Thursday, 18 June 2026

将来は課長になる

新聞は随分前に取るのを止めた。その代わりに月1~2回、図書館に行ってまとめ読みしている。パラパラと鳥瞰すると、世相が肌感覚で伝わってくる。

日経新聞の今月の「私の履歴書」は、ケンタッキー・フライド・チキンの大河原毅さんだった。今まで氏をあまり存じ上げなかったが、中々の苦労人で誠実なお人柄が伝わってきた。

履歴の中に、大学を卒業して就職した日本プラント協会の話があった。会社の先輩の結婚式に出て、上司が「新郎は将来、大変優秀な課長になるでしょう」と挨拶した。それを聞いてプロパーの限界を悟り、直ぐに会社を退職したという。人によっては中々出来る事ではないが、その英断がその後の人生に繋がって行った。

個人的にも何度か転職した。滞在の最短は2週間だった。仰々しい面接を経て採用されたものの、仕事は派遣の女の子がする内容だった。「これは駄目だ!」と思ったが、真っ先に頭に浮かんだのは、そこを紹介してくれた元上司だった。「彼のメンツを潰してはいけない!」と思った。

事情を話しに行き、「でもご都合が悪いようでしたら1年は頑張ります!」と言った。すると「そんな事は気にするな!嫌ならいつでも辞めたらいい、又どっか紹介するから」と逆に励まされた。その男気にすっかり感心したのは言うまでもない。

そもそも仕事は楽しくないと続かない。だから会社に不平ばかり言っている人を見ると、「そんなに嫌だったら、違う仕事を見付ければいいのに」と思ってしまう。実際は妻子やローンを抱えるとそうもいかなのだろうが、所詮は一度キリの人生である。

尤もこれは「私の履歴書」に出て来るような人が話すから説得力がある。凡人だとそうは行かない・・・。

Tuesday, 16 June 2026

日銀の利上げ

 日銀が政策金利を0.25%上げて1%にした。1995年以来31年ぶりというから驚きだ。金利が数パーセントの時代に育った者にとっては、1%でもまだ低い気がするのに、政策転換のような騒ぎである。

そう言えば昔の指標は公定歩合だった。それが廃止されて政策金利になったとは、恥ずかしながら最近気が付いた。

日銀が利上げに慎重だった理由に、よく日銀の債務超過の話がある。河村小百合さんの「日本銀行 我が国に迫る危機」によく解説されているが、アベノミクスで買い上げた大量の国債やETFの評価損の問題である。債務超過になれば普通の企業なら倒産である。流石にお札を刷っているのも日銀だからそんな事にはならないだろうが、気になる今後である。


そんな最中、植田総裁が(2週間とはいえ)入院した。まさか苦渋の選択から来る心労でないだろうが、このタイミングに心配になる。そう言えば最近、元総裁の白川氏の存在が目立つ。立派な「通貨に信用を刻印する」の出版や、TVにもよく登場される。

白川さんは安倍首相の掲げた「2%の物価目標」とそりが合わなかった。彼は生え抜きだから、列記としたインフレファイターである。当時それが原因だったと外から見てても分かった。そして代わって登場したのが黒田さんである。異次元の金融緩和(世に言う「黒田バズーカ」)を行い、株価は上がりデフレも終わった。

しかし気が付いてみればその負の遺産が、今の日銀の足かせになっている。白川さんの復活はそんな揺り戻しと関係している気がするし、両者の間に入って後始末をする植田さんは気の毒である。

1%になるとは言っても、アメリカや英国は3.75%、EUは2.15%だから、まだまだ開きは大きい。だからそう簡単には円高に戻るとも思えないし、市民生活への影響が気になる。

Sunday, 14 June 2026

セキレイの巣作り

6月は衣替えの季節である。昔はこの時期、冬物の背広やオーバーをクリーニングに出していた。今は一年中ジーンズで過ごしているから、そんな煩わしさもない。改めて「社会生活って大変だった」と思う。

衣替えは人間だけでなく、犬も同じである。冬用のモコモコした毛が一気に生え変わる。毎日の毛すきが大変だが、庭に落ちた毛は小鳥たちが拾っていく。

巣作りを始めたのだろうか、毎朝やって来るセキレイは暫く木の上から見ていて、大丈夫だと分かるとサッと降りてくる。口一ぱいに抱えて持って行く姿は微笑ましい。「フカフカした最高の巣になるだろう!」と、エコをやっている気持ちになる。

処がそのやって来た小鳥が、時としてガラスに激突して失神する。一度は暫くして意識が回復し飛び立って行ったが、2回目はショックで死んでしまった。ベランダにいつまでも置いておくわけには行かないから、庭に出すと翌朝羽だけが散らばっていた。跡形もなく、自然界の厳しさが伝わってきた。

カラスも巣作りをする。ただ此方は可愛くない。随分前だが、高いスギノキの先にハンガーを集めては巣を作り出した事がある。危ないとは知っていたが、防災用のヘルメットを被って撤去した。頭上ではそれを見ていたカラスが、カーカーと旋回しそれは怖かった。

翌年から区役所に頼むことにした。ただ係員の人は、撤去は卵が孵ってからにするという。産卵時のカラスは警戒心が強いが、雛になるとそれも和らぐらしい。まだ毛が生えていない雛を持って行く光景は、あまり気持ちのいいものではなかった。

Friday, 12 June 2026

イランからの脱出

アメリカとイランの紛争が長引いている。そして今回はイスラエルもいる。有史以来のキリスト教とイスラム教の対立、それにユダヤ教も入った三つ巴の構図に、中々出口が見つからない。

そのイランだが、現政権は1979年に起きたイラン革命を継いでいる。当時の様子は、映画「アルゴ」などでその混乱が伝わってきた。そしてもう一つ、此方は小説だがケン・フォレットの「鷲の翼に乗って(On Wings of Eagles)」もあった。


物語は、イランと提携していたアメリカの保険システム会社が、革命に前後して社員が拘束される処から始まる。目的は膨大な身代金である。

幸い革命のドサクサで収容所からは脱出出来たが、隣国トルコまでの約2500㎞を陸路で渡らなくてはならない。途中シャーとホメイニの写真を状況によって使い分けながら、何とか脱出に成功するのだが、カーター政権が残留米国人の救出に失敗した矢先だけあって、それは奇跡だった。

改めて当時を振り返ると、革命の成功はホメイニが帰国してから、前政権との内戦を経て成し遂げられた事が分かる。だから今回もハーメネイ師殺害の前に、次期指導者を送り込んで内戦に持って行けば良かった。そうすれば少なくても、今のようにアメリカと直接対立する事は避けられた。

余談だが、多額の身代金の受け渡しは意外と難しい事が分かった。現金ではとても用意出来る額でない。すると送金になるが、イランでドル決済出来る銀行は限られている。有事ともなれば取引に制約が掛かるし、かといって事務所の先取り特権行使は時間も掛かる。どこの世界も同じで、犯人は要求してもカネの回収に手こずるのである。

Thursday, 11 June 2026

ランスロットプロジェクト

 中世の本を読んでいたら、アーサー王伝説を思い出した。

アーサー王はウェールズ出身で、12人の円卓の騎士と共に英国を統一した人物として語り継がれている。一説には架空の人物とも云われるが、ケルト文化の象徴として、大陸も含めて彼方此方に足跡を残している。

その一番の腹心が、ランスロット(Sir Lancelot)」という若者だった。腕が立ちしかもイケメンで、アーサー王の右腕として活躍した。

処がランスロットは、若い頃からアーサー王の王妃と関係を持っていた。今風に云えば不倫だが、最後はそれを政敵によって密告され、王国は崩壊するのであった。

昔ドイツの会社と、アライアンスの仕事をしていた時があった。「日独で世界のシェアーを取りに行こう!」と、会議や研修を重ね親密な関係構築に努めた。中でも総勢100名の温泉合宿は、正に裸と裸の付き合いで絆は強まった。

ただある時、ドイツ側が付けたプロジェクト名が「ランスロット」だと分かった。殆ど気に留める人はいなかったが、個人的には内心「これは日本を寝取る作戦か?」と疑った。暫くしてそんな心配は思い過ぎだと分かったが、一時はヒアっとした。

Wednesday, 10 June 2026

ケン・フォレットの中世シリーズ

先日、今ベストセラーになっているマーク・グリーニーの「レッドメタル」を読んでみた。アフリカに眠るレアアースを巡り、米ソが争奪戦を繰り広げる話である。ただとても専門用語が多すぎて、途中で止めてしまった。ITを駆使した現代の戦争は、アナログに慣れている世代には消化出来る域を超えている。

左様に近代のアクション小説は人間味に欠ける。かと言って、ジャック・ヒギンズやアリステラ・マックリーン、フレデリック・フォーサイスやクライブ・カスラーなど、ひと世代前の面白そうな小説は殆ど読んでしまった。人生の楽しみもそろそろ底を着き始めたかと思った。


そんな矢先、そういえばケン・フォレットの中世モノにはまだ手を付けていなかった事を思い出した。氏の「針の眼」や「レベッカへの鍵」、「ジャックドウ」や「ペテルスブルグから来た男」など、20世紀を舞台にした小説は大のファンだった。数年前の「ネバ―」も面白かった。

一方英国の中世を扱った作品は、舞台に馴染みない事や、原書で読むには難解な用語が多すぎて無理だった。処が本棚に眠っていた「大聖堂(The Pillars of the Earth)」を読み直してみると、これが中々良かった。文庫で三冊、約2000頁の大作だったが、一気に読んでしまった。

特に、僧侶と城、教会の関係、それに縛られる男女と子供達の話など、12世紀とは思えない現実味があった。これを契機に、まだ征服していない中世シリーズにチャレンジする楽しみが出来てきた。

Thursday, 4 June 2026

阿部監督の逮捕事件

先日、巨人軍の阿部監督が逮捕され退団する事件があった。娘さんが「父から暴力を受けた」と児童相談所に連絡すると、警察が家にやってきて逮捕に至ったという。詳しい事は分からないが、立件もしない即逮捕に違和感があったし、何より一番驚いたのは当の娘さんだったというから可笑しな話である。

