Saturday, 12 September 2026

遠山の金さんの時代

長英末期の物語は、色々思う処が多った。その一つが逮捕の切っ掛けである。探索に業を煮やした奉行は、彼を知る囚人を仮釈放して探させた。顔を変えて潜伏していた長英だったが、彼の発した「お頭!」の一言に反応してしまった。教訓としては、「怪しい処で知り合った人には、特に用心が要る」である。

二つ目は江戸の戒律である。彼は死亡の後に斬首され、乞食に運ばせた遺体は鳥葬に伏された。家族や支援者も連座させられた。中でも心を打たれたのが12歳の娘であった。遊郭に売られ、その遊郭も江戸の大火災に遭った。たった170年前だが、人々は死と隣り合わせ住んでいた。

三つ目がその逮捕に至った経緯である。南奉行の鳥居耀蔵という男が開国派を粛清し、長英もその巻き沿いを食った。北奉行の「遠山の金さん」こと金四郎が庶民の味方なら、鳥居は反対に悪代官だった。ただその鳥居も上が代わると失脚し最後は軟禁された。結果論だが、長英は脱獄せずに待っていたら自由を得られたかも知れない。

四つ目は岡っ引きである。江戸時代は今と違って防犯カメラがある訳ではない。その代わりに全国津々浦々まで、逃亡犯の似顔絵は行き渡っていた。その情報提供を行うのが岡っ引きであった。普段は普通の生活をしているから、ひと昔前なら忍者である。江戸はこうした密告で治安が保たれていた。

最後は寿命の話である。長英の逃亡は江戸から直江津を経て福島、米沢と続き、又江戸に戻り四国の宇和島を往復した。船も使ったがその殆どが徒歩だった。その距離にはビックリするが、街道は山道だから野宿もするし食べ物にも窮しただろう。肖像画を見る限り、彼は殆ど老人だが御年46歳だった。あんな生活をしていれば、寿命が短かかったのは当然だ。

Friday, 11 September 2026

高野長英と八ッ場ダム

吉村昭の「長英逃亡」を読んでいると、今でも身近に逃亡経路が残っている事が分かった。その一つが群馬県の中之条市の沢渡だった。雨で道路が心配されたが、早速行ってみることにした。

長英こと高野長英は江戸末期の蘭学者である。鎖国の批判本を書いた罪で投獄されるのだが、6年後に脱走に成功する。目指すは故郷の水沢(今の岩手県)だった。ただ追手の目もあったので、群馬や越後を迂回する事にした。その時通った一つが、嘗ての蘭学仲間がいた中之条の沢渡であった。


沢渡は鄙びた温泉町である。20年ほど間に一度訪れたが、殆ど変わってなかった。早速共同浴場でひと風呂浴び、馬鈴薯が入っているという長英蕎麦を味わった。蕎麦屋の裏手に高橋景作の墓碑があったので手を合わせた。彼は長英を匿った蘭学仲間の医者だった。

もしもその事が分かれば命は危ないし、家族も巻き添えになる。それを承知の上で、全国に散らばる多くの蘭学ネットワーク有志が彼を助けた。長英の人望も沙流ことながら、改めてその志の高さや鎖国への危機感が伝わってきた。

久しぶりに訪れた吾妻渓谷であった。八ッ場ダムが完成して立派な道路が出来ていた。巨大なダムは不便な地形を一変させ、水上バスも走る観光地になっていた。

思い出したのは、民主党の前原さんだった。彼は国交大臣になるとダムの差し止めを叫んだ。そのせいで工事が2年遅れたようだが、何故そんな事を言い出したのだろうか?今どう思っているのか、聞いてみたくなった。

Monday, 7 September 2026

子供時代の暗い過去

 東野圭吾の「悪意」は、名を馳せた作家を成功しなかった作家が殺す話である。二人は子供の頃からの知り合いであった。加害者の動機は、その子供時代の悪事を知る同僚の抹殺であった。その動機を隠すために、別のシナリオを組み立てて殺すといった、込み入ったストーリーであった。話としては面白いかも知れないが、捕まる事を前提に犯罪を犯す人なんていない。


この手の代表作は、何と言っても松本清張の「砂の器」だろう。物語は大成した音楽家の処に、自身を育ててくれた恩人との再会から始まる。しかし彼にとっては、今の輝かしい経歴に暗い過去は似合わないし、ましてそれを一から知る人は邪魔である。そこで殺人まで犯してしまうが、刑事が二人の繋がりを発見する件が面白い。

確かに都合の悪い過去を、他人が覚えているのは気持ちいいものではない。特にその人が大成し、社会的な地位を築けば築くほど、それは恐怖へと変わっていく。

まだ小学校に入るか入らないかの頃だった。よく家に子供たちが遊びに来た。ただ彼らが帰ると、引き出しに仕舞っておいたチョコレートがなくなっていた。それは何度か続き、そのうち犯人はK君だと分かった。

もしもそのK君が大人になって代議士か大会社の社長さんになって再会したらどうだろう?殺されることはないだろうが、訳もなく疎遠にされるのは容易に想像できる。

Sunday, 6 September 2026

富士山の女医さん

 TVを観ていたら、富士山の診療所の特集をやっていた。八合目にある無料診療所で、高山病などで多くの登山者が訪れていた。それをヒマラヤ登山の経験もある女医さんが対応していた。

彼女は急変を訴える患者に対し、「下山を勧めるのは簡単だが、何とか山頂を目指す気持ちに寄り添う」と言っていた。その前向きな治療は、同じクライマーだから分かる事かも知れないが、とても頼もしい医者だった。

登山者の多くはインバウンドで来る外国人である。昔新宿を歩いていると、外人から「登山用具を売っている店を知らないか?」と聞かれた。その人はやはり富士山に登るそうで、来日してから準備に入ったようだ。

そんな人たちが、八合目まで来て引き返すのは余程の無念だろう。大怪我をしたり、体力が消耗して担架で運ばれる人なら仕方ない。でも多少の頭痛だったら、我慢して頂上を目指すのは理に叶っている。そんな気持ちを察して、登はんを後押しする人の存在は大きい。

尤も引き返すのが理に叶っている事がもある。それは道を間違えた時である。来た道を戻るのは、下山して又昇るから体力を2倍使うことになる。だから誰もが躊躇するのだが、その勇気が事故を防ぐきっかけになる。

山登りは最近すっかりご無沙汰してしまった。このままだと富士山にもご縁のないまま終わってしまいそうだ。

Wednesday, 2 September 2026

東野圭吾にチャレンジ

 暫く前に東野圭吾さんが亡くなった。若い人なら誰もがファンの人気作家だった。売り上げだけでも、一億冊を超えているというから驚きである。

ただ最近の作家は軽くて薄い先入観がある。「どうせ読んでもガッカリするのがオチだろう!」と思っているから手にしない。でも世間の評価も気になったので、これを契機に片っ端から読み始めた。やはりその感はいがめない。

「容疑者Xの献身」は数学教師の偽装殺人である。好きな女の為に身代わりになる話で、事件後に第二の本当の殺人まで犯してしまう。直木賞も取った作品らしいが、普通なら女が事件を犯した時点で自首を勧めるのが定石だと思った。

「秘密」もそうだ。交通事故で亡くなった妻が生き残った娘の中に宿り、成人するまで夫と3人で生活する物語である。心温まる話だったが、やがて事故を起こした運転手の妻やその息子との交友が始まる。スウェーデンシンドロームではないが、被害者が加害者遺族に寄り添うなんてあるのだろうか?

「ダイイングアイ(Dying Eye)」は交通事故を起こしたひき逃げ犯二人が、カネと社会的地位と交換に身代わり犯になる話である。最後は死んだ被害者の怨念で事件は明るみに出るのだが、普通は警察の実況見分や事情聴取の過程でバレそうなものである。

「夜明けの街で」は中年男が不倫する話である。中年の妻子持ちが女にアプローチされれば、「変だな?」と思うのが常である。それをズルズルと利用され、女の事件のわき役に使われる。結局他殺でなく自殺だったり、中年女が自身にナイフで突き刺すなんて出来るのだろうか?

「変身」は脳移植された男が、ドナーの性格に変身して行く話である。その過程で殺人までしてしまうのだが、これはジェイソン・ボーンからヒントを得たのだろうか?

ただ「悪意」は良かった。有名作家になった男が、やはり作家の元同級生に殺害される事件である。加害者はその犯行の筋書きを作るのだが、それは本当の動機を隠すためであった。彼は中学時代に不良仲間に入って悪行を働いた心の闇があった。その闇を消すのは分かるが、果たして他人まで消す動機になるのだろうか?

