Tuesday 26 February 2013

日本グルメのカーターさん

仕事で喜多見に行った。何のことはない、小田急線に乗るとあっという間に着く住宅街だ。一仕事終え昼になると、会社の人がカーター大統領の行った蕎麦や「志美津や」がいいと言う。あのアメリカ大統領のカーターさん?、こんな処にも来たのかと行ってみて納得、SPが待つ駐車場は広かった。

折角だったので奮発して鴨せいろを頼む。食事をしていると、段々昔の記憶が蘇ってきた。そう云えば、若い頃よく六本木の「串八」に行った・・・。交差点から歩いて直ぐの隠れ家、当時はカーター大統領が現役の時にお忍びで来た焼き鳥屋として有名だった。思い返せば日本がバブルが始まった頃だった。

カーターさんは後にノーベル平和賞も取ったが、大統領は1期で終わる短命内閣だった。任期中にイラン革命やスリーマイルズ原発事故が災いしたようだ。ただ何といっても、牧師だった彼の性格をして弱腰と評価されたことが致命傷だった。アメリカはやはりブッシュの様な強いリーダーが好きなのだ。ともあれ、カーターさんって日本グルメだったことを発見した一日だった。

Monday 25 February 2013

力を借りる「脱出記」

私は足が丈夫である。決して速い訳でもなければ、足腰が強い訳でもない。ただ歩くことに賭けては、疲れ知らずのところがある。若い時は、身体は疲れても足だけが別物のように進んで行った。このため、昔から山は得意だった。

そんなこともあって、いつぞや読んだS.ラヴィッツ著「脱出記(The Long Walk)」はとても身近に感じられ、勇気が出る本だった。著者はポーランド人で、第2次大戦の時に捕虜としてシベリアのキャンプに送られた。厳冬の地であったが、そこから仲間と脱出、何とゴビ砂漠、ヒマラヤを超えてインドまで6.500Kmを歩き、遂に自由になったという実話である。東京から大阪位までなら何とか歩けるかも知れないが、流石これには驚いた。

6,500Kmの距離がどんなに長いか、欧州から日本へ戻る飛行機から眺めると良く分かる。冬だと白、夏だと森一色の大地、果てしない無人地帯だ。 著者は只管国に帰りたい、自由になりたい一心で歩き続けた。数年前、癌との病と闘っていたO君にこの本を贈ったことがあった。「こんな人達もいたから、君も頑張れ!」いうメッセージだった。誰もが自分でも気が付かない不思議なパワーが備わっている、と言いたかったのだが・・・。

Saturday 23 February 2013

出雲あれこれ

昨日は「竹島の日」、昔からそんな日あったっけ?と思った。普段静かな島根県が、こういう時は脚光を浴びる。

島根といえば、何といっても日本の過疎地帯だ。人口は全国最下位、58万人というので八王子市並みの県だ。人口の減少を補うために、海外から人を呼んでいる。友人のJ君もその一人だ。J君は英国人、数年前にワーキングプログラムで来日し、出雲市役所で働き始めた。元々英国の田舎で育ったため、人けのない環境にも然程ビックリはしなかったようだ。J君はこれが縁で日本語はペラペラ、東京に出てきて本格的な日本との付き合いが始まった。
 
出雲と云えば何といっても出雲大社だ。ただ日本史に疎いので、大国主命と言われてもピントこない。それより、竹内まりやの出身地といった方が馴染み易い。一度訪れた時、掲揚してある国旗の大きさに驚いた。聞くとNHKの放送終了時に放映される国旗だそうだ。出雲市から30分ほど車で山に入ると、元竹下総理の古里、掛合町もある。小さな酒屋に竹下さんの似顔絵を描いた酒が置いてあった。

Thursday 21 February 2013

JTBのバス旅行

旅は好きだが、団体旅行は苦手だ。折角の解放感が、ヒトへの気遣いと相殺されてしまうからだ。ただ、昨年参加したJTBの能登バスツアーはとても良かった。

普段は煙たい添乗員のうん蓄が、とても面白かった。例えば、飛騨高山は、江戸時代300年に渡り、城大工7万人を都に派遣したため、年貢が免除されたという。(そうか、高山は大工職人の町だったんだ!) 高山に行く途中に通った桂川に3つの水力ダムがあった。水殿ダム、稲こきダム、奈渡川ダムだが、この3つで原発一基分という。(そうか、水力って意外と発電するんだ!) 富山では名物のマス寿司の工場に行った。聞くと鱒は100%ロシア産だという。金沢の金細工も有名だが、勿論金は100%輸入。(そうか、北陸は加工産業で生きているのだ!)等々。

