Tuesday 29 December 2020

全米オープンの決勝

2020年が終わろうとしている。今年はコロナで振り回された一年だった。感染を恐れて人が人を避けるようになった。群れ合って生きてきた動物だから、生命力が削がれて行くような気がする。スポーツ界も中止が相次ぎ、開催しても無観客で精彩に欠いた。オリンピックもそうだが、あるべきものがなくなると季節感や記憶の糸口を失ってしまう。そんな中だが、印象に残ったシーンがあった。  

一つは全米オープンテニスの決勝である。女子は大坂なおみが優勝したのは嬉しかったが、見応えとしては男子のドミニク・ティエムとアレキサンダー・ズべレフの試合の方が遥かに凄かった。2セットを先取されたティエムだったが、そこから反撃に転じ3セットを取り逆転勝利した試合である。最終セットは足が動かなくなり、もはやこれまでかと思った。気力で一球に賭けた気迫のプレイはとても感動的だった。

もう一つは、国内柔道の男子66㎏級のオリンピック候補決定戦である。丸山城志郎と阿部一二三の因縁対決で、延長24分の末に阿部が勝利した。解説者が一瞬も目が離せないと言っていたが、正にその通りで緊迫感ある一戦だった。試合が終わると丸山選手が涙してインタビューに応えていた。普段は無表情の人だっただけに、初めて見る情感に試合の大きさが伝わってきた。

Monday 28 December 2020

酒場詩人の追っかけ

先日、とある居酒屋に行った。クジラやマグロなどの鮮魚が売りで、日本酒も辛口中心に置いてあった。見ると、吉田類の「酒場放浪記」の取材が来た時の写真が飾ってあった。主人にその事を聞くと、随分に前に放映された時のものだという。その時の様子を教えてもらうと番組の裏が見えてきた。
まずスタッフはカメラ、メークなど5~6人でやって来る。店側は事前に店の馴染みの客に頼んで座ってもらい、場が温まった頃を見計らって吉田さんが入店する。いい店の雰囲気もサクラが作っていた訳だ。お酒もカウンターに並んでいた瓶は奥に隠し、スタッフが事前に指示したものが出てくる。美味そうに飲んでいた酒も、実はスタッフが合図した時に一口口にするだけで全部は飲まない。酒の肴も同じで、箸を付けた後はスタッフが平らげるようだ。確かに毎週4軒も放映するから仕方ないのかも知れないが、聞いていて何か吉田さんが可哀そうになってきた。彼は好きな酒を味わっていたのではなく、酒好きの役者を演じていたのである。  

それでも主人は、撮影が終わると客一人一人に丁寧に挨拶して帰る彼の姿に、「気遣いが凄い人だった!」と感心していた。その店はそれからTVを見て多くの客が全国から来るようになった。遠くは韓国や沖縄で、その中には番組の追っかけも多かった。吉田さんと同じ黒づくめのいで立ちというから笑ってしまったが、正に酒を求めて全国を彷徨う酒場詩人の予備軍である。「放浪マップ」には東京都だけでも600軒以上の店が載っている。多いのは台東区や墨田区などの下町が多い。「ミシュランの星潰し」という道楽があったが、「俺も来年は追っかけをやってみようかな!」、そんな気持ちになってきた。

Tuesday 22 December 2020

悪女とカネ

ジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記に、Lady Virginia(バージニア伯爵夫人)という女性がよく登場する。彼女は女王の縁戚で貴族の出である。ただ金癖が悪く、金欠になると毎回大胆な金策に打って出るのである。勿論相手は金持ちの男である。ただその手口は中々凝っていて、おカネへの執着は半端でないと感心する。

例えば6作目の「Cometh The Hour」では、英国貴族に憧れるアメリカ人富豪に的を絞る。彼はルイジアナ州で28番目の資産家である。彼と一晩を共にした翌朝、「昨夜ベットでプロポーズされた」と(自分で用意した)指輪を見せる。ただそれだけではカネが取れないと分かると、妊娠を装って慰謝料と子供の養育費をせしめる戦略に出る。それもルイジアナ州で拓かれた彼の結婚式にわざわざ英国から参列、新郎に度肝を抜かせ先手を打つ。実際の子供は執事夫妻から引き取り我が子として育て、まさにカネのためなら手段を選ばない女性である。また7作目の「This Was A Man」では、夫人に先立たれた老貴族に的を絞る。新聞でとある葬式に彼が参列する事を知ると自分も同席し、懇意になると首尾よく後妻の座を得る。レストランで彼が払ったチェックにゼロを二つ付けて懐に入れる辺りや、伯爵が不在の時に相続品の鑑定を始めるなど、頭の中はカネだけだった。最後は貴族条項(aristocrats clause)で、血筋以外の承継が出来ない事が分かり失敗してしまう。男も男、分かっていて良くまあこんな女と付き合うとなあ!と思うが、どこの世界も成り行きがあるから分からない。

 世の中に悪女と呼ばれる女性は多い。ただ尾上縫みたいな大物を除けば、中島みゆきの歌「悪女」のように所詮は可愛い人が多い気がする。その点、アングロサクソンになるとちょっとスケールが違ってくる。

Thursday 17 December 2020

キヒヌ島の出会い

これもBSテレビだが、「心を繋ぐクリスマス」と称してエストニアのキヒヌ島(Kihnu)を紹介していた。縦7㎞、横3㎞の小さな島には600人が住んでいる。住民の織物文化が残っている処から、2003年に世界無形遺産に登録された。島の男は漁に出て島にはいないが、クリスマスには帰ってくるのでその様子を紹介していた。番組の解説によると、織物の基調は赤と黒だと言う。年老いた女性が、「年を取ると色々な事が分かるから黒の割合が多くなるの」と語っていたのが印象的だった。見ていて「あれ?此処って行ったことあった!」事に気付いた。

今から10年ほど前だったか、「地球の歩き方」に載っていたので訪れた。船で揺られること3時間、着いた港には建物すらなかった。港近くで自転車を借りて島を一周することにしたが、森の中に観光センターと称する木造の家が一軒佇む他は何も見当たらない。勿論レストランやキャフェも無ければ人影もない。あるのは点在する農家だけである。そんな中、自転車を漕いで反対側の海を目指した。葦が生い茂る沼地で行き止まりになったので、引き返そうとすると一台の車が止まっていた。見ると近くに女性が歩いていた。30歳半ばのブロンズの人だった。折角なので写真を撮ってもらうことにしてシャッターを頼んだ。「こんな辺鄙な処で何をしているの?」と聞くと、「私は診療医なの、タリン市の病院から派遣されていて駐在しているの」と言う。「こんな島で寂しくないの?」「ええそうよ」と言う。そんな会話をしてその場は別れた。来た道を引き返そうと自転車を漕いでいると、暫くして彼女の車が止まっていた。「やあ!さっきはどうも」と礼を言ったが、何か待っていたような雰囲気を感じた。それから島を一周した。自転車は空気が入っていなかったので重かった。やっとの事で港に近づいた時、ふと近くの岩場に女性が一人、水着姿で日光浴をしているのが見えた。確かにあの女性だった。どうしようかと迷ったが、船の時間も迫っていたので声を掛けることもなく通り過ぎてしまった。

キヌヒ島の寂寥感は半端ではない。自分だったら気が狂ってしまうかも知れない。そんな中で出会った一人の診療医を思い出した。

Sunday 13 December 2020

ナイキの創業逸話

やはりBSテレビで、「ナイキを育てた男たち~Shoe Dogとニッポン~」も面白かった。創業時に資金繰りで困っていたナイキに手を差し延べたのが、日商岩井のポートランド支店だった。銀行から融資を断られたナイキを、新任の駐在員が商社金融で救った。凄かったのは、Bank of Californiaが手形回収の貸しはがしを図った時、支店の財務担当が独断で全額肩代わりした事だった。ナイキはそれで危機を逃れ、その後のジョギングブームで軌道に乗り今に至る大企業になった。肩代わりの金額は確か1億9千万円だった。当然本社の決裁が要る処だが、担当者はそれをしなかった。一つ間違えれば越権行為どころか大きな背任で犯罪になる。そのリスクを取った人がテレビに出ていたが、ヒーローと見るか懲罰者と見るかは今でも分かれる処だ。ただ犠牲がないと成功もない。No Pain, No Gainの諺が頭を過った。 

ナイキは今でこそ大企業だが、当時のスポーツシューズはアディダスやピューマの時代だった。思い出したのは、そのアディダスを買収したベルナード・タッピ(Bernard Tapie)である。日本ではバブル絶頂期の1990年、フランスの実業家がドイツの看板企業を買収したと話題になった。タッピ氏はサッカークラブのオリンピック・マルセイエーズを買収するなど辣腕を振るったが、その八百長事件で失脚し収監も経験した風雲児である。パリのサンジェルマンにある大邸宅が差し押さえになったというので見に行った事もあったが、エネルギッシュな人だった。その点同じ業界とは言え、ナイキの創業者であるナイト会長はこの道一筋の人だ。

ところでナイキは靴を作る前は、日本のオニツカの輸入販売店だった事は意外だった。オニツカは60年代の東京オリンピックを契機に飛躍したスポーツシューズメーカーだった。当時陸上競技をやっていたので憧れのスパイクであった。ナイト会長のスタンフォードの論文も、「カメラで日本がドイツを凌駕したように、スポーツシューズでもそれが可能か?」だったから、昔からの思入れが大きかったのが功を奏したようだ。そう言えば、赤と青のストライブはどこかナイキのデザインと似ている気がする。

Thursday 10 December 2020

バルト諸国とマネロン

BSテレビで、BBCのマネーロンダリングの放送があった。タイトルは「汚い銀行の闇」(2012年作)と称して、エストニアに支店を持つSwedbankにスポットを当てていた。女性CEOが弁明に努めたが事件は明るみに出て辞任、その額は1300億ドルになったという。ロシアの闇資金をSwedbankのタリン支店からDanske銀行のロンドン支店に送金した事例や、究明したロシア人弁護士が獄中死するなど中々面白い番組だった。

見ていて思い出したのは首都タリンの風景である。旧市街から一歩出ると疎らに高層ビルが建っていたが、思えば入っていたのは殆ど銀行だった。先のSwedbankを始めやはりスウェーデン系のSEBやフィンランド系のNordea、地元のEestiなどである。良く考えれば人口120万人の国には余りに不似合いな数であった。タリンにはレッドゾーンと言われる歓楽街はない一方で、ベンツに黒服のロシアマフィアを時々見かけた。銀行はこうした人の温床だったのかも知れない。北欧から見ればソ連解体後のバルト三国の歴史は浅いし、法の抜け穴を探すのはそう難しい事ではなかったのだろう。

