Thursday 23 November 2017

ムラジッチの終身刑

今日の新聞に、ハーグの国際法廷でムラジッチに終身刑が言い渡されたと報道があった。その罪はジェノサイド(集団殺害)であった。殆どの人には関係のない事件だったが、その現場になったスレブニッツァに今年、わざわざ足を運んだ関係で記事に目が止まった。

事件は1995年に起きた。元々の発端はユーゴスラビアの解体だった。チトー(大統領)が亡くなってからそれは加速した。そんな中で、殆ど最後になって独立宣言したのがボツニア・ヘルツゴビナでそれは1992年だった。一方ユーゴスラビアの中核はセルビア共和国であった。そのため、セルビア人から見れば、各地が分離していく歯がゆさがあった。そして事件の起きたスレブニッツァは、そのセルビアとボツニア・ヘルツゴビナの国境線で山一つ隔てた盆地であった。国境と言っても昨日まで何も無かった場所で、セルビア人からすると自分の土地の感覚すらあった。

追われて殺されたのはイスラム系のボシュニック人であった。そこから山沿いに1時間車を走らすとサラエボの町である。未だに中東の雰囲気が残る、正にイスラム文化一杯の町である。当時、難を逃れたイスラム人が集まったのがそのスレブニッツァの村であった。

虐殺は一夜にして起きた訳では無かった。国連軍のオランダ兵も仲裁に入り、結構睨み合いが続きそれは2年にも渡った。今ではYouTubeに画像も公開されているので、その間ののんびりした雰囲気は伝わって来る。しかしある日、堰を切ったようにせるせるセルビア軍が越境し、村人その数8000人超を殺戮した。それは起きるべくして起きた気もする。今年訪れると新たな墓地が出来ていたが、あれから20年以上経っているのに、廃墟になった工場跡に置かれていたカラの棺に寄り添うイスラム女性の姿が印象的だった。

かつての王国セルビアは、その後西側から孤立しNATOの空爆の対象にもなった。今では海岸線を持たない山だけに囲まれた国になってしまった。元々豊かなスロベニアに加え、クロアチアやモンテネグロが観光で財を成す中、セルビアは取り残されてしまった。ジェノサイトと言うと被害者だけに焦点が当たるが、領地を取られた意味でセルビア人もまた被害者であった。テニスのジョコビッチ選手の頑張りを見ていると、その気持ちが少し分かるような気がするのである。

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