Saturday 30 September 2017

フェイマス・グルース

パース(Perth)と言えば、オーストラリアを思い浮かべる。一度は行ってみたい美しい町である。ただもう一つ、スコットランドにも同じ名前の町がある。ひょっとしてこちらの方が歴史があるのかも知れない。スコットランドのパースは首都のエジンバラから車で1時間、ティ(Tay)河に掛かっているレインボーブリッジのような橋を渡るとダンディ(Dundee)の町に着く。そこからちょっと行った処が、そのパースである。

パースには、スコッチウィスキーのフェーマス・グルース(Famous Grouse:有名なライチョウ)の蒸留所がある。数年前に訪れると、遠くからほのかなウィスキーの香りが漂ってきた。受付には看板の猫がいた。待つ事30分、各国から来た観光客に混ざってツアーに参加した。スコットランドのウィスキーは、このハイランドと北部のスペーシーサイドと呼ばれる地に大きく二分化されている。このハイランドはブレンドウィスキーのメッカである。ツアーが終わると試飲させて貰ったが、ラベルにはXX年物という表示が無かった。「何故、年代表示がないのですか?」と聞くと、「それは秘密です」という返事が返ってきた。どうやらそのブレンド技術がこの銘柄の秘密レシピらしい。

近くには、やはりブレンドのベル(Bell)やグランツ(Grant's)の蒸留所があった。今日は酒屋でそのフェイマス・グルースがあったので求めた。1100円と超安い割には、ブレンドの奥深さがある。そう言えば、そのパースにはセント・アンドリュース(Saint Andrews)でゴルフをやった後に寄った。ゴルフとウィスキー、そんな楽しい旅を思い出した。

Wednesday 27 September 2017

若洲リンクス

スピードゴルフとは行かないが、その感覚に近いのが若洲ゴルフリンクスである。東京都の埋立地「夢の島」に作ったコースで、スキーで云えばガーラ湯沢の感じだ。林や起伏がなく、只管真っ直ぐになっている。

何と言っても都心に近いので、スタートの1時間前に家を出れば間に合う。築地までは目と鼻の距離なので、終わってから仲間とタクシーを飛ばし、寿司屋に寄って帰るグループも多いという。経営は東京都である。以前はドンを始め、都議会関係者が抑えていたので中々一般人が予約を取ることが難しかった。ところが先の小池知事就任をきっかけに、がらっと雰囲気が変わったという。流石、平日から都議がゴルフする時代ではないようだ。

コースは全て歩きである。起伏がないので疲れないし適度な運動になる。埋立地のため、ダフるとメタンガスが出るとか冗談をいう人がいたが、勿論そんな事はなく、海風が気持ちいい。プレー時間の5時間は他と変わらないが、9時にスタートしても夕方4時には家に帰れる。

Tuesday 26 September 2017

スピードゴルフ

英国のニュースに、スピードゴルフ(Speed Golf)の事が紹介されていた。初めて知ったが、スコアとタイムを競うゴルフだそうだ。ルールは殆ど変わらないが、ロストの場合の救済や服装はランニングシューズOK、パットは旗が立っていても可など、工夫が凝らされていて中々興味深い。

調べて見たら日本でも大会があるようだ。大体18ホールを1時間以内に廻り、スコアも80台だから大したものだ。普通は1ラウンド5時間程掛かる。4人で廻るので1人で当り1時間15分の計算になる。仮に90分で廻ると90打の平均持ち時間は1分である。それでも移動を含めると、かなりハードな運動になる。

ゴルフは楽しいが、時間が掛かるのがネックだ。ゴルフ場まで平均1時間半、スタートの1時間前には到着するので、アクセス3時間+準備・昼食3時間+プレー5時間=11時間は要る。ゴルフ場には、白洲次郎のPlay first!の古びたポスターが掛けてあるが、長年のプレースタイルはそう簡単には変わりそうもない。ただツーサム限定の18ホールスルー、予約なしの到着順でスタート、電動カートの高速化、ハンディー20以下限定、2時間を越えると罰金が嵩むなど、セミスピードゴルフの余地はある。

Friday 22 September 2017

三保の松原

富士山が世界遺産に登録された時、三保の松原がセットだった。富士山はどこからでも見れるが、駿河湾から望む光景が評価されたようだ。だったら一度は見てやろうと、今週はその三保の松原を訪れてみた。

