Wednesday 28 October 2015

女子高生の話

随分昔になるが、とある女子高にオーストラリアから留学生が来た。彼女はクラスメイトにある心理テストをした。それは良くある質問であった。

「もしも海で船が遭難し、男女2人がボートの残ったとします。ボートには食べる物がありません。その時、ボートに一匹の魚が飛び込んできました。さて貴方はその時どうしますか?」。 想定される答えは、「私は愛する人に魚をあげる」とか「2人で半分にして分かち合う」であった。ところがそのオーストラリアの留学生は、「その魚で沢山の魚を獲って2人で食べる」だった。それを聞いたクラスメイトはその発想に驚いたという。実は私はその話を聞いて、その驚いた女子高生の感動に感動したのであった。

歳を取ると枯れ木になる。それでなくても刹那的になり、ややもすれば「どうせ出てしまうのだから、何を食べても同じよ」的な発想になってしまう。だからという訳でもないが、今頃何でこんなことを思い出すのか、自分でも良く分からない。

Monday 26 October 2015

上田監督を偲んで

ワールドラグビーも遂に決勝まで来た。準決勝を見ていて、やはりNZとオーストラリアは残るべくして残った感があった。

そんな最中、旧友のA君から上田昭夫著「王者の復活」を貰った。著者は慶大ラグビー部の監督を務めた生粋のラガーマンである。その彼はこの7月、難病の前に倒れた。早すぎた死だった。その彼の金字塔は、何といっても1986年の全日本選手権である。社会人のトヨタを破って学生優勝した。その日は仲間と国立競技場に応援に行き、目の前でトライを決めた若林選手の勇姿に酔った。ただその若林選手はその後事故で半身不随になった。そんなこともあり余計心に残った日であった。

本ではトヨタ社員の上田が、社内で板挟みに会った述懐を紹介していた。上田君には直接会ったことはないが、本から伝わった来るのは典型的な体育会である。慶応の保守本流で、大学に入るより難関の体育会、それも華のラグビー部である。誰もがやりたくても出来ない夢の人生を歩んだ気がした。

Saturday 24 October 2015

Sさんの言葉

若い頃、就活をやっていた時があった。その時、誰かの紹介で知り会ったSさんが居た。同じような境遇のSさんは、仕事がない時は只管走っていると云う。聞いてみると、42Kmのマラソンは勿論、60歳近いのに24時間レースに出ているというから驚いた。仕事が出来ない悶々としたマグマを、マラソンで爆発させていた。
 
そのSさんだが、ある時ぽろっと零した言葉があった。それは、「ヒトは幸福には鈍感だが不幸には敏感だ!」だった。何気ない一言に、苦労した彼ならではが伝わって来た。地獄を知るSさんだからこそ、見えた世界かも知れない。その後Sさんとは会っていないが、時々使わせて貰っている。
 
足元を見れば途轍もない幸せがあるのに、ヒトは中々それに気が付かない。その反面、誰も気にしないのに今の境遇を大きく嘆いてしまう。昔、田村正和の古畑任三郎シリーズだったか、ある男が「自分は駄目なんです・・・」と嘆く。すると古畑が「誰が駄目だと決めたんですか?」と迫る。中々名文句だと思って、これも取り込んでいる。

Friday 23 October 2015

Back To The Futureのイエロー

今週の10月21日は、バック・トゥー・ザ・フューチャー(Back To The Future)の記念する未来の日だったという。朝のニュースを見ていたら、アメリカでイベントをやっていた。ジョージ・オーウェルの"1984"もそうだが、子供の頃に読んだ世界まで辿り着くと、特別な感慨があるようだ。

そのバック・トゥー・ザ・フューチャーだが、主役のマイケル・フォックス紛するマーティーが挑発されるシーンが何度かある。悪役のグリフに、"チキン(腰抜け)"と言われる。すると敏感に反応するから面白い。このシーンはシリーズを通じて何度かあるが、良く聞いてみると、もう一つの言葉がある。