「探偵ガリレオ」シリーズもあった。殺人はプラズマ、衝動波、超音波、ナトリウム、ネオジウム磁石など、理科系のトリックで行われる。福山正治のドラマは面白いかも知れないが、そんな専門知識を使えばすぐにバレそうなものである。

こんなケチばかり付けていると若い人に嫌われる。それを承知でもう少し頑張ってみたい。ここまでやっと10冊ちょっと、全部で100冊もあるというので先は長い。

Monday, 31 August 2026

セルビアの突出部(バルジ)

セルビアのムラディッチ元軍司令官が死亡したニュースがあった。Butcher of Bosnia(ボスニアの虐殺者)と呼ばれた男は、90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、ジェノサイト(民族浄化)の主犯だった。その記事をみて、旅の記憶が次第に蘇ってきた。

あれは10年ほど前だったか、舞台になったスレブレニツァ(Srebrenica)の町を訪れた。サラエボの町を出る時、ヒッチハイカーのフランス人カップルを乗せた。彼らはセルビアの首都ベオグラードに行くという。途中で下したがそんな位置関係の場所だった。

着くとそこはアーリントンのように一面、真新しい墓標が並んでいた。8000本以上はあっただろうか、1995年にセルビア人によって殺害されたボスニア人が眠っていた。まだ事件が起きて20年しか経ってないから、遺体を回収した倉庫も生々しかった。

それにしても何故、このような場所で大量殺戮があったのか?その時は考える余裕もなかった。ただこうして時間が経ち、改めてその場所や地形を見ると次第に様子が分かってきた。

そこはドリナ川を隔てセルビア国境まで20㎞の町だった。事件の背景にはユーゴスラビアが解体して、アルメニアとクロアチアが独立し、セルビアも領土を確定しようと焦っていた時期だった。

ただ突然昔の国境が現れても、困るのは住民だった。その一つがボスニア・ヘルツェゴビナの東部に住むセルビア人だった。彼らを排斥しようと紛争が起き、1200人が殺害される事件が起きた。

それから3年後、今度は逆にそのセルビア人を保護しようと、セルビア軍(正確にはセルビア人によるローカル軍)がボスニア人の排斥に乗り出した。ひょっとして先の報復もあったのかも知れない。それがジェノサイトの始まりだった。

住民の構図はウクライナのクリミアやドネツクに似ている。その8割はロシア人である。ロシアはその同胞を保護する名目で侵攻した。

場所は明らかにボスニア・ヘルツェゴビナ領内であった。ただ今回地図を見て分かったのは、そこはセルビアがボスニア・ヘルツェゴビナ側に半島のように突出した特殊な場所だった。言わばベルギーのバストーニュのようなバルジだった。その複雑な地形が越境に影響したのは容易に想像できる。

スレブレニツァの墓地を見て、次の目的地である世界遺産のドリナ橋に行こうとした時だった。直線距離だと1時間位かと思って山道に入ろうとすると、「この先は危ないから迂回しろ!」と止められた。来た道を戻って遠回りしたのだが、今になって分かったのは、直進すればそのバルジのセルビア領を通る事になった。地雷もまだ残っているし、セルビアから果たしてボスニア・ヘルツェゴビナに戻れたかも分からない。

ボスニア人はイスラム教、セルビア人は正教徒、ヘルツェゴビナはキリスト教である。バルカン半島では、この三つ巴の構図が微妙なバランスを保っている。

Saturday, 29 August 2026

イランのコネ社会

 全米オープンテニスを前に、フェデラー選手を迎えたイベントが催された。久々に見る彼の雄姿と、現役時代と変わらないプレーに多くの人が酔った。

シングルスはロディックと、ダブルスはマッケンローとアガシを交えて行われた。いずれも全米選手権に名を刻む優勝者で、その演出はとても豪華だった。当時を彷彿とさせるプレーを見て、ファンも元気を貰っているのが伝わってきた。

ところでそのアガシ選手だが、強力なフォアハンドを武器に全米では2回のタイトルを取った。プライベートでも華やかで、ブルック・シールズと別れたかと思ったら、今度はグラフ選手と結婚した。今では2人のお子さんに恵まれ、幸せに暮らしているようだ。


処で彼の父親はボクサーで、イランからの移民である。アガシ自身はアメリカで生まれている。そんなイラン系がアメリカでは75万人いるようだが、先日のW杯で大勢の抗議デモの人が会場に押し寄せて問題になった。

彼らは自国の選手を応援するのでなく、現政権の出先として逆に非難していた。パーレビ時代の国旗を振って抗議する姿に、同じイラン人が二分されたようで複雑な思いで見ていた。

「イランの地下世界」の著者若宮氏のよれば、イランはコネ社会で、コネのない人は賄賂を使う。だから公の利益より個人の利益が優先されるので、個人崇拝の土壌が出来てカリスマ(独裁者)を生むという。社会は必然的に協調より対立、収れんより拡散するのも、その辺の事情があるようだ

アガシ選手はもう生粋のアメリカ人だから関係ないかも知れない。ただそんな故国をどう思っているのか、いつか聞いてみたい気がする。

Tuesday, 25 August 2026

マッシュルーム殺人事件

先日オーストラリアのメルボルン郊外で、3年前に起きた事件の判決が出た。それは50歳の女が、元夫やその両親などを自宅に招き、キノコ料理を振る舞ったところ、食中毒を起こして3人が死亡した事件だった。

現地ではMashroom murder(マッシュルーム殺人)と呼ばれた。判決は女の有罪を認め、33年の懲役になった。林真須美のカレーライス殺人事件を思い出し、「女は料理で復讐する!」は万国共通かと思った。

処で何故そんなローカルなニュースが目に留まったかというと、事件が起きたLeongathaという町は、この1月にゴルフに行った倶楽部の近くだった。メルボルンから80km程離れた郊外の牧草地で、家々も点々とするド田舎だった。ゴルフ場も起伏が激しく、おまけに小雨が降ってきて凍える中で廻った記憶がある。

ところで日本にいると中々分からないが、マッシュルームは旬のご馳走だから、それで人を呼ぶのは立派な持て成しになる。

バルト三国に居た頃、暇を持て余して毎日パブで飲んでいた。段々パブ仲間も出来て、その中に60歳位のスイス人の男がいた。いつもワイン一杯を嗜む静かな人で、エストニア人の奥さんと別れ、一人娘を頼って住んでいた。

彼の趣味はマッシュルーム狩りだった。春になると森に入り採って来るので、ある日「食べに来ないか?」と呼んでくれた。独り住まいの寂しいアパートだったが、採りたてマッシュルームは単にドレッシングで和えただけなのに、本当に美味かった。

Sunday, 23 August 2026

磯野浪平は54歳

夏の甲子園が終わり、智弁和歌山が5年ぶり4度目の優勝を果たした。もう殆どTVも観ることはないが、たまたま車を運転していたら、ラジオで閉会式が流れていた。

挨拶に立ったのは高野連会長であった。滔々と炎天下の長時間スピーチは、あまり評判が良くなかったという。でもその名セリフの一節が耳に残った。


彼は、「(甲子園が始まった)100年前の平均寿命は40歳程度だった。中でも16歳まで生きる事が出来たのはその半分だった。だから今の平和に感謝して、命を大切に生きて下さい!」と最後に締めた。

確かに言われてみれば、大正から昭和に差し掛かる頃の寿命は短かった。よく引き合いに出されるのが、サザエさんのお父さんである。頭の毛も薄かった磯野浪平は、ああ見えても54歳の設定だった。自身が学校を出て就職した頃も、定年は55歳だった。

戦争もないし、殆どの病は進化したクスリで治る時代になってきた。ややもすればその有難さを忘れがちになってしまう今日この頃、ひょんな事で諭されたのであった。

Thursday, 20 August 2026

痛風とドイツ人

 暫く前に、友人のKさんが痛風になった。「痛くて歩けない!」と言う。ゴルフに一緒に行こうと思っていた矢先で気の毒だった。

痛風はプリン体が足先に固まって発症する。甘いものやアルコールの取り過ぎ、中でもビールが良くないと言われている。

ただヨーロッパではあまり聞いたことがない。ビール大国のドイツでも、あれだけ毎日子供から大人まで飲んでいても、殆ど話題にならない。その理由は何なのか?


素人考えだが、それは水の違いではないだろうか?日本は軟水に対し、ドイツは硬水である。硬水はカルシウムやマグネシウムを多く含むので、血液をアルカリに保つ効果がある。だから尿酸が出来難い。

逆に軟水だと飲み易いがミネラル成分が少ない。体が酸性に成り易いのはその為かも。

尤も軟水は飲み易いし、ビールの大瓶が平気で出てくるのが日本である。またラーメンのスープもそうで、(以前も書いたが)佐野や喜多方のラーメンが美味しいのは、軟水度が高い地域の水を使っているからである。

プラスマイナスもあるし、中々誘惑には勝てないから、上手く付き合うしかないだろう。

Monday, 17 August 2026

目玉の魔除け

 フランス人に道を聞くと、必ず「あっちです」と親切に教えてくれる。ただ実際その通り行ってみると、半分以上は間違っている。それは仮に知らなくても、「知らない」と言えないからである。正直に言えば、自身の無知を曝け出すからである。

角川新書の若宮總著「イランの地下世界」を読んでいたら、イラン人も全く同じだと分かった。普段は気丈に自信過剰な程に生きている。だから「知らない」「分からない」といった、メンツを潰すようなに振る舞いは出来ない国民性という。

彼らが一番怖いのは、自身の弱さを見透かされる事である。一昨年ギリシャを旅した時、Matiという目玉をあしらったガラス細工の土産物があった。イランではテェシメ・ザフムと呼ぶそうだが、全く同じ物だった。

目玉は邪視除けに使われる。自身の弱みを他人から見透かせられないように、眼力で跳ね返す魔除けである。一方見透かした方は優位に立つ。その優劣が相互不信を引き起こし、同じ民族でも永遠に紛争が続く原因になっているそうだ。

考えれば馬鹿らしい、所詮は見栄の張り合いに思える。ただそこには、日本人とイラン人の違いがあるようだ。氏は

例えると、日本人は玉子で、イラン人は桃だという。玉子は殻は固いが、一度破ると中は柔らかい。反対に桃は最初は柔らかいが、芯の処に行くと固い。確かに言われてみれば思い当たる節がある。

唯一オーストラリアで出会ったモハードという男も、会うなり煙草を持って握手を求めてきた。ただ話していると、ノラリクラリとちっとも前に進まないばかりか、次の日も同じ騒音を出し続けて埒(らち)が明かなかった。今のアメリカとのやり取りでも、きっと同じような事が起きているのだろう。

それにしても戦争の終結は、ホルムズ海峡はどうなるのだう?ミサイルなんて使わなくても、目玉の眼力で何とか打開できないのだろうか?

