Monday 31 December 2018

ルノーのツィンゴ

2018年が暮れようとしている。獄中のゴーンさんが寒いと、モーフを要求しているらしい。刑務所は暖房が無いから、さぞかし辛いだろう。先日、吉村昭著「破獄」を読んだだけに、獄中の様子が伝わってくる。大変なのは看守も同じだ。昔は脱獄に備えて外套を着なかったので、夜は堪えるらしい。小説はそんな看守のスキを狙って脱走を繰り返した脱獄犯の物語だったが、言葉の通じないゴーンさんはどうしているのだろうか?以前、日産とルノーの車に乗っていた事もあり、気になっている。

日産の車はJフェリーだった。スポーツタイプの3000CCだった。中古車の店頭に並んでいて一目惚れしてしまった。ただ燃費は悪いし、サイドの視角に問題があったので、3年程して犬を飼う時に手放した。一方のルノーは、90年代に発売されたツィンゴである。小型車だが高速道路で時速150kmを出しても安定した走りだった。フランスの車は意外と馬力があったし、何より駐車がスムーズだった。しかしこの20年位はトヨタに乗っている。故障はしないし、走りが安定しているから、最後はトヨタかなと思っている。

そんな日仏の3社連合は、これからどうなるのだろう?背後にはフランスの国家戦略やアメリカも絡むから複雑だ。来年はいよいよ中間選挙にも勝ったトランプ大統領が本格稼働する。アメリカファーストと反グローバルリズムの動きが加速するだろうから、経済では取り分け多国籍企業が標的になるかも知れない。フラット化した世界から、民族に資本が回帰する流れが本当に生まれるのだろうか?ルノーとの提携も、今から思えば日産独自で再建した方が良かったと思えるから猶更だ。来年に何が起きるのか、楽しみだ。

Saturday 29 December 2018

ベンチャー投資と復古史観

暫く前に、官民ファンド「産業革新投資機構(JIC)」の経営人9名が辞職する事件があった。新聞によると、報酬と孫ファンドの開示性が問題だったという。「孫会社の投資まで一件一件報告の義務があるなんて、とてもやって行けない!」、それが実務者の率直な気持ちだろうか。国は税金を使う以上、「東京駅で100人に聞いたら・・・」と、この時ばかりは庶民感覚を優先するから中々噛み合わない。そもそも、ベンチャーに国がファンドを作って投資をする事自体がどうなのだろう?そんなお金があれば、税金を安くして企業に投資出来る環境を作ればいいじゃない!議論にもなってくる。「いや、それが上手くいかないから国が音頭を取るんだ!」、きっと今回もその繰り返しなのだろう。

そもそも、ベンチャー100社に投資しても成功するのは1~2社、殆どが数年以内に撤退するのが世の常である。ベンチャーには技術があるかも知れないが、事業化するにはそれだけでは駄目だ。まして上場となると、経理や営業のプロが要る。収入が無い中で、その人達を食い止めるおカネが掛かる。ファンドなら回収まで短いから猶更だ。そんなネガティブな事を思っていたら、今日の読売新聞に中国のベンチャーファンドは5兆円、アメリカは3兆円もあると報じていた。日本はたったの2000億円弱、これには流石驚いた。だったら頑張らなくちゃ!と少し反省している。

でも、日本では何故ベンチャーが育たないのだろう?ある人が面白い事を言っていたのを思い出した。それは思想の違いで、西洋人は進歩史観で、日本人は復古史観という。確かに西洋人は昔から大西洋を渡って新大陸を発見するように、未知のものにチャレンジする国民性だ。日本人なら島から出るのを嫌う。ノコギリでも西洋は押すがこちらは引くタイプだ。それはキリスト教と儒教の違いかも知れない。日本人はリスクを取る事が苦手だが、一度出来た製品を高度化する能力は高い。苦手な分野は避けて得意の分野で勝負する、ベンチャーもそんな棲み分けが出来ないものだろうか?