番組では雪を被った北欧の町が出てくる。一見美しいが、ひと気も疎らなので何か寒々しく感じた。昔読んだ小説「ミレニアム」もそうだった。ドラゴンタツゥーの女ことリスベットの復讐劇は冷たく残虐だった。男女の関係も動物的で寂寥感が募ったし、寒さは人を変えるようだ。

Friday 4 December 2020

小池知事と長幼の序

新コロナを巡り東京都の小池知事が頑張っている。こんな時にバカな知事でなくて本当に良かったと思っている。ただ国との関係が少しギクシャクしているのが気になる。一昨日も官邸を訪れ、東京発着のGo To Travelから65歳以上を自粛するよう申し入れたが、予てから国が決めるよう訴えてきたので痺れを切らした感じだ。専門家によると、両者の対立は今に始まった話でなく自民党時代から続いているようだが、根底には何か女性特有の何かを感じる。

それは男女の仕事観の違いである。昔ある人が、仕事をする時「男性は組織に忠実だが、女性な仕事に忠実だ」と言っていた。「木を見て森を見ず」ではないが、女性は仕事で一途になると、どうしても周囲への配慮を欠くようだ。配慮は優しさであり思いやりだから、それが欠けると人は付いて来ない。

  思い出すのは、昔一緒に働いていたTさんという女性である。国立大学の博士課程を出て、祖父から3代目続く大手メーカーに就職したTさんは、学歴と毛並みは申し分ない人だった。役員や上司でも祖父や父親から見れば皆部下だったから、若い頃から叱られたり注意される事はなかった。正に向かう処敵なしの人生だった。ところが50歳を過ぎた頃から様子がおかしくなった。仕事は完ぺきで言っている事は正しいのに、人は離れて行った。若い頃から続く自信に満ちた話し方が、段々と部下を委縮させて聞いている上司も不快にさせた。何より長幼の序に欠けていた。小池さんは立派な政治家だが、敵が多いのはそれもあると思う。オリンピックもあるし、都と国の溝は都民の生活にも関係するので気掛かりだ。

Wednesday 2 December 2020

William Warwick巡査シリーズ

もう彼是10年になるか、ジェフリー・アーチャーの新作が出ると読んでいる。クリフトン年代記が7冊続き、やっと終わったかと思ったら、William Warwick巡査シリーズが始まったのは昨年である。今回はその続編で「平地に隠れて(Hidden In Plain Sight)」である。果てしなく続く展開に、正直暫く前から食傷気味になっている。ただ書店で見付けると、ここまで来たので意地でも読んでやろう!とまた買い求めてしまう。

今回の物語は、前回レンブラントを盗んだ男に麻薬取引の嫌疑が掛かる。事件に関与していた主人公の同窓生に協力を頼み、現場に踏み込むとぶつが発見された。隠匿を認めない男に、主人公の妹弁護士がフォートナム・メイソンのキャビアの値段から矛盾を突いて事件を解決する辺りはジェフリー・アーチャーの骨頂である。主人公は巡査部長に昇格して画商で働く女性と結婚し双子を授かり、父親の弁護士は悪役の男の妻の弁護人を務めるなど、相変わらず家族的な英国社会の一端が伝わってくる。クリフトン年代記から続く品のいい仕上がりは変わらない。 

ただ物語は、捕まった男が監獄から脱獄する処で終わってしまう。オチを楽しみに読んできたのに流石これにはガッカリした。また男が元妻の持ち家を放火したり、殺された同窓生の犯人が分からないなど、何かしっくり来ない点も多かった。タイトルの由来も、麻薬工場にSASの協力を得て踏み込む際に、大勢で押しかけては犯人グループに気付かれるので、目立たない通勤バスで捜査員を運んだ事に由来していた。今まで意味深な表現が多かったので、著者らしくなかった。

Monday 30 November 2020

ユタ州のモノリス

今月アメリカのユタ州の砂漠に、モノリス(Monolith)と呼ばれる銀色の金属板が建っているのが発見された。モノリスは映画「2001年宇宙の旅(2001:A Space Odyssey)」の冒頭に出てくる謎の金属板である。一体誰が何のために?ひょっとして宇宙人かも?と関心が集まった。現地の土地管理局は、自然環境に配慮して場所を特定されないよう努めたが、次第にそれも解明された。ところが先週それが突如消えてしまったという。地面にはタイヤの跡とBye Bitchなる走り書きが残されていたと言うので、誰かがトラックで持ち去ったようだ。

「2001年宇宙の旅」を観たのは1970年初めだった。モノリスから発する電磁波の次はサルが武器を知るシーンになり、最後は船長が宇宙で赤ん坊になってしまう全く理解不能のストーリーであった。観ていて何が何だかさっぱり分からなかったが、謎が謎を呼ぶ展開は逆に宇宙の神秘を掻き立てられた記憶がある。当時は2001年なんて遥か遠い未来と思っていたが、いつの間にか通り越して今では20年前の昔になってしまった。まるでタイムマシンに乗った気分だが、時間が経つのは恐ろしく早い。  

ところで今回の舞台になったユタ州の砂漠であるが、今一番行ってみたい場所の一つである。中でもジョン・フォードの西部劇に出てくるモニュメントバレー(Monument Valley)である。奇石に富んでいて、「駅馬車」「黄色いリボン」「イージーライダー」など沢山の映画のロケ地になった。映画のシーンと重ねながら、いつかドライブするのが楽しみだ。

Friday 27 November 2020

(小澤)征爾の由来

今年の子供の名前ランキングが発表された。一位は男の子が「蒼」、女の子が「陽葵」という。以下男の子は「樹」「蓮」、女の子は「凛」「詩」と続く。読み方は2文字が多く、世相を反映しているらしい。何か芸能人や漫画の主人公のような名前にも聞こえるが、もう若い人のセンスには付いて行けない。

昔は漢字の画数が縁起のいい数字になるように組み合わせたり、偉い人の名前から一文字拝借するのが流行った。尊敬する偉人とか、身近な人に「子供に一字を頂けますでしょうか?」とお願いした。先日歴史書を読んでいたら、指揮者の小澤征爾氏の話が出ていた。彼の父親は満洲で歯科を営んでいた関係で、生まれた子供(征爾)に二人の軍人から一文字づつ借用した。一人は後の陸軍大臣の板垣征四郎、もう一人は有名な陸軍参謀の石原莞爾であった。征爾はいい名前だと思っていたが、満洲の縁から来たとは知らなかった。

字は体を表すという。いい名前だな!と思うと、人柄もそれ相応に映る。命名は大事だ。

Sunday 22 November 2020

大人になった紅衛兵

今から40年近く前に出版された、「中国人(Alive In The Bitter Sea)」という本がある。著者はタイムズ誌のジャーナリストだったフォックス・バターフィールド(Fox Butterfield)である。氏はハーバードを出てフルブライト留学生として中国に学んだので中国語が話せる。その才能を生かして文革後の中国を取材したのが本著である。当時はまだ中国が大国ではない頃だったが、想像を絶する過酷な世界に痛く衝撃を受けた記憶があった。

最初に読んだのは80年代半ばだった。当時は毛沢東が死んで鄧小平が経済を大きく伸ばしていた頃だった。中国はまだ貧しく、駐在で赴任した人は日本からの出張者の持ってくる食料品を楽しみにしていた時代だった。その本は埃を被り昔のアルバムのように本棚で眠っていた。それを最近読み直してみた。相変わらず著者の語学を生かした情報収集力に感心したが、中国は今も昔も同じだった。例えば中国には都市と農村の2つの中国がある事、人々は単位と呼ばれる所属に縛られる事、賄賂が公然と通用する事、人々は官僚主義の権威に弱い事、外国人はスパイである事、チベットやウイグルの少数民族の労働改造等々。痛々しいのは香港の話だ。当時は英国領だったので、難を逃れて逃げ込む中国人が多かった。せっかく海峡を渡り香港人になったが、皮肉な事に又中国人に戻ってしまった。  

怖いな!と思った話は子供の命名だ。李家の親は中国を愛し、中国人民を愛し、共産党を愛する意味で、長女に李愛国、次女に李愛民、三女に李愛党という名前を付けた。ところが最後の文字を繋ぐと国民党になるので親が逮捕されたという。もう一つ、ハッと思ったのは文化大革命の時に登場した紅衛兵である。ブルジョワと称する知識人、親、仏像を否定し破壊した彼らは、満足に教育を受けないまま大人になった。彼らの密告で多くの人の財産が没収され仕事を奪われた。文革は1966年から10年続いたので、当時の小中学生は今では50~70歳代になっているはずだ。中国はその後大きく経済が発展し今やGDPは日本の3倍にもなった。ただそんな社会の中枢は、元紅衛兵なのである。

Friday 20 November 2020

神楽坂の静かな店

コロナ感染者数が東京で500人を超えるなど、いよいよ第三波が来たのだろうか?会食中もマスク着用して小声で話すなど、段々注文が多くなっていく。仕方がないと思う一方で、やはり不自由さは歪めない。ただものは考えようで、本来静かに飲んで食事するのは快いものである。逆境を逆手にとって快適な空間造りに励むと、新たなビジネスが生まれるかも知れない。

思い出すのは、昔よく通った神楽坂の「伊勢籐」である。伊勢籐は毘沙門天の前の路地を入った古風な一軒家である。暖簾を潜ると明治にタイムスリップしたような気分になる。店内では、囲炉裏で熱燗を浸けている。それが何とも風情があるが、お通しも酒2合程度に合わせて小鉢で運ばれてくる。店内はとても静かで、客同士は遠慮してヒソヒソ話をしているようだ。それもそのはず、大きな声が聞こえると店主から注意されるからだ。ただでさえ神楽坂は高台なので都会とは思えない静寂さがある。店はそれを上塗りするようで、訪れた客はその余韻を楽しんでいる。静けさは格式ある酒の嗜みを生む。話題も自然と高尚になり、酒飲みが文豪に変貌していく。特に神楽坂は泉鏡花や永井荷風と関係が深いから、題材には事欠かない。 

静けさが心いいのは温泉も同じである。多くの人が入っていても、話し声が止む一瞬があると湯の流れる音が耳に入る。変化はチャンスともいうから、この際この静けさが商売になるといいのだが・・・。

Monday 16 November 2020

便利なAirbnb

竹中平蔵氏の「この制御不能な時代を生き抜く経済学」は、相変わらず歯切れのいい本だ。聞いていて成程と思う話が多い。例えば相続税は二重課税と言う。確かに生前に一度課税されているので、氏の言う通り憲法違反の可能性もある。イタリアやシンガポールなど相続税がない国は多いし、アメリカも基礎控除が12億円というから殆どないに等しい。また外国人旅行者を充て込んだ民泊が始まったが、旅行業界への配慮で、年間の日数規制が出来た。本来は自分の家をどう使うかは家主の自由だから、確かに変な制約だ。

