Monday 21 January 2019

妙なニュース

妙な事と言えば、先日JOCの竹田会長がフランス当局から事情聴取された。オリンピックの誘致を巡り、コンサル料の支払先が問題だったようだ。しかしどうして今頃になって出て来たのだろう?誰もが思ったのは、ゴーン氏の拘留との兼ね合いだ。フランス政府が何らかの圧力を掛けて来たのではないか?そう思えても仕方ない。昔から両国はバーターでやってきた。例えば、日本のA会社がフランスに支店を出す時には、フランスのB会社の日本拠点への許認可がセットだった。そうやってバランスを取っていたから、今回も何かきな臭さを感じる。

またトランプ大統領の壁の問題もそうだ。メキシコとの壁建設を巡って未だに膠着が続いていて、多くの政府機関が閉鎖されている。この冬、スミソニアン博物館に行こうと思っていただけに、行っていたら大変な事になっていた。マスコミは大統領を非難する記事が多いし、最近出たBob Woodwardの「Fear(恐怖の男)」や、暫く前のMichael Wolff著「Fire and Fury(炎と怒り)」は、相変わらずトランプ批判の風潮が続く。ただ彼は中間選挙で支持を得た事も現実だし、中国との貿易ギャップは大変な問題だ。ロシア疑惑も、ロシアが今でも東側から始まった論議だ。保護主義のフレーズは、フラット化し過ぎた経済の軌道修正とか、もっと他の言い回しがあっていい気がする。壁の問題は、確かにあの美しいリオ・グランデ河に壁が立つと思うとゾッとするが、南米から流れる不法移民を受け入れたら大変である。ただでさえ、アメリカの人口は毎年200万人も増え続けている。どうしてマスコミは、少しでもトランプ擁護をしないのか、とても不思議だ。

そう言えば、あのカショギ氏殺害でサウジアラビアを非難していたトルコがパッタリ静かになったり、クリミアでウクライナ軍艦をロシアが拿捕した話もどこに行ってしまったのだろう?一体あれは何だったのか?トランプ大統領は良くフェイクニュースという言葉を使うが、確かに分からない報道が多すぎる。

Sunday 20 January 2019

光圀公の酒

先日、ある人から水戸の土産にお酒を頂いた。徳川博物館に行ったらしく、その名も「光圀」という酒であった。光圀公は水戸黄門として永年テレビで活躍しているが、お酒まであるとは知らなかった。恐れ多くも、その大公のお酒ならと、暫し書棚に飾っている。

しかし水戸黄門って、今でもどうしてこんなに愛されている人なのだろう?と時々不思議に思っている。勿論角さん助さんが出す葵の御紋で、悪代官を退治するシナリオにスッキリするからである。ただ妙なのは、光圀公が始めたあの「大日本史」では、南朝説を湛えている事である。日本史には滅法弱いので詳しい事は分からないが、確か日本の天皇史は後醍醐天皇以来北朝が主流だったと思う。そんな今は無き天皇を推す君主が、どうして永年に渡って未だに茶の間のヒーローなのだろう?そう言えば、皇居に建つ楠木正成像もそうだ。確か彼も南朝派である。どうして明治維新で彼が復活したのだろう?子供の頃に聴いた桜井の別れの歌も耳に残ってるので、気になっている。

今年は天皇が代わる。平成が終わり、新たな年を迎える。日本人だから一つの時代が終わる郷愁を感じる。これからその5月に向けその気運が高まって行くのだろう。いい機会なので、いつか水戸に行ってみようと思っている。
r

Tuesday 15 January 2019

専用列車

先週、北朝鮮の金正恩が中国を訪問した。その時に使った専用列車が紹介されていた。ロシア製の緑の列車には防弾用の厚い鉄板が貼られ、前後には機銃が備え付けられていた。これで空からの攻撃にも対抗出来るという。列車が国境の橋を渡るとシーンを見ていて、改めて中国は陸続きで簡単に行ける地形を認識した。

そんな折、たまたまテレビでヒットラーの専用列車のドキュメンタリーが放送されていた。やはり多くの兵士が乗り込む走る司令部であった。当初はアメリカ号と呼ばれていたが、アメリカが参戦するとブランデンブルグ号に改名された話は可笑しかった。こちらもバルカンからロシアまで、大陸を所狭しと快走したようだ。どちらも飛行機にはない安心感があったのだろうか、独裁者になると嗜好が似て来るものである。

日本では今や天皇の列車もないから、せめて対抗できるのは九州のななつ星だろうか?鉄道ファンの垂涎の的らしく、今や予約は一杯らしい。知り合いのNさんも、退職記念にななつ星で九州を一周した。見慣れたい田舎の風景が、その列車の窓から見ると一変するようだ。本人は永年の夢が叶ったと言っていたが、百万円近い料金を払ってまで乗る気が知れなかった。尤も一度乗ってみると、その快適さに嵌ってしまうのかも知れないが・・・。

