Wednesday 30 December 2015

海難1890を観て

山岳小説でこの一冊と聞かれれば、迷いなくボブ・ラングレー著「北壁の死闘(原題:Traverse of The Gods)」を上げる。第二次大戦下、ドイツから科学者を救出する話だが、舞台はアイガー北壁である。息詰まる登攀の途中、科学者の体温が下がり、遂に命が尽きようとする。その時同行した女性が裸になって体を温めるが、厳寒と相まって緊迫した効果を生んでいる。

今上映されている映画「海難1890」を観ていたら同じようなシーンがあった。座礁したトルコの負傷兵を主役の忽那汐里が助けようとするが、こちらはリアル感がなかった。冒頭トルコの大統領の挨拶から何か国策映画の臭いがし、これは日土の親睦を謳った教育映画だと思った。

ただイラン・イラク戦争の時、テヘランの日本人救出劇はまだ良かった。空路は日本人に譲り、陸路を余儀なくされたトルコ人だったが、イスタンブールには車で2日も掛かる言う。でもたった2日で行けるの?そんな両国の地形を感じだ。

Tuesday 29 December 2015

サント・ノーレ通りの逸話

バンドーム広場とコンコルド広場の間にはサント・ノーレ通りが走る。エルメスなどの高級ブティックやエリゼー宮もある。観光客なら一度は訪れる一角だが、パリの買い物には暗黙のルールがあった。客はウィンドーショッピングが基本で、買おうと思った人だけが店に入る、という長閑な習わしである。ただかつての日本人、今の中国人の爆買でそれも変わりつつある。

そのサント・ノーレ通りだが、ル・ポアン誌にナポレオンを狙った爆破事件が載っていた。時は1880年、ナポレオンがオーストリアを相手にしたマレンゴの戦いで勝ち、エジプト遠征から戻ったクリスマスイブに起きた。22人の死亡者を出した惨事だったがナポレオンは無事だった。今のルーブル博物館から馬車に乗り、31才だった彼はその後妻にするジョゼフィーヌとオペラに行く途中だった。最近のテロのではないが、昔から物騒な事件は絶えない。

その通りの243番地にクロード・マルモという老舗の画廊がある。印象派から現代に至る写実的な絵画を専門としている。ある時店の人が、創業者のマルモには日本人の血が流れていると教えてくれた。以来、彼のルーツが気になっている・・・。

Monday 28 December 2015

ヴァンドーム広場の逸話

コンコルド広場から100m程行くとヴァンドーム広場に出る。広場の真ん中にナポレオンの塔が建っている。アウシュテルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝った時、敵の大砲を溶かして作ったものらしい。

取り囲む建物の一階には高級ブチィックや銀行が入っている。中でもひと際大きな建物は、パリ最高級ホテルのリッツである。ダイアナ妃が交通事故で亡くなった時、ハロッズの御曹司と出て来たのがこのホテルだった。逸話は多く、パリ解放後に記者だったヘミングウェーが立ち寄ったことから、バーの名前は彼の名前を冠している。また余り知られていないが、地下のプールは幻想的で映画のシーンかと錯覚する一見の価値がある。外は寒いのにそこだけ暖かく、何故か泳ぎもしない美女が人気のないプールサイドに横たわっている。

そのリッツホテルだが、知らないと見過ごしてしまうが、壁にメートル原器が掛けてある。フランス革命の直後、フランスは子午線から割り出して1mの基準を作った。その名残の一つがここに残っている。世界標準とはこれか!と思える。

Sunday 27 December 2015

コンコルド橋の逸話

大阪の私鉄駅で古本市をやっていたので覗いてみた。そこで100円で求めた川島ルミ子著「フランス革命秘話」は中々面白かった。例えば、バスティーユの刑務所はその後解体され、今のコンコルド橋になったという。パリは何でも逸話があるが、これは初耳だった。

コンコルド橋はコンコルド広場の前に架かる大きな橋である。車も通れる。目の前は国会があり、広場にはナポレオンがエジプトから持ち帰った王家のオベリスクや、名門のホテル・クリオンが立っている。そして何といってもこの広場を有名にしたのはルイ14世とマリーアントワネットの処刑である。今でも殆ど当時の面影を湛えているので、目を閉じればその光景が蘇る。

また革命によって、歴代の王の墓が暴かれた話もあった。サンドニ教会の事だが、その後ルイ18世時代になって破棄された遺体を掘り起こし、また教会に埋葬されたと云う。サンドニと聞くと、先のテロリストの隠れ家だったり、ピガールの怪しげな場所を連想する。ただこうして歴史の後日談に触れると、また行ってみたくなるのであった。

Saturday 26 December 2015

Christmas

It was a Christmas day yesterday. Japanese Buddhist are not directly concerned with this Christian sacred events. It is just one of the drinking day. I dropped Izakaya after work as usual. For young couple, it is important day how they spend their evening especially with whom. If you say to someone that you pass the eve watching TV in your room, people would laugh thinking that you are real bachelor. It is a miserable moment for single man.


