Monday 30 September 2013

ナポレオン街道

ナポレオンというと、今ではコニャック位しか思い浮かばないが、思えば足跡を追った時期もあった。まず生地のコルシカ島、現地語でコルス(Corse)という素朴な島だ。島は一日では廻りきれない大きさで、モヤイ像のような古代の石像が野ざらしになっていた。浜辺の砂が粗く、以前家に来た電気屋がその砂を見ただけでコルシカ島だと分かった。後で聞くと島の出身者だったようだ。昔はイタリア領だったので、ナポレオンはイタリア訛りが残り、コンプレックスだったと先の倉田さんの本では述べていた。

そして何と言ってもウォータールーの古戦場である。ナポレオンはエルバ島から脱出し、後に言う100日天下の頃、イギリス・プロシア連合軍と最後の一戦を交えた。場所はベルギーのブラッセル郊外、結果はウェリントン率いる連合軍に破れ、セント・ヘレナ島に流される切っ掛けになった因縁の場所である。今では小高い丘だけが残る草原だが、受付に立ち寄ると当時の状況を上手くまとめたビデオを見せてくれた。して映画を見て野原に立つと、静かな風が吹いている。暫し立ち止まり目を閉じると、兵士の怒号や馬の蹄が聞こえて来るようだった。

ナポレオン街道もある。エルバ島から脱出しパリに向う北上の道である。コート・ダジュールのカンヌから、途中香水で有名なグラースの町を通りグルノーブルに抜ける。夏と冬、今では両方を楽しむには最適の地域である。そしてスペイン遠征で難儀したピレネー山脈・・・、この時の勇ましい絵があるが実際は過酷だったようだ。

Thursday 26 September 2013

ナポレオンの遺体

友人がパリに行くというので、いろいろ観光スポットを紹介した。その1つが、ナポレオンのお墓があるアンバリッドだ。ちょうどエッフェル塔から見下ろすシャンドマルスの延長線上に見える軍事博物館だ。名立たる当時の勇将に守られた棺は、"フランスの英雄ここに眠る"の威厳がある。

ところが今日、倉田保雄著「ナポレオン・ミステリー」という本を読んでいたら、それが身代わりの遺体だという。本物は英国にあり、偽物の正体はナポレオンの給仕という。詳しくは本に委ねることとして、棺を空けた時に全く別物の衣服、埋葬だったことから発覚したらしい。面白かったのは、偽物が着ていた衣服が、ナポレオンのロシア遠征の撤退の際に、馬車ごと盗まれた物だったという。DNA鑑定を実施すれば判明するのに、英仏両国は事実を封印している。

最初に埋葬されたのがセントヘレナ島だ。調べてみるとアフリカから2600Kmの孤島、正に牢獄だ。更に驚いたのは当時島には、中国人のクーリエが500人も居たという事だった。どうやって何の為に・・・。筆者はジャーナリストらしく、このミステリーの真相を、「髪(=神)のみぞ知る」という言葉で結んでいる。

Tuesday 24 September 2013

ブラックベリーの終焉

ブラックベリーが身売りされるという。数年前までビジネスマンの大きな武器だったのが、今やアイフォーンに圧されたという。

ブラックベリーは、キーボードが突起していて、太い指でも容易に文字打ちで来きた。とても使い良く、黒くガッチリしたボディーは落ちても頑丈だった。そして何よりその機能がずば抜けていた。当時の日本の携帯は海外に持って行くと通じないことが多かったが、ブラックベリーは世界どこでも繋がった。オバマ大統領も早くから持っていたように、欧米を中心に重用されたようだ。

最初に見たのは、2005-6年だったか、良く日本に来ていたドイツ人が持っていた。今でこそ当たり前だが、メール、国際電話は掛け放題、ワンセグで喜んでいた日本の携帯電話とは格の違いがあった。それはある意味のステータスシンボルだった。同じ電話機でも、初期のダイナースカードのような重みがあった。それだけに今回の事は、10年ひと昔を感じたのだった。

Monday 23 September 2013

冷めてしまった野球熱

巨人が優勝し、マー君が開幕22連勝の快挙を挙げた。本来なら家で乾杯!といきたいところだが、最近ではすっかり野球熱が冷めてしまった。こうなったのはいつ頃からだろうか?少なくても10年ちょっと前までは、車に乗ればナイター放送に耳を傾けたし、時々球場に足を運んだものだった。それが松井、松坂などが大リーガーに移籍したり、ワールドカップが盛り上がってきた頃からおかしくなった。

