Wednesday 29 November 2017

近くて遠い国

中公新書の物語シリーズは、通史をコンパクトに纏めたいいシリーズだと思っている。カミカゼ読書家にはとても便利だ。ただ長い歴史を物語風に仕上げるのは容易ではない。豊かな経験がないと年表になってしまう帰来がある。特に著者の多くはその道の専門家で学者が多い。だからからかも知れないが、ややもすればカタカナ名ばかり登場して、ちっとも面白くない。いい例が最近出た「物語フィンランドの歴史」と「物語ポーランドの歴史」である。どちらも先生が一生懸命調べて書いた跡が滲み出ているが、それは教科書みたいで味気がない。

その点、外交官が書いた本は違う。極めつけは、以前にも紹介したが元ウクライナ大使の黒川祐次氏の「物語ウクライナの歴史」である。知識人の豊かな経験が伝わってくるようであった。また中公新書ではないが、現在は最高裁判事になっている元英国大使の林景一氏のアイルランドの本もいい。そしてちょっと古いが、長坂覚というペンネームで書いた「隣の国で考えたこと」は一級品だと思う。

著者は元タイ大使の故岡崎冬彦氏である。40年前に書かれた本を改めて読んでみたが、その問題意識は今と変わらないことに驚いた。そして何より一筆書きしたような痛快さがある。中々頭のいい人でないと出来ない芸当だと思った。今朝はまた北のミサイル発射が行われた。この冬はそんな近くて遠い国を少し深堀して見たくなった。

Tuesday 28 November 2017

北の2重スパイ

その板門店の越境事件は、30秒近い映像が再現されリアルだった。国境に向かってフルスピードで走るジープと兵士の銃撃など、まるで映画のシーンを見ているようであった。そんな矢先、本棚から朝日新聞特派員が40年以上前に書いた「韓国・光と闇」を取り出して読んでみた。するとそこには意外な事が書いてあった。

それは19673月の話だが、やはり板門店で起きた事件であった。国連軍と称する米軍将校が休戦委員会に出席し帰る時、北の朝鮮中央通信の記者が突然車に滑り込んできた。咄嗟に亡命と思った米軍の車は急発進して現場を離れた。後ろからは、北の兵士が銃撃してきたが、不思議と一発も車に当らなかった。亡命に成功した記者の名前は李穂根(イ・スグン)と言って、韓国で手厚く保護されそして結婚した。しかし暫くして2重スパイの嫌疑が発覚した。逃亡先で保護され、脱北から2年後に処刑されたという。遺族は濡れ衣だと訴訟をしていたようだが、何が本当だったのか闇の中である。

そんな事もあって、ひょっとして今回の亡命もひょっとして北のスパイなのだろうか?と勘繰った。確かにいくつもの検問を容易にすり抜けたことや、銃撃されたが急所を外れ生き延びたのは不自然だ。何が本当で何がフェイクなのか、余所者には分かり難い。ただ我々が考える位だから、今頃ソウルでは大変な事になっているのだろう、と思ってしまう。

Thursday 23 November 2017

ムラジッチの終身刑

今日の新聞に、ハーグの国際法廷でムラジッチに終身刑が言い渡されたと報道があった。その罪はジェノサイド(集団殺害)であった。殆どの人には関係のない事件だったが、その現場になったスレブニッツァに今年、わざわざ足を運んだ関係で記事に目が止まった。

事件は1995年に起きた。元々の発端はユーゴスラビアの解体だった。チトー(大統領)が亡くなってからそれは加速した。そんな中で、殆ど最後になって独立宣言したのがボツニア・ヘルツゴビナでそれは1992年だった。一方ユーゴスラビアの中核はセルビア共和国であった。そのため、セルビア人から見れば、各地が分離していく歯がゆさがあった。そして事件の起きたスレブニッツァは、そのセルビアとボツニア・ヘルツゴビナの国境線で山一つ隔てた盆地であった。国境と言っても昨日まで何も無かった場所で、セルビア人からすると自分の土地の感覚すらあった。

追われて殺されたのはイスラム系のボシュニック人であった。そこから山沿いに1時間車を走らすとサラエボの町である。未だに中東の雰囲気が残る、正にイスラム文化一杯の町である。当時、難を逃れたイスラム人が集まったのがそのスレブニッツァの村であった。

虐殺は一夜にして起きた訳では無かった。国連軍のオランダ兵も仲裁に入り、結構睨み合いが続きそれは2年にも渡った。今ではYouTubeに画像も公開されているので、その間ののんびりした雰囲気は伝わって来る。しかしある日、堰を切ったようにせるせるセルビア軍が越境し、村人その数8000人超を殺戮した。それは起きるべくして起きた気もする。今年訪れると新たな墓地が出来ていたが、あれから20年以上経っているのに、廃墟になった工場跡に置かれていたカラの棺に寄り添うイスラム女性の姿が印象的だった。