最後はリトアニアのシンドラーこと杉原千畝の話だった。戦時中、リトアニアから12,000人のユダヤ人を助けた話は有名だが、ナホトカ経由で神戸まで送った際に、旅券を手伝ったのが4人のJTB職員だったという。別れる寸前の夫婦が、このバス旅行を機に縁りを戻したこともあったという。あまり先入観に囚われないで、またチャレンジしてみたい。

Wednesday 20 February 2013

犬の鼻を持つフランス人

ルーブル博物館に招待した貧困の子供が、悪臭を理由に追い出されたというニュースが出ていた。どうでもいい話かも知れないが、フランス人は臭いにとても敏感である。昔パーティーのプレゼント交換で皮の財布を貰ったことがあった。箱から出して雑談していると、フランス人の同僚は皮の香りを嗅いでいる。視覚より臭覚が優先するらしかった。

映画にもなったが、「香水(Das Parfum)」と呼ばれる小説もある。特殊な嗅覚を持つ男が、人を魅了する香水を作らんが為に少女を殺しエキスを取る物語だ。最後は糾弾する人々までも、その媚薬で魅了してしまうという落ちが付いている。

プロヴァンスにあるグラースの町は、香水の産地として有名だ。町に入るといい香りがしてくる。ここで香水を調合するのが、「ネ」(フランス語の鼻の意味)と呼ばれる職人である。資生堂もここが原点だが、フランス人は往々にして犬のような鼻を持つ。個人的には湿度と密接に関係していると思うのだが、クンクン鼻孔を開くと新たな世界も見えてくるのかも知れない。

Tuesday 19 February 2013

佳境に入ったスキー


若い頃、良くスキーに行った。決して上手くはないが、何とも言えない爽快感が好きだった。金曜日の夜になると、友人のH君を乗せて延々18号線を北上、山中で震えながらチェーンを付着、夜が明ける頃にスキー場に着き仮眠して滑ったものだ。考えてみれば凄いエネルギーだった。

 

海外でも良く滑った。本場のアルプスではバルディゼール、ティーニュ、バルトランス、シャモニー・・出張先のドイツでも、タクシーをスキー場に待たせて滑ったものだった(これは後日、運転手から地元の会社に伝わりバレてしまったが)。

今週は蔵王温泉に行った。聞いてはいたが寒さとガスが酷く、そこそこに切り上げ温泉に浸かった。今年は何度かスキーをしたが、それにしてもちっとも面白くない。スリルから出るアドレナリンも無ければ、山頂で味わう「生きている!」の実感も沸いてこない。歳なのだろうか? 蔵王は韓国人、中国人、オーストラリア人など、やたらに外人が目についた。それに次いで多いのは爺婆(ジジババ)だ。彼らは本当に楽しんでいるのだろうか?他人事ながら気になったのである。

Monday 18 February 2013

かみのやま温泉にて

蔵王に行く途中、かみのやま温泉に一泊した。辺りは雪景色、鄙びた旅館に着くと、感じのいいおばさんが出迎えてくれた。週末だと言うのに、客は誰もいない。貸切状態の温泉は、静かで快かった。

夜まで何もやることがないので、近くの酒屋で買った地酒を飲むことにした。TVでは「昭和の歌」をやっている、この雰囲気にピッタリだ。村田英雄、小柳ルミ子、チェリッシュ、梓みちよ・・・懐かしの顔に混じり、松坂慶子が「やさしさの季節」を歌っていた。松坂慶子といえば、東京電話のCMでダイコンを持ったおばさんだ。変われば変わるもんだ。

昔、都内でタクシーに乗った時だった。運転手が「お客さん、この前松坂慶子を乗せたんですよ!」という。「ホー!」と相槌を入れると、運転手は「松坂慶子が”私って何で綺麗か知っている?”って聞くんですよ」と言う。すると運転手に「それはね、夜寝る時に何も着ないからよ!」と言ったという。本当かどうか分からないが、当時はそんな話まで実しやかに伝わったものだった。

Friday 15 February 2013

小さなベルルスコーニ

イタリアの総選挙が近づいている。ユーロ危機は一先ず去ったが、その存続はイタリア経済に掛かっているだけに気になる。予想では、前首相のモンティ路線が継承されると言われているが、スキャンダルで騒がれたベルルスコーニの復活が気になる。

イタリアは今更だがとても古い国だ。ホテルやレストランで料金を払おうとすると、殆どクレジットカードが使えない。税の徴収割合が他国に比べて低いのは、この現金主義が横行しているからだ。マフィアのアングラマネーも、それと無縁ではない。こうした古い体質を上手く使うのがベルルスコーニだ。彼が、特に田舎で人気が高いのはそのためだ。

