Sunday 30 October 2016

葛餅のトラウマ

日本人だったら、おそらく嫌いな人はいないだろう、それが葛餅である。無味だが、きな粉と黒蜜を掛けると味が引き立つ。それはフグ刺しに似ている。酢醤油に付けて初めて食感が出て来る。正にモノトーンの日本文化を象徴する食材である。

と言う事で、時々住吉の葛餅を買って帰る。勿論自分用であるが、時々「ひょっとして今晩はご馳走になってしまうかも?」という時に、お土産用として持っていく。ボリュームがあって重く、それでいて値段が手頃なのでこの手にピッタリである。何と言っても賞味期限が短いから、貰った方は生物特有の有難さがある。

実は亡くなった祖母が大好きだった。祖母は私が海外駐在していた時に、ある人が飛行機に乗ると聞いて託してくれた事があった。ところが葛餅の賞味期限は大体3日だから、着いたら直ぐに食べないといけない。祖母はそれが心配で心配で、毎日「食べた?」と慣れない国際電話をしてきた記憶がある。以来、今でも葛餅は3日というトラウマが出来てしまった。

Friday 28 October 2016

Apple-Pen

I have a Pen, I have an Apple. Oh!Apple-Pen. 今は流行のピコ太郎の動画である。改めて見てみると、何のことはない動画である。チンピラ風の男が適当な芸をやっているって印象だ。

今日は金曜日、風邪で喉が渇いたので昼から飴ばかり舐めていた。そのせいか喉がとても乾いたので、帰り道にいつものパブに寄った。やっとたどり着きお目当てのOld Speckled Henを飲んでいると、横の男が話しかけてきた。聞くと英国人で日本に滞在してながらドキュメンタリーを作りをやっていると言う。傍らには大きなカメラがあり、今週末はハローウィンを撮りに行くらしい。

ピコ太郎のネタもハローウィンも、どちらも外来をネタにした現象だ。昔から海外製品を日本風に加工して輸出するのが得意だった国民性だが、今や三次産業が引き継いでいる。

Thursday 27 October 2016

看護婦は天使?

先日、横浜の病院で点滴事件があった。不思議と犯人はまだ捕まらないが、それにしても40人以上が異常な死を遂げたとは驚きだ。そんな矢先、カナダでも同じような事件があった。こちらは看護婦が患者に異物を供与したとして逮捕されたが、8名の長期入院患者が犠牲になった。

10数年ほど前になるか、膝の手術で1週間入院したことがあった。冷房は効いているし、何と言っても看護婦さんが親切で居心地が良かった。入院は前にも後にもこれ一回キリだが、それは天国であった。看護さん達は若くて可愛いし、言う事は何でも聞いてくれたので、出来ればずっと入院していたかった。正にそれは天使に見えた。


それもあってか、今回はショックだった。最近は介護ビジネスが盛んだから、医療の世界に色々な人が入ってくるのだろうか?動けなくなったら、最後の最後はその天使に身を任せたいから・・・。


Wednesday 26 October 2016

フィリッピン人あれこれ

フィリッピンのドゥテルテ大統領が来日している。麻薬者の過激な取り締まりや、アメリカとの決別宣言などで出しは荒々しい。何年か前にマニラに行ったことがあるが、空港は暗くて立っている軍人が怖かった。道も多くが舗装されてなく、犬の糞が放置されていた。夕方は取引先にサン・ミゲルのビールで招待されたが、お開きにはなると、一緒に飲んでいた輩が時速100キロの猛スピードでホテルへ送り届けてくれた。勿論飲酒運転で、生きた心地がしなかった。


そのフィリピンだが、経済は出稼ぎに頼っている。国民の約一割が海外で働いて母国に送金している。日本ではフィリピンパブが有名だが、駐在していた頃、フィリッピン人のおばさんに世話になったことがあった。中々いい人で、仕事は丁寧だしお金にも清かった。ところがある時、洗濯物の中に他人の下着が入っていたことがあった。聞くと洗濯機を借りて、知り合いの洗濯物を洗ったという。そのおばさんはフィリピン社会の成功者だったから、周囲から色々せがまれたらしかった。

またフィリピンの女性は、水商売でなくても独特のけばけばしさがある。ある時、出張で来た女性役員を新幹線に乗せようとしたら、突然行方不明になった。後で分かったのだが、東京駅の公安警察にその道の女と間違えられ連れて行かれた。同じアジア人でも、大統領を含めて、タイやインドネシアとちょっと違う。

Tuesday 25 October 2016

身近な事件

随分昔になるが、日経新聞の朝刊一面を、とある金融事件が飾った。そこには犯人の写真が出ていたが、「あれ!、この人Tさんじゃないか?」と分かった。それはテニス仲間のTさんだった。まさかと思ったが驚いた。普段から奥さんを尻目に、モデルのような女性を連れて来ていたのを思い出した。金廻りが良かったのだろうか?

