Wednesday 31 May 2017

戦争小説の女


その千島列島を題材にした小説で、傑作は佐々木譲著「エトロフ緊急電」だと思う。真珠湾攻撃に出港する前夜、艦隊が集合した単冠湾を舞台にした物語である。随分前に読んだので忘れてしまったが、択捉の自然と開戦前夜の緊迫が伝わってくる一冊だった。

千島列島がロシアと接するなら、アメリカと繋がるのがアリューシャン列島である。そこには、あの奇跡の脱出に成功したキスカ島や、全員玉砕したアッツ島などが連なっている。良くもこんな処まで兵を送ったと思ってしまう。そのアッツ島は米国本土を爆撃する基地を想定したが、本土までが遠かったので、途中にもう一つ基地を作ることを考えた。それを題材にした小説が、ハンス・オットー・マイスナー著「アラスカ戦線(原題:ALATNA)」である。作者はアメリカ人だが、主人公は日本兵という異色の構成であった。

物語はアラスカに中継の飛行場を探す物語であるが、その殺伐とした原野を歩いていると現地の女に出会う。結局主人公の大尉はその女を妻にするが、迫力ある筆タッチだった。読んでいて、その後のラウイッツ著「脱出記(原題:The Long Walk)」に似ていると思った。脱出記ではやはり途中で少女が登場し逃避行に加わる。料理の隠し味ではないが、男ばかりの世界に女が加わると、無味乾燥とした小説にグッと血が通う。

Tuesday 30 May 2017

占守島の物語

昔、北海道県庁を訪れたことがあった。ダビデの星ではないが、何故かサッポロビールのような赤い一つ星がビルに付いてた。その一室が北方領土の展示ルームであった。ガランとして部屋に、パネルとパンフレットが置いてあったが、人気も疎らで忘れられたような雰囲気だった。

その北方領土返還に向け、また両政府の間で行き来が始まろうとしている。ただ普段の生活とあまりに離れている場所だけに、余り関心が高まらない。そんな矢先、新田次郎の「終わらざる夏」を読んでみた。物語は終戦間近に、最北端の島であった占守島に招集された通訳の話である。小説は情緒的過ぎて自身の趣味ではなかった。ただ玉音放送を聞いて武装解除しようとした矢先、上陸したソ連軍に対し、戦わざるを得なかった描写は貴重だった。

何より400人の若い女性を、後方の根室まで脱出に成功した話は胸を打った。あれから70年以上経つ。杉原千畝の救ったユダヤ人ではないが、その女性達の戦後はどんなだったのだろう?結婚し生まれた子供、孫、ひ孫が沢山いるはずだ。そんな女性たちの過去を遡り、島に残り戦死したりシベリアに送られた将兵と重ね合わせると現実がリアルになりそうだ。

占守島は今でも立ち入り禁止で時間が止まっているという。それにしても日本が持っていた千島列島って、とても広かった。

Monday 29 May 2017

宮里藍の引退

宮里藍選手が引退するという。まだ31歳なのに、早すぎると惜しまれている。人気があっただけに、驚きと引き際の良さに感心してしまう。

特に彼女のファンだった訳ではないが、そのスウィングの美しさには常々憧れていた。150㎝台の小さな身体から振り出されるクラブの弧は、どうしてあんなに大きいんだろう?どんなに真似してもクラブの描く弧が小さくなってしまう。テニスのラケット捌きも同じで、フォロースィングの大きな人はボールに重さが出るし安定する。そして何と言っても、見ていて美しい。それはきっと身体やリストの柔らかさから来るのだろうが、正に憧れのフォームだ。

それにしても爽やかな会見であった。遅咲きのお兄さん(優作)が2連勝するなど、宮里ファミリーにとっては話題に富んだ年になりそうだ。

Thursday 25 May 2017

シシリーのおしゃべり文化

シシリー島で驚いた一つは、男たちの服装だった。訪れたのは12月だったが、日本の秋のような温和な気候だった。昼から立派な服装の男たちが路上に繰り出し屯っている。多分年金生活者だろうか、お茶を飲む訳でもなく、兎に角家から出てきて集っているという印象だった。