本は2年前に出版されたが、その後実用化された案件も多く、世の中が凄いスピードで進んでいる事に気付く。例えばUber Taxiである。まだ使った事はないが、2年前は竹中さんも日本のアプリが入ってなかったので(海外で)使えなかったようだ。またAirbnd(Air B&B)の民宿システムも始まった。今年に始め、オーストラリアに行った時、このAirbnbを使ってその便利さを知った。使い方は極めて簡単で、サイトの写真を見て、ロケーションとコストを考えて選ぶのだが、日程と宿泊人数をオーナーに連絡すると、直ぐに返事が来た。そして「何時何時までに宿泊代金を払って欲しい」と聞いて来る。今回使った部屋は2LDKで、綺麗なダブルベットとクーラーがあり、キッチン、大きなソファーも付いて一泊4000円程度だった。ホテルに泊まる事を考えると1/2~1/3程度で済んで助かった。おまけに共用スペースはシェアするので、思わぬ出会いにも恵まれたり、すっかり気に入った。 

その他、ナショナルフラッグの競争にはANA とJALの統合がいいと言う。確かにスウェーデンのSaabは破産し、Volvoは中国の吉利に売却した事を思うと、不採算な準国営企業を持ち続けるのは国民経済的にも問題なのかも知れない。ただ氏は兎角アメリカ的な強者の論理で、弱者と言われる非正規社員を生んだ権化の印象もあるから鵜呑みには出来ないが、昔から今日まで第一線を歩いている人だけに、その知識と情報の豊かさには感心する。

Friday 13 November 2020

希望の電池

アメリカ大統領選挙では、バイデン氏が過半数を取って勝利宣言をした。ただトランプ氏は敗北宣言を出していないどころか、これから法廷闘争に持ち込むという。傍から見ると無謀に見えるが、その戦略は何なのか?怪しげなサイトに、量子金融システム(QFS: Quantum Financial System)の話が出ていた。それによると、投票用紙には暗号番号が搭載しており、一枚一枚追跡が可能だという。日本の一万円札の透かし技術を使っているらしい。つまりおとり捜査の一つで、先に犯罪を誘発し後からその悪事を暴く仕掛けらしい。どこまで信じていいのか分からないが、不正が集計があったとするとどんでん返しが待っている。
 
そんな事を尻目に、バイデン氏は早速コロナ感染対策のチームを立ち上げようとしている。遅きに失しているかも知れないが、当然と言えば当然である。コロナの疫病は人と人に距離を遠くし、人間社会の活力をどんどん削いでいるから早い方がいい。リモートワークは感染予防になるかも知れないが、肌感覚に欠けるから事務的で付加価値を生まない気がする。ソーシャルディスタンスで会話してもよく聞こえないし、ビニールのカーテンは人間関係をも遮断する。コロナの疫病は想像力も奪うので、希望の電池が段々減って行くようで気掛かりだ。

 先日CNNのニュースに、イタリアの村で住民の誘致をしている話が出ていた。場所はローマの東北にあるサント・ステファノ(Santo Stefano)という村であった。1200mの高台には100人程度の人が住んでいるが、村は過疎化しているので、移住くれる人に空き家を1ユーロで提供するという記事だった。勿論行った事がない村だったが、山岳地帯で夏なら涼しいそうな場所だった。一昔前ならこうした話題に旅愁を誘われたが、今ではただのさえひっそりした村を思い浮かべてしまう。コロナは今の仕事ばかりでなく、夢やロマンも奪い始めている。

Tuesday 10 November 2020

仲よき事は美しき哉

先日、とあるご夫婦と一緒にゴルフラウンドした。歳は60台半ば位か、とても仲のいい夫婦で二人の弾む会話が尽きないのである。奥さんがパットする時もご主人が目指す方向に立ったり、いいショットが出るとさり気なく褒めるのも欠かさない。子供の頃流行った武者小路実篤の「仲よき事は美しき哉」の言葉を思い出した。ありふれているが、やはり他人の幸せな姿に接すると諭されるものだ。

何年か前だったか、同僚のAさんは羽田から関西に飛行機で行った。その時隣り合わせた夫婦がいて、北アルプスの上空に差し掛かると、ご主人が奥さんに「あれが奥穂であっちが北穂」と解説していたという。Aさんはその教養と趣味の豊かさに打たれ、「横で聞いていて羨ましかったです!」と話していた。Aさんも自他ともに認める愛妻家だけに、その時はその辺の機微に敏感なのだろうと思った。 

かと思えばその反対もある。昔よく通っていた渋谷の居酒屋は親子喧嘩が尽きなかった。年老いて痴呆が出始めた親父に向かって、息子がよく叱咤していた。一緒に厨房を切り盛りしていたから注文でも間違えたのだろう、その大きな声が聞こえてくると、自分が叱られているようで嫌だった。自ずといつの間にか、その居酒屋から足が遠のいてしまった。アメリカ大統領選挙でも、バイデンの夫婦関係はトランプ夫妻を凌いでいたように見えた。バイデン夫人は飛び掛かろうとする群衆に身を張って夫を守った一方、トランプ氏が手を握ろうとすると何度も振り切るメラニア夫人、テレビはその映像を伝えていた。その差が選挙結果にも出たような気もする。

Friday 6 November 2020

大統領選挙と内戦の危惧

アメリカの大統領選挙が混乱を極めている。選挙が終わったというのに、まだ大統領が決まらない異常事態だ。バイデン側は勝敗を決める270議席に近づいたので勝利を確信しているが、トランプ側は郵便投票の開票を巡り不正が働いていると裁判に持ち込む構えである。このまま行けば新大統領が決まらないどころか、二人の大統領が生まれることになるのだろうか?マスコミは連日、その対立と分断がアメリカを二分していると警戒感を露わにしている。

テレビのニュースを見ていると、支持者の中に武装した民兵みたいな一派がいた。銃社会のアメリカらしいな!と思ったがやはり物騒な風景である。両派の撃ち合いが始まれば正に内戦である。アメリカは160年前に南北戦争があった。英語では内戦(Civil War)というから猶更だ。南北戦争はアメリカの独立を締めくくる大きな出来事だった。象徴的なのは奴隷制の解放だったが、根っこは労働集約的な南部と資本集約的な北部の経済対立が原因である。今回はそこまで行かないにしても、白人社会の経済回復を焦点にしている点では似ている気もする。

4年間続いた内戦では、双方の死者は60万人に上り、市民も入れると90万人にもなった。これは第一次大戦の死者が11万人、第二次大戦が29万人だった事を思うと大変な数字である。アメリカは人種のるつぼだから対立が生まれ易い。今の時代にまさか内戦は起きないだろうが、過去に大きな犠牲を払って誕生した国だ。その教訓が生きてくれればいいが・・・。

Thursday 5 November 2020

59万円のコート

友人との食事会があったので、銀座に行った。コロナで外出を控えていたので、都会に出るのは久しぶりである。銀座は外国人観光客が減ったとはいえ、相変わらず人出は多かった。それにしても、わざわざこんな所まで買い物に来る人の気が知れない。食事までまだ時間があったので、折角なので三越を覗いて見ることにした。一階の化粧品コーナーはビニールが貼られ、随分と風景が変わってしまったが相変わらず活気はあった。
 
ふと大きな鏡の前を通ると、鏡に映る自身の姿が映った。久々に都会で見る自分の姿は、何かみすぼらしく周囲の景色にマッチしていない感じがした。暫く外出しない内に、着ているモノが古くなったのだろう。「俺って浮いているな!」と認めざるを得ない。「だったらこの際新しい服でも買ってみるか!」、そう思って紳士服のコーナーに足を運んだ。行ってみると昔から馴染みのあるMcGREGORやHenry Cottonはなく、TheoryやBlack Lavelなど初めて聞くブランドばかりである。戸惑いながら、どれを見ても今の自分には似合わない気がした。ただ一点センスのいいジャンパーコートが目に留まった。「これだったらいいな!」と、店員に頼んで試着させてもらった。ところが値段を聞くと「59万円です!イタリア製ですので」とさり気なく言うではないか。これには流石ビックリした。因みに横にあったセーターを聞くと、「12万円です。カシミア100%です」と畳みかけられた。もうこうなると退散するしかなかった。  

帰り道、新宿の紀伊国屋に寄った。「何か面白い本がないかな?」、そう思って見渡したが、これも空振りだった。コロナで思考が停滞しているせいか、将又自身の好奇心が希薄になったせいか分からないが、読んで見たい本がないのは寂しいものである。何か肩透かしを喰らった気分で地下通路を歩いていると、人だかりが出来ていた。見ると壁に貼った漫画を若い人が見ている。近くの若い二人連れに「これって有名なのですか?」と聞いてみると、「ハイ!今日このハイキューの最終巻が出たんです!」と教えてくれた。今話題になっている鬼滅の刃もそうだが、若い人の世界は知らない事ばかりだ。都会はもう若い人と一部の金持ちの場所になっている。

Tuesday 3 November 2020

晩秋の蕎麦

秋も深まり、新そばの季節がやってきた。先日も信州の田舎で、打ち立ての蕎麦を味わった。寒かったので掛け蕎麦にしたが、何とも言えぬ甘さが伝わり美味かった。ただフグ料理もそうだが、味は淡泊だから半分は食感や季節感を楽しんでいるのかも知れない。そんな繊細さを好むのはやはり日本人なのだろう。昔、来日したドイツ人が「蕎麦を食べた事がない」と言うので、蕎麦屋に連れて行った事があった。味のしないジャパニーズヌードルを食べ終わると、キョトンとした顔が達成感の無さを物語っていたのが印象的だった。

その蕎麦に魅せられる人は多い。後輩のY君も自宅に蕎麦打ちセットを買い込み、週末ともなると熱心に打っていた。一度ご馳走してもらったが、中々上手く出来ていた。そんな趣味が高じてその道を歩む人もいた。テニス仲間のSさんは、ある時仕事を投げうって念願の蕎麦屋を開いた。パートナーと称する相方の女性と二人三脚で、朝から仕入れに余念がなかった。店は繁盛したが、いつの間にか忙しくてテニスも止めてしまった。最近は会っていないが、趣味が仕事になって後悔していないか心配だ。 

蕎麦屋はそのシンプルさが何ともいい。東京だと「かんだやぶそば」や「神田まつや」、荻窪の「本村庵」の老舗は気に入っている。掃除の行き届いた店内に入ると背筋が伸びるから不思議だ。「かんだやぶそば」の昔ながらの呼び込みも風流だし、「神田まつや」の卵焼きは絶品だし、「本村庵」の冷酒剣菱が何とも蕎麦に合う。最近では信濃追分の「きこり」や「浅間翁」、中軽井沢の「かぎもとや」に良く足を運んでいる。

