Saturday 28 February 2015

ほくほく線で富山へ

冬の富山に行った。越後湯沢でほくほく線に乗り換える。八海山の雪景色が終わると日本海の荒海が見えてくる。六日町、十日町、魚津・・・名前を聞いただけで旅情が駆り立てられる。車中は何と言っても鱒寿司だ。どうやらこの鱒はロシアから持ってくるそうだが、竹で圧した作りが手が込んでいて好きだ。

そのほくほく線だが、来月の14日から北陸新幹線が開通するのでローカル線になる。そのため多くの鉄道ファンが写真を撮りに来ていた。早くなるのはいいが、このアナログ的な路線は代えがたいものがある。

富山城に登り、早めに桜木町に繰り出した。昔一緒に出張したAさんが、「冬の富山湾は甘エビ白エビ、寒ブリ、ホタルイカが最高だね」と言っていた事を思い出した。今晩は旨い魚を食べたい!、こういう時は地元の人に聞くに限る。酒屋の親父さんに教えてもらい、入った居酒屋はとても良かった。寒ブリは既に旬を過ぎ、代わりにガンドぶりになっていた。三笑楽、風の盆、常きげんなど珍しい地酒にも出会えた。やはり冬の北陸は遥々行く価値がある。

Thursday 26 February 2015

江戸末期の処刑

とある人に触発され、最近は明治維新の日本に凝っている。岩波文庫のアーネスト・サトウ著「一外交官の見た明治維新」(原題:A Diplomat in Japan, Sir Ernst Mason Satow)は当時の様子を生々しく描いていて面白い本だ。

幕末は生麦事件に始まり外国人殺傷が頻繁した。1864年、明治維新の4年前に英国軍人2人が鎌倉で切らる事件があった。その犯人が捕まり処刑されことになったが、著者はその現場に立ち会った。介添え人が罪人の左に立ち、一振りで首を切り落とす。刑士は落とした首を首席役人に見せ、「見届けた」という返事をもらって穴に投げ込む・・・、中々リアルで新鮮なものがある。

それからトラブル処理もある。鎖国時代の日本を外人が闊歩していると、あちことで衝突がある。言葉が通じないのに加え、関所などが通行を妨害する。押し問答した挙げく、最後は大声で威圧すると侍は引下がるという。これはペリーの黒船以来変わらぬ欧米の手法である。日本が外圧に弱く外圧によって国が変わっていくのはこの頃から始まったようだ。本書が太平洋戦争時に発禁されたのも頷ける。

Sunday 22 February 2015

Battleship MIKASA

2015 is 110th anniversary for the sea battle between Japan and Russia. I heard Japan naval battleship MIKASA was remained at Yokosuka port. I went to see there on weekend. MIKASA was no more a ship but fixed to the wharf. I asked a person in charge why it was not bombed at WWII. He said US navy reserved this port foreseeing the disembarking. 

MIKASA was famous for defeating Russia Baltic Fleets in 1905. Prior to the battle, Admiral Togo spoke the destiny of our empire depended upon this action. It was really true. If Japan lost, I must have become a socialism country man. It was terrible!

Russian Baltic Fleets left port at Libau which current name was Liepaya in Latvia. I also visited there few years ago. I asked the tourist information where was memorial museum. But young Latvian didn’t know such fleets name. Only ruined apartment and destroyed pillbox proved the history.   

Saturday 21 February 2015

ウクライナのロシア人

ウクライナで停戦合意が成された。連日の報道では武力衝突の話ばかり報じられるが、親ロシアと呼ばれる人達は何故戦うのかだろうか?私はウクライナに行った事もなければ現地の事情も知らない。ただバルトの国に住んでいた経験から、旧ソ連圏の独立は容易に想像できる。

旧ソ連圏の国が独立すると、まず不動産の立ち退きが始まる。新政府が昔の戸籍を調べ、本来の所有者の末裔になる孫、ひ孫を探して手紙を出す。多くは国外に住んでいる人々だが、彼らはある日「貴方は誰々さんの末裔なので、家屋継承の権利があります」という手紙を受け取る。一方昨日まで住んでいたロシア人は、当然出て行かねばならない。ただ祖父の時代に余勢をかって無法に占拠したとはいえ、何世代も住んでいる正に自分の家である。その唐突さが割り切れない感情に発展する。