We are proud of our emperor Akihito who was born one day before Jesus Christ birthday. It was Dec.23rd now being national holiday in Japan. On Dec 25th, Humphrey Bogart was borne in 1899 and Chaplin died in 1977. We remember Rumania ex-President Ceausescu was executed and Soviet President Gorbatchev resigned the same day.

Something happens somewhere but it is an ordinary day for most people.

Thursday 24 December 2015

Childhood and origin

Shintaro Ishihara, 83 years old, is a novelist, ex-governor of Tokyo Metropolitan City, and an extreme right politician. I wonder how his origin was coming from ? I found an article in the newspaper that he went to hear Tokyo tribunal of war criminals with his uncle when he was a child. At the entrance of court, MP asked him to stop and ordered to put off his Geta (wooden shoes) as it was noisy. He followed and went into the court without shoes. It said this humiliating experience cultivated his rivalry mind to US.

I was contrastively opposite. When I was a student, I traveled all America with hitchhiking in summer. In Las Vegas I luckily could see Elvis Presley show at Caesars Palace. I got a ticket but hesitated to go in as my dress was jeans and t-shirts when all visitors were with formal dress. I asked someone “ Is it Ok with this ?” He said “ No problem, come to our table!” I came to like tolerant American style since then.

If you want to understand the people, better to ask what he/she was doing and thinking in his/her childhood.

Wednesday 23 December 2015

旅になる棚卸

年末年始を海外で過ごす人が多いが、Aさん夫妻もその1人だ。昨年はフランス、今年はイタリアだが、娘さんの処に行く。娘さんは外資の国際監査チームの一員で、年に何度か滞在国を移動している。Aさん夫妻もその追っかけを口実に楽しんでいるという訳だ。

ただ受検する方は敵わない。知らない人が突然やってきて調べられては、情を挟む余地がない。その点日本の会社とは随分違う。思い出すのは今回の東芝事件だ。監査法人も粉飾に加担していたようで問題になっている。詳しくは知らないが、長年の付き合いで、知らず知らずの内に呉越同船になっていたのだろうか?

監査法人は四半期に棚卸と称する在庫確認を行う。現場に行って在庫の数を数えるが、実際は現場の人が数えているのに立ち会うだけだ。必然的に形式が優先する。そして現場の工場は田舎や海外にある。一仕事終われば、地元の割烹、レストランでお疲れ様の接待が待っている。その内、この3か月毎の棚卸は、仕事だか旅だか分からない行事になっていく・・・。

Saturday 19 December 2015

リトアニアと杉原千畝

今日は木枯らしが吹き荒れたので、テニスは諦め映画を観に行った。「杉原千畝」は期待通り中々良くできた作品だった。主役の唐沢さんの英語も素晴らしかったし、国際的に通用する構成で安心した。

杉原千畝氏は有名な人だが、改めて映画を観ると彼が早稲田大よりハルビン大に影響されたことや、かなりの情報活動(インテリジェンス)家だったことも分かった。また今のリトアニアの首都はヴィルニスだが、当時杉原が居た領事館は そこから100km離れたカナウスだった。映画には出てこないが、当時の生活はさぞかし大変で、小雪演じる奥さんの苦労が伝わって来た。

ヴィルニスの街には暫く前に泊まった。KGBの処刑室近くにユダヤ人博物館があり、杉原の記念碑が建っていた。注意していないと見過ごしてしまいそうな小さな家だった。日本人はリトアニアと聞くとこのユダヤ人救出を思い浮かべるが、実はリトアニアに暮らすユダヤ人は現在3000人しかいない。リトアニアは旧ポーランドの領地だったので、バルト3国の中でも熱烈なキリスト教国である。そんなギャップが、果たしてリトアニアの人がこの映画を観てどう思うのだろう?そんな事を考えた。

Friday 18 December 2015

プレーボーイ誌

暫く前に、プレーボーイ誌がヌード掲載を止めるという記事が載っていた。若い頃、ドキドキしながら競って入手したグラビアだったので時代の変遷を感じた。今やクリック一つで、しかも無料で見れる時代だから仕方ないのだろう。一時は600万部近かった発行数も、今や80万部まで落ち込んできたという。これからは、30~40代後半をターゲットに、ユーモア・セックス・文化で売るらしい。