先日、やはり同様の事件が新聞紙上を賑わせた。この人もどこかで見たことがあったな?と思っていたら、ゴルフ仲間が「あいつ、メンバーのKだよ!」と教えてくれた。言われてみれば、確かにトーナメントで優勝したKさんだった。

世の中は狭いから、悪いことは出来ないものである。昨日まで普通の人が、ある時突然に壁の向こうの人になってしまうのは、仲間にとってもショックだ。それにしても、本人はヤバいな!と思いながらプレーをしていたのだろうか?それを思うと、少し不憫な気持ちになる。

Monday 24 October 2016

ボブ・ディランの沈黙

ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した。ただ、未だに本人と連絡が取れないというから、このままだとどうなるのだろう?勲章は時の権威が決めるから、拒否する人もいるだろう。見近なのは、福澤諭吉だ。門閥制度は親の仇だったから、受け入れる訳には行かなかった。

彼が初めて来日したのは1978年だった。武道館で何度かコンサートを開いたが、とある人に誘われて聴きに行った事があった。音楽とは疎遠だったが、唯一聞いていたのが有名な「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」だった。大きなスクリーンに写し出されたレジェンドを見て、顔と名前が一致した記憶がある。

そのコンサートだが、帰り道にちょっとした事件があった。何気ない一言で、誘ってくれた人の関係が拗れた。後でしまったと思ったが後の祭りだった。歌の一節に "How many roads must a man walk down, before you call him a man"があるが、正に一人前になるには時間が掛かるということだった。詳しく語る心算も無ければ、今更どうしようもない・・・答えは風の中である。今の彼もひょっとして過去と今に彷徨っているもか知れない。

Thursday 20 October 2016

パリのヌーディスト公園

BBCのニュースを見ていたら、パリ市内にヌーディスト公園が出来るという。場所はヴァンセンヌの森のドメニル湖(Lac Daumesnil)であった。西のブーローニュの森に比べれば庶民的な地区だからだろうか? それにしてもミュンヘンの公園の一角や、バルト海岸にヌーディストエリアはあったが、これには少し驚いた。
                                            

そもそもヨーロッパは、冬の日照時間が短いことから太陽信仰がある。夏に太陽を求めるのは、生存本能に近いものがある。もう一つはユニセックス化した社会構成だ。ホモ、ゲイが市民権を得て同棲する国である。セーヌ川の川岸には夏になると砂を撒いたビーチが出現するが、昔からここに集まる人はホモが多いと有名だった。今度もその類の人の気がする。健全な男女ならやはり人前で裸になる事は恥ずかしいものである。バルト海の例では、多くは年配者であった。

自身は勇気がなくて体験したことはないが、ヌーディストビーチに行った友人のHさん夫妻曰く、普段ジメジメしている場所が、太陽に晒されるとカサカサになるらしい。一度覚えると、その快感がなんとも言えないと云う。テロ騒ぎで人気が疎らなパリであるが、新し物好きのパリジャン・パリジェンヌのエスプリが伝わって来るような話だった。

Wednesday 19 October 2016

シックス・センス

昔、シックス・センス(The Sixth Sense:霊感)という映画があった。ブルース・ウィルス演じる死者が、自身が死んだ事を理解しないまま、現世を彷徨う話である。当然周囲は見えないが、本人はそれに気が付かずに話し掛ける。そのストーリーが謎めいていて、最初は分からなかったが、何度か見ている内に段々分かってきた記憶がある。

主人公は云わば透明人間である。昔の知り合いや奥さんに話し掛けても、誰も反応しない。最近、それに近いのものを中高年の世界に感じる。年配者は何を話そうが、何を着ていようが、所詮若い人の視野には入っていない。考えてみれば、自身も若い頃に年寄りは眼中になかったから当然なのかも知れない。

「俺は透明人間だ!」、そう思ってある時、仕事中にこっそり抜け出し時間を潰していた事があった。ところが暫くして戻ってくると、「どこに行っていたのですか?」とアシスタントのおばさんに聞かれた。見えないようで見てたの!?、おばさんのシックス・センスって怖った。

Saturday 15 October 2016

カエルの楽園

百田尚樹氏の「カエルの楽園」は面白かった。1時間程で読める。現在の中国の脅威を、童話風に仕立てている。ワシ(米国)が去ると、ヒキガエル(日本)の地にウシガエル(中国)がのそっと現れる。それは現実のイメージ的にピッタリだった。