それから言語である。独立すると公用語はウクライナ語になる。すると学校、職場など公の場所の言語は今までのロシア語から一変する。就職でもウクライナ語の試験が導入されるように、悉くロシア語は排除される。するとロシア語しか話せない人達はどうなるのだろう?仕事に就けないばかりか社会から疎外されていく。

「だったらロシアに帰ればいいじゃない」と思うが、帰っても仕事はないし第一今更見も知らぬ外国に行きたくもないのが実情だ。そうなると居座り続ける、それが無国籍者(Nationless people)になっていく。バルトのラトビアなんて4人に1人は無国籍者である。この解決には歴史の時計を巻き戻さねばならない。だから難しく特にロシアが及び腰になっている。マスコミはその辺の話をもっと伝えて欲しい。

Thursday 19 February 2015

夜明け前の頃

"木曽路は全て山の中である・・・"、有名な出だしは島崎藤村の「夜明け前」の一節である。その藤村に憧れて、伊那谷を旅したのはかれこれ40年以上前だった。妻籠、馬籠、中津川と歩き、小説「破戒」の舞台を辿ったものだった。

長野から名古屋に出る途中、その関所処の木曽福島に泊まった。この季節、雪に覆われているかと思ったが、微かに山に残雪が残り雨水の気配が感じられた。街は既に1万人を切っている過疎地で、とても静かだった。夕方になり一軒の居酒屋に入った。扉を開けるや食器が山積みされている汚い店だったが、入ったからには一杯飲もうと閑念した。暫くして男が入って来た。聞き耳を立てると、どうやら借金取りだった。そこには藤村のロマンは微塵もなく、あるのはただ現実の世界だった。

「夜明け前」はペリー来航を受けて書かれた小説だ。こんな田舎にも開国の余波があったのかと、改めて当時の空気を感じた。そして伊那の旅は、今から思えば自身にとっても夜明け前だった。

Tuesday 17 February 2015

Lovely NUTELLA

Every morning, I have a breakfast with milk tea and toast spreading NUTELLA. NUTELLA is a sweetened chocolate spread and I lovely like its simple taste.

I have been thinking NUTELLA was French origin one though was produced in Australia for a long time. But it was not correct. There was a news this week that its owner died and he was an Italian. He was billionaires and his wealth was $23bil that was the 30th world’s wealthiest place.

Govida is Turkey chocolate that is no longer Belgian one. We taste choclolate picturing some specific country. 

Sunday 15 February 2015

秋田美人を求めて

秋田美人を求めて冬の秋田に飛んだ。折からの強風で飛行機が飛ばず羽田で待たされた。夕方にやっと着くと風は少し治まっていた。たまたまなまはげ祭りがあるというので、男鹿半島まで車を走らせた。

会場に着くと既に祭りは始まっており、なまはげがウォーウォーと声を荒たげ練り歩いていた。平安時代の古寺と高々と燃え上がる炎が、質素な田舎の祭りを象徴していた。それにしてもかれこれ1000年以上前から続いているというから大したものだ。子供心にやはり怖いものがある。本当に家に来られたら、多分トラウマになっていただろう。

翌日は市内から20Kほど離れた貝の沢温泉に行ってみた。地元の湯治場らしく老人が多い。秋田市は年々の人口減少に歯止めが掛からないようだ。そのせいか秋田美人にも殆どお目に掛からない。地元で聞くと、皆東京に行ってしまったと云う。