Saturday, 15 August 2026

河野水軍のご縁

随分前に亡くなったが、テニス倶楽部に河野さんという人がいた。世話好きで、我が家に最初に来た犬も彼が世話してくれた。出身は広島の因島で、「田舎のお袋が送ってくれた蜜柑だ!」と、故郷の思い入れも大きかった。

ただ晩年は認知症を患った。いつからか、聞いてもいないのに自分史を滔々と話し始めた。「おかしいな?」と思って周りの人に聞くと、やはり痴呆が始まったという。ただ倶楽部の人は昔から知っている人ばかりだから、奥さんが朝連れてきて放していても安心だった。

驚いたのは、頭がおかしくなってもテニスのスコアだけはちゃんと数えられるのだった。「昨日のことは忘れても、昔の事はよく覚えている」と同じで、変に勇気付けられた記憶がある。

そんな彼を思い出したのが、今村翔吾の「海を破る者」だった。それは河野水軍の話で、鎌倉時代に伊予国(今の愛媛県)を拠点にした河野道有の話だった。中でも元寇の時の活躍を凄まじかった。そして(本当かどうか分からないが)あの河野さんと関係しているのではないか?と思った。

やはり俱楽部には村上さんという人もいた。彼も随分と前に亡くなってしまったが、こちらは列記とした村上水軍の末裔だった。風貌も如何にも海賊らしかった。

元寇は神風もあったが、もしも負けていれば今の日本はなかったかも知れない。時代劇の一冊に、救世主の末裔だった二人の故人を思い出した。

Thursday, 13 August 2026

他人の国で骨を埋める中国人

バンクーバー郊外の、Redwoodsという高級ゴルフ場に行った時だ。駐車場で車を止めると、隣のベンツから中国人の母親と中学生位の男の子が降りてきた。男の子はアディダスのゴルフウェアに身を包み、暫くして女子プロと思われる人に連れられコースに向かって行った。「金持ちの中国人とはこういう人なのか?」と思った。

バンクーバーの中国人は人口270万人の内54万人、つまり5人に1人を占めている。思い出すのは1997年の香港返還である。あの時、比較的豊かな香港人はアメリカやカナダに逃げた。ただ行ってみると仕事もなく、その後戻ってきた人も多かったから、その時「世の中そんなに甘くない」と思った。ただ中には成功した人もいて、典型的なのは今のバンクーバー市長である。公認会計士から身を起こし、中国系初の市長になった。


カナダの中国人は元来、19世紀に鉄道労働者やゴールドラッシュの炭鉱夫としてやってきた人だ。鉄道が完成しても残留を希望したため、仕事は洗濯、掃除、料理人と社会の底辺で生きてきた。今でもチャイナタウンに行くとその面影が残っている。薄暗く汚い街並みに大声が飛び交うレストラン、路上ではクスリ漬けの男が屯っていた。

ただ最近の中国系は随分と豊かになっている。ゴルフ場に来る人たちはその典型だろう。移民が中国本土からのお金持ちや、技術を持った知識層に代わっているからだ。ひょっとして今(習近平が追い掛けて)問題になっている、巨額な不正蓄財を持って海外逃亡した資産家も含まれているのかも知れない。

彼らの子供も勿論大学を出ると、IT、金融、医療といったホワイトカラーの仕事に就く。同世代の大卒の割合はカナダ人平均の倍近くもあるという。一方で偏見や差別も相変わらずで、中国系の若者の失業率や未婚率は、同世代のカナダ平均を上回っている。卒業しても厳しい現実が待っているのだ。

カナダは広大で自然豊かな国である。ただ一方で(日本から見ると)ひと気はなく気候も寒々しい。私なら「移住したいか?」と聞かれればNOである。いくらゴルフ場が奇麗でも、もっとゴチャゴチャして刺激があった方がいい。

しかも所詮は他人の国である。そんな処で帰るに帰れずに骨を埋める選択した中国人の強かさが印象的だった。

Tuesday, 11 August 2026

「武器よさらば」の舞台

記憶が蘇ってくると、そのロビー二(Rovini)はテニスの町だった。旅した夏も国際大会をやっていて、首都でもないのに道路が随分と整備されていた。だからフェデラーもヴァカンスではなく、その関係で訪れたのかも知れない。


ところでそこから100km程北西に行くとイタリアで、大きな港町トリエステ(Torieste)がある。私のお気に入りの一冊だが、ジュール・ベルンの「アドリア海の復讐(原題:Mathias Sandrof)の舞台である。

ハプスブルグ家から独立を目論むハンガリー人(マジャール人)の物語で、デュマの「モンテ・クリスト伯」を焼き直しした復讐劇である。

物語はそのトリエステで、謎の暗号を持った伝書鳩が見つかってしまう処から始まる。アンテキルト博士の名で復讐する彼が現れたのがドブロブニクだったり、フィクションと現実と混ざり合っていて面白い。

また北東に行くとスロベニアに入る。その国境の山奥にコバリド(Kobarid)という小さな村がある。そこに第一次大戦の「カポレット(Caporetto)の戦い」の記念館があると言うので行ってみた。

戦いはオーストリアにドイツが加わった連合軍がイタリアに勝利する。その混乱を描いたのがヘミングウェーの「武器よさらば」だった。

映画ではアメリカのイタリア義勇兵をゲイリー・クーパーが演じていた。愛人との逃避行もあってロマンティックな作品でもあった。

映画で見たシーンを思い浮かべ、両軍が対峙した山岳地帯に残る輸送路や塹壕の跡を歩くと、砲弾が飛び交った当時が蘇ってきた。戦跡巡りのオタクとしては、ノルマンジーやワーテルロー並みに感慨深かった。

Monday, 10 August 2026

フェデラーのヴァカンス

Facebookは余り使っていない。ただ時々知り合いが投稿するので見たりはする。今日は友達登録してあるフェデラーから、ヴァカンスの報告が入った。

場所はクロアチアのロビーニ(Rovini)だった。どこかと思ったら、昔泊まったプーラ(Pula)という大きな港町の近くだった。その時のホテルが、ハプスブルグ最後の皇帝ヨーゼフ一世も泊まったホテルだと聞き、痛く感激した。

クロアチアはアドリア海に面し、多くのローマ遺跡が残る素晴らしい国である。バルカン半島の中でも一番垢抜けして治安もいい。それでいて物価は安いしワインも美味しいので、知り合いのドイツ人は毎年キャンピングカーで訪れている。

その日の前日は、有名な観光地ドゥブロブニクを経って北上した。夕方になったので、名もない港町で泊まることにした。ところがホテルらしきものはないので、レストランの主人に聞くと、「俺の家の部屋が空いている。30ユーロで学生割引だ!」とお世話になった。

ところが翌朝、お金を支払おうとしても店は閉まっている。暫く椅子に座って困っていると、水着姿の可愛らしい少女がやってきて「どうした?」と聞く。事情を話すと「今日は日曜日だから起きてこないよ!」と言う。仕方がないので、部屋に手紙とお金を置き、鍵を内側から差して出発した。

火照った体を冷やそうと、入った海は5分も浸かっていられないほど冷たかった。フェデラーもそんな所で泳いでいたが、旅の記憶が蘇ってきた。

Saturday, 8 August 2026

カナダのゴルフ場

 カナダでゴルフをした。ヴァンクーバーの郊外約70㎞程の町に宿を取った。東京で言えば高崎や宇都宮になろうか、この70㎞という距離感は万国共通で、都心から日帰りゴルフで来れるギリギリの場所になる。だからそこから先は、料金がグッと安くなるのである。

カナダのゴルフ場数は世界4位である。因みに1位は勿論アメリカだが、2位は日本である。国土は広いから田舎でも沢山のゴルフ場がある。例えば人口1万人以下の町でも(9ホールだが)立派なゴルフ倶楽部があるし、車で1時間圏内なら数知れない。

ゴルフのスタイルは、オーストラリアと殆ど同じである。予約はネットか電話で取り、着くとプロショップでお金を払ってスタートする。混んでいる週末などは現地の人と一緒になるが、皆さんとてもフレンドリーだ。中国人や韓国人が多い国だからか、現地に住んでいる日本人によく間違えられる。

唯一違うのが距離表示である。オーストラリアだとメートルだが、カナダはヤードである。英国やアメリカもヤードなので、何故オーストラリアだけがそうなのか分からない。また手引きカートはオーストラリアだとPull buggyと呼ぶが、カナダはPull cart だった。

料金は日本とあまり変わらない。立派な倶楽部だと1万円は超えるが、平均すると6~9千円程度で埼玉の奥地や群馬並みである。4千円のパブリックもあったが、流石にボールはよく無くなる。

ただオーストラリアに比べると華やかさに欠ける。気候が北海道に似て、夏でも肌寒いせいだろうか?終わってからクラブハウスで談笑する人も心持ち少ない。中国語やハングルが飛び交う雰囲気はカナダである。

こんな話を友人にしたら、「毎日ゴルフやっていて飽きなかったの?」と聞かれた。確かにその通りかも知れない。でも自然を除けば然したる観光地もないから、これに勝る楽しみはない。どこも倶楽部も初めて訪れる新鮮さもあるし、始まるといつの間にかスコアメイクに没頭してしまう。

Friday, 7 August 2026

W杯に冷めた人々

7月はサッカーのW杯で盛り上がった。中でも(決勝で敗れはしたものの)メッシを中心とするアルゼンチンの逆転劇は凄かった。準々決勝の対スイス戦でも準決勝のイングランド戦でも、前半に失点したが後半追いついて逆転した。素人目には、終盤まで殆どシュートを打たなかったのも、コースを読ませない戦術に映った。

それにしても、これだけ世界の人が熱狂するスポーツも珍しい。この時ばかりは、右も左も敵も味方もない。普段は眠っていた愛国心に火が点く。毎日W杯が続けば、世界はもっと平和になるかも知れない。

バンクーバーの町でも、7月5日に行われたブラジルvsノルウェー戦の盛り上がりは凄かった。中心街の飲食店が立ち並ぶ一角では、野外に置かれたTVに若者が群がっていた。その殆どがブラジル応援団だった。近年カナダへの移民が増えているせいかも知れない。

