Sunday 30 December 2012

遠い日のマレーシア

旧友のO君を正月のゴルフに誘ったら、マレーシアで仕事をしていると言う。彼も頑張っているな!と感心する。そして、暫しマレーシアのことを思い出した。

数年前に、出来たばかりのプトラジャヤ(Putrajaya)に行った。KLから車で30分ほどの新副都心で、霞が関をそにまま移した官庁街だ。ただ建物は人工的で、イスラムを意識したモスク風のビルは私の趣味ではなかった。一体こんな所に人が生活するのだろう?と思っていると、KLのショッピングモールには中東から来た黒いベール姿の人で溢れていた。中東から飛行機で4時間の、ここは趣味も嗜好も異なるイスラム圏の一角だったのだ。

若い頃は、ガスパイプラインの仕事をしていた。首都KLから海底油田のある東海岸のクアンタンまで延々と500Kmの道を車で走った時だった。小型バスが雨道でスリップ、クルクルと廻り気が付くと崖から転落の一歩寸前で止まった。九死に一生を得たが、ひょっとして自分はあの時マレーシアで終わっていたかも知れない・・・・、そんなどうでもいい昔の記憶が蘇るのであった。

Saturday 29 December 2012

JFKとアメリカの裏社会

12月に入りアメリカで乱射事件があった。児童26人が犠牲になり、改めて銃社会が問われている。

今年も暮れようとしている。今年一番印象に残ったことを挙げれば、やはりダラスのJFK暗殺現場だろう。今から49年前の1963年11月22日、時の米大統領ケネディーがここで暗殺された。子供心に大変なことが起こった感じた。現場は今でも当時のまま周囲の建物が保存されており、犯人とされたオズワルドが狙った倉庫の一室も残されていた。訪れた世界の多くの人々は、まるで昨日のことのように、道路の×印の狙撃地点に立ち、そこからビルを見上げては首を傾げるのであった。

記念館のパンフレットのタイトルは、「それはグラッシー・ノールの横にある小さなビルに過ぎない」である。グラッシー・ノールとは、銃撃された時に正面にあった小さな丘のことである。映画JFKでも魔法の銃弾のことが説明されているが、訪れた人なら誰しもこの丘から発砲されたと思わざるを得ない。では一体誰が何のために・・・?。CIA、軍需産業等々、その瞬間にアメリカの知られざる大きな裏社会を感じて怖くなったのだ。

Friday 28 December 2012

日本のルノートル

ルノートルと聞くとお菓子を思い浮かべる人が多いが、フランスで有名なのは造園家のルノートルである。スペルもお菓子屋がLenôtre に対し、後者はLe Nôtreと定冠詞が入る。庭園家のルノートルはベルサイユやチュエルリーの公園を造った人で、パリを訪れた観光客なら誰でも一度は目にする幾何学的な光景である。
 
ところで、暫く前に備中高梁を訪れた時だ。倉敷から伯備線に乗ること1時間、そこには頼久寺という美しい日本庭園があった。今から400年前、当地の家老小堀遠州の作という。まるで京都を思わせる空間で、これが後の枯山水庭園の祖になったようだ。こんな田舎が発祥とは知らなかった。
 
当地の高台には備中松山城の立派な城壁が残っている。まるでピレネーの史跡を思わせるような佇まいだが、大石内蔵助が出て来る。赤穂明け渡しの7年前、彼が奇しくも明け渡しに立ち会った因縁の場所だったという。日本にはまだまだ奥深い場所が多い。

Wednesday 26 December 2012

別府旅情


エストニアでは別府を知って居る人が多い。当地の大学と姉妹関係にある立命館に留学しているエストニア人が多いからだ。ただエストニアの人は別府というと笑う。エストニア語で、べっぷの響きはお尻(Butt)に聞えるからだ。

大分に行った帰り道、その別府に立ち寄った。別府は30年前に一度行ったことがあるが、その時に泊まった杉の井ホテルはあるのだろうか?地元の人に聞くとオリックスに買われたけど、元気に続けていると聞いて安心した。街も人通りがあり、中国・韓国語が飛び交う。昼を過ぎていたので、中通りの食堂に入る。おばさんに何がお勧め?と聞くと、迷わず”とり天定食”と返ってきた。店内は地元の老夫婦が女将さんと井戸端論議をしている。ビールを傾けながら、東京にはないのんびりした時間の流れを感じる。

とり天は前夜に続き2回目だ。唐揚げと違って柔らかな触感が米に合う。お腹が一杯になったところで、近くの温泉に入る。これも歴史を感じるレトロな作りで、旅情を誘う。200円の入場料を払い、浸かった湯は流石別府、柔らかくシンまで暖まった。

 

 