Thursday 12 February 2015

ペリー提督の日本遠征記

「ペリー提督・日本遠征記」は長編にも拘わらず、とても面白い本だ。幕末、1852年からの2年間の日本を克明に残している。その視点は現代と変わりないので、タイムスリップし江戸社会を垣間見ているようだ。
                                                     例えば当時の家には家具が殆どなく質素で、服装も一般の人は粗末な着物だった。そのため女も決して美しくなく、歯黒は笑うと気味悪い印象を与えた。一方で女性の地位は結構高く、家族社会は秩序立っていた。社会の上下関係は厳しく、ペコペコするかと思うと上の人には頭を下げるので、「代わる代わる主人となり奴隷となる」と表現していた。また中々物事が決まらないが脅されるとすんなり進む日本風土、乞食はいない、値切りはしない、混浴の風土など興味は尽きない。

特に面白かったのは、サム・パッチ(Some Patch)という日本人の話だ。仙太郎という男が漂流していたので助けて日本に連れ帰ったのだが、彼が処罰を恐れて船を降りようとしない。それを保護するのだが、彼の名は沢山の心配(Some shinPai→Patch)から付けたというから可笑しい。読んでいて、今も昔と同じだ!と思えてくる一冊だ。

Tuesday 10 February 2015

沖縄の不動産

ふるさと暮らしの人気ランキングが発表され、長野県が今年もNO1になった。北アルプスの雄大な自然と軽井沢のような利便さが受けているのだろうか。やはり新幹線の威力は大きい。それから震災以降、原発から遠いことも影響しているようだ。

先日沖縄の人に会ったら、最近は那覇のリゾートマンションを買う団塊の人が増えていると言っていた。マンション価格はうなぎ登りで、東京並みの物件も出てきたらしい。特にこの季節、暖かな気候は年寄りに代え難いという。

ところで沖縄と言えば基地問題だが、最近スコットランドの独立投票に刺激されてか、独立を誠しやかに研究しているという。「独立すれば不動産価格も上がるから今の内に買った方がいい」、これは業者の宣伝文句になっている。

Monday 9 February 2015

グルジアの壺ワイン

昔は目を皿のようにして読んだ日経新聞だが、10年一日の如き変わり映えのしない紙面に随分前から嫌気が差している。メリハリのない経済口調は平べったい印象が残る。強いて言えば人事異動の欄だけは健在だ。ただこれも世代が若返ると関心はなくなる。

そんな中、たまたま目を通した日曜の朝刊にグルジアワインの話が出ていた。独立から20年、クヴェヴリ(Qvevri)と呼ばれる壺を使った製法が今でも息づいているという。日経にしては久々のヒットだった。グルジアワインは世界最古と言われ、一時安いので良く飲んだ。甘ったるく決して美味しい類ではないが、何処となく田舎っぽい香りに郷愁がある。

グルジアは何と言ってもスターリンの出身地だ。彼はグルジア時代の過去を隠し通した。その冷酷な独裁者を生んだ土壌とはどんな処だったのだろう。グルジアは又旧ソ連で唯一のキリスト教国だ。ジョージアと書いてグルジアと読むなど、未知の魅了が尽きない。

Sunday 8 February 2015

Perry's expedition to Japan

I am reading " Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan " in Japanese. It is an interesting book that introduces the irritation of Edo shogunate who was given by foreign pressure.

Japan has closed a country for a long time over 240 years. Dutch was assigned for a sole agent during the time but Perry neglected it and opened the door. Matthew Perry was a commodore of US Navy and his expedition to Japan was made from 1852 to 1854.
 
I am interested in getting touch that Perry researched Japan history correctly prior to his visit and prepared peaceful negotiation with Edo shogunate. His travel sketch was so precise and fresh. I can’t hesitate to impress that he was sketching Japan's coast saying so beautiful with ordered green field.  His black ship penetrated into Edo bay in such time.

Saturday 7 February 2015

サルトルの対他的存在

昔の仲間が集まり、これからの生き方について語った。何人かが、若さを保つには「オシャレに心掛ける事が大事だ!」と言っていた。どこかの聞きかじりかも知れないが、中々良いことを言うなと思った。

どこに行くでもなし、誰かに見られる訳でもなし、そう思うと今更新しい服を買う気も起きない。ただ本当にそうなのだろうか?ふと思い出したのは、昔習ったサルトルの対他的存在(être-pour-autrui)だ。自身は他人に見られて初めてその存在が伴う、という哲学だ。女性でも女優やアナウンサーが綺麗なのは常に他人の視線に晒されている、そう思うと分かり易い。