Monday 24 December 2018

天皇と忠恕

昨日は平成最後の天皇誕生日だった。皇居には多くの参拝があり、テレビは色々な特集を組んでいた。見ていて、改めて一国民として時代の節目を感じた。中でも陛下が、「昭和が戦争の時代だったのに比べ、平成は戦争が無かった」と語っていたのは、戦争を知らない者には意外な印象だったり、「象徴としての旅の終わり」の件は、ご立派な人徳、人間性が伝わってきた。陛下で良かった、そんな気持ちになった。

そして、陛下の教育と結婚に深く携わった小泉信三博士の話も感慨深かった。改めて博士の存在無くしてその後の陛下もなかった、と思った。国民に寄り添う象徴天皇とは何か、博士はその心構えを「忠恕」という言葉で伝えたという。初めて聞く単語だったが、中々いい言葉だ。昔の人は語彙が豊かだった。また皇太子時代の教育に、博士は福沢諭吉の「帝室論」を使ったというエピソードも紹介していた。早速、本棚から埃を被った福沢諭吉全集を取り出し読んでみた。それは30頁程の短い本で、旧漢字で読み辛く、正直良く分からなかった。ただ「皇室は中立を保つ事が大切」みたいなニュアンスは伝わってきた。それを知っていたかどうか分からないが、先の昭和天皇が、「戦争の反省として皇室が政治関与し過ぎた」と語っていたのと重なった。

博士はまた、陛下のご結婚でも尽力され、女子大から新聞社まで精力的に動かれたようだ。そのエネルギー源は何だったのか?ご子息を戦争で亡くされた事と関係している気がした。著書「海軍主計大尉小泉信吉」は凄い本で、凡人の愛情で到底書ける代物ではない。塾長として送り出した学徒も多く戦死し、我が子も失い、それでも気丈に戦後を生き、残る時間を国体に捧げられた。その陛下も退位する。ひとつの時代の終わりを感じ得ない。

Sunday 23 December 2018

ウエルベックの服従

黄色いベスト(Gilets jaunes)で盛り上がるフランス、マクロン大統領はどうなるのだろう?思い返せば就任直後、戦没式に参加した少年から「マニュ」と呼ばれた事があった。親しみを込めたつもりが、彼は「こういう場所では大統領と呼びなさい」と少年に諭した。当時は微笑ましい光景だったが、今から思うと人心が離散する人柄だったのかも知れない、そんな気がして来た。

そんな現代のフランス社会を抉る小説、ミシェル・ウエルベック著「服従(原題:Soumission)」を薦められて読んでみた。ソルボンヌ大学の教授の日常を通し、イスラム化するフランス社会を深堀した本だった。所々昔の全共闘みたいに、何を言っているのか分からない部分も多かったが、自身の私生活も織り混ぜた自然な流れが快かった。タイトルの服従は、「O嬢の物語」から来ている。どこまで真面目でふざけているのか分からな処だが、佐藤優氏が絶賛しているのは、随所に出て来るフランス式ラムールと、それに相反するイスラムのコントラストが楽しいかったのに違いない、そんな事を確信した。それにしても近い将来、国民戦線と並んでフランスイスラム党が第一党になる、と言うから大変な事だ。

本の中には、教授が訪れる懐かしい場所が沢山出て来た。その一つがペリゴール地方のロカマドール(Rocamadour)、直角に聳え立つ岩山に教会が建つ、ミシュラン3つ星のスポットである。それからポアティエ(Poitiers)も、スペイン、サンチャゴへの巡礼地として紹介されている。あれ?巡礼の出発点はベズレー(Vézelay)じゃなかったの?そう思って調べてみると、巡礼のルートはいくつかある事が分かった。ともあれフランス人は外来文化に寛容で、上手く取り入れながら生きて行く国民性がある。どんな形でイスラムを内製化するのか、そんな事を考える切っ掛けになった。

Tuesday 18 December 2018

COP24のカトヴィッツ

先日、気候変動枠組み条約の会議、COP24が閉幕した。パリ協定の実行ルールが決まったという。これから2020年から始まる削減策の具体化を詰めるらしい。ただ長年この議論を見ているとつくづく空しくなる時がある。確かにパリ協定は素晴らしい合意だったが、だったらあの京都議定書は何だったのか?世代が代わる毎に、温暖化という仮想の敵に向かって議論を、それもゼロから繰り返している。それを支えるのが、世に云う温暖化マフィアである。各国の政府、研究機関、NGOなどに所属し、温暖化で飯を食っている人達の事である。COPは永遠に続くエンドレスの会合で、かつ毎年政府予算も付くから、ひょっとして会議は彼らの生活の為にあるの?そんな事が頭を過る。学歴が高く英語が流暢なのが条件だから、余人をもって代え難いから猶更だ。