かつての王国セルビアは、その後西側から孤立しNATOの空爆の対象にもなった。今では海岸線を持たない山だけに囲まれた国になってしまった。元々豊かなスロベニアに加え、クロアチアやモンテネグロが観光で財を成す中、セルビアは取り残されてしまった。ジェノサイトと言うと被害者だけに焦点が当たるが、領地を取られた意味でセルビア人もまた被害者であった。テニスのジョコビッチ選手の頑張りを見ていると、その気持ちが少し分かるような気がするのである。

Sunday 19 November 2017

40年前の板門店

板門店で事件が起きた。北朝鮮の兵士が国境を越えようとして銃弾を浴びた。何とか成功したようだが、改めて戦時中の両国を見るようだった。板門店を訪れたのは1970年代だっただろうか、あれから40年以上が経つが風景は全く変わっていない。

板門店ツアーに参加するには、ソウルで外国人登録しなくてはならない。数日後にツアーに参加できるが、バスで朝から移動する一日仕事であった。参加した日は寒い冬の日であった。乾燥していて、ハンカチーフで覆面しなければならな程、風が痛かった。そして38度線に近づき緩衝地帯に入ると、対岸から北のプロパガンダの音声が流れてきた。勿論韓国語なので分からないが、何やら「北の村の生活がいいから来ないか?」という意味だという。そして板門店に着くと、写真で見た通り、目と鼻の先には北の兵士が立っていた。交渉の舞台になったバラックを見た後、バスは国境の橋の袂を廻って帰って来る。正に帰らざる河で、仮に飛び降りて橋を渡れば一生帰ってこれない世界で、その緊張感は観光を超えて迫力があった。

それにしても、今回写真で見た建物は少しモダンになったが、基本的には昔のままである。実はそのツアーで一番印象に残ったのは、途中の昼食で寄った米軍基地のハンバーガーであった。何との美味いそのアメリカンビーフは天国に思えた。何やかんや言っても、誰もが西側の自由な生活を欲している現実は今も昔も同じだと思う。

Saturday 18 November 2017

ジンバブエの少女

最近ジンバブエでクーデターがあった。37年間も独裁していたムガべ大統領が失脚したらしい。勿論そんな国に行った事はなく遠い世界の話であるが、実はちょっとした縁がある。

若い頃に途上国支援に興味があった関係で、フォスタープランに協賛していた。毎月2000円か3000円かを寄付し、途上国の恵まれない子供の里親になる制度である。申し込むと暫くして「貴方の子供です!」という連絡があった。それがジンバブエだった。確か15歳の少女で父親が姿を消して経済的に困っていた。そこには英語に翻訳した本人の手紙と写真が添えてあった。支援したのは23年だっただろうか、いつの間にか途絶えてしまった。正直あまり支援しているという実感はなかったからだ。

もう一つは、映画「ワイルドギース」である。こちらの方がより身近だが、今の大統領が誕生する前のローデシア(ジンバブエの前身)で、英国の特殊部隊が隔離されていた主導者を救出する物語である。リチャード・バートンや007のロジャー・ムーアが出ていて、何度見ても飽きない映画である。当時も貧しく治安が悪かったが、40年以上経った今でも一人当たりGDPは$2000というから、当時の毎月2000円($20)は凄い金額だった訳だ。ひょんな事でそんな事を思い出した。

Wednesday 15 November 2017

ステンガンとM16

アメリカで又銃の乱射事件があった。暫く前にラスベガスで大きな事件があったばかりだった。アメリカに住んだことがないので何とも言えないが、様々な人種と貧富の格差があるので自身を守る銃がやはり必要なのだろうか?確かにある日から丸腰になれば、江戸末期の刀狩でないが、寒々しいものがあることは想像できる。だからと言ってこのまま放置すれば、事件は後を絶たない。

その銃だが、今まで2回撃ったことがある。一度はワシントンDCのペンタゴンの地下である。射撃練習場みたいな施設があって、おカネを払えば試射出来た。確かコルトみたいな拳銃だったが、物凄い音と衝撃を覚えている。もう1回はベトナムである。アメリカ軍が残して行った武器を観光客向けに使わせる施設だった。中にはバズーカ砲や戦車の重機銃もあったが、試射したのは英軍が第二次大戦の時に使ったステンガンという軽機関銃と、米軍がベトナム戦争で使ったM16というカービン銃である。

ステンガンは弾倉が横に付いていて、発射音がタッタッタと静かなのが特徴である。一方M16は単射でも連射でも可能で、200m位先の的に真っ直ぐ飛んでいった。どちらもまるで曳光弾のようで、弾って目で追えるんだ!とその時思った。