Friday 23 October 2020

お金が生む不信感

先日テレビが突然点かなくなった。早速電気屋を呼んで見てもらうと、アンテナ入力の端子が壊れていた。電気屋は、「これ修理に出すと時間かかるね!もう10年程使ったのでこの際買い替えたらどう?」と言う。何日もないのは困るし、「在庫があるので直ぐに持ってくる」と言うので、この際思い切って新しいのを買う事にした。新しいテレビは、50インチの大型で料金は12万円だった。電気屋が帰ると、気になったのでネットで一応料金を調べてみた。すると楽天のオンラインショップで同じものが7万円で出ていた。ちょっと位高いのは許せるにしても、あまりの格差に驚いた。最新と言っていたのも、2年前の型式だと分かった。早速電気屋に「これってちょっと酷いんじゃない!」と言うと、最終的に9万円に下がった。この電気屋とは長年の付き合いで、思い返せば今まで3台のテレビを買ったが、同じように吹っ掛けられていたかと思うと何か裏切られたような気になった。
 

思い出したのは、暫く前に起きたかんぽ生命の不適切販売だ。保険の乗り換えを客に勧める一方で、解約されるはずの保険を解約せず、二重に付保させたという。正に詐欺まがいの事件だった。多くの人は長年に渡り、地元の郵便局員として信頼していただけに、社会的な影響が大きかった。過大に請求されたお金はその後戻って来ただろうが、不信感の払拭には時間が掛かる事が容易に想像できる。

些細な事だが、おカネが絡むと一喜一憂するのは悲しい性である。それも金額が小さければ小さい程、敏感になるのはどうしてなのだろう?

Sunday 18 October 2020

格差が残る南イタリア

中公新書の「イタリア人と日本人はどっちがバカ?」は面白い本だ。著者はイタリア人の建築家で日本に長く住んでいる人で、イタリアも日本もアメリカ文化に毒されていると嘆いていた。イタリア人は働かないというイメージがあるが、本に出てくる30歳を過ぎて定職のない息子の話は必ずしも本人の問題でない事が分かる。心配する母親が仕事を探す姿も気の毒だ。特にイタリアは南北格差が大きいという。貧しい南は被支配の歴史から犠牲者意識が残っているらしい。イタリアサッカーは守りが強いのが特徴だが、この起源も土地柄と関係ありそうだ。ナポリ周辺やシシリー島など旅行するとその素朴さに打たれるが、現実の生活は中々厳しいようだ。

イタリアの町を旅すると、昼から路上でおしゃべりする男の年配者が目立つ。皆いい服と皮靴で決めている。元々多かった公務員が年金の受給年齢が下がったので退職者がふえたのか、それとも失業者なのか?聞いてみないと分からないがこの光景は異常だ。イタリアはアングラマネーの国で、非効率だが闇で経済が廻っていた。ユーロを導入してから少し変わったが、あのままリラを続けていれば、リラ安の恩恵で輸出は潤い、外国の旅行者は安価な製品を挙って買い自助反転したはずだ。  

イタリアというと、国中が歴史の博物館みたいでイタリア料理やワインは美味しい夢みたいな国である。ただコロナでそんなイメージが損なわれつつあるのは残念だ。タイトルの「バカ」は外人が良く使う言葉だが、日本人にとってはストレート過ぎる。せめて「どっちもどっち」位がよかったかも知れない。

Friday 16 October 2020

P.A.サムエルソンの時代

70年代の経済学で、代表的な教科書はP.A.サムエルソンの「経済学(Economics)」だった。赤い表紙の上下二巻に渡るボリュームは、読む前から圧倒された。加えて担任のT先生は原書で読めと言う。ただでさえも難解な世界が、英語になるとチンプンカンプンだった事を思い出す。ところでその翻訳者は一ツ橋の都留重人氏であった。ハーバード大でサムエルソン博士との親交の関係らしいが、最近その都留教授が共産主義者だったと知った。確かに経済学部で近経かマル経を選択した時代だったし、マッカーシー旋風の頃だったから不思議ではないが、近経の著名な先生がマルキストだった事は意外だった。
 
日本学術会議の会員選考で、中国の千人計画に参加した人の疑いが取り沙汰された。本当なら唯識事態である。今の時代でも赤化の誘いは尽きないと改めて諭された。社会主義がいかに非人間的な社会を生むのか、住んでみないと分からない。まず気が付くのが街並みである。巨大なモニュメントと灰色のアパート群、そして青空市場、ただ配給制だから個人の商店街はない。流石最近では新しい店も出来始めたが、昔から続くレストランやパブ、八百屋、魚屋、洋服屋等がない風景は何か寒々しい。何より店員の笑顔である。象徴的なのが年配の給仕に未だに笑顔がない事だ。怖い顔で「何が食べたいんだ?」みたいに聞いてくる。田舎に行っても、分散村と称して家々は離れていて中心地がない。これもコルホーズの名残で、旅行者から見ると拠り所がない殺風景な風景は何とも到達感がない。  

そんな事もあり、あの時日本が日露戦争で負けていたら同じ運命を辿ったかと思うと、東郷元帥や乃木大将が神様に思えるのである。ひょんな事で、赤化の恐怖を思い出した。

Thursday 15 October 2020

理科系の世界

日本学術会議の会員選定を巡り、会の在り方が問われ始めた。野党は問題のすり替えだと批判しているが、時の政府が(会員の)決め事が出来ないなら、当然の流れだと思う。これを契機に、欧米のように独立した機関に目指すのだろうか?問題はお金である。ただでさえ財政事情が厳しい国立大学が、掛かる経費を賄えるか甚だ疑問である。中でも事務局の人件費は大きく、今でも6億円と聞いている。若くて優秀なスタッフがいなければ、折角の提言を文章化は出来ない。

それにしても学術会議って何だろうか?今ではシンクタンクや研究所も豊富だし、政治家のネットワークも国際化している。政策提言なら特にこれに頼る必要もない気がする。そもそも理科系の世界は、東大を頂点にしたヒエラルキーで成っている。国の予算をその道の大御所が取り、全国の地方大学に散らばっている門下生に配分する。門下生は大学に残れなかったポスドクを雇って研究をする。ポスドクは基本的に1年契約だから給与は低い。研究が続くうちは雇用が確保されるが、ボスが異動すると身の保全に励まなくてはならない。昔は頭がいい人が理科系を選んで進んだが、結果的に文科系を出て平凡なサラリーマンになった方が生活は安定した気がする。 

そんな雇用を維持するために、大きな流れを作るのが学術会議なのかも知れない。だから変革は会員の教授にとって大きな問題である。よくテレビに出る大西前会長の話を聞いていると、「自分は菅総理より偉いんだ!」の自負が伝わってくる。長年国立大学にいると、「国のお金=自分のお金」みたいな感覚が生まれるのだろう。これには違和感がある。何故なら政治家は国民が選んだ代表だが、国立大学の教授はそうでないからだ。そんな市民感覚を反映した議論をして欲しいが・・・。

Friday 9 October 2020

妻のトリセツ考

日本学術会議の会員選考を巡り、政府が一部の推薦を拒否したと野党が騒いでいる。雲の上の世界の話なので良く分からないが、政府の機関なら当然の気がする。世の中で不採用の理由を尋ねる応募者はいないだろうし、仮にいても採用側は応える義務がないのがは常識である。ところでそのコメントに、菅総理が俯瞰的に判断したという言葉を使っていた。俯瞰的という言葉は安倍前総理も良く使っていたが、中々いい表現だと思っていた。ところが暫く前にベストセラーになった「妻のトリセツ」の中に、それは男性脳の世界だと書いてあった。
著者の黒川伊保子さんによると、男の子は生後8カ月で3mの俯瞰があるそうだ。俯瞰とは鳥の眼で捉える目線だが、これが女の子にはないそうだ。一方、女性にあるのは感情と共感という。やや不謹慎な表現だが、昔から「男は頭で女は子宮で考える」と言われて来たのに似ている。記憶を辿る時も、男性は行動の文脈から紐解くが、女性は感情の連鎖が基になる。だから果たして総理の言葉が上手く伝わったのか、甚だ疑問になったのである。

「妻のトリセツ」は1時間程で読める面白い本だ。結婚記念日に妻にプレゼントする時は、何か物語が付くといいと言う。物語は過去の記憶を呼び起こす効果があるからだ。確かにこれは女性に限った事ではないが、行為に脈絡が付くと重みが増す。また記念日に食事に行く時も、前もって準備の時間を取るのがコツだという。女性は何を着て行こうかと考えている内に、あれこれ楽しい記憶が蘇るからだ。その他にも、女性は話にオチを求めないとか、怒りは期待の裏返しなど、言われてみれば思い当たることばかりだ。ただどれも尤もだと思いつつ、読み終わる同時にスッと頭から消えてしまうのは何故だろう?

Thursday 8 October 2020

松本重治氏の上海時代

隣の国なのに実は殆ど知らない中国の歴史、知ろうと言う気にも成らなかったのが正直な気持ちである。防衛大学学長の国分良成さんがその著書「中華人民共和国」の中で、「70年代に中国の本を読んでいると、誰か来るとつい本を伏せてしまった!」と正直に語っていたように、昔はマイナーな世界だった。自身も大学の教養課程で、第三外国語で中国語を選択した事があった。ただこの事は会社に入ると絶対公言しなかった。中国を齧った事が分かると、その予備員になってしまう事を警戒した。ただ最近はそんな心配も無くなったし、宮脇淳子さんの本を通じて少し興味が湧いて来た。

 

と言う事で、松本重治著「上海時代」を取り出し読み直してみた。中公新書で上中下の三冊に渡る大作である。若い頃途中で挫折したが、今回は頑張って最後まで行った。著書は1932年~1938年の6年に渡る駐在経験を綴った特派員メモである。時恰も満州事変から日中戦争に掛けての動乱期だから、歴史の裏側が語られる事を期待した。ただ読んでみると、特派員の世界で誰と会って何を聞いたという件が大半で、膨大さに圧倒されても意外性は少なかった。中国の地名人名を読めない事も一因だ。恥ずかしながら、例えば蒋介石は読めるが汪兆銘を何と発音するのか分からないし、長春は何処にあるか何となく分かるが、天津や華北と言われてもピンと来ない。それでも時折入るよもやま話は面白く、例えば上海倶楽部を訪れた樺山愛輔氏が流暢な英語で欧米の倶楽部会員から優遇扱いされたとか、日本領事館で出世の遅れた館員が失踪した際、中国人に嫌疑を掛けた領事のミスがあったなど、小話中心の方が今風には受けたと思えた。

