Friday 31 May 2013

財布が戻る東京の治安

猪瀬知事が、ロシアで行ったオリンピック誘致のスピーチが受けたという。「東京では、落とした財布が現金が入ったまま戻ってる」と言って笑いを誘ったそうだ。イスラム失言で挽回したいだけに、少し点を稼げたらいいのだが・・・。



それにしても、東京の治安は素晴らしい。随分前になるが、日本に来た外人とタクシーに乗ったことがあった。彼をホテルに送り届けて別れようとすると、「あ、財布を落とした!」と言う。頭を冷やしてから、タクシーの中に置き忘れたということに気が付いた。幸いレシートがあったので電話をしてみると、暫くして乗ったタクシーの運転手がホテルまで届けにやって来た。勿論お金も元通り、外人はビックリし東京の治安の良さに驚いていた。

東京の良さは挙げれば切りが無い。例えばレストランの店先に出ている(本物の)見本を食べる人はいないし、デパートの試食コーナーでも腹一杯食べる人もいない。またスーパーでの万引きはあるかも知れないが、店内で胃に入れて出てくる人はいない。格差と貧困が当たり前の国から来た人たちは、何気ないことに驚くのだ。



Thursday 30 May 2013

目覚ましじゃんけん

朝は何かと忙しい。眠い目を擦り、犬の散歩に出かけるのが日課だ。これがあるので早起きしている。帰って来るとやっと朝食、TVはフジテレビの「めざましテレビ」が点いている。みのもんたでもいいが、個性が強いのが嫌いな人もいる。
                                                        それとは対象的に、爽やかなのはお天気のお姉さんだ。朝早いのにパッチリした目で、寒い外から実況している。若いとはいえ、冬場は本当に大変そうだった。天気予報が終わると、ジャンケンがある。めざましじゃんけんに勝つと日産の車が当たるそうだが、今日の運勢も掛かっている。私も毎朝、歳替えもなく可愛らしいお姉さんに挑戦している。

ジャンケンと言えば、毎日家の前を通る親子がいる。子供はまだ幼稚園児だろうか、我が家の犬に向かってジャンケンをする。犬は勿論グーなので、いつもパーを出して勝った!と喜んでいる。飼い主として、ご近所に喜んでもらえるだけで嬉しい。

Wednesday 29 May 2013

69年前の梅雨雲

梅雨入りした。蒸し暑いのは鬱陶しいが、陽が大分長くなってきた。真っ直ぐ帰るには忍びないと、久々に渋谷のパブ”ホブゴブリン”に寄ってみた。するとラッキーなことに、カントリーウェスタンのライブをやっているではないか。サイダー(リンゴ酒ビール)を頼み、静かに聴いていると不思議に気持ちが軽くなってきた。

Aspallというサイダーは、度数もビール並みなので酔いが廻る。それにしてもアメリカ人の音楽は陽気だ。1人さっきまで読んでいた坂井三郎の「空戦記録」を思い出した。時は昭和19年、今から69年前の同じ頃、零戦の坂井は横須賀から硫黄島まで飛ぼうとしていた。しかし梅雨雲が邪魔をし、何日も待たされた。片道1000Kmはとても遠く、飛行機はスコールに入ると一溜まりもないという。辿り着いた硫黄島では散々の砲撃に会い、結局一機も無くなった。

カーボーイハットを被ったアメリカ人の演奏を聴きながら、当時のことに想いを巡らせた。目と鼻の先に居た敵って、今日のようにビールを飲んで陽気に騒いでいたのだろうか。それに比べて飲み水もない孤島・・・アメリカ軍の上陸が始まる半年前のことだった。

Tuesday 28 May 2013

性に合わないゴルフ

昨日の月曜日、旧友4人とゴルフに行った。今年はまだ3回目、気心知れた親睦ラウンドはそこそこ楽しかった。ただゴルフは昔からあまり好きではない。ゴルフを始めた頃の日本社会はゴルフと麻雀が必須の時代、麻雀は煙草の煙が立ち込める部屋が嫌いだったし、ゴルフも母親のようなキャディーに重いバックを背負わせるのが許せなかった。そしてチョコレートと称した金銭の掛けや、尾崎将司に代表されるような柄の悪い人々など、どれをとっても性に合わなかった。

