Monday 29 January 2018

ヴォツニアキの初優勝

全豪オープン2018が終わった。今年も朝から晩まで釘付けの2週間だった。やる方も大変だが見る方も同じだ。今年はクラブから10名以上が観戦に行った。ウインブルドンや全米に比べると席は取り易いとは言うが、それにしてもテニス熱は大変なものだ。

男子はフェデラーが2連覇し、女子はヴォツニアキが初優勝した。人気者の2人が勝ってハッピーな人は多かったと思う。フェデラーはこれでグランドスラム20勝、一昨年の怪我から完全復帰し、表彰式の涙が全てを物語っていた。彼ですら本当に勝てるかと不安だったと聞いて、より身近になった。ヴォツニアキも数年前のトップから落ちて低迷を続けた。決してずば抜けて強い訳ではないが、勝負師の血だろうか、相変わらず元サッカー選手のお父さんがピッタリ付いていた。彼女は2011年の絶頂期に毎日TVでお目に掛かったので嬉しさも人一倍だ。

そんな二人の復帰もあったが、ビック4と言われたジョコビッチやナダルは途中で姿を消した。ジョコビッチは元気がなかったし、あのタフなナダルが途中棄権したのはショックだった。マレーやヴァブリンカ、そして錦織もまだ怪我から戻って来れなかった。そんな物足りない中、杉田がソックスに快勝しカルロビッチ戦に善戦したのは良かった。また予選から勝ち上がったM・マクドナルドが、デミトロフに惜敗した一戦は見応えがあった。アルゼンチンのシュワルツマンや韓国のチョンもいい選手だ。そんな事でとても充実した2週間だった。

Friday 26 January 2018

雲の上の人

ひょんな事から、岡留恒健さんの「永い旅立ちへの日々」を読んだ。岡留さんはインターハイ三冠、大学王者、デ杯のテニス選手だった。日航に入り地上職からパイロットになり、スキー、登山を極めた。本は、数年前に晩年を送る山梨の山奥での姿を紹介したものであった。

実は岡留さんとは一度会ったことがある。大学のテニス部の納会だったか、当時は既にパイロットになっておられ、高校生からみた姿は雲の上の人だった。しかしこうして自然を相手にした生活の姿を知ると、少し普通の人の親近感を感じた。その岡留さんはデ杯時代を最後にラケットを握らなかったようだ。奥さんも彼がテニスをやっていたという実感はないと聞いて意外だった。しかしそれは、暫く前に日経の私の履歴書で開陳していた松岡功さんと似ていた。氏はあの松岡修三さんのお父さんだが、やはりデ杯を最後にラケットを捨て東宝の事業に邁進した。

一方わが身を振り返れば、テニスを始めて50年、年数こそ長いがダラダラと然したる栄光もなく続いている。馬齢を重ねるとはこういう時に使う言葉かと思った。最初に入った高校のクラブでは20数名いた同期が、3年を過ぎる頃には5名になった。そんな折に団体でインターハイに行く幸運が舞い込んだ。しかし4人は行けたが自身は後輩に抜かれて行けなかった。一重に力量不足だった。最近では一昨日始めた人にも簡単に負けてしまうから、つくづく運動神経がないと自覚している。ただ「俺もこんな本を書いてみたかったな!」と正直羨ましくなる。どこまでも格好のいい人には叶わない。

Tuesday 23 January 2018

カミカゼスキー

前日の金曜日、湯沢の天気予報を見ると、晴れマークが付いていた。早速朝起きて新幹線に乗ると、9時には越後湯沢に着く。駅前の立ち食いソバ屋で腹ごなしを済ませ、行き付けのレンタルスキー屋に足を運ぶ。新潟は大雪が降った言うが、道路にはその気配がない。聞くと、正月以来雪が降っていないと言う。どうやら同じ新潟でも内陸と海沿いの天気は違うようだ。