 

その上海倶楽部に入会を認められた日本人は、松本さんが二人目だったという。欧米知識人との交流の場所で、何度か需要な面談の場所として登場した。日比谷の外国人特派員クラブも同じ趣旨の倶楽部である。何度か会員の人に呼ばれてご馳走になったが、交流というより今ではサラリーマンのステータスシンボルで、知人を連れ来てビックリさせる場所になっているのは残念だ。また松本さんは戦後、六本木の鳥居坂にある国際文化会館の館長を務めた。70年代に何回か集まりで使ったが、担任のT先生が「ここの階段は音が出ないように、館長の意向で金具は使っていない」と語っていたのを思い出した。ともあれ日中戦争がどうして起きたのか?当時の雰囲気は伝わってきた一冊だった。

Saturday 3 October 2020

埼玉事件とカルメン

毎日どこかで起きている若い男女の痴情の縺れ、別れる別れないのドラマは人間の性である。先日も埼玉の路上で35歳の男が23歳の女を刺した。男は出血が続く女性を膝に抱えたまま現場に佇んだという。それにしても何も殺す事はなかっただろうに、23歳で命を落とすのは痛ましい。

そう言えば、ビゼーの歌劇「カルメン」もこれをテーマにした作品だった。妻帯者のドンホセがジプシー女のカルメンに魅かれる。カルメンは誘惑しただけだったが、男は本気になってしまう。求愛するドンホセは、カルメンが投げた花を拾って「花の歌」を歌う。一方カルメンは、恋は気まぐれをテーマにした「ハバネラ」で返す。観衆は情緒的な美しい旋律にグッと引き込まれてしまう。二人のすれ違いはエスカレートし、最後は遂にドンホセがカルメンを刺してしまう。その劇的な幕切れも、闘牛士の歌う「トレアドール」をバックに最高潮に達するのである。

それにしてもどちらも同じ殺傷事件なのに、かくも受け止める方の違うのはどうしてなのだろう?芸術性があると感動を呼ぶのは、不謹慎だが事実である。逆に人の手が加わらないと、ただ残虐で非情な行為にしか映らない。何か不公平な気がするが、日頃我々はこうしたトリックの中で生きている事に気付く。

Tuesday 29 September 2020

ハルビンのアルバム

昔、大阪に出張した時だった。梅田駅の近くに宿を取り、夕方になると北新地に飲みに行った。歩いていると、昭和初期を感じさせるレトロな居酒屋があったので入った。それはカウンターに地元の人が集まる地味な店だった。老夫婦二人で切り盛りしていた。何回か行くうちに、カウンターの片隅にアルバムが置いてある事に気づいた。見せてもらうと、それは夫婦が若い頃過ごしたハルビンの写真集だった。西洋風の建物と行き交う人のモダンな服装が当時を物語っていた。奥さんは、「あの頃が一番幸せだった!」と懐かしそうに語っていたのが印象的だった。

ハルビンは昔の満洲国の町である。今では人口が10百万人というから東京並みである。行ったことは勿論ないが、当時も大都会だったのだろう。夫婦がどういう経緯で住み移ったのか分からないが、満洲開拓団だったのだろうか?満州国が出来た1932年前後から入植が始まり、その数は27万人という。問題は引き揚げだった。敗戦でソ連が南下し置き去りにされた人々が犠牲になった。山崎豊子の「大地の子」で描かれる中国残留孤児の話は中でもとても痛ましい。

宮脇淳子さんの本によると、満洲国は五族協和で平和な時代だったようだ。土地は、第一次大戦のシベリア出兵や、ロシアが仕掛けた日露戦争で得た戦利品である。だからそれを守るために国際連盟を脱退した訳だが、今考えてもあれ以外の選択はなかった気もする。一方日露戦争と日清戦争を契機に大陸に出て行った日本人にとって、初めての外地であった。加えて外交と統治は日本人が苦手とする処だ。仮に太平洋戦争に負けなくても、日本の管理が続いていたかは甚だ疑問だ。まして当時でも日本人の占める割合は2%程度だったから多勢に無勢であった。そんな時代に翻弄された人がまだ生きていた。

Saturday 26 September 2020

無念のミッドウェー

今月から上映が始まった「ミッドウェー(Midway)」を観に行った。CGの技術力で凄く、実戦の迫力が存分に伝わってくる映画だった。従来このテーマを扱った日本の作品は、とかく南雲中将の優柔不断を問題視した件が多かった。つまり魚雷から爆弾、そしてまた魚雷に積み替える時間が致命的な敗因になったと。確かに今回もそれは再現されていたが、アメリカ側から見るとちょっと違っていた。それはインテリジェンス(情報)で、日本艦隊の現れる場所を特定していたからだ。面白かったのはその手法で、例えば多くの花屋に注文が入り、レストランの食材が沢山仕入れられると、そこには必ずパーティーが披かれるという三段論法である。だから戦う前から半分勝負は付いていたのかも知れない。

そうは言っても、当時の空母は日本10隻に対し、アメリカは3隻と圧倒的に日本が有利だった。あの敗戦がなければその後の戦局、延いては今の日本も少し違ったものになっていたかも知れないと考えるのは当然である。しかもミッドウェーの敗戦は、真珠湾の奇襲からたった半年後であった。これを契機に戦局は悪化し、3年余も負け戦を強いられるようになり多くの人命が亡くなった。昨年訪れた海軍兵学校のアナポリスにも、その事が記されたプレートがあった。日本の酸素魚雷の横に掛けられた一文を読むと、アメリカにとっても大きなターニングポイントだった事が分かった。

敗れた南雲中将とは対照的に、この一戦に勝ったミニッツ提督は英雄になった。10年ほど前になるか、彼の故郷であるテキサス州サンアントニオ郊外に建てられた太平洋戦争博物館を訪れた。火炎放射器で焼き尽くす海兵隊の実演や、太平洋から持ち帰った数々の戦利品などが置かれる壮大な施設だった。その中にハワイ奇襲の座礁した特殊潜航艇もあった。捕虜第一号になった坂巻中尉も紹介されていて複雑な思いになった記憶がある。ともあれこれまで南雲の判断ミスばかり責めていたが、罠に嵌った経緯もあった事がよく分かった。

Thursday 24 September 2020

Qアノンとは?

トランプ大統領の発言は、相変わらず首を傾げるものが多い。先日も、西海岸の森林火災の責任は管理者にあると言った。すかさずバイデン候補は地球温暖化を軽視したからと反論し、放火魔と呼んでいた。その前は、記者からコロナの初期対応を暴露された。意図的に被害を過小に扱ったという。その他にも、姪が出した暴露本では替え玉試験など、聞いていてうんざりする。以前、話題になった「炎と怒り」を読んで気分が悪くなったので、もう関係する本は買わないようにしている。

 

ところでそんな悪態をつくトランプ氏だが、一時大きく水を開けられていたバイデン候補との差も縮まっている。先の選挙でヒラリー氏に逆転した事を思うと最後まで分からない。その彼の支持層に、最近Qアノン(QAnon)と名乗る一派が出てきた。傍から見ていると何を主張しているのか分かり難いが、反エスタブリッシュメント主義者という。トランプのアメリカファーストは、国際ユダヤ資本に対抗していた言葉だから、ディープテートと称する闇の保守から国を守る考えなのだろうか?

確かにドル一つとっても、FRB(連邦準備銀行)は100%民間だから、通貨発行で得た利益は株主のソロモンやロスチャイルド に行ってしまう仕組みになっている 。トランプ氏がこの矛盾に立ち向かっているようにも見える。実の処よく分からないが、この活動が気になっている。      

Monday 21 September 2020

1800kmのパブ通い

コロナが世界的に拡大し始めると、新聞が急に詰まらなくなった。経済活動が停滞し、イベントやスポーツも中止になったから仕方がない。そんな事もあり、思い切って 取るのを止めた。かれこれ2カ月経つが生活には困らないし、今や若い人は新聞を読まないと聞くので、これも時代の流れかと思っている。 

ロンドンに住む友人の情報源はもっぱらBBCだと言う。BBCテレビのドキュメンタリーは有名だし、ネット配信のニュースも豊富だから飽きないようだ。ロンドンでは 感染が又拡大し始め、一日の感染者は3000人、死者も30人を越えていると云うから東京の比ではない。暫くは今のような生活が続くと諦めている。そんな事もあって 最近のBBCを見ると、山奥に開いたパブの話があった。場所はオーストラリア、砂漠の僻地に佇むパブに、ニューサウスウェールズ州からクインズランド州まで飛行機で 1800kmを通うオーナー家族の物語である。1800kmと言うと東京から上海に匹敵する。どうしてそんなに遠くに自分の店を持ったのかよく分からないが、コロナ 回避とは言え、世の中にはいろいろな人がいると感心した。https://www.bbc.com/news/av/world-australia-54173968

又こちらはCNNだが、同じオーストラリア人の飼っていた犬の話もあった。ヨットでアメリカに行った家族がコロナで引き返すことになったが、一緒に居た犬は飛行機に 乗れない。仕方がないので人間だけ戻り、犬はニュージーランド経由で5ヶ月1万6千キロ掛けて取り戻したという。https://www.news18.com/news/buzz/dog-separated-for-5-months-from-owners-due-to-covid-19-travels-10000-miles-to-reunite-2845871.html

どちらもネットニュースの軽妙さがいい。

Saturday 12 September 2020

アヘンは半夢

先日、俳優の伊勢谷友介が大麻所持で逮捕された。相変わらず芸能界の薬物を愛用する人が多いのに驚く。記憶にあるだけでも、ASKAや清原、ピエール、のりピー等々、中々根絶するのは難しいようだ。

アヘンについては、古典と言われる陳舜臣「実録アヘン戦争」に中で、ジャン・コクトーの言葉を何度も引用していた。コクトー曰く、「ケシは気が長い、一度アヘンを飲んだ者は、又飲むはずだとアヘンは待つことを知っている」とか、「アルコールは発狂の発作を誘致するが、アヘンは節制の発作を誘致する」、「アヘンは半夢」とか。アヘンは静かで受動的で妄想的だから、東洋人の気質に合っていると著者も語っていた。確かに中華民族の体質に合っていたのかも知れない。パール・バックの「大地」に出てくるワンルンの世界を思い出した。家の中で朝から吸引する無気力な老人が当時を象徴していた。

そのアヘン戦争のアヘンは、インドのベンガル産が多かったという。それまで英国は清からお茶を輸入する入超だった処から、東インド会社を支えるためにアヘンに手を出したようだ。今から思えばひどい話である。清はアヘンを取り締まろう没収し、それを不服とした英国と戦争になった。最後は賠償で清は倒れるのだが、中国近代化のスタートになったのは皮肉だった。その時の清の皇帝は満洲人で、以来漢族が支配するようになった。

Thursday 10 September 2020

歴史は復讐するか?