そんなブームもいつの間にか終わり、正直良かったと思っている。ただ相変わらずコースでは煙草を吹かし、凡そスポーツとは縁遠い体型の人が闊歩する。そんな人と一緒になった時は、間違った処に来た気になってしまう。

一方、2人で廻るマッチプレーは好きだ。普段は中々難しいが、海外に行った時や夏の閑散期なら出来る。気心知れた友人と黙々競い合うのは本当に楽しい。またクラブコンペやオープンコンペも適度な緊張感があっていい。これからはそんなゴルフに絞ってやっていこうと思う。



Sunday 26 May 2013

ローランギャロスの開幕

今日から全仏オープンテニスが始まった。これから2週間はWowowのTVに釘付けになる。プレーする方も命がけなら、睡魔と闘いながら観戦する方も大変だ。

今年は誰が勝つのだろう?過去7回優勝しているナダルだろうか、上り調子のマレーや錦織が苦手なデルポトロが欠場しているので、またダークホースが出て来るかも知れない。典型的なのは2000年のクエルテンだった。サッカーシャツを着た独特のスィングで2連覇した。1993年から2連覇したスペインのブルゲラもそうだった。土は球足が遅くなるので守備範囲が広くなる。拾って拾い捲れば勝機に繋がる・・・それが見ていて面白い。

ローランギャロス(Roland Garros)は、世界で初めて地中海横断に成功したフランス人パイロットだそうだ。私も最近まで知らなかった。大会の魅力は試合も然ることながら、何といってもその優雅な雰囲気にある。会場の場所はパリ16区、高級住宅地の一角で近くにはロンシャン競馬場もある。してこの季節、初夏の緑と強い日差しは選手の肉体をスポットライトで浮かび上がらせる。まるで芸術品のように美しい。湿度が低いので、実際以上に観客と選手の距離感が近くなる演出効果もある。

Thursday 23 May 2013

不況が生んだマラソンブーム

先日、旧知のMさんにお会いした。Mさんはいつの間にか大企業の副社長になったが、昔からお酒は飲むし然したる運動もしていなかった人だ。それが最近では毎朝7時に丸の内のジムに通っているという。早朝というのに、ドアが開くのを待つ列が出来るらしい。そう言えば大分スリムになってきた。昔から風を読むのに長けた人だっただけに、周囲に触発されたのだろう。中々思いつきや一念発起で出来る話ではない。

皇居周遊コースを走る人は高額所得者という記事も出ていた。丸の内、日比谷、虎ノ門など大手のビルが立ち並ぶ環境だけに尤もだが、何か羨ましかった。世は正にマラソンブーム、ノーベル賞の山中教授や企業のトップも走る時代だ。マラソン人口が増えたのは健康志向があるが、(私なりの解釈では)その元は長年の不況だ。収入は下がり、リストラの人は自宅で悶々とする日々が続いた。その中で走ることはお金が掛からないし、一日を締め括る充実感がある。運動後のビールの味も格別で、いい事尽くめである。 

疲れは疲れで取るものだ。体が重く疲れたと感じる時ほど走ると効き目が大きい。無理せずゆっくり走り出すと15分で汗が出始め、30分で適度な燃焼をする。ちょうど皇居一周の距離感である。

Wednesday 22 May 2013

JAZZと童謡

旧友のK君と夕方JAZZを聴きに行った。軽く一杯ひっかけ、修理が終わったばかりのミューザ川崎の大ホール、小1時間程の演奏は快かった。曲もBeat of Blues(憂鬱の響き)、朝栃木で田植えを終えて駆け付けたベース奏者が印象的だった。

JAZZはつくづく都会の音楽だと思う。騒々しい喧噪感、ビルや人の風景と良くマッチする。最近は時々渋谷のレザールに行く。旧知のFさんの馴染の店だが、来た客が打ち合わせもなく演奏を始める。どうやら大学のJAZZ研OBの溜り場らしい。いつぞや親子で来ていた人がいた。両親と大学生の息子が3人で演奏する光景は、見ていて羨ましいものがあった。

素人の私が好きなのは童謡のアレンジ版だ。今日も浜辺の歌を演奏していたが、昔六本木で聴いた夕焼け小焼けは素晴らしかった。JAZZの新しさと童謡のノスタルジーが、夜の静寂に上手く溶け込むのだった






