Friday 30 May 2014

3度目の元寇

日中の領有権を巡って連日一触即発の日が続く。何かと話題が中国になることが多い。そんな折り、友人のA君が「3度目の元寇って知っていた?」と言う。

元寇は1200年代、室町・鎌倉幕府時代であった。モンゴル(現在の中国)から日本に攻め寄った船が台風ならぬカミカゼで沈没し、日本は辛うじて救われた事件であった。それも2回あった。ところが調べてみると3回目があったようだ。ただ中国は同じ頃にベトナムとの争いが激化し、3度目の元寇を前に兵を日本海からベトナム沖に振り向けたという。

先日、ベトナム船が中国船に衝突された事件があった。一般的には、ベトナムは小国で中国は大国というイメージだ。しかし専門家によると、ベトナムはアメリカに勝った国、外交にも長けて中々強国という。尖閣で衝突する前に、又ベトナム沖で火蓋が切られるかも知れない。800年を経て同じような状況に成りつつある。

Thursday 29 May 2014

AEDを使い熟す

年配の男性が心臓発作で倒れることが多い。救急車が駆け付けるまで7~8分掛かるという。その空白の時間が命取りになると、AED(Automatic External Defibrillator )がオフィスに配備されている。

試しにやってみると意外と簡単だ。全て機器が自動アナウンスで教えてくれるので、素人でも使いこなせる。ただ機器を付けるまでが肝心で、1分間に100回の人工マッサージが大事だという。AEDは直接肌に付けるので、下着を取り除く鋏や胸毛のある人用にカミソリまでキットの中に入っている。

心臓が止まると1分間に10%の生存可能性が失われるという。つまり10分経てば蘇生が出来ない状態になってしまう。先日ある人が煙草を吸っている最中に倒れたが、近くにいた若い人がAEDを使い一命を取り留めたことがあった。勿論助けた人は表彰されたが、以来自分も咄嗟に出来るのかと不安になっていた。包帯のように使い熟せるようになりたい。

Wednesday 28 May 2014

プミポン国王の容体

タイに戒厳令が出された。微笑みの国、かつて帝国主義の蔓延た最中でも植民地になったことがない珍しい国、今まで赤シャツと黄シャツの衝突が起きても、それは所詮日本の学生運動のようであまり気にする人は居なかった。そんなマイペンライ(ドンマイの意味)の国民性に魅せられている外国人は多い。

ただ今回はちょっと事態が深刻だ。その原因がプミポン国王の容体だ。随分前から健康が優れず表に出なくなった。加えて国民を不安にしているのは後継者問題である。色々あったが、人気の三女は未だに独身、勿論長男は論外としてもまだ国王に取って代わる人が居ない状況に変わりない。それが今回の軍主導の背景になっている。

タイは料理が美味しく女性も綺麗、酒も安く何といっても年中温かい気候はリラックスする。正に日本人からみると天国のような国である。ダラダラと歩く姿は歴史そのもの、その”暖簾に腕押し”のタイ文化が今まで何度も国を救ってきたことか。今回も早く収束するといいのだが・・・。

Tuesday 27 May 2014

ローラン・ギャロスのパトロン

そのローラン・ギャロス、テニス仲間のAさんも遥々日本から観戦に行った。グランドスラムと称して、4代大会観戦の最終戦だ。出発前にいろいろ大会の楽しみ方を授けた。その一つはスポンサー観戦である。大会では定番のスポンサー、例えば車だとプジョー、銀行はBNPパリバ、飲料はぺリエ、中でもワニのマークのラコステは有名だ。彼方此方に立っているコンパニオン(案内係)は、モデル顔負の美女達である。最新のラコステ製ユニフォームに身を包んだ姿は、ローラン・ギャロスのもう一つの華である。

それから観客、別名パトロンと呼ばれる有名人の見物だ。フランス革命の貴族階級(Noblesse)と市民階級(Bourgeoisie)のように、彼らの着ているものから違う。今の貴族は芸能人、政治家、財界人、そして嘗ての名プレーヤーである。正面の席に座り、支給されたお揃いの帽子とネクタイ姿、女性はドレスで着飾っているので直ぐ分かる。庶民としては、憧れのスターを身近に見ることが出来る。