思えば少年時代は野球、特に巨人の選手は憧れだった。ユニホームの背番号は18、当時の藤田元司の番号だ。ジャイアンツの野球帽子を被り、宮田、城の内などの投げ方を真似したものだ。知り合いに巨人軍の牧野コーチがいたので、お宅に伺い長嶋、王、金田などの写真やサインを貰ったが、当時はお宝だった。正に巨人、大鵬、卵焼きの時代だった。

いつぞやニューヨークヤンキースの試合を本場で見たことがあった。ファンの応援ぶりは半端でなく、一球一球に一喜一憂する凄い人達だった。TVでダルビッシュやイチローの試合を見ていると、今でもその熱気が伝わってくる。ただ、その感動も今や他人事のようだ。こうして時代が代わり熱が覚めるのは本当のファンではない、のかも知れない。

Sunday 22 September 2013

二人のマコさん

20年程前になるか、Fさんに銀座のバーに連れて行ってもらった。行った先は元日劇ミュージックホールのダンサーの店だった。女将は岬マコさんで中々迫力があった。

店の目玉は勿論踊りだ。日劇には行ったことがなかったが、そのOBが、背中に羽を付け所狭しとばかり踊り出した。それはとても激しいもので、終わると店内は散った羽が舞い始めた。咽喉に入ると窒息しそうになったのを覚えている。

話は代わるが、新聞に服部真湖(マコ)さんが出ていた。高齢者のIT活用を応援しているという。いつもはつらつとして元気そうな人だ。実は(恥ずかしながら)、名前が同じマコだったので、二人は同一人物だと長年思っていた。服部さんは52歳というので、銀座のマコさんは当時随分若かったのだ、と懐かしんだ。ところが今日、二人は全く別人だと分かった。思い込みとは恐ろしいが、早く気が付いて良かった。

Friday 20 September 2013

オーウェルの放浪記

若い頃お金が無くなると、ホテルで夜勤バイトした。展示会の設定だが、結構の実入りになった。華やかな表の世界とは違い、暗く過酷な裏世界に驚いたものだ。ロビーを歩く人が突然眩しく見えたりした。バイトが終わり、稼いだお金で真っ先に行ったのは、そのホテルのレストランだった。暫し不思議な感覚に浸ったのを覚えている。


ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記(原題:Down and out)」を読んでいたら、彼も全く同じことをしていた。彼はパリの貧民街で暮らし、食べるカネも尽きた頃、ホテルの皿洗いの仕事を見つけた。毎日17時間の過酷労働だったが、それで食い繋いだ。そして辞めた翌日に、貯めたカネでそのホテルのバーに出向き、ビールを飲んで憂さを晴らしたという。

本には多くの浮浪者が出てくる。どん底の中で餓死寸前にも拘わらず夢を見るのがパリだ。貧しいが、無けなしのカネで同居人にパンを買ってくるのもパリだ。何も食べないで4日経つと安堵感が出るとか、同居のロシア人はウェイターを夢見るとか、興味深いシーンが多い。例えば、パリのウェイターは殆どがドイツ人、ロシア人などの外人だったとは知らなかったし、格は皿洗いより高いという。浮浪者は殆ど男で毎日退屈なこと、服は売ってもシャツのカラーは最後まで取っておく・・・、またユダヤ人は信用されていないが、更に下にアルメリア人がいたようだ。レ・ミゼラブルではないが、どん底には人の妬み、嫉みが詰まっているが、一寸の希望もあった。

Thursday 19 September 2013

シューンベルグの一夜

テニス仲間のYさんが演奏会に出るというので駆け付けた。Yさんはセミプロのビオラ奏者だ。本業は会計士、とてもそんな風には見えないが、天性の音楽センスと趣味を徹底的に追求する姿勢に感心する。今夜は何とドイツのプロと共演するという。


