Thursday 30 June 2016

マーカス・ウィリスの健闘

今年もまたウィンブルドンが始まった。その男子2回戦で、地元テニススクールのコーチとフェデラーが当るドラマがあった。

世界ランク772位、予選を勝ち上がってきたマーカス・ウィリス(Marcus Willis)である。親、姉や弟、ガールフレンド、そして大学時代のテニス仲間など、町の関係者が総出で応援に来ていた。フェデラーも長い選手生活でコーチと対戦するのは初めてだと言う。確かに、普通の選手とは体脂肪率が違いむっくりしている。それでも所々に見せるドロップショットやサービスは、観客を沸かせた。

試合は勿論フェデラーの圧勝だったが、このアウェーの舞台を演出出来たのは、フェデラーならではだった。人々は大いに盛り上がった。英国のEU離脱で二分されていた雰囲気が、この時ばかりは一体となって吹き飛んだ。見ていて、久々に感動的な試合だった。

Tuesday 28 June 2016

鳩山さんとKITTE

今から7~8年ほど前になるか、丸の内で働いていた時だ。窓から見下ろすと、丸の内の再開発に東京駅前の中央郵便局の建て替えが進んでいた。昔の建物は取り壊されたが、一向にビルが建たない。外観も一部残り、中途半端な時間が過ぎて行った。

聞くと、20%の旧社屋を残すと言う。関係者の思い入れも分からなくもないが、どう見ても古びた外壁は醜かった。そこに持ってきて、当時の鳩山総務大臣が30%を残せ!と言い出した。工事は更に延期され、結局今のKITTEビルが出来た。

改めて見ても新旧バランスは悪く、まるで昔のネクタイで、新調した背広を着ているようなものである。気が付かないのは関係者だけだ。その鳩山さんが先日亡くなった。鳩山さんと聞くと、今でもそのKITTEビルを思い出す。一体誰のための何のためだったのだろうか?お兄さんもそうだが、良く分からない人だった。

Monday 27 June 2016

トランプのゴルフ場

大統領候補のトランプ氏が、スコットランドで英国のEU離脱を称賛したという。本音で語る人だから左程驚きもしなかった。ただそのスピーチの場所が、あのターンベリー(Turnberry)ゴルフクラブだったのにはビックリした。その後アバディーン(Aberdeen)のゴルフクラブに移ったが、ここも彼の所有地だった。流石金持ちはスケールが違う。

ターンベリーは、今更だがセントアンドリュースと並ぶ全英オープンの開催コースである。アバディーンのトランプ・インターナショナル・ゴルフ・リンクスも、調べてみると中々の名門だ。この季節、1ラウンドで£215というから3万円程度する。年間費の£2495(33万円)を払えば何回でも出来る。アバディーンは長崎のグラバー邸のトーマスの出身地だが、鄙びた当時を思えば隔絶の感である。

トランプ氏のバックに映るリンクスを見ていて、風が伝わってきた。フェアウェーとグリーンの芝が同じだから、第2打はパットでも行ける感覚だ。だけどラフに入ったらお終い、あのウッズも泣かされたように、中々ボールが見つからない。この季節、滑らかなグリーンと快い海風の中のプレーは、何とも言えない自然との一体感がある。

Sunday 26 June 2016

Rさんからのメッセージ

日頃フェースブックはやっていないが、Rさんから写真を更新したというメッセージが入った。早速開けると懐かしい顔が飛び込んできた。

Rさんはフランスの仕事仲間だ。この人が居なければ今の自分もなかった、と言っても過言ではない。Rさんは優秀なディーラーで、堅実な仕事ぶりに助けられた。今でも感心するのが損切りの決断だ。駄目だと分かるとあっさり手仕舞う、その欲のない処が好きだった。実は彼の前にある人を採用する予定だった。ところが契約直前に現れたのがRさんだった。運命とはこの事で、会って直ぐにこの人しかいないと直感した。

そのRさんは晩年癌を患い、自宅療養が続いた。代わりに奥さんが働きに出たが、パリとの往復は時間が掛かり過ぎるので、パリに小さなアパートを買った。そのお金の捻出で自宅を売り、ドーバー海峡の田舎町に引き込んだ。ある時「もう世も末だ!」みたいな手紙が来た。心配していたが、昔の微笑みを浮かべた姿は健在だった。嬉しかった。

Wednesday 22 June 2016

Barvarian and barbarian


One day I asked a friend of mine why he was Barvarian. He was German lived in south of Munich, Barvaria region, He said "Yes but why you ask me such a thing?" Then I told "As you are gentle and diligent nationality“ He had no words. So I asked again,” Are Barvarian violent nature? " He looked to be frustrating. I noticed our conversation did not overlap and something was wrong.

When I was reading a Macedonia history book yesterday, I found historical hero named Conan who was famous for " Conan the Barbarian " It was a starring Arnold Schwarznegger movie with his debut work. Yes, English spelling barbarian and barvarian are totally different that I didn’t know. I am ashamed to say that I was mixing to use for long time.

I have been wondering why Conan was from Germany till yesterday. Now it became clear.