これで逮捕されるなら、世のお父さんの殆どが牢屋に入っているだろう。普通なら、家に来た警察官はまず「どうしました?」と聞く。娘は「父に倒されましたがもう大丈夫です、有難うございました」、お父さんも「色々お騒がせしてすみませんでした、以後気を付けます」で済む話である。

それがここまで発展したのは、法律の一人歩きと関係している気がする。法が家庭内の人間関係を阻害するなら本末転倒である。コンプライアンスの順守やAIとの付き合い方も同じであろう。これを機会に専門家で議論して欲しいと思う。

余談だが、オーストラリア入国にはETA(VISA)の申請が必要である。その質問事項の中に、「家庭内暴力(Domestic Violence)がありましたか?」がある。もしそれにレ点を付ければ、多分引っ掛かるだろう。海外渡航にも支障が出るし、これから思っている以上のダメージがある気がする。

Sunday, 31 May 2026

浅草ロック座の国際貢献

 TVのアド街ック天国を見ていたら、「昭和レトロの街」で浅草がNO1に選ばれた。仲見世商店街だけでなく、庶民的な劇場も多い下町文化が評価されたようだ。思い出したのはロック座だった。

1970年代の半ばに、田中首相が訪れたインドネシアで大規模な反日運動が起きた。それを主導したのがインドネシア大学医学部の学生だった。大丸はじめ日系企業がその標的になったので、経団連も鎮静に動いた。そして「彼らを日本に呼んで日本を知ってもらおう!」という事になった。


「相手が学生なら此方も学生がいい」と、とある団体の代表を務めていた関係で呼ばれた。晴天の霹靂とはこの事だったが、費用はアメリカの財団が出すという。麻布にある事務所を訪れ、趣意書を渡すとすんなり通してくれた。古風な一軒家だったが、生まれて初めて日本家屋に土足で上がった。今から思えばそこはCIAの出先機関だった。

それから暫くして一行が日本にやってきた。そして公私に渡る交流を図ったのだったが、ある日彼らを浅草のロック座に連れて行った。何故そこにだったのか覚えていないが、外人をストリップで持て成すのが当時の社会慣行だったのかも知れない。

入ると舞台では艶めかしい女性が裸体を披露していた。それを見たインドネシアの学生は、奇声を上げて館内を走り狂ってしまった。きっと敬虔なイスラム教にはない初めての世界だったのだろう、その思いも掛けない爆発にはビックリした。

彼らが帰国すると、反日運動はピタッと止まったのは言うまでもない。今風に云えば、ロック座が日本の安全保障に大きく貢献した事になる。

余談だが、高校の国語の教師にHさんという人がいた。一年の半分を志賀直哉の暗夜行路につぎ込む変人だったが、彼は若い頃、浅草ロック座の脚本を書いていたと自慢していた。そう言えば、欽ちゃんの奥さんもそこのスターだった。

色々ご縁があった場所が、未だに残っているのは嬉しい限りである。

Friday, 29 May 2026

水俣病と漁師の話

暫く前に、病院の待合室で順番待ちをしていた時だった。目の前に新しい新聞があったので手にしてみた。それは朝日新聞だった。普段はめったに読まないし、慰安婦前後から教条的なタッチが肌に合わないから久しぶりだった。


その日は、水俣病の特集だった。多くの写真入りで、半世紀前に起きた事件を振り返り、未だに多くの患者が大変な日々を送っている様子を紹介していた。自分の中では既に過去のものになっていただけに、現実から目を背けていた罪悪感も湧いて来た。

その中に、ある漁師一家の話があった。大黒柱だった漁師は随分前に亡くなったが、その死因は特定されなかった。しかし家族は暫く前から、その症状が水俣病に似ていると気付いていた。ただそうは思っても、長い間それを口外する事はなかったという。

何故なら、その漁師一家は漁で生活していたからである。もしもひょっとして、水銀が入っていた魚を売っていた事が分れば、村では生きていけなくなる。彼は家族を守ったのかもしれない。

公害の怖さは、魚を食べた被害者がいる一方で、本来は同じ被害者なのに、魚を取った漁師を加害者にしてしまう。それまでは平和に暮らしていた村が、滅茶苦茶になった様子が伝わってきた。

Tuesday, 26 May 2026

暗殺の現場巡り

先日ホワイトハウスに銃を持った男が侵入し射殺された。一カ月ほど前にも、ホワイトハウス主催の晩さん会で発砲騒ぎがあったばかりである。2年前にはペンシルバニアの集会で、 トランプ大統領の右耳を銃弾か掠めたのは記憶に新しい。次から次へと続く暗殺計画に、国内の不吉な空気を感じる。

要人の暗殺は、時によって歴史の大きな転換点になる。安倍さんの時もそうだったが、自民党の求心力に陰りが出た。時を経てその現場に立つと、止まったままの時間を共有する不思議な感覚になる。

その体験の最たるものが、ダラスのJFKだった。10数年前に訪れたが、JFKが被弾した場所の道路には×印が残っていた。オズワルドが狙撃したとされるビルも当時のまま保存されていた。ただそこから単発銃で狙うには余りに遠く、誰もが近くのグラッシーノールと呼ばれる小高い丘が怪しいという気持ちになる。

もう一つはヒットラーの(未遂だったが)暗殺現場である。場所はロシア国境に近いポーランドの「狼の巣」であった。ワルキューレ作戦と称したクーデター計画で、シュタウフェンブルク大佐が総裁大本営仕掛けた爆弾が爆発した。ヒットラーは一命を取り留め計画は失敗したが、防空壕などが現存する中、その現場は跡形もなくなっていた。

シュタウフェンブルクの家系を書いた「Secret Germany]」という本がある。彼は名門貴族の末裔で、ドイツを狂気から解放する崇高な使命感を持った人だった。

Sunday, 24 May 2026

ルイスの転換点

久しぶりに本屋に行くと、齋藤ジン氏の「世界秩序が変わる時」があった。評判がいいと知っていたが、既に15万部に達していた。遅ればせながら読ませてもらったが、ソロスに10億ドルを儲けさせた人だけあって、中々の観察眼だった。

本や自身のプライベートも含め、正直で氏の人柄も伝わる一筆書きは快かった。特に長らくアメリカで仕事をしているせいか、アメリカの底力を良く知っていた。確かにバブル前後の日本叩きは、戦後の占領地政策と似ていた。

「アメリカはカジノのオーナー」というフレーズも良く出て来る。ドルを握っているから仮に中国と戦争しても、決済通貨のドルを抑えてしまえば終わりである。それが中国とロシアの違いのようだ。

写真で見る氏は男なのか女なのか、氏はトランスジェンダーと告白していた。その件で、あの紳士風のベッセント財務長官もゲイだと知って驚いた。

「失われた30年」の元凶は、やはり社員を整理しなかった事だった。氏は「ゾンビ社員」とか「働かないオジサン」と呼んでいたが、思えばとても日本的な処置で、自分で自分の首を絞めていた事になる。そんな時代も終わり、やっと労働需給は逆転した。給与も上が始め「ルイスの転換点」を超えた。

その他、日本はBIS Viewでアメリカの FED Viewを読み違えた事や、銀行潰しの受け皿(法律)が未整備だった事など、今更ながらそうかと思った。

本書が出たのが2024年末であった。あの時の日経平均は39,894円であった。当時は80年代のバブル越えで湧いたが、今では63,339円に何と50%も上がっている。投資していたら、1年半で100万円が150万円、300万円が450万円になっていた。もっと早くこれを読んでいたら、随分と家計も助かった・・・。

Friday, 22 May 2026

日韓のシャトル外交

日韓のシャトル外交が続いている。前回は高市首相の奈良、今回は李大統領の安東と、開催場所にも工夫が施されている。兎角些細な事から感情に火が付くお国柄である。「近くて遠い国」とも言われるが、トップが頻繁に会えば少しは気心も通じるだろう。いい事なので温かく見守りたい。

韓国の対日感情を象徴するのが、戦争博物館の展示である。大きな都市に行くと、その国の戦争博物館を見る事にしているが、ソウルの規模は世界的にも大きい方である。何度か訪れたが、特に朝鮮戦争で使われた兵器が所狭しと並べられていた。

館内の展示は歴史を時系列で辿っているので分かり易い。韓国らしいのは、その内容が時の風潮で替わるのである。

例えば反日が続いた時は、秀吉、加藤清正の朝鮮出兵から植民地時代までの抗日一色だった。処が朴槿恵政権になった頃だっただろうか、敵は日本から北朝鮮に代わっていた。朝鮮戦争や、北のスパイが闇に紛れて上陸する恐怖を煽っていた。

歴史家の宮脇淳子さんは、この書き換えを許容する国民性を「ファンタジー世界の住人」と呼んでいた。時の政権が都合のいいように歴史を弄るのである。「(韓国人は)ゴールポストを動かす」と言われたり、韓流ドラマが受けるのもその辺と関係している気がする。

日本製品の不買品運動や慰安婦像など、謂れのない批判はとても不快であった。もう繰り返して欲しくないので、今の関係が続いてくれればいいが・・・。

Tuesday, 19 May 2026

スパゲティーの話

 グルメ話の最後はスパゲティーである。ヨーロッパを旅すると、殆どランチはスパゲティーそれもボロネーゼにしている。ひき肉にオリーブ油で味付けしたこの一品は、当たり外れがない。

因みに今まで一番美味かったのが、意外にもマケドニアの首都スコピエだった。スコピエはソ連時代の銅像が建ち並ぶ荒廃した町だった。でもマザーテレサの生家を出た処で、小さなレストランのボロネーゼは格別だった。

トマトソースのナポリタンもいい。昔から日本の洋食屋の定番で、日本風にアレンジした味は喫茶店で生き続けている。

そのナポリタンだが、やはり本場のナポリの味に勝るものはなかった。郊外にあるポンペイの遺跡を見て、噴火したベスビオス山に登った。その帰り道、偶然立ち寄ったレストランで食べたナポリタンは最高だった。美味し過ぎて大皿二皿を平らげた。

またボンゴレという魚介類が入ったパスタもある。此方はバルセロナ郊外の漁村で食べた味が忘れられない。

一方ヨーロッパで一番不味いスパゲティーは、何とフランスのパリである。何処も茹で過ぎるからパスタはグニャグニャになる。こればかりはフランス人とイタリア人の味覚の違いを感じるのである。