行ってみると普通の松林の浜辺だった。確かに、松の形が少し曲りくねったのは珍しい形だったが、ただそれだけであった。生憎この季節はガスが掛かっていて、富士山は見れなかった。掃除をしていたおじさんに聞くと、「富士が見れるのは一年の三分の一位かな?冬にならないと駄目だね!」と言われた。早速引き返すと、それと知らずドンドン押し寄せてくる観光客とすれ違った。浜辺だけだと直ぐに終わってしまうので、遥か遠くにバスを止めて神の道と称する松林を歩かされていたのは気の毒だった。

その松林にはフランスのバレリーナの碑があった。三保の舞に魅せられたフランス女性の髪を祀ってあるという。帰りに寄った日本平にも、「赤い靴」の母子像に出会った。こちらは童謡の「赤い靴」を履いた少女の母親が清水市の出身の所以らしい。どちらも取って付けた様なチグハグの違和感があった。富士山と松原を重ね合わせた広重の世界が、手を加える程にそのシンプルさが失われていく。

Monday 18 September 2017

ダンケルクの映画

最近封切られた映画「ダンケルク(原題:Dunkirk)」を観に行った。シンプルなストーリーで、歴史好きな人にとってはいいが、普通の人はちょっと物足りないかも知れない、そんな印象を持った。

ダンケルクはベルギー国境近くのフランスの海村である。第二次大戦の初期に、ドイツ軍に追い詰められた英国軍が奇跡の脱出に成功した。その裏には、ヒットラーの突然の追撃中止があった。それは栗田艦隊の謎の反転などと並んで、第二次大戦の七不思議に数えられている。もしも中止が無かったら、その後のノルマンディー上陸も危ぶまれたし、英国自体の存立も左右しかねた。その辺を映画に折り込むと、もっと立体的になった。

ダンケルクは以前にも、ジャンポール・ベルモント主演で作られた。こちらの方はもう少し情緒的だった気がする。ともあれフランスの海岸線は長く広く、映画でも飛行機が着陸していた。特に潮位が下がる明け方には、どこまでも海に続く幻想的な砂浜が現れる。そんな事を思い出して、風景を楽しませてもらった。

Saturday 16 September 2017

数字の語呂合わせ

車のナンバープレートは、自身で番号を選べるようになっている。それは知っていたが、敢えてお金を出して迄、数字合わせに拘る気持ちはなかった。ただ3年前に買った中古車の番号が、さ96だった。何か、”サー苦労”とか”サー苦しむ”に読めて気になっていた。確かにそれから不幸な事が続き、暫く前に思い切って番号を代えた。

その番号に拘る人は結構多い。テニス好きは6464、中国人は8888、6666を見るとフルーメイソンかと思ってしまう。そう言えば、長年乗った車がある時、ボンという音がして高速道路で止まってしまった事があった。レッカー車を呼び修理工場に運搬されたが、エンジンの寿命と告げられ廃車にした。別れ際にふと距離計を見ると162,847Kmを指していた。読むと”十六分に走ったな!”で痛く感激した事があった。その愛車だが、人生の節目と思った日は77,777Kmだったり、偶然とは思えない事が続いた。

車とは関係ないが、数字の語呂合わせの奥は深いようだ。184(いやよ!)を5回繰り返して足し込むと1104(いいわよ!)になるし、8x8(ハッハ!)と4x9(シクシク)の合計は100になる。「笑って泣くのが人生」という意味だのだろうか?これは薀蓄の受け織である。

Thursday 14 September 2017

佐賀旅情

長崎に行く途中、陽も暮れたので佐賀に泊った。博多から特急さくらで1時間、人に言わせれば「何もない佐賀」である。有名人も久留米は多いが、佐賀は大隈重信ぐらいだ。そうは言っても鍋島藩のお膝元である。朝早く起きて散歩すると、城跡から流れる天祐寺川の遊歩道は立派であった。今では通る人もいないのか、彼方此方で蜘蛛の巣に邪魔されベトベトになってしまったが、透き通った水は美しかった。

その鍋島藩も日本酒にその名を残すだけになってしまった。流石に地元の居酒屋には置いてあり、きびなごとの相性も良く堪能した。2杯目に頼んだ「東一」も更に素晴らしかった。そんな旅情に浸っていると、何年か前に泊った鳥栖を思い出した。

ホテルは駅前に1軒だけで、「食事する処はあるんですか?」と不安になる過疎地だった。ところがホテルで紹介された居酒屋に行ってみるとビックリした。それは地鶏のみつせ鳥を出す店で、素人にも味の違いが分かる程鳥が新鮮だった。そして驚いたことには、聞いた事のない地酒が飲み放題で振る舞われていた。その時、改めて旅の醍醐味を実感した。まだまだ地方には少量多品種の食材がゴロゴロしている!