Sunday 23 December 2012

タリンのクリスマス

もうクリスマスだ。昨年一昨年と、タリンの町で寂しく1人クリスマスを過ごした。ヨーロッパだと思うと華やかな雰囲気を想像するが、鐘の音も殆ど鳴らない静かなクリスマスだった。長年続いたロシア正教と、プロテスタン系のドイツ人領主に気を遣いながら、エストニア人にとって宗教は半ばタブーだったからだ。



外に出れば人通りもなく、寒さと静けさだけの世界、食べ物屋も観光スポットを離れると殆どなかった。これは社会主義が生んだ負の産物であるが、こうなると人々は家の中でゴロゴロ過ごすしかない。幸い部屋の中は国の集中暖房が行き渡り、半そで半ズボンで過ごせる快適な空間だった。これは社会主義生んだ良い面だ。

暫く離れてみると、こうした不便さがかえって懐かしい。人間何もないと思うと、眠っていた記憶が蘇りあれこれ考えることになる。記憶の点と点が繋がり、自分でも信じらない程、想像力が逞しくなってくる。今の日本にないのは、この空間のような気がする。

Saturday 22 December 2012

友達作りの秘訣

友人のTさんは人との付き合い方がとても上手だ。いつも周囲には人の輪が絶えない。ある時その秘訣を教えてくれた。

それは会に名前を付けることだという。どういう事かと云うと、例えば仲間で飲みに行ったとすると、その集まりに会の名前をつけてしまう。多くはそこの店、場所の名前、例えば居酒屋が魚河岸だったとすると「魚河岸会」、飲んだ場所が築地だったら「築地会」といった具合だ。すると次回集まる時も、・・・の会ですと言うと何の抵抗もなく受け入れてもらえる。

不思議なものでやってみると効果てき面だ。人によっては、・・・の会に入れて下さい、と頼んでくる人もいる。これはちょっとした心理の綾だ。人は籠の外に出たい反面、籠の中に入りたい両面を持っているからだ。特に日本人はこの権威に弱い。新鮮な関係を築きたい人には是非お勧めする。

Friday 21 December 2012

リッツホテルとレジスタンス

パリの一番格式高いホテルと云えば、昔からリッツだ。バンドーム広場に位置し、周囲にカルテェ始め老舗のブティックが立ち並ぶ。中央には、ナポレオンがアウステルリッツで勝った時の大砲を溶かした鉄柱が建っている。


今読んでいるケン・フォレット著のムクドリ(原題「Jackdaws」)に、このホテルが出て来た。小説は1944年のノルマンジー上陸前夜、女性ばかりのレジスタンスが北フランスの電話センターを爆破する使命を帯び、英国から落下傘で侵入するというストーリーだ。落下場所を変え、シャルトルからパリに立ち寄りリッツホテルに泊まる。客は占領下ということもありドイツ人ばかり、電車の中でハラハラしている。

リッツホテル(仏語ではオテルリッツ)といえば、ヘミングウェイが従軍記者だった頃、まずパリに来て立ち寄ったのがこのホテルだった。以来ここのバーは彼の名前を冠している。あまり知られていないが、地下に立派なプールがある。大理石とコバルトブルーの空間は、まるで007に出て来るシーンだ。そしてホテルの壁面には1メートルの基準計がある。今で云うISO、これが世界標準の1メートルになった。

Thursday 20 December 2012

借金は負債!

石原慎太郎さんが80歳で都知事を辞めて選挙に出た。人を見下すような傲慢な話し方に、結構嫌悪を持っている人も多い。特に女性に多いらしいが、個人的には昔からいい選球眼とセンス、そしてそれを表する言葉を持っている人だと思う。

ある時図書館に行った時の事だ、公会計制度の複式簿記入門の本があった。普段は見過ごしてしまうジャンルだが、思わず手に取り乱読して驚いた。というのも、東京都の石原知事が書いていたからだ。本のポイントは一言で云えば借金の処理だ。民間なら借金は借入金としてバランスシートの負債に計上する。しかし政府などの公的機関では交付金として資本金に入る。つまり借金はいつか返さなくてはならないが、資本金は返さなくていいお金として処理される。これに気が付いて改善したのが東京都だった。

石原さんはアリの一穴ではないが、とてもいいポイントと突いたと思っている。つまり借金は利益を上げないと返せないという、当たり前のことを公的機関に持ち込んだのだ。これからは知恵と先見性で勝負する時代だ。国の借金問題もこうした発想がないと解決しない。

