Monday 31 August 2015

Mixed bathing

When I talked with my friends, a guy said he would go to hot spring. He is a single man so that is looking forward to romantic meeting with a young girl at mixed bathing. Yes there exists such spa in the local area ! Senior man advised him be care as some of them are professional.

I was thinking mixed bathing is unique Japanese culture for a long time. But I found it was not true.

When I visited to Baden-Baden where was famous for spa town in Germany, there was mixed bathing. It was well known big spa Freidrichsbad. People buy a ticket and enter man and woman separately. After visiting several rooms for sauna and massage, they finally reach big pool sharing man and woman together with wearing nothing.

Sunday 30 August 2015

ナチの黄金

先週のル・ポアン誌に、ナチの黄金の話が載っていた。場所はポーランドのチェコ国境に近い田舎だが、現在宝探しが続いているという。

話は、終戦末期に2両のドイツ軍の貨車が立ち去ったところから始まる。中身は大砲のようにも見えたが、これが黄金ではなかったかというのだ。発見されたのはこの貨車だった。2Kmに渡る引込線や、近くにドイツ軍が司令部として使っていた城があり、その地下50mに避難所があったことが背景になっている。

それにしても戦後70年経っているのに、ヨーロッパは過去が突然昨日のように蘇る。今年になってからもスイス国境に住むドイツ人宅から大量の横領絵画が発見されたり、アウシュビッツ収容所で経理担当だった男が捕まった。ジャック・ヒギンズの小説に出てくる世界のようで、興味は尽きない。

Thursday 27 August 2015

申ジエ選手の記録

ゴルフの女子オープンで、韓国の申ジエ選手が81連続ノーボギーの日本記録を作った。ボギーで上がるのも四苦八苦するのに、流石これにはビックリした。仮に一日を18ホールとして、4日半パー以上で納めていた計算だ。改めてプロだと思った。

私がゴルフ師匠と思っている人に田原紘プロがいる。伊藤忠のサラリーマンから奮起してプロになり、全豪シニアのタイトルを取った人だ。素人向けに素晴らしいゴルフ練習方法を伝授している。そんな彼が本の冒頭に書いているのは、プロの練習は300発/日×365日×20年=219万発である。勿論サラリーマンにはこんな数は打てない。だからそれなりの練習があるというのが彼の理論だ。

以来、忠実に実践していると、次第に結果に表われてきた。特にドライバーの軌道やバンカーショットが良くなってきた。せめてハーフの連続ボギーが目標なのだが・・・。

Wednesday 26 August 2015

Tattoo Yakuza and MRI

"The Girl with the Dragon Tattoo" by Stieg Larsson was an exciting novel. How Swedish woman Lisbeth was so enigmatic ! If she were in Japan, things must have been different.

Tattoo is not a fashion but a symbol of Yakuza (Mafia). When I went for a swim in the pool the other day, there was an announcement that people with tattoo are not allowed and need swimming shirts. An ordinal people used to keep distance from them in the public bath and pool.

When I talked with my friend, he let me know an interesting fact that tattoo is weak for Magnetic Resonance Imaging (MRI). He explained tattoo sparks in the MRI. It is just like a metal that sparks in the kitchen oven. How terrible it is! Tattoo Yakuza is also a human being who needs medical check as well. I wonder how they feel when they are in the serious health problem.

Tuesday 25 August 2015

ワーグナーの街

先日友人宅に食事に呼ばれて行くと、珍しくいい音楽が掛かっていた。すかさず「ワーグナーですね!」と褒めると、「良く分かるね!」と言われた。オペラ、ニーベルングの指輪の「ラインの黄金」であった。

私は全くの音楽音痴で楽譜も読めないが、有名なクラシックを聴くと結構分かる。高校生の頃に音楽好きな友人がいて、彼に連れられ良く上野文化会館の視聴覚室に通ったからだ。当時はレコードだったが、指揮者とオケを選んで良く聴き比べした。

ワーグナーは長くて退屈だが、大学の入学式は「ニュールンベルグのマイスタジンガー」、映画「地獄の黙示録」もワーグナーのワルキューレだったり、結構身近な音楽だ。バイロイト音楽祭は、あの裁判で有名なニュールンベルグの隣町である。連合軍の爆撃で街の大半を消失したが、今では復元されている。ワーグナーを支援したルートビッヒ2世のノイシュバインシュタイン城も近くにあり、中世ドイツを彷彿させる地域だ。そんなことを思い出した。

Sunday 23 August 2015

38度線を訪れて

北朝鮮が戦争モードに入ってきた。対岸の火事ではないが目が離せない。北の挑発に対し、南はプロパガンダで応戦している。金正日はこれが気に入らないようだが、改めて戦時状態が続く凄い隣国だ。