そしてショッピング、会場にはテニスウェアなど記念グッズが沢山ある。取り分け定番のTシャツは毎年デザインが代わる逸品だ。またローラン・ギャロスのある16区はブーローニュの森に隣接する高級住宅地である。いいレストランやブティックが多く、帰りに寄るにはいい場所だ。

Monday 26 May 2014

ローラン・ギャロスの赤土

今年もまたローラン・ギャロスが始まった。初日からフェデラーが登場した。今年からWOWOWの解説を勤める松岡正造さんによれば、フェデラーは現役として残り時間が少なくなってきたという。年齢的なものと、今年生まれた双子で4人の子の世話が理由らしい。その華麗なステップが見れなくなるのは寂しいが、いつか来る引退の日までしっかりと目に焼き付けておこう、そう思って観戦するファンで席を立つ人はいない。

ところでその赤土、日本ではアンツーカーと呼ばれているが、フランス語ではTerre Battueと言う。直訳すれば”砕かれた土”の意味である。全仏オープンは拾っても拾ってもボールが返ってくる、4大大会でも最も過酷な大会と言われている。そのため”砕かれる”のは選手かと思っていた。ところが改めて識者に聞いてみると、それは「原料となる煉瓦を砕いた」語源らしい。

1時間も走り廻れば靴下が真っ赤になってしまう赤土、良く滑るので深いボールでも追い付くことが出来る。だから守りを得意とするプレーヤーには有利なコートだ。新緑の美しいこの季節、強い日差しに映えた赤土が本当に美しい。

Sunday 25 May 2014

プーチンとウクライナ

イギリスのチャールズ皇太子が、「ロシアのプーチンはヒットラーだ」と語ったことが話題になっている。確かに16世紀のイワン雷帝、17世紀のピュートル大帝、そしてレーニンやスターリンなど、ロシアの指導者は皆とても残忍で力で統治した人ばかりだ。特にスターリンは自国民を7百万人も粛清し、今のロシアはその繁栄に上に成り立っている。

プーチンに代表されるロシア人がウクライナをどう思っているのか、先日TVで駐日ウクライナ大使が興味深い話をしていた。それは、「ロシアはそもそもウクライナという国の存在を認めてない、だからウクライナが独自に西側と外交することなんてありえない」ということだ。ウクライナの歴史を紐解けば、独立しようとして結局出来なかった過去がある。だから今でもロシアの庭先だと思っている節がある。事実スターリンが足場を固めたのも1931年のウクライナの飢饉だったし、彼の別荘は冬季オリンピックが披かれたソチにあった。ゴルバジョフが拉致されたのもクリミア半島の別荘・・・とても他国とは思えない地域だ。

ソ連の崩壊でバルト三国を失い、東欧も西側に組み入れられた。そして今回は温暖で豊かなウクライナ、タダでさえも寒い国が益々寒い場所だけの国になって行く・・・そんな被害者意識があるのだろう。だから今回はそう簡単には諦めない気がする。


Saturday 24 May 2014

ゴルフ場のジャケット文化

5月からクールビズ(Coolbiz)が始まった。ネクタイをしないでいいと思うととても爽やかだ。今まで我慢していたことが嘘のようだが、環境大臣だった小池百合子さんが言い出すまではネクタイ文化が絶対だった。国がドレスコードまで決めるのはどうかと思ったが、如何にも日本らしい転換だった。
 
先日、とあるゴルフコンペに参加した。平日だと云うのに、団塊世代を中心に40人以上が参加する大コンペであった。参加者は殆どが顔なじみ、気心の知れた人達だ。いつもラフな格好で集っている仲間だが、ゴルフとなると皆ジャケットで正装してくる。その雰囲気がどこか他人行儀で余所余所しい。
 
そもそもジャケット着用は、着るものが限られていた時代の名残だ。ゴルフは今や大衆スポーツ、ステータスを意識しているのはゴルフ場の支配人位だ。あのゴルフの聖地セント・アンドリュースでも見られない光景が、埼玉の田舎倶楽部で括弧しているのは滑稽である。今やゴルフ場はジーンズで行く時代、陳腐化したジャケット文化がゴルフの爽やかさを邪魔している。
 

