Wednesday 8 August 2018

スターリンの死

先週、映画「スターリン葬送狂騒曲(原題:The Death Of Stalin)が封切られたので、早速見に行った。カナダで上映されてから一年も経ったので、もっと早く見たかった。特に本国のロシアなどでは上映禁止になっている映画だけに、その内容が気になっていた。

物語は、独裁者スターリンの突然の死から繰り広げられる後継争いを辿っている。昔、サイモン・セバーグ・モンテフィオーリの分厚い本、「スターリン、赤い皇帝と廷臣たち」を読んでいたので、映画は史実を忠実に描いていたように感じた。ただ本では、スターリンが倒れた部屋に最初に入ったのが側近のべリヤだったので、彼が暗殺した嫌疑が掛けられたと述べていた。しかし映画ではそれがなかったり、息子(次男)の排斥シーンなど、所々違いはあった。しかしそのべリヤの粛清も見ていて早かったし、彼を粛清したフルシチョフもその後はトップに登り詰めるが最後は失脚する。エンディングはそんな輪廻を象徴する映像が流れた。

それにしても疑心暗鬼の合議制、独裁者が居なくなった後の混乱、いとも簡単に奪われる人の命、体制が代わると末端まで立場が逆転など、ソ連という国は凄い国である。韓国もそうだが、独裁から来る反動、下剋上は繰り返される。ともあれ、映画はとても人間臭くて面白かったが・・・。

Tuesday 7 August 2018

サウンド・オブ・ミュージックの舞台

2年程前だったか、新聞にアメリカの女優の訃報が出た。シャーミアン・カー(Charmian Carr)と言って、あのサウンド・オブ・ミュージックの長女役の人だった。郵便配達と歌うYou are 16 going on 17 ・・・は、グリーンの瞳と若さが魅力的だった。そんな事を思い出し、改めて時間の隔たりを感じたりした。

そのサウンド・オブ・ミュージックであるが、これも久しく前の日経新聞に、「ドレミの歌、家族その後」と題する後日談が出ていた。書いたのは息子のヨハネス・フォン・トランプ氏である。映画ではアルプスを越えて逃げるが、実際は陸路でイタリアに逃れたという。そしてアメリカに渡り、トランプ・ファミリー合唱団を本格化させた。バーモント州のスキーロッジも経営していて、日本の猪谷千春さんと知遇を得ていたというから世界は狭い。またマリアや修道女が歌う、「どうやってマリアの様に問題を解決するの?」という歌がある。マリアがトラップ家の家庭教師に戻る時に歌われるが、人が苦境に陥った時、特に女性でこの歌に救われた人は多かったはずだ。そう言えば、I have confidence in me(自分を信じて)の歌もそうだが、マリアは芯が強かった女性に思える。

映画は美しいオーストリアアルプスをバックにしている。今でも撮影場所を廻るツアーがある。訪れた人は、映画の各場面に立つと自然とメロディーが聞こえて来る仕組みになっている。そのザルツブルグの町から始まる山岳ルート、ザルツカンマーグット(Salzkammergut)は険しい山肌と湖の調和するとても美しいコースである。今から20年以上前に車で廻ったが、生憎霧が掛かっていた。そのリベンジではないが、来週又訪れる事にしている。天気が良ければ、直に映画の歌が耳に入って来るだろう。

Sunday 5 August 2018

米中の貿易戦争

アメリカと中国の貿易戦争が熾烈になっている。関税をお互い高くすることは、チキンゲームにも見える。これを続ければ、第三国が漁夫の利を得る事は明らかだ、そんな事は重々分かっていてどうしてやるのだろう?良く分からない。マスコミはトランプの選挙対策と報じているが、それにしても稚拙なゲームである。日本もどう巻き込まれるのか?暫くは高見の見物だろう。

むしろ気になるのは、これを切っ掛けに予想もしないことが起きる事だ。思い出すのは旧ソ連の崩壊である。雅かチェルノブイイの原発事故が切掛けで、あの鉄の体制が終わるなんて、誰も想像しなかった。ロシア革命もそうだ。日露戦争でロシアが日本に負けた事が革命の始まりになった。別宮暖郎の「旅順~攻防の真実」を読んでいると、その辺の事が良く書かれている。乃木大将が旅順を落としてから2週間後に、トロツキー率いる労働者が、サンクト・ペテルブルグの行進で発砲され多くの犠牲者が出た。血の日曜日事件だが、それから各地で皇帝に対する反乱が始まった。