読んでいて、グリム童話の「ハーメルンの笛吹男」を思い出した。こちらは中世に子供を連れ去る話だ。そもそも万物の世界は弱肉強食である。いい例が枝の剪定だ。生茂った木を切れば、その空いた空間に隣の枝が伸びて来る。父親を亡くした子供はイジメられるし、選挙に落ちればかつての先生からただの人になるし、サラリーマンも昇進が遅れれば、かつても部下も軽い目で見始める。事実、アメリカ軍が撤退したフィリッピンでは、南洋諸島が埋め立てられた。

カエルは茹でガエルの例が良く引き合いに出される。煮立った湯から中々出れないことから転じて、状況の判断に疎いという例えだ。カエルも政治に入ってきた・・・全く困ったものだ。

Friday 14 October 2016

プミポン国王の他界


タイのプミポン国王が亡くなった。大分前から容態は良くなかった。5年前にホアフィンに行った時、街中に国王の健康を気遣った写真が掛かっていた。後任は64歳の皇太子である。ただ彼は余り評判が良くない。

今から30年ほど前だったか、出張で滞在していたバンコクから、週末を過ごすプーケットに行ったことがあった。小さな飛行機だったが、乗客は全員搭乗が終わって離陸を待っていた。ところが待てど暮らせど中々飛び立つ気配はない。30分程してある男性が乗って来て、やっと飛び立った。聞くとタイの皇太子だという。着いたプーケットでは、別荘に愛人が待っていたらしい。我々泳いでいた沖には、監視艇が留まって警備していた。皇太子には奥さんがいたが、TVで気に入った女優がいると呼び出す噂があったという。当時から、信心深いタイの国民性を思うと将来大変だろうなと感じていたが、それが現実になった。

タイは微笑の国と云われる。女性ばかりでなく、その不思議な柔軟さと強かさから、唯一に植民地を逃れた稀有な国だった。これから人々はその微笑みを守れるのだろうか?

Thursday 13 October 2016

大学入試の電報屋

歳のせいか、人生を振り返ることが多くなってきた。昨日のことは覚えていないが、不思議と昔の記憶は鮮明だ。思えば、恥ずかしことばかりで穴に入りたくなってしまう。

先日、仕事の関係で瀬戸内地方の某国立大学を訪れた時だ。「そう言えばここはN君の学校だったな?」、N君は小学校の友人で、親の転勤で一時住んだ瀬戸内の人だ。その彼が大学受験で東京の国立大学を受けに出てきたことがあった。久々の旧交を温めた後、「また来れないので、合格発表を見てくれないか?」と頼まれた。気安く引き受け発表を見に行ったが、掲示板に彼の番号はなかった。その時は何度も確認したとは思うが、果たして見落としはなかったのだろうか・・・?今になって不安になった。

それで味を占めた訳ではないが、それから大学入試の電報屋をやった。受験日に仲間と机と看板を出し、地方から来た受験生に合否電報を打つ資金稼ぎである。桜散る、桜咲くの一行にその人の人生が掛かっていた!今から思えば冷や汗ものである。

Wednesday 12 October 2016

アメリカ人の鏡

生徒が先生に教えられた通りやったのに、終わってみればその先生から叱られる羽目になった。日清戦争で高校の卒業証書を貰い、日露戦争で大学卒業論文を書き上げたのにも拘わらず・・・。その理不尽さを、先生の立場から解説している

先日、昔の仲間が集まり自然と話題は中国の海洋進出の話になった。するとKさんが、Helen Mears著「アメリカの鏡(原題:Mirrior For Americans:Japan)」がいいよと言うので、早速取り寄せて読んでみた。著者はルース・ベネディクトのような知日家であり、戦後の占領下でこの本を出版した。マッカーサーからは発禁になったが、70年経った今、その冷静な洞察には感心してしまう。

靖国神社の遊就館に行くと、出て来た人は人が変ると云われている。それは、”何故、私達は戦わざるを得なかった?”の問が頭から離れないからである。ただその感情は半ばタブーだから、心の中に仕舞う。だが昨今は、真珠湾の開戦をルーズベルトが事前に知っていたという時代になってきた。少し救われたような気持になる一冊であった。

Tuesday 11 October 2016

ポンド安とシティー

EUからの離脱を受け、英国ポンドが最安値を付けたという。固定相場時代が860円だったので、今の127円は価値が1/6弱になった計算だ。ドルは360円から100円なので1/3弱だからその落ち込みは倍である。日本で言えば500円玉が100円玉になった感覚だろうが、それにしても英国経済が衰退は激しい。心配なのはシティーの今後だ。