今から10年程前に出た「中国は歴史に復讐される」を読み返した。外交官の故岡崎冬彦さんと開発経済学の渡辺利夫さんの対談形式で、中々示唆に富んでいる。タイトルの意味するところは、義和団事件で英仏ロシア、そして日本などの8か国の排斥を受け清朝が終りを告げた。今に至ると、台湾や香港など民主化を声を無視して国際社会に立ち向かうと、同じ目に遭うである。確かに一理あると思った。

中国は一見とても巨大な国だ。しかし良く見るとウイグル、チベット、内モンゴルなど自治区と呼ばれる5つの面積を差し引くと、国土が6割程度になってしまう事に気が付く。況や香港や台湾などが離れれば、経済的にもグッと小ぶりな国になる。民族の数は56もある。その9割が漢民族とはいえ、地方自治の国なので漢族の一体感はないようだ。先の本でも多民族の維持に多大な費用が掛かる事を指摘していたが、もっと身軽なる選択肢はないのだろうか?最近ではウイグル自治区で不妊の強制治療が進んでいるとか、若者の強制移住などジェノサイトまがいの虐待が伝わっている。いくら山奥とは言え、隠すのも限界があるから猶更である。

かつてのスペイン、オランダ、大英帝国、最近ではソ連も植民地が独立し身軽になった。所詮台湾などは、国民党が逃げ込んで大きくなったような場所だ。中華人民共和国の前身の中華民国は国民党が作ったものだから、敬意を表してもいい気がするが。尤も今の中国の勢いは凄い。先の本でも2020年の一人当たりGDPは3000ドルになると言っていたが、実際は1万ドルを超えた。歴史は繰り返すのか、将又新たな歴史を作るのか、素人にはよく分からない。

Tuesday 8 September 2020

長野で旧交を

先日、長野の田舎にY君がやってきた。Y君は学生時代の旧交で、竹を割ったような九州男児である。酒は強く明るく豪語するので維新の末裔のようだ。3年前に、やはり九州出身のH君が亡くなった時、葬儀場で久々に会った。何日かして「H君の自宅に焼香に行くので、付き合ってくれないか?」と云われ、夏の暑い日に南武線のお宅を訪れた。初めて会う奥さんと三人で故人のよもやま話をして帰ったが、40年の歳月を早送りで綴る不思議な感覚に浸った。以来こうして時々酒を酌み交わしては旧交を温めている。

長野とは言っても、今では新幹線で1時間ちょっとで着く。駅前の蕎麦屋で昼を取り、近くの温泉で汗を流し、夜の肴をスーパーに買い出しに行った。準備が出来ると、夕方から近くに住んでいるMさんもやって来た。Mさんは、自宅で育てている山椒で握り飯を作ってきた。それに揚げナス、新鮮なトマトとレタス、自分用のノンアルコールビールも一緒だった。

三人でたわいもない昔話に花が咲いた。終わってみれば何を話したのか、もう忘れてしまった。ただ一つ、皆で昔に合格電報屋をやった時、私は一人で合否確認した事にずっと不安でいた。ひょっとして人の一生を左右する見落をしたのではないか?そんな迷いが歳と共に募っていった。その心情を吐露すると、Mさんが「大丈夫だよ、俺も後から見に行ったから!」と言ってくれた。初めて聞く救いにホッとした。こうして気軽な仲間と酒を酌み交わすのが何より楽しい。

Monday 7 September 2020

故Tさんへの優勝報告

先々月、所属しているゴルフ倶楽部の大会で優勝した。ハンディキャップを沢山貰ったこともあったが、一緒に回った旧知のHさんのアドヴァイスが良かった。前半の9ホールを44で回ると、「ここから気を抜かないで!」と背中を押してくれたのが功を奏した。テニス大会で優勝したことはあっても、ゴルフの優勝は初めてだったので嬉しかった。暫くして届いたネーム入りのカップは、書棚に飾って毎日眺めている。

ところでその時に使ったのがODAのパターだった。彼是10年以上前になるだろうか、お向かいのTさんが亡くなった時に奥さんから頂いた名パターである。Tさんは大会社の元社長さんだった人だが、若い頃から知っていたので「Tさんのおじさん」と呼んでいた。たまたま大学が同じだったこともあり、Tさんも後輩扱いしてくれた。亡くなって暫く経った頃、掃除をしていると奥さんにバッタリ会った。奥さんは遺品の跡片付けが大変だと云う。特に「ゴルフのクラブやボールが沢山あって、子供もやらないので処分しようと思っている」と話す。それを聞いて「捨てるなら頂けますか?」と聞くと喜んでくれた。翌日引き取りに玄関先に行くと、Sヤードのセットと新品のボールが30箱、パターも5本用意されていた。その後、ボールはいつの間にか林に吸い込まれて無くなってしまったが、クラブは重宝してアメリカや豪州の海外コースでも活躍した。

だから、今回の優勝を真っ先に報告したかったのはTさんだった。早速、倶楽部の名前の入った粗品を持ってT邸を訪れ、奥さんに墓前の報告をお願いした。Tさんは社長になっても電車通勤していた。厳つい肩のトレンチコートを着て、足早に歩いていた背中が忘れられない。

Sunday 6 September 2020

冬支度と伐採道楽

また今年も冬支度の時期がやってきた。予ねてから葉っぱが枯れて倒木の危険のある杉が気になっていたので、思い切って切る事にした。相手は10m以上はある大木である。倒れる方向を確認し、チェーンソーを腰の高さで斜め入れ、自然に傾くまで辛抱強く歯を入れた。20分程経つと、やっとあと一歩の処まで来た。ここからが慎重に進めないと、思わぬ方向に倒れたり、ややもすると自身が巻き込まれる恐れがある。先日も地元の人が下敷きになって、胸と首を怪我したので猶更だ。2~3秒切っては休み、倒れる瞬間に全神経を集中した。そして皮一枚になった時、遂に大きな音を立て大木が倒れた。辺りの樹木に当たる鈍い音は、まるで巨象が倒れるようで、その後の静寂がまた不気味だった。

一息入れ、今度は輪切りにする作業に取り掛かる。40~50cm毎に切るのだが、これが又力が要る。一気に切り落とすのに、一本2~3分は掛る。休み休み、やっと出来た丸太は20本程になった。それを一本一本軒下に運び綺麗に積み上げて終わる。こうしておけば水分が抜け、数年後に斧を入れると割れる状態になる。

これが薪になっても、一週間で燃えてしまう。苦労した割にはあっという間になくなるし、何より伐採は命がけである。歳のせいか昔に比べて疲労は半端でない。自然を相手に戦った一日だったが、道楽とは言えいつまでこんな事が出来るやら。

Wednesday 2 September 2020

安倍首相の降板

先週末、安倍首相が突然辞任を発表した。健康があまり良くないとは聞いていたが、まさか辞めるとは思わなかっただけに驚いた。任期を1年残していただけに、さぞかし無念だったと思う。

後任は誰になるのか?早速派閥の駆け引きが始まり、菅さん支持を取り付けたようだ。ただ選挙で石破さんや岸田さんも出るようだし最後まで分からない。今回は予想外の事態だ。会社でいえば社長の緊急降板だから、筆頭副社長が昇格するのが定石である。その意味から菅さんが路線継承で登板するのは理に叶っている気がする。

安倍さんを嫌いな人も多いが、個人的には素晴らしい政治家だと思っている。見た目もいいし、話し方も品がある。育ちがいいから、ゴルフ外交を自然に出来る数少ない政治家である。何年か前に、旧官邸ツアーに参加した事があった。ニ二六事件の時に歩哨が焚火した跡や弾丸の穴、組閣の時に写真撮影する赤い階段など歴史を感じさせる建物を見て廻った。安倍首相の机にはお父さんの晋太郎さんの写真が飾ってあった。一通りのコースが終わる頃、安倍さんがひょっこり現れた。国会中だったが、地下通路を通り昼休みにやってきた。並んで写真を撮ってもらったが、思っていた以上に背の高い人だった。コロナで休みを取っていないと聞くので、せめてこれからは好きなゴルフでも再開して元気になって頂きたい。

Saturday 29 August 2020

水の一滴、血の一滴

今から40年以上前だったか、初めて行ったシンガポールで標語を見て驚いた。それは「水の一滴、血の一滴」だった。シンガポールの水は、当時からマレーシアのジョホールバルから輸入していた。今では安定供給され、WHOの基準でも世界一安全な水と評価されているが、当時は供給が不安定だった。

水は大事である。中国でも「黄河を制するものが国を制する」と宮脇淳子さんの本に書いてあった。あの黒ビールのギネスが成功したのも、水利権を得たからだ。年間45ポンドの9000年リースは有名な話である。ウィックロー山地から流れる水を、永遠にタダ同然で確保したのが成功の秘訣だった。水利権は時によって紛争のタネにもなる。最近でもナイル川を巡る対立で、上流にダムを持つエチオピアと、下流で水を待つエジプトとスーダンが対立している。ダムで水を貯えたい一方、砂漠で水を待つ方は死活問題である。

今一番気がかりなのは、中国の三峡ダムの水位である。三峡ダムは揚子江に注ぐ世界最大のダムである。長期の大雨で水位が上がり、暫く前から制限水位を超えている。放水が続いているが、もしも決壊すれば4億人の生活に影響するというので、国体をも揺るがし兼ねない事態になる。ソ連の社会主義はチェルノブイイの事故で瓦解した。敵は思わぬ所に潜んでいると思ったが、今回の自然災害もそれに似た側面を持っているので目が離せない。

Friday 28 August 2020

壊れたレコード

「明日の記憶」という映画があった。渡辺謙と樋口可南子が演じる夫婦に、認知症がやってくる話である。夫の記憶が怪しくなり、例えば会社の食堂で自分の席が分からなったり、取引先のアポを忘れたり、最後は妻も誰だか分からなくなってしまう。若い時に観たので、年を取るという事は恐ろしいと思った。

暫く前に出た文芸春秋にも認知症の特集があった。面白かったのは阿川佐和子さんの看病記だった。ボケと物忘れが出てきたお母さんを、お父さんの阿川弘之さんがよく叱咤したという。ただ弘之さんが亡くなると、お母さんの表情は穏やかになったという。ガミガミ言われている内に傷付いてしまったようだ。頭はおかしいが感情は残っているので、気を付けなくてはいけない。先日も久しぶりに旧友のT君に会った時、90歳を超えた母親の介護を嘆いていた。物忘れが激しく、財布や保険証を探すのが日常化していたり、出掛ける靴が左右違う靴だったり、賞味期限切れの食材を食べたり・・・。ある時ガスの火を消し忘れ、空焚きがあったのを見てゾッとしたという。流石に以来火を使うことは禁止したようだが、徘徊や詐欺など心配は尽きない。周りにも変だと思われる人が多い。まだ70歳のKさんは会う度に同じ話を繰り返す。「元気?この前山に行ってきました」と、それってこの前話したじゃない!と聞き流しているが、まるで壊れたレコードである。