服装に増して目立ったのが靴である。イタリアは革製品が有名だが、誰しもこれまた立派な革靴を履いていた。「これからご出勤ですか?」と聞きたくなる雰囲気だったが、勿論どこに行く様子もなく、ただただブラブラしていた。いつぞや国が破綻したのは、こうした年金生活者、取り分け元公務員を厚遇した煽りが原因だったと言われている。それかと思われる光景に、あちこちお目に掛かった。

おしゃべり(Chat)は女同志ならいざ知らず、男同士は絵にならない・・・そう思うのは日本人だけである。「沈黙は金」や寡黙が重宝する日本だが、それは最近日本語の語彙の少なさが原因かと思い始めている。旧友との会話でも、もっと語彙が多ければ年と共に表現も多様化するのにと思う事がある。そんな事を知って彼らは話している訳ではないだろうが、兎に角シシリー人はお洒落でおしゃべりだ。

Wednesday 24 May 2017

シシリー島のジュリアーノ

そのシシリー島だが、訪れた2011年は選挙の年だった。財政難に加え、永年のスキャンダルが山積し、特に少女との買春疑惑のベルルスコーニ首相はピンチだった。ベルルスコーニさんは歯に衣を着せない発言で、彼方此方で暴言を繰り返してきた人だった。結局選挙には負けたが、島での評判は大変なものだった。

彼はマフィアとの関係も取り沙汰されていたように、とても古い体質の人だ。それがイタリア、取り分け田舎のシシリー島みたいな場所では人気を博した。その訳の一つが脱税だ。イタリアの脱税率はロシア、ブラジル、ギリシャに次いで多いと言われている。島を旅するとクレジットカードはまず使えないで、ホテルでも殆どキャッシュであった。その足跡が残らない商売は、彼のような人々のイメージとダブってくる。

旅から帰って、藤原房俊著「シチリア・マフィアの世界」を読むと、サルヴァトーレ・ジュリアーノという盗賊もいたことが分かった。彼はイタリアの銭形平次とロビンフッド版で、戦後に弱きを助ける地元の雄だった。最後は警察に捕まってしまうが、その彼が逃げ込んだのは首都のパレルモ近くの山だったという。実はその山をバックにした海岸線は、島一番の絶景ルートだった。暫く行くと、山頂の古代都市エリチェ(Erice)に着く。あの映画「ゴッド・ファーザー」でマイケルが求婚に訪れるキャフェみたいな処が沢山残っていて、不便な高台に、未だに人々が生活しているから驚きだった。島にはこうした歴史が沢山詰まっている。

Monday 22 May 2017

G7のシシリー島

今週はG7サミットがイタリアのシシリー島で開かれるという。伊勢志摩サミットから1年、早いものでオバマ大統領が広島を訪れたのは昨日のようだ。
そのシシリー島だが、今まで旅した中でとても良かった場所の一つである。イタリアはどこでもローマ時代の遺跡が残っているが、そこは島と言う閉ざされた地形で、昔のままの文化が残っていた。今から6年前だったか、マルタ島から船で渡り、レンタカーで一周した。シラクーサの人々はアラブの白装束だったり、街道にはアフリカの娼婦がトラックを待っていた。映画「ゴッド・ファーザー」のコルレオーネ村にも行った。男ばかりが屯うバーに勇気を出して入ってみると、マフィアのような男達の視線がとても怖かった。また泊った名もない村では、こっそり村民の骸骨館を見る機会に恵まれた。

そして何より古代遺跡と地中海のコントラストが美しかった。この季節は特に湿度が低いから、景色がくっきり見えた。それにしても会議が開かれるタオルミーナはエトナ山の麓である。暫く前に噴火したというニュースが出ていたが大丈夫なのだろうか?海沿いの町だから、タコ・イカの海産料理はさぞかし最高だろう。今回安倍さんはマルタ島にも足を延ばすと聞いている。第一次代戦時に、日本海軍が英国海軍を助けに遥かマルタ島まで来て、Uボートで命を落とした海兵の墓参りという。知っていれば行ったのに!滅多に行けない場所だっただけに心残りだった所だ。

Friday 19 May 2017

誰もが孤高の人

仕事仲間のIさんが最近山に凝り出した。最初はやはり奥多摩である。月曜日になると「三頭山と御岳に行ってきました」と報告がある。そして、「いやー!山はいいですね!!」と地図を出して、歩いたコースを解説してくれる。聞いていてそれはとても楽しいひと時である。
そんなIさんだが、初心者ということもあって中々一人では行けない。幸い身近の友人が連れて行ってくれる。ただ心の何処かで、折角の休日まで仕事仲間と一緒したくない気持ちもある。元来我関せずの人だから、日増しにそのジレンマは募るようだ。そんなある日、新田次郎の山岳小説「孤高の人」を紹介してあげた。