ただ意外とそうでない人も多い。その前日は主催国の地元カナダとモロッコの一戦だった。放映は土曜日のお昼時のゴールデンタイムだった。その日は郊外のゴルフ場にいたが、クラブハウスでは誰もTVを見ている人がいない。レストランの女性に「応援しないの?」と聞いても肩を竦めるだけである。

そう言えば、決勝のスペインvsアルゼンチン戦もそうだった。近くのパブに途中から入ってみたが、盛り上がりはなかった。

思い出したのは、2017年のウィンブルドンテニスの決勝戦である。たまたまバルカン半島を旅していて、クロアチアのプーラという町の近くのパブに入ると、フェデラーと地元の英雄チリッチ戦をやっていた。パブでは勿論それを生中継していたが、客の殆どが無関心であった。その時はとても不思議に思えた。

7月はテニスのウィンブルドンや、ゴルフの全英オープンもあり忙しい月だった。TVで見る限りどれも例年並みに賑わっていた。大谷選手のMLBも閑古鳥が鳴いているかと思いきや、いつもの盛況があった

日本はモノカルチャーだから中々分かり難いが、世界の関心は意外にばらけている。特に田舎に行けばW杯も殆ど他人事になる。

Thursday, 6 August 2026

セウタの移民騒動

 先日スペイン領土に、モロッコから6万人が押し寄せる騒動があった。場所はスペインの飛び地であるのセウタ(Ceuta)だった。「そんな所あったっけ?」と思って調べたら、確かにモロッコ半島の小さな一角だった。

スペインは歴史的な背景から来るのだろうか、意外な所に領土を持っている。有名なのはアフリカのカナリア諸島である。(行った事はないが)そこのテネリフェ島で一昨年、ゴルフのアマチュア選手権が開催された。日本から参加した女性から初めてその名前を聞いて知った。


騒動の原因はスペイン政府が、不当滞在の移民50万人に1年の滞留許可を与える発表をしたことにある。ただでさえも若者の失業率の高さ(35%)が問題になっているモロッコである。若者が飛びついた理由も頷けた。

映像で見る限り雲霞のごとく、着の身着のまま海を泳いで渡る姿は壮絶であった。ここまで追い詰められた若者も命を懸けてだったのだろう、60名近い人が死亡した。

余談だが昨年の夏にスペイン一周をした時、南端のカディスという港からフェリーでモロッコに渡ろうとした。ただ往復の切符も購入し、いざ乗船という時に「待った」が掛かった。乗っていた「EUのレンタカーでは入れない」という。結局料金を払い戻して諦めたが、後から考えると不安定な治安の中で行かなくて正解だった。

またスペインとアフリカを隔てるのがジブラルタル海峡だが、何とスペイン側の町ジブラルタルは英国領だった。

スペインからジブラルタルに入る山のトンネルには、国境があって仰々しかった。その時に時間も押していたので引き返したが、ビザなしで簡単行き来できることが後で分かり、行っておけば良かったと悔しんだ。

Monday, 27 July 2026

医療費ゼロのカナダ

カナダに滞在中に、アメリカ国境近くで森林火災があった。煙がアメリカに流れた事に、トランプ大統領が「アメリカが汚染された!」と言った。予てより「カナダを51番目の州に!」発言でひんしゅくを買っていただけに、又火が付いた格好になった。

カナダとアメリカの違いは何なのか?傍から見ていると中々分からないが、カナダの国土はアメリカより広いし、一方で人口はアメリカの11%程度に過ぎない。その大らかさが国民性に出ている気がする。

例えば人種であるが、ゴルフ場などでも中国人がやたらに目に付いた。聞く処によると、バンクーバーの5人に1人は中国系で、その数は50万人を超えるという。ターバン姿のインド人も多いし、韓国人とはゴルフも一緒に廻った。普通なら白人との関係が気になるが、広いから棲み分けも上手く行っているのかも知れない。

また町の表示や商品の説明は、全て英仏併用である。面白いのは、カナディアンフレンチは本場と少し違った。例えば朝食は 本場だとle petit-déjeunerだが、カナダではle déjeuner(昼食)、昼食のle déjeunerはle dîner(夕食)であった。英語もそうで、Toilettと言っても通じず、正解はWashroomだった。

その生活を支える医療費はタダと聞いて驚いた。北欧のように税金が馬鹿高い訳でもないし、消費税は12%と普通だった。物価も郊外で暮らせば、殆ど日本並みの安さを実感できた。天然資源が豊富で、電源の半分以上は水力発電で賄っている。生活コストが安く済むのだろう。

たまたまTVで映画「アルゴ」をやっていた。物語は革命後のイランで残されたアメリカ大使館員を救出する話だが、カナダ大使館が匿って脱出に成功する。「Thank you Canada」の垂れ幕が印象的だった。

Saturday, 25 July 2026

ランボーのロケ地

 カナダのバンクーバーから150kmほど山に入った所に、ホープ(HOPE)という町がある。

先日そこのゴルフ場に行った時、その町は映画ランボーの第一作目「First blood」 のロケ地だった。

物語はシルベスタ・スタローン演じるベトナム帰還兵が、余所者を嫌う保安官から迫害を受ける話である。夏でも肌寒いのに、嘸かし撮影も大変だったと思った。

町の中心部には、ランボー像が建っていた。ただそれより更に大きいのが保安官像で、更に中心に位置していた。映画では悪役だったが、今も昔も地元のヒーローは保安官なのであった。

町にある小さな映画館では、秋になると作品を上映するという。また撮影した森は、マウンテンバイクのツアーがあり、ランボーのサバイバルを体験出来るようだ。それにしても舞台はアメリカかと思っていたが、実はカナダだった。

ゴルフ場は9ホールの綺麗なコースだった。マーモットと呼ばれるウサギのようなリスが沢山生息していた。近寄ると逃げるが、モコモコと可愛らしかった。

Tuesday, 30 June 2026

ブラジル戦を観戦して

今朝のW杯決勝ラウンド初戦で、日本は1/2でブラジルに敗れた。前半はリードしていたが、後半は殆どブラジルにボールを奪われた。本来なら3〜4点は取られた展開だったが、よく2点で留まったと思う。

今回の日本チームでは負傷者が多く、主力の三苫や南野が欠場し、主将の遠藤も本番3日前で離脱、久保もオランダ戦で膝を痛めて控えになった。選考に漏れた人も含めて、嘸かし悔しい思いで見ていた選手が多かったのではないか。(サッカーについては素人だが)、でもそうした無念さが明日に繋がって行く。

思い出すのは、遠藤(保)選手である。2006年のドイツW杯でメンバーとして参加したものの、期間中唯一プレー出来なかった。傍から見てても気の毒だったが、彼はその後日本の中心選手になり、J1最多出場(172試合)、日本代表国際Aマッチ最多出場(152試合)などの記録を打ち立てた。

香川選手もいた。彼は2010年の南アW杯のメンバーに選ばれるかと思っていたが、意外にも23人の枠に入れなかった。ただその後のブラジル、ロシアW杯には2回続けて出たり、世界の香川に成長した。

尤もW杯のミスが致命的になるケースもあった。2010年の南アW杯のパラグアイ戦で、PKを唯一失敗した駒野選手である。試合は勿論敗れ、ベスト8を逃したから影響は大きかった。暫くは表舞台から遠ざかっていたが、最近TVなどに出ているから、もう時効になったのだろう。

今回もアディショナルタイムあと1分の処で、田中藍選手が痛恨のボールロストし失点された。あれを凌いでいれば、ひょっとして延長戦で勝機もあったかも知れない。トラウマにならなければいいが・・・。

W杯は世界の人が集う舞台である。選手はこの失敗や悔しさをバネに成長していくだろう。

Monday, 29 June 2026

庄司薫氏の訃報

作家の庄司薫さんの訃報があった。享年89歳という。氏は70年代初頭に「赤頭巾ちゃん気をつけて」で一躍脚光を浴びた。その後ピアニストの中村紘子さんとの結婚もあって、当時は時の人になった。

ただその後はパッタリと執筆も途絶え、気が付くと今日まで表舞台から姿を消した。その間どうやって喰い継いできたのか?真っ先に頭を過ったのはその事だった。

そんな彼の作品に「白鳥の歌なんか聞こえない」があった。テレビドラマ化され、主役は清楚でデビューしたばかりの仁科明子が演じた。その後彼女は松方弘樹と不倫し、結婚はしたものの正に毒牙に掛かったヒロインとして世間の同情を集めた。

処で氏の作品に「僕の好きな青髭」もあった。中身は忘れてしまったが、当時その青髭がブームになり、グリム童話の「青髭」が読まれた。

主人公は、青い髭を蓄えた王様と結婚した7人目の女性であった。ある時彼女は。王の不在中に禁断の部屋を覗いた。すると6人の前妻が吊るされて死んでいるのを発見するのであった。彼女は何とか救い出されたが、仁科明子の運命と重ね、悲痛な思いをした記憶がある。

一方中村紘子さんは精力的に活動されたようだ。母親の銀座画廊の人脈もあってか、ピアノを通じて多くの人に影響を与えた。ただ先日神田眞人氏の「世界金融秘話」を読んでいたら、彼女の活動が財務省の広報誌に載るのを好ましく思わない人がいたと書いてあった。一般人には中々分かり難い世界があったようだ。

Monday, 22 June 2026

捨てる神と拾う神

TVを点けると転職サイトのCMが目立つ。今は売り手市場だから、高い賃金も求めて簡単に会社を変わる若者が多いせいだろうか?「石の上にも3年」はもう死語だろうが、ただ世の中はそんなに甘くない。