Sunday 19 June 2016

室蘭の八角

初夏の室蘭を訪れた。千歳空港から電車で1時間、鉄の街である。ひと気も疎らで、特急の乗り継ぎに1時間近くも待った。待合室でビールを飲む・・・流石北海道はのんびりしている。

その室蘭だが、ペリーが訪れたというので気になっていた。2度目の来航の際、函館(当時は箱館)から下田に戻る途中に寄った。改めて「ペリー提督、日本遠征記」を読み直してみると、”絵のように美しく魅惑的な海岸線・・・”と記していた。この時の函館の生活描写が中々面白い。

街はさして見る処もなかった。散歩をしていたら、屯田兵を祀った中島神社という寺があったので寄って手を合わせた。夜は居酒屋で八角という魚を食べた。これもさして美味とは言えなかったが、店の親爺がグロテスクな姿を見せてくれた。

Saturday 18 June 2016

英国のEU離脱

英国のEU離脱を巡る投票が近付いている。賛成反対が拮抗し正に国を二分している。そんな中、昨日は残留派の女性議員が撃たれる事件まで発生した。離脱すれば経済のダメージが大きい。ただ今回は、損得より「これ以上の移民は御免だ」のセンチメントが大きい。

暫く前にロンドン行った時だ。地下鉄に乗って周囲を見渡すと、白人が本当に少なくなってきたことを感じだ。その数ざっと2割程度だろうか、昔とは随分と変わってきた。それでいて治安がいいのにも驚いた。深夜バスにも安心して乗れた。資産の運用、取り分け海外からの不動産投資が増えてきたのもそのせいだろう。リージェントストリートの高額物件が、ウクライナのロシア人に買い捲られているというのは有名な話だが、その煽りでロンドンっ子には手が届かない水準になっている。

英国は郊外に行くとやたらにB&Bが多い。旅行者に自宅を開放して生活している。その姿は国を象徴しているような気がする。これをウィンブルドン方式と言うが、どっちに転んでも、そのスタイルは続いて行くだろう。

Thursday 16 June 2016

ブラッスリーとビストロ

フランス文化の権威、鹿島茂さんの「パリ、娼婦の館」と「パリが愛した娼婦」を早速読んでみた。とある故人との約束で書いた様だが、膨大な資料収集に敬服した。古今東西を問わないその世界は、今に通じる何かがある。

本の中にフラッスリーが出て来る。ブラッスリーはレストランとキャフェの間にある軽食屋だ。当時は伝統衣装の女の子を目当てに来る客が多かったという。しかし同じようなビストロもあった。恥ずかしながら今までその違いを知らなかったが、今回やっと分かった。つまりブラッスリーはパリに住んでいるドイツ出身者の飲み屋、一方ビストロはフランスのオリジナルであった。確かの言葉からして独仏の違いがある。

その証拠に、ブラッスリーはビールが美味そうだが、ビストロの主役はワインである。広々とした空間と小じんまりした店構えも違う。今まで何気なく入っていた店だったが、この違いを知っていればもっと違う世界が見えたかも知れない。

Tuesday 14 June 2016

移民2世の話

フロリダで銃乱射事件があり、50人が死亡したという。負傷者も含めると相当な数だ。同性愛者を狙った犯行で、いくらイスラムの教えがあるかも知れないが許せない。今回の犯人はアフガン系だったと云う。早速父親が謝罪していた。暫く前に起きたパリやベルギーの事件の犯人は、シリアとモロッコ系だった。

ベルギーの事件が起きた時、ブラッセルに住む友人にお悔やみメールを送った。すると「2世が問題で・・・」という返事が返ってきた。要は、移民は周囲に気を遣うが、次世代になると権利を主張し始める。ところが金もコネもないから十分な教育が受けられない、よって真っ当な仕事にも付けない。社会に溶け込めないと、不満のエネルギーが爆発するストーリーだ。

そんな移民をターゲットにした事件もあった。5年前にノルウェーで起きた乱射事件だ。犯人は生粋のノルウェー人の若者で、ネオナチのような彼は、小島で70人以上を撃ち排斥を訴えた。当初は移民問題は人道問題だったが、次世代になると厄介だ。

Monday 13 June 2016

Kaiten in the mountain


At the end of WWII, Japanese navy developed suicide human torpedo called “Kaiten”. Most of the attacks failed but some of them had succeeded. We can see the original ones at Japanese Annapolis named Edajima in Hiroshima Bay and War Museum at Yasukuni Shrine in Tokyo.

This Kaiten was initiated by young Lieutenant Nishina. He was not only an idea man but a practical executor who died in 1944. Mr.Nishina was from Saku, Nagano Prefecture.

This week I found his memorial monument by accidentally in the old temple which was founded in 16th century. It was an era when Henry VIII started to marry with first wife Catherine. Local hero is sleeping in traditional temple. Seeing the black torpedo in the mountain made me calm my heart.    

