Saturday 29 December 2018

ベンチャー投資と復古史観

暫く前に、官民ファンド「産業革新投資機構(JIC)」の経営人9名が辞職する事件があった。新聞によると、報酬と孫ファンドの開示性が問題だったという。「孫会社の投資まで一件一件報告の義務があるなんて、とてもやって行けない!」、それが実務者の率直な気持ちだろうか。国は税金を使う以上、「東京駅で100人に聞いたら・・・」と、この時ばかりは庶民感覚を優先するから中々噛み合わない。そもそも、ベンチャーに国がファンドを作って投資をする事自体がどうなのだろう?そんなお金があれば、税金を安くして企業に投資出来る環境を作ればいいじゃない!議論にもなってくる。「いや、それが上手くいかないから国が音頭を取るんだ!」、きっと今回もその繰り返しなのだろう。

そもそも、ベンチャー100社に投資しても成功するのは1~2社、殆どが数年以内に撤退するのが世の常である。ベンチャーには技術があるかも知れないが、事業化するにはそれだけでは駄目だ。まして上場となると、経理や営業のプロが要る。収入が無い中で、その人達を食い止めるおカネが掛かる。ファンドなら回収まで短いから猶更だ。そんなネガティブな事を思っていたら、今日の読売新聞に中国のベンチャーファンドは5兆円、アメリカは3兆円もあると報じていた。日本はたったの2000億円弱、これには流石驚いた。だったら頑張らなくちゃ!と少し反省している。

でも、日本では何故ベンチャーが育たないのだろう?ある人が面白い事を言っていたのを思い出した。それは思想の違いで、西洋人は進歩史観で、日本人は復古史観という。確かに西洋人は昔から大西洋を渡って新大陸を発見するように、未知のものにチャレンジする国民性だ。日本人なら島から出るのを嫌う。ノコギリでも西洋は押すがこちらは引くタイプだ。それはキリスト教と儒教の違いかも知れない。日本人はリスクを取る事が苦手だが、一度出来た製品を高度化する能力は高い。苦手な分野は避けて得意の分野で勝負する、ベンチャーもそんな棲み分けが出来ないものだろうか?

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