「孤高の人」は読んで字の如く、単独行の話である。主人公の名前は加藤文太郎と言って、天来の健脚だった。いつも一人でスタスタと、物凄いスピードで日本の尾根を歩いた。ところがある日、滅多にないペアー登山があった。文太郎は普段のペースが乱され、最後は命を落としてしまう。それは山に登った事がある人なら分かり易い心理である。Iさんは池上正太郎のファンだったから、その気持ちが少し分かるようだ。彼はいつか「山は一人で登りたい!」と思い始めている。リスクもあるかも知れないが、折角下界をおさらばしたのなら、それは当然の境地だ。

Wednesday 17 May 2017

近くなった北陸


新しく開通した北陸新幹線「かがやき」に乗って富山に行った。一昔前なら、越後湯沢からほくほく線に乗り継いだ。六日町、十日町、直江津とローカルな駅を通り、鱒ずしを頬張りながらゆったりとした旅だった。勿論富山で一泊し、この季節ならホタルイカ、白魚など富山湾の幸を十分に楽しんで帰ってきた。

ところが今や大宮からだと2時間で着いてしまう。勿論日帰りコースである。加えて新幹線はやたらにトンネルが多いので、日本海に出るまではゆっくり景色を楽しむ何処ろではない。新しい富山駅は素晴らしかったが、駅前に披けたガランとした駐車場は名古屋駅の南口のように殺風景で、「もう少し景観に配慮しても良かったじゃない?」と粗雑さばかりが印象に残った。

20年程前に、やはり北陸を旅した事があった。レンタカーを借り、和倉温泉の宿から輪島、東尋坊、永平寺を廻った。ヒマワリ畑が美しかった記憶がある。遥々裏日本までやってきた感激があったが、それは汽車に乗り継いで時間を掛けたからだった。旅は行くまでのプロセスが一番楽しい。いい例が遠足の前日で、明日を考えると眠れなかった。温泉もスキーもその瞬間はホンの数分だが、あれこれ準備し合う時間が楽しい。北陸は便利になったが、ただの裏日本にならなければいいが・・・。

Monday 15 May 2017

スチウァーデス第一号

久しぶりにル・ポアン誌の今日は何の日(C'est arrive aujourd-hui)を読むと、87年前(1930年)の今日は、エア-ホステス(つまりスチウァーデス)が誕生した日だそうだ。場所はアメリカのオークランドとシカゴ間でエレン・チャーチルという26歳の女性が第一号だったという。思っていたより、意外と最近の出来事だった。

そのスチウァーデスであるが、昔は花形の職業だった。採用された1年目から自宅にタクシーが迎えに来て空港まで届けてくれるし、給料は娘の父親より高かった。元々才色兼備だったから、合コンには引っ張りだこだった。そんなある時、友人の一人がそのスッチーと結婚するというので式に呼ばれた事があった。それは華やかな祭典で、新婦の友人が皆モデルに見えた。

ただそれも後になって考えると、日本航空(JAL)の成せる技であった。それ以外の外資系と呼ばれる航空会社にも多くの日本人ホステスが採用されたが、事情は少し異なっていた。喜んでスッチーになっても、外資のフライト会社の拠点は当然海外だったので、そこを起点にしなくてはならない。彼女たちは一人で海外の町に住み、そこから飛んでは帰る生活を送っていた。一見派手な生活とは裏腹に、同世代との出会いもない孤独な職業だった。これを語ると長くなるので、続きは又にしたい・・・。

Friday 12 May 2017

ブルターニュ地方のカラス

今週、我が家の杉木にカラスの巣を発見した。見上げ上げるとハンガーを重ねた跡があり、何かゴソゴソしていた。早速保健所の人を呼び片付けてもらった。既にヒナが三匹孵っていたのには驚いたが、幸い親鳥の威嚇もなく、撤去は無事に終わった。何年か前に同じ場所に巣を見つけた事があった。その時は怖いもの知らずで木によじ登り、自分で巣を取り払った。頭上で二羽のカラスがカーカーと旋回していて、怖かった記憶がある。専門家によれば、カラスはふ化から卵が孵るまでは過敏だが、生れてしまうと注意が散漫になるらしい。