そんな今回のCOPだったが、催されたのはポーランドのカトヴィッツ(Katovice)という町だった。それってどこだろう?この夏にポーランドを旅しただけに気になったので調べてみた。するとポーランド第二の都市クラコフ(Krakow)の近くだった。クラコフは以前の首都で、京都みたいな歴史を感じさせる町である。昔はユダヤ人が多く、その関係で近くにアウシュビッツ収容所が建てられたり、あのシンドラーの工場もある。今から30年程前にクラコフのホテルに泊まった時、部屋に置いてあった香水をリキュールと間違えて飲んだ事があった。強烈な刺激に死ぬかと思ったが、その体験が記憶を強固にしている。

南に下ればスロバキアの山岳地帯、更に行けばハンガリー、西に行けばチェコの世界遺産の古都オロモウツ(Olomouc)に出る。派手さは無いが、中欧らしい地味な地域である。

Sunday 16 December 2018

ホテルムーリスの物語

そのリッツホテルから歩いて5分程の処に、やはり5つ星のホテル・ムーリス(最近はLe Meurice)がある。リボリ通りに面し、道路を挟んでルーブル美術館やチュエルリー公園がある観光の中心地である。そのムーリスには、戦時中ドイツの司令部が置かれていた。映画「パリは燃えているか?」に出て来るが、司令官のコルティッツ(Dietrich von Choltitz)が最後に降伏して終わる場所でもある。随分前になるが、その記念すべきロビーで、解放日の8月25日にお茶を飲んだ事があった。まるで歴史に立ち合ったようで、痛く感動した記憶がある。

暫く前に上映された「パリよ、永遠に(原題:Diplomatie)」も、そのコルティッツと、説得に当たったスウェーデン領事との駆け引きを題材にした映画だった。先の「パリは燃えているか?」の領事役のオーソン・ウェルズに比べ、今回の方がより外交官らしかった。面白かったのは、ホテルに隠された抜け道があり、領事はそこから侵入する。元はナポレオン三世が愛人との密会で使ったもので、中々歴史を感じさせる仕掛けだった。その秘密を担保に説得に成功し、パリは破壊を免れた。

戦争で町が全壊した都市は多い。東京もそうだが、ワルシャワ、ベルリン、ドレスデンなど、今では一部が再生されているものの、昔を取り戻すにはやはり限界がある。その点、パリは全て本物が残る数少ない都市である。改めてコルティッツで良かった!そんな気持ちになる一作だった。

Saturday 15 December 2018

ホテルリッツの物語

パリの最高級ホテル、リッツ(Ritz)の宿泊者を綴ったティラー・マッツェオ著「歴史の証人ホテル・リッツ(原題:The Hotel on Place Vendôme)」は、とても興味深い本だった。今だったら、一泊最低10万円はするだろうか?、そんな処に自宅代わりに滞在した人達の実話である。登場人物はサルトル、ボーヴォワール、コクトー、ゲーリング、シャネル、ウィンザー公、ドゴール、デートリッヒ、バーグマン等々、キラ星のような人々で、その素顔に触れられる処がいい。

リッツと言えば、何と言ってもヘミングウェーである。彼の名前は今でもバーの名前にもなっているが、第二次大戦でノルマンジーに上陸して以来、アメリカ人としてパリ一番乗りを目指した。そこまでは知っていたが、その到達の経路が詳しく書かれていた。まだドイツの守備隊と銃撃戦が行われていた最中、チュエルリー公園側を避けて、比較的静かなオペラ座側から入ったようだ。ただ、3番目の奥さんと4番目の奥さんになる女性がホテルで交錯したり、それに長期に滞在していたM・デートリッヒの情が絡む辺りは、ちょっと分からない世界だった。

その他、「王冠を賭けた恋」として有名なウィンザー公と結婚したシンプソン夫人が、滞在中に浮気をする話も初耳だった。一時は英国への帰国話もあった公爵だが、それが切っ掛けでパリ郊外で生涯を閉じたようだ。また戦時中ホテルが存続出来たのは、経営がスイス人だった事、ココ・シャネルの愛人はドイツ人だったので、彼女にスパイ嫌疑が掛かったこと、ドイツの原子爆弾の技術者を拘束するアルソス作戦の舞台になった事など、良く調べていた。今と違ってホテルの数も限られていた時代だったから、世のVIPがパリに来ると決まってリッツに泊まったからこそ生まれた逸話だった。読んでいて、例えば帝国ホテルに泊まったVIPを綴ると面白い本が書ける、なんて思った。

