Monday 30 June 2014

カズオ・イシグロの世界

ドイツの外相リッベントロップに触れたら、カズオ・イシグロの小説「日の名残り(The Remains of The Day)」にその名が出てきた。リッベントロップは外相になるまで英国大使を務めていたようだ。その時に、英国の要人から情報収集を行っていたという。

そうした貴族、上流社会の一幕を描いたのが「日の名残り」だ。執事(バトラー)の目を通し、宿に出入りする要人を描いている。本では主人がリッベントロップと交際した結果、後に英国の中で苦しい立場に立たされれ名声を失ったことを辿っている。翻訳でも十分流れるような言い回しである。さぞかし英語は美しいのだろう。

ただ正直何が面白いのか分からなかった。英国特有の威厳(Dignity)、社会的制約(Social constrain)、冗談(Bantar)など、一昔前の世界である。読み終わってみれば薄味の感が拭いきれなかった。

Sunday 29 June 2014

パリのエストニア人

雨の週末、どうしてもTVに食い入ってしまう。何気なく見ていたら、映画「Une Estonienne à Paris(パリのエストニア人)」をやっていた。以前友人のM君が教えてくれたが、中々見る機会が無かった作品だ。

ストーリーは、パリに住んでいる夫人の処に家政婦が来る。老婦人も家政婦もエストニアからやってきた2人だ。ただでさえも1百万人弱の人口のエストニア、勿論移民の多いパリでもマイノリティーだ。そこに至る過程は捨象されていたが、老婦人は第2次大戦時の対ソ不可侵条約、リッベントロップ・モロゾフ協定の被害者だ。二人の外相が秘密裡にサインした協定は、暫くしてバルト三国がロシアに属することになった。

映画はパリのエストニア移民や教会が出て来るので興味深い。主役はジャンヌ・モロー、立派な家具は彼女のプライベートな世界らしい。家政婦もエストニア人なので、ゆっくり話すフランス語は分かり易い。ただこの映画、日本でのタイトルは「クロワッサンで朝食を」である。これは全くの違訳である。勝手に作り替えないでくれ!・・・、観終わってそんな気持ちになったのだ。

Saturday 28 June 2014

ウィンブルドンの白

また今年もウィンブルドン大会が始まった。日本選手も多く出ていたが、1週間が経ち錦織を除いて姿を消してしまった。やっとグランドスラムに出場した杉田や奈良のプレーは良かった。もう一歩だったが、やはりまだまだ実力差は大きい。

選手を見ていて気が付いたのは、ウェアーの白だ。大会は昔から白基調がルールになっているが、ウェアーのラインや女性選手の下着など微妙にカラフルだったりした。それが今年から殆ど白一色の運用が厳正化されたようだ。そのため、ナダルやマレーなどの襟のないウェアーは、「それって下着?」と間違えてしまう程だ。

それにしても、その白のウェアーは緑の芝に映える。特にこの季節、太陽の日差しが強くなり始める中、何とも言えない品位と清潔感が漂う。元々芝コートはコートが狭く見える錯覚がある。アネックスのコートなど、選手に手の届くように感じてしまう。それが観客との一体感を生むのだが、白と緑、そしてボールのイエローのコントラストが何とも美しい。

Thursday 26 June 2014

金正恩暗殺の映画

日本政府は、北朝鮮との局長級会議を再開すると発表した。経済制裁解除と交換に拉致被害者の救出を急ぐ。遺族が高齢化しているので、本当に早く解決して欲しい。

その北朝鮮だが、BBCの伝えるところに寄れば、ハリウッドで金正恩暗殺の映画が作られているという。タイトルは「戦争の兆し(Act of War)」で、CIAが主役らしい。Youtubeの予告編を見る限り、フィクションにしてはリアルだ。

北朝鮮は当然この映画の公開に反対している。もしも上映されたら本当に戦争だと脅している。何より神格化されている金正恩の権威が傷付くので、まさか国内で上映されることはないだろう。ただこのご時世でそれをどこまで食い止められるか甚だ疑問だ。それにしても、最近は北を悪者にした映画が多い。ホワイトハウス乗っ取りを扱った「Olympus has fallen(日本語ではエンド・オブ・ホワイトハウス)」は典型だ。交渉再開の足を引っ張らねばいいのだが・・・。