カラスは普段大人しく場合によっては人懐こい。だが繁殖期や群れを成すと怖いし、何より図体が大きく黒が気色悪い。その恐怖を煽ったのが、ヒッチコックの映画「鳥(原題:The Birds)」であった。

ヒッチコックの「鳥」は、昔の人なら大体知っている映画で、カラスが人間を襲うホラー版である。場所はてっきりアメリカと思っていたが、実は撮影はフランスのディナール(Dinard)という港町で行われた。随分前になるがそのロケ地を訪ねると、肩にカラスを乗せたヒッチコック像が建っていた。

ディナールはブルターニュ地方の小さな町で、湾を隔て観光地のサン・マロ(St.Malo)がある。サン・マロは今でも立派な要塞が残っている中世の港町である。近くには有名なモン・サン・ミッシェルもあり、百年戦争やアーサー王伝説の頃には英国人が闊歩していた面影満載の土地である。カラスの除去でそんなことを思い出した。

Wednesday 10 May 2017

アメリカのいじめ(hazing)


名門のペンシルバニア大学でこの2月、学生が酒を大量に飲まされて死亡する事件があった。今週その結果が公表され、関わった18人の学生の内8人に判決が言い渡された。被害に遭ったのは19歳の男子学生でアメリカンフットボールの選手だった。事件は寄宿舎の儀式で酒を飲んで走る中に起きたらしいが、ニュースでは、(適訳か自信はないが)hazing(いじめ)という言葉が使われていた。


驚いたのはその公表で、関わった学生氏名と陪審員が罪と認めた投票数、そして大学関係者のヒアリングが全て公表されていたことだった。流石に個人の判決部分は黒塗りで隠されていたが、その開示はとてもアメリカらしかった。これも始めて知った言葉だが、故殺(manslaughter)という言葉があった。故意ではなく結果的に殺人を犯したという意味のようで、加害の学生を指していた。また一気飲みだと思うが、dryという言葉も出て来た。


新入に酒を強要する事は身近でも山ほどあった。中には急性アルコール中毒で意識を失い、救急車を呼んだこともあった。自身もその昔洗礼を受け、気が付いたら翌朝大広間のビールの海で目を覚ましたこともあった。所詮は飲めない者に飲ませて、優越感に浸る快楽に過ぎない。正にそれは今風の言葉で云えばいじめであるが、その処罰の在り方にやっと真面なものを見た気がした。

Monday 8 May 2017

5月のミスマッチ

5月のゴールデン・ウィークも終わった。今年は好天に恵まれ、風は強かったがいい日が続いた。こんな時はわざわざ遠出して渋滞に巻き込まれるより、東京にいるに限る。車が少ない分、空気が綺麗だから、どこからともなくいい香りが漂ってくる。きっとツツジの花だろうか、正に風薫る五月である。

さぞかしレストランは空いているだろうと思っていたが、意外と行ってみると混んでいた。好物のスパゲティーを近所のイタリアンに食べに行ってみた。若い人が多く、隣併せたカップルは20代後半だったか、男が一方的にしゃべっていた。何やら戦争中の特攻隊の映画を見たらしく、「あの気持ちって凄いんだ!」みたいな事を話していた。「ちょっと場に相応しくないな?」と思って聞いていると、料理はどんどん出て来て、女は黙って食べていた。しかし、やっと場が白けていたことが分かったか、男は「話題を変えようか?」と切り出した。

5月病は、きっとこんなミスマッチかも知れない。それは心の衣替えで、外は明るいのに、気持ちは未だ冬だったりする。それにしてもこの季節は急に日差しが強くなり、新録のくっきり感も半端でない。そして公園の野花の可愛らしさに、生命の息吹を感じる。今まであまり気が付かなかったが、東京はこの時期を境に春を通り越して夏になる。

Saturday 6 May 2017

マヌカンの罰金

そのフランスだが、今日のBBCニュースで、マヌカンのやせ過ぎが廃止されるニュースがあった。マヌカンこと所謂ファッションモデルが、美を追求する挙句、極細が健康にも害を及ぼすことになったという。10月以降はBMI(Boddy Mass Index)なる指標をクリアしないと、罰金(75千ユーロ:約9百万円)が課されるらしい。BMI導入はフランスが初めてかというと、既にイタリアやスペインが導入しているといから、さして新しいことではないようだ。