湯沢のレンタルスキー屋は、客が一人でも送り迎えしてくれるサービスが売りである。それもみつまた辺りまでも行ってくれるから有難い。その日はいつもの石打丸山へ向かった。山頂に着いた時はまだ10時前だった。家から出て3時間弱とは信じられない。予想通り天気は好天で、週末にも拘わらずスキー場は左程混雑していない。一気に麓までノンストップで滑り捲る。緩斜面でH指導員に教えられた片足スキーも練習する。途中ビールで喉を潤す以外は、殆ど休みなく滑り3時間が過ぎた。

まだ2時前だが早めに切り上げ山を下りた。そしてもう一つの目的地、ロープーウェー近くの蕎麦や「しんばし」に向かった。銘酒「うまい助」は格別で、新潟広しと言えどここでしか飲めない逸品である。冷たいへぎ蕎麦との相性は抜群で、暫し幸せな気分に浸る。適度な疲労感と酔いで新幹線に乗れば5時に帰宅出来た。カミカゼスキーの一日だった。

Monday 22 January 2018

ポール・ボキューズを偲んで

フランス料理界の大御所、ポール・ボキューズが亡くなった。御年91歳だった。最後はパーキンソン病になっていたらしいが、自身が生まれた田舎で最後を迎えたという。

その有名な3つ星レストランは、フランス第二の都市リヨン郊外にある。リヨンは豊かな自然に恵まれた食材の宝庫である。フォアグラや地鶏は有名だし、地中海にも近いから海の幸が新鮮だ。そして何と言ってもブルゴーニュワインの産地である。揺れに弱いワインを一番美味しく飲める場所なら、何でも美味しくなるというものだ。ミッシュランの三ツ星の定義は「遥々行く価値がある」だが、このレストランの為の言葉の気がする。

残念ながら訪れる機会はなかったが、改めて彼の作品を聞くと少し身近になる。例えばトリュフのスープ、オマールのサラダは今ではどこのレストランでもあるし、何より焼きプリンのクレーム・ブリュレはキャフェの定番だ。特にフランスで食べるクレーム・ブリュレは格別で、濃厚な卵とミルクが何とも美味しい。

Friday 19 January 2018

ネイビー・シールズ

映画「Navy SEALs(原題:Renegades)」が日本でも公開された。早速見に行ったが、映画館はガラガラだった。あまりに娯楽が多いせいなのだろうか?

物語はユーゴ紛争で、NATOで駐留するアメリカ軍特殊部隊の話だ。ルーブル博物館からナチが移送した金塊がバルカン半島の何処かに移送された。それを生き残った末裔の娘が探すのだが、中々良く出来ていて飽きなかった。やはりナチと金塊、それにバルカンが組み合わさるとエキゾチックな神秘性が増す。特に当時のサラエボが出てきたのは見ってしまったり、悪役はやはりセルビアなのか?と思ったりして兎に角楽しめた。

Navy SEALsらしく、舞台はバルカンの湖中であった。ダムを破壊して沈められた村の中に眠る金塊をダイバーが引き上げるのだが、一体そこは何処なのか?見終わってから撮影場所が気になったのでを色々調べてみたが、結局分からなかった。この手の話はフィクションがいい。典型的なのは「ナヴァロンの要塞」に代表されるアリスティア・マクリーンの作品だ。リアルな現実を物語化してからこそ楽しめるというものである。後編があれば是非作って欲しい作品だった。

Tuesday 16 January 2018

中国のポルノ女優

最近はいろいろ分からない事が多い。年末のタイム誌の年男に、セクハラを受けた女性達が登場したかと思うと、突然過去のセクハラ被害を訴える女性が増えて来た。トランプ大統領もその一人だったが、あまりのマスコミ攻撃に、カトリーヌ・ドヌーブが男性を擁護した。流石アモーレの国は違うな!と思っていたら、その彼女までがパッシングに遭ったのは驚きだった。

かと思えば昨日のBBCのニュースで、日本のポルノ女優が中国の若者向けのセックス教師をやっていると報じされた。過去の80本以上の作品に出たAOI SORAという日本人は、中国で有名人だと言う。その彼女が自身の結婚をツイッターで報告したところ、18百万人のフォロワーが現れ、8百万人がいいね!と言ったそうだ。それだけでも収入が10百万円というから、一体何がどうなっているのだろうか?