テキサスを2週間掛けて廻った時、銃の看板があった。銃が正当化されている地域の印かと思って写真に収めたが、こちらはテキサス独立の観光ルートの意味だったようだ。それにしても辺りは未だに西部開拓史の時のような砂漠が続く荒野である。アメリカはまだそんな人気のない場所が多い。これを規制しろと言っても、田舎は中々難しい気がする。

Tuesday 14 November 2017

乳母車の子供

暫く前に、仕事の補助をしてくれた女性がいた。広島の田舎から出て来た若奥さんのIさんだった。テキパキと仕事を熟し、眼識が良かったのか、普段気が付かない処に目が届く人だった。暫くして、「あれ?大分体形が変わって来たな?」と思ったら、案の定お目出たという。そうこうしている内に、お腹の方はどんどん大きくなり、遂に出産の2カ月前に退職した。

そのIさんだが、その後無事に出産して先日子供を連れやってきた。まだ5カ月だというのに大きな男の子で、お母さんに目元が良く似ていた。その日は同僚と昼食を共にし、遅ればせながらのお祝いをした。退職してから半年ちょっとだというのに、先方は子供を生んで育児に四苦八苦している。それに比べ、こちらは相変わらず毎日酒ばかり飲んでいる。改めて月日の経つ重さを感じたりした。

そのIさんから帰り際、乳母車から子供を抱き上げて渡された。思いもしないハプニングにしばしたじろぎ、落としはしないかと慣れない事に怖くなった。でも何でそんな事になったのだろう?多分女性として、頑張ったというメッセージを伝えたかったのではないか?と後で思ったりした。一期一会というが、こんな出会いもあった。

Monday 13 November 2017

チョンの優勝

テレビというと、殆どテニスしか見ない。幸い一年中、WOWOWとGAORAで世界のトーナメントを放映しているからだ。見る方も大変だが、選手もいくら仕事とはいえ、狭いコートで連日ボールを打ち合っている姿に少し同情してしまう。

そのテニスだが今年も漸く終わりになってきた。ロンドンでファイナルと称するトップ8の戦いが始まった。昨年まで常連だったジョコビッチ、マレーそして錦織選手の姿はなく、新たにパリグラプリで滑り込んだソックスや小柄ながら頑張ったベルギーのゴファンなど、新顔が多いのが今年の特徴だ。そんな中で今年のランキングトップになったナダルや、36歳のフェデラーが入っているから驚きだ。どちらも休養して返り咲いたから、やはり適度な調整がいいのだろうか?

世代交代が中々進まないことを懸念してか、先週ローマで21歳以下の次世代トーナメントが初めて披かれた。ルールは4ゲーム先取のノーアド方式、レットもなければジャッジは全て機械である。時間と手間を省いた運営は中々評判のようだった。優勝は韓国のチョン、暫く前から見ていて実力があり納得の行く結果だと思った。

ところでロンドンファイナルのスポンサーは、今年から日東工業が付いた。LEDで世界を制覇した四国の会社だ。一昔前なら考えられないことがテニス界で始まっている。

Thursday 9 November 2017

消えない記憶

昨今はAI(人工知能)の話題で持ち切りだ。明日の労働を担う救世主のような論評が多いが、正直良く分からない。そんな矢先、遂に死んでから生き続けるAI技術が開発されたという。それは脳の信号を読み取る「機能的磁気共鳴画像法」とかいう機能で、生前個人の記憶を記憶させておけば、死後もそのデータを使って同じような会話が出来ると言う。勿論その時には本人はこの世にいなので、ロボットが代替するが、改めて色々な事を考える人がいるものだと思った。

暫く前だったか、ある病気に掛かると、人は消えるはずの記憶が消えない事を知った。普通の人であれば時間と共に記憶は薄らいで、段々遠い昔の事になって行く。ただその病気に掛かると、新しい体験が古い記憶を上塗りする機能がなくなり、古い思いがずっと残ってしまう。特にトラウマになった嫌な記憶程、鮮明に残るらしい。ヒトはそもそも嫌な事を忘れて、僅かな楽しいことだけを大事にするから生きて行けるのに、それはあんまり残酷である。その時、一生過去のトラウマと決別できない人の気持に思いを寄せた。

そんな人間の摂理に反する開発が進んでいるのはナンセンスである。科学は人の幸せのためにあるのに、全くそれと逆行している。やっている人は、その事に気が付かないのだろうか?