そのアメリカだが、先日フィルム会社の人と話していたら、コダックの倒産の話になった。アメリカの会社は量産が全てなので、時代が変わると対応出来ない。その点、富士フィルムは化粧品やオフィス機器など、新分野を開拓して2兆円の会社として生き残っている・・と。

果たしてプレーボーイ誌はどうなるのだろう?雑誌は廃れたが、そこから転じた往年のプレーボーイはまだまだ健在だ。その人達の生き方にスポットを合わせれば、結構いい線が出てくるかも・・・。

Monday 14 December 2015

ポーランド人の墓

読売新聞の「戦後70年 歴史を歩く」は、中々いい特集だ。今週は異国に眠るポーランド人というテーマで、イランの墓地に眠るポーランド人とその末裔を紹介していた。「シベリアに比べればテヘランは楽園だ」という言葉は感慨深かった。

読んでいて、エストニアの首都タリンにも同じような場所があったことを思い出した。市の中心にある高台で、今では公園になっていてポーランドの丘と呼ばれる場所だ。眼下にはサッカー場と名門のテニスクラブが広がっている。その公園だが、昔はポーランド人の墓地だった。イランのポーランド人同様、ナチスの迫害にあって逃げてきた人達なのだろうか。ところが戦後ソ連の統治下になり、それらは潰しされ更地になってしまった。今では綺麗に整地されているが、所々に点在する墓石跡と、立て看板がないと殆ど分からない。

タリンの街はまだ地下鉄もなければ高層ビルも少ない。街を掘れば白骨が出てくるので、工事をストップし場所を公開している。

Sunday 13 December 2015

ラトビアの木賃宿

日本を訪れるバックパッカーはどんな処に泊まっているんだろう?そんな好奇心から、大阪難波のファースト・キャビンに泊まってみた。名前の通り、飛行機のファーストクラスである。水平なベット、イヤホンから流れる音楽、それにテレビもある。ワンフロアーに個室が連なるため、扉はアコーデオンカーテンだ。そのため、夜になるとスースーと近所の寝息が聞こえてきた。

持論だが、ホテルはシーツが全てである。殆どは寝ている訳だから、安心して眠れる清潔なシーツは大事だ。その点、イギリスやフランスの民宿は当たりはずれが無かった。

ただ臭くて眠れなかった体験もある。ラトビアのリエパヤという町の木賃宿である。かつてロシアのバルチック艦隊が対馬を目指して出港した由緒ある街だが、今は鄙びていた。収容所を思わせる鉄の扉と電気にのない廊下は、まるでソ連時代の監獄のようだった。夏なのでベットには掛け布団もない。その簡素なベットから立ち込める旅人の体臭は物凄いものがあり、朝が待ち遠しかった。

Friday 11 December 2015

人情三ツ星の民宿

2020年の東京オリンピックを控え、大田区で民宿条例が施行された。実態は知らないが、新しい試みは大歓迎だ。

その民宿だが、世界的にはイギリスのB&Bが有名だ。シャワーと朝食が付き、2階の個室に鍵が掛かる。今まで随分とお世話になったが、殆ど快適に過ごさせて貰った。それを支援する団体が、素人オーナーをサポートしているのが良く分かる。フランスでは、シャンブル・ドット(Chambre d'hôtes)と云う。知る限り、都会より田舎に点在している。農家が余った部屋を提供し、食事も自家製のミルク、鶏、バター、野菜、ワイン・・・と、ローカル色が極めて強いのが特徴だ。こちらも快適だ。ある人がミッシュランの星付けを文字って、人情三ツ星と称していたがとても頷ける。

民宿をやると意外なこともあるだろう。多くがバックパック旅行者だから、何といっても臭いが大敵だ。特に体臭や、インド人が部屋でカレーを作りでもしようものなら大変だ。ただ日本のファブリーズは優れ物なので、これを克服出来るだろう。日本版の三ツ星話が楽しみだ。

Thursday 10 December 2015

アクアスキュータムのコート

一昔前まで、ロンドンに出張に行くと云うと、アクアスキュータム(Aquascutum)のトレンチコートを買って帰るのが定番だった時期がある。ピカデリーサーカスから歩いて直ぐの、リージェントストリートに本店があった。格式高い割には品ぞろえが豊富で、観光客でも入り易かった。