ニュースでは冷え切っている日中関係の改善に貢献するみたいな無責任なコメントが載っていた。それにしても共産国家とポルノはどう考えても相容れない思想だし、ややもすれば騒乱罪に問われ兼ねない。そんなリスクを冒しながら、真っ向から西側文化を売り込むのは勇気か、将又中国も民度が深まったと見るべきか、こればかりは分からない。



Monday 15 January 2018

政府専用機

首相が外遊する時、政府専用機を使う。いつも予備の機を飛ばし、万が一の時にスタンバイしているらしい。キャビンアテンダントや操縦士も自衛隊の職員だ。一見豪華なイメージがあるが、そんな話を聞くと極めて実務的な雰囲気が伝わってくる。

そんな中、ある人に政府専用機で出て来る日本酒をご馳走になった。「日本の翼」という福井県の酒で、4号瓶で5000円もする大吟醸だった。流石にデリケートな円やかさがあり、専用機に乗った気分になった。

今回の外遊も経済人が多く同行したらしい。同じ飛行機に乗っていったか不明だが、そうだとするとビジネス席とエコノミー席は限られているので、誰が何処に座るか、気になる処である。「なんだ!あいつがビジネスで何で俺がエコノミー?」みたいな声が漏れ聞こえて来そうだ。会議の席次やホテルの部屋もそうだが、序列を重んじる日本の経営者には、別の意味で悩ましいツアーに違いない。

Sunday 14 January 2018

安倍さんとバルト三国

安倍さんの俯瞰外交が再開し、バルト三国とバルカン三国を廻っている。今回はエストニア、ラトビア、リトアニア、セルビア、ブルガリア、ルーマニアの6カ国を5日で廻ると言う。カミカゼ旅行に慣れているとはいえ、余りの過密旅程である。

そのせいか、最初の訪問地エストニアでの共同声明にはちょっとガッカリした。北朝鮮の脅威を強調したが、北朝鮮がどこにあるのか、殆ど知らない人達を相手にする話題は拙速だった。むしろ彼らの最大の関心事はロシアの脅威である。そこを関連付けしたらもっと共感を得たと思う。エストニアはIT国家と謳われているが、所詮150万人の人口だから出来る話、余り参考にならない。

エストニアにはまだ日本企業が居ない。それでいて日本大使館があるのは何故だろう?誰かがそれは日本の常任理事国への準備だと言っていた。アメリカもエストニアも国連では同じ一票である。そんな特殊性もあるので、大使は在エの日系人を正月に招待し寿司を振る舞ってくれるのどかな処がある。バルト海で取れた魚なので種類は限られているが、それでも天皇皇后の写真が飾られているサロンを自在に使えるのは、数多き大使館でも珍しいかも知れない。ラトビアはJALの直行便が撤退してから暫く経つが、リトアニアは日立の原発が目玉である。杉原千畝の国でもあり、今晩辺りは盛り上がっている気がする。

Thursday 11 January 2018

片足のウェールデン

スキーから戻り、早速指導員のHさんに教えを乞いた。Hさんは会社に入ってから指導員の資格を取った努力家だ。博士だけあって教え方も理論的で分かり易い。

早速、ターンの悩みを相談した。右に回転するターンと左に回転するターンで、微妙に得手不得手があった。すると椅子に座って「斜め座りをして下さい」と言われた。言われるままにすると、確かに左右で形が違う事が分かった。しかし殆どの人は左右対称でないから、それはごく自然の現象のようだ。それを直すには、緩斜面で片足を上げてウェールデンの練習を繰り返すといいらしい。弱い方が頭の位置が山側に逃げるという。

