Friday 30 September 2022

ケンフォレットの新作

北朝鮮が又ミサイルを撃ってきた。相変わらずの挑発で、最近では「またやっているよ」と慣れっこになっている。まるで子が親の関心を惹くようで、大金を掛けた稚拙な行為には甚だ理解に苦しむ。 

そんな中友人のHさんから「読んだからあげるよ」と、トムクランシーの「北朝鮮急襲(Into the Fire)」を貰った。座礁したアメリカのフリゲート艦の艦員を人じきに取ろうと暗躍する北に対し、救出を試みる米情報機関の話である。

ただ北の動機が公海の石油掘削権だったので、そんな事で戦争するかな?と思った。トムクランシーの情報力にはいつも感心するが、小説として今一つ着いて行けないのはこういう点かもしれない。

ケンフォレットの最新作「Never」も北朝鮮の暴走を扱った小説である。食糧不足も限界に近づき、遂に核の使用に打って出るギリギリの設定である。

北の持つサハラ砂漠の金鉱や違法越境に紛れ込む情報員、中国/北/米のインテリジェンスの裏の接触など、流石ケンフォレットだと思う構成だった。 

 気になったのは、何方の小説も米大統領は女性であった。ケンフォレットの場合は、チャドに駐在する情報員の主人公や、日本の首相までも女性であった。その為、娘と接する母親や同僚に恋する中年女性の部分に結構ページを割いていた。それが物語を豊かにしているのだが、一方でスリルと緊張を求める方には生温さを感じてしまった。

 処でこの間一髪の作戦を、英語でskin of the teeth operation と言うらしい。ケンフォレットの英語はとても読み易く、何より原書は臨場感が違うと改めて思った次第である。

Sunday 25 September 2022

遺構になったオラドゥール村

ウクライナ軍の反抗にロシア軍が撤退しているようだ。予備役の動員が掛かり、無益な戦争がまだまだ続くのだろうか?そんな中、殺された市民の集団墓地が次々と発見されている。ゼレンスキー大統領は「犯人を捜し出す」と言っているし、惨事の記憶は時間が経っても消え去る事はないだろう。 

思い出すのは、フランス中部の村、オラドゥール・シュール・グラーヌ(Oradour-sur-Glane)である。第二次大戦で連合軍がノルマンジーに上陸して間もない頃、この小さな村で大虐殺が行われた。理由はレジスタンスを匿った事だったが、女子供も含めて600人以上の村人が殺害された。

戦後ドゴールはその記憶を留めるべく、廃墟となった村を遺構として保存する事にした。随分前に訪れた事があったが、焼け焦げた車や市内電車のレール跡、集められて火を放たれた教会など、まるで昨日の出来事のような迫力が伝わってきた。静かな遺構を歩いていると、塀の陰から誰か出て来るようだった。 

犯行に及んだナチの人物は勿論特定された。ただ結局裁かれる事はなかった。先日マイケル・バー・ゾーハーの「復讐者たち(The Avengers)」を読んでいたらその訳が分かった。彼らはエジプトに脱出したのであった。多くはアルゼンチンなどの南米に逃げたが、軍を強化したいイスラムの国々も受け入れたのであった。

アイヒマンに象徴されるユダヤ人のナチ戦犯の追跡は有名である。戦争が終わればそうした復讐が始まるだろう。戦火を交えた場所に一般人が観光で入れば、その機運は一層高まる気がする。

Tuesday 20 September 2022

エリザベス女王の葬儀

昨日行われたエリザベス女王の葬儀は、正に一大スペクタクルだった。ライブ中継された映像は、世界人口の半数以上が見たと云う。その荘厳で格式高い式典は、正に英国の歴史そのもので、色とりどりの軍服姿も艶やかで美しかった。

会場になったウェストミンスター寺院では、何人かの司祭が追悼の辞を述べた。はっきりとは分からなかったが、カンタベリー司教の後はスコットランドやアイルランドのカソリック系だったのか、英国の複雑な成り立ちを垣間見た気がした。 

式は2時間以上も続いた。途中トイレに席を立つ要人もなく、棺を背負う衛兵が落とさないか、ハラハラして観ていたが無事に終わってよかった。数日前に棺の警備をしていた衛兵が、疲労と緊張でバッタリ倒れたハプニングがあったので心配だった。

これを機に、英国ではお札やコインの肖像が変るらしい。パリでも昨日、地下鉄のジョルジュサンク(George V)駅の名称がElizabeth IIに変更された。エリザベス女王はダイアナの死に冷ややかだったと、フランスでは人気が今一だったが、それももう過去の話になったのだろう。 

ともあれ凋落の続く英国だが、昨日だけは「まだまだ世界の中心」という存在感があったのではないだろうか。

Monday 19 September 2022

トプリッツ湖のナチ黄金

4年前にオーストリアのザルツカンマーグードを旅した。切り立つ岩山と無数の湖は、何度行っても飽きないコースであった。 

連れが、湖にせり出した教会のシルエットで有名なハルシュタットに行きたいと言うので訪れた。夏のシーズンだったので沢山の観光客がいたが、中国人の多さは群を抜いていた。驚いたのは地元のホテルのオーナー迄も中国人だったことだ。ここまで来ると興ざめしてしまった。

