Monday 30 April 2018

逃げる力

百田尚樹氏の「逃げる力」がベストセラーになっている。本屋は品切れの処が多く、アマゾンで取り寄せた。読んでみると、相変わらずスラスラ読める文体で、話題も豊富だった。4月に社会人生活をスタートした新人が、これを読むと少しほっとしたというのもよく分かる。

今でこそ「逃げる=止める」の一線がどこにあるのか、何となく分かる気がするが、若い時はそれが中々分からないのが普通だ。ついつい仕事を抱え込むうちに、追い込まれて頭がおかしくなってしまう。況や、レールを外れるなんて、思いもつかないのが実情だ。特に本にも出ていたが、特急列車のレールに乗った人はそれが一入だ。思い出したのは、東大出のFさんだ。Fさんは若い時から海外に派遣され同期で最初に部長になった。誰もが羨む綺麗な奥さんを貰い、正に順風満帆の人生だった。ところが50代を過ぎた頃、地方の支店長の辞令が出た。それは当時の状況から、役員への道が閉ざされたに等しい事でもあった。それが切っ掛けでFさんは廃人になってしまった。

本で面白かったのは、百田さんは辛いことがあると、若い頃に読んだV・フランクル著「夜と霧」に元気付けられるという。アウシュビッツの収容所を描いた名著で、自身も随分前に読んだ事がある。世の中にはこんな過酷な中で生きている人もいるかと思うと、今の自分の悩みなど物の数ではない、という気持ちになってくる。私の場合は、あの拉致問題の横田夫妻がそれに近い。永年、娘の帰って来るのを只管待ち望んで活動している。その孤独で先が見えない心境を察するのである。ともあれ、ちょっと昔を振り返ることになった一冊だった。

Saturday 28 April 2018

ダモクレスの剣

昨日、板門店で南北朝鮮の首脳が会談し、金正恩が非核化を宣言した。平昌オリンピックを契機に急速に南北の融和が進んだようだが、会談の内容を真面に受け止める人は殆どいないのではないか?そもそも金正恩が核を手放す事なんて絶対ない。況やな半島の統一や民主化など、始まったら待っているのは国民による報復である。その末路は、イタリアのムッソリーニ、ルーマニアのチャウシスク、イラクのフセインと同じで、あっけない。そんな事を分かっていて、誰が権力を手放すのだろうか?

今回の流れは、国連の経済制裁が効いて来たのと、アメリカの攻撃タイムリミットが近づいているからである。いつ何時、ダモクレスの剣が天から降って来るかも知れない、そんな切迫感をして作り出されたパーフォーマンスに違いない。両者がこれから具体的な話に入れば、決裂するのは目に見えている。

そのダモクレス(Damocles)の剣(つるぎ)は、ギリシャ時代の逸話である。王に言われて王座に座った臣下のダモクレスは、見上げると髪の毛一本で吊るされた剣があった。それ知って、改めて王の気持ちを察する話である。舞台になったのは、シシリア島のシラクーサ(Siracusa)だ。そのシラクーサを、何年か前に島を一周した時に立ち寄ったが、まるで時間が止まったような古い町だった。裏路地に入ると、白いイスラム風の装束を着た男達が屯していて怖かった。何かアフリカの一角のような感じだった。

Thursday 26 April 2018

ランブイエの乗馬クラブ

そのランブイエの森には、沢山の乗馬クラブがある。今から思えば夢のような体験だったが、週末はその中の一つのクラブに通って馬の乗り方を教わった。先生は30代後半の美男子で、擦り切れたジーンズ姿で熱心に指導してくれた。フランス製の乗馬ブーツとズボンに身を包み、一通り室内での基礎レッスンが終わると、場外に連れて行ってくれた。森の中だから邪魔するものもなく、優雅な散策を楽しんだ。

その乗馬クラブは、特に名門でもなかったが、とても綺麗に掃除されていて気持ちが良かった。厩舎や馬具は勿論、馬の手入れもピカピカだった。それは素人から見てもかなり力が入っているのが分かった。思えばフランス人の綺麗好きの一端だったかも知れない。パリのレストランやキャフェが美しいのは、毎日主人が窓ガラスやワイングラスを、長い時間を掛け磨いているからである。