思えば、シティーは時代のニーズを受け入れて来た。植民地時代の貿易金融がマーチャントバンクを生み、戦後はアメリカから流れたユーロドルで潤った。そしてユーロが生まれる前は、各国通貨のアービトラージの中心だった。それを支えたのが、シティーの街並みだ。一マイル四方に凝縮した空間は、ディーラーやバンカーにとって居心地がいいものだ。インターネットの時代とはいえ、所詮シンジケーションは人と人の関係で決まる。最近は郊外に移転する銀行が多いが、その基本はそう簡単には変わらない気がする。

加えて為替の自律機能だ。ポンドが弱くなれば、観光客にとっては好都合である。落とすお金も増え、消費が経済の好循環に繋がって行く。イタリアやギリシャの経済が中々立ち直れないのは、このツールがないからだと常々思っている。フランスはファッション、ドイツは自動車、英国には金融が似合うので頑張って欲しい。

Sunday 9 October 2016

館山のスナック

先日、千葉の館山にゴルフをしに行った。随分前から、一度行きたかった場所である。千葉とはいえ、房総半島の先なので都心からは2時間ほどかかる。そのため一泊コースだった。

案の定、ゴルフ場は空いていて、インドネシアのリゾートを思わせる雰囲気があった。高麗グリーンには悩まされたが、海を見下ろすコースはとても満足するものがあった。気候は温和だし、こんな処で余生を過ごすのも悪くない、そんな気分にさせてくれた。

加えて地魚がやはり美味かった。今日水揚げされたという魚がずらっと並び、格安の刺身で鴨川の地酒を楽しんだ。いい気分いなって店を出ると、人気はないけどネオンがやたらに目に付いた。聞くと人口4万人の町にスナックが100軒もあるという。そう言えば小料理屋で隣で飲んでいた男も、これからフィリッピンパブに寄って隣町まで帰ると言っていた。後で聞くと、館山は某暴力団の牙城だそうだ。何日も海に出て、帰って来る男を待つのが酒と女・・・それを仕切るのが組らしい。

Tuesday 4 October 2016

ノーベル賞の世界

今年もまたノーベル賞の季節がやって来た。そう思っていた矢先に、生理学の大隅教授が受賞したニュースが入った。毎年日本人が選ばれ、とても光栄である。ただいつも、理科系の研究中身についてはさっぱり分からない。兎に角専門的で難し過ぎる。一方、平和賞や身近な文学は少な駆らず良し悪しが分かる。何年前だったか、村上春樹が本命視されていた時、中国の莫言が受賞した。早速有名な「赤い高粱」を読んでみたが、なんだコレ!?の世界だった。一方の村上氏も余り好きではない。ふわふわした文体で、掴み処が無くどうもしっくり来ない。

そんな時、いつも主人公のアルフレッド・ノーベルを思い出す。彼は生涯孤独で、唯一の恋は花売り娘だった。それも果敢なく終わり、仕事に明け暮れた人生だった。時あたかも第一次大戦、ダイナマイトの需要は急増し、最後は巨額の富が残った。

ストックホルムの授与式は、今では世界クルーズで入港する観光客のツアースポットになっている。同じホールで正装して会食するのだが、賞に託けたビジネスである。お金の力は大きいから何とも言えないが、これで人生を左右する学者も多いだろう。もっとサラッと受け流していい世界だと思っている。

Saturday 1 October 2016

フリーメイソンの世界


アメリカの大統領選挙が佳境に入ってきた。先日はクリントンとトランプの討論会があった。どっちが勝つのだろう?そう思っていたら、M君が「それはクリントンに決まっている!」と自信ありげに言う。話を聞くと、最近フリーメイスンに凝っていて、情報源はその筋らしい。「怪しげな世界だな?」と言うと、何冊かの本を貸してくれた。宗教臭かったら止めようと思っていたが、結構身近な処に題材が転がっている。




有名なのは1ドル紙幣のデザインだ。ピラミッドと巨大な目。スカイツリーと東京タワーとサンシャインが正三角形になって、都庁、豊洲、日暮里の正三角形と合わせるとダビデの星になるとか、ラジオの周波数は全て6の倍数の18になるとか・・・、鳩山さんの友愛になると少し首を傾げたくなるが、温暖化の議定書など、確かに大きな意図があってもおかしくない。



一時、ノストラダムスの予言にも凝った時があった。本当かなと思って彼の生まれサン・レミ・ド・プロヴァンスや銅像のあるサロン・ド・プロヴァンスを訪れた。以来身近な人になっている。この秋の夜長はダ・ヴィンチ・コードのフリーメイスンの世界に浸りそうだ。