アクアスキュータムのコートと言えば、映画「カサブランカ」でハンフリーボガードが着て有名になった。雨の降りしきるリヨン駅で、イングリッドバークマン紛するマリアを待つが来ない。雨に打たれ、裏切られた気持ちで汽車に乗るシーンである。いつぞや真似をして、雨の中傘も差さずに歩いてみた。時間が経つと段々浸みて来て、中々映画のようには行かなかった。

今年も寒くなったので着始めたが、デパートの鏡に映る姿はヨレヨレで驚いた。アクアスキュータムも暫く前に倒産し、何か昔を着て歩いているような気分になった。

Tuesday 8 December 2015

鮎並を肴に

呉出身のTさんと広島の酒を飲みに行った。地元の「雨後の月」から始まり、神雷、龍・・・と珍しい酒が出てくる、新橋の知る人ぞ知る酒店である。家族を地元に残し、東京に出てきてから2年が経つので、そろそろ戻りたいと云う。良く釣ったという鮎並を肴に話が弾んだ。

 呉と云えば戦時中の海軍工廠として有名だ。一時は50万人程の人が住んでいた大都会だった。暫く前に大和ミュージアムを見に訪れたが、今ではその面影は殆ど感じられない町になった。きっと戦争末期の爆撃でやられたのだろう、駅から煉瓦通りと称する中心街に掛けて、変にコンクリートの空間が続いている。

そんな話をしていたら、Tさんが「だったら倉橋島がいいですよ!」と云う。山本五十六が泊まった宿があるという。海軍兵学校の江田島には昔行ったが、これは知らなかった。いつか行ってみたい場所がまた一つ増えた。

Sunday 6 December 2015

石川遼の優勝

日中、時間があればアイフォンを見ている人がいる。「何を見ているの?」と聞くと、「ハア-・・・石川遼ですよ、7アンダーまで来ました」と悪びれた素振りで教えてくれた。知らなかったが、オンタイムでスコアが出るサイトがあるらしい。仕事中とはいえ、一度これに嵌まると止められないという。

その石川遼だが、今週は日本シリーズに優勝した。3日目でバーディーを量産し、独走だった。最後は14アンダーのブッチギリだった。先週一打差で優勝を逃したただけに、喜びも一入だろう。

見ていてやはり彼には華があると思った。若さだけでなく、誰もが応援したくなるような風貌と人柄からくるのだろうか。それは見られる職業柄、大事な要素だ。こうしてトロフィーを持つ姿が絵になっている。

Friday 4 December 2015

COP21

パリで国連の気候変動の会議、COP21が開かれた。テロの直後にも拘わらず、各国首脳が一堂に会したのは、流石フランスの政治力だと感心した。

そのCOPだが、10年ほど前に覗いて見たことがあった。場所はドイツの首都ボン、人口30万人の中堅都市であるが、市内は至って静かであった。バスを待っていると、自転車の通り過ぎるシューシューという音が唯一耳に入ってくる。会場へ行くのも専用電車と、環境に配慮していた。ところがその会議だが、本会議場は何時始まって何時終わるのかダラダラしている。始まったかと思うと、何を言っているのか殆ど聞き取れない。周囲はまるでサロンのようにザワザワ、真面目に聞いている人は居ない。

斯くして人々は身の置き場が無くなると観光に走る。ボンからちょっと電車に乗ればケルンの大聖堂やベートーベンの生家、映画にもなったレマンゲン鉄橋などに寄り、最後はビアホールに辿り着く。今回は華のパリである。さぞかし盛り上がるだろう。

Tuesday 1 December 2015

水木しげるさんを偲んで

水木しげるさんが亡くなった。ファンとして随分楽しませてもらった。水木さんというと、妖怪ゲゲゲの鬼太郎で有名だが、私は戦争物が好きで良く集めた。敗走記、総員玉砕せよ!、姑娘、白い旗など、自身の体験を基に描いている作品である。異色だが、劇画ヒットラーもとても面白い。そして何といってもコミック昭和史は,ねずみ男の解説で全8巻と圧巻である。

今更だが、水木さんの漫画は血生臭くて残酷な戦場が、ややもすれば滑稽に描かれているから読み疲れない。漫画のせいかも知れないが、それは水木さんの性格のような気がする。

今でも印象に残っているのは、彼が若い頃受験に失敗し、何をやっても上手くいかなかった時だった。彼のお父さんはのん気に見守っていた。その後彼が絵で大成したのも、その大らかさを引き継いだからかも知れない。ご冥福をお祈りする。