フランス乗馬界で、その優雅さの頂点に立つのは、シャンティ(Chantilly)の大厩舎(Grandes Ecuries)である。シャルルドゴール空港の近くなので、時間つぶしに訪れる観光客も多い。凱旋門レースの競馬場や、ミシュラン三ツ星のお城があり、それは優雅なスポットである。その馬場に隣接した厩舎では、今でも馬のショーをやっている。訪れる人は馬の演技も沙流事ながら、ナポレオン時代の馬具と建物の方に魅了されてしまう。その美的センスから、エルメスのブランドが生まれたのが容易に理解出来る。

Wednesday 25 April 2018

ランブイエのボルガー氏

日経新聞に、ボルカールールの見直しが進んでいるという記事を見た。ボルカールールとは、先のリーマンショックの後に出た、レバレッジの高い商品に対する投資規制である。あれから10年、景気も回復してきたので、そのストレステストを簡略化したり、比率の軽減を進めているという。正に喉元過ぎればの感があるが、その繰り返しこそ人間の営みなのかも知れない。

ところでそのボルカーことポール・ボルカー(Paul Volcker)氏は、あのブレトンウッズ体制の終焉に立ち合った財務次官である。時代は1970年代、フランスのランブイエの森に各国の財務担当が集まって、金本位制の終焉を看取った。以降市場は変動相場制になり今に至っているが、ルールはその強い意志を継いで命名したようだ。その後彼は過度な金融引き締めを行い、オイルショックと相まって市場は高揚した。日本で云えば平成の鬼平と言われた三重野総裁のような人だった。日本経済も高度成長期の末期で潤ったが、その後の反動も大きかった。

ランブイエには日本からは稲村財務官が参加した。とても温厚な方だったが、暫く前に鬼籍の人になってしまった。それに対し、ボルカー氏は御年90歳とご健在のようだ。ランブイエはパリの南西に位置する広大な森である。ある時、その森の公園を散歩した事があった。秋だったか、栗の実が落ちていたので拾って歩いていた。ところが現地の人から、「それはマロニエの実だから、食べたら駄目だよ!」と言われて慌てて捨てた。マロニエとマロンは言葉も実の形も良く似ているが、全く別物だとその時初めて知った。そんな事も思い出した。

Monday 23 April 2018

葉桜の賑わい在りて

「葉桜の 賑わい在りて 杯重ね」、一昨日の桜を見る会での安倍さんの一句だった。アメリカから戻ったばかり、10時間もトランプ大統領と差しだったと聞いて、正にトップ外交かと思った。ただその支持率はどんどん下がって40%を切っていると言う。本当か?と思っていたら、経済界は70%を超えていると新聞に出ていた。周囲は殆ど現政権を支持しているのに、どこにそんな人がいるの?そう思って聞いてみると、問題の一つはその調査方法だった。どうやら昼間の専業主婦しか居ない自宅に電話しているらしい。ひるおびの時間帯に電話が掛かってくれば、誰もが批判的になってしまうのも無理ない。

そんな話をしていたら、結構周りの人は同じ感覚を持っている人が多い事が分かった。例えばゴルフ、「デフレを脱却するのはサンドウェッジでしょ!」のフレーズは、ビジネスマンにはピンポイントの直球だった。それに彼の国際センス、英語も沙流事ながらアメリカ産牛肉のハンバーガーで持て成すセンスもど真ん中だった。又何より子供と時から知る人が多いのも安心感の一つだ。成蹊で小さい時から一緒だった人は、今でも「安部クン」だし、多分奥さんの明恵さんも変わらないのだろう。変わったのはそれを利用する人が出て来た事である。

明恵夫人の森友事件には蓮池という人がいた。彼を見ていて似たような人にお目に掛かったことを思い出した。例えばビジネスの普通の会話をしていても、後で都合が悪い事が出て来ると豹変するのである。それは朝日新聞ではないが、あるシナリオがあるからである。相手の反応がシナリオ通りだったらいいが、そうでないと人が変る。君子豹変どころか、ヤクザみたいに落とし前まで求めて来るから質が悪い。その多くは組織でなく個人で動いている人である。だから失うものがないのかも知れない。そんな素性の人を真面に取り上げるマスコミはもっと低俗だ。そろそろ真っ当な風潮が出てこないだろうか?

