノにする話であった。流石西洋の女は逞しい!と変に感心したが、男も男で次への切り替えも早いし、やはり狩猟民族はちょっと違う気がする。

Friday 19 April 2024

オッペンハイマー

話題の映画「オッペンハイマー(Oppenheimer)」を観に行った。広島や長崎の惨状が出て来るのかと構えたが、物理学者の半生を追った淡々とした作品だった。3時間に渡る長編は少し退屈だった。それにしても、何故こんな映画公開を日本で躊躇したのだろうか?

昔「テレマーク要塞(The Heroes of Telemark)」というやはり原爆をテーマにした映画もあった。カーク・ダグラス演じる学者がドイツの重水工場を破壊するアクションもので、次元は違うが個人的には此方の方が面白かった。 

 映画ではアインシュタインも出て来た。科学者の純粋な研究は、軍事利用された時点で彼らの手から離れていく宿命には共感した。アルフレッド・ノーベルのダイナマイトもそうだが、研究者の手が血に染まる感覚も伝わった。

それにしてもアメリカのマンハッタン計画の規模、人材に改めて驚かされた。こんな国相手に日本はよく戦争をしたものだ。

 処でその原子力爆弾は広島と長崎に落された後、3発目を新潟に落とす計画だったという。しかしそれを運んでいた巡洋艦インディアナポリスが、日本の潜水艦から発進した回天によって撃沈され中止された。これは伊藤正徳の「連合艦隊の最後」に出て来る話だが、ひょんな出来事で惨事が回避されていた。

Monday 15 April 2024

就職ランキング

4月は人生のスタートの時期、取り分け社会人になる若者にとっては格別だろう。 

先日、日経新聞を見ていたら就職人気ランキングが載っていて、1位は何とあのニトリだった。「お値段以上のニトリ」は業績が創業以来右肩上がりとは聞いていたが、随分と時代は変わったと思った。ただ一方で東洋経済のランキングでは10位にも入っていなかった。

その東洋経済で1位になったのが伊藤忠商事であった。こちらも最近の業績が買われたのだろうか?処が就職難易度ランキングなる指標では伊藤忠商事は12位と、3位の三菱商事、4位の住友商事、7位の三井物産の後塵を拝していた。 

 これはどう云う事なのだろう?集計方法も然る事ながら、幅広い学生を対象としていたのが日経や東洋経済だったという事なのだろうか?

最近では学校入試のような就活偏差値も出て来た。最高の偏差値69は、国際協力銀行や日銀に並んで三井不動産と三菱地所であった。地味な不動産開発会社に入るのがそんなに難しいとは意外だった。ひょっとして採用人数の少なさが評価されたのだろうか? 

 分からない事ばかりだが、昔に比べて銀行、損保など金融関係の人気が下がった気がする。学生時代からベンチャーを準備する学生や外資に行く人も増ているようだし、相変わらず公務員の人気も根強いと聞く。ランキングは世相を反映しているから、学生でなくても気になる。

Saturday 13 April 2024

グッドジョブ!

岸田首相がホワイトハウスを訪れ、国賓としてのスピーチを行った。ジョークを交えて笑いを誘い、大変受けたと好評だった。有名なシナリオライターもいたようだが、所々に故郷広島の話も交えた岸田色も出ていた。前回の安倍さんのスピーチも良かったが、今回もまずまずでホッとした。

ただ一つ気になった事がある、それは終わってからバイデン大統領が言った「グッドジョブ!」だった。その場に居合わせた訳ではないし、英語の使い方にも不慣れだが、何か上から目線で馬鹿にされたような気分になった。例えばもし立場が反対で、バイデン大統領のスピーチに首相が同じような表現を使うだろうか?

 昔ある外人と親しく話していた時、彼が第三者に対して私の事を「This guy」と言った。ある程度公式の場所だっただけに、その時もやはり軽く見られていたかと不快になった。彼はそれを察してすかさず言い直したので、やはり不味かったと思ったらしい。 

 普段は平静を装っていても、つい本音が出ると状況は一変する。戦後の日本人に慕われたマッカーサーだったが、ある時米国議会で「日本人は12歳の少年」と評して日本人の怒りを買ったのは有名な話である。マッカーサーは「日本の戦争が自衛だった」と擁護していただけに、理解者だと思っていたのが一気に吹っ飛んだ瞬間だった。

Monday 8 April 2024

Double or Quits

例の一件で、賭博にクレジットがある事を知った。普通は手持ちのカネがなくなった時点で終わりである。ただ負けてもクレジットして貰えれば賭博は続けられる。今回の4億ドルの負債もそんな仕組みから積み上がったようだが、これってやはり変だ。

