Tuesday 29 March 2016

セントーサ島の蝋人形

A・マクリーンの「シンガポール脱出(原題:South By Java Head)」を読むと、当時の緊迫した雰囲気が伝わってくる。押し寄せる日本軍から逃れる話だ。真珠湾の奇襲から僅か2カ月でシンガポールは墜ち、英国軍のパーシバル中将に、山下中将が降伏を迫る。

それから4年後、今度は立場が逆転し日本軍が降伏した。その光景がセントーサ島に蝋人形で残されており、時間を隔て2つの部屋を見みると複雑な気持ちになる。シンガポールには、この他に日本陸軍が5000人の民間人をスパイ容疑で処刑した慰霊碑や、チャンギの刑務所、住宅地のトーチカ跡なども残っている。

小説では山田大尉という人物が登場する。作者のマクリーンは実際に大戦で日本軍の捕虜になったというので、強ち誇張ではないだろうが、やはり非情に描かれている。

Monday 28 March 2016

ベア島とオークニー島

A.マクリーンの「北海の墓場(原題:Bear Island)」の島ってどんな処だろう?そう思ってネットで調べてみた。すると北極のバレンツ海に浮かぶ孤島だった。切り立った岸壁はナチの金塊を隠す絶好のロケーションだ。小説は戦後金塊を回収に行くが、撮影隊を装うストーリーって映画「アルゴ」にそっくりだ。

島の写真を見てたら、オークニー島を思い出した。オークニー島はスコットランドの北に位置する島だが、こちらへは船で1時間半で行ける。近づくとやはり絶壁が聳え立っている。面白いのは、紀元前4000年の居住跡や石器時代の遺跡が現存されていることだ。近代になり主権はノルウェーから英国に移り、そこにスコットランドの山から逃げてきた人がウィスキー造りを始めた。有名なハイランドパークは今でもここで蒸留している。

マクリーンの小説は、「恐怖の関門」や「シンガポール脱出」もそうだが助走が長い。最後にオチがあるのだが、ややもすると途中で飽きてしまう。こうした展開も、一昔前ののんびりした英国人気質なのかも知れない。

Sunday 27 March 2016

ルイスのアイアンパット

ゴルフはデリケートなスポーツだ。ちょっとした事で自分を失う。いい例が先日の月例杯、途中まで快進を続けていたが、昼のランチで同僚から褒め殺しがあった。「このまま行けば優勝ですね・・!?」、その一言に力が入って後半はボロボロになった。

今週の女子PGAはカリフォルニアのKIAクラシックだった。初日、宮里藍が久々にトップになり話題になった。そんな中、ステーシー・ルイス(Stacy Lewis)が2日目にパターを折ってしまった。そこでパットはアイアンで打つ事になった。プロとは言え、咄嗟のアクシデントに動揺するかと思いきや、意外と落ち着いていた。それもアイアンパットがバンバン決まるではないか。

宮里藍は15位、ルイスも30位だったが、改めてプロって凄い!と感心した。

Saturday 26 March 2016

Made in Japan(Sony)

Japanese electrics appliance manufacture faces critical moment. Sanyo was liquidated after merged with Panasonic. Sharp was bought by Taiwan company. Then how about Sony?

Sony is still well although they are suffering deficit for a long time. Sony is typical company that symbolizes Japanese economic success after WWII. In 80s, the founder of Sony Mr.Morita published a book called ”Made In Japan”. I was interested in reading that he stayed in first class hotel when he visited NY in 1950s as reputation was so important for new comer. In the book of Jeffery Archer of Harry Clifton chronicle series, Harry’s son succeeded for the finance of Sony. It was 60s.

What is popular products for Sony now? It is Nishikori! He is the top tennis player whom owner of Sony invested with his pocket money. It was not only him to have helped but Nishikori qualified his expectation. Nishikori became Walkman.

Friday 25 March 2016

ベルギーのテロ

ベルギーで大きなテロがあった。空港、地下鉄で爆破が起き、300人もの人が死傷した。パリの実行犯が捕まった報復らしいが、それにしても大変な惨事だった。

犯行はISだが、詰まる所、移民の経済的な貧困が原因だと思う。最初の移民は周囲も温かな目で見るし、遠慮して生きる。ただ子供の世代になると権利を主張する。そこで生まれ育ったから当然と言えばそうだが、就業は簡単ではない。教育からハンディーがあるからだ。そしてその経済的貧困が病巣になっり、ある時不満が爆発する。アメリカなら兎も角、保守的なヨーロッパなら尚更だ。

そこに今シリア難民が押し寄せて来る。今はいいが又同じ繰り返しが子供の世代で始まる。特に中東のイスラム系は、どこまで行ってもキリスト文化と相容れない気がしてならない。

Wednesday 23 March 2016

バルカン半島の旅

少々古い本になるが、和久峻三の「逃亡空路」は面白い小説だ。まだ東西が分断されていた時、チェコから西側に亡命する話である。それを日本企業の乗っ取りと絡めうまく纏めている。その舞台の一つに、ルーマニアのママイア(Mamaia)が出て来る。勿論行ったことはないが、黒海に面したリゾート地だという。