Saturday, 16 May 2026

皇室典範改正のタブー

皇室典範の改正が進んでいる。男系男子の継承に限りがある中、女性天皇や旧宮家の復活が議論の的になっている。昔なら側室の子供が沢山いたので、こんな問題にはならなかった。皇室にはタブーが多いから、嘸かし関係者も大変だろう。

実はあえてそのタブーが許されるなら、第三の可能性もあると思っている。それは皇居に建つ楠木正成像に関係する。

楠木正成は鎌倉幕府打倒に貢献した武士である。後醍醐天皇に尽した英雄として、子供の頃に「青葉茂れる桜井の」の歌も聞かされた。でも何故その像が明治になって建てられたかがポイントである。

というのも、南北朝時代から江戸末期の孝明天皇まで、天皇はずっと北朝の血を継いでいたからである。ところが楠木正成は列記とした南朝の侍である。

つまりそこから導かれる解は、〜孝明天皇=北朝、明治天皇〜=南朝の構図である。従って「明治天皇は孝明天皇の子ではない」になる。では明治天皇は何処から来たのか?そして北朝の血を引く人たちは何処に行ったのか?が次の疑問になる。

話は飛ぶが、ダン・ブラウンの「ダヴィンチコード」にも似たような話があった。物語の最後に、ソフィーと称する普通の女性が村人に囲まれるシーンがある。彼女はキリストとマグダラのマリアの血を引く末裔として、何世代にも渡って保護されてきたのであった。

そう考えると、明治天皇になった若者やその祖先も、400年に渡る時代を経て保護されてきたと考えるのが妥当である。また維新で追放された北朝の人達も、今でも何処かに保護されながら暮らしているに違いない。

所詮は兄弟で袂を別った南北朝である。どちらも天皇家には変わりない。一時は失脚した北朝の末裔には男系男子もいるだろうし、南朝の旧宮家よりよっぽど筋を得ている気がしている。

Thursday, 14 May 2026

ラーメンの話

TV番組ではやたらに食べ歩きが多い。製作費が安いからだろうが、見ていると「美味そうだなあ!」と食べたくなってくる。その代表格がラーメンである。

日本人でラーメンを嫌いな人は殆どいない。だから仲間内でラーメン談議が始まると物凄く盛り上がる。「あの店が美味いの不味いの」と。普段は食に無頓着な男たちが、こぞって自慢話を始めるから可笑しい。その時だけは皆さん本当に生き生した顔になる。


個人的には、手軽に楽しめる丸源「肉そば」のファンである。ゆずスープに柔らかい肉が絶妙に絡み、何とも言えない味を醸し出している。麺に手を付ける前に、そのスープを一口二口と吟味するが、「この味だ!」と帰って来たような気分になる。

でも昔、寒い日にお腹が減って食べたラーメンに勝るものはない。正に「空腹こそ最大のご馳走」である。そして仕事帰りに散々梯子して、最後の〆として随分とお世話になった。

ミシュランガイドに初めて載ったラーメン屋にも行った。新宿の店に並んで待つ事1時間、不味くはなかったが、そこまでして行く処ではなかった。食の性格上、あまり凝り過ぎるのも良くない。やはり分須相応の弁えが大事で、「下町中華」の域を超えてはならない。

いつからかラーメンの決め手は水だと分かった。喜多方や佐野そして新潟など、美味いのは軟水の地であった。以来東京でどんなに頑張っても、(店主には申し訳ないが)余り期待しない事にしている。

Wednesday, 13 May 2026

レストランの勝手格付け

グルメの話しになると余りあり過ぎて、どこから攻めていいのか分からない。思い出したのは、知人のJC氏である。彼は趣味でレストラン巡りをしている内に、勝手格付けの本を出した美食家である。その名も「絶対行ってはいけない有名店、行かなきゃいけない無名店」であった。

当時はミシュランもない頃だったので、異色の辛口本だった。20年も前なのでもう紹介してもいいだろう。例えば有名店とされる吉祥寺の焼き鳥「いせや」や麻布の蕎麦屋「更科」を、ケチョンケチョンにこき下ろした。


一方で文京区の寿司「鮨すず木」など、無名店の発掘に励んだ。鮨すず木は何度か訪れたが、確かに美味しかった。

その中にロシア料理の店で、ご本人も出資した「ゴルバジェフ」があった。時あたかもソ連が崩壊した直後だった。日本を訪れた元大統領のゴルバジェフ氏が、自分の名前がレストランに冠していることに激怒し閉鎖に追い込まれた。

それはさて置き、その勝手格付は引き継いで借用させて頂いている。行った先ごとに、その感想を★、★★、★★★の三段階で評価する。こうすると記憶の片隅に残り、店主と真剣に向かい合える。

例えばお寿司だと、梅が丘の「美登里寿司」は安くて美味しいが、全て予約制かつ90分の時間制限、何より最近ではカウンターでアラカルトを堪能出来ないから★★に下げた。昔鳴らした「勘六」も、ガランとして値段だけは昔のままだから★である。一方友人と時々通う築地の「寿司清」は、いつも活気があってネタも新鮮だから★★★にしている。

Friday, 8 May 2026

東京のグルメ三昧

ゴールデンウィークが終わった。各地の行楽地や高速道路は大変な賑わいだった。現役のサラリーマン諸氏には、さぞかしお疲れとお察し申し上げる。

随分前から、この繁忙期は東京から出ない事にしている。そして普段は疎遠なグルメを堪能する。何より美味しいものを食べると幸せな気分になる。知らない味に接すると、五感が刺激され新たな発見に繋がる。


そういう事で今回も随分と贅沢した。まず初めは「根津のはん亭」である。暫く前にゴルフで一緒に廻った人が谷中の人だった。「谷中銀座は外人ばかりです」と話していたのを思い出し、昔よく通った串揚げの名店に行ってみる事にした。かれこれ30年ぶりだったが、古風な店構えは昔のままで懐かしかった。味はとても洗練されていて、コースの12本を広島の銘酒「誠鏡」で堪能した。

2軒目は話題になっている「焼肉きんぐ」である。テレビで黒柳徹子さんが肉を好んで食べていた。それを見て、「そういえば焼肉なんか何年も行ってないな!」と決めた。焼肉きんぐは時間制の食べ放題、飲み放題、久しぶりの肉は美味かった。肉はアンチエージング効果もあるので再チャレンジしてみたい。

3軒目はイタリアンである。家の近くにイタリア人がやっている店がある。これも久しぶりだったが、やはりモッツーラのピザや生ハムは本格的だった。

4軒目はとんかつである。渋谷の和幸もいいが、今回は青山の「まい泉」にした。風呂屋を改装した広々とした空間がとても心良い。とんかつ専門のこじんまりした店は、量が多いせいか胃に応える。その点チェーン店の和幸やまい泉はさっぱりしていて、お値段も手ごろなので気に入っている。ご飯との相性も良く、食べ終わると何とも言えない充実感に浸る。

Tuesday, 5 May 2026

スパイと公安

日本にも日本人スパイがいた事を思い出し、佐々木譲の「帝国の弔砲」を読み直した。

物語は、満洲に渡った子供がロシアで教育を受け、ロシアのスパイとして日本に送り込まれる大作である。オークニー島の「座って待っていたスパイ」と同様、普段は普通の生活をしているが、ある時同志がやってきてそのベールを脱ぎ、要人暗殺を企てるのであった。

これを読んでから、近所で職業不詳の人を見ると、「ひょっとしてスパイじゃないか?」と思うようになった。

この話を千葉に住むM君にすると、彼も「近所にいつもカーテンが下がっている家がある」という。グーグルマップでもボカシが入っているから、ひょっとして北朝鮮か中国のスパイでは?と疑っていた。

そのスパイを取り締まるのが公安である。普段はあまりご縁がないが、意外な所でお目に掛った。

随分前になるが、国際会議で来日したフィリッピンの女性社長がいた。彼女を含め何人かの外国人を連れて東京駅で新幹線に乗ろうとした時だった。その人が突然姿を消した。後で分かったのは、公安に補導され職務質問を受けたのだった。派手な服装と水商売風の風貌がいけなかったのかも知れない。その時初めて「身近な所に公安っているんだ!」と知った。

佐々木譲氏の小説は警察モノが多いが、こうした海外を舞台にした作品はとても面白い。「エトロフ発緊急電」や「ベルリン飛行指令」「ストックフォルムの密使」など、随分と楽しませてもらった。

Saturday, 2 May 2026

カウラの脱走事件

収容所からの脱走は自由を求める。ただそうでない脱走もある。それがカウラの脱走事件だった。

カウラ(Cowra)はシドニーから内陸に300㎞も入った町である。太平洋戦争の時に、南方戦線で捕虜になった日本の軍人と民間人約1100名が収容されていた。そして1944年8月5日に脱走事件が起きた。

捕虜達は鉄条網を乗り越えはしたものの、戦う武器もないまま、300人を超える死傷者を出して鎮圧された。中には自害した人もいて、当時はそれを狂気と見做された。ただ次第に日本人の死生観が明らかなるに連れ、事件の全容が解明されたのである。

日本軍人には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残す事勿れ」の教えがあった。そのため多くの兵士は、捕虜として生きている事に葛藤していた。もしも生きている事が日本の家族に分かれば、村八分や恩給の停止などで大きな迷惑が掛るからだ。

脱走は万歳突撃のような、死に場所を求めた最後の行為だった。まだ中学を出たか出ないで軍隊に入った若者にとっては、その理不尽を疑う事もなかった。

数年前にカウラを訪れた時、「鉄条網に掛かる毛布(Blankets on the wire)」というオーストラリア人が書いた本を読んでそれを知った。同じ頃にイタリア人捕虜も沢山いたが、彼らは只管戦争が終わるのを待って楽しく過ごしていたという。その対照的な生き方に、改めて複雑な思いがした。

収容所跡には、オーストラリア政府の手厚い配慮で日本人墓地と日本庭園があった。頭が下がる思いでお参りした。

Tuesday, 28 April 2026

監獄ホテルと脱獄劇

星のやが、奈良に監獄ホテルをオープンさせるという。今まで軽井沢や丸の内など、斬新的なセンスで成功させてきただけに、どうなるのか楽しみだ。

近くに監獄ミュージアムもあるようだ。オーストラリアにはこの手の観光名所が沢山あった。国民の4人に1人は祖先に囚人の血を引くお国柄だけあって、建国の歴史と深い関係があるからだ。ただ歩いていると囚人の嘆きが聞こえてきそうで、正直あまり楽しい処ではなかった。日本なら猶更陰湿な気がするので大丈夫だろうか?