Wednesday 25 June 2014

グレコのシャンソン

先日、とある縁で久々にシャンソンを聞きに行った。最近でこそ下火になったが、昔のシャンソンブームは凄かった。銀座資生堂の近くにあった「銀パリ」には多くの人が詰め掛けた。越路吹雪や芦野浩が活躍していた頃だ。日本が戦後復興を遂げる中、シャンソンは何とも言えない力強さと文化の香りがした。

ところが本場パリに行ってみると少々趣が変っていた。80年代だったか、シャンソ二エを探してみてももう無いと言われた。それでも観光客目当てに2つのシャンソ二エがあった。一つはシテ島近くのカボ・ドゥ・ウブリエット(Le Caveau des Oubliette)、訳せば忘れられた地下室、その名の如く革命時代の牢獄でカビ臭かった。もう一つはモンマルトルのラパン・アジル(Lapin Agile,すばしっこい兎の意味)である。ただどちらも中世や庶民の砕けた歌で、エディット・ピアフの世界ではなかった。

その頃、晩年のジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)のコンサートに行く機会があった。取り壊し前のオリンピア劇場で、60歳になっていたか、か細い声を絞り出していたのが印象的だった。それを聞いていて、自分が知っていたシャンソンの時代は終わったのだと実感した。シャンソンのメロディー・歌詞には哀愁があり、女が力強く生きる生き様が伝わってくる。ただ女が強くなった現代、もはやそれは過去のものになってしまったのだろう。

Tuesday 24 June 2014

スターリンの末裔

歌劇「ボリス・ゴドノフ」で名高いボリス・ゴドノフは、17世紀のロシアのツァーリ(王)である。タタール人ことジンギスカンの末裔から解放された、正にロシアの夜明けであった。そのゴドノフの前に現れたのは死んだはずの王位継承者ドミトリーであった。結局そのドミトリーは偽物だったことが分かり、25歳の若さで死んでしまう。

ロシアは広大で大いなる田舎国家だ。偽物と分かっても、こうした英雄如きが現れるのを待望している向きもある。たまたま読んだロバート・ハリス著「アルハンゲリスクの亡霊(原題:Archangel)」は、スターリンの亡霊をテーマにしたフィクションだった。スターリンが死んだ時、金庫から秘密のノートが盗まれる、そこには一人息子の消息が書かれていた・・・という物語だ。そして何年かしてスターリンそっくりさんが現れる。

国民は散々粛清されたにも拘わらず、絶対権力者の復活を待ち侘びている。その国民性はロシア的というか、革命の反動のような気もする。王政復古を待ち侘びている証拠に、ロマノフ王朝の娘が今でも生きているという噂は絶えない。ソ連崩壊で求心力を失っているロシア、ひょっとして誰かの末裔が現れるかも知れない。

Monday 23 June 2014

ドイツの洞窟救出

先日ドイツ南部の洞窟で、男が閉じ込められた、結局200人の救援隊が救助に向かい、無事10日目に救出された。


洞窟の名前はリーゼンディング(Riesending)と言って、全長1000Mはドイツ最大らしい。場所が気になったので調べてみるとオーストリア国境で、何とあのベルヒテスガーデン(Berchtesgaden)の近くだった。ベルヒテスガーデンはドイツアルプスの景勝地、ヒットラーの山荘があったことで有名だ。一度訪れたことがあったが、岩をくり抜き垂直に伸びた当時のエレベーターが残っている。金メッキを施した豪華な作りは、ナチス要人を頂上まで運んだ面影がある。

洞窟探検家のことをケービニスと言う。昔会社に入ってきたI君もそのケービニスだった。ただ洞窟探検は時間が掛かるらしく、纏まった休みを申請したが認めてもらえず、それが切っ掛けで会社を辞めてしまった。洞窟と聞くと彼の事を思い出す。