今日の朝日新聞に、在日20年のイタリア人がこれを上手く表現していた。それは、イタリア人なら誰でも心の中に、おカネ、色、権力といった「小さなベルルスコーニ」を持っているというのだ。合理的なことがいいと分かっていても、甘い蜜には弱い国民性と言う意味もある。逆にその大らかさが、オペラや地中海の明るいイメージになっている部分もある。ドイツ人になれとは言わないが、せめて逆戻りはしないで欲しい。

Thursday 14 February 2013

加藤寛さんを偲ぶ

先日、カトカンこと加藤寛さんが亡くなった。御年86歳だった。歯切れのいい論理でバッサリ切りながら、一方で温もりのある人柄は多くの人から慕われた。社会的には晩年税調で鳴らしたが、時事放談で細川隆元との対談は庶民的なところがあった。

加藤先生との思い出は、40年程前になるが野尻湖の合宿である。小さなクラブのOBだった先生は、20数名の学生の為にはるばる来てくれた。一緒に矢内原勝先生も来られた。お二人は同級生で、1番で卒業したのが故矢内原勝先生、東大総長の矢内原忠雄の御子息だ。加藤さんは2番だったと言っていたが、お2人はとても仲が良かった。

加藤先生は、その時ベニスとスレーターの「流動化社会(The Temporary Society)」という本が面白いと言って薦めてくれた。早速買って読んだが、当時の私はさっぱり分からなかった。今改めて斜め読みしてみると、それはアメリカの学者がソ連と中国の社会体制を称賛する本だった。時は1968年、ニクソンが大統領になった年で、アメリカがベトナムに足を突っ込み、自信を無くし始めた頃だった。「加藤さんもそんな本が面白かったんだ!」と、とても懐かしく思うのであった。ご冥福をお祈りしたい。

Tuesday 12 February 2013

泳げない犬

連休は天気も良かったので、辻堂まで海を見に行った。昨年我が家にやって来たゴールデン・レトリバーの子犬が7か月になり、そろそろ海を見せてやろうと思ったからだ。

先住犬のラブラドールは海が大好きだ。海の潮の香りが近づくともう興奮してくる。ラブは元々英国で、地引網から毀れる魚を拾い集めた犬だった。そのため当然泳ぎも上手い。誰に習った訳でもないのに、子供の時からスイスイと泳いでいた。ところがゴールデンの方は水を怖がり、波が寄せると逃げてばかりいる。況や水に入る気は全くない。それどころか浜を散歩するカップルを追いかける。遥々渋滞の中、初泳ぎを見たい一心だっただけに、これにはガッカリした。


誰でも得手不得手はあるものだ。人懐こいゴールデンの性格を持って良しとするのか、もう少し様子を見てみてみようか。

Monday 11 February 2013

殿下とシーバスリーガル

皇室が揺れているが、皇太子殿下には頑張って欲しいと陰ながら応援している。勿論殿下にはお目に掛かったことはないが、とても親近感を持っている。それは、たまたま何かで読んだ殿下の趣味が同じだったからだ。

1つは、殿下が山に登られる時に持って行かれるウィスキーだ。それもシーバスリーガルである。シーバスリーガルは今でこそ手頃な価格になったが、昔は結構高価だった。私も若い時、それを登山の時にウィスキーフラスコに入れ、山小屋で一杯やるのを常としていた。当時こんなことをする人はあまり居なかったが、まさか殿下もそうだったと知った時は驚いた。

もう一つは愛読書の「モンテクリスト伯」である。これについては、以前このブログでも紹介させてもらったが、A・デュマのフランス革命を舞台にした復讐劇である。長編だが、何度読み返してもスマートで痛快な小説だ。「生きる力があるとすれば、それは希望だ!」それを教えてくれる名著である。云わば座右の書だが、殿下もそうらしい。ともあれ、これからも御元気でいて頂きたい。

Sunday 10 February 2013

歌を忘れたカナリア

遅ればせながら、アベノミックスの先生と言われる浜田宏一さんの本を読んでみた。例の「アメリカは日本経済の復活を知っている」だが、デフレ脱却の論理が単純明快だった。「日銀は本格的に買オペをやれば、円が増えて円安になる」だ。ゼロ金利が長引く中、オペという刀を持っていながら放置した“不作為の行為”を糾弾している。