ところで監獄を舞台にした映画は多い。スティーブ・マックイーンの大脱走やパピオン、ミッドナイトエクスプレスやグリーンマイルなど、モンテクルスト伯もあった。

中でも「ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)」は爽快な気分になる作品だった。冤罪で投獄された銀行員が、所長の蓄財を手伝いながら、最後は脱獄に成功してそのカネを得る話である。

そう言えば、モンテクルスト伯のダンテスも冤罪だった。映画の囚人の多くは政治犯や捕虜など、同情に値する人である。レミゼラブルのジャン・バルジャンも、パン一個を盗んだ罪で投獄された。だから脱獄劇はサクセスストーリーが受けるのである。

昔「カッコーの巣の上で」という精神病院の映画があった。見た人は誰しも、「自分も精神患者と大して変わらない」心理になった。そもそも人間は罪深い生き物である。ホテルやミュージアムも、そんな囚人に寄り添う趣向があったらいいが・・・。

Monday, 27 April 2026

旅の失敗談

旅は楽しいが、失敗談は後を絶たない。

そのシシリー島を出る時、カターニア空港のレンタカー屋に車を返そうとした時だった。「まだ一日残っています」と言われた。てっきり予約時に日にちを間違えたかと思って、そのまま鍵を返して空港に向かった。ところがいざ飛行機のチェックインをしようとすると、乗るべき便がない。暫くして、それは翌日の便だと気が付いた。

あわててレンタカー屋に引き返し、「やっぱり貴方が正しかった」とキャンセルのキャンセルを申し入れたが遅かった。仕方がないので、また新しい車を借りて町に引き返した。

昨年のスペイン旅行の時もあった。巡礼地として有名なサンチャゴに宿を取った時だった。例によってBooking.comを使い、Hotel Santiagoを予約した。ところが着いてみると地図が全く違う事に気付いた。暫くして、そのHotelはチリのサンチャゴだと分かった。幸いチリのホテルから代金を請求されることもなかった。

その他、クロアチアではバックして来た車に当てられた。急いでいたので、運転手の免許証や顔写真を撮ってその場を去った。ただ警察を呼ばなかったので事故証明も出ず、帰国してから保険会社と揉めた。幸い保険で全額カバーされたが、初歩的なミスをしてしまった。

今まで交通事故やスリ、パスポート紛失などに遭った事はないからいい方かもしれない。失敗談もその時は不快だが、不思議と時間が経つと忘れてしまう。

Sunday, 26 April 2026

ゴッドファーザーのロケ地

インバウンドで来日する人達の目的に、アニメの聖地巡りがあるという。アニメは疎遠なので、恩恵に授かれないのが残念だ。ただこうして日本文化が世界に浸透しているのは嬉しい限りである。アニメは知らなくても、海外のロケ地巡りをしているのでその気持ちはよく分かる。


今週のCNNニュースに、映画「ゴッドファーザー」のロケ地の話が載っていた。場所はシシリー島のサコバ(Sacova)という村で、マイケル・コルレオーネの結婚式を挙げた場所だった。

彼は酒場の娘を見染て結婚するのだが、村の人たちがエキストラとして駆り出された。当時18歳の女性は新婦の付き添い役で出演した。今では72歳になっていたが、「まだ水道も無かった村が、その映画を境に観光客が増えて村が潤った」と語っていた。

村はイタリア本土に渡るメッシーナという大きな港町の近くだった。メッシーナは2年前に通った。戦争で壊滅的な被害を被ったと聞いていたが、今ではその面影もなかった。

映画の中に、マイケルの横を米軍のジープが通るシーンがある。当時はその解放直後だった事も伺えたり、シシリー島への上陸の陰にはマフィアの協力が大きかったのを思い出した。小さな記事だったが、旅の記憶が少し蘇って来た。

Tuesday, 21 April 2026

ロマノフ王朝の頃

ロシアがウクライナに侵攻してから、かれこれ4年が経つ。当初は直ぐにキエフが陥ちると思っていたが、ウクライナの抵抗は大したものである。西側の支援があるとはいえ、やはり兵士や国民の士気が違うのだろう。

そんな中、久しぶりにロシア版の「戦争と平和」をDVDで観てみた。今から60年近く前の作品である。5年の歳月を経て完成した大作で、主演のリュドミラ・サベリエワは、子供の時から5年の歳月をかけナターシャを演じた。

当時はまだ中学生の頃だったが、その可愛らしさと気品にすっかりファンになってしまった。トルストイはナターシャをして「(コサック)ロシアの血が流れている」と言っていたが、貴族社会の気丈な女性の象徴だった。

当時のロシア社会は男は男らしく女は女らしく、日本の武家社会に似て堅固だった。文学や音楽の芸術の高さもそこから来ていた。それがロシア革命で消散し、独裁と陰湿な密告社会に成り下がってしまった。

つくづく今から思えばロマノフ王朝の崩壊が惜しまれる。もしも続いていれば、日本の天皇制のように国が纏まり安定したかも知れない。尤も昔は経済学と言えば、マルクス経済学が幅を利かせていた時代もあった。こぞって勉強したので、あまり偉そうな事は言えないが・・・。

Monday, 20 April 2026

オークニー島のスパイ

タリスカーと並ぶ印象的な蒸留所が、オークニー島のハイランドパーク(Highland Park)である。 

スコッチの多くはスペイサイドやハイランドで作られている。有名なシングルモルトのマッカラン(Macallan)やグレンフィディック(Glenfiddich)など、その酒蔵はとても美しい。行った時にも新郎新婦が記念撮影をしていたが、ビートの香りと相まって華やかな雰囲気がある。


一方オークニー島は、スコットランド最北端から船で渡る寂しい処である。人口2万人の島には石器時代の住居跡や、ストーンヘンジを大きくしたような石碑群が立ち並んでいた。こんな寒い所にも、古代から人が住んでいたかと思うと驚きである。そこにひっそりと佇むのがハイランドパークの蒸留所だった。

日本でもよく売っているが、スモーキーでどっしりとした味覚は好みである。「濃厚なシェリー風味のボディと絹の如き滑らかな口当たり」で、以来迷ったら飲むことしている一品である。

ところでそのオークニー島を舞台にした、ライト・キャンベルの小説「座って待っていたスパイ(The Spy Who Sat And Waited)」がある。

第一次大戦が始まる前に、ドイツは開戦を予想して島にスパイを送り込んだ。目的は島にある英国軍港の諜報である。彼は旅行者を装い定住し、現地の女性と結婚しバーの主人に治まった。そして待つ事20年、遂に戦争が勃発すると、軍港に停泊していた軍艦の撃沈誘導に成功するのであった。

男の名前はウルター、彼がバーで出していたのもきっとハイランドパークに違いない。ウィスキーの熟成に似た、只管待ち続ける仕事が終わった時の安堵感も一入だっただろう。これを読んでから、ひょっとして泊まっていた宿がその舞台だったか気になっている。

Sunday, 19 April 2026

Resilient なウィスキー職人

日本のウィスキー事情を知りたくて、「Japanese Whisky 日本蒸留所年鑑」なるものを取り寄せた。それによると、今や輸出額では清酒を凌駕し、500億円の成長産業になっていた。確かにサントリーの山崎や響は何十万円もするから、追随するのは当然かも知れない。

大手を除く殆どの蒸留所は、この数年で始まっていた。母体は地元の酒蔵やベンチャーなど様々である。本の著者は土屋守氏、この道の有名ジャーナリストである。以前スコットランドやアイルランドの蒸留所を訪れた時、彼の「シングルモルトを愉しむ」で予習して知見を深めさせてもらった。今回もその熱意が伝わって来た。


ところで10年以上前に、スカイ島のタリスカー(Talisker)蒸留所を訪ねた時だった。館内にはここで働く男たちの「資質9か条」が掛かっていて、痛く感銘を受けた。

その第一条は「逆境に直面しても、しなやかに適応する性格(Resilient)」であった。第二は「創造力がある事(Inventive)」、第三は「ユーモアがある事(Humorus)」、第四は「タフ(Tough)」、第五は「自分の事は自分でする(Self-sufficient)」、以下「水に強い事(Waterproof)、忍耐力(Patient)、強運(Lucky)」であった。

これから浮かび上がるのが、寡黙でコツコツ働く人の良さである。スコッチの起源は、イングランドの迫害から逃れて山奥で始めた密造酒である。その孤独な環境と戦う内に形造られたのだろう。

ウィスキーは熟成するまで、何年も待たなくてはならない。そこが日本酒との一番の違いである。新蒸留所も既にその試練が始まっている。

Friday, 10 April 2026

知床の観光船沈没事故

クラフトウィスキーを探していると、4年前に北海道の知床で起きた、観光船沈没事故に遭遇した。船員、観光客26人が全員死亡した記憶に新しい出来事である。


その犠牲者の一人が、会津で大手スーパーを営む跡継ぎの青年だった。彼は慶大を卒業し英国留学した。その際に現地のウィスキーに魅せられ、帰国して天鏡蒸留所なるクラフトウィスキーを立ち上げた。

24歳の時だったが、それから4年後にあの事故に遭いこの世を去った。地元では氏の意思を継いだウィスキー事業が続いているという。

毎日のニュースで、交通事故や火事で亡くなる人が絶えない。ただ殆ど自分とは無関係なのであまり気にも留めないが、こうして身近な話になると、残された両親、友人、取り分け有望な跡継ぎを亡くした一家の無念さが伝わってくるのであった。

Thursday, 9 April 2026

クラフト(ご当地)ウィスキー

 先日、ある人から珍しい国産ウィスキーを頂いた。SAB Dark Blackという富山のウィスキーだった。ご本人が富山出身だったご縁だが、中々コクがあって美味かった。

それから暫くして酒屋で、Ichiros Maltという聞き慣れないウィスキーを見つけた。此方も国産で中々の味だった。調べてみたら、武川蒸留酒販売というクラフトウィスキーの草分けだと分かった。ベンチャーで起業し、蒸留所は秩父と意外な場所だった。


クラフト(ご当地)ビールはよく見かけるが、クラフトウィスキーもこの20年で120を超える蒸留所が出来ていた。規制緩和の賜物だろう。「山崎」や「響」に代表される日本のブレンド力は世界のトップクラスだから、これからが楽しみだ。

日本は加工技術立国である。焼酎の麦はオーストラリア産、富山のマス寿司のマスはロシア産、金沢の金細工の金も勿論輸入品である。資源のない国の創造性は凄い!