最初の曲はチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」だった。独り身のチャイコフスキーはよく旅行に出ていたが、ロシアから遙々イタリアまで来たとは知らなかった。当時を思うと結構な長旅から生まれた作品だ。ただメロディーは凡そ曲名とは縁遠く、まるでスラブ風だった。2曲目は本日のメイン、シェーンベルグだった。難解な曲なので、毎日練習が大変だとは聞いていたが、やはりよく分からなかった。暗い導入から突然陽気になったかと思うと、いつの間にかフィナーレがやって来た。ただ意外に現代のアンニュイな世相にマッチしている処もあった。最後はブラームス、今までのモヤモヤした気分が吹っ飛び、目出度くお開きになった。


帰り道、知人と話していると、シェーンベルグ兄弟の孫はミュージカル「レ・ミゼラブル」の作曲者だと分かった。ミス・サイゴンのミュージカルも手掛けたらしい。世界で最も分かり難い作曲家の孫が、世界で最も親しみのある曲を作るとは、何とも不思議な巡り合わせだ。そして、オーストリアの靴屋の息子がアメリカに渡り、そこで作った曲を150年後にドイツ人がやってきて私の友人と共演する・・・・・、これもそうだ。

Tuesday 17 September 2013

台風一過

台風一過、青空が広がり清々しい秋の気配だ。家の中でじっと台風が過ぎ去るのを待っていた人が、一斉に表に出て来て掃除を始めた。さっきまで落ち葉で散乱していた道路が、あっという間に綺麗になった。公園では袋を下げた一群がいる。年配の人が多い。何をやっているのかと思いきや、銀杏を拾っている。台風が残していった天の恵みだ。

それにしても今回の台風は凄かった。ちょっと気を許した隙に傘が飛ばされて、ずぶ濡れになってしまった。桂川が氾濫したというが、雨量も桁外れだった。物は飛んでくるし、一時はどうなるかと思ったが終わってみればまるで嘘のようだ。

昔Aさんというウィットに富んだ人がいたが、口癖は「雨降って地固まる」だった。何か仕事が上手くいかなくても、「雨降って地固まるって言うじゃないか」とドンマイする。それを聞くと、不思議と気持ちが落ち着いたものだった。嵐あっての今日なのかも知れない。

Monday 16 September 2013

ゴルフは質素に

スコットランドの旅で、ゴルフは3か所回った。いずれもぶらっと行き、「これから1ラウンドしたいんですが・・」と頼むと、快諾してもらった。セントアンドリュースを除けば、どこもおじさん、おばさんが一人で受け付けしていた。昨年テキサスで廻った時もそうだった。日本で同じように外人がゴルフクラブに行ったらどうなるのだろう?ホテル紛いの受付で、丁重に断られるのが落ちだろう。でもどうして・・・?

世界のゴルフ場で一番多いのは勿論アメリカだ。2位は英国、そして3位はなんと日本である。その数2300コースもあり、その半分は平成のバブル期以降に出来たという。未だに混んでいるのは、ゴルフ場1つ当たりの人口が、英国が20千人に対し日本は50千人と多いせいだ。それに、まだまだプレー代がバカ高い。先日TVを観ていたら、誰かが「それはメンバー制だからですよ」と言っていた。日本特有のシステムだが、そのメンバーの殆どが団塊世代、そろそろ鬼籍に入る準備の年齢だ。

今更、会員権の値段がバブル時に戻る訳はない。だったらお金のことは忘れたらどうだろう。どうぜ子供・孫に行く会員権相場、だったら生きている内に安いプレーが出来ればそれでいいではないか。クラブの従業員なんて3-4人いれば十分だ。例えば豪華なレストラン、コンビニのお握りがあれば十分と思っている人は多いだろう。潰すのが偲び難いなら、結婚式や地元のクラス会、高齢化社会だから銀婚式、還暦祝い等々に貸し出せばいい。風呂は銭湯組合、コース整備は土建屋のXX組、管理は治安会社・・・。欲を捨て「質素」をモットーにすれば、必ずいいクラブが出来るはずだ。

Sunday 15 September 2013

クラシック音楽と東京の街

会社の帰り道、後ろから同僚のYさんに声を掛けられた。これからオペラシティーに都響を聴きに行くというのでウキウキしている。クラシックのがファンで、年に20-30回は通うと云う。帰り菅らコンサートの話題に華が咲いた。

御当人によると、今や日本のクラシックレベルは世界一だという。当たり外れがないというか、いつ行ってもそこそこの満足が得られるらしい。確かに先日もブラームス国際コンクールでも日本人が優勝したニュースが出ていたが、今や世界のコンクールで入賞するのは珍しいことでなくなった。理由については定かでないが、いずれも90年代のバブル期に生まれた人々だ。経済的に後押しがあったことは確かだろう。