Friday 14 December 2018

ストライブの傾き

もう亡くなってしまったが、昔近所にKさんという御老人がいた。いつも身なりに気を配り、外出する時はジャケットにポケットチーフを飾っていた。そんなお洒落のせいだろうか、80歳を過ぎても背筋は真っすぐ伸びて歩き方も颯爽としていた。誰かが「若さを保つには服装に気を付ける事だ!」と言っていたが、確かに他人の視線を意識すると、芸能人ではないが効果があるようだ。Kさんもきっとそれを知って実践していたのだろう。

そんな事を思い出す切っ掛けになったのは、安積陽子著「NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草」という長いタイトルの新書だった。中々面白い本で、TPOに合ったドレスコードの定石を語っていた。例えば安倍首相のローファー靴やオバマ大統領の白い蝶ネクタイ、大臣認証式での石原伸晃氏の腕時計、河野大臣のベスト、防衛大臣だった稲田朋美さんや片山さつき氏の少女趣味の服など、確かに言われてみれば変だった。特に極めつけは鳩山由紀夫氏、首相としてチンドン屋みたいな恰好で世界に出て行った時は恥ずかしかった記憶がある。逆に小泉進次郎さんや麻生副総理、小池知事はセンスがいいらしい。

意外と知らなかった事も多かった。例えばストライブのネクタイに右肩上がりと右肩下がりがあったことだ。正式な方はパワー・上昇・明るさを象徴する右肩上がりで、公式の場所では常識になっているらしい。今まで右肩下がりブルックス・ブラザーズのタイを勲章のように愛用していたので、少しショックだった。因みに公式の場では無地が基本で、ストライブはカジュアルの部類になるという。ともあれ放っておけば無頓着になる身だしなみだ。馬子にも衣装、ユニクロで買った服でも気分は変る位だから、自身を見直すいい切っ掛けになった。


Thursday 13 December 2018

イギリスの検問所

イギリスのEU離脱(Brexit)が混迷している。2年前の国民投票の結果を受け準備したが、いざ現実となると不安になるのは良く分かる気がする。ただイギリスは大陸でないから、プラスマイナスはプラス、さっさと出て行った方がいいと思う。

そもそもイギリスは、昔から大陸と一線を画してきた歴史がある。EUの前身のEECに加盟した時も、EECが発足してから15年後だったし、統一通貨ユーロにも入らなかった。EUの基本は互助会だから制約や負担が多い。中欧やバルカンを旅すると立派な高速道路が目に付く。きっとEUのお金で作ったものだろうが、負担はイギリスなどの先進国が多い。それから移民の受け入れである。昔からEUに入った人は、ドイツかイギリスに向かうのが定石だった。給料は高いし、社会インフラ、特にイギリスは英語が母国語なのが外人にとって暮らし易かった。その結果、今やロンドンの地下鉄に乗れば、白人より中近東、アジア、アフリカ人の方が圧倒的に多いのに驚く。特に彼らは2世3世だから、移民ではなく列記とした英国人である。BBCキャスターの多様な人種に象徴されているように、嘗ての大英帝国の縮図が今や現実になっている。しかしこのまま放置すればアラブになってしまう!、そんな危惧は誰でも感じている。

ただ離脱すれば不安も多い。その一つが、アイルランドとの国境線である。違法な物流とヒトの出入りを監視する検問所の設置だが、IRAとの紛争の歴史があっただけに、さぞ大変だと想像する。数年前にアイルランドを旅した時、首都のベルファーストから車で30分ほど行ったバンガー(Bangor)という港町に泊まった事があった。週末だった事もあり、市内では昼からパレードがあった。それは村ごとの行進だったが、老若男女がまるで組織化された民兵のようで、部隊を誇示する真剣さが伝わって来た。検問所が出来ると対立も顕著になる。また紛争が始まるかも知れない?そんな事が頭を過る。

Wednesday 12 December 2018

築地のすし大

久々に築地に行った。豊洲に移転してから2カ月、さぞかし閑散としているのかと思ったが、結構賑わっていた。相変わらず外人も多く、余韻を楽しんでいるようだった。折角なので寿司でも食べて帰ろうか?そう思っていると、開店前の店に行列が目に入った。ひょっとして有名な店かと列に加わり、11時の開店を待って暖簾を潜った。