ベンチャーやITなどの新興企業なら未だしも、大手企業はまだまだ終身雇用である。うっかりそんな処に入ると、他人の飯の味を知る事になる。

個人的な体験だが、最初の1年目はお客さん扱いされる。異業種から来た珍しさや、未知の可能性に寄せる期待感から兎角チヤホヤされる。

2年目になると少し落ち着いて来くる。毎日仕事をして食事を取る内に、仲間として受け入れられた気分になってくる。社内誌にも登場し時の人になる。

処が3年目になると様子が変わってくる。生え抜きから見ると、途中入社組は自身の昇進やポスト争いの妨げになる。自分達は入社以来コツコツ此処までやってきたのに、所詮は「傭兵」「お助けマン」ではないかと。

そこからは時間の問題である。相手は多勢に無勢だから、そんな環境では仕事にもならない。その内居心地も悪くなってくる。

処がそれを見ている人もいる。他社の人や仕事で知り合った関係者である。そんな人から思いもかけない電話がある。「XXの募集があるけどどう?」とか、「貴兄の事をAさんが心配して会いたがっていたよ!」とか、正に「捨てる神あれば拾う神あり」である。

そして何とか次が決まると、前の会社の人、特に若い人が寄ってくる。次への道を切り開いた希望の星なのだろうか、それは不思議なご縁である。

そんな事で今まで何とか仕事には困らなかったが、転職は天職でない。そんなハラハラする人生より、出来れば一つの会社で勤め上げるのが理想だったけど・・・。

Thursday, 18 June 2026

将来は課長になる

新聞は随分前に取るのを止めた。その代わりに月1~2回、図書館に行ってまとめ読みしている。パラパラと鳥瞰すると、世相が肌感覚で伝わってくる。

日経新聞の今月の「私の履歴書」は、ケンタッキー・フライド・チキンの大河原毅さんだった。今まで氏をあまり存じ上げなかったが、中々の苦労人で誠実なお人柄が伝わってきた。

履歴の中に、大学を卒業して就職した日本プラント協会の話があった。会社の先輩の結婚式に出て、上司が「新郎は将来は立派な課長になるでしょう」と挨拶した。それを聞いてプロパーの限界を悟り、直ぐに会社を退職したという。人によっては中々出来る事ではないが、その英断がその後の人生に繋がって行った。

個人的にも何度か転職した。滞在の最短は2週間だった。仰々しい面接を経て採用されたものの、仕事は派遣の女の子がする内容だった。「これは駄目だ!」と思ったが、真っ先に頭に浮かんだのは、そこを紹介してくれた元上司だった。「彼のメンツを潰してはいけない!」と思った。

事情を話しに行き、「でもご都合が悪いようでしたら1年は頑張ります!」と言った。すると「そんな事は気にするな!嫌ならいつでも辞めたらいい、又どっか紹介するから」と逆に励まされた。その男気にすっかり感心したのは言うまでもない。

そもそも仕事は楽しくないと続かない。だから会社に不平ばかり言っている人を見ると、「そんなに嫌だったら、違う仕事を見付ければいいのに」と思ってしまう。実際は妻子やローンを抱えるとそうもいかなのだろうが、所詮は一度キリの人生である。

尤もこれは「私の履歴書」に出て来るような人が話すから説得力がある。凡人だとそうは行かない・・・。

Tuesday, 16 June 2026

日銀の利上げ

 日銀が政策金利を0.25%上げて1%にした。1995年以来31年ぶりというから驚きだ。金利が数パーセントの時代に育った者にとっては、1%でもまだ低い気がするのに、政策転換のような騒ぎである。

そう言えば昔の指標は公定歩合だった。それが廃止されて政策金利になったとは、恥ずかしながら最近気が付いた。

日銀が利上げに慎重だった理由に、よく日銀の債務超過の話がある。河村小百合さんの「日本銀行 我が国に迫る危機」によく解説されているが、アベノミクスで買い上げた大量の国債やETFの評価損の問題である。債務超過になれば普通の企業なら倒産である。流石にお札を刷っているのも日銀だからそんな事にはならないだろうが、気になる今後である。


そんな最中、植田総裁が(2週間とはいえ)入院した。まさか苦渋の選択から来る心労でないだろうが、このタイミングに心配になる。そう言えば最近、元総裁の白川氏の存在が目立つ。立派な「通貨に信用を刻印する」の出版や、TVにもよく登場される。

白川さんは安倍首相の掲げた「2%の物価目標」とそりが合わなかった。彼は生え抜きだから、列記としたインフレファイターである。当時それが原因だったと外から見てても分かった。そして代わって登場したのが黒田さんである。異次元の金融緩和(世に言う「黒田バズーカ」)を行い、株価は上がりデフレも終わった。

しかし気が付いてみればその負の遺産が、今の日銀の足かせになっている。白川さんの復活はそんな揺り戻しと関係している気がするし、両者の間に入って後始末をする植田さんは気の毒である。

1%になるとは言っても、アメリカや英国は3.75%、EUは2.15%だから、まだまだ開きは大きい。だからそう簡単には円高に戻るとも思えないし、市民生活への影響が気になる。

Sunday, 14 June 2026

セキレイの巣作り

6月は衣替えの季節である。昔はこの時期、冬物の背広やオーバーをクリーニングに出していた。今は一年中ジーンズで過ごしているから、そんな煩わしさもない。改めて「社会生活って大変だった」と思う。

衣替えは人間だけでなく、犬も同じである。冬用のモコモコした毛が一気に生え変わる。毎日の毛すきが大変だが、庭に落ちた毛は小鳥たちが拾っていく。

巣作りを始めたのだろうか、毎朝やって来るセキレイは暫く木の上から見ていて、大丈夫だと分かるとサッと降りてくる。口一ぱいに抱えて持って行く姿は微笑ましい。「フカフカした最高の巣になるだろう!」と、エコをやっている気持ちになる。

処がそのやって来た小鳥が、時としてガラスに激突して失神する。一度は暫くして意識が回復し飛び立って行ったが、2回目はショックで死んでしまった。ベランダにいつまでも置いておくわけには行かないから、庭に出すと翌朝羽だけが散らばっていた。跡形もなく、自然界の厳しさが伝わってきた。

カラスも巣作りをする。ただ此方は可愛くない。随分前だが、高いスギノキの先にハンガーを集めては巣を作り出した事がある。危ないとは知っていたが、防災用のヘルメットを被って撤去した。頭上ではそれを見ていたカラスが、カーカーと旋回しそれは怖かった。

翌年から区役所に頼むことにした。ただ係員の人は、撤去は卵が孵ってからにするという。産卵時のカラスは警戒心が強いが、雛になるとそれも和らぐらしい。まだ毛が生えていない雛を持って行く光景は、あまり気持ちのいいものではなかった。

Friday, 12 June 2026

イランからの脱出

アメリカとイランの紛争が長引いている。そして今回はイスラエルもいる。有史以来のキリスト教とイスラム教の対立、それにユダヤ教も入った三つ巴の構図に、中々出口が見つからない。

そのイランだが、現政権は1979年に起きたイラン革命を継いでいる。当時の様子は、映画「アルゴ」などでその混乱が伝わってきた。そしてもう一つ、此方は小説だがケン・フォレットの「鷲の翼に乗って(On Wings of Eagles)」もあった。


物語は、イランと提携していたアメリカの保険システム会社が、革命に前後して社員が拘束される処から始まる。目的は膨大な身代金である。

幸い革命のドサクサで収容所からは脱出出来たが、隣国トルコまでの約2500㎞を陸路で渡らなくてはならない。途中シャーとホメイニの写真を状況によって使い分けながら、何とか脱出に成功するのだが、カーター政権が残留米国人の救出に失敗した矢先だけあって、それは奇跡だった。

改めて当時を振り返ると、革命の成功はホメイニが帰国してから、前政権との内戦を経て成し遂げられた事が分かる。だから今回もハーメネイ師殺害の前に、次期指導者を送り込んで内戦に持って行けば良かった。そうすれば少なくても、今のようにアメリカと直接対立する事は避けられた。

余談だが、多額の身代金の受け渡しは意外と難しい事が分かった。現金ではとても用意出来る額でない。すると送金になるが、イランでドル決済出来る銀行は限られている。有事ともなれば取引に制約が掛かるし、かといって事務所の先取り特権行使は時間も掛かる。どこの世界も同じで、犯人は要求してもカネの回収に手こずるのである。

Thursday, 11 June 2026

ランスロットプロジェクト

 中世の本を読んでいたら、アーサー王伝説を思い出した。

アーサー王はウェールズ出身で、12人の円卓の騎士と共に英国を統一した人物として語り継がれている。一説には架空の人物とも云われるが、ケルト文化の象徴として、大陸も含めて彼方此方に足跡を残している。

その一番の腹心が、ランスロット(Sir Lancelot)」という若者だった。腕が立ちしかもイケメンで、アーサー王の右腕として活躍した。

処がランスロットは、若い頃からアーサー王の王妃と関係を持っていた。今風に云えば不倫だが、最後はそれを政敵によって密告され、王国は崩壊するのであった。

昔ドイツの会社と、アライアンスの仕事をしていた時があった。「日独で世界のシェアーを取りに行こう!」と、会議や研修を重ね親密な関係構築に努めた。中でも総勢100名の温泉合宿は、正に裸と裸の付き合いで絆は強まった。

ただある時、ドイツ側が付けたプロジェクト名が「ランスロット」だと分かった。殆ど気に留める人はいなかったが、個人的には内心「これは日本を寝取る作戦か?」と疑った。暫くしてそんな心配は思い過ぎだと分かったが、一時はヒアっとした。

Wednesday, 10 June 2026

ケン・フォレットの中世シリーズ

先日、今ベストセラーになっているマーク・グリーニーの「レッドメタル」を読んでみた。アフリカに眠るレアアースを巡り、米ソが争奪戦を繰り広げる話である。ただとても専門用語が多すぎて、途中で止めてしまった。ITを駆使した現代の戦争は、アナログに慣れている世代には消化出来る域を超えている。