そんなボケ人にイライラする対処法は、自分が最初にボケる事だと綾小路きみまろが言っていたが一理ある。ボケるのは必ずしも悲しい事ではない。記憶には楽しかった思い出もあるが、辛く痛ましい断片もあるからだ。そんな罪意識から解放されれば、誰でも気が楽になるというものだ。最近はそう思って、老いを受け入れてもいいかなと思うようになってきた。

Wednesday 26 August 2020

韓国はコリキスタン

「満洲国の真実」の中には、面白い話が沢山載っている。例えばジンギスカンの日本人説である。伊藤博文の娘婿だった末松謙澄という人が英語で書いた「義経再興記」である。オックスフォード大留学中の氏が、ジンギスカンは源義経だったという説を英語で出版した。本は日本に逆輸入され話題になった。アジアからヨーロッパまで取り巻きにしたのが日本人だった話には今でも血が騒ぐが、さぞかし当時の士気高揚が思い浮かぶ。氏は源氏物語の英訳出版も手掛けた文才で、後に法制局長官や逓信大臣になったというからマルチ人間だったようだ。そんな彼は最後はスペイン風邪で倒れた。
 
スペイン風邪は先日も池上彰さんの解説で紹介していたが、世界で5億人の感染者を出した。今回の新型コロナの比ではない。名前の由来は、スペインが第一次大戦の中立国だった処から、感染者の数が多かった為である。イギリス、ドイツなどの当事国は情報統制で数を抑制したからだ。
 
もう一つは朝鮮の立ち位置である。日露戦争で日本がもしも負けていたら、朝鮮半島はロシアの領地になっていた。それを称して、コリキスタン(Korikistan)と呼んでいたのには思わず笑ってしまった。コリキスタンになっていれば、ソウル市はソルストックだろう。確かに高麗人と呼ばれる朝鮮人は、今でも旧ソ連下のウズベキスタンに20万人、ロシアやカザフスタンに10万人強、キリギスに2万人もいる。日本からの出張者が、ロシアの山奥で日本人に似た人を見かけて驚く話は尽きない。満洲国を治めた日本人の多くも日本名の朝鮮人だった。そのため兎角言われる現地の悪行の数々も、実は抑圧された民族の反動だったり、確かに言われてみればベトナム戦争に派遣された韓国兵の蛮行はそれに繋がる。高麗人は長年シナやモンゴルの下僕だったようだようだし、韓流ドラマの派手な演出とは裏腹に、知れば知るほど冷ややかな気持ちになっていく。

Sunday 23 August 2020

大鵬とロシア革命

宮脇淳子さんの語り口には、なるほどと思う箇所がある。例えば歴史を古代、中世、近代などの段階で捉えるのが一般的だが、それはマルクス史観の影響だと言う。資本主義から社会主義を経て共産主義に至る論理はその典型で、分かり易いが実際は途切れない一本線である。いい例が平成から令和になった時、年号が変っただけで生活は連続していた。歴史をXX時代で整理するのは便利だが、一方で個別で普遍の現実を見損なうことになる。自身も永年この思考に馴らされてきたと反省した。

もう一つは日本人の自虐史観である。戦後の左翼の影響だろうか、未だに明治以降の歴史を否定する処から入るのが定石である。ただ丹念に事象を追うと、当時の日本人の判断は今と左程変わらない事に気付く。これは勇気のいる作業だが、出来ると過去と現在が繋がって元気が出て来る。

「満洲国の真実」の中に大鵬の話が出て来た。第一次大戦の末期にロシア革命が勃発し、赤白に分かれた内戦が始まった。日本はシベリア出兵で貢献するのだが、反革命派のロシア人が日本に亡命してきたので受け入れた。その中の一人が相撲の大鵬親子だったり、野球のスタルヒン、チョコレートのモロゾフだった。大鵬の父はコサック騎兵、日本人の母親と二人で船で日本を目指した。母親の船酔いが激しく、途中の稚内で下船したのが幸いした。船はその後襲撃を受けて沈没したという。大鵬は成長して相撲界を代表する力士になった。彼の数奇な運命を知り、当時がグッと身近になった。

Thursday 20 August 2020

李登輝と客家(ハッカ)

先日、台湾の李登輝元総裁が亡くなった。台湾を長年引っ張ってきた建国の父である。その昔著書の「武士道」を読んだことがあったが、日本人以上に日本的な人だと思った。台湾はある外交官が「骨を埋めてもいい国」と称していたように、日本から見ても親近感のある国だ。その架け橋の代表的な人だっただけに、惜しい人を亡くした。

ところで、そんな彼のルーツは客家(ハッカ)という。客家とはシナの少数民族で、世代に渡って移住を続けた処から”よそ者”の意味もあったという。先の宮脇淳子さんの本にも、その一人である孫文が出てきた。孫文は本土生まれだが、ハワイにいた兄を訪ねる処から海外生活が始まった。日本にも亡命し、その支援を受けて1912年には中華民国を設立するに至った。孫文は英語が上手かったがよそ者だったので、初代大統領は袁世凱に譲ったという。鄧小平も客家の一人という。ただこちらは中枢に上り詰めた。

調べてみると、客家は世界4代移民集団の一つだという。残りは有名なユダヤ人とアルメニア人、そして印僑であった。客家出身にはシンガポールのリークアンユーやタイのタクシンもいるから、今の華僑のルーツなのかも知れない。また印僑はインド系である。クイーンのフレディー・マーキュリーや米国連大使のニッキー・ヘンリーや今回民主党の副大統領候補に指名されたカマラ・ハリスもいた。外の血が混じると人は強くなるいい例であろう。

Wednesday 19 August 2020

悪夢の民主党時代

宮脇淳子さんの本が面白いので固め読みをしている。「中国と韓国の正体」を皮切りに、「朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏」を経て「満州国の真実」まで来た。豊富な知識と柔軟な語り口で、素人が十分楽しめる件になっている。昨今の韓国の反日や中国の覇権など、歴史を知ると池上さんの「そうだったか!」の発見に繋がる。一方、日本の過去の対応もまずさも目に付く。

その一つが民主党政権時の「朝鮮王室儀軌」の返還だ。野田政権が李明博に頼まれて特例として返した日韓併合時の資料である。一度許すと、今度はそれに乗じて返還運動が盛り上がったという。長崎の宝物殿から慶典が盗まれたのもその頃だった。尖閣もそうだった。石原知事が東京都に組み入れようとすると、当時の政権はあっさり国有化してしまった。今に至るパンドラの箱を開けたきっかけを作ったのはやはり民主党だった。素人集団は今から思えば恐ろしい限りである。安倍さんが”悪夢の時代”と言ったのはよく分かる。選挙の看板にしていた高速道路無料化はあっさり諦めたし、公共工事の象徴だった八ッ場ダム廃止も今回の台風で残しておいて良かったと証明された。蓮舫が頑張った仕分けも、長期の施策が毎年入札される事態になり、かえってコストが高くつく結果になった。

そう云えば、南京大虐殺の記念館の建設費用を出したのも日本社会党だった。いつの間にか犠牲者が30万人で今では40万人になっているらしいが、自虐的なツケは余りにも罪深い。宮脇さんは、歴史は日本ではヒストリーだが、中国ではプロパガンダ、韓国ではファンタジーと表現していた。その視点で読み解くと、隠れた過去が少しづつ見えてくる。暫くは氏の門下生になってみる。

Sunday 16 August 2020

ヨセミテ公園の流れ星

先日、東京からお客さんがやってきた。食事を終えて一段落した頃、「ちょっといいものをお見せしましょう!」と言って電気を消した。見上げると木立の間から満天の空が広がり、まるで宇宙と一体になったような空間が生まれた。星の名前は分からないが、大小数え切れない星座群に、一同暫しうっとりしてしまった。都会では中々味わえない自然は、やはり田舎ならではである。

あれは20歳の時だったか、アメリカをヒッチハイクで一周した事があった。まず最初に行ったのはヨセミテ国立公園だった。ロスアンジェルスから車を乗り継ぎ山に入った。当時はベトナム戦争の頃で、若者はヒッピーと呼ばれるスタイルが流行った。手を上げて車が止まるとそのヒッピー達が群がりいつの間にか仲良くなった。夕方になったので、彼らと川辺で泊まることにした。風呂代わりに真っ裸で川に飛び込み、アメリカ人の知人に貰ったシェラフに潜り込んだ。夏だというのに、歯がガチガチする程寒く中々寝付けなかった。ただ夜空は眩いばかりの星のパノラマだった。見ていると流れ星がスースーと数分おきに通って行った。あっ又通った!と見入った。

あんな光景は先にも後にも一度だけだけが、こうして星を見ていて思い出した。あれから何十年も経ったが、まるで昨日の事のようだ。

Thursday 13 August 2020

個別事例を公表する地方

早いものでもう暦の上では立秋、長かった梅雨が明けたかと思ったらもう秋だ。短い夏をせめて楽しみたい、そう思いながら長野の山奥で避暑している。8月なのにセミが鳴かないし、夕方から雷豪雨がやってくる。今年は変な天気が続く。

東京ナンバーの車だと冷やかな視線を感じる。先日もどこかの県でプレートが悪戯される事件があったが、あまり歓迎されていないので注意している。夕方のニュースで感染者が発表されるが、東京みたいに大雑把でなく、「事例XX番、XX町のXX才の男性」と個別に公表される。そのため地元の人なら誰だか直ぐ分かってしまうらしい。だから先日も、感染した年配の女性が嫌がらせを受け転居を余儀なくされたり、感染者の出た銀行のガラスが割られたりした。田舎の人間関係は密なだけに怖い。

それにしても、日本の国民はなんやかんや言っても、政府や知事の要請に良く耳を傾けていると感心する。テレビのコメンテーターも、「政府は何もしていない!」と批判する人ほど、国が何かしてくれるのを待っているから可愛い。会社勤めの人は帰省で何かあれば、隔離され会社を休まざるを得ない。人事評価にも影響するから従順である。感染予防の所々に、日本らしさを感じる今日この頃である。

Tuesday 11 August 2020

天皇と血のリレー

以前読んだ明治維新の本の中に、攘夷で有名な水戸の第11代将軍徳川斉昭に子供が54人いた話があった。彼の次男で将軍を継いだ家慶も34人いたとか、いくら世継ぎが大事だといえその数の多さに驚いた。