Saturday 21 April 2018

マルクスのトリーア

今年はマルクス生誕200年という。それを記念して地元のトリーア(Trier)市では、マルクスをデザインしたユーロ紙幣を発売したり、マルクス像を設置するなど観光に力を入れているようだ。ただ像については、中国からの寄贈というので気味が悪い。社会主義発祥の地と言う事らしいが、急に現実に引き戻された気分になる。

そのトリーアはモーゼル川に沿った古い町である。ルクセンブルグやフランスの国境に近く、モーゼルワインの産地である。今まで2度ほど訪れたが、この季節やはりこの辺りで採れる白アスパラガスと一緒に、冷やして飲む白ワインは本当に美味しい。トリーアと言うと、昔は古代ローマ時代のポルタ・ニグロと呼ばれる城門が有名だった。ミッシュランの2つ星でもあるが、行ってみると「これだけ!」とちょっとガッカリした記憶がある。それに対しマルクスの生家は中々感慨深かった。この家で生まれた男がロンドンに出て行って本を書き、それが下敷きになってソ連、中国が出来た訳だから。ただ当時はミッシュランガイドに星すら付いていなかった。そのため素通りする人が多かったが、それが昨今、中国人の聖地になっていると言うので、改めて時代の変遷を感じてしまう。

2度目に行った時、中々ホテルが見つからず、モーゼル川沿いの民家に泊めてもらったことがあった。トリーア郊外の小さな村で、「どこか泊まる処はありませんか?」と人に尋ねた。するとその人は「ちょっと待って」と言って知人に連絡を取り、ある家の2階を世話してくれた。そんな旅の思い出が蘇ってきた。

Thursday 19 April 2018

逆セクハラの時代

財務省次官のセクハラ事件、それを報じる週刊新潮が今日発売というので早速買いに行った。一軒目、二軒目にもなく、三軒目の本屋でやっと手に入った。記事はテレビで報じられていたので左程驚くような内容ではなかった。何せ、活字の前に音声が流れると言う、前代未聞の出来事だったからだ。
 
それにしても最初から不可思議な事が多すぎる。女性記者は初対面でなく、1年以上前から同伴しているという。いくら仕事はいえ、公私の域を超えている気がするし、今に始まった会話とは思えない。確かに次官の音声を耳にすると、聞きしに絶えないものがある。ただそれはどう見てもプライベートな時間の話にしか思えない。誰もが仕事を終え会社の愚痴、仕事の不満をぶちまける時間帯である。それを狙って1年以上前から画策していたのだろうか?況や、朝日の記者が競合他社の新潮にネタを売ったのは利益相反や背任にならないのだろうか?又、昨今の裁量性労働の範囲だったのだろうか?疑問は尽きない。

そう言えばこの手の話は、佐藤優さんが面白可笑しくロシアのハニートラップで紹介していたのを思い出す。カモは日本から出張したきた人、巧妙で組織ぐるみの罠にどっぷりと浸かり、その後の後始末を現地の大使館がする話である。勿論今回の事とは比べるのはどうかと思うが、何かそれが引っ掛る。もう一つは男女の逆セクハラである。いつからか知らないが、セクハラの言葉が独り歩きしている。麻生大臣の発言は全く理にかなっていると思ったが、それは時代にそぐわないと言う人が(特に女性に)多い。「女は弱い者」を逆手に取る風潮である。ただ満員電車で女性専用車は悠々と出勤する一方、男性は狭い車両に押し込まれれていたり、痴漢は男と決まっていたり、最近では逆に男の不公平感が募るのも事実だ。正に逆差別の時代である。「男子厨房に入るべからず!」の時代に育った者にとって、中々生き辛い時代である。

Wednesday 18 April 2018

檻の中と外

松山刑務所から脱走した囚人が、まだ捕まらない。因島辺りを逃げているようだ。先日しまなみ街道を旅しただけに、ちょっと気になっている。小島が点在しているし、橋も掛かっているので移動はないのだろうか?いろいろ考えてしまう。