左様に近代のアクション小説は人間味に欠ける。かと言って、ジャック・ヒギンズやアリステラ・マックリーン、フレデリック・フォーサイスやクライブ・カスラーなど、ひと世代前の面白そうな小説は殆ど読んでしまった。人生の楽しみもそろそろ底を着き始めたかと思った。


そんな矢先、そういえばケン・フォレットの中世モノにはまだ手を付けていなかった事を思い出した。氏の「針の眼」や「レベッカへの鍵」、「ジャックドウ」や「ペテルスブルグから来た男」など、20世紀を舞台にした小説は大のファンだった。数年前の「ネバ―」も面白かった。

一方英国の中世を扱った作品は、舞台に馴染みない事や、原書で読むには難解な用語が多すぎて無理だった。処が本棚に眠っていた「大聖堂(The Pillars of the Earth)」を読み直してみると、これが中々良かった。文庫で三冊、約2000頁の大作だったが、一気に読んでしまった。

特に、僧侶と城、教会の関係、それに縛られる男女と子供達の話など、12世紀とは思えない現実味があった。これを契機に、まだ征服していない中世シリーズにチャレンジする楽しみが出来てきた。

Thursday, 4 June 2026

阿部監督の逮捕事件

先日、巨人軍の阿部監督が逮捕され退団する事件があった。娘さんが「父から暴力を受けた」と児童相談所に連絡すると、警察が家にやってきて逮捕に至ったという。詳しい事は分からないが、立件もしない即逮捕に違和感があったし、何より一番驚いたのは当の娘さんだったというから可笑しな話である。

これで逮捕されるなら、世のお父さんの殆どが牢屋に入っているだろう。普通なら、家に来た警察官はまず「どうしました?」と聞く。娘は「父に倒されましたがもう大丈夫です、有難うございました」、お父さんも「色々お騒がせしてすみませんでした、以後気を付けます」で済む話である。

それがここまで発展したのは、法律の一人歩きと関係している気がする。法が家庭内の人間関係を阻害するなら本末転倒である。コンプライアンスの順守やAIとの付き合い方も同じであろう。これを機会に専門家で議論して欲しいと思う。

余談だが、オーストラリア入国にはETA(VISA)の申請が必要である。その質問事項の中に、「家庭内暴力(Domestic Violence)がありましたか?」がある。もしそれにレ点を付ければ、多分引っ掛かるだろう。海外渡航にも支障が出るし、これから思っている以上のダメージがある気がする。

Sunday, 31 May 2026

浅草ロック座の国際貢献

 TVのアド街ック天国を見ていたら、「昭和レトロの街」で浅草がNO1に選ばれた。仲見世商店街だけでなく、庶民的な劇場も多い下町文化が評価されたようだ。思い出したのはロック座だった。

1970年代の半ばに、田中首相が訪れたインドネシアで大規模な反日運動が起きた。それを主導したのがインドネシア大学医学部の学生だった。大丸はじめ日系企業がその標的になったので、経団連も鎮静に動いた。そして「彼らを日本に呼んで日本を知ってもらおう!」という事になった。


「相手が学生なら此方も学生がいい」と、とある団体の代表を務めていた関係で呼ばれた。晴天の霹靂とはこの事だったが、費用はアメリカの財団が出すという。麻布にある事務所を訪れ、趣意書を渡すとすんなり通してくれた。古風な一軒家だったが、生まれて初めて日本家屋に土足で上がった。今から思えばそこはCIAの出先機関だった。

それから暫くして一行が日本にやってきた。そして公私に渡る交流を図ったのだったが、ある日彼らを浅草のロック座に連れて行った。何故そこにだったのか覚えていないが、外人をストリップで持て成すのが当時の社会慣行だったのかも知れない。

入ると舞台では艶めかしい女性が裸体を披露していた。それを見たインドネシアの学生は、奇声を上げて館内を走り狂ってしまった。きっと敬虔なイスラム教にはない初めての世界だったのだろう、その思いも掛けない爆発にはビックリした。

彼らが帰国すると、反日運動はピタッと止まったのは言うまでもない。今風に云えば、ロック座が日本の安全保障に大きく貢献した事になる。

余談だが、高校の国語の教師にHさんという人がいた。一年の半分を志賀直哉の暗夜行路につぎ込む変人だったが、彼は若い頃、浅草ロック座の脚本を書いていたと自慢していた。そう言えば、欽ちゃんの奥さんもそこのスターだった。

色々ご縁があった場所が、未だに残っているのは嬉しい限りである。

Friday, 29 May 2026

水俣病と漁師の話

暫く前に、病院の待合室で順番待ちをしていた時だった。目の前に新しい新聞があったので手にしてみた。それは朝日新聞だった。普段はめったに読まないし、慰安婦前後から教条的なタッチが肌に合わないから久しぶりだった。


その日は、水俣病の特集だった。多くの写真入りで、半世紀前に起きた事件を振り返り、未だに多くの患者が大変な日々を送っている様子を紹介していた。自分の中では既に過去のものになっていただけに、現実から目を背けていた罪悪感も湧いて来た。

その中に、ある漁師一家の話があった。大黒柱だった漁師は随分前に亡くなったが、その死因は特定されなかった。しかし家族は暫く前から、その症状が水俣病に似ていると気付いていた。ただそうは思っても、長い間それを口外する事はなかったという。

何故なら、その漁師一家は漁で生活していたからである。もしもひょっとして、水銀が入っていた魚を売っていた事が分れば、村では生きていけなくなる。彼は家族を守ったのかもしれない。

公害の怖さは、魚を食べた被害者がいる一方で、本来は同じ被害者なのに、魚を取った漁師を加害者にしてしまう。それまでは平和に暮らしていた村が、滅茶苦茶になった様子が伝わってきた。

Tuesday, 26 May 2026

暗殺の現場巡り

先日ホワイトハウスに銃を持った男が侵入し射殺された。一カ月ほど前にも、ホワイトハウス主催の晩さん会で発砲騒ぎがあったばかりである。2年前にはペンシルバニアの集会で、 トランプ大統領の右耳を銃弾か掠めたのは記憶に新しい。次から次へと続く暗殺計画に、国内の不吉な空気を感じる。

要人の暗殺は、時によって歴史の大きな転換点になる。安倍さんの時もそうだったが、自民党の求心力に陰りが出た。時を経てその現場に立つと、止まったままの時間を共有する不思議な感覚になる。

その体験の最たるものが、ダラスのJFKだった。10数年前に訪れたが、JFKが被弾した場所の道路には×印が残っていた。オズワルドが狙撃したとされるビルも当時のまま保存されていた。ただそこから単発銃で狙うには余りに遠く、誰もが近くのグラッシーノールと呼ばれる小高い丘が怪しいという気持ちになる。

もう一つはヒットラーの(未遂だったが)暗殺現場である。場所はロシア国境に近いポーランドの「狼の巣」であった。ワルキューレ作戦と称したクーデター計画で、シュタウフェンブルク大佐が総裁大本営仕掛けた爆弾が爆発した。ヒットラーは一命を取り留め計画は失敗したが、防空壕などが現存する中、その現場は跡形もなくなっていた。

シュタウフェンブルクの家系を書いた「Secret Germany]」という本がある。彼は名門貴族の末裔で、ドイツを狂気から解放する崇高な使命感を持った人だった。

Sunday, 24 May 2026

ルイスの転換点

久しぶりに本屋に行くと、齋藤ジン氏の「世界秩序が変わる時」があった。評判がいいと知っていたが、既に15万部に達していた。遅ればせながら読ませてもらったが、ソロスに10億ドルを儲けさせた人だけあって、中々の観察眼だった。

本や自身のプライベートも含め、正直で氏の人柄も伝わる一筆書きは快かった。特に長らくアメリカで仕事をしているせいか、アメリカの底力を良く知っていた。確かにバブル前後の日本叩きは、戦後の占領地政策と似ていた。

「アメリカはカジノのオーナー」というフレーズも良く出て来る。ドルを握っているから仮に中国と戦争しても、決済通貨のドルを抑えてしまえば終わりである。それが中国とロシアの違いのようだ。

写真で見る氏は男なのか女なのか、氏はトランスジェンダーと告白していた。その件で、あの紳士風のベッセント財務長官もゲイだと知って驚いた。

「失われた30年」の元凶は、やはり社員を整理しなかった事だった。氏は「ゾンビ社員」とか「働かないオジサン」と呼んでいたが、思えばとても日本的な処置で、自分で自分の首を絞めていた事になる。そんな時代も終わり、やっと労働需給は逆転した。給与も上が始め「ルイスの転換点」を超えた。

その他、日本はBIS Viewでアメリカの FED Viewを読み違えた事や、銀行潰しの受け皿(法律)が未整備だった事など、今更ながらそうかと思った。

本書が出たのが2024年末であった。あの時の日経平均は39,894円であった。当時は80年代のバブル越えで湧いたが、今では63,339円に何と50%も上がっている。投資していたら、1年半で100万円が150万円、300万円が450万円になっていた。もっと早くこれを読んでいたら、随分と家計も助かった・・・。

Friday, 22 May 2026

日韓のシャトル外交

日韓のシャトル外交が続いている。前回は高市首相の奈良、今回は李大統領の安東と、開催場所にも工夫が施されている。兎角些細な事から感情に火が付くお国柄である。「近くて遠い国」とも言われるが、トップが頻繁に会えば少しは気心も通じるだろう。いい事なので温かく見守りたい。

韓国の対日感情を象徴するのが、戦争博物館の展示である。大きな都市に行くと、その国の戦争博物館を見る事にしているが、ソウルの規模は世界的にも大きい方である。何度か訪れたが、特に朝鮮戦争で使われた兵器が所狭しと並べられていた。