面白かったのは日銀の体質だ。日銀はインフレ退治には熱心だが、デフレはそうでもないことだ。氏はこれを日銀の庶民感覚から来るという。日銀職員のように給料が安定していれば、物価が安くなることは心良いからだ。退治するはずのインフレがターゲットなることも、彼らの感覚では自己矛盾するらしい。「バレンタインの義理チョコ」の話だ。昨年の2月14日(バレンタイン日)に、日銀はインフレターゲットを1%に設定した。ただこれはアメリカに追随したポーズだったので、やる気の無さが市場に見抜かれ逆に円高が進んでしまった。これらを総括して、白川総裁を「歌を忘れたカナリア」と評している。

本を読んでいて、Oさんの事を思い出した。Oさんは銀行の秀才で、英国の名門大学から帰ってくると20代で東洋経済から立派な金融の本を出版した。風貌も白川さん似で、いつもパイプ片手話す姿は格好良かった。しかし管理職になり現場に出ると、若い人から散々酷評されるようになった。感覚が浮世離れし、目の前で起きていることが見えてこなかったからだ。著者は毎朝の通勤電車の飛び込み自殺にも言及している。最近の株高、円安を見ていると、やるべき立場の人がやらなかった責任って、結構大きかったのではないかと思ってしまう。

Saturday 9 February 2013

レ・ミゼラブルの映画

映画「レ・ミゼラブル」の評判が良かったので、観に行きたかったが中々時間がなかった。延び延びになっていたら、そろそろ上映が終るというので慌てて駆け付けた。レ・ミゼラブルは、以前ミュージカルを本場のパリとロンドンで観たことがあったが、今回もそれに違わず素晴らしい出来だった。
 
レ・ミゼラブルは、フランス革命後のパリを舞台にしたビクトル・ユーゴーの小説だ。人々の貪欲さ、自由への願望、愛と慈悲、運命、敬虔な祈りなど、人間臭さが全て詰まった作品である。小説も然ることながら、何といってもミュージカルの歌が素晴らしい。今回も、映画をミュージカル風に仕立てたのが良かった。スーザン・ボイルで更に有名になった「夢破れて(I dreamed a dream)」や、マリウスに思いを寄せるエポニーヌの「オン・マイ・オウン(On my own)」など、沢山の名曲をたっぷりと聞かせてくれた。

中でも、私は最後に全員で歌う「民衆の歌(People`s song)」が好きである。拳を握りしめ、様々な逆境の中にも生きようとする人間の逞しさが伝わってくるからだ。今回はその点、ややフィナーレの盛り上がりに欠けた感があったが、それでもこれを聞くと不思議と力が湧いてくる。目頭を熱くして映画館を後にしたのであった。


Friday 8 February 2013

領土と長屋文化


尖閣・竹島が連日賑わっている。隣国との付き合いは良きにつけ悪しきにつけ大変だ。特に領土問題は、人類の歴史そのものだけに難しい。


もう死んでしまったが、叔父さんが「縁側に物を置いておくと知らない間になくなっている。大体朝鮮人が取っていく」と昔に良く言っていた。戦後の貧しい時代の話だが、隣国人故の特殊な感情があったのだろう。このことをある時、同僚のドイツ人に話したことがあった。すると待ってましたとばかり、隣国ポーランドの話を始めた。曰く「ドイツ人がポーランドへ車で旅行した。路肩に車を止めて立ち小便をし、終わって振り返ると車が消えていた」と。実はTVのコマーシャルにも同じものがあるが、ドイツ人の気持ちを素直に表している。フランスとドイツ、ロシアとバルト国、南北朝鮮、イングランドとアイルランド等々、どこでも隣付き合いは大変だ。

そんな感情論が先走るから余計エキサイトする。いい解決方法なんてないが、私のせめてもの結論は長屋思想である。江戸の長屋は軒先連ね、隣通しがみそ醤油の貸し借り、井戸端会議、共同トイレに銭湯、壁一枚の会話は筒抜け…等々、寄り合い所帯の“押し合い圧し合い助け合い文化”を生んだ。所詮となり同志の仲だ、普段からこうした往来があれば大分違うはずだ。特に両国ともに経済では切っても切れない関係だ。誰もが言葉には出さないが、肌で感じているのではないだろうか。

 

 
 

 

Wednesday 6 February 2013

ドパルデューとロシア国籍

フランスの俳優ジェラール・ドパルデュー(64)が、ベルギーに帰化するというので話題になっている。現在フランスで41%の所得税上限を、75%に引き上げることに抗議したらしい。それにしても、ロシア国籍も取得してまでどうなっているのだろうと思っていたら、ロシア籍のままベルギーに居を構えると言う。