Wednesday 21 May 2014

マリリン・モンローとJFK

ル・ポアン誌を読んでいたら、マリリン・モンロー(Marliyn Monroe)の面白い記事が出ていた。それはJFKこと、ケネディー大統領の誕生日に彼女が歌ったあの有名な場面であった。モンローはセクシーに「Happy Birthday, Mister President」と囁くように歌い、喝采を浴びた。

実は当日着たドレスが問題だった。ドレスは12000ドル(現在の4百万円程度)と左程高くなかったが、18人の針子が9日掛けて作ったにも拘わらず、舞台に上がる直前まで出来上がらなかった。彼女はそれを待ちながらドン・ペリニオンのシャンパンを飲みいい気分に浸っていた。やっと出来たかと思うとパンパンで、それもあってか下着無しで着た。そして舞台に上がると、今度はドレスの糸が弾けたという。元々のセクシーが益々妖しげな雰囲気になり、加えてお酒が入った歌声は、こうした下地があったという。

そもそもモンローとJFKの関係はこれ以前から公然と言われ、そのせいか当日もジャクリーヌは会場に来なかった。流石関係者は大統領の身を案じたか、その5日後にモンローに対し関係の終焉を告げたという。それから3か月後に彼女は謎の死を遂げた。自殺、他殺・・謎に包まれているが、JFKも1年後には暗殺され世を去った。今から50年も前の事だが、不思議と華やかな世界に魅かれるのである。

Sunday 18 May 2014

数字に縛られ

ある送別会の席、離職する人が在任中の出来事を数字で振り返った。出張はXX回、内海外出張はXX回、訪れた国がXXカ国、会って名刺を交換した人が何人・・・等々、兎角抽象的になりがちな話が中々リアルであった。

それならばと真似してみることにした。出張、飲み会から始まってテニス、ゴルフなどの回数を、手帳をひっくり返し統計を取ってみた。すると過去の生活が浮かび上がってくる。例えばテニス、仕事が忙しいと回数も減るし、逆に暇だと増える。

ところが数えていると、次第に数字が気になり始めた。楽しいはずの趣味が仕事になっていく、まるで数字に縛られるようだ。数字は独り歩きすると言うが、怖い力を持っている。

Friday 16 May 2014

カッスラーとサンタマリア号

カリブ海でコロンブスが乗っていたサンタマリア号が発見された。金塊の一部が陸揚げされ、これから本格的な探索が始まろうとしている。例によって関係者の利害が交錯し、とん挫していた引揚の目途が付いたようだ。

沈没船の探索と言えば、何といってもクライブ・カッスラー(Clive Cussler)である。海洋小説のベストセラー作家、私のペンネームPittも小説の主人公Dirk Pittから借用させて貰っている。代表作の「沈んだ船を掘り出せ(The Sea Hunters)」は自費で行った南北戦争の戦艦探し、「マンハッタン特急を探せ(Night Probe!)」はNY近郊の沈没船探し、日本海軍の潜水艦も出て来る「極東細菌テロを爆破せよ(Black Wind)」の舞台は太平洋、「コロンブスの呪縛を解け(Serpent)」は大西洋だ。

最初に歴史の一コマを再現してから現代に飛び、そこに渦巻く人々を通し又過去に回帰する手法はまるで映画を見ているようだ。特に遭難の発端となったシーンの再現はとても面白い。加えて主人公のPittは知的で体力があり、ユーモアのセンスに富む理想的な男だ。何といっても女性にモテるのがいい。カッスラー自身、本を書きながら自費で探索を続けている正に海の男である。近年は共著と称する他人の筆に負うところが多いが、未だに自身の単独本には敵わない。

Thursday 15 May 2014

パンに塗る靴クリーム

毎日の楽しみは何といっても晩酌だ。ビールから始まり日本酒、焼酎、ウィスキー・・・、当たり前のように出て来る日本の風土が有難い。でももしもそれが無かったら・・・、佐藤優のソ連体験記「自壊する帝国」に面白い飲み方が紹介されていた。

それはゴルバチョフ時代に反アルコールキャンペーンが出た時だ。食糧品店からウォッカが消えて暫くすると砂糖が無くなり、ジャム・ジュース類が消えたという。勿論密造を始めた為だが、人々はオーディコロンも飲み始めたという。私もポーランドのホテルで間違ってオーディコロンを飲んでしまったことがあるが、劇薬のようで一度口に入れたら消えない凄さがあった。そして靴クリームも街から消えたという。