Saturday, 4 April 2026

大和の父子(おやこ)桜

この4月7日は、戦艦大和が沖縄特攻で沈んだ日である。連合艦隊の司令長官を務めたのが伊藤整一中将であった。そのエピソードを綴った中田整一著「四月七日の桜〜戦艦大和と伊藤整一の最後」は胸に詰まる一冊である。

大和特攻から3週間後に、ご子息もカミカゼで沖縄に突っ込んだ。同じ月に夫と一人息子を亡くした夫人は、二人を追うように逝ったという。現存するご自宅には毎年この時期になると立派な桜が花を付ける。桜の幹は二つに分かれているので、筆者は「父子(おやこ)桜」と呼んでいた。戦争を知らなくても、それを見ると当時の様子が蘇ってくる。


もう一つ、毎日のように通うテニス倶楽部がある。今時珍しいクレーコートで11面もある。整備に時間と手間が掛かるものの、クレーは足への負担が少ないから好評である。

実はその土地はオーナーの祖父が、日露戦争で殉死した弔慰金で買った土地だった。日露戦争では海と陸で25万人もの死傷者が出た。取り分け陸軍の損害は甚大だったが、そこで倒れた人の所縁で毎日元気を貰っている。

敷地にはやはり大きな桜の木が聳えている。倶楽部会員はこの季節、テニスそっちのけで花見をやる。故人がどこかで、目を細めて見ているような気がしている

Thursday, 2 April 2026

歯科のサングラス

 オーストラリアを旅していた時、歯茎が痛くなったので歯科に行った。診察室に入るや、「このグラスを掛けて下さい!」と言われ、サングラスを渡された。


歯科の診察台はライトが明るいので、目をぐっと閉じなくてはならない。ところがそのサングラスを掛けると暗室に入ったような感じになり、グッと安心感が高まるのであった。

帰国してその事を知人の歯科医に話した。一人は年配の歯科医だった。感心していたものの、「へーそうなんですか?」と聞き流していたのが分かった。もう一人は若い人だった。彼は早速iPhoneを取り出し、何やらメモしていた。

彼は暫くして職場でそれを試したらしく、「患者さんにとても好評だった」と報告してくれた。今まで手拭いで目を覆っていたよりスマートだし、医者的にも患者の視線を気にしなくなったという。

些細な事だが、やはり若い人は頭が柔らかいから新しい事に寛容だ。AIやロボットの進化で、世の中は物凄いスピードで変わっている。政治も経営もそうだが、どんどん若い人に任せた方がいい。そんな事を感じた一コマだった。

Wednesday, 1 April 2026

ジンダイアケボノが咲く頃

 今年もサクラの季節がやってきた。この週末は天気も良かったのでお花見日和だった。我が家も恒例の花見を楽しんだ。酒屋で冷えたビールを取り寄せ、料理は近所の奥さんたちが作ってくれた。夕方になると、一斗缶に焚き木で暖を取る。夜まで時間も忘れて延々と続いたので飲み過ぎてしまったが・・・。

日本人は本当に桜が好きである。四季の移り変わりに敏感な国民性から来るのだろう。桜を見ていると、生きている実感が湧いてくる。「散る桜、残る桜も散る桜」の刹那さも好きだ。散るのに美しく感じるのは、詫び錆びの文化である。


ただ何年か前から、その代表的なソメイヨシノが枯れ始めている。昨日も井の頭公園に行ってみたが、昔に比べてスカスカになっていた。そう言えば「ワシントンのポトマック河の桜も枯れ始めた」とTVで言っていた。

我が家の桜も、数年前に一本が枯れてしまった。1mの幹だけは何とか残ったが、今年思い切って新しい桜に植え替えた。樹木医に聞くと「ジンダイアケボノがいい!」というので、植木屋に頼んで小さな苗を植えて貰った。

ソメイヨシノに比べて少しピンク色が強い。まだ2cm程の小さな苗木に一輪付いていた。20〜30年すればこれも立派な木になるだろう。でももうその頃には、私はこの世にいないかも知れない。

それでもその咲き誇る光景を思い浮かべると、楽しみな気分になってくる。樹木医が「動物には寿命があるが、樹木は手を掛ければ永遠に生き続けます」と言っていたのと、何か関係する気がする。

Tuesday, 31 March 2026

神奈川県警とノルマ主義

神奈川県警の相次ぐ不祥事が話題になっている。ストーカー被害の届けを軽視し、女性が殺害された事件は記憶に新しい。今月はパトカーの取り締まりが問題だったと、交通反則金34百万円が返還される異常事態が起きた。その他にも警察官の窃盗、詐欺、セクハラ、暴力団との共謀などが相次ぎ、全く飽きれる限りである。

これらの背景には、安易な成果主義があるらしい。例えば国から貰える「交通安全対策特別交付金」は、反則切符の枚数で決まるという。だから挙って検挙するようだが、取り締まられる方は溜まったものではない。

かく言う私も、その被害者の一人である。昨年暮れに大磯の海を見に行った時だった。高速を降りて暫くすると、後ろパトカーが「車を止めろ」という。何だろうと思っていると、お巡りが下りてきて「インターを出た処で一時停止しなかった」という。止まらずに交差点に入る事は絶対ない自信があったので、「証拠を見せてくれ」と頼んでも「内部情報は出せない」と頑張る。暫く押し問答が続いた挙句、「7000円の罰金切符を切ります。これ払えば済みますから・・・」と言って去っていった。

直ぐにその場で注意されるなら未だしも、5分も走って車が止め易い駐車場まで来た処で尋問されるのも気に入らなかった。きっと彼らは同じことを繰り返しているに違いない。長年の維持して来たゴールド免許が消えるのも悔しいし、何より署のノルマ達成の犠牲になったのに腹が立った。いつもは無縁の警察官だが、この時ばかりは権力に立ち向かう学生のような気持になったのである。

Wednesday, 25 March 2026

悪夢の裏銀座ルート

先日、久しぶりに長野の大町市を訪れた。春とは言っても、北アルプスはまだ雪で覆われていた。その壮大な景色を眺めながら、在りし日のことを思い出した。

あれは30代半ばだったか、その北アルプスの裏銀座に挑戦した時だった。金曜日の夜行電車で行こうとしていた処、急用が入って出発は土曜の朝になった。その半日の遅れが、後で大きな致命傷になった。


裏銀座ルートは大町から垂直に烏帽子岳に登り、野口五郎岳、水晶岳を通り三俣蓮華、双六を経て槍ヶ岳を目指すルートである。一度烏帽子まで登れば、後は尾根伝えの比較的平坦な道が続くと思っていた。ところが双六を過ぎた辺りで陽が暮れ始めた。おまけに疲労が足に来て、一歩進んでは休むという最悪の状況になってきた。

遠くに槍ヶ岳山荘の明かりが見えるのに、ちっとも前に進まない。そして気が付くと野猿の群れが現れ、じっと此方を見ているではないか!今から思えばどうやって山小屋には辿り着いたか思い出せないが、その恐怖と不安で頭の毛が白くなってしまった。

思えば1泊二日か2泊三日のコースだった。若気の至りとは言え、無茶をしてしまった。大町市の小高い丘に登ると、烏帽子岳しか見えなかったが、40年近く前の事がまるで昨日のよう蘇って来た。

Sunday, 22 March 2026

禁酒とヒジャブの国

今話題のイランとはどんな国なのだろう?行った事もないし、唯一出逢ったイラン人はいい印象がなかった。テレビに映るのは何故か男だけ、皆髭を蓄えて目つきが鋭い。でもテニスのアンドレ・アガシは好人物だし、日本で活躍するサヘル・ローズも美しい女性だ。

そんな国を少しでも知りたく、都内にあるペルシャレストランに行ってみた。「営業中」の看板が出ているのに鍵が掛かっていた。ガチャガチャやっていると主人が中から開けてくれたが、店内は昼だというのに暗かった。まさか此処までミサイルが飛んでくるはずもないが、警戒心を感じた。

料理は定番のケバブと豆の煮込みを頼んだ。どちらも塩辛いので、ワインが必要だった。折角なのでイランワインと思っていたら、レバノン産しかない。考えてみれば禁酒の国だから、酒なんてあるはずもなかった。

アルコールだけでなく、イスラム文化は女性に厳しそうだ。ヒジャブで顔を隠さなくてはならないし、結婚も親が決める気がする。昔読んだジェフリー・アーチャーの小説で、英国人と結婚しようとしたインド人女性が、父親に射殺される件を思い出した。

でもこうした風習は、生活の知恵から来ているのかも知れない。豚肉を食べないのは疫病から身を守る為とか、アルコールも灼熱の気候と関係してたり、女性の縛りも良からぬ欲望を生まないとか・・・、いつか識者に聞いてみたい。

Thursday, 19 March 2026

ベネゼイラのWBC優勝

 ワールドベースボールでベネゼイラが優勝した。それもアメリカに競り勝った。ベネゼイラはこの1月、大統領がアメリカに拘束されたばかりである。今回のイランもそうだが、一国のトップが他国に浚われたり殺されたりすれば、誰しも反米感情が生まれる。選手もファンも、その不思議な力を授かったのかも知れない。