カネを返せないと家族や親せきを巻き込み、命まで危なくなる。最悪の場合は自ら命を絶つ事もある。それは本人も然る事ながら、当然クレジット側の責任も問われ兼ねない。

ちょっと次元は違うが、ジェフリー・アーチャーの短編小説「Double or Quits(一か八か)」は、そんな賭博場の心配を逆手に取った話であった。

 大金をルーレットにつぎ込む男は、予め顔の知れたジャーナリストを呼んでおいた。彼は負け続けて最後のカネが尽きると、近くの海岸で拳銃自殺に出た。賭博場のオーナーは、その一部始終をジャーナリストに見られていたのを知っていた。オーナーは公表を恐れて、死んだ男のポケットに掛け金全額を忍び込ませた。勿論男の拳銃自殺は芝居で、彼は掛け金の回収に成功したのであった。 

ギャンブルは殆どやったことがないが、先日オーストラリアのゴルフ場にスロットマシーンがあったので試してみた。10ドル札を入れて何回か廻している内に30ドルが当たった。迷わすその場で引き揚げたのは言うまでもないが。

Friday 5 April 2024

通訳と影武者

大谷選手の通訳だった水原一平さんが解雇された。違法賭博に手を染め、多額の負債を大谷選手の口座から引き出したという。よく分からない点も多いが、二人三脚で来ただけにショックだった。

その通訳だが、サイマルのような専門家ならいざ知らず、素人が片手間でやると魔が差す事がある。最初は黒子に徹していても、段々面倒になってくるからだ。「俺は通訳なんかになった積りはない!」の気持ちも邪魔する。依頼主の考えが分かってくると、彼を差し置いて勝手に受け答えてしまうのである。

 その点、「一平さんは身の程を弁えている!」とずっと感心していた。多分上下関係がはっきりしていたので、出来る業かと思っていた。でも彼も人間だった。いつの間にか大谷選手の影武者になって、しかもカネにまで手を浸けていた。

 影武者と言えば、プーチンや金正恩の影武者を思い出す。プーチンの影武者は先日毒を盛られたと報道があった。役に立たなくなれば殺されるのが宿命である。そんな事が分かっているから夜もオチオチ眠れない。一平という人もどんな気持ちでやっていたのか、そう言えばあまり笑顔がなかった。

Saturday 23 March 2024

裏金と猫鞭の刑

3月は確定申告の季節である。真面目に納税している者からすると、自民党の裏金がどうして課税されないのか不思議でならない。受け取ったカネは明らかに雑所得である。金額も政治家も特定しているので、簡単だと思うのだが・・・。

その国税だが、昔「マルサの女」という映画があった。宮本信子演じる査察官が、死にそうな男の会社に架空融資を見つけたり、宗教団体の裏帳簿を発見する件はコミカルで面白かった。売り上げの過少申告もあった。彼女が遠くからカフェの様子を見ていたら、レジを全く打っていなかった事に気が付いた。

 ジェフリー・アーチャーの短編小説にも似たような手口が紹介されていた。「Cat O'Nine Tales(猫鞭の話)」の中に出て来る「Maestro」である。イタリアレストランのオーナーが脱税で捕まった。彼はテーブルクロスやナプキンの洗濯代を水増していた事が発覚した。査察官が実際にレストランに行って客の数を数え、クリーニング業者の伝票と突き合わせると、その3倍の量があったからだ。 

 脱税ではないが、やはり「Cat O'Nine Tales」の中に違法薬物を発見する話もあった。トラック運転手が頻繁にガソリンスタンドで給油するのを怪しんだ国境警察が、ガソリンタンクを叩くと各々違った音がして、大量の薬物が隠されているのを見つけた。

脱税は犯罪、犯罪者には猫鞭の刑、選挙も近いしどんな審判が下るのだろう。

Tuesday 19 March 2024

バトルオブセックス

大谷選手の結婚で連日盛り上がっている。お似合いのカップルで誰しもが祝福しているのが伝わってくる。しかも新天地で、今後10年間のスタートに相応しいタイミングだった。

 ニュースではその大谷夫妻が韓国入りし、ドジャースのオーナー達との懇親会に出た写真が公開された。驚いたのは、夫妻が挨拶していたのはテニスのビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)だった。何故彼女がこんな処にいるのだろう?そう思って調べてみたら、何とドジャースの共同経営者になっていた。

ロサンジェルス・ロジャーズの株主はヘルメットにも書いてあるグッゲンハイム(Guggenheim Baseball Management) であるが、その株主の一人がキング夫人であった。他にもマジック・ジョンソンなど富豪が入っている。

 キング夫人は60-80年代に活躍したテニス選手で、グランドスラムのタイトルを39も持つ女傑である。記憶に新しいのは1973年に行われた往年の男子選手ボビー・リッグスとの余興試合である。男女対抗戦(Battle of the Sexes)と呼ばれ、5セットマッチで行われたその一戦は、30歳の彼女が55歳のリックスにストレート勝した。折しも男女同権運動の最中、それを契機に女子テニスの賞金が男子並みに引き上げられたのだった。