ルーマニアはチャウシスクやドラキュラ伯爵で有名だが、今まで中々行く機会がなかった。東欧は空の便が不便だし、何か物騒な先入観があった。ただある人から現地のZeteaというリキュールを貰ってから、ずっと気になっていた。そこでこの夏、思い切って行くことにした。

地図を見ると、ルーマニアはブルガリア、モルドバ、マケドニアなどの隣国に接している。ヨーグルトやワインも美味しそうだ。また黒海沿いに進めばウクライナのオデッサに出れる。暫くはミシュランを片手に、バルカン半島のルート研究に明け暮れしそうだ。

Monday 21 March 2016

ロングアイランドの犬

30年程前になるか、スイスのグリンデルワルドでスキーをしていた時だった。陽も暮れかかったので下山すると、林の中にスキーヤーが倒れていたのに気が付いた。滑走路からはみ出し、立ち上がれないでいた。「大丈夫ですか?」と聞くと、相手は「ハイ・・・」と応えるが一人では身動き出来ない。仕方がないので、助け起こし滑り出そうとすると、そのスキーヤーはろくにスキーが出来ない初心者だった。それも氷点下になろうとしているのに、何とジーンズ姿であった。心配になって麓の村まで搬送して送り届けた。

それはNYに住むアメリカ人の女子学生だった。その縁で、その後NYに行った際に一週間ほどお世話になった。彼女はロングアイランドの豪邸に、両親と4姉妹と住んでいた。庭に大きなプールがあり、お父さんが娘達の為に目隠しの塀を作ったと自慢していた。お蔭でセント・モーゼスの海や地元の草野球など、ロングアイランドの自然文化を味わう事が出来た。

ただ一つ気がかりな事があった。実は彼女の家には犬がいた。その犬の名前が私の名前に似ていた。最初は発音の違いかと思ったが、確かにそうだった。犬と一緒に呼ばれる内に、何か複雑な気持ちになった記憶がある。

Saturday 19 March 2016

白馬の春スキー

2年ぶりにスキーに行った。今年は暖冬で雪不足、ここなら大丈夫だろうと白馬八方まで行ったが、やはりシャーベット状でコンディションは悪かった。

それでも全日本の技能選手権が開催されていたり、海外からのスキーヤーも多かった。以前に比べ、随分と英語のパンフレットが増えた気がする。長野なので、温泉は元より、湯に浸かる猿見物、着物の着付けなど、工夫を凝らした跡が伺える。

それにしても肝心のスキーだが、数年前から滑り切った快感が無くなった。歳のせいなのか、将又ストレスから解放された日常のせいなのか。そう言えば、昔はリフトに揺られながら良く仕事の事が頭を過った。もう適度に滑り、後はゆっくり温泉に浸かれば満足だ。

Friday 18 March 2016

裏銀座のサル

若い頃は良く山に登った。普段の憂さを晴らすように歩き回った。結局、冬山こそやらなかったが、アルプスの主要ルートは殆ど制覇した気がする。

ある時、北の裏銀座を縦走した。大町から登り、野口五郎岳に出て、水晶、三俣蓮華を通り槍ヶ岳山荘に出るコースである。ところが金曜の夜行で行く予定が、急用が入り東京を発ったのが土曜になってしまった。その半日の遅れを取り戻そうと必死に歩いたが、遂に双六小屋を過ぎた辺りで足が動かなくなってしまった。辺りは次第に暗くなり、夏とはいえ気温も下がってきた。勿論行きかう人もいない。そして千丈に差し掛かった頃だったか、登山道に猿が出てきた。

猿は群れを成していた。まるで置物のようにジッとこちらを見ている。段々足が重くなり、3回呼吸してやっと一歩が出る・・・ひょっとして襲われるのか?と恐怖が募った。目指す山荘には明かりが灯り、近くに見えても一向に距離が縮まらない。それは今思い返しても怖い経験だった。

Wednesday 16 March 2016

山田昇さんを思い出し

映画「エベレスト~神々の山嶺」を見ていて、ある登山家を思い出した。それは山田昇さんである。山田さんはエベレストに3度も登頂、8000m峰を9座登頂するなど、日本のトップクライマーだった。

お会いしたのは、今から30年程前になるか、西武グループが主催した冬山教室だった。北アルプスでピッケルを使った滑落停止などを教える合宿だった。夜になると山小屋で語り合うのだが、そこに来ていたのが山田さんだった。小柄で雪焼けした普通の人だったが、人を魅了する何かを持っていた。そんな彼に、誰かが「山で大変だった経験は何ですか?」と聞いた。すると「ウンコが出たくても出なかったことだ!」と言って笑わせた。どういう状況か知らないが、貴重な話を聞けた気分になった。

