Sunday 27 February 2022

ウクライナの二人の英雄

ロシアが遂にウクライナ侵攻を始めた。プーチンは散々「侵攻はしない」と言ってきただけに、やはり彼は嘘を付いた。それにしてもソ連が崩壊して30年も経つのに、当時に回帰しようとする感覚が全く理解出来ない。あれほどうんざりした社会主義圏を、インターネットの時代にあって一体誰が支持するのだろう。

確かにマスコミが連日報じているように、ロシアとウクライナは12世紀のキエフ・ルーシ公国を通して一体だった時があった。当時の銀鋳塊の「フリヴァニャ」は、今のウクライナの通貨の名称にもなっている。因みにロシアの通貨「ルーブル」は、「切り取られた」というと意味らしい。つまりウクライナが本家でモスクワが分家だった事が伺える。

そのフリヴァニャ紙幣を飾る一人が、英雄マゼッパである。18世紀初頭にロシアのピュートル大帝を相手に戦った独立の勇士である。結果はピュートル大帝が勝ってマゼッパの試みは失敗に終わったが、さしずめ今のゼレンスキー大統領と重ねる人は多いのではないだろうか。

彼が組んだのがスウェーデンのカール12世だった。以前ストックフォルムの美術館で、カール12世が雪道を敗走する絵画を見た事があった。改めて当時を思い出したが、戦いの場所はキエフ近郊のモルタヴァだった。歴史は繰り返すと云うが、同じことが同じ場所で今起こっている。 

フリヴァニャ紙幣を飾るもう一人は、17世紀のフメリニスキーである。こちらはポーランド・リトアニアの隷属からウクライナを解放してコサック国家を作った英雄とされている。ただそれはモスクワとの保護協定を後ろ盾にした勝利だった。その辺の複雑な歴史が、すっきりしないウクライナの独立に関係しているのである。

Wednesday 23 February 2022

拳(こぶし)の季節

我が家に樹齢50年以上になる柿木と紅葉があった。柿木は2年ごとに大きな実を付けるのはいいが、熟して落ちると後片づけが大変だった。特に塀を超えて隣に落ちた実を回収するのが厄介である。秋が終わる頃になると、ピンポン鳴らしてお隣に「すみません、柿の掃除をさせて下さい」と出向くのはいつも気が引けた。落ちた実は殆どがカラスの食べかすだった事もずっと癪だった。 

そんな事もあり、先日思い切って伐採した。伐採は電動シャベルを持っている植木屋さんに頼んだ。木を切るのは簡単だが伐根の処理が必要だったからだ。当日は親方を含め3人の衆が来た。休憩を取りながら4本の木を処理し、最後は綺麗に整地してくれた。切った幹や枝も綺麗に分類し、流石プロの仕事は違うと思った。

これで今まで暗かった庭も明るくなったし、家とのバランスも良くなった。代わりに背丈ほどの紅葉を一本植えると、新築の家のよう庭になった。 

木を切るのは罪悪感が伴う。ご先祖様に申し訳ないような気持に似ている。ただいざ切ってしまうと、新たな息吹が吹き出すのが分かる。いい例が何年か前に枯れた桜の木である。覆い被さっていた桜の木が無くなると、2年程して隣の拳(こぶし)が大きくなり始めた。 

沢山の白い花が、まるで「桜の代わりに頑張ってます」と言わんがばかりである。改めて自然の逞しさを感じるのであった。今年もその拳が開花する季節がやってきた。

Thursday 17 February 2022

恐妻家の開き直り

学生の頃、アメリカ大陸をヒッチハイクで一周した事があった。氷河で有名なカナダのグレーシャー国立公園に行った時に、バンに乗る大学の先生に拾ってもらった。幸いその人も一人旅だったので、湖畔のキャンプを一緒にすることになった。

キャンプファイアを囲んで話すうちに、彼は「こうして自由に旅しているのは、私が恐妻家だからです」と言う。その時は恐妻家が何たるか知る由もなかったが、英語でhenpecked husbandと呼ぶのを覚えた。直訳すれば雌鶏に突かれる夫、つまり尻に惹かれる夫であった。

そんな恐妻家が長年の鬱積から解放され、開き直る瞬間は実に爽快である。自由を取り戻した男の姿は、第三者から見ていても共感を呼ぶ。フレデリック・フォーサイスの短編「帝王(The Emperor)」は、そんなテーマを扱った作品であった。

物語は長年、妻の愚痴と脅しに悩まされ続ける銀行の支店長の話であった。彼はある時、悪妻を伴って休暇でモーリシャスに出かけた。そこで友人に誘われフィッシングに行くのであったが、何と長時間の死闘の末に、帝王と呼ばれる地元でも有名なカジキを釣り上げたのであった。しかもその大魚を逃がしやるという懐の深さもあった。その快挙と慈悲に人々は拍手を送り、彼は勇気と自信を取り戻したのであった。陸に上がった時には彼は別人になっていて、「何その恰好?」と詰る妻に三行半を突き付けたのであった。 

そう言えば、昔はよくカラオケで歌った持ち歌の一つがオフコースだった。中でも良く歌ったのが「眠れぬ夜」である。たとえ君が目の前でひざまづいて全てを、忘れて欲しいと涙流しても、僕は君の処には二度とは帰らない。あれが愛の日々ならもういらない・・・の歌詞が好きだった。

Friday 11 February 2022

ジャッカルとアルジェリア

フレデリック・フォーサイスを固め読みしている。昔読んだ「ジャッカルの日(The Day of the Jackal )」も久々に読み直してみたが、とても50年前の作品とは思えない。やはり古典は色あせないと言われるが、これもその一冊であろう。 