新しいゴーグルも買ったし、早速試してみたくなった。遥々万座まで行った事もあり、忘れていたアドレナリンが出て来た。

Wednesday 10 January 2018

進化するスキー用具

スキーのシーズンである。今年も重いスキーを担いで初滑りに行った。行った先は万座である。いつものように電車とバスを乗り継ぐ処は変わらないが、スキー場の風景は大分変っていた。リフトは全盛期の半分程度で、客も温泉目的の団体が多く、スキーヤーは半分程度だった。途中の表万座スキー場も10年前から閉鎖しているという。車でしか行けない穴場だったので、何か寂しいものを感じた。

そんな中、スキー用具の進化には目を見張るものがあった。何年か前にカービングスキーの時もそうだった。突然上手くなった気分にさせてくれて感動した。その時、カービングはCurving(曲がる)かと思っていたら、同僚がCarving(削る)だと教えてくれた。確かに体を傾けただけでコブを削いでいく感覚だ。

今年は新調したゴーグルが素晴らしかった。以前に比べ幅が広くなり視野が広がったのと、レンズの質が良くなったのか、肉眼で見るより遥かに良く見えた。白内障の人が手術すると別世界が開けるとはこういう事かと思ったり、TVのハイビジョンを初めて見た時の感覚に近かった。用具がいいと又やる気も出て来るというものだ。

Monday 8 January 2018

君たちはどう生きるか

吉野源三郎著「君たちはどう生きるのか」がベストセラーになっている。そう言えば昔読んだな?と思い本棚を探してみた。するとカビの生えた新潮の日本少国民文庫が出て来た。62年前に出た子供向けの本が今に蘇る訳を知りたくて、早速読み直してみた。

主人公は中学2年の純一君、銀行の重役だったお父さんが亡くなり、叔父さんが話し相手になる。付けられた仇名がコぺル君、コペルニクスの真理を追究する勇気を捩っている。学校友達との生活風景や、ニュートンやナポレオンなども登場するが、何となく教条的な処が引っ掛る。子供の頃に読んだ時も、正直余り面白くなかった記憶があるのは、そのせいだったのかも知れない。

コペル君の通う中学校には元軍人の子弟が多い。そんな子供たちが貧乏な豆腐屋の仲間を虐める。今のいじめだが、護国寺近くの学校というので、教育大付属が舞台のような気がした。書かれた時代を思うと、2度と戦争に巻き込まれないようにするには、どう考えていったらいいのか?という問いが見え隠れする。それを知らないと、君たちはどう生きるか?と問われてもピンと来ない事になる。それにしても、時間があったら、今流行っている漫画を読んでもいいけれど・・・。

Sunday 7 January 2018

萩田さんの南極走破

冒険家の萩田奏永さんが、南極の無支援走破に成功したという。50日間で1130Kmを、100Kg近い重さのそりを引きながら歩いたらしい。南極は勿論行った事がないが、一日20Km進んだ計算になるから物凄い事だ。しかも厳寒の地である。

そのニュースを聞いて真っ先に思い出しのは、あのシベリアからインドまで歩いた男の話である。氏はポーランド人で、第二次大戦の時にシベリアに抑留された収容所から6500Kmを歩いて脱出に成功した。その物語は「脱出記(原題:The Long Walk 1957)」として出版され今まで2度読んだ。ゴビ砂漠やヒマラヤも越えるスケールの大きも沙流事ながら、歩き続ければ必ず(英国の)インドに出れるという信念と勇気に、読む度に元気を貰う本である。