そうでなくても、先日デパートの洋服売り場に行った時だ。鏡に映った我が身を見て愕然とした。買った時はきちっとした服が、気が付けばヨレヨレの古着になっていた。サルトルに綾香って、今年は少し外見に気を付けて行こうと思う。

Wednesday 4 February 2015

SAYURIの世界

CNNの記事に「祇園に芸者を見に行く前に知っておくべき7つのこと」があった。知日派の記者が書いたらしいが、彼女達を撮る時は前に膚からないとか、芸妓と舞妓の見分け方、偽芸妓の見分け方など、今では日本人でも知らない世界を良く解説していた。

冨士山と芸者と云えば戦後の日本の代名詞だった。有名な映画「SAYURI」ではその特徴が遺憾無く紹介されていて面白かった。後半に外人とお風呂でお酒を飲むシーンがあった。これはショーン・コネリー演じた007でも同じような場面があり、時代の名残を感じさせたものだった。

学生時代だったか、就職して会社に入れば接待が待っていて、深川や祇園に日参出来ると思っていた。ところが一向にその気配がないまま、高度成長が終ってしまった。今から思えば古き良き日本、SAYURIの世界を知りたかった。

Tuesday 3 February 2015

ルドワイアンの三ツ星

今年もミシュランの星付けが発表され、パリのルドワイアン(Ledoyen)が初の三ツ星に輝いた。シェフのヤニック・アレノ(Yannick Alléno)氏の嬉しそうな写真が載っていた。

すっかりパリのガストロノミーとは無縁になってしまったのであまり語る資格はないが、ルドワイアンはシャンゼリゼ通りに面し、ルーブルに繋がるチュエルリー公園とコンコルド広場近くの、正にど真ん中に位置するレストランである。初夏の日差しに美しいテラスで食事するのに打って付けである。今まで2つ星に甘んじてきたこと自体、とても不思議な気がする。これを機会に「改めて食べに行ってやろう!」というパリジャンの空気が伝わってくる。

ところでそのミシュランガイド、日本でも暫く前から赤本が出され星の数は本場フランスを凌いでいると言う。同誌によれば、世界の美食の街No1は東京、2番が京都、そしてパリは3番という。東京では殆どお世話になったことが無いだけに、その利用価値についてかねがね疑問だが、それだけ美味しいものが身近にある証拠だろう。

Monday 2 February 2015

India Pale Ale

What stands for IPA? I asked a barman. But he did not know it. Soon after that a young lady sitting next to me said it was India Pale Ale. She was a student came from Texas.

There are many draught beer fonts that makes me so happy. It is a wonderful moment to select from the various brands. I did taste IPA but unfortunately it was a little bit bitter for me. So I ordered my habitual Italian craft beer named Duchessa. I like it very much as it is so fruity and unexperienced flavor that I had ever.

A Texas student told she was looking forward to enjoying snow boarding at Gala of Niigata. I suggested her to stop at Yuzawa city to have onsen with Niigata sake.

Sunday 1 February 2015

諏訪の雪景色

寒い冬は何といっても温泉に限る。遠路遥々、湧き出る湯に浸かる瞬間は正に極楽である。食事をし一杯飲むと、一年分の疲れがどって出てくる凄い力がある。

先週は茨城の袋田温泉、今週は茅野に行った帰り上諏訪温泉に寄って見た。諏訪は早朝から降り始めた雪で諏訪湖が半分白くなり、諏訪大社も神秘的だった。太古から湖の近くに信仰が開けたのは京都に似ていた。一方で建造物は1600年代から1800年代後半だから、海の向うではクルムウェルやフランス革命の時代だった。それを思うと然程昔ではないような気分にもなった。

地酒は何といっても真澄が断トツで旨い。麗人は癇にすると引き立つが、高天や御湖鶴は今一だった。帰りは中央本線の特急「あさま」である。新幹線のような緊張感もなく、座席のスペースが広い車内は極めて快適である。何より南アルプスや富士山が左右に流れるのがいい。