Tuesday 7 November 2017

竹島の海老

あれは森友事件の頃だったか?、テレビの解説者が「安倍さんと籠池さんは飲んできた水が違うんですよ!」とコメントしていた。それは初めて聞く言葉でとても印象に残った。正直そういう表現があるの?と、そのジャーナリストに敬意を表したが、竹を割ったような一語に霧が晴れた気がした。

その安倍さんだが、今回のゴルフ外交は彼らしい演出で良かったと思う。一度は行ってみたい霞が関CC、ハンバーガーで迎えて時差解消に軽くラウンドする、そのパーフォーマンスは中々出来るものではない。強いて言えば9ホールは中途半端だった。肩の力が抜けてアドレナリンが出て来るのが後半9ホールだからだ。トランプさんは自身が所有するコースを沢山持っているが、多分日本でゴルフをやるのは初めてではないか?日本のゴルフ場の微に入り細に入る整備魂を感じて頂いただろうか?

ゴルフはトランプさんの言う通り、仕事をするよりよっぽど相手が分かるスポーツである。パットを外すと大きなジェスチャーで残念がる人は多くが初心者である。逆に同伴者の110%のショットを見抜いてエールを送る人は練度が高い人である。ゴルフは嫉妬や他人の詮索など、人の本性が出るスポーツだ。そのためもう一度廻ってもいいかな?と思える人は5人に1人位だ。安倍さんとトランプさんもそういう関係になって欲しいが、所詮人の世界、本性がぶつかると何が起きるか分からない。そのトランプさんは今日隣国の韓国に移った。そこの晩さん会は竹島の海老と元慰安婦だったと聞いて驚いた。気持ち悪くなるプロトコールだし、それは正に飲んでいる水が違う人がやる事だった。折角、ゴルフで高揚したのが汚された気分になった。

Thursday 2 November 2017

トランプ大統領の来日

この日曜日にトランプ大統領が初来日する。日本では霞が関CCでゴルフも予定されているらしい。火曜日には離日し、韓国と中国を廻って一週間で帰国する。政府は暫く前から韓国への渡航を自粛するよう呼び掛けていた。またここに来て、韓国に行く際は宿泊ホテルまで届けるように通達が出されたので不気味なものを感じる。

そう言えば衆議院選挙も、それを意識して10月に行った。アメリカから先制攻撃することはないだろうが、北朝鮮が太平洋で核実験を行うとかICBMを撃った場合、それが引き金になって報復が始まる可能性は十分だ。それがかなり現実的になってきた。

もしも戦争が始まるとどうなるか?まず物流が滞るのでモノ不足なり物価が上がるだろう。当然株価は下落し金利は上がる。戦費を調達するため臨時国債が発行され、大口預金の引き出し凍結、年金カットなどがあるかも知れない。迎撃用のミサイルの基地、難民用のキャンプ地が必要だから、ゴルフ場や公共施設などの転用があったり。昭和天皇が亡くなった時に、政府から経団連を通じて企業に通達が出されたように、何かが突然降って来るかも知れない。勿論そんな事はない方がいいが、一度始まると大変だ。せめてこの週末はトイレットペーパーでも買い溜めしようかと思う。

Wednesday 1 November 2017

JFKの公開文書

JFKことケネディー大統領の暗殺を調査した文書が公開されるという。死後50年が経ち待った戒があった。JFKが身近になったのは、ダラスの狙撃現場を訪れたからだ。アメリカが凄いのは、オズワルドが狙撃したとされるビルや辺り一帯が未だに保存されていることだ。ビルの中の展示場には、CIA,カストロ、軍事産業、マフィアなどの犯人説を事細かにパネル化している。それまであまり関心がなかった人でも、自ずと謎解きに参加したくなってしまう。

極め付きはオズワルドが狙撃した窓である。そこから彼になった気分で200m程下の道路を見下ろすと、かなり遠いことが分かる。今では木の葉が邪魔してとても狙えない。狙撃された道路の地点には×印が打ってある。ケビン・コスナー主演の映画「JFK」では魔法の弾道を取り上げている。つまりオズワルドが撃ったなら、ありえない軌跡を辿っていることになる。そこで浮かび上がるのは、すぐ近くにあるノールヒルと呼ばれる小高い場所である。そこから白い白煙が上がったと目撃情報はあったが、不思議と近くにいた人はその後謎の死を遂げている。

それにしても誰が何の為に・・・?私のみならず生きている内にその真実を知りたい、そう思っている人は多いと思う。あれから多くの人の人生も変わった。ジャクリーヌはギリシャの富豪オナシスと再婚したが死ぬまで表舞台には立つことはなかった。JFKの弟のロバートも暗殺され、三男のエドワードは飲酒運転の事故で同乗者を亡くした。血に染まったシャネルのドレスのまま、ジョンソン副大統領の宣誓に立ち合ったジャクリーヌの目は、「やったのは貴方!」だった。その後、ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカは荒廃していった。