ヒトは大きな逆境に直面すると覚醒する。

フレデリックフォーサイスの短編「The Emperor (帝王)」は、それを物語る代表作である。普段は地味な銀行員で、奥さんの尻に轢かれる男がいた。彼はある時誘われ一本釣りの漁に出ると、死闘の末500㎏を超えるカジキを釣り上げた。港に帰って来ると、「銀行なんて、マダムなんて糞くらえ!」と、正に「海の男」になっていたのである。

ジョン・トーランドの「バルジ大作戦」もある。ヨーロッパ戦線末期に、バルジ(突出部分)に取り残された米兵の心境である。普段は贅沢で自尊心が強い兵士が、冬の寒さと支援が途絶えた中で戦い抜いた。著者は「恐るべき戦士に仕上げられた」と言っていたが、死を乗り越えるとヒトは変わるのであった。舞台になったアルデンヌの森にも足を運んだので、身近に感じている。

尤も覚醒も良からぬ方向に走るきっかけになる。太平洋戦争を始めた日本人もそうだったが、追い詰められた生存本能は時として暴走する。今回もイラン人がこれからどう出るか?とても気になる。

Tuesday, 17 March 2026

部屋にいる象

オーストラリアのワインには変わったネーミングが多い。その一つが「Elephant in The Room(部屋にいる象)」である。名前は「どっしりとして香りも良く繊細さがある、だから放っておけない味」から来ている。値段も手ごろだし、確かにコクがあって美味しい。


ところが最近、その「部屋にいる象」がパレスチナ問題で使われていたのを知った。パレスチナは戦後イスラエルが入植してから、どんどん領土を失い多くの難民を生んでいる。特にガザ侵攻は非人道的な出来事で、イスラエルに非難が集まった。

ただ欧米や日本もそうだが、遠い国の混乱として、見て見ぬ振りをしているのも事実である。そんな時に使う英語が「部屋にいる象」だった。言葉の由来は、「昔とある国の王様が部屋で象を飼っていたのに、周りの人は誰も咎める事が出来ず、何も言えなかった」のようだ。

そう言えば、今のトランプ大統領もそうかも知れない。独断と偏見に、周囲はイエスマンばかりになって誰も意見をしない。自由なアメリカで本当に不思議な現象である。巨象は虚像、正に裸の王様である。

余談だが、ベルギーのビールに「Delirium(デリリウム)=幻覚、せん妄」という凄い名前が付いたのがある。瓶のラベルにピンクの象が付いている。アルコール度が8.5%と高く、泥酔するとピンクの象が見えて来るの処に由来している。よくこんなネーミングが許されると思うが、昔は象がそれだけ身近だったのかも知れない。

Saturday, 14 March 2026

アメリカに眠る戦利品

九段に用事があった序に、久しぶりに靖国神社の遊就館に寄ってみた。以前は館内放送があって、出て来るとすっかり国粋主義者になったものだが、今は静かだった。

遊就館は日本で最大級の戦争博物館である。ただその展示品の少なさは寂しい限りである。例えば東条英機の眼鏡があったが、彼の軍刀はノーフォークのマッカーサー記念館にある。真珠湾攻撃の九軍神の写真であるが、捕虜になった酒巻大尉の写真は彼の乗っていた潜航艇と共に、テキサスのニミッツ提督の故郷に飾っている。

飛行機もそうだ。入り口には修復されたゼロ戦が置かれていたが、スミソニアン博物館には無傷のゼロ戦始め、紫電改、月光、飛龍、桜花、天山、晴嵐などが保存されている。

その他、寄せ書きの日章旗、軍刀といった小物に至っては、アメリカの東海岸に多数ある博物館やオーストラリア、シンガポールなどに分散している。そしてその横には、必ず天皇ヒロヒトが戦争の象徴として、ヒットラーと同格に描かれているのである。

日本は戦後(アメリカの占領地政策もあって)戦争をタブー視して来た。だから遺品や戦利品の返還努力をして来なかった。アメリカに行って初めて己の過去を知るのも困ったものである。そろそろ大体的な遊就館拡張事業を始めてもいいのではないか。

Tuesday, 10 March 2026

イラン革命防衛隊のスパイ?

アメリカとイスラエルがイランの指導者を殺害、イランは中東各国の施設を攻撃し報復が始まった。原油価格は60ドルから倍に跳ね上がり、株価も大きく下落した。6万円になろうかとしていた日経平均も、昨日は5万円を割りそうになってきた。

日本にいるとそんなおカネの心配ばかりが募るが、ユダヤ人とイラン人の関係を身近に感じるのがオーストラリアであった。何年か前にシドニーにあるホロコースト博物館を訪れた事があった。オーストラリアには10万人程のユダヤ教徒が住んでいるが、そんな人たちを保護するにしてはやや大掛かりな施設であった。

2024年にそのユダヤ人のレストランやシナゴーグが、たて続きに襲撃される事件が起きた。犯行の黒幕が(ニュースでよく出て来る)イラン革命防衛隊(IRGC)だった。その為2025年8月にイラン大使は国外退去になり、大使館も閉鎖される事態に発展した。

実はそれに先立つ2025年1~2月、パース郊外のフリマントルに長期滞在した時だった。アパートの隣に住む男が、夜になると長時間電話する声が壁越しに聞こえてきた。その声はコーランのように抑揚がなく、中国人の話し方に似てとても攻撃的で気持ち悪かった。初めは別れた奥さんとの口論位に思っていたが、明け方まで続く電話に中々寝付かれなくなると何か別のモノを感じた。

(家主に聞くと)男はイラン人で石油会社に勤める嘱託だという。何度か「静かにしてくれ」と注意したが、翌日も同じ事が繰り返された。そのやり取りが今回のアメリカ・イラン交渉に似ていて、ノラリクラリ取り合わないアラブ風なのであった。アメリカが痺れを切らしたのも分かる気がした。

それから数カ月して国交が断絶した時期を思うと、彼はIRGCのスパイだったかも知れない?

一方のユダヤ人だが、昨年12月にシドニー近郊のビーチで発砲事件があり、15人が死亡40人以上が負傷した。犯人はISの影響を受けたパキスタン系の親子だったが、改めて反ユダヤ感情が根深い事が伺えた。

昨日もオーストラリアで、イランの女子サッカー選手数人が亡命した。アメリカの要請があったようだが、中東の混乱はまだまだ続く。

Friday, 6 March 2026

清潔な日本のトイレ

オーストラリアの人と話していると、日本に行った人の多さに驚く。「先週スキーに行って来た!」とか「来週から大阪に食べに行く!」とか、訪日の国別ランキングでも7位に入っている。勿論数の上では韓国や中国の比ではないが、年間100万人にも上る。

その人達が口を揃えて言うのが、「日本は清潔で安全な国だ」である。特に掃除の行き届いた街並みに感心するようで、中でも公衆トイレの清潔さはウォシュレット効果もあって好評である。

それを物語るのが、映画「パーフェクト・デイズ」である。役所広司演じる都のトイレ清掃員の話である。実はこの作品もネットフリックスで観たというオーストラリア人から聞いて知った。最初は「えっ?トイレ掃除の映画?」と訝ったが、日本が大きな信頼を得ている源泉と分かってから気持ちが変わった。

日本人の清潔好きは今に始まった事ではない。昔読んだ「ペリー提督、日本遠征記」にも、インド洋から中国を経て琉球に入った時の印象が綴られていた。ペリーは「琉球ほど清潔な国を見た事がない。一片のゴミや塵を見る事もなく、中国のあらゆる都市の汚さとは非常に異なっている」と語っていた。

日本の良さを外国の人に教えられ、初めて気付く事は多い。浮世絵やミシュランの高尾山などがいい例だが、今回も自慢できるものが一つ増えた。

Sunday, 1 March 2026

子供のメンタルヘルス

Op shopの多さと共に、目に付いたのがメンタルヘルスであった。最初は「病んでいる人が多いのかな?」位に思ったが、そう言えば以前お世話になったブリスベンの家にも、カウンセラーが来ていたのを思い出した。

そのお宅は郊外に建つ一軒家で、英国から渡って来た50歳代のご主人と奥さん、そして一人息子の3人暮らしだった。ご主人は三回目の結婚で、前の奥さんとの間に生まれた子供も成人し、やはりブリスベンに住んでいた。奥さんも2度目の結婚、その子は前夫との間に生まれた子供だった。

ただ男の子は一日中家にいて、曲にならないバイオリンを弾いていた。何か変だなと思ったが、暫くして不登校だと分かった。週末になるとカウンセラーがやって来て、3人で何やら話し合っていたのが印象的だった。

帰国して調べてみたら、16〜24歳のZ世代と呼ばれる若者の4人に1人は精神疾患を持っている事が分かった。また2人に1人は潜在的なトラウマ体験を持っているいう。コロナの影響や学校のイジメもあるが、原因は親の経済状況、中でも住宅ローンの不安が断トツだった。

例えばこの国の平均所得10万ドルの人が、100万ドルの家を買ったとする。ローンを8掛けの80万ドルで組むと、オーストラリアの金利は7%と高いので、毎年の金利負担だけで5.6万ドルにもなる。つまり年収の50%以上が利払いになり、さらにそれに元本が加わるのであった。滞在中も金利が上がるニュースで大騒ぎになった理由も頷けた。


年々増え続ける人口に不動産の供給が追い付かない。だから価格は上がる一方で、元々リバレッジの高いお国柄もあり、困窮の構図が見えて来た。親が生活費に困ると家庭内の雰囲気も悪くなる。子供のメンタルヘルス費にも影響し、益々悪循環に入って行くのであった。

もう一つの不安に気候変動による環境問題がある。オーストラリアらしい話だが、昨今の日常化する森林火災や洪水は正に生存に直結していた。それを子供は敏感に感じていた。

そして万国共通のSNSが煽る不安もある。昨年末から16歳未満の子供のSNS利用が禁止された。世界初であるが、その背景にはSNSで子供が自殺した親の強い働きかけもあった。そうは言っても、ゴルフで一緒に廻った親子の15歳の少年は、ショットする時以外ずっとスマホを見ていた。お父さんに「禁止されたんじゃないの?」と聞くと、「ソシアルメディアはね」とまだまだ改善の余地は多いようだ。