子供の頃に、親の転勤で地方都市に住んでいたことがあった。そこで仲良くなったのはO君だった。O君とはその10年後に同じ大学で一緒になる数奇な運命の人になったが、その時は夢にも思わなかった。O君の父親はとてもやさしい人で、刑務所の看守だった。遊びに行くと、家は刑務所の塀の近くにある官舎だった。勿論子供がそんな事を気に留める事もなかったが、こうした話が出て来ると、不思議にその時を思い出すのであった。

そんな囚人の話をしていたら、とある関係者の人がその実態を解説してくれた。つまり刑期に服している時は厚生労働省の管轄だが、終わるとどうなるか?行き場のない人は地方の自治体が住まいと仕事の面倒を見るようだ。ところが殆どの人は長い刑務所生活で廃人になってしまうから、中々自立出来ないという。命令されないと何も出来ない人間になってしまう。人によっては敢て罪を犯し、慣れ親しんだ檻の中に戻る選択をするという。そう言えば、トム・ハンクス主演の映画「グリーンマイル(The Green Mile)」の囚人もそうだった。刑務所には戻らなかったが、シャバではやっていけないと、(ムショに戻りたいと遺書を残して)自ら命を絶った。一度社会からスピンアウトすると、中々難しい現実が待っている・・・。

Friday 13 April 2018

The Lucy Show

Who Rules the World(誰が世界を支配しているのか?)の本の中で、一つだけ思い当たった件があった。それはルーシーショウ(The Lucy Show)である。調べてみると、1963年から3年に渡り、日本のテレビで放映された番組であった。アメリカの家庭を舞台に、奮闘する主婦ルーシーを描いたドラマだった。

勿論知ってはいたが、子供だった頃だったのであまり記憶にはない。況やテレビが普及する前だったので、視聴者も限られていた。東京オリンピックのちょっと前だったか?そんな時代にこれが放映されたのは、「アメリカの民主主義、男女平等のプロパガンダだった」と本では語られている。確かに小学生の頃、フォークダンスで男女が一緒に踊ったのは今から思えば画期的な出来事だった。勿論アメリカの主導だったが、子供心にも、初めて異性の手に触れた感触はインパクトがあった。

それにしてもそれが本当に日本にとって良かったのか?ふと最近思ってしまう。例えば女性は、NHKの連ドラで紹介されるまでもなく、江戸時代ではかなり強い存在だったのは周知の事実だ。ただそれは、礼節や家父長制に代表されるデマケーションをして、外人から見ると差別に映ったようだ。とんでもない誤解だったが、それを打破しようと外圧が掛かったのも事実だった。改めて昨今のユニセックス化がなければ、日本はもっと家族の絆が強かったかと思えて来る。遅きに失した感もあるが・・・。初めてみたアメリカ家庭のルーシーさんだったが、今から思えば余計なお世話だったのかも知れない。

Thursday 12 April 2018

Who Rules The World?

昔海外に住んでいた時、駐在員の間では、旅行ガイドブックは日本のものが一番だという意見で一致した。ミシュランやロネリープラネットなど蒼々たる本は現地にあったし、今ではネットナビで事が欠かない時代である。ところが、日本人にはごちゃごちゃと適度に日本風に味付けされたものが一番しっくり来るのであった。そうでないと何か物足りない。それは日本人の世界観と似ている。

最近、ニューヨークタイムズのベストセラーになっているノーム・チョムスキー著「Who Rules The World(誰が世界を支配しているのか?)」はそれとは反対の典型であった。仲間の何人かで読んで感想を交換し合ったが、誰もが「さっぱり分からないな!」という結果になった。中には謙虚に「俺は頭が悪いからな・・・」と謙遜していた御仁もいたが、タイトルの答えも沙流事ながら、一体著者が何が言いたいのか、最後まで理解出来なかった。これがアメリカでベストセラーというから、改めて言葉以前に隔たる文化の障壁は大きい事を実感した。

