Sunday 26 July 2020

ラ・マルセイエーズの歌

堀辰雄記念館を出た処に小さな古本屋があった。入るとバッハの音楽が流れる静かな店内だった。そこで買った中公新書の「ラ・マルセイエーズ物語」を読んでみた。著者は慶応の経済を出てパリのコンセルバトワールに留学した、変わった経歴の持ち主だった。そのバランス感覚がいいのか、学者に有り勝ちな年表の羅列でなく、作曲家のルジェ・ド・リールの一生に焦点を充てながら、フランス革命をお浚いする流れが快かった。著者がフランス語に相当長けている事も伺えたり、頭のいい人だと思った。

ラ・マルセイエーズは迫りくるプロイセン軍を前に、ストラスブルグに駐留の大尉が一晩で作ったというから驚きだ。血なまぐさい歌詞も、軍歌と思えば理解出来る。この曲を聴くと誰しも拳に力が入るのはその為だ。タイトルの語源は、マルセイユからパリを目指した義勇兵が口ずさんで拡がったのに由来していた。つくづく国歌は高揚感が大事だと思った。君が代では力が湧いてこない。どうして第二の国歌と言われる「海ゆかば」にしないのか?未だに不思議である。

パリに駐在していた頃、昼休みに出るとオペラ通り近くで国民戦線(FN)の集会に出くわした。党首のル・ペンが来て演説をして散会する最後に、集まった支持者達がラ・マルセイエーズを合唱し始めた。見ていた通行人までが合唱に加わり、これから革命でも始まるのではないかという雰囲気になった。フランス人は元来話し好きで情熱的ある。この曲が入るとその情熱に火が付くのである。映画カサブランカでも、リックの店でドイツ兵が歌う「ラインの守り」に対抗して歌われる。思わず目頭が熱くなるシーンを思い出した。

Saturday 25 July 2020

日本の10倍の中国新幹線

川島博之さんの「戸籍アパルトヘイト国家、中国の崩壊」が面白かったので、最近出た「日本人が誤解している東南アジア近現代史」も読んでみた。ただこちらは、タイトルから入ると何が言いたいのか分からない本だった。誤解していると思うのは筆者だけで、殆どが旧知の内容だったのでちょっとガッカリした。ただ後半の華僑の話は面白かった。どこの国も経済を牛耳っているのは華僑だが、ベトナムには殆どいないと言う。長年の歴史から来たらしい。また華僑の職業は商人であるが、音楽家、製造業、学者がいない。言われてみればその通りである。同じ国を捨てたユダヤ人と比べると、その違いが鮮明になった。

また新幹線の話も面白かった。これも知らなかったが、中国の新幹線は今や2万9千キロにもなっているらしい。日本が3千キロだから約10倍である。ただ国土が広すぎてあまり使われていない路線が多いという。やはり遠距離は飛行機の方が便利なようだ。万里の長城もそうだったが、大規模な土木工事は時の権力の象徴で、中国のお国柄らしい。そう言われれば、一帯一路も土木工事だった。使われようと使われまいと採算も二の次で、一度決めたら突き進む末路はどうなるのだろう?

また東南アジアの新幹線も期待出来ないと云う。理由は国土が狭いのと、暑いのでドアツードアの自動車の方が便利という。現地に住んでいる人だから、見えてくるものがある。

Wednesday 22 July 2020

ファッションが語る歴史

コロナの影響で、ブルックス・ブラザーズまでが倒産した。昔は仕事仲間も挙って愛用しただけに、時代の流れを感じる。東京女子大の先生が書いた「お洒落名人ヘミングウェイの流儀」にも、ブルックス・ブラザーズが登場する。ヘミングウェイがプロポーズの時に決めた一着だそうだ。

本にはTシャツはヨーロッパの労働者の下着だったのを、アメリカ兵が持ち帰ってファッション化したとか、踵の低いローファーの靴が出てきて面白い。知らなかったがローファー(loafer)の意味は、紐を結ばない処から「怠け者」や「浮浪者」と云う。昔ある女性服装ジャーナリストが、安倍首相が公の場所でそのローファーを履いていたのを見て場違いを指摘していた事を思い出した。そのほかヘミングウェーが愛用したLL Beanの靴やマリンボーダーのシャツ、肝臓を守るための皮ベストなども紹介されていた。イタリア、スペインで戦争に参加し、パリで社交界の華になり、晩年はキューバで過ごす破天荒な生き方には、拘りのグッズが不可欠だったのだろう。