Sunday 22 June 2014

パリの死刑執行人

先月アメリカのオクラホマ州で行った死刑で、40分もの間、死刑囚が悶え苦しむという事件があった。投与した注射が原因らしく、結局死亡したものの物議を醸した。

死刑は色々あるが、絶命まで縛り首は7-15分、電気でも4分程度掛かるという。確か映画「グリーンマイル」でも、電気椅子の死刑囚が絶命出来ないシーンがあった。

フランスには死刑執行人サンソンがいた。バーバラ・レヴィ著「パリの断頭台(Legacy of Death)」の物語である。サンソン家は1600年から1800年にかけて代々死刑執行を職業とした一家であった。そんな世襲があったのは驚きだが、ルイ16世、マリ-・アントワネットなども手掛けている。当初は斧や馬での四つ裂きだった処刑は、ギロチンが出てきてから助手に任せるようになった。ギロチンは、囚人に苦痛を与えることないように開発された。華やかなパリの表舞台とは裏腹に、その残酷さは如何にもフランスらしい一面がある。ともあれ、どうせ死ぬなら一息に行きたいものだ。

Thursday 19 June 2014

ジャンヌ・ダルクと豚の足

フランス政党で大躍進しているのが、国民戦線ことフロント・ナショナル(FN:Front Nationale)である。極右で外国人の排除など嘗てのナチを彷彿とさせる。パリのスキンヘッドはこのFNが多く、広場に集まってラ・マルセエーズを歌う姿は、これから革命でも起きるのではないかと思ってしまう。

今の代表は娘のマリーン・ル・ペンである。先の欧州議会選挙で30%の議席を取ったので、時期首相の呼び声が高い。その彼女、現代のジャンヌ・ダルクになれるのか興味深い。

ところで先日とある記事を読んでいたら、ピエール・コウション(Pierre Cauchon)の話が出ていた。彼はジャンヌ・ダルクを異端審問で死刑に処した裁判長である。個人的な恨みもあっての判決だったようで悪役だ。一方パリには似たような発音のブラッセリ-「ピエ・ド・コション(Au Pied de Cochon)」もある。訳せば「豚の足」、その名の通り名物料理は大きな豚の足の丸焼きである。決して美味しいとは言えないが、何故か奇抜な料理に人気が高い。この名の由来が先の裁判長と関係があるのか気になっている。

Tuesday 17 June 2014

戦い続くペガサス橋

先のブログで書いたノルマンディーのペガサス橋だが、70周年の式典に参加したチャールズ皇太子も訪れた。橋は英国コマンドがグライダーで強襲、連合軍がフランスで最初に奪回に成功した記念すべき場所だからだ。

橋の袂にあるカフェは、フランスで最初に解放された家として今でも営業を続けている。当時の両親は既に他界し、現在は相続した姉妹が引き継いでいる。訪れる人は、ここでお茶を飲み、当時のポストカードを見ながら歴史の瞬間に浸るのである。

その姉妹が戦車などの陳列品を橋の反対側に確保した土地に移管しようとしたところ、イギリスの関係団体から反対に遭った。余りに史実とかけ離れるといのが理由らしいが、ル・ポアン誌はこれをして「戦いはまだ続いている」という社説を載せていた。些細な事だが、解放の置き土産が多い国だけにトラブルも尽きない。

Saturday 14 June 2014

ロベルト・バッチオのPK

W杯で思い出深いのは1994年のアメリカ大会だ。決勝はブラジルとイタリアだった。たまたま休暇でイタリアはソレントに滞在、この試合をTV観戦した。夕方の8時頃から始まるというのに、レストランは早々閉まってしまい、町中いや国中が観戦モードに入っているのが分かった。

して試合が始まり、決着の付かないまま0‐0でPKに入った。W杯史上初のPK合戦だ。お互い1人目が外し、2-3人目は成功、4人目でイタリアが失敗した。後のないイタリアの5人目はエースのロべルト・バッチオ(Roberto Baggio)に全てを託した。世界の目が注がれる中、バッチオの蹴ったボールは大きく宙に舞い万事休すとなった。

翌日は市内のシャッターが閉まったままで人通りも疎ら、ホテルの従業員はまるでお通夜のようだった。「陽気なイタリア人もやはり人並みに落ち込むんだ?」と、変に感心したものだった。ともあれW杯は一瞬のボールの転がりが選手、延いては国民の人生を大きく変える。

Friday 13 June 2014

W杯が始まった

サッカーのW杯が始まった。朝からブラジルvsクロアチアの一戦で盛り上がった。4年に一度の大会、日本代表の顔にも緊張感が出ているのが分かる。日本は予選を勝ち抜けるのだろうか?一回戦のコートジボアール戦が鍵らしい。

