Monday 30 May 2016

エストニアのマラソン三姉妹

リオのオリンピックが近付いてきた。参加選手がそろそろ決まりかけている。そんな中、カンボジアのマラソン代表に、猫ひろしが決まった。賛否はあろうが、国籍を代えてチャレンジした替えがあった。中々思っても出来ないが、彼は5年前から頑張った。

そうかと思えば、エストニアの女子代表に三つ子の姉妹が選ばれたという。双子は宗兄弟がいたが、三つ子は珍しい。タイムを見る限り、世界とは大分距離があるが、話題性は十分だ。

エストニアは冬が長いので、マラソンの練習はどうしていたのだろう?市内に唯一ある体育館には、冬になると夕方色々な人が集まる。一周200mのトラックの中に、その日によってハイジャンプや投擲の施設が作られる。ジョギングはその周りを周回するのだが、砲丸が転がってくるなど危険も多い。それでも只管走り、サウナい入り汗を流す・・・それが唯一の運動だから。

Saturday 28 May 2016

Hiroshima today


When I was a child, I was living in Hiroshima. One day my parents took me a war memorial building which had human shadow left in front of the entrance. A man died but flash by atomic bomb left his shadow. It was a shocking scene.

President Obama visited Hiroshima yesterday. It was a historical moment. The bomb was dropped on August 6th 1945 that was one week before the end of war. Did it help Imperial headquarter to hasten the cease-fire? If I were asked, I should say “yes”. The war must have continued and what is worse Soviet army must have invaded from north if it were not. I was afraid islands were divided into two like Berlin.

I have a mixed feeling that this relates sacrifice of people in city. Things are not simple. I again realized how terrible 140 thousand people were killed in a moment !

Thursday 26 May 2016

女子大の一日講師

新聞を読んでいたら、今年入った新人がやって来た。新聞には「文化大革命50年」と書いてあったので、その話題を切り出した。ところが彼女は「それって何ですか?」と言う。「えッ! 知らないの?、だったら李承晩ラインは?」と聞いても、「それも知りません・・・」と言うではないか。

随分前になるが、とある女子大で一日講師をしたことあった。たまたま友人の教授が、「一度外部から講師を呼ぶ企画があるけで、やらしてやろうか?女子大だぞ!!」の企画に乗った。ただ彼には、「あまり期待しないでね」と最後に釘を刺されていた。

その意味は、教室のドアを開けた瞬間に分かった。「えッ!?」、女子大といっても子供のようで、単位を取るだけに座っている人達だった。前列の子は原宿から来たのですか?の雰囲気で、後ろの席ではマニュキアを塗り雑談していた。殆どの目は死んだ魚で、暫くすると当然居眠りが始まった。経済のテーマだったが、一言二言話した単語を理解してないのが分かった。それでも最後まで話し続けたが、落語家ではないがその辛さを始めて味わった。ショックで翌日寝込んでしまった記憶がある。

Tuesday 24 May 2016

広島を訪れる足尾の捕虜

今週はオバマ大統領が広島を訪れるという。とても素晴らしいことだと思う。戦時中の捕虜も同行するらしい。新聞によると足尾で働かされた人だという。以前その足尾を訪れたが、今では廃墟になっているせいか、それは寂しい場所だった。

捕虜には色々な国籍があったが、戦後その扱いは違っていた。例えば中国人、犠牲者の立派な墓が建てられている。ところが朝鮮人は粗末な棒が立っているに過ぎない。メンテがないのは、北朝鮮の出身者だったからだと、タクシーの運転手がそっと教えてくれた。もっと酷いのはオーストラリアの白人である。南方から連れて来られたので、冬でも半ズボン姿で働いたという。

そして今回のアメリカ人、一体どんな体験をしたのだろうか?炭鉱の出口には、温泉を引いた風呂跡が残っているが、彼もそこで体を洗ったかも知れない。広島はすっかり変わってしまったが、足尾は今でも当時の面影が殆ど残っている。それを見たので複雑な心境だ。

Monday 23 May 2016

あれから40年


テニス仲間のHさんが、「これ面白いよ!」と半藤一利著「昭和史」を貸してくれた。長年のベストセラーだけあって、ちょっ読んだだけでそれが伝わって来た。例えば40年周期論、慶応元年(1865)の開国決議から日露戦争(1904)、日露戦争から終戦(1945)、そしてバブル崩壊(1985)・・・。

経済では50年のコンドラチェフ波は有名だが、こちらの方がより身近である。そう言えば、綾小路きみまろが「あれから40年!」と良く言っていた。社会に出て退職するのも40年だから、何かヒトの一生と関係しているのだろう。

著者の一筆書きの文章はとても快いし、歴史が整理されている。読んでいると、改めて満州を譲渡された辺りが、分かれ道だった気がしてくる。日露戦争は良く頑張ったと思うが、その褒美が大き過ぎたのだろうか?