Tuesday 21 May 2013

自分史と社史

日経の「私の履歴書」、長年続いている成功者の物語である。昔は目を皿にして読んだ日経新聞も、最近は殆ど読まなくなったので誰が出ているかも分からない。

「私の履歴書」に出るのは中々大変だと聞いている。金融、商社、製造業・・・並み居る経済界のみならず、政治、芸能、スポーツなどバランスを取らなくてはならないからだ。自薦他薦、同業者での競争率も結構高いらしい。叙勲もそうだが、昔は会社の総務部が新聞社に働きかけ頼み込んだものだ。往々にして大会社の社長さんはつまらない。いろいろな人に気を遣い、気が付くと自分の歴史が社史になったりするからだ。

先日もある著名な人から、人生を総括する本をもらった。とても名を馳せた人だったが読んでがっかりした。立派な本ではあるが、生い立ち・結婚・家族・友人も無ければ、さっぱり自分史が出てこない・・・。歴史の証人として、「実はあの時は・・・」の本音を残して欲しかった。

Sunday 19 May 2013

ヒロヒトランチ

BSのTVを見ていたらベルギーの旅をやっていた。案内人はとよた真帆、あまり聞いたことはない人だった。ベルギーの田舎町を訪ねたら、あるレストランに日本の皇太子夫妻の写真が飾ってあった。日本の皇族はどこに行ってもVIPである。

パリから南に30分程車で行った所に、フォンテンブローの森がある。バルビゾン派と称する19世紀の画家達が住んでいた町で、ミレーはここに居を構え「落穂拾い」を描いた。古くはナポレオンもエルバ島に流れされる前に駐在していた。今でも部下にサヨナラの演説したバルコニーが残っている。そんな小さな村にバブロー(Bas-Bréau)というホテルレストランがある。日本人には昭和天皇が訪れたレストランとして有名だ。ヒロヒトランチなるメニューがあり、皇族気分に浸たる駐在員は多い。

フォンテンブローの森は創世記には海だった。そのため今でも魚の化石が出る。奇石も多くロッククライミングのスポットになっている。ロビンフッドは、この環境を利用して神出鬼没の活躍をした。森の中には、小さな山小屋風レストランが点在している。ある寒い冬の日、出張で来たN君を連れ立ち寄ったことがある。森の静けさの中で暖炉がパチパチ燃え、誰かの家に寄ったようだった。




Friday 17 May 2013

子犬は誰でも好き

子犬(といっても身体は大型だが)と散歩していると、面白いことがある。子犬は何にでも関心を示す。猫、鳥、行き交う人・・・、とっさに跳び付くので気が抜けない。

特にゴールデンレトリバーは、何より人が好きだ。誰にでも尾っぽを振って寄って行く。男性は左程反応しないが、女性取り分け中高年のおばさんは、「あら、私の事覚えていたの?」と頭や体を撫でてくれる。一度撫でられると犬は必ず覚えているので、翌朝会うと喜びもまた一入、尾っぽの振りもまた大きくなる。当然おばさん達も自分の犬のように可愛がってくれる。

綾小路きみまろの毒舌トークの中に、「あれから40年、奥さん、歩いていて誰が振り向きますか?」というフレーズがあった。若い時はちやほやされても、年が経てば犬も付いて来ないと言っていた。ただこうして見る限り、それは間違っているようだ。犬は可愛がってくれる人なら、誰でも好きになるのだ。

Thursday 16 May 2013

悪戯盛りの愛犬

我が家にやってきたゴールデンレトリバーも、もう10ヵ月になってきた。体重も30kg近くになり、先住犬より大きい。ただまだまだ子供、そのため先住犬の老犬を追いかけてはジャレ付く。身体が大きいため、乗っかられた方は敵わない、老犬はヒーヒーと悲鳴を上げて逃げ隠れしている。

部屋の中もめちゃめちゃだ。リビングのソファーはボロボロ、カーテンも引きずり下ろされ、電気コードも何度か切られた。先日も、大事に育てたチューリップの球根を食べられ悪戯は後を絶たない。

それでも、人間に対してはとても従順で大人しい。名前を呼ぶと飼い主の顔をジーとみる。今まで何度か犬を飼ったが、こんなに凝視されるのは初めてだ。つい気持ちも入ってしまいそうで、犬が死ぬと後追いする人がいるというが、分かる様な気がする。咽喉を撫でてやると、ウーと喜ぶ声が何ともいえない。これから10年、こいつと一緒に頑張ろう。