 彼女はレズビアンを公言している。相手はイレーナ・クロスという女性だが、彼女もやはりドジャースの株主に名を連ねていた。そんな影響からか、ドジャースはLGBT night と称するLGBT者向けの特別企画もやっている。 グッゲンハイムはユダヤ財閥だし、大谷選手を通じてアメリカの多様なダイナミズムに触れるのであった。

Thursday 14 March 2024

WCMの時代

来週は日銀会合がある。長らく続いた金融緩和もそろそろ終わりに近づいている。春闘の賃上げが大企業では上手く行っているようだが問題は中小だ。末端まで行き渡って初めてその準備が整う。何とか種火に火がついて欲しいと願っているが、日銀のかじ取りが気になる。

今の若い人は低金利の時代が長いから、金利には余り関心がないのかも知れない。ただ金利が上がってくると、個人資産や企業収益に直結するので見方も変わるだろう。昔は如何に金利の低いカネを調達して高金利で運用するか、金利には敏感でこのテーマの研修も多かった。

 思い出すのはWCM(運転資本マネージメント)である。運転資本は売上債権や在庫と仕入債務の差額である。当時のビジネススクールで流行った手法らしく、この+が大きければ資金余剰に繋がった。

中でも注目されたのが、負債で大きな部分を占める買掛金だった。買掛金の回転期間を長くして回転率を下げれば、その分手元資金の運用に多く廻せた。勿論取引慣習や仕入れ先の事情もあるが、これは未払金も同じであった。仕入先にどう交渉するか、結論はそう簡単に出るものではなかったが。

逆に売掛金は、回収期間を短くし回転率を上げればいい。その分手元資金が多くなり、金利収入が増える。販売先に毎日担当者が日参するとか、それも美人なら相手も軟化するかも?など、冗談も交えて真面目に議論した日が懐かしい。

Tuesday 12 March 2024

罰金と国際指名手配

先日、オーストラリアの市役所から封筒が届いた。何か嫌な予感がしたが案の定、罰金の請求書が入っていた。夕方に買い物に行った際、路上駐車したのがいけなかったようだ。10分ちょっと止めただけなのに、300ドル(3万円)も請求された。地球の裏側まで追ってくる役所仕事に、何か国際指名手配されたような気分になった。

ネットで調べると、詫び状を出せば許して貰えたケースもあると知った。早速「悪うございました!二度とこのような事はしません!」と長々手紙を認めて出したが、果たして結果はどうなる事やら。

 旅をしていると車に掛かるトラブルは付き物だ。随分前だがロンドンで、車に戻ると車輪にロック装置が付いていた。警察で罰金を払い、パトカーに同乗しロックを外してもらったが、半日が台無しになってしまった。 

 クロアチアでは止めていたはずの車が無くなっていた。近くにいたタクシーの運転手に聞くと、レッカー車で持って行かれたという。レッカー場所はタクシーの運転手が知っていたので、郊外まで高いタクシー代を払って取りに行った。罰金も高かったし、まさか「レッカー会社とタクシー運転手がグル?」かと思える出来事だった。

幸い大きな事故はないが、バックしてきた車に当てられた事があった。ブルガリアの田舎町で、相手は老人だった。その日はこらから空港に向かう処で、本来なら警察を呼んで事故証明を取る処をすっかり忘れてしまった。幸い相手の運転免許書や現場の写真を沢山撮ったので、保険で全額カバーされ事なきを得た。

 処でその車保険だが、レンタカーを借りると結構な額になる。だから運転マナーがいいオーストラリアではあえて掛けない事にしている。「万が一の時は大丈夫?」と友人に聞かれるが、今の処無傷で済んでいる。

Monday 4 March 2024

持ち株会で1億円

日経平均が遂に4万円を超えた。昨年末頃から予感がしていたが、今の相場は勢いが違う。これからも未だ上がり続けるのだろうか?それともバブルが弾けるのだろうか?素人には分かりようもないが、気になって仕方ない。

先日三菱商事のOBに会ったら、会社には「持ち株で1億円の社員」が続出しているという。持ち株会に入り、例えば毎月3万円を25年間積み立てると、投資累計額は9百万円になる。同社の平均株価は600〜900円程度だったので、少ない人でも累計の株数は1万株を超えている。今の株価は分割前で1万円なので、時価は少なくても1億円という計算である。

 商社株はバフェット氏が動いた昨年の夏ごろから急騰し始めた。あの時買っていれば!と後悔しても始まらないが、全く羨ましい限りである。普通の人が1億円の株資産なんて!何か落ち着かなくなってきた

 このタイミングで出版された清原達郎氏の「わが投資術」も、気になったので早速読んでみた。所得番付1位にもなった伝説のディーラーが、引退を契機に手法と哲学を開陳したという。「小型株のショート(空売り)」なんてとても真似できるものではないが、修羅場を生きた人の文章は張りがあって面白かった。(最後の)日本株の楽観シナリオも気になった。