靴クリームをパンに塗り1日置くとパンに染み込む。するとクリームの部分を捨てて、アルコールになった中身を食べるという技があるらしい。そこまで行くとかなり上級編だが、それまでして酔いたい気も分からないではない。本ではロシア人と付き合うウオッカの飲み方も披露され興味深い。二人で数本空けるのはザラで、アントニオ猪木も登場する。

Tuesday 13 May 2014

ナイジェリアの少女誘拐

ナイジェリアで少女200人が誘拐され暫く経つ。イスラム教によれば、女は家にいて教育を受ける必要はないという。確かに中東の騒動でTVに映し出されるのは男だけだ。女は家から出ないので、人目に晒されない風土だ。

その男尊女卑だが、何もイスラムに限ったことではない。日本でも奥さんのことを家の中と書いて家内と呼んでいるし、そもそも奥さんは(表に出ない)奥にいる人の意味だ。英語ではHouse keeperと呼ぶが、これも家を管理する人である。

ナイジェリアと言えば元英国領、今ではアフリカ経済の旗手だが、今回の事件はその経済の歪が原因のようだ。イスラム教でなくても女性は家に居つくもの、豊かになればそんな懸念がなくなるのに・・・。

Sunday 11 May 2014

ラスベガスのプレスリー

1970年台だったか、アメリカをヒッチハイクで一周した。旅の後半にラスベガスに立ち寄った。グレーハウンドバスの車内では、当時流行っていたマリワナを回し飲みしていた時代だった。

ラスベガスは砂漠に作られたカジノとエンターテイメントの町である。歩くとシーザースパレスでプレスリーのショーをやっていた。お金もないしどうしようかと迷っていると、アメリカ人が親切に案内してくれた。言われるままに切符を買って入ってみたものの、周囲はタキシードにドレス姿の社交場である。ジーンズと汗臭いポロシャツ姿は場違いであった。心細く一人佇んでいると、又別のタキシードの一行がこっちに来いと言う。同じテーブルに座らせてもらい、一緒にショーを楽しむ事が出来た。

噂には聞いていたがプレスリーは流石迫力があった。白いドレスに赤いマフラー、シュトラウスの「ツラトストラはかく語りき」のテーマソングで登場し、若い女性がキャーキャー叫んでいた。それに向かって赤いマフラーを投げ込む姿は格好良かった。ステージ下には、サントリーの宣伝TVにも出たサミー・デービス・ジュニア(Sammy Davis Jr.)も来ていた。以来アメリガ人の鷹揚さに包み込まれ、アメリカが好きになったのである。

Saturday 10 May 2014

ベトナム沖の中国船事件

山崎豊子著の「大地の子」という大作があった。置き去りにされた日本人の子を、中国の人が育ててくれた残留孤児の物語だ。中国は大陸からの邦人引揚者の逃避を黙認し、その上残して行った子供まで育ててくれた。又その後の日中協定では賠償責任を不問にしてくれた。だから日本人は「それらの御恩を決して忘れないで生きて行かなくてはいけない」、長年そう思って来た。

昨今の尖閣諸島問題、領有権を巡る議論でも、過去の歴史認識が何たるや、本質はそんなに複雑ではないと思っていた。中国人の感情を逆なでする出発点が中曽根発言なら、A級戦犯の合祀を取り下げは賛成だ。だから元東条首相の遺族のみが合祀取り下げに反対した時は、戦時中のことと重なって怒りを覚えた。

今週はベトナム沖合でベトナム船が中国船から被害を受けた。尖閣諸島での領海侵犯、先週は商船三井の船舶が戦前からの賠償金として40億円を請求されたり、何か中国が大きく舵を切ってきたように感じる。御恩の気持ちが不思議と変っていくのが怖い。