Wednesday 15 May 2013

哀しい酒

毎日のように飲む酒、祝い酒、忍び酒・・・色々あったが、一番哀しい酒は何といってもSさんとの一献だ。


Sさんはもう10程前に亡くなった会社の先輩だ。まだ20代の頃だったか、神楽坂の小料理屋に連れて行ってくれた。例によってSさんは飲み過ぎてゲロゲロやっていると、迎えに来たのが後の奥さんになるフィアンセだった。それから30年、徒労で癌を患い七転八倒していた。投薬で抜けた髪はカツラでカモフラージュしていたが、精巧に出来ていたため、私でさえも言われなければ分からなかった。勿論アルコールは止めて、通院生活を送る末期だった。

そんな中で、一度神楽坂の店に行こうということになった。大丈夫かと心配していたが、当日例によって暖簾をくぐると女将が待っていた。既に80の大台を超えていたが、相変わらずシャッキとしている。若い頃は泉鏡花の世界に出てくるような花柳界の華だった人だ。そしていつもの新政を飲みながら、Sさんと女将の昔話が始まった。横で聞いていると、女将は「頭も昔のままでふさふさじゃない!」と言う。そんな訳ないのだが、適度にボケてきた女将と死が見えてきたSさんの絶妙な会話が続いた。私はそれを横で聞きながら、哀しくて哀しくて涙が止まらなかった。



Monday 13 May 2013

川口さんの解任

参議院の委員会で、欠席を理由に川口順子委員長が解任された。前例のないことらしいが、これには流石おかしいと思った。

川口さんは元々は経済産業省の役人だが、今や政界を代表する国際派である。注目を浴びたのは環境大臣をやった頃だろうか、折しも京都議定書を巡る日本のリーダーシップが試されようとしていた時だった。並み居る各国の首脳・学者を前にしたスピーチは、聞いていてとても快かった。特に英語が素晴らしく、抑揚のあるイントネーションと選び抜かれた言葉は多くの人の心を打つものがあった。温暖化マフィアと称する30代の研究者、政府、企業の若いインテリ層にファンが多かったのも、ごく自然の成り行きであった。

今回中国の要人との話がどうだったか知る由もないが、例によって滔々と我が国の立場を代弁したことは容易に想像できる。外交は相手あって何ぼだ、時期が時期だけにどうして民主党は高度高所に立てなかったのだろうか?副委員長の代行では駄目なのだろうか?まさか外遊と聞いて、飛行機のファーストクラスで美酒美食を煽るやっかみがあったのではないだろうか?一時は応援した民主党だったが、今回のことは本当にがっかりした。





Sunday 12 May 2013

タイの小堀さん

タイのODA(政府開発援助)をしていた頃、タイ側の窓口だったのがPさんというお嬢さんだった。お医者さんの娘さんで英語はうまく、役人にしては垢抜けたセンスの人だった。聞くと以前外資系の銀行に勤めていたという。社長の日本人がとても尊敬された人だったが、帰国してしまいそれを契機に会社を代わった。そんな立派な日本人がいたのかと誇らしかった。

この美談から暫くし、偶然その日本人社長にお目に掛かった。確かに話に聞いていた通り人望の厚い人だった。80年代は日系企業がどっと押し寄せた頃だった。慣れない異国の地で、中には大声で現地の人を怒鳴りつける日本人もいた。そんな時だっただけに、この話はとても嬉しかった思い出がある。

久々にタイに行ったついでに、中公新書の「物語 タイの歴史」を読み返していたら、タイで一番有名な日本人は「小堀」だという。映画(クー・カム:運命の相手)の主人公の名前で、太平洋戦争を舞台にし、現地の女性と恋に落ちた日本兵だそうだ。山田長政やチェンマイの玉本さんかと思っていたら意外だった。タイと日本は相思相愛の国民性だ。きっと第2の小堀さんが沢山いるのだろう。