Saturday 2 March 2024

真綿のウクライナ避難民

ウクライナが侵略され2年が経つ。最初の頃は毎日伝えられる戦況に戦々恐々としていた。ただ最近では長引く戦争に、戦争疲れというか厭世気分が漂っている。アメリカの支援予算は滞ってきたし、最大の避難民受け入れ国であるポーランドで、国境を閉めたと聞くと猶更である。

以前から気になっていたが、遠く離れた日本にいると今一ピンと来ないもの事実である。ウクライナに行った事もないし、ウクライナ人とも話したことがないのも大きい。これでは遺憾と、三鷹にウクライナ避難民がやっているカフェがあると知って行ってみた。

それは昨年開業したという小さなレストラン&キャフェだった。入るといかにも素人と思われるウクライナ女性が2人で切り盛りしていた。メニューはハッシュドポテトに似たジャガイモや、豆腐ハンバーグのような郷土料理で軽食だった。

ワインも店に置いてあったのは数本で、ボトルで頼むとあまりそういう客はいないらしく驚かれた。 壁にウクライナの地図が掛かっていて、「あっ!ここがドネツク州、ここがワインのオデッサ!」と、日頃のニュースの世界と重ね合わせた。

日本へのウクライナ避難民は2000人強という。国に夫や家族を残して女手ひとつでこうして自活するのは大変だ。飲食業だから中には変な客もいるかも知れない。そんな心配を他所に、片言の日本語で頑張っていた彼女たちの姿が正に真綿に包まれていた。

Sunday 25 February 2024

「部屋の象」ワイン

オーストラリアは農産国である。チーズ、ミルク、ヨーグルトなどの乳製品はビックリする新鮮さである。普段は飲まないオレンジジュースも病みつきになる。そしてワインである。

例えば日本のスーパーでもよく見かける「黄色い尻尾(Yellow Tail)」というテーブルワインがある。本場でも日本と殆ど同じ価格で売っていたが、味は破格に美味しかった。「これって別物?」とも思ったが、ワインは揺れに弱いからその理由も頷けた。

特にラベルのユニークさは世界一である。フランスだと醸造所や産地・年代など規制が厳しから、ラベルを見るとグレードが直ぐ分かる画一性がある。オーストラリアはそれが緩いのか、勝手なネーミングで遊び心満載であった。

そのいい例が、先般書いた「19人の犯罪者(19 Crimes)である。19人(19種類)の犯罪者の顔写真は正に圧巻であった。また先のYellow Tailも、カンガルーをイラストしたいかにもオーストラリアらしい一品であった。三種類あってオーストラリアはShirazの産地とはいうが、個人的にはシャルドネ・ソ―ヴィニョンが気に入っている。
「パブロとペドロ(Pablo&Pedro)」というコミカルなワインもある。ラベルには「スペインの情熱に敬意を込めて」と書いてあったが、典型的なブレンド品である。パブロは小柄だ口煩い元気者、一方ペドロは大柄で大人しくエレガント、この二人(二つの味)が一緒になったのがこのワインという。中々旨い表現だと笑ってしまったが、10ドル(1000円)程で美味かった。

もう一つ、「部屋の象(Elephant in the Room)」もあった。オークとスモーキーな香りは、部屋に象がいる匂いだという意味である。もう少し違う表現方法はないのだろうか?とも思ってしまうが、生産者の気持ちが伝わってきた。

Saturday 24 February 2024

オットーという男

高齢化の時代とは言え、長生きすればお金も掛かるし身体も弱くなる。特に伴侶に先立たれたり、病を抱えながら生きるのは大変だ。随分前だが親戚の叔父さんが亡くなった。80歳前半だったか、奥さんが亡くなるとまるで後追いするかのように逝ってしまった。昔気質の人だったので奥さんにも随分と威張っていたが、嘘のような最後だった。

そんな事を思い出しのは、昨年公開された映画「オットーという男(A Man Called Otto)」だった。トム・ハンクス演じる老人が愛妻に先立たれて、そのショックで何度か自殺を試みるが、危ない処で近所の人に助けられる話である。トム・ハンクスでなかったらとても観られたものではなかったかも知れないが、やけに共感を誘われた。 

 もう一つ、昔の小説「白い犬とワルツ(To Dance With A White Dog)」も、これを契機に読み直してみた。物語はオットーと同じで、奥さんに先立たれて孤独になる老人の話である。ただオットーの元に現れたのが猫だったのに対し、此方は犬だった。普段は目にも止まらない捨て猫や捨て犬だが、いざという時には孤独を癒す伴侶になるのであった。 

 処でこうした孤独は、都会生活と深い関係があるとかねがね思っている。リースマンの「群衆の孤独」ではないが、人は他人に囲まれた都会で孤独感を感じる一方で、自然の中ではそれがないからだ。確かに山を歩いていると、心細いが寂しいとは思わない。 