服装の歴史を紐解くと中々面白い。有名な話がジーンズである。イタリアのジェノバ(Genova)港から輸出された処から、ジェノヴァが英語のJeanに転じたとか、生地のデニムも、フランスのプロヴァンス地方のニーム(Nîmes)に前置詞を付けてニーム産になったとか。袖ボタンの由来も、ナポレオンが寒さで鼻水を拭う兵士の規律を正すために軍服に付けさせたという。ただ未だに分からない事もある。スロヴェニアのマリボール(Maribor)という町に泊まった時、中世の女性の鉄製コルセットのオブジェがあった。この町はそのコルセットの産地だったのか?色々調べても結局分からなかった。


Tuesday 21 July 2020

英語を最初に覚えた日本人

以前「ペリー提督日本遠征記」を読んでいたら、森山栄之助という通訳が出てきた。考えてみれば鎖国中の彼が、どうやって英語を覚えたか?オランダ語なら未だしも、考えてみれば不思議である。その謎を追った吉村昭著「海の祭礼」を読んでみた。
 
森山は日本に漂流したマクドナルドというアメリカ人から習って覚えた。マクドナルドは、スコットランド人とインディアンの間に生まれたハーフだった。白人社会で差別を受ける内に、未知の日本への密航を計画し捕鯨船に乗り込み上陸に成功する。ボートは北海道の利尻島に着いたが、鎖国下にて捕らえられ長崎に送られた。そこで森山と出会うのであった。例によって吉村氏のち密な取材には頭が下がる。微に入り細に入りよく調べていた。例えば森山の好んだ芸者を内縁の妻にした話や、英国公使ハリスの世話役を依頼した女に幕府が18両払ったとか。通訳だったヒュースケンにも15歳の世話役がいたようだ。以前、南麻布にある彼の墓を訪れた縁で興味深かった。各国の100を超える捕鯨船が遥々日本の漁場まで来ていたのも驚きだった。
 
マクドナルドは島に上陸すると村民から食べ物を与えられ、宗谷に移される。どこかと思ったら今の稚内だった。魚が美味しそうだし、いつかその利尻島に行ってみたくなった。

Sunday 19 July 2020

都市に出れない中国農民

近藤大介という中国通の記者がいる。何年か前に「習近平は必ず金正恩を殺す」というセンセーショナルな本を出した。当時から北朝鮮は核実験を繰り返し、中国も国連決議を理由に抑制を諭していたので本当にやるのかと思った。ところがあれから6年経つが、今の処何も起きていない。最近やはり同じ著者の書いた「中国経済1100兆円の破綻の衝撃」を読んでみた。書いたのは2015年なので同じ頃だった。内容は中国経済の脆さを、株で損失を出す投資家、賄賂撲滅の政治的逮捕、インチキな統計の話などを豊富なデータで解説していた。ただ分析は立派だが何となく煽動的な感じがした。やはりジャーナリストだから仕方ないか?とも思った。そもそも表題の1100兆円はGDPの数字である。GDPが破綻する訳はないだろうし・・・。

一方、目から鱗の人もいた。同じ新書だったが、川島博之著「戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊」はいい本だった。著者は東大の先生だが、学者の本にしては平易で自身の言葉で語っている処も魅かれた。特に専門が農業開発という地味な分野だけに、中国の農村の実情を良く踏まえていらっしゃる。自身が預かる留学生の故郷を訪ねて取材する手法も珍しいし、視点が農村なのがいい。内容は冒頭で書いているように、中国には13億人の人がいるが、実は9億人が(都市に出れない)農民という現実である。兎角我々のような外国人が接触するのは都市の人々だから、彼らの作り出した製品や数字と付き合っている。中国農民は表に出ないサイレントマジョリティーだった。当然経済格差も大きい。読んでいて、それはアメリカで云えば黒人層に似ていると思った。普段日本のビジネスマンが接触するのが白人が多いから、黒人など下層の事は殆ど知らない。

著者はその理由を中国3000年の歴史から分かり易く紐解いていた。有史以来、農民とはそう言う存在らしい。そう思うと共産主義も有りかと思えたり、仮に今の体制が代わってもこの中国は変わらない気がしてきた。本書は筆者が目の前で語っているかのようで、スッと頭に入った。学者の本と云うと兎角専門バカで取り付き難いが、久々に面白い一冊だった。