それは、"イエロー(黄色野郎)"である。字幕に出てこないが、チキンと同じコンテキストで使われている。昔、由緒ある巴里のホテルでも、ボーイが"猿"と陰口を囁いていたのを聞いたことがあったが、そんな感覚だったのか。外人と上手く付き合っている時はいいが、関係が拗れるとこんな心理に出くわす。映画ではトヨタの車を称賛しているので深い意味はなさそうだ。

Tuesday 20 October 2015

BIS in Basel

I am interested in reading the novel “ The Rising Sun” written by John Toland. It's a long story so takes time. I was surprised in 2 Japanese banker in Basel who tried peace talks with Allied force in 1945. They were the staffs of BIS (Bank for International Settlements) as Switzerland was neutral country.

Basel located in the center of crossing national border of Switzerland, France and Germany and belonged to Switzerland. I have used to visit BIS on business. BIS was notorious organization for 8% capital ratio. A lot of Japanese banks were obliged to be merged and disappeared with this regulation. But I had a good impression as my counterpart took me a good restaurant. It was a chateau restaurant named Schloss Bottmingen near the city.

The Basel airport has two exits that one is for Switzerland and another is for France as of today. I wonder how 2 Japanese banker survived in such a difficult war period. This city is now famous for the birthplace of tennis player Roger Federer.  

Monday 19 October 2015

Yellow Beetle

Volkswagen had a big emission scandal that they cheated the test. I can`t believe it as VW is deemed a clean company.

When I graduated the University, I bought VW Beetle with my first bonus. It was a yellow used Beetle. I liked its cute shape and trembling muffler noise. My 2nd car was also VW Audi100. It was a good car that could have driven so well. On the way back from Tignes for ski, an old engine exploded and stopped. Its running distance was 162,847Km that meant in Japanese "run more than expected(十六分に走ったな!).

I have a German friend who used to say that VW, Mercedes and BMW are their pride so that German people buy it without any hesitation. They love their national car. I guess it was them who got a shock this time. 

Thursday 15 October 2015

山本五十六の逸話

ジョン・トーランド(John Toland)の「大日本帝国の興亡(The Rising Sun)」は、45年前に出版された本だが、今読んでもとても面白い。例えば山本五十六の逸話である。彼は連合艦隊司令長官だったが、左指が2本なかったという。少尉で参加した日露海戦で負傷した。名前の五十六は親が56歳の時の子供から来た。

また当時の日本人をして、形而上学的な直観と動物的な本能が同居、優雅と残忍、正直と滑稽する因果の輪を持つと形容している。的を得た表現で感心した。そして刹那的に死を恐れない文化は、儒教から来たと云う。そういえば昔、人間は死んでも誰かにその魂が引き継がれると教えられたものだった。

其の他「政策あって原則なし」の文化をスーツケースと風呂敷に例えるなど、ルース・ベネディクトの「菊と刀」のような洞察があった。ただ、南京事件の犠牲者が20-30万人と書いていた事には、ちょっとガッカリしたが・・・。

Wednesday 14 October 2015

盧虚構事件の犯人

トルコで死者97人の大惨事があった。トルコの首都アンカラで、クルド人との集会を拓いていた最中だった。誰もがトルコ過激派の犯行だと思ったが、犯人は第三者のISだったことが分かった。

ふと思ったのは盧虚構事件である。1937年に満州に駐留していた関東軍に対し、国民党軍が発砲した事件だ。幸い国民党軍の宋司令官と北支駐屯軍の橋本少将とは硬い信頼関係があったので冷静だった。それにも拘わらず、中国側から何度か実弾が飛んで来た。おかしいなと調べてみると、犯人は国民党軍に紛れ込んだ共産党のスパイだったことが分かった。

当時の中国共産党は、排日を掲げて国民党を攪乱しようとし、盧虚構事件もその一環だった。それから4年して日本は太平洋戦争に突入し、70余年が経った。共に戦った国民党は台湾に追われ、漁夫の利を得た共産党が今の中国になった。ジョン・トーランド(John Toland)の名著「大日本帝国の興亡(The Rising Sun)」に、その辺が詳しく書かれているから興味深い。