 都会は近くにスーパーや病院があって便利だが、その便利さが逆に曲者である。定年を契機に群馬の田舎に移ったOさんは、自給自足用の畑仕事や水の汲み出しが日課である。冬の寒さに備えて薪を仕込むの大変だ。薪はあっと言う間に燃えてしまうが、チェーンで切って乾燥させ斧を入れる作業は、膨大な時間と体力が要る。ただその自然と営むルーチンに、生存本能が刺激されるという。

Friday 23 February 2024

Airbnbの宿

今回も宿はAirbnbで探した。Airbnbは個人と個人を繋ぐ民宿ネットである。希望の条件を入力し気に入ったら申し込むと、オーナーから直接返事がくるので簡単だ。価格もホテルの半分程度だし、部屋はどこも綺麗で当たり外れがない。

 部屋は大きく分けて、共用スペースをシェアーする場合と専用する場合の二つがある。前者はキッチンやトイレが他の宿泊者と一緒になるが、学生や旅行者の時間はマチマチなので、あまり鉢合わせになることもない。冷蔵庫は段ごとに置き場が決まっている。調味料などは残ると置いて行くので、大体の必需品は揃っている。ホストと称するオーナーは多くは別の処に住んでいるので、あまり気遣いもない。

処が昨年は間違ってホストと同居の家を選んでしまった。大きな一軒家の一室で、朝は「おはようございます」の挨拶から始まり、主人のシャワーが終わるのを見計らって使い、キッチンも彼らの食事時を外して食べる窮屈な毎日だった。若い頃なら未だしも、この歳で居候になったような気分だった。幸い主人とは気が合い、夜はよく飲んで話せたので、オーストラリア人の生活の一端に触れる事が出来た。 

 彼は英国のリバプールから移って来て、今の奥さんと結婚した。3度目の結婚とかで、前の奥さんとの子供もオーストラリアに住んでいた。奥さんも二度目の結婚で、前の夫とに間に出来た男の子が一緒に住んでいた。精神に障害があったので、時折カウンセラーが時々やってきて、奥さんが熱心に耳を傾けていたのが印象的だった。素晴らしい自然に囲まれ羨ましかったが、「どこの家庭でも悩みがあるのは万国共通だ!」と思った。

 今回はそんな反省から、1LDKを占有にして快適だった。着いて鍵が中々見つからないので困った以外は、何一つ不自由はなかった。

Thursday 22 February 2024

International Gentleman

もう一つ、ゴルフ場での出来事だった。ラウンドしていると、騒々しい一団がいた。二人用のカートが4台、男たちが7〜8人が一緒に廻っていた。髭を蓄えた女装もいて、奇声も聞こえてきたので酒も入っているのが分かった。ただ田舎のゴルフ場で、週末時折見かける光景なので左程驚かなかった。

 ところが折り返しで擦れ違う処に来ると、隣のコースからボールが真横に飛んできた。シャンクでそれも2発続けて。腕前は素人だし、暫くプレーを中断してやり過ごす事にした。

するとその時どこから現れたのか、女性がカートで飛んできて彼らの処に駆け寄った。服装からしてプレー中のメンバーの人のようだった。彼女はその一団相手に何やら注意しているのが分かった。

そして終わってから私の処にやってきて、「International Gentleman、もしも彼らのボールが当たったのなら、保険が掛かっているのでクラブハウスに行くように!」と言って去って行った。その女一人で立ち向かう姿は、キリっとして実に格好良かった。日本では絶対見られない光景だった。

 場所はRosewood Golf Club、カンガルーが沢山生息しているコースであった。因みにカンガルーは集団で過ごす。昼間は日陰に寝ていて、お父さんらしいオスが見張っている。ゴルファーが近づくと仲間を移動させる。中にはお腹の袋に入ったベービーも居て本当に可愛い。夕方になると活動を始め飛び回るので、ゴルフ場が突然サバンナに変わる。

Wednesday 21 February 2024

ロストボールにはご用心

外国でゴルフをやると結構ドラマがある。

先日もブリスベンの郊外でゴルフをした時だった。ティーショットを打って歩いていると、コースの真ん中に真っ白なボールが落ちていた。ロストボールは多いので拾って歩いていると、暫くして隣のコースから男が現れ、「タイトリストのボールなかった?」と聞く。ひょっとしてと、さっきのボールをみると確かにタイトリストだった。「ごめんごめん」と誤ってその場は終わった。

それから暫くして、後ろから来た男がカートで追い上げてきたので、先に行かせようと道を譲った。此方は歩きなので当然の事だった。彼は「有難う!」と豪快なショットを放ち追い越した。

そして彼の第二打を見ていると、「あれ、それって彼のボールじゃないよ?もっと飛んでいたはずだったから?」と思った。結果はその通りで、その後彼は自分のボールを見つけて、「貴方のボールを間違って打っちゃった!」とその誤球を私に渡そうとした。