それは「築地すし大」という寿司屋で、10人ちょっと座れるカウンターがある小さな店だった。ビールで喉を潤し、お任せを頼むと板前の手際いい握りが出て来た。七尾の鰆、長崎の赤貝、北方地島の鯖、淡路の鯵、銚子の金目鯛、岩手は普代のイクラ、苫小牧の北寄貝、塩釜のアナゴ・・・、都度板前が産地を冠してくれるので、まるでグルメ旅をしているような気分になってきた。普段は鬱陶しいうんちくが、この時はとても快い。酒は菊正宗の熱燗でこれまた旨い。ただ周囲を見ていると、昼のせいかあまり酒を飲む人はいない。小一時間で切り上げた。
 
そこには歴史を感じる木造家屋、使い古されたカウンター、そして何よりそこで生まれ育った職人達が残っていた。そんなインフラがある限り、築地はまだまだ健在だ、そんな事を実感した一日だった。

Thursday 6 December 2018

Bohemian Rhapsody

「ママ、人を殺してしまったよ!撃ってしまった、人生が始まったばかりなのに・・・」、そんなショッキングなセリフで始まる歌、ボヘミアン・ラプソディー(Bohemian Rhapsody)をテーマにしたクイーン(Queen)の映画を観た。門外漢だったので今まで知らなかったが、中々聞いてみるといい曲だし、フレディー・マーキュリー(Freddie Mercury)の人生も興味深かった。

フレディーはホモだったことは知っていた。正確にはバイセクシュアルだったようだが、何か気持ち悪くて、今まで聞く気はしなかった。しかし、生れは堅実なインド人の家庭だった。調べてみると、Parsiというペルシャ系インド人だったようだ。映画では子供頃にパキスタン人のパキ(Paki)と呼ばれていたので、ひょっとして今のパキスタンなのかも知れない。生れ育ったのはアフリカのタンザニアだったから、物心付くまでの環境はとても想像し難い。その彼が音楽を始めのがロンドンだったが、歌に自身のルーツを持ち出す事はなかったようだ。確かに歌のタイトルのボヘミアンも今のチェコである。タンザニアラプソディーでは、人の心は打たないからだろうか?将又自身の過去と決別したからだろうか?その辺は分からないが、彼の曲が死んでからヒットしているのと何か関係がありそうだ。

映画の後半で、分かれた妻が彼のコンサートに来るシーンがある。一緒に連れ添ったのは新しいパートナーで、その時には妊娠していた。その彼女に向かって彼は祝福する。彼の横にはホモのパートナーがいて、4人が肩を並べていた。その光景はちょっと理解し難かったが、芸術家ならではの関係だろうか?45歳の若さでエイズで死亡、ゾロアスター教の教義で火葬に伏したという。

Sunday 2 December 2018

ロシアのスパイ

連日、トランプ氏のロシア疑惑のニュースが流れている。ロシアが選挙に介入したとかしないとか、部外者にはさっぱり分からない世界である。ただ因果関係だけから推測すると、ちょっと疑わしい!という気になってくる。森友加計(モリカケ)の時もそうだったが、妄想がいつも間にか確信に変わっていくからだ。だから気を付けねば、そんな思いで見ている。

そんな東西の情報戦だが、いつも出て来るのはロシアのスパイである。映画「007のロシアより愛をこめて」のように、昔の悪役は決まってソ連である。最近でも、英国で神経剤を使って二重スパイを暗殺した事件があったし、古くは日本にもゾルゲという人がもいた。そう言えば、数年前にベストセラーになった小説「ミレニアム」も、スウェーデンに送り込まれたソ連スパイの物語であった。ヒロインのリベットは、そのスパイの娘だったので、裏組織から不当な監禁を受けた。彼女はその復讐に燃えて立ち向かうのだが、それにしても「ドラゴンタツゥーの女」に代表される凄い小説だった。

随分前だが、大阪城の天守閣に登った時、金髪の美女に出会った事がある。遠くから見られている視線を感じた事もあり、距離が狭まったので「どこから来たの?」と聞いたのは自然の流れだった。すると「ロシア」と流暢な日本語が帰ってきた。写真スポットに差し掛り、「すみませんが写真を取って貰えますか?」と頼むと、何を勘違いしたのか、「ええ、いいですよ!」とポーズを決めて来た。それは風に金髪を靡かせる美しい光景だった。「いやそうじゃなくて・・・」と事情を説明すると、笑顔で写真を取り消えてしまった。後から考えて、もう少し話を続けた方が良かったかな?とも思ったが、一方であれはロシアのハニートラップだったのか?と頭を過った。冒険小説を読み過ぎると、いつの間にかドラマの主人公になってしまうから怖い。