館内の展示は歴史を時系列で辿っているので分かり易い。韓国らしいのは、その内容が時の風潮で替わるのである。

例えば反日が続いた時は、秀吉、加藤清正の朝鮮出兵から植民地時代までの抗日一色だった。処が朴槿恵政権になった頃だっただろうか、敵は日本から北朝鮮に代わっていた。朝鮮戦争や、北のスパイが闇に紛れて上陸する恐怖を煽っていた。

歴史家の宮脇淳子さんは、この書き換えを許容する国民性を「ファンタジー世界の住人」と呼んでいた。時の政権が都合のいいように歴史を弄るのである。「(韓国人は)ゴールポストを動かす」と言われたり、韓流ドラマが受けるのもその辺と関係している気がする。

日本製品の不買品運動や慰安婦像など、謂れのない批判はとても不快であった。もう繰り返して欲しくないので、今の関係が続いてくれればいいが・・・。

Tuesday, 19 May 2026

スパゲティーの話

 グルメ話の最後はスパゲティーである。ヨーロッパを旅すると、殆どランチはスパゲティーそれもボロネーゼにしている。ひき肉にオリーブ油で味付けしたこの一品は、当たり外れがない。

因みに今まで一番美味かったのが、意外にもマケドニアの首都スコピエだった。スコピエはソ連時代の銅像が建ち並ぶ荒廃した町だった。でもマザーテレサの生家を出た処で、小さなレストランのボロネーゼは格別だった。

トマトソースのナポリタンもいい。昔から日本の洋食屋の定番で、日本風にアレンジした味は喫茶店で生き続けている。

そのナポリタンだが、やはり本場のナポリの味に勝るものはなかった。郊外にあるポンペイの遺跡を見て、噴火したベスビオス山に登った。その帰り道、偶然立ち寄ったレストランで食べたナポリタンは最高だった。美味し過ぎて大皿二皿を平らげた。

またボンゴレという魚介類が入ったパスタもある。此方はバルセロナ郊外の漁村で食べた味が忘れられない。

一方ヨーロッパで一番不味いスパゲティーは、何とフランスのパリである。何処も茹で過ぎるからパスタはグニャグニャになる。こればかりはフランス人とイタリア人の味覚の違いを感じるのである。

Saturday, 16 May 2026

皇室典範改正のタブー

皇室典範の改正が進んでいる。男系男子の継承に限りがある中、女性天皇や旧宮家の復活が議論の的になっている。昔なら側室の子供が沢山いたので、こんな問題にはならなかった。皇室にはタブーが多いから、嘸かし関係者も大変だろう。

実はあえてそのタブーが許されるなら、第三の可能性もあると思っている。それは皇居に建つ楠木正成像に関係する。

楠木正成は鎌倉幕府打倒に貢献した武士である。後醍醐天皇に尽した英雄として、子供の頃に「青葉茂れる桜井の」の歌も聞かされた。でも何故その像が明治になって建てられたかがポイントである。

というのも、南北朝時代から江戸末期の孝明天皇まで、天皇はずっと北朝の血を継いでいたからである。ところが楠木正成は列記とした南朝の侍である。

つまりそこから導かれる解は、〜孝明天皇=北朝、明治天皇〜=南朝の構図である。従って「明治天皇は孝明天皇の子ではない」になる。では明治天皇は何処から来たのか?そして北朝の血を引く人たちは何処に行ったのか?が次の疑問になる。

話は飛ぶが、ダン・ブラウンの「ダヴィンチコード」にも似たような話があった。物語の最後に、ソフィーと称する普通の女性が村人に囲まれるシーンがある。彼女はキリストとマグダラのマリアの血を引く末裔として、何世代にも渡って保護されてきたのであった。

そう考えると、明治天皇になった若者やその祖先も、400年に渡る時代を経て保護されてきたと考えるのが妥当である。また維新で追放された北朝の人達も、今でも何処かに保護されながら暮らしているに違いない。

所詮は兄弟で袂を別った南北朝である。どちらも天皇家には変わりない。一時は失脚した北朝の末裔には男系男子もいるだろうし、南朝の旧宮家よりよっぽど筋を得ている気がしている。

Thursday, 14 May 2026

ラーメンの話

TV番組ではやたらに食べ歩きが多い。製作費が安いからだろうが、見ていると「美味そうだなあ!」と食べたくなってくる。その代表格がラーメンである。

日本人でラーメンを嫌いな人は殆どいない。だから仲間内でラーメン談議が始まると物凄く盛り上がる。「あの店が美味いの不味いの」と。普段は食に無頓着な男たちが、こぞって自慢話を始めるから可笑しい。その時だけは皆さん本当に生き生した顔になる。


個人的には、手軽に楽しめる丸源「肉そば」のファンである。ゆずスープに柔らかい肉が絶妙に絡み、何とも言えない味を醸し出している。麺に手を付ける前に、そのスープを一口二口と吟味するが、「この味だ!」と帰って来たような気分になる。

でも昔、寒い日にお腹が減って食べたラーメンに勝るものはない。正に「空腹こそ最大のご馳走」である。そして仕事帰りに散々梯子して、最後の〆として随分とお世話になった。

ミシュランガイドに初めて載ったラーメン屋にも行った。新宿の店に並んで待つ事1時間、不味くはなかったが、そこまでして行く処ではなかった。食の性格上、あまり凝り過ぎるのも良くない。やはり分須相応の弁えが大事で、「下町中華」の域を超えてはならない。

いつからかラーメンの決め手は水だと分かった。喜多方や佐野そして新潟など、美味いのは軟水の地であった。以来東京でどんなに頑張っても、(店主には申し訳ないが)余り期待しない事にしている。

Wednesday, 13 May 2026

レストランの勝手格付け

グルメの話しになると余りあり過ぎて、どこから攻めていいのか分からない。思い出したのは、知人のJC氏である。彼は趣味でレストラン巡りをしている内に、勝手格付けの本を出した美食家である。その名も「絶対行ってはいけない有名店、行かなきゃいけない無名店」であった。

当時はミシュランもない頃だったので、異色の辛口本だった。20年も前なのでもう紹介してもいいだろう。例えば有名店とされる吉祥寺の焼き鳥「いせや」や麻布の蕎麦屋「更科」を、ケチョンケチョンにこき下ろした。


一方で文京区の寿司「鮨すず木」など、無名店の発掘に励んだ。鮨すず木は何度か訪れたが、確かに美味しかった。

その中にロシア料理の店で、ご本人も出資した「ゴルバジェフ」があった。時あたかもソ連が崩壊した直後だった。日本を訪れた元大統領のゴルバジェフ氏が、自分の名前がレストランに冠していることに激怒し閉鎖に追い込まれた。

それはさて置き、その勝手格付は引き継いで借用させて頂いている。行った先ごとに、その感想を★、★★、★★★の三段階で評価する。こうすると記憶の片隅に残り、店主と真剣に向かい合える。

例えばお寿司だと、梅が丘の「美登里寿司」は安くて美味しいが、全て予約制かつ90分の時間制限、何より最近ではカウンターでアラカルトを堪能出来ないから★★に下げた。昔鳴らした「勘六」も、ガランとして値段だけは昔のままだから★である。一方友人と時々通う築地の「寿司清」は、いつも活気があってネタも新鮮だから★★★にしている。

Friday, 8 May 2026

東京のグルメ三昧

ゴールデンウィークが終わった。各地の行楽地や高速道路は大変な賑わいだった。現役のサラリーマン諸氏には、さぞかしお疲れとお察し申し上げる。

随分前から、この繁忙期は東京から出ない事にしている。そして普段は疎遠なグルメを堪能する。何より美味しいものを食べると幸せな気分になる。知らない味に接すると、五感が刺激され新たな発見に繋がる。


そういう事で今回も随分と贅沢した。まず初めは「根津のはん亭」である。暫く前にゴルフで一緒に廻った人が谷中の人だった。「谷中銀座は外人ばかりです」と話していたのを思い出し、昔よく通った串揚げの名店に行ってみる事にした。かれこれ30年ぶりだったが、古風な店構えは昔のままで懐かしかった。味はとても洗練されていて、コースの12本を広島の銘酒「誠鏡」で堪能した。

2軒目は話題になっている「焼肉きんぐ」である。テレビで黒柳徹子さんが肉を好んで食べていた。それを見て、「そういえば焼肉なんか何年も行ってないな!」と決めた。焼肉きんぐは時間制の食べ放題、飲み放題、久しぶりの肉は美味かった。肉はアンチエージング効果もあるので再チャレンジしてみたい。

3軒目はイタリアンである。家の近くにイタリア人がやっている店がある。これも久しぶりだったが、やはりモッツーラのピザや生ハムは本格的だった。

4軒目はとんかつである。渋谷の和幸もいいが、今回は青山の「まい泉」にした。風呂屋を改装した広々とした空間がとても心良い。とんかつ専門のこじんまりした店は、量が多いせいか胃に応える。その点チェーン店の和幸やまい泉はさっぱりしていて、お値段も手ごろなので気に入っている。ご飯との相性も良く、食べ終わると何とも言えない充実感に浸る。

Tuesday, 5 May 2026

スパイと公安

日本にも日本人スパイがいた事を思い出し、佐々木譲の「帝国の弔砲」を読み直した。

物語は、満洲に渡った子供がロシアで教育を受け、ロシアのスパイとして日本に送り込まれる大作である。オークニー島の「座って待っていたスパイ」と同様、普段は普通の生活をしているが、ある時同志がやってきてそのベールを脱ぎ、要人暗殺を企てるのであった。

これを読んでから、近所で職業不詳の人を見ると、「ひょっとしてスパイじゃないか?」と思うようになった。

この話を千葉に住むM君にすると、彼も「近所にいつもカーテンが下がっている家がある」という。グーグルマップでもボカシが入っているから、ひょっとして北朝鮮か中国のスパイでは?と疑っていた。