勿論それは私のボールではなかったので固辞したが、やり取りも面倒なので受け取っておいた。 処がその後またさっきのタイトリストの男が現れ、「俺のボールなかった?」と聞く。私のポケットから出て来たのは正にそれで、不可抗力とは言え2回目でバツが悪かった。

 ラウンドが終わりクラブハウスに引き揚げると、支配人の耳には既にこのニュースが届いていて、「XXが文句言っていたよ!」と言われた。私も「その通りだが、複雑な事情で・・・、でも何という事をしてしまって」と謝って恥ずかしかった。

 それからそれが縁で支配人と雑談が始まり、かれこれ30分程は話しただろうか?最後は見知らぬ客に同情したのか、別れ際には100周年の記念ワインやタオルを土産にくれた。

場所はSandy Gallop Golf Club、めったにこう言うことはないが、トラブルも終わってみればいい旅の思い出になったのであった。

Monday 19 February 2024

19人の犯罪者ワイン

今年の冬は暖冬でもう桜が咲いている処もある。欧州も暖かく、北半球は世界的に暖かい冬になっている。 

一方、南半球のオーストラリアは冷夏である。毎年35度になる日が多いが、今年はブリスベンでも1月から2月は30度に届くかどうか、それに加えてやたらに雨の日が多い。ゴールド・コーストの年間の雨日は30日程度と言われているので、正に異常気象である。地球の軸の傾きでも変わったのだろうか?と勘繰ってしまう。

そのオーストラリアだが、治安はいいし人々も温和である。見知らぬ人同士の目が合えば、必ずにニコッとして挨拶を交わす。一番顕著なのは車の運転マナーである。制限速度は驚くほどきちっと守り、割り込みや無理な追い越しも殆どない。病院は無料だし、大きな家に住んでタダみたいなゴルフをすれば、ストレスなんて出る余地はないのだろう。 

そんなおおらかな国民性は、広大な国土と移民の過去と深い関係がある気がする。それを象徴するのが、「19 Crimes (19人の犯罪者)」というワインである。受刑者の顔写真が付いたワインの説明書には、「この国を築いた彼らはパイオニア」として称えてある。当時の移民法では大航海を経て辿り着けば、例え死刑囚でも減刑され堅気の人になったのだった。

 このワインは安い割には味もしっかりしていて美味しかった。尤もこの話を飛行機で隣合わせたオーストラリア人に話すとあまりいい顔はしていなかった。面白い話も相手を選ばないと失敗する。

Sunday 18 February 2024

メリーポピンズの生地

旅をしていると意外な発見がある。先日もオーストラリアのMaryboroughという小さな町を通った時だった。市役所でトイレを借りようとすると、守衛みたいなおじさんが立っていて、「このトイレは世界一美しいトイレです!」という。確かに入ってみると、天井から壁までの美しいペインティングが施されていた。

それはメリーポピンズ(Mary Poppins)の世界だった。聞くとここはその作者のパメラ・トラバース(Pamela Travers)が生まれた町だった。まだ開拓当時の街並みが残るレトロな町の一角に、彼女の父が務めていた銀行跡が博物館になっていた。 

 ウォルト・ディズニーが作ったメリーポピンズの映画は、ジュリー・アンドリュース演じるナニー(教育係)が、銀行家の家に住み込み処から始まる。魔法で子供達を勇気付け、大人たちにも子供心を取り戻す感動作である。有名なA Spooful of SugarやChim Chim Cher-eeなどの歌も、一度聴いたら忘れられない曲である。

 しかしモデルになった銀行員の父親は、アルコール依存症で降格させられ早世し、母親もそのショックで後追いを試みるなど、家庭環境は良くなかった。そのため彼女はこの町を出て親戚の家を転々とし英国に渡る事になったのである。

そんな幼少期を乗り越えて、パメラは児童文学者として素晴らしい作品を作った。題材は父親から聞いたケルトの童話や銀行員の家庭環境で、全て父親をベースとしていたのであった。

思い出したのはアイルランドのフォークソングである。アイルランドの歴史はイングランドの長い圧政でとても暗いものがある。ところがパブで聞く民謡は、それとは裏腹に陽気でリズミカルである。この不思議は未だによく分からないが、お父さんもアイルランド系と聞いて何か共通するものを感じたのであった。

Monday 22 January 2024

ダイヤモンドは永遠に

最近の若い人の結婚は至ってシンプルだ。結婚式を挙げる事もないし贈り物も控えめだ。長いデフレでとてもそんな余裕はないのだろう。

 昔は給与の三倍のダイヤモンドリングを贈るのが定番だった。駆け出しのサラリーマンにとってその額は預金を殆ど使い切る額だった。高度成長期の成せる業だったが、何故そんな事になったのか?そのカラクリがやっと分かった。