その他地元のゴルフ倶楽部ハウスでは、認知症の人たちのケアー活動が行われていたし、ビーチを歩けばスタッフが付き添う精神患者もいたし、全豪オープンのショップも患者らしき人が訓練を兼ねて売り子をしていたり・・・、一見明るくて豊かに見えても、実は色々悩み事も多いのだった。

Friday, 27 February 2026

Op shop

オーストラリアの町で目に付くのが、Op Shopと呼ばれるリサイクルショップである。今回宿泊した1万人程度の町でも、10軒以上はあっただろうか、OpはOppotunity の略である。

お店には衣服や食器から家具・装飾品・本などの生活品を綺麗に並べて置いてあった。ただ係の人も何となく素人ぽい。後で分かったのだが、これは赤十字などの慈善団体が運営している慈善事業の一つで、多くの人はボランティアだった。

人々は家庭で要らなくなったモノを寄付し、それを販売する事で恵まれない人々の支援金にしているのであった。如何にもキリスト教の国らしく、その互助精神には感心させられた。

年末の大掃除で、長年使っていなかった衣服を処分した事がある。高く売れると思っていた皮のジャケットやオーバーなども、結局は二束三文で、駐車代や待ち時間のレストラン代などで相殺されてしまった。もっと清く人の為に使っている人達を見て、思う処があった。

Thursday, 26 February 2026

ペンギンプロジェクト

 メルボルンの観光名所に、フィリップ島のペンギンパレードがある。同市を訪れた人なら誰しも一度は行く場所と聞き、話の種に行ってみた。

日没を過ぎると、沖からペンギンが浜に上がって巣に帰る。そのパレード見物だが、もの凄い数の観光客(中でも断トツは中国人)に圧倒された。夏とは言っても夕方になると急激に気温が下がり風も強くなる。そして寒さに震えて待つ事2時間、やっと暗闇にペンギンが現れた。

そのペンギンだが、メルボルンから350km程離れたWarrnambool という海沿いの町で面白い話を聞いた。それは沖に浮かぶ島のペンギンプロジェクトの話だった。

その島では2000年当時、500頭を超えるリトルペンギンが生息していた。ところが狐が雛を襲い始めると、2005年にはたった10頭に減ってしまった。

そこで地元の鳥農家の人が、ニワトリを守るために飼っていた犬をペンギンの見守りに使ってみた。すると狐は来なくなり、今では180頭程に回復したという。

犬の犬種はマレンマ・シープドック(Maremma Sheepdog)、ゴールデンレトリバーに似て優しい感じがする家畜護身犬である。今でも訓練を重ねた数頭でペンギンを守っているという。市の観光局には犬の縫いぐるみを土産物として売っていた。如何にもオーストラリアらしい心温まる話であった。

余談だが、偶然この話を知ったのも、隣町のPort Fairy Golf Linksに行ったからである。美しい海岸沿いのゴルフコースは100年以上の歴史があり、全豪ベスト50にも選ばれる名門であった。平日だというのに多くのゴルファーが来ていて、それは忘れられない体験になった。

Wednesday, 25 February 2026

明るいオーストラリアの人々

インバウンドで来日の外国人で、この寒いのにTシャツ姿で歩いている人がいる。思わず「馬鹿じゃない!」と目を疑うが、彼らは100%オーストラリアの人である。夏の南半球からやって来たので、まだ体が温かいのだろう。そんな彼らと接する内に、その実態が段々分かってきた。


1)性格

 とても気さくである。ゴルフ場やビーチで擦れ違い際に目が合うと、誰でも必ずニコッと挨拶する。「グッダイ!」、最初はどういう意味かと思ったが、暫くしてGood dayの短縮形「G'day!」だと知った。

見知らぬ他人でも、昔から知り会いだったかのように話し始める。最初は戸惑うが、慣れて来ると気楽でいい。

此方の英語が多少聞き取れなくても、辛抱強く聞き取ろうと努める。様々な移民英語に慣れているせいだろうか?一方でAussie Englishも何を言っているのかよく分からない。eをアイと発音したり先の短縮系が多いからだ。町の名前のPortsea をポッチーと発音され、分かるはずもなかった。

2)食の感覚

食は総じて薄口を好む。ステーキも塩だけで食べるし、チーズもタスマニアに代表されるようにコクがない。酒屋の主人が言っていたが、「日本のウィスキーは強すぎる」という。来日の人が食べるラーメンも、実はスープが濃いのかも知れない。

それにしても外食は不味くて単調である。味に無頓着なのは英国の血を惹いているからだろう。何処に行ってもマックやFish&Chipsばかりで、よく飽きないと未だに不思議である。

以前泊まった家にリバプールから移って来た50代の主人がいた。奥さんも共働きだったので平日は自分で作っていたが、その食はビックリする程質素だったのを思い出す。

3)住居と家具

住居は平屋建ての一軒家で羨ましい限りである。どこも比較的新しく、広いリビングに隣接するキッチンにはバーのカウンターが付いている。

価格が気になったので不動産屋を覗いて見てみると、メルボルン郊外でも優に100万ドル(1億1000万円)以上していた。一方で個人の借り入れもほぼ同額程度あるというので、実態はかなり深刻なようだ。Airbnbで貸し出す宿が多いのもそのせいかも知れない。

そんな部屋を飾る家具は殆ど輸入物(中国製)である。大きなショッピング店に入る家具店は、スペインの時もそうだったが95%以上は中国製、中国が潤う訳である。

4)車

広い国に欠かせないのが車である。車は100%輸入、その6割が日本製である。中でもトヨタが目立つ。自国では作らずに鉱物資源を輸出して得たカネで買っている。

5)国民性

滞在期間中、ミラノの冬季オリンピックをやっていた。オーストラリアはモーグルスキーやスノボーで3つの金メダルを取った。TVでは何度もその映像を流していたが、自国選手への応援は万国共通であった。彼らの喜び表現は(全豪オープンの時もそうだったが)、桁違いに爆発する。

1月26日はAustralia Dayであった。恒例の式典の中継を見ていると、相変わらず強い愛国心が伝わってきた。今年で入植238年目である。英国やアイルランドの流刑地としてスタートしたので、国民の4人に1人は受刑者の血を継いでいる。長い航海を経て罪は浄化され、第二の人生が始まり今に至っている。第二の国歌と言われるワルティング・マチルダがそれを物語っている。

メルボルン湾の入り口に、当時の移民が疫病で隔離された場所あった。そこは長い航海で亡くなった人の埋葬地でもあった。そんな過酷な過去を乗り越え、厳しい自然の中で只管に前だけを見て生きてきた。オーストラリアの人が明るいのは、そんな歴史に由来する気がした。

Tuesday, 24 February 2026

オーストラリアのゴルフ事情(下)

 5)プレースタイル

ゴルファーの4人に3人はカートを使う。カートも1人一台だから贅沢この上ない。倶楽部に自分専用のカートを置いておく倉庫もある。私は運動の為と称して歩いているが・・。

ゴルフの腕前は総じて下手な人が多い。子供なら何処でも5ドルで回れる気軽さから来るのかも知れないが、その点は日本人の方が上である。シャツは上から出して、よっぽどいい倶楽部に行かない限り、服装はいい加減である。

意外かも知れないが、殆ど男女は別々に回っている。特にコンペなどは男性しかいない。家庭を大事にするAussie husbandだが、この時だけは伸び伸びするのだろう。


6)19番ホール

18ホールが終わって辿り着くビールの味は格別である。昔はよくワンパイントを頼んでいたが、Aleなど度数が強いのを飲むと帰りの運転がきついので、最近では半分にしている。ゴルフ場にはアルコールの自己検査機を備えている処もあるから、事故も多いのかも知れない。

ビール一本でワイワイガヤガヤ、プレー後の皆さんは本当にいい顔している。

7)Links とRidge

Linksと呼ぶコースがある。海沿いの砂地に作った天然のゴルフ場である。新しく開発される事がないから、100年以上の古いコースが多い。代表的なのはスコットランドのセントアンドリュースであろうが、メルボルン近郊にも多かった。

強い横殴りの海風で、真っ直ぐ飛んだボールが途中から直角に曲がってしまう。向かい風はドライバーで打っても100y以下、逆に追い風ならピッチングでも150yは飛ぶ。これを覚えると風が味方になる。

もう一つは Ridgeである。兎ねって起伏があるコースを指す。前の組が見えな処があるので気を付けなくてはいけない。傾斜がきついと真ん中を狙っても転がり落ちるので、山側を狙うのが定石だ。

8)距離表示

オーストラリアの距離はメートル表示である。本場英国がヤードなのに何故なのだろう。日本のヤードに慣れているかせいか、将又日差しが強いので思ったより近く見えるせいか、何度やっても寄せがどうしてもショートする。

9)日本との違い

彼方から見る日本のゴルフ場は、変に厳格でゴージャスである。受付のユニフォーム姿や立派なロッカーと風呂、そして何より未だに残るジャケット着用や豪華な食事文化など。恐らく企業の接待文化の名残なのだろうが、そろそろ変わってもいい頃だと思っている。

オーストラリアのゴルフ事情(上)

ここ数年、冬になると温かいオーストラリアで過ごしている。やるのは只管ゴルフである。もうかれこれ90ラウンド程になるだろうか?今年はメルボルン近郊にした。ただ宿は都心だと騒々しいから、今回は80㎞程離れた湘南のような海沿いの町にした。これが大正解で、小さなビーチ沿いの田舎町は快適だった。

メルボルンはオーストラリア第二の都市である。ゴルフ場の数は人口に比例するのでコースも沢山あった。数千人の町にも必ず一つあるから、とても1カ月で廻り切れる数ではない。以下、そのゴルフ事情を2回に分けて紹介したい。


1)ゴルフ場の種類

大きく分けて2つある。一つはGolf Clubと称する文字通りの倶楽部、結婚式も出来るレストランを有する町の集会場である。勿論メンバー制だが、ビジターも空いていればプレーする事が出来る。料金はPGAも開催される本格コースになると100〜200ドルするが、一般的には40〜70ドル程度である。