Sunday 12 June 2016

新海三社神社とヘンリー8世

先日、ひょんなことからヘンリー8世を漁った。16世紀のイングランド王で、生涯6回の結婚をしたので有名だ。しかも離婚した元妻や、絵と実物が違うと仲介者(何とあのクロムウェル)も処刑するから凄い。王とは言え良く許されたと不思議だったが、調べて行くうちに相手も相手だったことが分かり、変に納得した記憶がある。

ところで今週は、佐久の新海三社神社を訪れた。三重塔は国の需要文化財であり、建立が1515年と出ていたので室町時代だ。先のヘンリー8世の一番目の奥さんとの間に子供が出来たのが1516年だったので、アーあの頃かと思った。暫しベンチに腰かけ、海の向こうを思い浮かべた。因みにその赤ん坊は、後の女王になるメアリー1世だから、歴史が繋がって行く。

あちらは平地と石文化、こちらは山と木造文化、違いこそあれ改めて日本の文化に感心した。

Tuesday 7 June 2016

シンガポールの娼婦

パリの娼婦で思い出したのは、シンガポールの娼婦だ。昔、チャンギ空港の売店で買った「夜の商売(原題:Invisible Trade)」を読み返してみた。シンガポールの夜の世界を、インタビューを通じてよく紹介している。そもそも、国際空港にこんな本が置いてあるとは驚きだった。

著者は在米のチャイニーズで、今から10年程前の本だ。本ではエスコートと言っているが、所謂高級コールガールである。相場が$50~$200の処に持ってきて、時給が最低$600(約4万円超)というから破格だ。国籍も欧州、豪州のブロンド系からモンゴルなどアジア系と様々だ。

表向きはエスコートなので、顧客の要望もお茶・食事の話し相手から結婚式に参列するパートナーなど、所謂セックスとは無縁のケースも多いという。つくづくこんな世界にのめり込まなくて良かった。同じ時に買った、「金無くして快楽なし(原題:No Money, No Honey!)」もあった。こちらはより底辺を紹介している。どちらも、過去の世界になりつつある。

Sunday 5 June 2016

待つ事、それも人生

パリでは大雨が降り、セーヌ河が氾濫しているという。ルーブル美術館の絵画も避難したと云うし、そう言えば、ローラン・ギャロスも初日から雨で泣かされた。何度か中断が入り、都度選手がウォーミングアップしている姿が気の毒だった。中でも錦織選手の4回戦、雨で重くなったコートに合わなかった。もう少し我慢して凌がなくてはいけないのが、打ち急いでしまった。

洪水は何もセーヌ河だけでなく、ヨーロッパ各地でよく発生する。何年か前のライン河の氾濫もそうだった。水を吸う森林が無くなったからだという。

昔セーヌ河が氾濫し、帰宅途中のコンコルド広場で、車が渋滞し動かなくなってしまったことがあった。ドライバー達は、私も含めて車の中でジッと待ってイライラしていた。その時だった。ふと隣を見ると、女性ドライバーと目が合った。彼女は「そんなに怖い表情をしないで・・・」と言わんばかりに、ニーっ!と作り笑顔を作って返した。それは恰も、「待つ事、それも人生だ」と言っているようだった。洪水と聞くと、いつもその時を思い出す。

Friday 3 June 2016

パリ娼婦館の女将

フランス語の翻訳家と云えば、伊藤緋紗子さんだ。BCBGは有名だが、そんな彼女が訳した高級コールガールクラブを経営した女主人の本があった。原題は「マダム」、クロード・グルデ(Claude Grudet)という女将の回顧物である。

何のことはないストーリーだが、顧客にはケネディー大統領まで登場する。パリのこの世界は、ピガールから始まりヴァンドーム広場で車待ちするサクセスストーリーがあるやに聞いている。ただこの本に出てくるの部類は、更にその上を行っている。出てくるホテルもアテネやリッツなど超一流である。

読んでいて、アラブの王様がコートダジュールで過ごす夏休みを思い出した。お付きも含めた大人数のため、ホテルを丸ごと借り切る。勿論家族も一緒だが、中には娼婦もいて奥さんの目を盗んではお忍びで部屋を往復する。ひょっとしてこのクラブから派遣されたのかも知れない。著者の女将は最後に捕まり投獄されるが、出所してこの本を書く。その強かさはフランスらしかった。

Wednesday 1 June 2016

ラ・パイヴァの話

昨日久しぶりに、ル・ポアン誌の「今日は何の日(C'est arrivé aujourd'hui)」を読んでいたら、パリの娼婦がシャンゼリゼにホテルを建てた日だという。時は1867年というから、日本では幕末に坂本龍馬が殺された頃だ。

娼婦の名前はラ・パイヴァ(La Païva)と言って、元はロシア系のユダヤ人だった。パリに出て娼婦になり、ポルトガル伯爵を騙して妻になった。伯爵は結婚して妻が娼婦だと知り、それを苦に拳銃自殺したという。その次はドイツの大金持ちでビスマルクの従兄と結婚した。ホテル建設の金はそこから出たという。写真を見る限り、決して美人とも思えず、どうしてそんな事になったか不思議である。

幸いパリの娼婦に関する本が沢山出ているので、早速取り寄せた。暫くはその研究に明け暮れしそうだ。