株価の回復

自民党が大勝したのを受けて、株価が1万円を超え円も85円近くになってきた。安倍さんのデフレ脱却策を前取りしたのだろう、市場は久々に元気を取り戻している。
 
ただ私から見れば、今回の回復はアメリカ経済の恩恵に思える。アメリカの景気は底堅くなっている。その証拠に失業率、GDP,非農業部門の雇用などの数字はかなり良くなっている。新規住宅着工数も、一時は50万戸を割っていたのが今では90万戸近くまで戻ってきている。一般には150万戸と云われているのでまだまだ時間は掛かるが、底は打った。円安もそうだ。アメリカがこうした実体経済の回復をみて、ドル安政策の手綱を緩めてきた裏返しに過ぎない。
 
自民党は10兆円の公共事業、そのために日銀法を改正して日銀が国債を引き受けるようにするという。FRBがやっているとはいえ、そんなギャンブルをしなくても経済は自然と持ち直すような気がする。高齢化社会にあって、老人が今から家を新築するような不自然さを感じるのだ。

Monday 17 December 2012

蘇る老犬


我が家には12歳になるラブラドールの老犬がいる。長年一緒に飼っていた父親犬と暮らしていたが、2年前に相方が死んでから一人で暮らすようになった。すると殆ど寝て暮らすようになり、急に老け出した。昼から鼾をかいて、何時間でもぐーぐーと眠る。

 
ところがこの秋、ゴールデンレッドリバーの子犬を買ったところ、変化が出始めた。まだ2ヶ月の子犬をあやすように仲良く遊んでいる。繰り返される甘噛攻撃に、時として逃げ回ることもしばしばだ。もう昼寝どころではなく、気が付くとまた昔のように走り回る犬になってきた。

 
人間もそうだが、生きて行くには適度な刺激が大事だ。犬に置き換えては失礼だが、近くで見ているとそれがよく分かる。

Sunday 16 December 2012

マーフィの戦い

古本屋で100円で買った高橋哲雄著「アイルランド歴史紀行」は、当たりだった。今から20年以上前に出版されたものだが、筆者の心意気が伝わってくる名著だった。学者に有り勝ちな、年表の列記と浮世離れした解説もなく、アイルランド人と良く交じり合った後が読み取れる一冊だった。

本の中で、アイルランド人を象徴する自殺的、自虐的行為として、映画「マーフィの戦い」を紹介している。早速買って見ると、場所は第2次大戦末期の南米、アイルランド人のマーフィが一人でドイツ軍のUボートに立ち向かう、まるでドンキホーテのようなストーリーだった。監督はピーター・イェイツ、主演はピーター・オツゥールとその婦人と、全てをアイルランド系で固めている。

アイルランドは、悲哀という言葉が一番ピッタリくる国だ。それだけに人々の非合理的な行為が今でも共感を誘う。本では映画「ライアンの娘」に出て来る牧師にも触れている。つまり聖職にあっても、実は農民出身者の牧師だったということらしい。「心の旅路」、「アラビアのロレンス」、「冬のライオン」・・・、奥は深そうだ。



Saturday 15 December 2012

鳥栖美人


先日、九州は鳥栖に行った。佐賀県で3番目の市と聞き、それなりかと思っていたら、何と駅前にはラーメン屋が1軒佇むだけの鄙びた町であった。駅から少し歩いたとこに、ショッピングモールと鳥栖サガンの大きなサッカー場があった。人口が7万人の町にしては、一帯どこから人が集まるのだろう。ガランとした箱モノが、寒々しく見えてくる。


タクシーに乗ったら、運転手が明日ミスインターナショナルのパレードがあるという。地元出身の吉松育美さんが日本人で始めて優勝したという。ミスインターナショナルは長年日本で開催していたので、今まで優勝者が出なかったのが不思議なくらいだ。でも誰かいたよな?と思って後で調べてみると、優勝したのはミスユニバースだった。私にはこの違いは分からない。

吉松さんはルックスもさることながら、インターハイの陸上競技で優勝したこともある中々のスポーツウーマンだ。お父さんも元オリンピック選手で、現在踊りのお師匠さんをやっているらしい。この厳しい躾が功を奏したと運転手は言っていた。ともあれ、久々に鳥栖を明るくしたニュースだった。

Friday 14 December 2012

温もりを残す川崎の町


一昔前まで川崎と言えば、スモッグと港湾労働者の街のイメージがあった。現在でもラブホテルやコリアンレストラン通り、歌舞伎町のような歓楽街は変わらない。先日も昼飯と思って入った養老の滝で、昼から多くの男達が酒を煽っていたのには驚いた。

 
ところが、線路の反対側は別世界だ。駅前のラゾーナと称する商業コンプレックスは、まるでシンガポールのような雰囲気で、センスのいい店が沢山入っている。近くのオフィスビルに入ると、1階のロビー全体が池というユニークなアリーナがあった。空に抜ける空間と静かに水を打った池、中央にはクリスマスツリーが飾られていた。池を囲むように人々がベンチに座り、それは久々に見る人工美であった。