ドパルデューは映画やTVに良く出る大物だ。中でも代表作のシラノ・デュ・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)の映画は有名だ。17世紀の騎士道を描いた戯曲で、恋敵の為に恋文を代筆する儚くも美しい物語である。主人公シラノは、自身の大きな鼻を卑下し影となった。ドパルデュー自身の鼻もかなり大きかったので、メイクをしていないように見えた。

フランスは社会主義かと思うほど税金が高い。気軽にシャトーと呼ばれる別荘でも買おうものなら富裕税の対象になり、それが払えないで再入国出来ない人が多いと聞く。ただ長年に渡って過去の遺産を崩し生きてきた国なので、左程驚くことではないようだ。むしろ、64歳にもなって新たな国籍を、それもよりによってロシアを選んだことにビックリした。

Monday 4 February 2013

ジェフリー・アーチャーの続編

暫く前にジェフリー・アーチャーの新作「父親の罪(The Sins of the Father)」を読んだ。これは以前このブログで紹介した「全ては時が語る(Only Time Will Tell)」の続編である。

前篇では、愛し合う2人が、結婚を前にして父親が同じだと告げられたところで終わる。物語は第1次大戦に突入、主人公の乗った船が沈没するところから始まる。九死に一生を得た彼は、自分の過去を消し去ろうと死んだ同僚とすり替わる。ところがその同僚が元殺人犯だったことが分かり、思わぬ濡れ衣が待っていた。一方、ヒロインはフィアンセが生きていることを信じ、長年かけて遂に彼を探し出す・・・舞台は英国からアメリカに移り、例によってスケールの大きな大河小説だ。

再会した2人は何とか父親が違うことを探そうと試みるが、中々証拠が出てこない。決してスリルや迫力はないが、飽きのこない展開は流石だ。最後はどうなるのだろう、次なる出版が待ち遠しい。

Sunday 3 February 2013

呉の大和と雨後の月

金曜日に広島に行った。小さい時に1年住んでいた懐かしい町だ。長年行かなかったが、この1ヵ月で2回も来た。これも何かのご縁なのだろうか。仕事も早く終わり、雨の中、駅前の居酒屋に入る。夕方の5時前だというのに、既に何人かが飲み始めている。TVの吉田類ではないが、地元の常連が集まる場所、何かいい雰囲気を感じる。

魚の子、さよりさし、ハゲ煮つけ・・・など聞き慣れない品書きが並んでいる。取り敢えず、瀬戸内の平目さしを頼み、呉の銘酒「雨後の月」の冷酒から始める。いい気持になっていると、TVのニュースが、「今日、呉のそごうが閉店になりました」という。呉は海軍の軍港として、最盛期は40万人を超える人が住んでいた町だった。戦後は、造船などが残ったため人口こそ半減に留まっているが、もはや当時の面影は乏しい。その追い討ちを掛けるようで、暗い気持ちになった。

先月来たときに、呉の大和ミュージアムに行って見た。正直、立派なハコモノ展示にがっかりした。戦艦大和は世界3大無用の長物として比喩されたが、その延長のようなセンスを感じたからだ。せめてもの慰めは、当時の技術だった。効率的生産がトヨタのカンバン方式に、主砲の旋回技術がホテル・ニューオータニの回転レストランに、探照灯の反射板が新エネの太陽灯に、水上機発射台のカタパルトも・・・等々、その後の高度成長に繋がった。戦争は空しいけれど我々はその上に生きている・・そしてこうして呉の酒を飲んでいる・・・、そう思う頃には酔いが廻っていた。外に出ると冷たい雨が心良いのだった。

Saturday 2 February 2013

柔道界の事件

今週は、日本柔道界を揺るがす2つの事件が話題になった。1つは全日本女子監督の園田監督のパワハラ、もう1つは元オリンピック金メダリストの内柴被告の実刑判決だった。どちらも柔道界のトップなだけに、影響が懸念される。

この事件に共通するのは、スポーツ組織の特異性だ。柔道に限らないが、日本でスポーツを続けるには、学校か会社のクラブに入るしかない。ただ学校は勉強があるし、会社は仕事があるので、嫌だからといってそう簡単に組織を離れることが出来ない。多少の事があっても、その組織の中で我慢せざるを得ない。教える方も、それが分かると自然と立場が強くなる・・・。今回の原因も、その逃げ場のない世界にあったように思う。

私ごとになるが、若い頃体育会を齧ったので、この辺の構造は容易に想像つく。いい先輩に付けばラッキーだが、多くは弱い者いじめをする。今のクラブライフが心良いのはそれもある。海外では勿論、スポーツはクラブが主体だ。サッカーのザッケローニがいみじくも、「こんなことはイタリアでは考えられない」と嘆いていたのも頷ける。