それにしても東京は恵まれている。毎日どこかで音楽会が披かれているし、最近はストリート音楽も盛んだ。昔ドイツのボンでタクシーに乗ったことがある。運転手のお爺さんが、クラシックを聴きながら客待ちをしていたのが印象的だった。街のどこからかバッハの無伴奏が聞こえてきたり、生活の中に音楽が溶け込んでいる。あとは静かな環境が欲しい。

Friday 13 September 2013

大谷吉五郎さんの思い出

オリンピックが東京に決まり、施設の計画が徐々に明らかになって行く。今から50年前にこれだけの物が出来上がったのだから、今度も素晴らしいものが出来るに違いない。メーン会場の国立競技場も一新されると聞く。

その国立競技場、東京オリンピックが終わり一般に解放された。夕方から陸上教室が拓かれ、中学生から上は全日本級までの人々が集まった。私も友人のN君に誘われて通い始めたが、昨日まで世界のアステリートが走っていた競技場を自由に使えるのは驚きだった。サブトラック、ロッカー室から、100Mのヘイズや5000Mのクラークが現れるようだった。

指導者に当たったのは、元三段飛び選手の大谷吉五郎さんだった。大谷さんは後にNHKの解説者として活躍した人だが、真摯で陸上競技に賭ける熱い情熱があった。身近にスッと伸びた足を見ているだけで、格好良かった記憶がある。

Thursday 12 September 2013

日比谷公園のオクトーバーフェスト

日比谷公園でオクトーバーフェストをやっていたので行ってみた。昔日本に来たドイツ人がビックリしたとは聞いていたが、盛大なイベントだった。本場のドイツビールとソーセージの屋台が沢山出ていて、久々にヴァイツビールを楽しんだ。でも何かが無かった・・・そう音楽だ。

オクトーバーフェストはミュンヘンで拓かれるビール祭りである。一度は行ってみたいと思っていたが、ホテル、ビールテントは1年前から予約で一杯、多くが企業で買い占められているため、一般の人は行ってもビールすら飲めない。ところが数年前、関係先の計らいで夢が実現した。勿論予約は無かったが、人々が来る前の午前中に特別入れてもらった。朝からバイエルンの音楽隊が奏でる行進曲と仮設遊園地で、十分盛り上がった。

行ってみて分かったのは、オクトーバーフェストは単なるビール祭りではないことだった。世界に散らばった南ドイツ人の子孫が、遥遥この日のために集まる民族の祭典だったのだ。ホテルで民族衣装に身を包む外国人を見てそう感じた。勿論ビールは欠かせないが、そこには文化が凝縮している。ヒットラーを生んだのもバイエルンだが、暗殺しようと立ち上がった貴族もバイエルン出身だった。地理的な閉鎖性は独自の文化を生んだ。ツーリスティックに言うと、最もドイツ的な地域なのかも知れない。だからその香りの欠片が、ちゃんとした音楽だけでも欲しかった。

Wednesday 11 September 2013

人生は不連続

最近は歳のせいか、やたらにXX会という同窓会が多くなった。親しい仲間内なら兎も角、大勢の会となると全員が来る訳ではない。大体参加するのは2割程度だ。それには理由がある気がする。

参加しない8割の人の4割は、今の環境が不遇だからだ。昔は有名会社、肩書きもあったが、子会社孫会社、牽いては仕事が無かったり、あっても意に反した仕事をしていると気が退けるからだ。そこまでして姿を晒したくないという思いがある。一方成功して偉くなればいいという訳でもない。次の4割はそういう人たちだ。社会的には崇め建てられているかも知れないが、昔の仲間になれば遠慮はない。そこで「おまえ、昔は悪いことしたよな!」と言われれば、世間体が気にかかる。ならば逸そ行かない方がマシだという選択だ。そして残り2割は病気、多忙、気力喪失・・・等々だ。

それを思うと、多くの人の人生は不連続だ。仕事だけでなく、恋愛、結婚、子供の進学、親の健康、ローン等々、思うように真っ直ぐに進んでいく人は少ない。途中で折れ曲がったり、右肩下がりになったりすると、過去と決別したい気持ちになる。同窓会は過去との出会いの場、だから複雑なのだ。