今回の萩田さんの成功も、本が出れば読んでみたい。

Wednesday 3 January 2018

マリア・テレジア

江村洋さんのF・ヨーゼフが良かったので、お母さんを描いた「マリア・テレジア(ハプスブルグ唯一の女帝)」を読んでいる。これも中々良く書けていてとても面白い。年表も沙流事ながら余談がいい。例えばコーヒー、有名なミルクのたっぷり入ったウインナコーヒーだが、オスマントルコが攻めていた時に置いて行った品だと言う。倹約家だったM・テレジアもそれだけは嵌ったという。

それからジャガイモがある。ドイツの主食かと思っていたら、その時はそうでもなかったようで、夫のフランツがPRして普及させたそうだ。ジャガイモは当時気持ちの悪い穀物だったらしい。それを後世の主食にしたかと思うと、正にノーベル賞級の出来事だった。

また結婚は縁組の平和を尊ぶハプスブルグ家の範だった。そんな中で本人のM・テレジアのケースは恋愛結婚だった。そのためだろうか?子供は16人も生まれた。不幸にして5人は早くして亡くなったが、残った子供も名家の運命が付きまとい、最後の女の子(11女)だったアントワネットはフランス革命で断頭台に散った。これはその前の姉(10女)がナポリ王の妃になり16人の子供を設けた事を思うと、皮肉な巡り合わせだった。ともあれ、ハプスブルグ家は今の欧州の形を作ったことがよく分かる。

Tuesday 2 January 2018

ミカエル・ズベロフ選手

今年もテニスシーズンが開幕した。早速オーストラリアで、全豪を前にエクジビジョンのホップマンズカップとパースの前哨戦をやっている。随分と長い間ビック4が健在し、世代交代が無かったので、若い世代のマグマを感じる。

そうは言っても、マレーは復帰したが錦織は未だ出てこない。一体誰を応援したらいいのか?多くのプレーヤーは両手打ちで美しさがないし、日本の杉田もまだまだだ。そんな中、サーブ&ボレーのミカエル(M)・ズベロフ選手は頼もしい。昔のレジェンドだったステファン・エドバーグ選手に似て、打ったら空かさずネットに詰めるスタイルは思いっ切りがいい。エドバークの華麗さはないが、失敗を恐れないスタイルは見ていて応援したくなる。彼はランキングを世界25位まで上げている。一重に世界4位の弟のアレキサンダーに啓発されたからだ。

レベルは違うが、昨年とある国内トーナメントでそのサーブ&ボレーの専門家と当った。2回打つとネットに出て来る怖いもの知らずの人だった。聞くと「バカの一つ覚えです!」と言って謙遜していたが、只管前に出てて来た。3回に一回はパッシングなどで取れるが、やはり攻撃されると確率的に不利になる。テニスはややもすれば減点ゲームになってしまうので、こうしたプレーは清々しかった。ゲームは勝つことも大切だが、攻撃的に渡り合ってからこそ、四つに組める。M・ズベロフ選手に魅かれるのもそうした処である。

Monday 1 January 2018

シリア難民の少女

2018年が始まった。今年はどんな事が起きるのだろう?改めて2017年を振り返ると、シリアやイラク難民のニュースが印象的だった。中でもボートで逃れて来た少女の話が心に残った。

少女の一家はシリアからトルコを経てギリシャの島に向かった。しかし島に近づくにつれ、ボートは傾きだし出し、乗り合わせた人々は海に投げ出された。その少女もその一人だったが、幸い泳ぎが上手かったので、泳いで船の縁を伴走し岸にたどり着いた。その後は陸路を経てドイツまで辿り着いた。

一緒に逃れた人の中には、途中で力尽きて亡くなった人が多かった。親もその一人だったので、その体験が少女に重く伸し掛かっていた。そんな中、得意の水泳を再開し、ドイツのプールで練習を始めた。影のように付き纏う辛い体験だったが、そうして泳いでいる時は唯一その記憶から解放されるという。その気持ちは何故か痛い程分かるのであった。オリンピックを目指して練習しているというから、ひょっとして東京で見られるかも知れない。