そんな中、大宅壮一の「実録・天皇記」を読むにつけ確信を得た。著者が調べた限りでは、第12代景行天皇が81人、第50代の恒武天皇が35人、第60代の醍醐天皇が38人、第90代の亀山天皇が36人等々、生涯をこの一点につぎ込んだのがよく分かった。子の数は生んだ側近の数に比例した。明治天皇の父の孝明天皇の子は6人だったが、妻を含めて17人の側室がいたという。勿論天皇を継ぐ子は一人だから、その他は出家に出された。寺や武家で第二の人生を送る運命は過酷だ。著者は御子様たちの生き方と称して、出家年齢と行先など事細かに調べていた。目に付くのは早世する子が多かった事である。明治天皇の子供は4人だが、最初は15人生まれた。間引きもあったし、子供の内に親と離れ寺に預けられれば精神的におかしくなった。著者はそれを女王バチと働きバチに比べていたが、驚くほどよく似ている。以前読んだ「昭和天皇の妹君」という本に寺に隠居した尼の話があったが、何も驚くことでない気になってきた。

改めて天皇制を考える。側室がいない(?)今の天皇家が先細りなのも当然だと思う。英国のヘンリー8世なんか、子供が出来ないと分かるとさっさと離婚して処刑し、次から次を娶る国もあった。どちらがいいのか分からないが、血を絶やさないのは並大抵ではない。著者の歯に衣を着せない表現は的を得ていた。例えば世継ぎを生む局(つぼね)を「天皇製造の女子従業員」、支える公家を「天皇に寄生する男子従業員」、「血のリレーと血の予備軍」など、とても戦後10年の作とは思えない。また共同作業した若き草柳太蔵氏が古本屋で資料を集めた件も面白かった。

Monday 10 August 2020

女は魔物

大学4年生の頃だったか、松本清張の「点と線」を読んだ。夜を徹して結末に近づいたのは未明だった。最後に犯人が明らかになった時、それが女だと分かってぞっとした記憶がある。すっかり主人公の男が犯人だと思っていただけに意外だった。それまで女(の子)は清純で笑顔が美しいと思っていたが、依頼、女は魔物で怖いという観念がどこかに住み込んだ。

その「点と線」だが、久々に読み返してみた。有名な4分間のアリバイ作りも去る事ながら、病床の妻が夫の愛人のカネまで工面し、最後は2人を殺してしまうストーリーが凄かった。堀辰雄の小説「菜緒子」も別居の夫婦をテーマにしていたが、こちらはもっと詩的で刹那的だった。今風に言うなら、調子に乗って遊んでいるうちに、長年の妻の憎悪と執念が爆発したという処だろう。

夫婦の関係は微妙なバランスの上で成り立っている。同じ浮気でも、東出昌大と杏みたいに離婚に至る事もあれば、中村橋之助と三田寛子のように許してもらえるケースもある。寛容な妻かと思っていると大間違いで、本心はどう思っているのか分からない。用心に越したことはない。

Sunday 9 August 2020

続ウィスキーガロア

ウィスキー評論家の土屋守さんの本に、ウィスキーガロア(Whisky Galore)の話が出ていたのでDVDを取り寄せた。

物語は第二次大戦下のスコットランドの島村である。ある日、島の近くでウィスキーを積んだ船が座礁した。アメリカ向けにウィスキー5万ケースが積まれていたので、島民は夜中に小舟を出して回収を試みた。持ち出したウィスキーは村中で隠し飲んで楽しんだ。ただ駐留のイングランド兵の監視があった。長年の両国の対立を象徴した設定だったが最後は事なきを得た。土屋さんが抱腹絶倒と評していた割には、平凡な物語だったのでちょっと期待が外れた。

ただスコットランドの田舎の風景が良かった。映画を見ていて、昔旅したスコットランドのスカイ島を思い出した。陸路で行ける島で、その時は島に唯一佇むタリスカー(Talisker)蒸留所を訪れた。寂しい場所だったが、碑に「ここで働く男たちは孤独と厳しい自然の中で生きるので、ユーモアが大事だ」と書いてあったのが印象的だった。スコットランド音楽もそうだが、その陽気さが人を惹きつける。

Sunday 26 July 2020

ラ・マルセイエーズの歌

堀辰雄記念館を出た処に小さな古本屋があった。入るとバッハの音楽が流れる静かな店内だった。そこで買った中公新書の「ラ・マルセイエーズ物語」を読んでみた。著者は慶応の経済を出てパリのコンセルバトワールに留学した、変わった経歴の持ち主だった。そのバランス感覚がいいのか、学者に有り勝ちな年表の羅列でなく、作曲家のルジェ・ド・リールの一生に焦点を充てながら、フランス革命をお浚いする流れが快かった。著者がフランス語に相当長けている事も伺えたり、頭のいい人だと思った。

ラ・マルセイエーズは迫りくるプロイセン軍を前に、ストラスブルグに駐留の大尉が一晩で作ったというから驚きだ。血なまぐさい歌詞も、軍歌と思えば理解出来る。この曲を聴くと誰しも拳に力が入るのはその為だ。タイトルの語源は、マルセイユからパリを目指した義勇兵が口ずさんで拡がったのに由来していた。つくづく国歌は高揚感が大事だと思った。君が代では力が湧いてこない。どうして第二の国歌と言われる「海ゆかば」にしないのか?未だに不思議である。

パリに駐在していた頃、昼休みに出るとオペラ通り近くで国民戦線(FN)の集会に出くわした。党首のル・ペンが来て演説をして散会する最後に、集まった支持者達がラ・マルセイエーズを合唱し始めた。見ていた通行人までが合唱に加わり、これから革命でも始まるのではないかという雰囲気になった。フランス人は元来話し好きで情熱的ある。この曲が入るとその情熱に火が付くのである。映画カサブランカでも、リックの店でドイツ兵が歌う「ラインの守り」に対抗して歌われる。思わず目頭が熱くなるシーンを思い出した。

Saturday 25 July 2020

日本の10倍の中国新幹線

川島博之さんの「戸籍アパルトヘイト国家、中国の崩壊」が面白かったので、最近出た「日本人が誤解している東南アジア近現代史」も読んでみた。ただこちらは、タイトルから入ると何が言いたいのか分からない本だった。誤解していると思うのは筆者だけで、殆どが旧知の内容だったのでちょっとガッカリした。ただ後半の華僑の話は面白かった。どこの国も経済を牛耳っているのは華僑だが、ベトナムには殆どいないと言う。長年の歴史から来たらしい。また華僑の職業は商人であるが、音楽家、製造業、学者がいない。言われてみればその通りである。同じ国を捨てたユダヤ人と比べると、その違いが鮮明になった。

また新幹線の話も面白かった。これも知らなかったが、中国の新幹線は今や2万9千キロにもなっているらしい。日本が3千キロだから約10倍である。ただ国土が広すぎてあまり使われていない路線が多いという。やはり遠距離は飛行機の方が便利なようだ。万里の長城もそうだったが、大規模な土木工事は時の権力の象徴で、中国のお国柄らしい。そう言われれば、一帯一路も土木工事だった。使われようと使われまいと採算も二の次で、一度決めたら突き進む末路はどうなるのだろう?

また東南アジアの新幹線も期待出来ないと云う。理由は国土が狭いのと、暑いのでドアツードアの自動車の方が便利という。現地に住んでいる人だから、見えてくるものがある。

Wednesday 22 July 2020

ファッションが語る歴史

コロナの影響で、ブルックス・ブラザーズまでが倒産した。昔は仕事仲間も挙って愛用しただけに、時代の流れを感じる。東京女子大の先生が書いた「お洒落名人ヘミングウェイの流儀」にも、ブルックス・ブラザーズが登場する。ヘミングウェイがプロポーズの時に決めた一着だそうだ。

本にはTシャツはヨーロッパの労働者の下着だったのを、アメリカ兵が持ち帰ってファッション化したとか、踵の低いローファーの靴が出てきて面白い。知らなかったがローファー(loafer)の意味は、紐を結ばない処から「怠け者」や「浮浪者」と云う。昔ある女性服装ジャーナリストが、安倍首相が公の場所でそのローファーを履いていたのを見て場違いを指摘していた事を思い出した。そのほかヘミングウェーが愛用したLL Beanの靴やマリンボーダーのシャツ、肝臓を守るための皮ベストなども紹介されていた。イタリア、スペインで戦争に参加し、パリで社交界の華になり、晩年はキューバで過ごす破天荒な生き方には、拘りのグッズが不可欠だったのだろう。

服装の歴史を紐解くと中々面白い。有名な話がジーンズである。イタリアのジェノバ(Genova)港から輸出された処から、ジェノヴァが英語のJeanに転じたとか、生地のデニムも、フランスのプロヴァンス地方のニーム(Nîmes)に前置詞を付けてニーム産になったとか。袖ボタンの由来も、ナポレオンが寒さで鼻水を拭う兵士の規律を正すために軍服に付けさせたという。ただ未だに分からない事もある。スロヴェニアのマリボール(Maribor)という町に泊まった時、中世の女性の鉄製コルセットのオブジェがあった。この町はそのコルセットの産地だったのか?色々調べても結局分からなかった。


Tuesday 21 July 2020

英語を最初に覚えた日本人

以前「ペリー提督日本遠征記」を読んでいたら、森山栄之助という通訳が出てきた。考えてみれば鎖国中の彼が、どうやって英語を覚えたか?オランダ語なら未だしも、考えてみれば不思議である。その謎を追った吉村昭著「海の祭礼」を読んでみた。
 
森山は日本に漂流したマクドナルドというアメリカ人から習って覚えた。マクドナルドは、スコットランド人とインディアンの間に生まれたハーフだった。白人社会で差別を受ける内に、未知の日本への密航を計画し捕鯨船に乗り込み上陸に成功する。ボートは北海道の利尻島に着いたが、鎖国下にて捕らえられ長崎に送られた。そこで森山と出会うのであった。例によって吉村氏のち密な取材には頭が下がる。微に入り細に入りよく調べていた。例えば森山の好んだ芸者を内縁の妻にした話や、英国公使ハリスの世話役を依頼した女に幕府が18両払ったとか。通訳だったヒュースケンにも15歳の世話役がいたようだ。以前、南麻布にある彼の墓を訪れた縁で興味深かった。各国の100を超える捕鯨船が遥々日本の漁場まで来ていたのも驚きだった。
 
マクドナルドは島に上陸すると村民から食べ物を与えられ、宗谷に移される。どこかと思ったら今の稚内だった。魚が美味しそうだし、いつかその利尻島に行ってみたくなった。