これも今から10年以上前になるか、タイのプーケットで会議に参加した時だった。各国から参加した人達と数日寝起きを共にし、泳いだり観光も楽しんだ。特に仲良くなったのはドイツ人のKさんだった。Kさんは写真が趣味でその時もよく撮っていた。ところが帰国してドイツから届いた写真集を見て驚いた。それは被写体をアップした手法で、私の見たプーケットと全く違う世界だった。一緒にいてこんなに見ていた物が違ったのか!その時のショックは大きかった。世界は狭くなったようで、まだまだ遠い。

Tuesday 10 April 2018

BB好きのY君

ブルックスブラザーズ(BB)好きのY君は、仲のいい同僚だった。会社に入った頃は良く飲みに行った。ところが40歳に差し掛かる頃だったか、彼の方が早く昇進し、私は昇進が遅れたことがあった。お互い遠くにいたのでその時は気にならなかったが、ある時Y君が私の赴任地に出張してきた。

久々に旧交を温めようと、自家用車でホテルまで迎えに行った。ところが車に乗り込むY君は、後ろの席に足を組んで座るではないか!「普通は隣の席に座るのじゃないの?」と言いたかったが、本人はどこ吹く風だった。何かの間違えでは?と思いながら、タクシーの運転手みたいな気分になった。その日は、予てより予約していた川沿いの庶民レストランに連れて行こうと思っていた。勿論ご馳走するつもりだった。ところがY君は、「折角なので星の付いた店に行きたいな!」と言い出した。仕方ないので、2つ星の高級レストランに切り替えた。その日はそれで終わったが、高い料金なので、割り勘と思って後日国際電話で請求をした。ところが彼は一向に電話に出て来ない。何度目だったか、やっと電話が繋がり渋々払ってもらったが、それでやっと分かった。つまり、彼は偉くなっていたのだった。

以来、Y君とは距離を置いていた。ところがそれから何年か経ったある日、Y君が私の職場を訪ねてきた。どうやら職を求めているようだった。昼時を狙って来たのは重々承知したが、とても食事に連れて出る気持ちにもなれず、コンビニのサンドイッチを会議室でもてなした。元々優秀な人だったが、誰かが「Yさんと一緒に仕事をしたい人が居ないのですよ!」とポツリと言ったのを耳にした。それなら見つからない訳だ。下には強く出るが、上には滅法弱いアロガント、そんな人が結構多かった時代でもあったが・・・。

Saturday 7 April 2018

Brooks Brothers

今年はブルックスブラザーズ(Brooks Brothers)が出来て200周年だという。今でこそ高くて買う気もしないが、昔はワイシャツと言えばブルックスブラザーズが定番だった。わざわざ青山の本店まで足繁く通ったものだ。当時はまだボタンダウンが珍しかった頃だった。襟の曲がり具合が何とも良く出来ていて、他の追随を寄せ付けなかった。それにストライブのネクタイでもしようものなら、ウォールストリートを歩いているような気分になったものだった。

そんなある時、本場NYの本店を訪れた事があった。9.11でそのビルも崩壊してしまったが、確かワールドトレードセンターの近くにあった。正にビジネスマンの聖地という感じだった。同僚のY君もそこのファンだった。ある時、彼はNYに出張した役員に頼んで買ってきてもらったことがあった。頼まれた役員も迷惑だったが、当然ひんしゅくも買っていた。

思えば、ブルックスブラザースの服はビジネスマンの戦闘服である。金融界ばかりでなく、確かケネディーや最近ではオバマ大統領も愛用していたというから、広くエスタブリッシュメントに愛されて来た。戦うことが終わった今、そんな時代を懐かしく思うのである

Thursday 5 April 2018

Balkanization

とある処で、バルカニゼーション(Balkanization :バルカン化)なる言葉を聞いた。地政学的から転じて、物事の関係が混とんと対立する時に使うらしい。例えば、昨今の森友問題では、地検と財務省、野党と維新の党、自民党と質問に立った若手議員、明恵夫人とお姑さんなど。ただこの2年に渡り、バルカン半島を6000㎞走破した者にとっては、ちょっと違うよ!と言いたいフレーズだった。