Thursday 19 May 2016

ゴールド・フィンガーのゴルフ

先日、ゴルフでとあるご夫婦とラウンドした。一見品の良さそうな夫婦で、ご主人は無口、奥さんは社交的な人だった。オープンコンペだったので、スコアーは相互にチェックしながら進んだ。ところが、あるホールで奥さんが崖下に打ち込んだボールを拾い上げた。そして打ち易い場所に持って行き打ったのだが、勿論それはペナルティーだった。実はご主人にはウィンクで合図しているのを、遠くで見てしまった。以来夫婦が別人に見えてきた。

007の古い映画「ゴールド・フィンガー」に、ゴルフシーンが出て来る。ショーン・コネリー扮する007がホールアウトした時、ゴールド・フィンガーのボールを差し替える。そして勝負は勝つのだが、それはプレー中にインチキをやられた仕返しだった。それが伏線になって、二人の決着は007に上がる・・・というストーリーである。

映画ではそのゴルフがジャブになっている。たかがゴルフ、されどゴルフ、ゴルフにはヒトの全てが詰っている気がする。

Tuesday 17 May 2016

五郎丸選手のトゥーロン

ラグビーの五郎丸選手がフランスのトゥーロンに移籍するという。豪州に移ってから間もなかった。そのトゥーロン(Toulon)だが、南仏の港町・軍港である。

かつては大きな刑務所(Bagne de Toulon)があった。有名なのはミュージカルの「レ・ミゼラブル」で、映画の冒頭ではジャン・バルジャンがドックで働く囚人として出て来る。またデュマの「モンテクリスト伯」でも、殺人を犯したガスパールが投獄された刑務所でもある。物語の主人公であるダンテスが、濡れ衣で捕えられたのはマルセーユだが直ぐ近くだ。

以前カンヌに行く途中に立ち寄ったが、ゴミが散乱し物騒だった記憶がある。戦時中に軍港の関係で、町が破壊されたせいだろうか?南仏とは言え、カンヌやモナコのリゾート地と違い、中々荒々しい場所である。

Sunday 15 May 2016

ヴァレンタイン氏のR

テレビを観ていたら、元野球監督のバレンタイン氏が少年野球の指導をしていた。彼は子供たちに、「大事なのはチームプレーだ、仲間を尊重(Respect)することだ」と言っていた。明るいバレンタインならではのアドバイスで、言葉の壁を乗り越えて伝わったようだ。

それで思い出したのは、昔お世話になったY部長だった。Y部長は海外経験豊富な人だった。そんなことから、若手を海外に送り出す宴席で、いつも2つのRが大事だと語っていた。Rの一つはそのRespect、そしてもう一つはRelationである。どちらのRも、海外で働く時に気を付けろという。

横で聞いていた訳ではないが、以来人との付き合いのベースにさせて頂いている。特にRespectは大きい。だからという訳ではないが、内外を問わず敬語が出来ない人や、初対面なのに馴れ馴れしい輩とは距離を置いている。

Saturday 14 May 2016

ダッハウ収容所

アメリカでベストセラーになっているというので、ジャックリーヌ・ウィンスパー(Jacqueline Winspear)の「ミュンヘンへの旅(Journey To Munich)」を読んでいる。1938年のドイツが舞台で、収容所に囚われている男を、イギリス人女性が救出に向かう話である。

場所はミュンヘン郊外のダッハウ収容所である。今まで2度訪れた。広大は敷地に一度壊した宿舎が再現されており、当時の雰囲気を十分残していた。辺りは住宅地が隣接しているが、住民は当時その実態に殆ど気が付かなかったようだ。解放され死体の片付けなど手伝う内に、初めて事実を知ったという。なお収容所を解放したのは米軍だったが、日系人の部隊であった。

ところでその小説だが、女性作家だからだろうか、緊迫感やスリリングな展開が全くない。少々物足りないが、開戦前の英独の緩やかな雰囲気が伝わってくる。

Wednesday 11 May 2016

ゼオライトの酒

長野の酒の中で、真澄は美味いが大雪渓、大信州など淡白で今一だった。ところが最近、遠藤酒造の渓流・六代など、こってりとして甘みが深く、すっかりファンになっている。まだ都会で流通していなので価格も手頃だ。ただ10年前の獺祭のように、その内火が付く気がする。




そんな酒談義をしていたら、仲間の一人が「これを手に入れました!」と箱を取り出した。見ると300mlであるが、5000円もしたという。化学メーカーが開発した香川の酒で、何やらゼオライト膜で濾したという。中々手に入らないというので、敬意を表して一杯頂いた。濃厚で焼酎に近く、少量で十分だった。

そもそもゼオライトとは何たるか、全く縁がないので分からない。バイオの進化は著しく、中々付いて行けない。

Monday 9 May 2016

Taking memo

North Korea held Workers’ Party Congress this week. It was interesting to see that Kim Jong Un styled business man suit instead of military look. Sorry that it was a little bit funny that all participants listened his speech very carefully sitting stretched spine without words. This was very reasonable as former military top was executed with his clapping being not enough.