大英帝国の終焉も遠いアフリカのボーア戦争の出費が嵩んだ事だったり、ハプスブルグ家の終焉も跡継ぎが次々不慮の死を遂げた事だった。最初は分からないが、後で考えるとその引き金は意外な処にあるものだ。今回も恩恵を受けて来た中国のIT企業が破綻すると、成長が停滞し、地方との格差が顕在化する可能性はある。雅かは真坂である。

Friday 3 August 2018

コウモリの話

先日の夕方、家の中にコウモリが入って来た。部屋の中を飛び回り大騒ぎになった。その時初めて知ったが、コウモリは音を立てないで飛び回る。それも飛行角度が突然変わるので、中々捕獲できない。どうやったら家から出て行くか?「そうだ暗い所がいいかも?」そう思い、窓を開けると闇に吸い込まれるように出て行った。それにしても気持ちが悪い鳥である。色や顔もそうだが、大きな足で逆さに留まる姿が何とも不気味だ。

それにコウモリは、人の血を吸う吸血鬼のイメージがある。あのドラキュラ伯爵の背後には必ずコウモリが飛んでいた。思い出すのは、2年前に訪れたルーマニアのブラン城、別名ドラキュラ城である。城は15世紀のヴァラド3世の住処である。押し寄せるオスマン軍の兵士を串刺しにした所から串刺し王と呼ばれているが、ドラキュラ伯爵はアイルランドの作家が彼を題材にしたフィクションである。作り話だと分かっていても、世界中から吸血鬼を見たいと集まってくる人が後を絶たないから不思議である。それはサンタクロースのように、子供の時の夢や恐怖を懐かしんでいるのかも知れない。嘘だと分かっていても、大事なのはノスタルジーである。コウモリはその恐怖を煽る大事な脇役である。

今の城には勿論コウモリはいないが、ルーマニアの田舎にはフェニキア人の住居跡が沢山残っていて良く出くわした。遺跡だと思って知らずに入ると、中からコウモリが突然飛び出して来た。かと思えば頭を掠めて又住居の中に戻って行った。そんな原始的な土地柄だったが、雅か自分の家に来るとは思わなかった。

Thursday 2 August 2018

夏山Joy!

昔、ある人のお別れ会に行った事がある。山岳界では有名な方だったので、ホテルで披かれた会は盛大だった。挨拶をしたのは一橋大学の山岳部仲間だった。その人が言うには、大学の山仲間は大町に山荘を持ち、そこを起点に活動するという。天気がいいとパッと支度して登るらしい。亡くなった方も、そこから所謂裏銀座と言われる野口五郎岳や水晶岳に登っていたようだ。そんな登り方に憧れた訳では無いが、思った時に行けるのは気楽でいい。

いつも行先は長野の黒斑山(2404M)である。車で標高2000Mの高峰高原まで一気に登り、そこから歩く事1時間ちょっとでトオミの頭に着く。浅間山の外輪でカルデラの緑が素晴らしい。それはまるでグランドキャニオンに緑の芝を張り巡らしたようである。晴れていると、目の前に聳える浅間山から延びた稜線が、まるで手が届く様な近さに見える。眼下には観測用の山小屋が見えるが、それは浅間山荘から登るルートの経過点である。いつぞやその山小屋から見上げた黒斑山は、妙義山に似て険しかった。トウミの頭から、遥か遠くには佐久の町や高速道路のパノラマが見える。そこで持ってきたお握りを食べて暫し涼を取る。驚くのは。いつ行っても人が多い事だ。日本人は山好きな国民というが、さして有名でもないこんな処に、こんなに沢山の人が来るもんだと感心してしまう。そこから山頂までは直ぐだが、トオミの頭からの景色で十分なので、いつもそこで引き返す。

下りは登りの半分の時間で済む。ピクニック気分の山歩きだが、やはり駐車場の下界に降りて来るとホッとする。終わってから近くの「ランプの湯」に浸かり帰る。高峰高原ホテルの湯は透明だが、そこの白濁色の湯が柔らかいので気に入っている。往復に1時間、登山と温泉で3時間のカミカゼ登山である。帰って味わうビールはまた格別だ。適度な疲労と温泉に入った後の安ど感、充実した一日に感謝する。雑誌の名前にもあったが、正に夏山Joy!である。