良く言われてきたのは、衣装を引き立てるためにマヌカンは極力個性を抑えなくてはならないという。女性の曲線美を封じ込めれば衣服が引き立つから、正に体が資本のマヌカンにとっては、身を削る過酷な生活があったのかも知れない。

ファッション界の事には全く無知だが、一昔前は少し違った気がする。例えば20年前の売れっ子は何と言ってもクローディア・シーハー(Claudia Schiffer)だった。ドイツ出身の彼女は、長身で豊かな胸にブロンドを靡かせて一世を風靡した。当時人気者だったマジシャンのカッパーフィールドと結婚するとか言っていた。そんな彼女のグラマーな容姿は、今ではあまり流行らないのだろうか?ただマヌカンと言っても、所詮は人の温もりがあって初めて他人が振り返るものだ。今回は、そのアニメみたいな風潮に待ったを掛けたのかも知れない。

Wednesday 3 May 2017

フランス人のメルド!

マクロン候補の話は、ある意味でフランス社会の男女関係の一端の気がする。現職のオランド大統領も、結婚してない女性とエリゼ宮に住み、別の愛人宅にスクーターで通うという、信じられない事件があった。ミッテラン氏には晩年隠し子が発覚したが、公の場に同席させていたし、前職のサルコジ氏は3度の結婚、相撲好きだったシラク氏は良く来日したが、実は日本に愛人がいたという噂もあった。それらを受け入れるフランスって、正に自由と博愛を地で行っているようだ。

確かにフランス人と会っていると、人と人の距離がとても近いと感じる。世界一と称されるのは挨拶である。半分は儀礼だが、”ボンジュール!”を聞くと不思議と朝が晴れるような快さがある。目と目を見つめて話すアイコンタクトもそうだ。挨拶代わりに頬に3回キスをする習慣は中々真似できないが、(犬ではないが)しっかりと相手を認識しているようだ。

そんなフランス人の生活を垣間見れるのが、ステファン・クラーク(Stephen Clarke)著「糞!(原題:Merde)」である。英国人がパリで暮す姿をユーモラスに綴っていて面白い。最近また取り出して読んでいると、フランス女性が自由闊達に生きる狭間で、彼が振り回される姿が何とも滑稽である。フランス人は良く失敗した時に「メルド!(糞)」と叫ぶが、その響きは本当に犬の糞を踏んだ時のような同情を誘う。文章のタッチは「プロヴァンスの12か月」に似て、素朴で観察のセンスに富んでいる。

Monday 1 May 2017

マクロン候補の結婚

友人のYさんに、「今度のフランス大統領候補って、何て名前だった?」と聞かれたので、「えーと、お菓子のマカロンみたいな、そうマクロンだ!」と応えた。するとYさんは「そのマクロン氏の奥さんって、24歳も年上らしいよ」と言う。調べて見ると、マクロン氏が高校生だった17歳の時に、教師だった今の奥さんと出会い、12年の時を経て結婚したと言うから驚きだ。相手の女性は3人の子供を持つ既婚者だったが、最後は離婚して再婚したという。再婚した時は53歳だった。

確かに日本でも、「姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ!」という諺がある位だから貴重なのだろう。イチローやダルビッシュなど、スポーツ選手は特に多い。ただ24歳差となるとホストクラブのお金目的位しか思い浮かばないので、この話は最初に聞いた時は信じられなかった。それもホストでなく、フランス大統領になろうという人だから猶更だった。

ただ考えてみれば、他人の奥さんに手を出して結ばれるケースは珍しくない。古くはアーサー王伝説の騎士ランスロット、円卓の騎士の中でも容姿力量ともピカ一の彼が選んだのは何と王妃だった。又かのブラームスがシューマンの奥さんのクララに恋したのは有名な話だ。日本で思い浮かぶのは鳩山由紀夫さん位だが、ほとぼりが冷めるとそんな経緯は人の記憶から消えていく。それにしても、彼が50歳になった時は相手は74歳だ。余計な事かも知れないが、大丈夫かと心配になってしまう。