Friday 10 May 2013

ジム・トンプソンの絹と糸

タイと西洋文化の接点は、オリエンタルホテルとジム・トンプソンだ。オリエンタルホテルは、永年Institutional Investor誌で世界最高のお墨付きを得ていた。そしてタイシルクのスカーフ、室内装飾のジム・トンプソンは、鮮やかなデザインと高級感あるが絹製品で世界を魅了した。どちらも蒸し暑いタイを、西洋人好みにした。取り分けジム・トンプソン製品は、タイを代表する土産品の代名詞で、これなら誰からも感謝される一品だ。
 
そのジム・トンプソン氏、タイに居付いた育ちのいいアメリカ人だった。タイシルクの良さをいち早く発見し、戦後会社を設立、ブレークのきっかけは映画「王様と私」だった。1956年の作、主役はユル・ブリンナーでシャムの王様役を演じ、装飾を手掛けたのがジム・トンプソンだった。ジム・トンプソン氏はその後マレーシアの森で失踪を遂げた。それがまたアジアの神秘と重なり、未だに謎に包まれている。
 
一方俳優ユル・ブリンンーはウラジオストックに生まれ、アメリカで「荒野の7人」などの映画のスターになった。しかし彼の母親はユダヤ系ロシア人、迫害されシベリアまで逃げてきたと何かの本で読んだことがある。彼がジプシーの世界ロマ初代会長だったとは知らなかったが、その生い立ちと無関係ではないようだ。一本の絹の糸が、ロシアのユダヤ人迫害を経てアメリカのスターを生み、タイで実を結んだ。思えば奇妙な巡り合わせだが、土産物のショールを見ると、不思議な縁を感じるのだ。

Thursday 9 May 2013

入院中のプミポン国王

今回、街を歩いて驚いたのは、プミポン国王の写真が街のあちこちに飾られていることだった。昔もあったがこれ程ではなかった。地元の人に聞くと、暫く前からバンコクで入院生活を送っているという。御年85歳、国民から多大な尊敬を得ている人だけに、国中で心配している様子が伝わって来た。

取り分け、後継者が決まっていないことが余計不安にしているようだ。人々に次は誰かと聞いても、中々話してくれない。現在60歳になる皇太子もいるが、昔からあまり評判が良くない。20年ほど前だっただろうか、バンコクからプーケット島に行ったことがある。小さな飛行機に乗り込み、離陸を待ったが中々飛ばない。30分以上過ぎた頃、VIPと思われる軍服姿の人が遅れてやって来て、最前列に座りやっと飛び立った。それが皇太子で、プーケットでは女優と別荘で過ごすのだという。確かに沖合には軍艦が停泊し、海から監視していた。国民に中々受け入れないのも、分かる気がする。

タイの人はとても信心深く、儒教が芯まで行き渡っている。買い物をしてお金を払うと、お礼代わりに手を合わせて「コップンカー(有難う)」と云う。日本人ならず、誰もが坊さんになったような気分に浸ってしまう。寡黙な国民性だけに、祈りが伝わってくるような雰囲気だ。

Wednesday 8 May 2013

タイのダラダラ感

久しぶりにタイに来た。7年ぶりだろうか、街を走る車は新車が多くなり、高層ビルも増えた。しかし、この蒸し暑さはいつも変わらない。

田舎のビーチに宿を取る。早速浜辺に繰り出し、50バーツ(170円)を払いパラソル付のデッキチェアーを借りる。40度近くはあるだろうか、暑いので直ぐに眠くなる。ゴロゴロしていると、いろいろな売り子がやってくる。焼き卵、魚の干物と焼鳥、女性用の服やスカーフ、絨毯・・・やって来ては消え、皆ニコニコ顔がいい。風物詩を見ているようで楽しい。咽喉が乾いたので、ヤシの実を割ったココナッツジュースを頼む。普段はあまり飲まないが、流石本場は美味しい。

夕方はお決まりのマッサージに行く。昔は1時間200バーツ(600円)が300バーツ(1000円)になっていた。バーツも強くなった分、昔のような超割安感は段々無くなりつつある。これも時代の流れで仕方ないのだろう。行き行く人を眺めながら、シンハービールをラッパ飲みする。何ともゆったり、タイ語の間延びしたアクセントを聞きながら、このダラダラ感が何とも云えない。