ハルシュタットの次はダッハシュタイン山塊へ、北側が込んでいたので南側からロープウェーで登った。標高2697mのフーナーコーゲルは、一帯が氷河に覆われていて夏だと言うのに寒かった。そしてグラーツに出たのだが、この一帯はナチの黄金の隠し場所だったと最近知った。 

 きっかけになったのが、フリーマントルの「明日を望んだ男(The Man Who Wanted Tomorrow)」である。物語はオーストリアの湖底からナチの財宝と高官リストが発見され、元ナチを追い詰めるモサドの話である。オデッサによって南米に逃亡したナチは多かったが、今回の主人公はソ連の精神分析医に成り済ましていた。 

そのリスト発見の舞台になったのが、オーストリアのトプリッツ湖(Toplitzsee)であった。どこかと思って調べてみたら、何とハルシュタットからは10数キロの場所だった。そうと分かっていれば寄ってみたかった!と悔しがった。ひょんな事で鬱蒼とした森を思い出したのであった。

Thursday 15 September 2022

オープンな英国ファミリー

エリザベス女王の崩御に、多くの市民が弔問に押し掛けている。ニュースで見ていると、改めて国の象徴を失った悲しみが伝わってくる。思えば殆どの国民は生まれた時からエリザベス女王が君臨していたから、一入なのかも知れない。

英国に最初に行ったのは70年代の初めだった。未だポンドが630円の時代で、日本が復興から高度成長に入った頃だった。
英国の第一印象は、落ち着いた人々と成熟した街並みだった。日本から見ると大人の雰囲気を感じた。 

驚かされた一つにロイヤルファミリーの写真があった。街の土産物屋に絵葉書と並んで女王の写真が売られていた。日本と違って、英国皇室と国民の距離が近いのを感じた。あれから50年、こうして弔問に列する人々を見ていると、その絆を再認識するのであった。 

 エリザベス女王は007やパディントンの映画にも登場し、庶民的なところもあった。Mrビーンのコメディでは、Mrビーンが偽女王の尻を蹴っ飛ばすシーンがあった。流石これには「そこまでやっていいの?」と思ったが、英国のジョーク文化やパロディーにいつも驚かされている。

 ともあれ一つの時代の幕が閉じた。これからチャールズ国王の時代だ。73歳にしてやっと皇太子から解放された。英国やロイヤルファミリーはどう変わるのだろうか。

Tuesday 13 September 2022

国葬の論議

暫く前まで、安倍元首相の国葬費が問題になっていた。高いの安いの、どうでもいい話を国会で論及していた。又野党の点数稼ぎかと、「一度決まった行事だから、粛粛とやればいいのに!」と内心思って聞いていた。

ところがエリザベス女王の崩御が報じられると、そんな論戦はパタッと止んでしまった。流石に批判する方も分が悪いと思ったのかも知れない。これには呆れてしまった。 

 与党も与党で国葬に決めた動機が不純だった。本来は粛々とやればいい処、何を思ったのか弔問外交と称して外国の来賓を優先した。その為安倍さんが襲撃されたのは7月9日なのに、国葬は9月27日だから2カ月半もダラダラしてしまった。 

 普通お通夜と葬儀は一週間で行うのが日本の慣行だし、英国も今回2週間程度で国葬を行うというから尚更である。まさか英国女王が死去するなんて想像もしなかったのだろうけれど、この選択は間違っていた。

 本来は故人を忍ぶはずの舞台が、こうして汚されてしまった事に情け無い思いがする。そもそも今回の国葬には無理があったのは世論調査からも明らかだ。本当に不道徳な人が多過ぎる。

Sunday 4 September 2022

ゴルバチョフの死

一昨日、ロシア大手石油会社の会長がビルから転落死した。死因は自殺と言う。ロシア実業家の自殺は、今年に入ってから6人目と言う。家族も含めるとその数はもっと増えるし、その不審な死に改めてロシア社会の陰湿さを感じるのであった。

それにしても亡くなった場所がワシントンDCやスペインだったり、刺客は外国迄飛んで行ったかと思うと凄い。ふとメキシコで殺されたトロツキーを思い出した。

ロシア実業家はオリガルヒと呼ばれている。彼らのルーツは「赤い貴族」と言われた元ノーメンクラートである。ソ連崩壊でロシア経済の民営化が急速に進められ、それを担った元エリート層だった。それが最近、ウクライナ侵攻を巡ってプーチン政権と対立し始めた。不審死はその報復なのだろうか?

そんな矢先、ゴルバチョフ元大統領が亡くなった。ソ連崩壊の救世主として西側には称賛されたが、ロシア内では敵も多かったようだ。プーチンも葬儀に参列しなかった。ソ連社会主義の崩壊は偏った新興財閥を生んだし、ロシア経済も一時かなり落ち込んだからだ。 

ところでソ連崩壊の頃、東京に「ゴルバチョフ」と言う名のロシア料理屋がオープンした。その強烈な名前に店は繁盛したが、ある時ロシア大使館からクレームが入った。店側は暫くして店名を変える事になったが、当時は日本でも人気を博した。

あれから30年、ソ連の衛生諸国は解放されたが、ロシア人は幸せになったのだろうか?東西の冷戦は終わったものの、こうしてロシアのウクライナやアフガン侵攻を見ていると、ノスタルジーが強い気がしてならない。