Friday 17 July 2020

堀辰雄の世界

学生時代に薦められ、堀辰雄の「風立ちぬ」や「菜穂子」など読んだ事がある。女性的な文体であまり面白くなかった記憶がある。そもそも結核病院で療養する女の話や、夫を避け避暑地で過ごす妻の話など、正直はどうでも良かった。それより落合信彦とかソルジェニーツィンの方がスリルと迫力があって好んだ。

その堀辰雄だが、最近信濃追分の記念館を訪れた縁で、改めて小説を読み返してみたがやはり詰まらなかった。どちらもストーリーの展開がなく感情の起伏を描いている。そこがいいと言う人もいるが、この手の女性の心理を追うのは苦手で微睡しい。身近な人を題材にしている点にも違和感がある。例えば「風立ちぬ」は堀の婚約者が他界してしまう伏線と重なる。「菜穂子」のモデルも、友人で自害した芥川龍之介の恋人が母だという。自身のプライベートな世界を公に出来たのは、やはり小説家の成せる技だったのだろうか?小説は軽井沢という一見華やかな舞台に、ポール・ヴァレリーの詩やバッハのフーガで彩られているから綺麗だ。果ては堀が帝大出という学歴も、読者の想像力を引き出している。だから調和が取れてそんな穿った見方をする読者は稀だろうが、それでも気になった。

信濃追分宿は中山道の宿場である。駅から歩けば山道を歩く事30分程掛かる。今でも何もない一帯で駅前も郵便局しかない。当時避暑地として利用する人も少なかっただろうし、夏なら兎も角、冬になれば氷点下になるので厳しい気候である。そんな処で居を構えたので生活はさぞかし厳しかったと想像する。記念館を出ると近くに古本屋があったので入ってみた。やはり小説を意識したのか、店内にはバッハが流れていた。今ではこの一帯は掘の遺産で成り立っている。故人は生きていたらどう思うのだろう?

Tuesday 14 July 2020

咲花温泉の川音

ゴーゴーと川の流れる音を聞きながら眠るのは、初めてだと少し寝付きが悪くなる。新潟県の咲花温泉に泊まった時、前を流れる阿賀野川の水量に圧倒された。

咲花温泉は新潟駅から磐越西線に揺られること1時間弱、数件の宿が立ち並ぶ鄙びた温泉郷である。秋になると稲穂の茶色をバックに、柿の実の赤が映える田舎景色が何とも美しい一帯である。関東では見られない日本の懐かしい風景が続き、いつまで眺めても飽きない。そのまま下車しないで内陸に向かうと、会津の喜多方に出る。遠回りしてラーメンを食べて帰る旅行者も多いという。

その咲花温泉に彼是10数年前だったか、シンガポール人のYと泊まった。Yは温泉が初めてだというので、入湯の流儀を教えた。湯に浸かる前に湯で洗い清めろ、湯の中では泳ぐな、手拭いでさり気なく隠せ等々、Yは言われた通りにやっていた。風呂から上がり、冷えた地元の麒麟山を飲んだ。ひと風呂浴びて歓談するのは万国共通でいいものだ。そんな一夜を思い出した。

Monday 13 July 2020

天ケ瀬温泉の混浴

九州が豪雨で大変な被害が出ている。コロナが終息してきてこれからという時だけに、地元の方々の思いを察すると何とも言葉に出来ない。天災とはいえ、最近の雨量は尋常ではないので防ぎようがないのだろうか?土砂を取り除く一方で、まだまだ雨が降り続く過酷な毎日を遠くで見ながら、何か申し訳ない気になっている。そんなニュースの映像に、大分の天ケ瀬温泉が出てきた。川の土砂が人家に押し寄せ、旅館の主人が溜まった泥を掃除していた。

天ケ瀬温泉は日田の山に囲まれ、玖珠川が流れる保養地である。もう彼是40年以上前になるか、職場の先輩のHさんと泊まりに行った懐かし温泉である。夜二人で食事を終えると、年配の女中が布団を敷きに来た。何を話したか覚えていないが、「今晩誰か世話しようか?」という流れになった。Hさんが関心を誘われて色々聞いている内に、「それは私よ!」と言われて二人で興ざめした記憶がある。さらに翌朝だった。目が覚めて風呂に行くと誰か先に入っていた。見ると年寄りの男に若い女が付いていた。緑に囲まれた露天の風呂で、気が付くと三人が一緒することになった。老人は悪びれる事もなく、若い女も雑談を始めて打ち解けた雰囲気になった。たたそうは言っても、見知らぬ裸の女を前に次第に落ち着かない気分になってきた。そのうちHさんも入ってきた。男三人が女を囲み、何とも不可解取り合わせになり、出るに出れずに困った。