Friday 9 May 2014

網に掛かる深海魚

異常気象の影響か、日本近海で深海魚が網に掛かるようになった。今まで見たこともない珍魚ならぬ珍獣(モンスター)に、子供ならずとも興味が尽きない。

モンスター騒動で有名なのはネス湖のネッシーである。ネス湖はスコットランド北部の湖、夏でも上着が要る寒々しい地域で、海に近いせいか霧が良く出る。その霧が多くの目撃情報と相まって、ミステリー化した原因でもあった。結局、恐竜らしきものは波だった流木だったようだ。尤もらしく公開された写真も、長らくし近所の人が撮ったオモチャだったことが判明した。

ネッシーが出没してから80年以上も経つが、未だにモンスターを求めて訪れる人が後を絶たない。暫く前だが日本から石原慎太郎氏も潜りに行っている。居ないと分かっても、湖畔を見ていると不思議と恐竜が顔を出す気がする。絶滅したはずの生物がひょっとして生きているかも!深海魚にもそうしたロマンが詰まっている。

Thursday 8 May 2014

オデッサファイル

ウクライナの内乱で、オデッサの町が良く出て来る。オデッサは黒海に面したウクライナ第3の都市だが、ウクライナ人、ロシア人ばかりでなくユダヤ人も多いという。それで思い出したのは、フレドリック・フォーサイスの小説「オデッサファイル(The Odessa File)」である。「オデッサ」は旧ナチの逃亡を支援する組織であり、オデッサファイルはその逃亡者名簿である。

どうしてオデッサと呼ばれるのか定かでないが、黒海から南米他に繋がるナチの逃亡ルートの拠点だったのか、将又それを取り締まるモサドがオデッサにあったのか、興味は尽きない。

小説のモデルになった収容所の所長ロシュマンは、リガ(今のラトビアの首都)の所長を務めた実在人物だそうだ。いつぞやリガ近郊を車で走っていたところ、田舎に一台の貨物列車が陳列されていた。立ち寄ると、ユダヤ人を内陸に輸送したものだった。あまりの僻地で人影もなく、貨物車から当時の人が降りてきそうで怖かった。

Wednesday 7 May 2014

拙速を持って尊ぶ

4月は新入社員の季節、そろそろ一か月が過ぎる頃だ。学校を出て社会に入り毎日が新鮮な日々である。本人も沙流ことながら、それを見つめる周囲も、過ぎし日の自分と重ね合わせている。要領のいい奴悪い奴、在りし日の風景はとても懐かしい。

かく言う私も新調した背広に身を包んで出陣した。何処からか貰ったネクタイにComtesseのイニシャルがあった。その意味を知る由もなかったが、マンツーマンのIさんからすかさず「伯爵夫人ですね」と言われた。Iさんはフランス帰りのスマートな人、仕草に全くそつが無かった。そして出来ようが出来まいが、何事も直ぐに手を付けるということが大切と教えてくれた。二言目には「拙速を持って尊ぶとする」がモットーの人だった。

見ていると腕まくりし、難解な文章をいとも簡単に仕上げてしまう。真似しようと思っても、自分にはそうはいかない、そのギャップに唖然としてものだった。それを思い出すと、今の新人の方がよっぽどしっかりしている気がする。

Tuesday 6 May 2014

ワトソンのゴルフ人生

すっかり読まなくなった日経新聞だが、久しぶりに目を通してみると「私の履歴書」にゴルフのトム・ワトソンが出ていた。ワトソンはアメリカ屈指のゴルファーであり、絶やさぬ笑顔は氏の人格が伝わって来る、私もファンの一人だ。

その彼のスタンフォード大学に入った理由が、単にゴルフをやりたかったからだと言う。日本的には体育会である。彼はそこで腕を磨き、ある時父親に「ゴルフを職業にしたい」と切り出しそうだ。私はそれを聞いてとても親近感を持った。大学で好きな事に没頭するのはいいことだし、ましてスポーツエリートなら尚更だ。学業も疎かにすれば卒業出来ないので、必然的に後から付いてくるから心配ない。

もう一度大学に入り直せたらと言われても尻込みしてしまう。ただ、スポーツで学生時代に秀でれば、その後の人生がどんなに変わって来るかとも思ってしまう。亡くなったが早稲田でラグビーをやった宿沢選手や、慶応からユニクロ社長になった玉塚選手は典型だ。若くして才能に恵まれ、その後の精進で栄光を掴み、人生を振り返ろうとしてる・・・そんなワトソン選手が羨ましい。