Tuesday 13 October 2015

栗の話

信州の山を走っていたら、道に大きな栗が落ちていた。強風と晴天が幸いし、食べ頃の実が一挙に落ちたようだ。暫し足を止め拾い始めると、どこからともなく人が現れた。「取ってもいいですか?」と聞くので、「勿論、どうぞどうぞ」と2人で又拾い出した。

今年は栗とマツタケが豊作の年だという。秋刀魚が中国船に密漁され、秋の旬に事欠いているだけに朗報であった。取った栗は早速茹でて食べた。

ところで、冬のパリの風物詩と言えば、牡蛎と焼き栗である。特に焼き栗は黒いアフリカ人が、鉄板に上で焼きながら、「マロンショ!(熱い栗:Marron Chauds)」と大きな声で呼び込んでいる。だから誰もがマロンはフランス語の栗だと思ってしまう。ところが栗のフランス語はChâtaigne(シャティニュ)で、マロンはマロニエの木の実である。そんな私も栗と思って拾い集めていたら、「ノンノン!」とフランス人がやって来て、「それは食べられないよ!」と注意された。それにしても、どうしてマロンが栗になったのか、未だに分からない。

Sunday 11 October 2015

飛ぶ記憶

映画のボーンシリーズは何度見ても飽きない作品だ。スピード感と国際的な展開が緊張感を持続させてくれる。ストーリーは主人公のジェイソン・ボーンが、失った過去の記憶を辿る。(原作では中国人だったが)映画はアフリカ人の主導者を殺害する処から始まる。それが失敗し記憶が飛んでしまう。

先日テニスをしていたら、隣のコートで人が集り始めた。何か変な雰囲気に近寄ってみると、今までプレーしていたSさんがベンチに座っている。そして「ここはどこ?俺は何やっているの?」と話しているではないか。どうやら倒れて頭を打った時に脳震盪を起こしたらしい。幸い仲間にお医者さんがいたので、彼の指示で安静を保ち直ぐに救急車を呼んだ。ただ人って簡単なショックで記憶が無くなってしまう事が分かった。

頭を打たなくても人は大きなショックがあると記憶が飛ぶ。忘れないと生きていけないという本能がそうさせるらしい。Sさんはその後回復し普段の生活を続けているが、あの時の一瞬は空白になっている。

Friday 9 October 2015

ロボットの世界

安倍首相が日本のGDPをオリンピックまでに600兆円にするという。現在が490兆円だから中々大変だ。目玉の1つが今流行のロボットである。10兆円市場と言われるが、ひょっとして大化けするかも知れない。

私はテニスをやるので、ボールを打ち返すロボットが現れると有り難い。ゴルフも二足歩行のキャディーロボットが出来ると便利だ。いちいちカートまでクラブを取りにいかなくて済むし、芝目や距離を読んで教えてくれる。一人用の電動カートは既に市販されているので、時間の問題かも知れない。

先日、大阪のホテルに泊まった時、受付にアザラシのロボットが置いてあった。名前は「パロ」、年配の一人客が部屋で寂しくならないようにということらしい。既に欧米の老人介護施設で使っている。その内、出張者用の癒しロボットが出来るかも知れない。段々映画の世界が現実になっていく。

Wednesday 7 October 2015

大村教授と山梨の風土

ノーベル医療生理学賞を、北里大学の大村教授が受賞した。アフリカで感染症から2億人を救ったというから凄い業績だ。

その経歴は高校教師から始まり、階段を上りながら今日の地位を築いたという。学業だけでなく、スキーは国体級、ゴルフもハンディキャップがシングルという。今回の基になったバクテリアもそのゴルフ場で採取したらしい。それに何といっても経済力、特許で得た収入は億円単位で博物館を寄付したり、全てが異色である。

こんな人を生んだ山梨大学ってどんな処だろう?そう思って知人で卒業生のS君に聞いてみた。彼曰く、「山梨はブドウの産地だから、酵母の研究が盛んだ。だから菌の微生物を集めるのは日常茶飯事である。例えば幼児のアトピー対策に、牛の糞を枕元に置く」と云う。それによって免疫を付けるらしい。そんな風土が大村先生を作ったのかな?