川端康成の伊豆の踊子でも同じ様なシーンがあったが、兎角田舎の温泉にはサプライズが付き物である。特に当時の天ケ瀬温泉は、湯治場の風情が残る田舎そのもので良かった。ひょんな事で昔を思い出した。

Saturday 11 July 2020

ジェノサイトから25年

ジョコビッチ選手が企画したテニス大会で、参加した選手がコロナに感染して話題になった。本人を含め、ティエムやディミトロフなど地元の選手が多かった。そのジョコビッチだが、何故か実力の割には人気がない。守りのテニススタイルか、将又奇怪な宗教のポーズや不気味な笑みが嫌われているのか分からないが、彼がセルビア人である事と関係しているのは間違いない。

BBCによると、今日はセルビア人によるジェノサイト25年目の日だそうだ。3年前その現場を訪れただけに、記事が目に留まった。事件は1995年7月11日に、8000人のイスラム系ボスニア人が虐殺された。殺された多くは男で、女はレイプされたという。場所はボツニア・ヘルツゴビナの首都サラエボから、車で3時間余の山奥であった。途中若いフランス人カップルのヒッチハイカーを乗せ、暑い道のりだった。山間の村ではスカーフ姿のイスラム装束が目に留まった。事件が起きたスレブルニツァ(Srebrenica)の村に着くと、壮大な墓地と無数の墓標が目に入ってきた。夏だったので各地から多くの人が墓参に来ていた。ジェノサイトが何故起きたのか、よそ者には感覚として未だによく分からない。ただ村は山を隔ててセルビア側と接していたので、地理的な要因かと想像出来た。実際にそこから南に下り、次の目的地であるドリアの橋に行こうとした時だった。道を聞いた人から猛然と、「そっちから行っては駄目だ!遠回りしろ!」と反対された。入り組んだ地形の為、どうやら一度セルビアに入り、又ボツニア・ヘルツゴビナに戻るルートだった。今でも現地の人々が隣国に過敏になっていた。

ユーゴの内戦ではサラエボの街も大きな被害にあった。町は山に囲まれた盆地みたいな地形だが、その山頂からセルビア軍の戦車から砲弾が降ってきたという。よく耐えたと感心した。ユーゴ内戦では独立を願ったクロアチアやボツニアなどに対し、セルビアは大セルビア主義で主導権を取ろうとした。その軋轢が対立を招いたようだが、今でも彼方此方残る戦争の爪痕に、昨日の事のように映る。

Thursday 9 July 2020

スロベニアの激戦地

メラニア夫人の像が故郷のスロベニアに建っていたが、焼失したという。放火だったようだが、心ない事をする人は世界何処にでもいるもんだ。。そのスロベニアは数年前に旅したが、人口2百万人の小さな国だった。クロアチアとオーストリア、イタリアに挟まれた山岳国家で、大きな鍾乳洞や湖以外はこれと言って見る場所もなく、特徴のない国に写った。ただスロベニアはユーゴスラビアが解体し、最も早く独立に漕ぎつけた。行ってみてよく分かったが、地理的に西側と接していた為、いち早く米軍から支援物資が届いた事が大きかった。戦争博物館にはそれを語る戦車などが残されていた。

スロベニアに行ったのは、コバリド(Kobarid)を見たかった為である。あのヘミングウェーの小説「武器よさらば」の舞台である。第一次大戦でイタリアとオーストリアが衝突した山岳地帯に、双方100万人が参戦した激戦地である。細い山道には今でも多くの陣地跡が残されていて、当時の様子を伺えた。結果はドイツの支援を得たオーストリアが勝利したが、小説の主人公も逃亡するように、イタリア側の士気に欠けた事はいがめない。最近改めて「武器よさらば」を読み直してみたが、映画ではフィアンセが先に逃げて彼氏を待つが、小説では二人が一緒に逃亡していた。

因みにここからイタリアに下ると、トリエステの港町に出る。ジュール・ベルンの「アドリア海の復讐」の舞台で、ハンガリー独立を暗躍する一派の根城である。どちらもハプスブルグ帝国が崩壊した後の不安定な政情をバックに、国境が動いた一帯であった。余談だが「アドリア海の復讐」はデュマの「モンテ・クリスト伯」の焼き回しである。これが又痛快な復讐劇で、本家と同じく手が凝ったストーリーになっている。もしも推薦する図書を一冊上げろと言われれば、迷いなくこの本を挙げたい。