確かにバルカン半島はヨーロッパの火薬庫として、歴史の表舞台の代名詞だった。有名なのはサラエボの銃声、時のオーストリア皇太子夫妻の暗殺から第一次世界大戦が始まった。キリスト教とイスラム教が混在する地域だから、当時を思えば起こるべきして起きた事件だった。ただ今はどうだろうか?旅をしていると確かにヒジャブを被る地域もあったが、宗教の違いは感じられない風景が続いた。どこに行ってもイタリア料理屋はあるし、ワインやビールにも事欠かない、正にそれは西洋の一角であった。悪名高いセルビアはスロヴェニアに次ぐ豊かさがあったり、文化が同居するボツニア・ヘルツゴビナもWiHiに事欠かなかった。

むしろその違いを助長するマスコミが気になった。それを象徴したのが、昨今のマケドニアの国名問題だ。予てからギリシャは問題視し改名を求めていたが、やっとマケドニアも認めたようだ。それは例えばユーラシアを国名にしたようなもので、冷静に考えれば折り合う余地はあって叱るべきだった。実際に住む両国の人々は、争いがなく、経済的に豊かになることを望んでいる。マスコミが、面白可笑しく過去を煽らないで欲しい、旅をするとそんな気持ちになってくる。

Wednesday 4 April 2018

Fire and Fury

ベストセラーになっている「FIRE and FURY(炎と怒り)」を読んでいる。トランプ政権の内幕を暴露しただけあって、中々のリアルで凄い本である。補佐官のバロン氏がこれで失脚したと聞いていたが、読んでみるとトランプ大統領の私生活をチクったようだった。仕えて一年も経たない内から、忠誠心に魔が差したのだろうか?氏の人生も紹介されていたが、これなら仕方ない人だった!と思える件だった。

それにしても前代未聞の大統領の出現である。今日も中国が鉄鋼、アルミの関税に対し報復措置を発表した。云わば貿易戦争だが、世界経済の枠組みを壊そうとしている。将棋ではないが、先の先を読めば(互いに疲弊し勝者がない消耗戦が見えるから)手控えるのが定石だ。それでもメキシコの壁や移民制限など、どんどんその歩を打ってくる。本でもその辺の裏側は面白可笑しく紹介されているが、殆どが思い付きの打ち出しだから滅茶苦茶だ。ただそれが現実だから無視できないのである。

読んでいて、戦後の冷戦を含め平和が続いた時代の終わりなのかな?と思えて来る。それは綺麗ごとの外交の限界なのかも知れない。人間はもっと原始的で、動物のように弱肉強食に生きていたのが歴史である。それが戦後はサロン的になり、美辞麗句でお互い距離を保ちながら遠慮して共存してきた。そのツケが廻って来たのかも知れない。ともあれ、これは今風に考えればWin Winとは反対のゼロサムゲームである。毎日がトランプ劇場で、マジノ線ならぬ一進一退が続いて行く。暫くはそれと付き合わなてはならない。

Sunday 1 April 2018

War Cry

昔、バルト海の街角でおばあさんに道を尋ねた事があった。英語で話しかけると、おばあさんは現地語しか分からないという。試しに仏語でやってみても駄目だったが、「ドイツ語だったら分かるけど!」と言うではないか。確かにその昔ドイツ騎士団が入植した土地だったので、その末裔かと改めて驚いた。

そんなヨーロッパ人の多様な生活の一端を紹介したのが、Wilbur Smith著「WAR CRY(お叫び)」である。昨年ドバイ空港で買った分厚い原書をやっと読み終えた。物語は第2次代戦前後、ケニヤに住む英国人の娘が主人公である。遠戚のドイツ貴族の若者とロマンスが芽生えるが、戦争に邪魔されてしまう。母親の前夫がドイツ人だった事が、二人の伏線になっている。

物語の前半は、その娘の生い立ちに充てられている。そのタッチは極めて女性的で、読んでいてどうでもいい話が多かった。ただジェフリー・アーチャーもそうだが、そのダラダラした件が後半のオチに繋がる事が多いので、ひたすら我慢した。しかし最後は娘の親が経営する船会社が金塊を運搬する話で、どんでん返しを期待していた読者としては正直ガッカリした。