それはダイヤモンドの大手デビアス(De Beers)社のマーケティング戦略だった。70年代初頭にはダイヤモンド指輪を送る新郎は10%にも満たなかったが、その後の同社の「婚約指輪は給料の三か月分」のCMで一挙に流れが変わった。お寺のお布施ではないが、いくら渡していいのか分からない中で、初めてその標準が出来たのであった。「じゅわいよ・くちゅーるマキ」「カメリアダイヤモンド」なんて名前があった頃だった。

 そんな事を思い出したのは、あのシドニー・シェルダンの「Master of The Game(ゲームの達人)」を読み返したのが切っ掛けだった。相変わらず面白くて一気読みしてしまったが、小説のモデルは南アのダイヤモンド王のセシル・ローズだった。デビアス社はそのローズが創設した会社、今でも世界のダイヤ市場の50%以上を支配しているのだ。特に日本の小売販売は未だに世界2位と言う。不況というのに、銀座に立ち並ぶ高級ブティック店がその成功を物語っている。

 小説の中に跡を継がせようとするTonyという息子が出て来る。ただ彼は経営には関心なく絵の道を進む。ところが実権をもつ祖母は広告会社を使って監視に可愛いモデルを送り込む。それらは全てデビアス社傘下のマーケティング部門で、日本のCMも彼らが担ったのに違いない。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」は殺し文句である。不思議な輝きに見入れば益々その魅力に嵌って行く。ただそれも彼らの掌の上で躍らせられていたかと思うと、何とも複雑な気分になる。

Sunday 21 January 2024

魅力的な越後湯沢

初滑りに越後湯沢に行ってきた。晴れマークを見て前の日に決めた。新幹線に乗る事1時間、家を出て滑り出すまで4時間である。10本程滑って引き揚げれば、まだ夕食時間に戻れる。いつも行くのは石打丸山である。山頂から麓まで4㎞のコースを、只管ノンストップで滑れるのが気にっている。

スキーの板はレンタルする。ぶらっと立ち寄る馴染みのレンタル屋がある。入ると親父さんから「今年も来たの、また石打?」と聞かれる。凄いのはどこのスキー場にも、一人から送迎してくれるサービスである。ある時20分以上も掛かる三俣かぐらまで頼んだら、快く引き受けてくれたのには驚いた。

 スキー場は平日なら貸し切りかと勘違いする程ガラガラである。ただ今年は少し多かった。理由は台湾からのスキー客が増えたためである。服装は中国人と違って地味だが、家族で短期間滞在していた。

 昔水上のスキー場で滑っていた時、フランス人が「日本のスキー場は狭くて物足りない!」と愚痴を零していた。群馬はメーカーの人が多いからその関係者だろうが、その時は肩身の狭い思いがした。 

 実際アルプスのシャモニー始め、バルディゼール、バルトランス、ドゥザルプス、ティーニュは何処も広かった。ただアクセスはパリからだと丸一日は掛かるし、滞在も一週間刻みである。立派なレストランはあるが、殆どが地元のスーパーで買い込み、アパートで食べる事になる。

若い頃はまだ仲間も多かったからこれでいいのだが、年配者には不向きである。 その点日本のスキー場には居酒屋が多く、何より温泉がある。改めてその魅力を再発見している今日この頃で、これを使わない手はないと思っている。

Friday 19 January 2024

ペットロスと二頭飼い

大谷選手のデコピンが話題になっている。スーパースターに人間的な温もりを感じた人は多く何とも微笑ましかった。一方、お隣の韓国では犬食禁止法が施行された。犬を食べるのは中国人と思っていたので意外だった。犬に纏わる話は、毎日ピンからキリまで尽きない。

暫く前に「Cさんの犬が死んだようだ」と誰かが話しているのを聞いた。Cさんは奥さんに先立たれ、愛犬と二人暮らしの老人である。それだけに話す話題と言えば愛犬のことばかり、同じ犬仲間として気持ちが分かるだけに心配していた。

 案の定、Cさんはそのショックで家に閉じ籠るようになってしまった。ある時偶然道端で会ったが、まだ余震は続いていたのか元気がなかった。「早く次を買ったらいいよ!」と励ましたが、「ああ、でもね」と未だ切り替えられる状態ではなかった。

 犬は家族同様というが情が移る。大体寿命は10年ちょっとだから、必ず先に死ぬ事は分かっていても、いざその時が来ると辛い。ペットロスは誰でも経験するだろうが、中には後追いする人もいると聞く。このため我が家ではある時から2頭飼いを励行していた。

 先住犬が3-4歳になると新しいのを補充して空白が出来ないようにするのだった。こうすれば万が一のショックは和らげる。ところがある時、後から来た若いゴールデンレトリバーが突然死んでしまった。胃捻転が原因で2歳だった。以来また一頭飼いに戻っている。