Sunday 8 September 2013

東京オリンピックのプレゼン

2020年のオリンピック開催地に東京が決まった。IOC委員の4割は欧州というので、内心マドリッドかなと思っていたが、終わってみれば大差だった。本当に決まって良かった。

感動したのは日本チームのプレゼンだった。2度の失敗から今度は素晴らしいものが出来上がった。IOCはクラブだ。組織に左右されない個人で構成されているので、ヒトの心に訴える事が大事だ。安倍首相、竹田委員長、猪瀬知事はとても良かったが、何より高円宮久子と滝川クリステルの仏語スピーチは効果的だった。プレゼンに深みが増し、これなら行けると思った。皇族、政治家、企業、スポーツ選手、普通の大人子供が1つになった姿は快かった。

オリンピックの感動は格別だ。思えば1964年の東京オリンピック、新聞の一面は「生きていて良かった!」だった。昭和に入ってから戦争が続き、戦後も焼け野原から生え上がった日本人、やっと訪れた平和と繁栄を実感した瞬間だった。当日は快晴になり、空にジェット戦闘機が五輪のマークを描いた。今でも国立競技場で見た色彩と、始めて見た世界の人種は目に焼き付いている。日本人はこれから7年間夢を見ることが出来る。これは本当に幸せなことだ。

Saturday 7 September 2013

ジョルジ(Georgi)のテニス

全米オープンテニスが準決勝に入っている。ヨーロッパなら時差が6-7時間なので何とか見れるが、NYとなると夜中の12時から始まる。若い時なら何とか頑張れたがもう無理だ。それに今年は早々フェデラーや錦織が敗退してしまったので、興味も失せている。

そんなことで今年は殆ど観戦出来ないでいたが、女子の3回戦だったか、たまたま見たボツニアッキとジョルジの試合は面白かった。ボツニアッキは2年前まで世界NO1、ルックスもいいし人気のある選手である。ストロークは安定しているが、飛び抜けた実力は無かったので、今回のシードは6位である。対するジョルジ(Camile Georgi)はイタリアの22歳の新鋭だ。格下を意識してか、最初から殆どフルショットしているのには驚いた。

試合はシーソーゲームになったが、結局勢いでジョルジが勝った。最初から最後まで、粗削りだがスィングは凄かった。テニスは日々進化しているというが、こうして身近にスピード感の違いを見せ付けられると、明日のテニスを感じるのだった。

Friday 6 September 2013

半沢直樹とバブル

TVドラマの「半沢直樹」の視聴率が高いというので早速観てみた。銀行員とは思えぬ捨て台詞は迫力があった。その倍返しは流行語になりそうだ。正義感がある半沢課長が、相手が常務だろうが誰であろうが、まるで検事のように正していく。本当にこんなこと出来るのだろうかと思ってしまうがそこはドラマだ。

銀行をテーマにしたTVドラマは、どちらかというと今までは銀行が悪者だった。それに比べ、正義感溢れる半沢は、視聴者を味方に付けているので受けている。

ついでに、この原点になった池井戸潤著「俺たちバブル入行組」も読んでみた。半沢の就職活動はとても身近だった。バブルの頂点で銀行に入っていればもう40代後半だ。もうすぐ部長になる年頃だが、右肩下がりの日本経済の中、不良債権の回収ばかりやっていた世代である。こうしてTVで取り上げられるようになったのも、長かったトンネルをやっと抜けたからなのだろう。人々の気持ちも、バブルの遺産整理は過去のものになりつつある。

Thursday 5 September 2013

みのもんたのセクハラ

みのもんたのセクハラ疑惑があった。触ったとか触らないとか、事に真相は知らないが、主婦相手の番組だけに大変だ。当の本人はどこ吹く風で、いつものように朝ズッバ!に出ている。野次馬は、奥さんに先立たれて寂しくなったのだろうと同情してしまう。でも奥さんがいればいいということでもないらしい。

暫く前に横浜国大の名誉教授が、奥さんに殴れて死んだ事件もあった。浮気が原因で逆上されたらしいが、長年付き添った夫婦の最後にしては痛ましかった。そもそも70歳の老人に色恋もあったものではない、と思ってしまう。晩節を全うするのは本当に難しい。