南北の非武装地帯、所謂38度線には今まで2度訪れた。最初は1975年だった。外国人のみを乗せるバスが板門店の兵舎、捕虜を交換する橋を廻って帰って来るコースだ。目と鼻の先に北の兵士が見え怖かった。橋を渡れば北朝鮮だ。二度と帰って来れない正に帰らざる河であった。2度目は2006年だった。この時は北が掘ったトンネルを見た。38度線の下に何本も掘られ、戦車も通れる大きなものだった。今では観光客用にトロッコが用意されていた。

時は経たが緊張感は今も昔も変わらない。思えば戦後の日本経済はこの朝鮮戦争の特需で大きく蘇った。今回は中国が背後で操っているようなので事態は複雑だ。これからどうなるのだろう。

Saturday 22 August 2015

東芝事件と島耕作

名門東芝が不正経理で大きく傷付いた。先日、昔の仲間が集まった時にもこの話題で盛り上がった。どうしたあんな大企業がこんなことをするのだろう?誰しもが首を捻った。「数字は作るもの」とは言われるが、倫理感は働かなかったのだろうか、会計士は知っていたのだろうか?疑問は尽きない。

背景には派閥争いがあったと言われる。赤字から一転黒字になったり、他社の業績が振るわないのに東芝だけが良かったり、その不自然さに気が付く人はいなかったのだろうか。結局、「中々経理は外部からは分からないから、最後は内部告発しかないね」というオチでお開きになった。

ふと思い出したのは漫画の「島耕作」だ。初芝電器で社長まで登り詰めるシリーズで、日本企業の人間模様が面白かった。作者の弘兼さんは早稲田を出て電器会社に入社したと聞いていたので初芝はずっと東芝と思っていた。ただご本人は松下電器だった。漫画に出て来るドロドロとした人間関係を思い出すと、今回の事件が分かり易くなる。

Tuesday 18 August 2015

ゆるキャラキャンペーン

同僚のI君がやって来てにお願いがあるという。聞くと地元の知り合いがゆるキャラキャンペーンに頑張っているので、得票がいるらしい。普段の飲み仲間なのでお安い御用だと、早速クリックして一票を投じた。
 
それにしてもこんな世界があったとは驚きだ。多くのキャラクターが毎年競っている。流石くまモンは知っていたが、昨年優勝した群馬のぐんまちゃんなど初めて知った。最下位は東京だったが、何と200組もエントリーしていた。見ていて日本中が秋葉原になったようで、変な気分になった。

ご当地には伝統とか誇りもあろうに、寄りによって漫画か?、ご先祖様が聞けばどう思うのだろう。それに、何か商業的な感じもする。地方の文化はもっと硬派で、酒が美味くなるような深さが欲しいが・・・。

Monday 17 August 2015

軽井沢特権

終戦日の新聞に、スイス公使が終戦末期に軽井沢から打電した話が載っていた。内容は外交特権ならぬ軽井沢特権(Karuizawa Immunity)である。これが日本の国体(天皇制)を維持する意味で、爆撃するなになったという。真偽の程は闇の中だが、さもありそうな話で興味深かった。

思い出しのは、五十嵐均著「ヴィオロンのため息の」という本だった。中々良く書かれていて、20年ほど前に横溝正史賞を取った。内容はやはり終戦末期の軽井沢を舞台にした、こちらはドイツ将校と日本人の若い女性の物語だった。張り詰める空気の中、印象に残る一冊だった。

軽井沢は不思議と人の距離を短くする場所だ。緑が多く、都会の延長とはいえ、そのバランスがいいのだろう。今だに散歩しているとすれ違う人々は挨拶する。そんな風土が当時もあって、人間らしさを取り戻したのかも知れない。

Thursday 13 August 2015

2 Lieutenant-General

It has passed 74 years since Japan army occupied Singapore. Soon after the Pearl Harbor, they invaded South Asia and reached to Singapore in 1941. Lieutenant-General Arthur Percival of British Army surrendered soon.

There are many WWII spot reserved there. Not only pillbox vestige in the city, there is a war museum in Sentosa Island. It is originally an amusement park but they are keeping historical sights. It is interesting to see that next room of wax doll Percival signed surrendered document in 1941, there is a room that Lieutenant-General Yamashita signed also surrendered document in 1945.

In the center of the city, there is a monument which was found by Japanese government for the memorial of civilian victims. It is said Yamashita killed 5000 Singapore civilians for spy suspicion. I don’t like to believe it. There is also a Changi prison near it for the prisoner of Japanese army. Singapore looks very attractive for the foreigner but they are still cautious for outsider as of today.