犬は世話が大変だがそれが励みにもなる。来年にはまた次を探そうかと思っているのだが・・・・。

Saturday 13 January 2024

ゼレンスキーとブリンケン

日本に住んでいると、ユダヤ人は遠い国の人に思っていた。せいぜい昔読んだイザヤ・ベンダサンの本を思い出す位だった。ところが最近、ウクライナのゼレンスキー大統領も、支援に行ったブリンケン国防長官もどちらもユダヤ系と聞くと、次第にその思いも変わってきた。

学生時代に経済学を習った時、バイブルはポール・A・サムエルソン教授のEconomicsであった。原書を渡され四苦八苦した記憶があるが、彼の祖先はポーランドで薬屋を営むユダヤ人だった。対するマル経のカール・マルクスもドイツ系のユダヤ人だったから、彼らが学部を二分していた事になる。

 政治の世界もそうだった。当時は東西冷戦時代で、アメリカではブレジンスキーや最近亡くなったキッシンジャーが活躍していた頃だったが、彼らもポーランドやドイツから逃げてきたユダヤ人の末裔だった。対するソ連も生みの親のレーニンがユダヤ人の血を引いていた。ロシア革命はユダヤ人が起こしたと言われる所以である。

 現在でも生活にユダヤ系が深く染み込んでいる事に気付く。例えばスタバでコーヒーを飲みながらデルのパソコンを使ってフェースブックに書き込みしたり、グーグル検索を行ったり、週末ともなればディズニーランドに行くが、これらの創設者は全てユダヤ人である。

映画の世界は正に綺羅星である。ハリーポッター役のランドクリフは南ア系、スピルバーク監督はドイツ系、あのハリソン・フォードもベラルーシ出身のユダヤ人だった。古くは「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督はポーランドとルーマニア系、ウディ・アレンはロシア系、ダスティン・フォフマンはウクライナ系等々。 

 カルバン・クラインの服を着てメンデルスゾーンやシューベルトを聴けば完璧だし、正に我々はユダヤ人文化の中で生きている。

Tuesday 9 January 2024

ハーヴァード学長の解任

イスラエルのガザ侵攻を巡り、人道的な見地から抗議の声が上がっている。アメリカでは、バイデン支持にも影響が出始めているというが、反対の動きもある。ペンシルヴァニア大とハーヴァード大の学長辞任である。理由は反ユダヤ主義を取ったと議会から批判された為だった。

ハーヴァード大のクラウディン・ゲイは黒人女性だった。ハイチ出身で初の黒人学長になったようだが、後任は事態修復の為なのかユダヤ系のアラン・ガーバーが就任した。調べてみたら、ゲイの前任のローレンス・バコーも、その2つ前で財務長官にもなったサマーズもユダヤ系だった。

サマーズは日本でも有名だが、叔父にサムエルソンやケネス・アローを持つユダヤ系経済学者の一家に育った。アメリカの経済界はユダヤ系が多く、FRBの前議長のイエレンやその前のバーナンキやグリーンスパンもそうだし、FRBの株主であるロックフェラー、モルガン、ソロモン、ロスチャイルドは典型的なユダヤ資本である。

 学長辞任の背景は寄付との関係に違いない。具体的にどこからいくら貰っているか知らないが、フェースブック、アマゾン、グーグル、オラクル、デル、スタバ、チャットGTPのオープンAIなど、これら大手の創設者は全てユダヤ系の末裔と分かると、敵に廻せば大学の存立さえもままならないのだろう。

 アメリカの人口は3億人強、内ユダヤ系は6百万人強(2%)に過ぎない。ただ中枢に行けば行くほど密度が濃くなる。この辺がディープステイトと言われる所以なのかも知れないが、今回の事件でその一端を垣間見た気がした。

Friday 5 January 2024

欽ちゃんの名言

2024年が明けた。元旦から能登半島沖で大地震があり、多くの被害が出た。2日には羽田空港で日航機と海上保安庁の機体が衝突する事故も起きた。奇跡的にも乗客は全員無事だった。海保機は石川県に救援物資を運ぶ途中だったという。皮肉にも運命の糸が撚れてしまった。

新春恒例の箱根駅伝もあった。青山学院が宿敵の駒大に勝った。3区で実力差を撥ね退け首位に立ったのが勝因に見えた。「負けてたまるか大作戦」のスローガンも微笑ましかった。

 印象的だったのは青山の快挙も然る事ながら、駒大が試合が終わった翌朝にいつもの練習を始めた事だった。選手への配慮なのか、心は来年に向かって走り出していた。 

 そう言えば年末のTVで、駒大に入学した欽ちゃんが出ていた。73歳で学ぼうとする姿勢に励まされたが、監督から「何か選手にアドヴァイスしてくれ」と頼まれた話が紹介されていた。それに応えて言ったのは、「成功した時は喜ぶ時間を短くし、失敗した時も悲しむ時間を短くする」であった。

 中々の名言で、その翌朝の練習もその言葉を実践したかのようだった。喜びと悲しみが織り成すのが人生だが、大事なのは淡々と前に向かって走り続ける事、そんな生き方を教えられた。