I found also most of participants were taking memo upon his speech. Correspondent told that this kind of behavior expressed their royalty to Kim Jong Un. I totally agree with it.

I remember this practice was the same to the Japanese company. People used to take memo in front of senior official expressing that I am listerning to you. Even he were a board member, this practice continues in front of President. Anyway what’s going on North Korea?   

Friday 6 May 2016

信州の馬刺し

先日、信州で馬刺しをご馳走になった。高級な肉で、トロ身が口に入ると溶けて来る。ニンニクと醤油で食べるのだが、それは美味しかった。普段、美食と無縁と思っていたが、やはり本場の一級品は違う。

馬肉と言えば、昔良く食べたのはタルタルステーキだ。云わば生肉をメンチし、胡椒などの調味料で味付けする。これを濃厚な赤ワインとフランスパンで頂くのだが、相性は最高だ。あまり日本では出すところがなかったが、帝国ホテルの地下にあるラ・ブラッセリ-のタルタルステーキ(ただこちらは牛肉)は安心して食べられた。良く通ったが、随分前に食品法が変ったのだろうか、メニューから消えてしまった。

馬刺しに触れ、久しぶりに深川の「みの家」にでも行きたくなった。ただ馬肉の話をすると顔を顰める人がいるので、気を付けている。

Wednesday 4 May 2016

ジェフリー・アーチャーの「時来たれり」

ジェフリー・アーチャーの最新作が出ているというので早速アマゾンで取り寄せた。例のクリフトンシリーズで、今回で6冊目になる。今年で5年目になり、正直意地で読んでいる。今回のタイトルは「時来れり(原題:Cometh The Hour)」である。実は既に次作が11月に発売されることも決まっており、タイトルは「これが男だ(原題:This Was A Man)」である。どちらもソ連の反体制作家を指している。本ではアナトリー・ババロフだが、ノーベル賞を取る件からソルジェニツィンがモデルのような気がする。

物語は相変わらず愛と憎しみが渦巻く中、クリフトン一家が誠実に生きる姿を描いている。国際色も豊かで、一度はハニートラップに合ったソ連娘を救出したり、息子がインドの女性と逢引する件もある。ただ最後はどちらの女性も死んでしまい伏線がない。悪役のバージニア女伯爵もアメリカの親戚を頼り金策に行く。こうした血縁は英国ならではだ。

日本にこの原書が入って来るのは夏頃、それから翻訳版が出るのが秋頃、つまりその頃には次作が出版されている。暫しタイムマシンに乗った気分で、書店で並ぶ近未来が目に浮かぶ。

Tuesday 3 May 2016

レベナント

映画「レベナント(Revenant)」を見た。デカプリオがやっとアカデミー賞を取った映画だったので待遠しかった。有名な熊との格闘シーンやサバイバルの光景はやはり迫力があった。それにしても一体どうやって撮影したのだろうか?

見ていて面白かったのは、西部開拓時代の光景だ。場所はモンタナとかダコタと書いてあったのでカナダ近くなのだろうか?その証拠に、開拓者の一つはフランス人だった。デカプリオが生還し砦に着くと、中からフランス語で返される。それに対し「英語で話せ!」というシーンが印象的だった。そう言えば、タイトルのレベナントも聴き慣れない単語だ。きっとフランス語のrevenir(戻って来る)から転じたのだろう。

もう一つ、息子を殺して逃げた男がいた。金まで取ってどこに行くかと思ったが、南下してテキサスを目指した。そこで騎兵隊入るというが、テキサスと言えばアラモの砦、デービー・クロケットがメキシコ軍相手に活躍していた頃だ。当時から温暖なテキサスは魅力的だったようだ。それにしてもイエローストーン河の光景は美しかった。

Sunday 1 May 2016

松代の大本営地下壕

いつか行こうと思っていた、松代の大本営地下壕を訪れた。サイパンが墜ち、本土空襲が激しくなる中、軍が長野県松代町に作った皇族の疎開場所だ。強固な岩盤と滑走路が確保できることが決め手となったと言う。

行ってみて、予想していたより広大な構内に驚いた。完成すれば何千人の人が入れる位の広さだ。工事は朝鮮人25万人を含む60万人が掘削に拘わり、慰安所まであったらしい。暗い構内をヘルメットを被り30分程歩いた。よくもこんな馬鹿なことを考えたものだ!・・・、穴から出て来た人なら誰しも思う場所だった。

新緑のこの季節、折しも御柱祭の行列に出くわした。昔ながらの風習はいいものだ。それを見て佐久間象山の記念館にも寄った。今でも残る武家屋敷跡は立派だ。今に繋がる天皇制と日本人を考えるいい旅になった。