一歩ビルを出た路地裏には、昔ながらの下町風情があり中華料理屋がやたらに目につく。多くは中国人のやっている店で、安くて量が多い。川崎は人の温もり残しながら、いい感じで進化している。

Wednesday 12 December 2012

関心・感動・感謝


朝のテレビを点けると、「加山雄三のゆうゆう散歩」をやっていた。大分お腹が出てきたが、大きな声で話す相変わらずの若大将だ。早足で歩く姿はとても75歳とは思えない。”関心・感動・感謝、若大将が人生の三冠王を目指して散歩します!”は、見ている人を元気にしてくれる。

散歩コースは、古くから受け継ぐ伝統文化のお店を訪れることが多い。親子3代の老舗や町工房の伝統と技を再発見している。ある時どこの町だったか忘れたが、小さな工場を訪れた時のことだ。おかみさんが「始めた頃、それは大変でした」と言うと、「お金が最初に入ってきた時は本当に嬉しいね、カミさんに苦労かけて・・・」と、自分の苦しかったことを思い出して詰まってしまったことがあった。

加山雄三というと明るく健康なイメージだ。ただ若い頃、借金で苦労した時期があった。あまり知られていないがその頃の歌には結構いいものが多く、この苦い体験がその後の練れたメロディーを生んだと言われている。これからも、我々のあこがれとして、頑張ってほしい。

Sunday 9 December 2012

007 Qの遺言


007の新作「スカイフォール」が上映されている。今度はどんなアクションシーンが出て来るのか楽しみだ。ジェームズ・ボンドは俳優こそ変われど、そのスマートさは天下一品である。イギリス人特有のジョークと紳士然たる出で立ち、そして本当だったらありえない不死身さ、全てが格好いい。そして脇役だが、欠かせないのがQの存在である。今回は新たなQが復帰したらしい。

 Qといえば、誰もが思い起こすのは長年親しまれたデスモンド・リュウェリン(Desmond Llewelyn)だろう。殺人用の万年筆やロケットが出るオースティン等、新兵器を次々に開発した。そして何より親子ほど違うジェームズとの会話も微笑ましかった。 

中でも印象的だったのは、「ワールド イズ ノット イナフ(The world is not enough)の中の一こまだ。年老いたQが引退する際に、ジェームズに言い残すシーンである。Qはこれだけは覚えておけと言う。曰く、1つは“他人に弱みを見せるな!”(Never let them see you bleed)、もう1つは“いつも逃げ道を作っておけ!”(Always have an escape plan)である。こうした自然さが、張り切り過ぎず、常にウィットとスマートさを残すジェームズ・ボンドに引き継がれているのだろう。

Saturday 8 December 2012

テキサスに眠る特殊潜航艇

今日は12月8日、我々の世代とは切っても切れない太平洋戦争の開戦日である。1941年だから、もう71年も経ったことになる。空母6隻を含む連合艦隊と艦載機400機がハワイの真珠湾を奇襲した、正に日本の歴史的な日だ。

空からの攻撃に先立ち、特殊潜行艇5隻が真珠湾に突入した。昔、江田島の海軍兵学校にその1隻が残っていたのを見て、当時に思いを馳せた記憶がある。勿論これは戦後アメリカから返還されたものだったが、先日ひょんなところでもう1隻の潜航艇と対面する機会があった。場所はアメリカのテキサス州、サン・アントニオから車で1時間ほど行ったフレデリックスバーグという町であった。ドイツ的な名前は、開拓史の頃ドイツからの入植者が多かったためで、そのせいか今ではワインの産地である。同時に、町はニミッツ提督の故郷でもあった。それが縁で立派な「太平洋戦争記念館」が建てられ、太平洋から運んだ日本戦車、グラマン機、そして特殊潜行艇などが陳列されていた。テキサスで特殊潜行艇にお目に掛かるとは思わなったが、この艇が唯一生き残った酒巻少尉のもの聞き驚いた。記念館では酒巻氏を紹介しており、殉職した搭乗員9名が「軍神」として祭られる中、捕虜第1号として当時は恥辱を受けたこと、戦後復員しトヨタブラジルの社長にまでなられたことなど、私には昨日の事のようだった。
 

 
 
この記念館で面白かったのは、歴代アメリカ大統領の軍歴紹介である。J.F.ケネディーの魚雷艇は有名な話だが、大統領になるにはこの経歴が欠かせないからだ。また年に何回か当時の実演ショーもやっている。ショーに使う黒こげの日本軍トーチカは、見るに堪えなかった。かと思うと記念館に隣接して立派な日本庭園と和室もあった。およそテキサスの砂漠とは似つかないが、彼の地で寂しく祭られる潜水艦にとっては、せめてもの慰めのように思えたのだ。