それにしても地球の裏側でやっているので、日本でのLive観戦は大変だ。仕事や週末を犠牲にしなくてはならない。それでなくても、最近は世界のスポーツLiveテレビが多い。今週も松山の出場している全米ゴルフや、ウィンブルドンの前哨戦をやっている。一昔に比べれば何と贅沢な時代になったのだろう。

選手も監督も審判も皆命がけ、そんな真剣勝負を見れるだけで感激だ。頑張れニッポン!せめて一勝して欲しい。

Thursday 12 June 2014

宇治を歩いて

大阪から京都に向う途中、宇治に泊まった。京阪の終点、宇治駅に着くと小雨が降っていた。宇治川に添って宿を目指すが、行き交う人は殆ど居ない。歩くこと10分、やっと今日の宿が見えてきた。

玄関を入ったが電気が消えている、呼んでも誰も出てこない。暫くして宿の女将がやってきた。聞くと、この日の泊り客は私と写真家の2人だけらしい。ガランとした廊下も真っ暗で、怖い感じすらある。一風呂浴びて食事に繰り出した。「京都風の小料理屋で粋に飲みたい」、そう思って店を探すが不思議とそれらしき店はない。あるのはサイゼリアや洋風食堂、30分探して結局駅前の回転寿司に入った。

宇治は源氏物語、紫式部のメッカである。京の華やかさに対し宇治は静けさ、昼に対し夜、春に対し秋、の位置付けらしい。今でもそうなのに、昔はさぞかし寂しいところだったのだろう。ゴーゴーと唸りを立てる宇治川の川べりを歩き、一人宿に戻ったのである。

Wednesday 11 June 2014

カラチ空港の襲撃

パキスタンのカラチ空港で銃撃戦があり、既に38名が死亡したという。タリバンが声明を出したようだ。

パキスタンとタリバンと聞けば、思い出すのはビンラディンの殺害だ。アメリカの特殊部隊が急襲し、射止めた場所だった。あれから3年経ったが、未だに勢力を誇示する根の深さを感じてしまう。映画「ゼロ・ダーク・サーティー(Zero Dark Thirty)」は、当時の背景をリアルに再現していて何度も見てしまった。普段見慣れない、乾き切ったパキスタンの町並みと人々が印象的だった。

それにしても国際空港がいとも簡単に襲われる。とても遠い国のことに思えてならない。

Sunday 8 June 2014

獺祭の酒

新橋駅前のニュー新橋ビルの地下は、多くの居酒屋で賑わっている。場所柄飲み屋の激戦区で、店を維持するのは大変と聞く。その一つに山口の店がある。安倍兄弟の写真も貼ってあり、県人会宛ら、酒は勿論山口の地酒である。随分前だが、そこで初めて獺祭を飲んだ。何とも言えないコクが旨く、時々足を運んだものだった。

ところが最近久々に行くとその獺祭がないという。混んできた店も火が消えたようで、客に混じって飲んでいた親父さんも素面だった。それとは対象的に暫く前から酒屋で見るようになった。量産に成功したと、TVで放映されたらしい。

周りにも獺祭ファンは多い。新橋の「魚金」の獺祭が安いとわざわざ遠くから出て来る人や、週に2-3回会社帰りにデパ地下で300mlの小瓶を買って帰る人、以前の久保田万寿のような賑わいだ。沢山出回って来るのは有難いが、この酒を見ると新橋の店に最初に行った日を思い出す。

Friday 6 June 2014

D‐Day70周年

今日はDーDay、ノルマンジー上陸の記念日だ。今年は70周年の節目であり、セレモニーには旧連合軍の首脳が集まる。先週までG7で非難されていたロシアのプーチン大統領も参加するし、オバマ大統領、エリザベス女王など19カ国の元首が集まるという。

ところで今年の会場はソード海岸(Sword beach)だ。英軍が無傷で上陸した地点である。近くにオイストレ-ハム(Ouistreham)の港がある。そこはフランス軍が単独で奇襲した場所として有名だ。キ-フェ(Kiefer)隊長以下のコマンドの活躍は、映画「史上最大の作戦(The Longest Day)」に十分紹介されている。また近くには英国のグライダーが強襲したペガサス橋もある。昨日チャールズ皇太子が訪問したようだ。橋の袂のキャフェは健在だし記念碑や当時を偲ばせる博物館も多く、フランスで最初に解放された家もある。