山田さんはそれから暫くして、アラスカのマッキンレーで命を絶った。享年39歳だった。大人っぽく見えたが、思えば当時は30代半ばの若さだった。

Tuesday 15 March 2016

映画「エベレスト」

夢枕獏の映画、「エベレスト~神々の山嶺」が上映されたので早速観てみた。現地ロケを重ねたとは聞いていたが、十分撮影の苦労が伝わってきた。どうやって撮影したかと思うシーンも多かった。ただ残念ながら、やはり原作の迫力を上回ることはなかった。もっと登山そのものに時間を掛けるべきだったし、恋人の女性は余計だった。8000mで帽子を脱ぐなんて有り得ないし、エンディングを下山にしたのは失敗だった。

今から13~14年前だったか、本を読んだ興奮は凄かった。一歩一歩頂上を目指す登山家の息遣いが聞こえて来た。山岳小説と言えば、新田次郎の「孤高の人」やB.ラングレーの「北壁の死闘(原題:Traverse Of The Gods)」が凄いが、今でもこの夢枕獏氏の作品は一級だと思っている。

それでも、映画には神田の三州屋やカトマンズの裏路地が出てきて面白かった。登山家の普通の姿もそこにマッチしていた。あまり気負わないで、寡黙で行けば良かったのに・・・。

Tuesday 8 March 2016

晩節を汚す

落語界の大御所、三枝の不倫がバレてスキャンダルになった。今頃になって離婚の文字も新聞に出ていた。新婚さんいらっしゃい!のキューピットだけに、真逆のイメージなってしまった。それにしても、人生最後まで何があるのか分からない。御年72歳、晩節を汚すとはこの事だ。

晩節を汚すのは、何も三枝だけではない。北大のクラーク博士も、帰国後は事業に失敗し債権者に追い立てられたり、黒船のペリー提督も最後はアル中だったり、東芝の元社長、甘利大臣・・・。

今日は巨人軍で野球賭博がまた発覚し、ナベツネさんが退任したと云う。一世を風靡すると反動が来るのだろうか?金、酒、女・・・まだまだ落とし穴が待っている。人生は最後まで息が抜けない。

Monday 7 March 2016

アバディーンの街

A.マクリーンの「北海の墓場( 原題:Bear Island)」を読みだすと、アバディーン(Aberdeen)の港が出てきた。懐かしのアバディーンは、長崎のグラバー邸の主、トーマス・グラバーの育った街である。
 
トーマス・グラバーは漁業しかないこの街を捨て、香港から日本にやってきた。岩崎弥太郎や伊藤博文など多くの若者を留学させ、明治維新を陰で支えた外国人だった。ただ彼の息子はハーフだったが故に、スパイの嫌疑を掛けられ、終戦直前に自害した。グラバー邸の立つ丘が、戦艦武蔵を建造する三菱重工を見下ろせる場所だったからだ。
 
3年前にそのアバディーンにあるグラバー邸跡を訪れた。勿論今では新しい家に代わっていたが、通りは彼の名前を冠して残していた。何気なく小説を読んでいて、そんな旅を思い出した。

Sunday 6 March 2016

札幌の日の出

会社に入って間もない頃、北大出の同期が結婚するというので北海道に行った。当時は3-4時間は掛かる長旅だった。初めての札幌に、一緒に行ったM君とキョロキョロしながら歩いていた。すると、どこかで見たことがある人が近づいて来た・・・それも女性を連れている!。そしてお互い気が付いたその瞬間、先方は「これは黙っておきましょう!」と先制攻撃に出てきた。彼は北大出の先輩で、後で分かったが相手は婚約者だった。不意を突かれ返す言葉もなかったが、暫くして「何で俺達が黙っていなくてはならない?」という事に気が付いた。

その札幌だが、今では羽田から1時間半で行ける。日帰り圏内なので、空港には温泉や居酒屋が沢山用意されていて、冬でも外に出ず楽しめる工夫が成されている。

ただ今回は訳あって市内に泊まる機会を得た。同じ日本とはいえ、冷たい空気は乾燥していて快い。札幌限定のサッポロビールクラシックも美味しい。特にホテルから見た日の出は、眼下の雪景色と相まって、それは美しい風景であった。

Saturday 5 March 2016

君が代論議

先日、とある琵琶の会に行った。万葉の長閑な世界に浸り、暫し寛いだ。終わってから集まった人達が、「そう云えば、君が代は万葉集の歌詞だっけ?」から始まり、国歌の話になった。

ある人が、「それはそうだが、(君が代は)イギリス人が編曲したものだ」と言い出した。憲法論議ではないが、だったら新しくすればいいじゃないという流れになった。そこでTさんは、「国歌はもっと高揚感があった方がいい、例えば"海ゆかば"とか・・・」と云う。するとすかさず隣にいたMさんが、「右翼的だね、私だったら"さくらさくら "がいいなあ!」と言う。普段はタカ派と思っていたMさんが、優しく見えた。

ファンであるヘンリー・ストークスさんが、あるの本の中で「日本語には人を罵る語彙が少ない」と書いていた。普段は気が付かないが、世界的には日本は女性文化らしい。そう思うと、君が代も強ち悪くないのかも知れない・・・。