Tuesday 7 July 2020

ジャガイモの話

元駐英大使の林景一氏の「アイルランドを知れば日本がわかる」の中に、バイデン元副大統領の話が出てくる。バイデン氏はアイリランドの移民の末裔で、カソリックで初めて副大統領になったという。若い頃奥さんと子供を自動車事故で無くし、残された子供を男手一つで育て、毎日1時間半も掛けて電車通勤を36年も続けた美談も紹介していた。折しもトランプの対抗馬として注目の最中、急に親近感が湧いてきた。

その彼の祖先を含め、多くのアイルランド人が移民になったのが1800年代半ばの大飢饉であった。主食のジャガイモが疫病に侵された上、イングランドが残ったジャガイモ迄を輸出に廻したので一層食べるものがなくなった。当時を描いた「BLACK47」の映画では、飢餓と戦うアイルランド人の悲惨な状況が再現されている。しかしアイルランドのジャガイモが、昔から主食だった訳ではないらしい。折角なので岩波新書の「ジャガイモの来た道」(山本紀夫著)を読んでみたら、16世紀までは燕麦だったと言う。アイルランドは日本のように海に囲まれた島国である。どうして魚を捕らなかったのだろう?魚を食べて凌いでいたら、JFKもオバマもなかったかも知れない。イギリス料理と言えばフィッシュ&チップスが有名だけに、素朴な疑問が残った。

ジャガイモは、インカ帝国を征服したスペインがヨーロッパに持ち帰ったのが発端で拡がった。スペインからオランダ経由で日本へ来た。知らなかったが、フランスで広めたのがパルマンテェイと言う人で、バスティーユ近くの地下鉄駅の名前は彼だった。たかがジャガイモされどジャガイモ、「このイモ!」など兎角見下される食料だが、人間の歴史そのものだ。それにしても、岩波新書の著者はじゃがいも一筋の研究者、こんな人が居たんだと改めて感心した。

Monday 6 July 2020

米朝核戦争の本

北朝鮮が南北の連絡事務所を破壊してから3週間が経つ。直ぐにでも戦争が始まるのかと思っていたが、突然静かになってしまった。嵐の前の静けさか、金正恩の健康説も何が起きているのか分からない。

そんな折、ジェフリー・ルイスの2020年米朝核戦争(原題「The 2020 Commission report on the North Korean nuclear attacks against US」)を読んでみた。北が核弾頭を発射し、韓国、日本そしてアメリカのNYやワシントンDCなどにも着弾するというフィクションである。以前、映画「空母いぶき」ではミサイルが発射されると、何発は迎撃されるが全部を落とせない現実を知ってショックだった。この本でも40分足らずでアメリカの東海岸に届き、着弾する筋書きだった。況や日本へはあっという間に飛んでくる。50年代の朝鮮戦争では対岸の火事で漁夫の利を得た日本経済だったが、今の時代ではそんな悠長なことは言っていられない。

本では核の被害の恐ろしさを伝えていた。広島の原爆ドームに取材したのですかと思われる件もあったり、描写がやや稚拙の印象がした。また韓国の反撃が米軍に相談なく単独で決行されたり、米軍の抑止力が機能しなかったり、素人が見ても不自然な箇所が気になった。ともあれ、やはり核弾道は怖いし、登場人物が全て実名で登場するので、日頃馴染みのないヘイリー元国連大使やケリー補佐官など中枢の人も身近になったり、そこそこ楽しめた一冊だった。

Sunday 5 July 2020

犬は人間の7掛けでない

2年前に新しい犬を買った。これで5匹目、又ゴールデンレトリバーである。子犬の時から用を足すのに決して的を外さないので、嘸かし血筋がいいのかと思った。ところが暫くしない内に、ジャンプとバイト(噛む)が止まない凄い性格だと分かってきた。先住犬には甘噛みを通り越してしっぽに噛みつくし、叱っても全く意に返さないので、ひょっとして野生の血が混じっているのではないかと疑った。それでも一週間に三度、4カ月の調教に出したが、それも全く無駄だった。そんな時冗談で、「多摩川に捨てようか?」の気持ちにもなってきた。今では良犬(幸福)と悪犬(不幸)は交互に来ると諦めている。確かにこれまで飼った5匹の評価も〇◎✖◎✖だった。それにしても、犬の寿命は12~17年と言うからこの先思いやられる。
 