一方芸能界では矢口真里、小栗旬が騒がれた。2人とも若いだけに反響は大きかったが、人の噂も45日、暫くすれば人の記憶から遠のいていく。若い人はその時間がある。それに引き替え、老人に残された時間は少ない。それだけに悲哀を感じるのだった。


Wednesday 4 September 2013

ジェフリー・アーチャーと違憲判決

今日最高裁で、婚外子の相続に違憲の判決が出された。珍しく裁判官全員が一致したという。正にこのテーマを取り上げたのが、ジェフリー・アーチャー著の3部作だ。三作目の「守られた秘密(Best Kept Secret)」を一足先に読み終えた。たまたまエジンバラ空港で手に入れたものだったが、日本ではまだ売っていない。第一作の「全ては時が語る(Only Time Will Tell)」が出たのが2年前、遅ればせながら今、やっと日本の書店に新刊として翻訳(タイトルは「時のみぞ知る」)が出始めた。それから昨年、2作目の「父親の罪(The Sins of the Father)」が出て、この夏の三作目という訳だ。

ストーリーは最初に妊娠したことを知っていながら、女性が結婚するところから始まる。そして子供が生まれ、その子が若者になった時に恋に落ちる。いざ結婚しようとした時に、相手は異父兄弟だと分かるが、2人は関係をキープし子供を設ける。三作目では、その子が実は本当の子供ではないと分かる。読者のみが知る真実の中、英国上流社会の華麗さが綺麗に物語を包んでいる。そのためドロドロ感は全くなく物語が進んで行く。

オチはいつ来るのかと思って読んでいたら、途中からナチの偽札事件に発展し盛り上がってきた。おかしいと思っていると、何と来年に四作目「願い事に気を付けて(Be Careful What You Wish For )」に続くという。これにはどっと疲れたが、それにしてもこの話の舞台は70年前だ。如何に日本の現行民法が時代遅れだったということだ!

Tuesday 3 September 2013

ハチの一刺し

この夏の暑さは格別だ。猛暑に加え、少雨で天候も異常な日が続く。豪雨が来たかと思うと、昨日は竜巻で多くの人がケガをした。日本も段々亜熱帯性の気候になっていくようだ。
 
そんな中、この夏はハチが大量発生していると報じられた。やはりそうだったかと、何日か前のことを思い出した。場所は長野県、例によって犬を連れて散歩しているとハチが近づいてきた。危ないと逃げると、影のように付いてくる。もう大丈夫だろうと思ったら、また別のハチが現れた。結局大事には至らなかったが、その量は異常だった。ハチは一匹づつで行動する。危ないと思って網で捉えると、仲間が心配して次から次へとやってくる。だから絶対手を出しはいけない。
 
昔ミツバチに刺されたことがあった。その痛さは表現しようのないものだった。刺された手はグローブのように腫れ上がり、暫く痛さが引かなかった。昔ロッキード事件の時に、「ハチの一刺し」という言葉が流行った。ハチに刺されると致命傷になるが、ハチはそれで死んでしまうので、命を掛けるという意味だ。だから滅多に攻撃して来ないが、やはり飛んでいると怖いのだ。

スターリンの刺客

いつぞやこのブログで紹介した仏紙ル・ポアンの<今日は何の日>に、8月20日だったか面白い記事が出ていた。それは1940年8月20日は、トロツキーが暗殺された日だという。トロツキーはレーニンの後継者としてスターリンのライバルであった。そのスターリンの刺客によって、亡命先のメキシコで起きた事件だった。

刺客の名前はラモン・メルカデェといって、トロツキーの秘書に取り入り私邸に近づくようになった。計画から2年、舞台はモスクワ、パリ、NY、メキシコと展開した。何度か彼が出入りする内にトロツキーも気を許し、その隙を狙ってアイスピックで頭を突いたという。たまたま暫く前に読んだ斉藤勉著「スターリン秘録」にも、その事件が紹介されていた。犯人は20年服役して釈放され、祖国で英雄視されたという。

スターリンを支えたのは粛清だ。その本で興味深かったのはレーニンとスターリンの確執である。それはスターリンの故郷のグルジアの独立を力で抑えたのはスターリン自身で、レーニンはそれに反対したという。そのグルジア、世界最古のワインの国でもあり、ソ連にあって唯一のキリスト教国である。以前旅行博でもらったパンフには、岩山が続く荒々しい写真が載っていた。スターリンを生んだ風土、いつか見てみたい。