Wednesday 13 September 2017

長崎の原爆

暫く前に、「母と暮らせば」という映画があった。母親役の吉永小百合と息子役の二宮和也が共演した。場所は長崎で、原爆で命を失った息子を想いながら生きる母親の物語であった。一見不憫な設定ではあったが、亡霊を亡霊と感じさせない日常が爽やかだった。本来のテーマは「息子と暮らせば」だろう。敢えてそう呼ばなかったのは、老いた母を残して先だった息子の無念の方が強かったのでは・・・と感じた。

今週はその舞台の長崎を訪れた。映画の事もあって、今回はどうしても原爆資料館を訪れてみたかった。二宮演じる医学生は長崎医大の学生だったが、大学は爆心地直下だった事が分かった。今でも浦上に向かって山を登る市電が走っている。長崎大の正門には三菱重工の魚雷工場跡を記すプレートも貼ってあった。原爆資料館に入ると小学生でごったがえしていた。子供達と一緒に模型の前で解説を聞くと、今更だが放射能は遮蔽物があっても避けられず、特に空から降ってくるγ線は槍のようであった。また立ち登るキノコ雲は、一度拡散した熱が戻って舞い上がった現象で、既に被曝が終わった後の風景だったことを知った。

時あたかも北朝鮮が核実験した矢先である。その規模は長崎の10倍という。ここで町が消滅したのに、10倍は想像出来ない恐ろしい規模に思えた。勇ましい言葉が飛び交っているが、百聞は一見に如かず、この現実の前にはとても空しく思えた。

Sunday 10 September 2017

二人のプラマー

「一番好きな映画は何ですか?」と聞かれると困ってしまう。戦争物だと場が白けるし、昔のロマンスだと知らない人も多い。そういう時、「・・・サウンド・オブ・ミュージック(Sound Of Music)です・・」と応える。それは誰もが納得して「そうですか」と言うからだ。


サウンド・オブ・ミュージックの主役のトランプ大佐は厳格な軍人で、時代の緊張感にはピッタリの人だった。役者はクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)と言ってカナダ人だった。実は最近見た「Remember(日本版:手紙は覚えている)」の主役は、同じ人だったと知って驚いた。Rememberの映画は、元アウシュビッツのナチ党員の映画である。ユダヤ人に化けてアメリカ社会に溶け込んだドイツ人が、晩年を送る介護施設の中で、同じ収容所に居たユダヤ人に気が付かれる。そして自身の本性を暴露されるというストーリーであるが、物語の仕掛けは、「アドリア海の復讐」と同じで、周到で時間を掛けた構成になっているから面白い。



元ナチ党員は痴呆になっていたが、最後にナチの同僚に出会って自分に気が付く。演じているプラマーも誰かに教えてもらわなければ、トランプ大佐とは気が付かなかった。歳を取ると容姿は変わり別人になることもある。しかし、自身の忘れた過去は誰かが覚えている、という教訓の映画であった。

Saturday 9 September 2017

物乞いの話

トランプ大統領が韓国を「物乞いのようだ」と例えた。どういう状況でそう言ったか分からないが、英語でlike begging と表現したようだ。これが切掛けで、物乞いの英単語beggarを覚えた。正にその言葉は今の韓国を端的に象徴しており、慰安婦像や徴用工の話はこの言葉に尽きる気がした。

海外を旅していると、よくそのbeggarが寄ってくる。小銭を渡すと満足せず、図々しく「1ポンドコイン、1ユーロコインはないか?」と聞き返される。渡す方の気持ちになると、恵んであげるの善意が前提になっている。ところが相手はそれを職業としているので、全く感謝の気持ちはないどころか、カモを見つけた程度にしか思っていない。そのギャップが分かると後で不快な気分になるが、その時は時既に遅しである。Beggarにも色々あって、中には「ビールを奢ってくれないか?」という輩も居れば、beggarbeggar、つまり同僚の金を狙っているワルも居る。いつも寝ている赤ん坊を抱いて同情を誘うのはロマの女性、ロマの男は礼拝でもするように跪くなど形は様々だ。大人のbeggarは断ると直ぐ引き下がるが、子供は何度でも食い下がってくる。