そんな愛犬だが、今日のCNNのニュースでカリフォルニアの先生が、犬は最初の1年で人間の30歳に、2年目で52歳に成長するという研究結果を公表していた。つまり成熟する迄の期間が人間に比べて極めて早いという。今までは犬の歳は人間に7を掛けろと言われた。だから1年目の7歳は小学生、2年目は14歳なので中学生、3年目は21歳なので大学生と考えて付き合った。2歳を過ぎた犬が外に出たがると、「こいつも渋谷に遊びに行きたい年頃だからね!」と、人間と置き換えて構った。言われてみれば寿命が短い分、早く独り立ちして生きる動物の生存本能なのかも知れない。

翻って人間はどうだろう?20年余を社会に出るまで準備し、40年で刈り取り、その後20年余を流して過ごす、随分と大人になるまで時間を掛ける割にはその後が短い。犬のように7歳で大人になると、その後60年も働き続けなくてはならない。世話してくれるご主人がいればいいが、それも大変だ。

Friday 3 July 2020

北大や同志社の歌

日本の恥の一つが赤坂の迎賓館である。明治末期に作られたその建築物は、フランスのヴェルサイユ宮殿そっくりである。それも都会の真ん中に堂々と建っている。西洋文化が珍しかった明治ならまだしも、未だに海外の要人も受け入れているというから驚きだ。コンプレックスを上塗りしているようで自虐的と感じないのだろうか?国民の一人として恥ずかし限りである。

そういえば最近、北大の校歌「永遠の幸」がアイルランド民謡のGod Save the Irelandのメロディーだと知って驚いた。Youtubeで早速聞いてみたら本当だった。アイルランドのGod Save the Irelandは聞きなれた曲である。そのネーミングは、一説には英国の国歌God Save the Queenの向こうを張ったという。北大の校歌になったのは、有名なクラーク博士がアイルランド人だったかららしい。彼が母国の民謡を口づさんでいる内に校歌に採用されたと言うが、ちょっと理解に苦しむ。北大の方には失礼だが、予てよりあのBoys be ambitious(少年よ大志を抱け)は、若者の覇気の無さを嘆いた言葉の気がしている。当時の蝦夷地に住む多くは役人であった。その子息が長い冬を過ごすと言葉少なくなり、薩摩や長州などの気概とは逆に、保守的で夢のない若者に写ったのではないか?いつぞや美しい校内を歩きながらそう感じた。

God Save the Irelandのメロディーは、何と同志社大の応援歌「若草萌えて」にもなっていた。これもYourubeで見ると、学ラン姿の応援団がチアガールを従えてエールを切っているから興ざめモノだ。アイルランド民謡と応援歌は全く合わないし、声を張り上げ踊る光景は滑稽で思わず吹き出してしまった。

Wednesday 1 July 2020

ジェムソンと人食い人種

良く飲むウィスキーに、ジェムソン(Jameson)がある。緑のボトルのアイリッシュウィスキーで、3回の蒸留法で色は薄いが味はしっかりしているのが特徴である。一時凝っていたジャック・ヒギンズの小説では、殺し屋が一仕事終えて飲む酒としてよく登場した。本を読みながら杯を重ねると、主人公のIRAになった気分になりハードボイルドを楽しんだ。

何年か前にアイルランドを旅した時、その蒸留所を訪れた。南部のミドルトンにある敷地に入ると大きなポットスティルがあり、ウィスキーのいい香りが漂ってきた。試飲したウィスキーグラスは口が広くて味が引き立った。近くには、アイルランドからアメリカへの移民を送り出したコーブ(Cobh)の港もあり、移民第一号となった親子の銅像が建っていた。タイタニックが出港したコーク(Cork)の港町や、色々郷愁を感じさせる辺りだった。

そのジェムソンだが、ル・ポアン誌の今日は何の日(C'est arrivé aujourd'hui) を読んでいたら、1880年の7月1日は、ジェムソンが人食い人種に少女を提供した日だという。場所はベルギー領コンゴで、アフリカ遠征に参加した創業者の息子James Jamesonが、オスマンの奴隷商から買った11歳の少女をカンニバルの昼食に提供し、様子をスケッチしたという。対価はハンカチーフ6枚だった。少女は終始声を発することがなかったというオチもついていた。これを契機に個人のアフリカ旅行が禁止されたというが、気味の悪い実話を知ってしまった。