Friday 3 May 2013

強過ぎる消防法

家をリフォームするので、週末は近所の最近出来た家を見て廻っている。普段何気なく通り過ぎる街並みも、いろいろな形やデザインがあるのを発見する。1時間も見て回ると、結構疲れるものだ。いいものがあれば参考にさせてもらおうと思っているが、中々ピンと来るものがない。最近の家は人工的で、木や土の香りがしないのだ。

今日は窓枠を見にショールームに行った。温もりのある木目を頼んだら、消防法が変わりブラインド設置が義務付けられたという。そうでないと、アルミサッシしか駄目だという。そういえば、最近出来た家の窓はとても小さい。火事が起きた場合、延焼を最小限にするのを優先した結果のようだ。まるで今の建設業界は、消防庁が主官庁のようだ。

暫く前に田舎の温泉に行った時だ、やはり女将が消防法が変わったので屋上の風呂が使えなくなったと言っていた。日本の木造家屋は火事に弱い、これを持ち出されると誰も反論出来ない。それをいい事に、街並みがどんどん味気ないものになって行く。火事対策も大事だが、感性を満たす住まいは基本である。こと東京の場合、誰が議論しているのか知らないが、このバランスが欠いている。





ラスコーの世界遺産


世界遺産に登録されれば、観光資源となって収入も増える。しかし一方で環境も破壊される。飛騨高山の白川郷は村中がテーマパークのようだった。対岸でバスを降り吊り橋を徒歩で渡るのはいいが、民家の庭先まで観光客が行き来していた。駐車場の大きなトイレビルとライトアップを見ると、静かで鄙びた村が一変のは明らかだった。





そうした心配を先取りしたのは、「ラスコー(Lascaux)の洞窟」だ。紀元前15,000年の洞窟壁画として、フランスのピレネー地方にある世界遺産である。随分前から近くに観光用のレプリカを作って人々を受け入れている。観光客は偽物と分かっていても、辿り着いた達成感で結構満足している。ピラミッドのような大きくて頑丈な遺跡だったらいいが、これは賢い選択だった。一方で、規制が緩い所もある。マルタ島の地下墓地、ハル・サフリエニ(Hal Saflieni)は未だに誰でも入ることが出来る。BC3000年の世界最古の地下墓、勿論世界遺産である。寺院地下に作られた埋葬所には、数多くのベット状の穴がくり抜かれていて、発掘された時は7000体が寝ていたという。ただ場所柄、行く人は少ないので辛うじて保護されている。

最近はこうした環境の変化を懸念して、世界遺産の登録を地元の人が拒否するケースもある。以前本ブログ(縦笛の音色)で紹介したアイルランドのクロンマックノイズ(Clonmacnoise)がそうだ。ミシュランの3つ星になっているので多くの人が訪れるが、然したる標識が全くないので単独で辿り着くのが大変な場所である。9世紀のカソリック集落だったが、バイキングやイングランドに襲われ、村中が廃墟と化した場所である。ハイクロスと呼ばれる墓の十字架だけが、当時の面影を残している。場所は海に面した小さな村の一角、自動車がすれ違うのも難儀する細い道の終点にある。UNESCOのサイトでは仮登録リストに載ったままであるが、故人が囁いているのかも知れない。



 

 

Wednesday 1 May 2013

世界遺産とシュトルーヴェの子午線

富士山が世界遺産に登録された。途端に富士急の株価が上がったり、流石効果は凄い。世界遺産といっても、補助金が出る訳でもないので、勲章みたいなものだ。日本を象徴する山だけに、これは相応しいと思って納得した。

一方でそうでもない物もある。昔、宇治の某社を訪問し、仕事が終わったので裏山を散歩していたら、重要文化財、世界遺産に出くわした。どうやら宇治上神社の春日社に出たようだが、これが世界遺産?とびっくりした。恐らく「京都」のお零れだろうが、今回外れた美保の松原もそうした延長を心配したのかも知れない。

そもそも世界遺産とは何だろうと調べている内に、シュトルーヴェ(Struve)の測地弧なるものを見つけた。ノルウェーから黒海に至る2,820Kmに渡り、10か国を通る子午線の基準地点である。時は1800年代半ば、ナポレオンが去り各国が国境の正確な線引きを欲した頃だ。現在はその内34カ所が世界遺産になっており、フィンランドが6か所、ノルウェーが4か所、エストニアも3か所あった。観光スポットではないが、ロマンを掻き立てる。知っていれば一度行くのだった。