物語はドゴール大統領の暗殺を試みる英国人と、それを阻止するフランス人警部の話である。映画にもなり、ナポレオン街道を北上しながら次々と姿を変えて欺く流れは見応えがあった。特殊な銃や偽造パスポートの製造、成り済ましのテクニックなど、中々普段知り得ない裏社会も面白かった。

ただ今回気になったのはその動機であった。なぜドゴールは狙われる事になったのか?それはアルジェリアの独立と関係していた。アルジェリアはフランス領だったが、ドゴールが1962年に独立を承認した。それを機に移植したフランス人は追い出された訳だが、過激派は秘密軍事組織を作って抵抗したのであった。旧ソ連の崩壊と同じで、梯子を外された人の怒りは大きかった。 

そのアルジェリアと言えば天然ガスや石油の宝庫である。日本のプラント会社も早くから製油所やLPG精製所を受注していた。サラリーマンの駆け出しの頃、それに関係した仕事をしていて、東京湾から機材の積み出しの船を見に行った事があった。船長室に案内されランチをご馳走になった。昼だと言うのにウィスキーも出て来て、すっかりご機嫌の一日になった。今から思えばその頃は、そんなアルジェリアに住むフランス人の事情など知る由もなかった。

Monday 7 February 2022

ハニートラップの情報戦

ロシアがウクライナとベラルーシ国境に、10万人の軍を集結されているという。もう少しで侵攻の準備が整うという。ただオリンピックの開催期間中である。同盟の中国に配慮して、本当に始まるのはその直後だろうか?素人には知る由もないが、緊迫しているのは確かである。

ただ戦争は既に始まっている気がする。その最たるが情報収集である。例えばスパイである。ウクライナ(ひょっとしてロシア)に入っている米国のCIAや英国のSIS、更に実務のSASなど随分前から活動している。勿論エージェントはロシア語に通じているプロだ。活動場所は例えばモスクワだとすると、米国大使館は当然マークされるから中国大使館のような穴場を隠れ蓑にしているかも知れない。アメリカ生まれの中華系CIAを庭師として送り込めばそのリスクは低い。

またハニートラップもある。こちらはロシア要人の秘書がターゲットになる。中年の生真面なオールドミスに狙いを定め、若い青年が近づいて時間を掛けて堕とす手法である。まず彼女の趣味を調べる。例えば彼女がオペラが好きだったら、何気なくパバロッティやドミンゴの話題を提供して関心を疎そい、最後はワインとベットに持ち込むのであった。そこまで行くと、後は秘書が仕事を語るのは時間の問題であった。 

また農夫に化けたローカルもいる。例えば彼らは駐留しているロシア軍の戦車が、あまりの寒さで暖を取ろうと戦車のバッテリーを外しているのを目撃したとする。暖かい食用の火種や洗濯や夜間の明かりに転用しているのだが、仮に敵が攻めて来たなら役立たずの鉄の塊である。

ロシアの上層部にも、この際西側に恩を売って老後を自由な地で送りたい輩もいる。身を隠して西側のエージェントとパイプを持って情報を流し、対価はスイスの銀行に蓄えようとする隠れスパイである。

一方ロシアも表向きの地上部隊とは別に、西側の知らない秘密兵器を持っているから気を付けなくてはいけない。例えば小型の原子爆弾である。今では鞄で持ち歩き出来る小型のキットもあるようだ。北朝鮮のように長距離ミサイルを飛ばさなくても、簡単に敵地に持ち込める術があると聞く。その起爆をいつどこでどんなタイミングで行うか、ここまで行くと神経戦である。 

以上の話は全てフリデリック・フォーサイスの「神の拳(The Fist Of God)」と「第四の核(The Fourth Protocol)」の受け織である。特に前者は今から30年程前に起きたイラクのクェート侵攻とその後の湾岸戦争を題材していて大変面白い小説である。時代は変われど、きっと同じような事をやっているのだろうと思っている。

Thursday 3 February 2022

石原さんを偲んで

石原慎太郎氏が亡くなった。享年89歳だった。直接お会いした事もないし著書も読んだことがないが、その強烈な個性と行動力で多くの話題を提供して頂いた。ご冥福をお祈りします。

思い出すのは東京都が尖閣を買い取る寄付である。今から思えばあれが契機で今の緊張感が生まれたかも知れないが、石原らしい決断だった。新銀行東京の設立は上手く行かなかったが、排ガス規制や複式簿記の導入は中々画期的な施策だった。

そんな石原氏だが、10年ほど前にスコットランドのネス湖を訪れた時だった。現地の人から日本からも探索しに来た人がいた話を聞いた。時は1973年、ちょうど彼が青嵐会を立ち上げた頃であった。有志を募ってネッシー伝説を確かめに2カ月滞在したという。それにしたも遥々こんな所に?と、その好奇心と遊び心にお人柄が偲ばれた。 

結果は勿論何も見つからなかった。それもそのはず、ネッシーの写真は偽造だったからである。おもちゃの潜水艦に恐竜の首を付けて撮影したのは外科医であった。その家族が50年後に告白して真相が明らかになった。それまでは、写真は泳ぐ鹿や流木ではないか?との多くの説や、実際にソナーやミニ潜水艦を使って潜った人もいた。石原さん達もその一人だった。当時はまだ41歳、奥さんが大学に通い始めた頃で、子供達も小学生や中学生で若かった。

ネッシーはいないと分かっても、未だにネス湖を訪ねる人は後を絶たない。森に囲まれた水面を見ていると、行った人なら誰もが「ひょっとして首を出すかも?」と期待を寄せてしまう神秘性がある。今回の訃報を聞いてそんな事を思い出した。