Wednesday 12 August 2015

オランダクラブのテニス

猛暑の中、テニスをした。流れる汗を振り払い、立っているだけでも精一杯だ。正に闘いの相手は暑さそのものである。

10年前にシンガポールに住んでいたことがある。1日の大半を過ごしたのはオランダクラブ(Hollandse Club)だった。プールやレストラン、勿論テニスコートもあって昼から盛況だった。赤道直下のため、ハードコートの照り返しは50度近くになっただろうか、それでも人々は水を飲みながらプレーしている。最初は誰でも30分するとフラフラなるが、次第に体が慣れてくると2時間でも動けるようになる。

ただそれには秘訣がある。南国のテニスは兎に角ダラダラとやることだ。ボールを追いかける時以外、気負わず暑さに逆らわないようにする、そうすると長続きする。シンガポールには英国やアメリカのクラブもあったが、オランダクラブは其の他諸々が集まるいい加減さがとても快かった。熱いコートがあの頃を思い出させてくれる。

Tuesday 11 August 2015

Black windと伊402号

10年程前にシンガポールのオーチャード通りの本屋を覗くと、クライブ・カスラーの新作が山積みされていた。表紙に日本軍の潜水艦が載っており、タイトルはBlack windだった。早速買って読むと、それは日本軍の大型潜水艦がアメリカ本土を細菌攻撃する途中に海底に沈んだ設定だった。勿論フィクションだが、例によって冒頭で過去を蘇らせておいて現代の冒険物語に組み立てる、カスラー流の手法だった。それにしてもロマンを掻き立てられた。

そして先週、長崎沖でその伊402号潜水艦が発見されたニュースが飛び込んできた。既に同型艦がハワイ沖に沈められているというのは知っていたが、水深700mは引揚不可能だ。それに対し今回は200mというし、日本の領域なので血が騒いだ。

潜水艦は姿を現さないので、余計神秘的だ。伊402号は艦載機を3機も搭載するというし、戦後の攻撃型潜水艦のモデルだそうだ。大和や武蔵もそうだが、改めてその勇姿を見て見たい。


Saturday 8 August 2015

クリミア戦争の頃

ウクライナ独立の伴い、ロシアがクリミアを併合した。あれから1年が経ち事態は膠着したままだ。ただ日本から遠いので関心は薄い。そんな中、新書のオーランドー・ファイジス著「クリミア戦争(原題(Crimea, : The Last Crusade)」を読んでみた。

クリミアは当時オスマン帝国の領地だったが、ロシア人には特別の感情があったという。著書に依れば、クリミアは紀元前988年にロシアに最初にキリスト教をもたらした場所で、云わばロシア正教にとっての聖地だそうだ。当時からジンギスカンの末裔のタタール人と対峙していて、ロシアはイスラム教のタタール人から聖地を解放する十字軍だったようだ。我々にはちょっと想像し難い世界だが、その思い入れには特別の感情があるようだ。

ロシア人がキリスト教と云われても違和感があるし、タタールならクリミアはアジアなのかとも思ってしまう。現地の人には失礼だが、こうした事件をきっかけに遠い処から未知の歴史を楽しんでいる。

Thursday 6 August 2015

Hiroshima with black rain

Today is a memorial day that atomic bomb attacked Hiroshima in 1945. It was just 9 days before the surrender of Japan army. More than 100 thousand civilians were killed in a moment. Terrible things happened after that. It was black rain that the radioactive water escaped their hearth.

When I was a child, I have been living in Hiroshima due to father's work. It was 15 years after WWII. I shocked to see the human shadow which was remained at the entrance of Hiroshima Peace Memorial. A man standing in front of the building blocked the heat wave and left black shadow on the stone. People also rushed to the river as they were thirsty throat. This Ota river streaming center of the city reminds us that moment.

Few months ago, I visited Kokura city where was 200km west of Hiroshima. It was an original target but B29 pilot skipped due to cloudy weather so went to Hiroshima. It might be Kokura. I had mixed feeling and the destiny of Hiroshima.

Wednesday 5 August 2015

2003年の古新聞

夏休み、家で片付けをしていると昔の新聞が出てきた。2003年6月、今から12年前だ。ウィンブルトンでフェデラーが初優勝した時だった。今年は8度目の優勝を狙い、駄目だったが今では2児の父親だ。女子ダブルスでは杉山愛さんがクライシュテルフと組んで優勝した。彼女もお母さんになったが、当時の写真は若かった。

記事の多くは小泉政権だ。まだ始まったばかりの内閣で、石破防衛大臣や竹中平蔵さん、塩爺が頑張っていた。その後の郵政民営化を巡る解散で小泉政権は盤石になった。新聞にはその頃から集団的自衛権のアンケートも載っていた。

イラク戦争もさ中、日経平均はまだ9000円台だった。あれから上がってリーマンショックで落ちたが、今の半分とは実感として信じられない。福井、白川と続く日銀総裁はやはり当時からどこか変だった。10年ひと昔というが、あれから色々あった。自身の人生も重ね合わせ、つい見入ってしまった。