もう一つはGolf Courseである。倶楽部ではないからレストランはなく、ビールもタップ式でなく冷蔵庫から出した缶や瓶になる。パブリックは殆どこれに該当する。料金は40〜55ドル程度、ドレスコードもないからTシャツでやっている人もいる。


2)予約の方法

倶楽部の探し方はグーグルマップでGolf courseを選択し、倶楽部のWeb siteから登録・予約する。ただ平日のだと結構空いているので、ぶらっと行っても大丈夫である。着いてから前が空いていればいつでもスタートさせてくれる。

3)スタートの前に

オーストラリアのゴルフ場に着くと、まずPro shopと称する店で支払いを済ませる。大体おじさんが一人でやっている。あとはカートを片付けるアルバイトやレストランの女性ぐらいで、殆ど人件費が掛かっていないのが分かる。

受付で聞かれるのは「H18かH9か?カートか歩きか?」の二つである。歩きだとバギーを借りる。大体5ドル程度だが、何度もやる内に自分用を買った。そのバギーだが、Pull buggy と呼んでいたらPush buggyと呼ぶ人もいた。ノコギリもそうだが、彼らは押す力が強い。確かにバギーは押している人が多い。

4)プレーの注意事項

特にない。どこでも至って寛容である。「Enjoy!」と良く言われるが、兎に角ゴルフは楽しむ事が大事なようだ。例えば打ち込まれても、目くじら立てて怒る人はいない。一度前の組が見えずに打った球が、グリーン上でパットしている人の足元まで転がった事があった。ヒアっとして散々誤ったが、彼らはあけらっかんとしていて、むしろ「Nice shot!」と言われたのには恐縮した。

現地の人と一緒に廻る事も良くある。(片言英語だが)話していると、何処のゴルフ場がいいとか、近くのビール工場の作り立てが美味いとか、貴重な情報源になる。一緒に廻ったからと言って、相手のスコアを確認する慣習もない。

Monday, 23 February 2026

自然と共存する国

 オーストラリアは自然に溢れた国である。ゴルフ場には野生のカンガルーやウォンバットなどが生息してる。ヘビもいるからブッシュに入ったボールは取りに行かないようにしている。カンガルー家族にカメラを向けると、立ち上がって警戒するお父さんの横で寝そべる子供の姿が何とも可愛らしい。

コースには動物のフンが落ちているから、ハエがやたらに多い。打とうと構えると顔に群がるので集中出来ないからイライラする。ところが一緒に廻るオーストラリアの人は全く気にしない。これもお国柄なのかと改めて思った。

一方で自然に纏わる事故も多い。滞在している間に13歳の男の子が、サーフィン中にサメに襲われて死亡する事件が起きた。場所はシドニー近郊のボンダイビーチで、暫く前にユダヤ人が襲撃された場所でもあった。追悼式には多くのサーファーが集まり、ボードに乗って輪を作り偲んでいた。

崖から海に飛び降りて大けがをしたり、相変わらず高温から発生する森林火災も後を絶たない。メルボルンからグレート・オーシャン・ロードに行く道が火災で閉鎖されていた。山道を迂回したが、遠くで立ち上る黒煙が見えた。動物の犠牲も多く、特にコアラは逃げる時に木に登るから焼死する話を聞いて胸が痛くなった。

野生動物の交通事故も多い。運転しているとよく鳥や動物の死骸を見る。コアラに衝突した時だけは、警察へ報告しなくてはいけないようだ。

Sunday, 22 February 2026

楽しい全豪テニス観戦

初めて全豪オープンテニスを観に行った。ウインブルドンやローランギャロスとはちょっと違った会場の規模に、オーストラリアらしさを感じた。

まずレストランの多さ、広大な敷地に各種料理とビール会社の出店が軒を連ねて、子供向けのテニス遊戯も用意されていた。高額なロッド・レーバー・アリーナなどのチケットを買わなくても、寝そべって大きなスクリーンを見て一日を過ごせるのであった。

スポンサーの競演も華やかだった。ボールボーイから清掃人まで、大会の係員の人は皆ラルフローレンの服に身を包んで、ニューバランスのシューズで決めていた。選手も今年はルルレモンのウェアが目立ち、フェルナンデスやティアフォーが着ていた。その他アルカラスがナイキ、ジョコやラコステ、シンフォテックがONなど、それが強い太陽の下に映えるのだった。

試合は男子が本命のアルカラスがジョコビッチに、女子はレバキナがアゼランカに勝った。女子はどちらもロシアとベラルーシの出身であった。準決勝でアゼランカがウクライナのスビトリナと当たり、二人が試合後握手もせずにコートを去ったのが印象的だった。

期間中、テレビのコマーシャルも愉快だった。93年に全豪を連覇したアメリカのジム・クーリエがUber Eatsの運び人(Courier)に扮したり、パット・ラフターが栄養剤のCMに、それをダブルスの名手Woodbridgeが解説したり・・・。オーストラリアテニスの英雄ヒューイットの息子のデビューも話題になったし、大坂なおみのレース衣装も受けた。彼方の人は本当にこういった演出が上手い。

Saturday, 17 January 2026

医療制度に一言

予てより社会保障費の負担が問題になっている。維新の吉村さんがよく例に出すが、「年収350万円の人が払う保険料が50万円、企業の負担分も50万円だから、計100万円も掛かる!」である。これは常軌を逸するバランスである。

家の近くに整骨院があるが、朝から整体で順番待ちで並ぶ年寄りが多い。その多くが保険適用が利くマッサージらしい。友人の医者が「病院に来る患者の5人に4人は来る必要のない人だ!」と嘆いていた。今や病院は年寄りのサロンである。こんな人の為に、高い保険料を払っているかと思うと腹が立つ。  
 
個人的な事になるが、幸いにも今まで大きな保険のお世話になった事がない。せいぜい歯医者か定期健診位である。その代わりに運動はよくする。ゴルフやスキーは勿論、テニスに至っては2日に1回は倶楽部に行っている。だからお金も掛かる。健康維持に頑張って殆ど保険を使わないのに、そうでない人と同等の負担を強いられる不公平感がある。

今の保険制度の基本は「病気になったらどうするか?」である。しかし「病気にならないようにするにはどうするか?」がもっと大事だ。スポーツや食の管理で、クスリにお世話にならない人の保険料は安くするべきだ。病気にならないように努めれば、毎朝ラジオ体操に出る人は増えるだろうし、何より人々の生き方が前向きになる。結果国庫の出費も減るのである。

日本の社会保障関係費は37兆円、国家予算の33%を占めている。ここまで膨らんで来たのは、医療をタブー(聖域)視したのも大きい。東日本大震災の復興やLGBT(性的少数者)の議論もそうだが、世の中(特に役所)では正面から反対できないタブーが沢山ある。医療はその代表格で、「この薬に保険が適用されなければ死んでしまいます。死んでもいいのですか?」と聞かれれば、反対できる人なんているはずもない。

日本人はこのタブーに弱い。しかしもっと現実的になれば、そんな一方的な議論にはならないはずである。

それからもう一つ、健康は元来自分で管理するのに、いつの間にか行政任せになっている風潮も気になる。以前親が介護のお世話になった時、階段や風呂場の手すりまで90%の保険が適用されたのにビックリした。それは有難い事だったが、国の過剰サービスに国民がマヒする主客転倒が起きている。

思えば昔は保険制度なんてなかった。それでも何とかやってきたのが人間である。原点に返ればお互い助け合いの社会、他人との新たな繋がりも出て来よう。そろそろ考え直すいい頃かと思っている。

Sunday, 11 January 2026

赤穂浪士の時代

 毎年12月になると、何故か14日の赤穂浪士討ち入りに思いを馳せる。主君の恨みを晴らすリベンジ劇は痛快で、忠君とは全く無縁なのに不思議と血が騒ぐ。泉岳寺にも何度か足を運んだが、時を経てもその志は色褪せない。


その忠臣蔵であるが、今まで沢山の映画があった。どれを観ても飽きないが、特に東映が作った1961年の「赤穂浪士」は素晴らしかった。白黒の古さもなく、その後の現代風もなくてちょうどいい。その冒頭に素晴らしい語りがあったので、暇に任せて文字を越してみた。

「花の雲、鐘は上野か浅草か」(芭蕉)、元禄の春、家康海内(かいだい)を制し既に100年、幕府の大樹も5代を君し、外の辺境を伺う敵国もなく、内外正平(ないがいしょうへい)、上下艾安(しょうかがいあん)、世は挙げて太平の一楽に酔いしれ、華奢風流(きゃしゃふうりゅう)、武士にあっては
縷金彫刻(るきんちょうこく)の美を誇る細身の大小に憂身を窶す(うれみをやつす)折花攀柳(せっかはんりゅう)の京・・・。

難解な四字熟語が続くが、美しく洗練された日本語にうっとりとしてしまった。何より品があった。ゆったりとした江戸の雰囲気も伝わって来て、今より民度が高かった気もした。時は元禄14年、1701年であった。

Thursday, 8 January 2026

アメリカの斬首作戦

年明け早々、アメリカがベネゼイラの大統領を捕獲する事件があった。人質の奪回はよくある話だが、現職大統領の拉致は前代未聞であった。麻薬や石油の利権が絡んだ背景があったようだが、改めてアメリカの軍事力には驚かされた。


マスコミはこれを、斬首作戦(Decapitation strike)と呼ぶ。ただでさえも台湾有事が大きな関心毎になっている時期である。中国による同様の作戦が施行されるのだろうか?誰もが頭を過ったのに違いない。

その作戦を司ったのがデルタフォースという。映画ではよく出て来る言わずと知れた精鋭部隊である。昔のチャック・ノリス演じた奇襲映画で楽しませてもらった。最近ではパキスタンに隠れていたビンラディン殺害もあった。映画「Zero Dirk Thirty」で再現されていたが、ただ此方は海軍のNavy SEALSだった。デルタフォースは陸軍で、両者に微妙な棲み分けがあるようだ。

これからアメリカによる傀儡政権(Puppet government)が始まるのだろう。思えば大国はこの強権をよく使ってきた。満州国や第二次大戦のビッシー政権、バルカン半島やソ連時代の衛星国、昔のイランやシリアなどもそうだった。歴史は繰り返すというが、久しぶりにリアルな国際政治に触れたのだ。