一方、日本の物乞いは少し様子が違う。以前にこのブログでも書いたが、静岡の地下通路に座っていた老女がいた。小奇麗なセーター姿で座布団に正座していた。一度通り過ぎたが、気になって引き替えし小銭を投げ込むと、深々と頭を下げた。国内では殆ど見ない光景だったし、まるで近所の人が本当にお金に困っていたかのようだった。

Friday 8 September 2017

ダリの娘


 スペインでダリの娘と訴える女が現れ、DNA鑑定を受けた結果、本人ではなかったというニュースがあった。わざわざ墓まで掘り起こした騒ぎだったが、本物だったら莫大な遺産が転がり込んだことになる。この手の話で有名なのは、ロシアのニコライ2世の娘、アナスタシアである。本人を名乗る女性が出てきてたが、結局は謎のままになった。

小説「アドリア海の復讐」でも、込んだ遺産略奪劇が繰り広げられている。悪役はトリポリの男で、2歳の少女を誘拐し子供のない金持ちの銀行家に預ける。一方で銀行家とは陰謀を共謀して弱みを握る。そして彼女が18歳になるのを待って結婚を申し入れ、遺産を自分のモノにしてしまう・・・という手の込んだ仕掛けである。勿論それは正義に邪魔されるのだが、辛抱強い時間の掛け方は半端でない。

ヨーロッパではカネに纏わる相続の話がゴロゴロしている。その背景には相続税が安いという定説がある。日本では金持ちを三代続けるのは難しいとい言われている。この辺のお国柄の違いなのだろうか?人々の生き方まで変わってくるようだ。


Tuesday 5 September 2017

アドリア海の復讐

古本屋で見つけたジュール・ヴェルヌの「アドリア海の復讐(原題Mathias Sandorf)」は久々に面白い小説である。著者は「海底2万哩」や「80日間世界一周」で有名だが、何と今から130年以上前の本と云うから驚きだ。今読んでも、物語の構成やスリル感は全く褪せていない。

物語は1800年代半ばのオーストリア・ハンガリー帝国の時代である。独立を目論むハンガリーの貴族が、今ではイタリアになっているトリエステの港町で捕まる処から物語が始まる。地名が、今のクロアチアの観光地であるドブロヴニクがラグサ、同じクロアチアの海岸線がダルマチア地方だったり、又ハンガリー移民はマジャール人と呼ばれていたり、歴史書の活字に血が通ったような気分になってくる。

復讐劇も沙流事ながら、読んだ人なら誰でもA・デュマの「モンテクリスト伯」とそっくりなのに気が付く。例えば、主人公が九死に一生を得て辿り着いた地で巨額の富を得たり、死んだはずの若者が生き返り悪役の娘に惚れる設定、背景もフランス革命とハンガリー独立がダブっている。勿論、原題のマチアス・サンドロフはエドモン・ダンテスである。ただそれらを差し引いても、行商に来ていたモンテネグロ人は一段低く見られたり、シシリー島出身の悪役の仕事地はリビアのトリポリだったり、当時を知る手がかりが散りばめられていて面白い。単に復讐と言っても、その用意周到な準備に知恵があり、ヨーロッパ人ならではの我慢強さがある。

Friday 1 September 2017

女性のため息

仕事仲間のAさんは、映画を見るのが趣味である。暇を見つけては、新聞の映画欄をチェックしている。いい映画があると、週末奥さんと行くらしい。「何か面白い映画はないですか」と聞くと、「そうですね、最近はあまりいいのがないですが・・・」と前置きしてから、延々と話し始めるから楽しい。

そんな彼に刺激され、久々に新宿で上映している「ハイドリヒを撃て!
(原題:Anthropoid)」を観に行った。ハイドリヒはナチスドイツのNO3で、ユダヤ人問題の責任者である。映画は彼を暗殺する実話だ。過去にも同じテーマを取り扱った「暁の七人(原題:Operation Daybreak)」があった。寒い雪の中に落下する兵士が、意外と薄着だったのを見て、変に感心した記憶がある。最後は教会に立て籠もって抵抗するが、もっと早く知っていれば、プラハの現存する場所を訪れてみたかった。今回の作品も良かったが、たまたま隣に座っていた女性が、事ある度に「ハッ!」とため息をつくのが気になった。中々のステレオ効果で迫力が増した。

そのAさんのお勧めは、イタリア映画の「Viva公務員」と「手紙は憶えている」という。この秋の夜長に、また一つ楽しみが増えた。