余談だが、オイストレ-ハムのハム(ham)は英語で村の意味だそうだ。英国のバッキンガム(Buckingham)もそうだし、ケンジントン、ウォートンのトン(ton)も同様の意味だそうだ。これは司馬遼太郎の愛蘭土紀行の受けおりだ。ローマ時代の名残がDーDayを経て現代に生きている。

Thursday 5 June 2014

集団的自衛権の陰に

集団的自衛権の議論が白熱している。中国や北朝鮮の脅威が高まっているためか、憲法改正を差し置いて立法化が現実的になりつつある。

朝のサンデーモーニングのTVを見ていたら、毎日新聞の岸井さんが面白いことを言っていた。それはこの議論の影に、外務省が狙っている常任理事国が見え隠れすることだった。日本は今までODAにお金を出してきたが中々主導権が得られなかった。そのもどかしさを取り戻すのが、念願の常任国入りだという。

確かに似たような話は他でも聞いたことがあった。日本は世界に194ヶ国もの在外公館を持っているが、アフリカなど日系企業も進出していない国も多い。どうしてかと言うとキーワードは常任理事国、票集めの準備らしい。残念だが所詮日本人は国際会議でリード出来る民族ではない、と思っている。宗教と言語で日本は世界でマイナーだ。得て不得手、違う道を歩いてもいいのでは・・・。

Wednesday 4 June 2014

久々に牛幸へ

先日久々に牛幸に行った。牛幸は茅場町の新川にある牛肉料理の店である。しゃぶQと称する独特の鍋で煮込むすき焼きは有名だが、この日はしゃぶしゃぶを頼んだ。北海道の日高肉は柔らかく、ビールに良く合った。

この牛幸の前身は六本木のステーキハウス「チャコ」である。最近ネットで見ると閉店になったらしいが、昔は良く通ったものだった。まだまだステーキが高嶺の花の時代、手頃な値段で食べることができ、しかも六本木の交差点から近いモダンな店だった。

牛幸のオーナーは2代目、先代の暖簾を引き継いで頑張っておられる。入り口は牛幸本店のランプが点いているだけで、ややもすると通り過ぎてしまう店構えである。そんな隠れ家的な雰囲気も心良い。遥々行く価値のある店だ。

Tuesday 3 June 2014

AKBの握手券

AKBの握手会でアイドルがファンに切り付けられた。そもそもスターとファンは一線を画していたのにどうして?。ファンはスターを遠くから見るもの、それが手が届くそれも握手の距離に縮った。

それにしてもアイドルとの握手券を事業化した秋本さんって中々の事業家だ。そもそも歌手ファンとの集いで握手は込み込みだった。それを証券会社の商品ではないが、小口化し販売したのは商才だ。握手券があるなら、写真ショット券、半日デート券、一緒の食事券、集団旅行券、特定サイトのチャット券・・・があってもおかしくない。一方小口化すれば今回のようなリスクも付き纏う。それを回避する保険、リスクを集めた投資商品が販売されるかも知れない。

握手は今まで政治家の世界である。ある人が言っていたが、政治家と握手する秘密は大きな声を掛けることだそうだ。政治家にとって自分の名前を呼ばれることほど嬉しいものはないらしい。ただ政治家の握手券は売れないだろう。

Monday 2 June 2014

ASKAの半夢

ASKAが覚醒剤で検挙された。芸能人はテンションが高くないと曲が作れないというが驚いた。そして皮肉にも今回の事件が切っ掛けになり、CDの売上が伸びているという。

陳舜臣の「実録アヘン戦争」(中公新書)には、1840年代の中国が英国からのアヘンで国が廃人と化していく姿を紹介している。その頃の日本と言えば幕末末期、国の夜明けを前に志士たちが血を賑ぎ滾っていた頃である。あのままアヘンを吸い続けていたら今の中国はどうなっていたのだろう・・・そう思ってしまう出来事だった。

「アヘンは半夢(Demi rêve)を育む」、「アルコールは発狂の発作を誘発するが、アヘンは節制の発作を誘発する」と、フランスの詩人ジャン・コクトーの言葉も引用している。飲めば頭が冴える、それだけで魅力的だ。アヘンと覚醒剤の違いは知らないが、どちらも人の境地に付け入る魔力を感じる。