そのスパイを取り締まるのが公安である。普段はあまりご縁がないが、意外な所でお目に掛った。

随分前になるが、国際会議で来日したフィリッピンの女性社長がいた。彼女を含め何人かの外国人を連れて東京駅で新幹線に乗ろうとした時だった。その人が突然姿を消した。後で分かったのは、公安に補導され職務質問を受けたのだった。派手な服装と水商売風の風貌がいけなかったのかも知れない。その時初めて「身近な所に公安っているんだ!」と知った。

佐々木譲氏の小説は警察モノが多いが、こうした海外を舞台にした作品はとても面白い。「エトロフ発緊急電」や「ベルリン飛行指令」「ストックフォルムの密使」など、随分と楽しませてもらった。

Saturday, 2 May 2026

カウラの脱走事件

収容所からの脱走は自由を求める。ただそうでない脱走もある。それがカウラの脱走事件だった。

カウラ(Cowra)はシドニーから内陸に300㎞も入った町である。太平洋戦争の時に、南方戦線で捕虜になった日本の軍人と民間人約1100名が収容されていた。そして1944年8月5日に脱走事件が起きた。

捕虜達は鉄条網を乗り越えはしたものの、戦う武器もないまま、300人を超える死傷者を出して鎮圧された。中には自害した人もいて、当時はそれを狂気と見做された。ただ次第に日本人の死生観が明らかなるに連れ、事件の全容が解明されたのである。

日本軍人には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残す事勿れ」の教えがあった。そのため多くの兵士は、捕虜として生きている事に葛藤していた。もしも生きている事が日本の家族に分かれば、村八分や恩給の停止などで大きな迷惑が掛るからだ。

脱走は万歳突撃のような、死に場所を求めた最後の行為だった。まだ中学を出たか出ないで軍隊に入った若者にとっては、その理不尽を疑う事もなかった。

数年前にカウラを訪れた時、「鉄条網に掛かる毛布(Blankets on the wire)」というオーストラリア人が書いた本を読んでそれを知った。同じ頃にイタリア人捕虜も沢山いたが、彼らは只管戦争が終わるのを待って楽しく過ごしていたという。その対照的な生き方に、改めて複雑な思いがした。

収容所跡には、オーストラリア政府の手厚い配慮で日本人墓地と日本庭園があった。頭が下がる思いでお参りした。

Tuesday, 28 April 2026

監獄ホテルと脱獄劇

星のやが、奈良に監獄ホテルをオープンさせるという。今まで軽井沢や丸の内など、斬新的なセンスで成功させてきただけに、どうなるのか楽しみだ。

近くに監獄ミュージアムもあるようだ。オーストラリアにはこの手の観光名所が沢山あった。国民の4人に1人は祖先に囚人の血を引くお国柄だけあって、建国の歴史と深い関係があるからだ。ただ歩いていると囚人の嘆きが聞こえてきそうで、正直あまり楽しい処ではなかった。日本なら猶更陰湿な気がするので大丈夫だろうか?


ところで監獄を舞台にした映画は多い。スティーブ・マックイーンの大脱走やパピオン、ミッドナイトエクスプレスやグリーンマイルなど、モンテクルスト伯もあった。

中でも「ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)」は爽快な気分になる作品だった。冤罪で投獄された銀行員が、所長の蓄財を手伝いながら、最後は脱獄に成功してそのカネを得る話である。

そう言えば、モンテクルスト伯のダンテスも冤罪だった。映画の囚人の多くは政治犯や捕虜など、同情に値する人である。レミゼラブルのジャン・バルジャンも、パン一個を盗んだ罪で投獄された。だから脱獄劇はサクセスストーリーが受けるのである。

昔「カッコーの巣の上で」という精神病院の映画があった。見た人は誰しも、「自分も精神患者と大して変わらない」心理になった。そもそも人間は罪深い生き物である。ホテルやミュージアムも、そんな囚人に寄り添う趣向があったらいいが・・・。

Monday, 27 April 2026

旅の失敗談

旅は楽しいが、失敗談は後を絶たない。

そのシシリー島を出る時、カターニア空港のレンタカー屋に車を返そうとした時だった。「まだ一日残っています」と言われた。てっきり予約時に日にちを間違えたかと思って、そのまま鍵を返して空港に向かった。ところがいざ飛行機のチェックインをしようとすると、乗るべき便がない。暫くして、それは翌日の便だと気が付いた。

あわててレンタカー屋に引き返し、「やっぱり貴方が正しかった」とキャンセルのキャンセルを申し入れたが遅かった。仕方がないので、また新しい車を借りて町に引き返した。

昨年のスペイン旅行の時もあった。巡礼地として有名なサンチャゴに宿を取った時だった。例によってBooking.comを使い、Hotel Santiagoを予約した。ところが着いてみると地図が全く違う事に気付いた。暫くして、そのHotelはチリのサンチャゴだと分かった。幸いチリのホテルから代金を請求されることもなかった。

その他、クロアチアではバックして来た車に当てられた。急いでいたので、運転手の免許証や顔写真を撮ってその場を去った。ただ警察を呼ばなかったので事故証明も出ず、帰国してから保険会社と揉めた。幸い保険で全額カバーされたが、初歩的なミスをしてしまった。

今まで交通事故やスリ、パスポート紛失などに遭った事はないからいい方かもしれない。失敗談もその時は不快だが、不思議と時間が経つと忘れてしまう。

Sunday, 26 April 2026

ゴッドファーザーのロケ地

インバウンドで来日する人達の目的に、アニメの聖地巡りがあるという。アニメは疎遠なので、恩恵に授かれないのが残念だ。ただこうして日本文化が世界に浸透しているのは嬉しい限りである。アニメは知らなくても、海外のロケ地巡りをしているのでその気持ちはよく分かる。


今週のCNNニュースに、映画「ゴッドファーザー」のロケ地の話が載っていた。場所はシシリー島のサコバ(Sacova)という村で、マイケル・コルレオーネの結婚式を挙げた場所だった。

彼は酒場の娘を見染て結婚するのだが、村の人たちがエキストラとして駆り出された。当時18歳の女性は新婦の付き添い役で出演した。今では72歳になっていたが、「まだ水道も無かった村が、その映画を境に観光客が増えて村が潤った」と語っていた。

村はイタリア本土に渡るメッシーナという大きな港町の近くだった。メッシーナは2年前に通った。戦争で壊滅的な被害を被ったと聞いていたが、今ではその面影もなかった。

映画の中に、マイケルの横を米軍のジープが通るシーンがある。当時はその解放直後だった事も伺えたり、シシリー島への上陸の陰にはマフィアの協力が大きかったのを思い出した。小さな記事だったが、旅の記憶が少し蘇って来た。

Tuesday, 21 April 2026

ロマノフ王朝の頃

ロシアがウクライナに侵攻してから、かれこれ4年が経つ。当初は直ぐにキエフが陥ちると思っていたが、ウクライナの抵抗は大したものである。西側の支援があるとはいえ、やはり兵士や国民の士気が違うのだろう。

そんな中、久しぶりにロシア版の「戦争と平和」をDVDで観てみた。今から60年近く前の作品である。5年の歳月を経て完成した大作で、主演のリュドミラ・サベリエワは、子供の時から5年の歳月をかけナターシャを演じた。

当時はまだ中学生の頃だったが、その可愛らしさと気品にすっかりファンになってしまった。トルストイはナターシャをして「(コサック)ロシアの血が流れている」と言っていたが、貴族社会の気丈な女性の象徴だった。

当時のロシア社会は男は男らしく女は女らしく、日本の武家社会に似て堅固だった。文学や音楽の芸術の高さもそこから来ていた。それがロシア革命で消散し、独裁と陰湿な密告社会に成り下がってしまった。

つくづく今から思えばロマノフ王朝の崩壊が惜しまれる。もしも続いていれば、日本の天皇制のように国が纏まり安定したかも知れない。尤も昔は経済学と言えば、マルクス経済学が幅を利かせていた時代もあった。こぞって勉強したので、あまり偉そうな事は言えないが・・・。

Monday, 20 April 2026

オークニー島のスパイ

タリスカーと並ぶ印象的な蒸留所が、オークニー島のハイランドパーク(Highland Park)である。 

スコッチの多くはスペイサイドやハイランドで作られている。有名なシングルモルトのマッカラン(Macallan)やグレンフィディック(Glenfiddich)など、その酒蔵はとても美しい。行った時にも新郎新婦が記念撮影をしていたが、ビートの香りと相まって華やかな雰囲気がある。


一方オークニー島は、スコットランド最北端から船で渡る寂しい処である。人口2万人の島には石器時代の住居跡や、ストーンヘンジを大きくしたような石碑群が立ち並んでいた。こんな寒い所にも、古代から人が住んでいたかと思うと驚きである。そこにひっそりと佇むのがハイランドパークの蒸留所だった。

日本でもよく売っているが、スモーキーでどっしりとした味覚は好みである。「濃厚なシェリー風味のボディと絹の如き滑らかな口当たり」で、以来迷ったら飲むことしている一品である。

ところでそのオークニー島を舞台にした、ライト・キャンベルの小説「座って待っていたスパイ(The Spy Who Sat And Waited)」がある。

第一次大戦が始まる前に、ドイツは開戦を予想して島にスパイを送り込んだ。目的は島にある英国軍港の諜報である。彼は旅行者を装い定住し、現地の女性と結婚しバーの主人に治まった。そして待つ事20年、遂に戦争が勃発すると、軍港に停泊していた軍艦の撃沈誘導に成功するのであった。

男の名前はウルター、彼がバーで出していたのもきっとハイランドパークに違いない。ウィスキーの熟成に似た、只管待ち続ける仕事が終わった時の安堵感も一入だっただろう。これを読んでから、ひょっとして泊まっていた宿がその舞台だったか気になっている。