Saturday 12 January 2019

変わり往く湯沢

今から30年ほど前だったか、越後湯沢にスキーに行った時だった。たまたま入った小さな居酒屋があった。数人座れるカウンターの店で、女将さんが一人で切り諸していた。忙しくなると客が反対側に入って接待する、その和やかな雰囲気にすっかり気に入ってしまい、以来30年通い詰めている。暫く前に息子さんが継いだが、行く度に女将さんが夏に仕込んだ山菜を惜しげもなく振る舞ってくれる。酒飲みには、その心遣いが何ともなく嬉しい。

居酒屋の2階は民宿なので、湯沢に行く時は必ず泊まる事にしている。隙間風も入る古い家屋だが、引いている温泉は本物である。決して広くは無いが、湯沢の町を感じながらいつも浸かっている。若い頃は仕事のストレスも多かった。しかしそこに来ると不思議とスーッと疲れが取れた。外に出ると吐く息が白く、温泉街のネオンが雪にマッチし何とも言えない風情があった。宿の嫁さんの実家だったスナックにも良く通った。鄙びた場末のバーだったが、何年か前に店は閉めてしまった。

湯沢の楽しみの一つは、新潟の幸を求めた居酒屋巡りである。結構当たり外れがあり、いい加減な処も多いが、いい店に出会うと感動ものである。この前も、新鮮な寒ブリに緑川の熱燗が合う店を見つけた。2代目の夫婦が暖簾を守って60年という。魚の出汁で作ったラーメンも旨い。以前、醤油ラーメン派のM君と行って以来、湯沢に来ると必ず寄っている。風味とコクが素晴らしく、密かに日本一のラーメンだと思っている。しかしその湯沢も昨今の外国人観光客でごった返し、ややもすると入れない事も多くなってきた。先日行き付けの小料理屋で、「タイからのお客さんで一杯です!」と断られた。今や狭い日本列島、どこに行っても外国人観光客ばかりだ。せめてこんな処までは来ないで欲しい!そんな気分になっている

Tuesday 8 January 2019

ラデツキー行進曲

華やかだな!そんな気分に浸れるウィーンフィルのニューイヤーコンサートであった。勿論テレビを通じて見る世界だが、観客も正装し襟を正して聴いている。場所柄、外交官の人が多いのだろうか?皆さんとても立派に見える。どこかで見た顔だと思ったら、国連の藩前事務総長もいた。演奏が終わり、中谷美紀さんがキュッヒルさんというバイオリニストに講評を賜っていた。キュッヒルさんの横には日本人の夫人が通訳をしていた。そう言えば、中谷さんのご主人もドイツ人のヴィオラ奏者とか。芸術家は国際結婚する人が多いと聞くが本当だ。

演奏会の最後は、恒例の「青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」だった。指揮者のティレーマンさんの演出が素晴らしく、聴衆の手拍子を上手く引き出し一体感を醸し出していた。そのラデツキー行進曲(Radetzky March)のラデツキーは、オーストラリアの軍人である。中欧からバルカンを旅した関係で、ハプスブルグ帝国には親近感を持っているが、彼は最後の皇帝フランツ・ヨーゼフを若い頃預かった将軍として出て来る。曲は1813年のナポレオン戦争に勝利した時の功績を称えて作られた。日本で言えば、東郷行進曲、乃木マーチと言った処だろうか?今でもオーストリアの人々に愛されているのは、嘗てのオーストリアの絶頂期を懐かしんでいるのかも知れない。

ところで会場になったウイーンの学友協会だが、今から30年ほど前にカール・ベーム指揮のウイーンフィルでブラームスを聴いたことがある。今から思うと夢のようだ。どうしてそんな演奏会に行けたのか、もう覚えていないが、たまたま旅先で運良く切符を手に入れる事が出来た。ホールの椅子が木製で小さく、長く座っているとお尻が痛くなった記憶がある。

Monday 7 January 2019

グダニスクの琥珀

その琥珀(Amber)であるが、バルト海の町を旅すると、多くの土産物屋でネックレス、ブローチなどの装飾品を売っている。特に昨年訪れたポーランドの港町グダニスク( Gdańsk)では、琥珀通りみたいな一角があって、それは賑やかだった。それもそのはず、グダニスクは隣のカーリングラードと共に、世界の琥珀の85%を産出するメッカだったのだ。琥珀は4000万年前の化石である。改めて眺めてみると、確かに神秘的な色をしている。
 
グダニスクの町は、カラフルな色彩の建物が連なるそれは美しい町だった。バルト海の青さとマッチし、ドイツ程洗練されてなく、北のリトアニアやラトビア程寒々しくもなく、中世のポーランド、プロイセンだった。町の何処を撮っても絵になった。ただ昔はドイツ人がいたので、至る所にその痕跡が見られた。その一つがドイツ騎士団のマルボルグ城であった。今では世界遺産のお城で、壮大な城壁はいかにもドイツらしかった。
 
旅では、車でカーリングラードの方向に2時間ほど行った所にあるシュトゥットホーフ強制収容所も訪れた。ここはグダニスクやアウシュビッツから送られた人の労働キャンプである。人体から作る石鹸工場跡や焼却炉が残っていて、敷地内の自家栽培の温室や立派な邸宅と共存している姿が生々しかった。収容所の裏の森を抜けると、バルト海の広大な海岸線が拡がっていた。夏のこの時期、グダニスク周辺から訪れる多くの海水欲客で賑わっていた。ミュンヘン郊外のダッハウ収容所もそうだったが、地元の人々はまるで暗い過去が無かったかのように今を生きていた。