Tuesday 6 October 2015

TPP & Ricardo`s theory

Trans-Pacific free trade (TPP) deal agreed at last. It was a long run negotiation. What a big surprise that it covers 40% of world trading market.  I personally appreciate that we can buy cheap beef, cheese, wine and export high quality rice to the world.

When I was a student, I learned the economic theory of David Ricardo`s "comparative advantage". It was a win-win theory that every countries can enjoy the benefit through trading if they concentrate only their competitive product. He exampled the wine in Portugal and cotton cloth of England. How he foresighted in 200 years ago!

Old people are worried about the protection for domestic company. But I am optimistic as young generation are elastic for change. It will be a good opportunity to go on next stage.

Sunday 4 October 2015

パリのホッシュ通り

ノルマンディー上陸を攪乱する小説、「パリを取り返せ(Fall From Grace)に中に、パリのゲシュタポ本部が出てくる。フランスを占領したドイツ軍は、パリのホッシュ通り(Avenue Foch)84番地にゲシュタポの本部を置いた。余り知らなかったが、本の中ではその拷問の様子が詳しく書かれていて気持ち悪くなる。

ホッシュ通りと言うと、凱旋門からシャンゼリゼとは反対側に伸びる大きな通りである。第一次大戦の陸将の名を冠した通りは、今では知る人ぞ知るホモのランデブーポイントである。人気がなく、車が止め易いからだ。ただ両脇の住宅は相変わらず高級で、ゲシュタポが使った理由も頷ける。

昔、このホッシュ通りのあるお宅を訪問したことがある。それはゲシュタポではなく、コンセルバトワールの教授宅だった。コンセルバトワールは世界的に有名な音楽学校である。そこのP教授から試験問題の楽譜を貰いに行ったのだ。バルブ絶頂期、取引先のお嬢さんが受験するというので、会社ぐるみの受験対策に取り組んだ。今から思えば完全に試験漏えいだが、当時はそれが普通だった。

Saturday 3 October 2015

夜の雨

台風で風と雨が夜に吹き荒れる。パタパタと断続的に窓を叩き付ける音が凄い。それに比べ、家の中はテレビもあるし別世界だ。

若い頃、良く一人で山に行った。近場の秩父、奥多摩から始まり、アルプスと称する主要なコースを良く歩いたものだ。確か西穂高から穂高山荘を目指して歩いた時だった。前日から降り出した雨で、岩道は滑るし、雷鳴が遥か下の方から突き上げてきた。天狗岳、ジャンダルムの難所を通る頃には辺りが暗くなり始めた。人気もなく、段々衣服に水が染み込み体温が奪われていく・・・初めて「遭難」の文字が頭を過った。

また河口湖でキャンプした時もそうだった。テントに雨が流れ込み、シェラフが水に浸かり始めた。真っ暗な中、水の中で寝る気持ち悪さは何とも言えないものがあった。朝が来るのがあんなに待ち遠しかった事もない。夜の雨はそんな昔を思い出す。

Thursday 1 October 2015

Melbec

French family moved to near my house. They followed Japanese custom to have brought a gift for hello. This kind of practice is important for new comer to be a member of the district. They knew it. They used to ask us how to leave garbage box, how to circulate a bulletin, etc., so one day we invited them to teach community practice. It was a beer drinking meeting with fun.


Few days later, they gave us a wine. It was an Argentine wine of Melbec and they told it was very rare type.

We pay an attention for wine whether it is Bordeaux or Bourgogne not for the type whether it is Chardonnay, Pinot Noir or Sauvignon etc., So that this kind of choice was new to us. As for Melbec, it was something different taste from others. I can judge whether this Sake is Niigata or Kobe origin but no sense for wine. C’est dur on distingue!