Sunday 6 January 2019

消えた琥珀の間

お正月のTVや映画を見ていると、色々と発見も多い。一つは映画「スノーデン」に出て来るハワイの地下トンネルである。スノーデンが勤務したのが、NSA(国家安全保障局)のクニア地域SIGIT工作センターであった。場所はハワイのオアフ島で、彼はそこから香港に飛び情報を暴露した。映画ではその巨大な地下基地が紹介されていた。ワイキキやダイヤモンドヘッドしか知らなかったので、あのハワイにそんな場所があったのは意外だった。

もう一つは「地球大紀行」という番組で、戦時中にレニングラード(現サンクトペテルスブルグ)の宮殿から消えた琥珀の間であった。独ソ戦の末期、ナチがケーニスベルグ(現カーリングラード)に移した後に行方不明になったらしく、その隠し場所として、チェコのフリードランド城とズヴィロフ城を訪ねる企画だった。昨年夏にチェコを車で廻っただけに、その場所がどこなのか気になった。勿論ガイドブックには載っていない。調べてみたら、フリードランド城はドイツ国境近くでドレスデンの東だった。更に行くと、未完のオフスカ大地下要塞もある岩盤が強固な地域である。一方、ズヴェロフ城はプラハからビールの産地ピルセンに向かう途中であった。番組では大型輸送機が着陸した目撃情報から、こちらの方が怪しいと見ていた。

それにしても、どうしてどちらもチェコだったのだろう?行ってみて分かったのは、ドイツから見るとチェコやポーランドは裏座敷である。ひと気が無い場所は、人目を憚る収容所や新たな兵器開発にピッタリだった。もう少し早く分かっていれば、トレジャリーハンターになって訪れたのに!残念だった。それにしても、世界はまだまだ広いし、歴史に埋もれた未知の場所があるものだ。

Friday 4 January 2019

リバレッジが劇薬に

今回のゴーン事件で問題になっているのは、個人の損失を会社に付け替えた疑いだ。新聞によるとその額は18億円と言われている。ゴーンさんの年収が20億円程度だった事を考えると、随分大きな額だな?と不思議に思っている。

ゴーン氏の生活の場は主に海外だったので、円で貰う給与をドル建てで固定したかったのは当然である。普通なら長期の為替予約して、円安リスクをカバーするのが定石であった。過度な円安になれば、損するどころかと得することになったはずだった。しかし今回は逆に、リーマンショックの円高で追証を取られたという。一体それってどんな取引だったのだろう?

調べてみるとクーポンスワップではないか?という解説があった。普通ならドルと円の金利差で先の為替水準が決まるが、これは両通貨の現在価値を加味した取引のようだ。現在価値を使うと、為替予約よりも有利なレートでドルを受け取る事が出来る。しかし想定以上に円高に振れると追証が発生するおまけも付いていた。もしそれが本当なら、本来はリスクを回避するはずの手段が、利益追求型の商品を買ってしまった事になる。そんな仕組みをご本人が知っていたかどうか分からないが、リバレッジも効き過ぎると劇薬になった例だった。

Thursday 3 January 2019

人工レンズの世界

以前、人間ドックで軽い白内障が指摘された。眼科に行くと、「老化だから仕方がないですね」と言われた。医者は、「直すには手術しかないです」といとも簡単に言うが、目にメスが入る事を考えるとゾッとした。そんな時、テニス倶楽部のIさんが手術をしたというので聞いてみた。Iさんは80歳を超える長老だが、手術を切っ掛けに視力が抜群に回復したという。こちらの心配を他所に、「手術は10分程で終わるし全然痛くないよ!家のゴミが良く見えるので、家内に煩がられているけどね・・・」と励ましてくれた。他にも手術を受けた人が居て、同じような感想だった。そんな先人に勇気付けられ、年末に某病院で手術を受けることにした。

手術は日帰りでも良かったが、術後のばい菌防止が大事と聞き入院した。当日の朝、術衣に着替え、看護婦が押す車椅子で手術台に向かった時は流石緊張した。心電計の音が聞こえ、酸素吸入器と血圧計が付けられた。麻酔は目薬だけだったせいか、医者が雑談が近くで聴こえ、何とも言えぬ不安な気持になった。後で看護婦に聞くと、普段110程度の血圧がその瞬間180を超えたという。

手術は濁った水晶体を取り出し、中に多焦点の人工レンズを入れるものだった。終わって眼帯を取ると今まで見た事も無かった世界が拡がった。特に遠くの景色がハッキリ見え、何より明るさが違った。今まで白熱灯だったのが蛍光色に代わったような、何より空の青さが際立った。2週間してゴルフの練習場に行った。飛んで行くボールが目で追えた時は感動モノだった。ハイビジョンの視界は、又何かにチャレンジしてみたくなる気にさせる。改めて現代の医療技術に感謝している毎日だ。