Tuesday 29 December 2020

全米オープンの決勝

2020年が終わろうとしている。今年はコロナで振り回された一年だった。感染を恐れて人が人を避けるようになった。群れ合って生きてきた動物だから、生命力が削がれて行くような気がする。スポーツ界も中止が相次ぎ、開催しても無観客で精彩に欠いた。オリンピックもそうだが、あるべきものがなくなると季節感や記憶の糸口を失ってしまう。そんな中だが、印象に残ったシーンがあった。  

一つは全米オープンテニスの決勝である。女子は大坂なおみが優勝したのは嬉しかったが、見応えとしては男子のドミニク・ティエムとアレキサンダー・ズべレフの試合の方が遥かに凄かった。2セットを先取されたティエムだったが、そこから反撃に転じ3セットを取り逆転勝利した試合である。最終セットは足が動かなくなり、もはやこれまでかと思った。気力で一球に賭けた気迫のプレイはとても感動的だった。

もう一つは、国内柔道の男子66㎏級のオリンピック候補決定戦である。丸山城志郎と阿部一二三の因縁対決で、延長24分の末に阿部が勝利した。解説者が一瞬も目が離せないと言っていたが、正にその通りで緊迫感ある一戦だった。試合が終わると丸山選手が涙してインタビューに応えていた。普段は無表情の人だっただけに、初めて見る情感に試合の大きさが伝わってきた。

Monday 28 December 2020

酒場詩人の追っかけ

先日、とある居酒屋に行った。クジラやマグロなどの鮮魚が売りで、日本酒も辛口中心に置いてあった。見ると、吉田類の「酒場放浪記」の取材が来た時の写真が飾ってあった。主人にその事を聞くと、随分に前に放映された時のものだという。その時の様子を教えてもらうと番組の裏が見えてきた。
まずスタッフはカメラ、メークなど5~6人でやって来る。店側は事前に店の馴染みの客に頼んで座ってもらい、場が温まった頃を見計らって吉田さんが入店する。いい店の雰囲気もサクラが作っていた訳だ。お酒もカウンターに並んでいた瓶は奥に隠し、スタッフが事前に指示したものが出てくる。美味そうに飲んでいた酒も、実はスタッフが合図した時に一口口にするだけで全部は飲まない。酒の肴も同じで、箸を付けた後はスタッフが平らげるようだ。確かに毎週4軒も放映するから仕方ないのかも知れないが、聞いていて何か吉田さんが可哀そうになってきた。彼は好きな酒を味わっていたのではなく、酒好きの役者を演じていたのである。  

それでも主人は、撮影が終わると客一人一人に丁寧に挨拶して帰る彼の姿に、「気遣いが凄い人だった!」と感心していた。その店はそれからTVを見て多くの客が全国から来るようになった。遠くは韓国や沖縄で、その中には番組の追っかけも多かった。吉田さんと同じ黒づくめのいで立ちというから笑ってしまったが、正に酒を求めて全国を彷徨う酒場詩人の予備軍である。「放浪マップ」には東京都だけでも600軒以上の店が載っている。多いのは台東区や墨田区などの下町が多い。「ミシュランの星潰し」という道楽があったが、「俺も来年は追っかけをやってみようかな!」、そんな気持ちになってきた。

Tuesday 22 December 2020

悪女とカネ

ジェフリー・アーチャーのクリフトン年代記に、Lady Virginia(バージニア伯爵夫人)という女性がよく登場する。彼女は女王の縁戚で貴族の出である。ただ金癖が悪く、金欠になると毎回大胆な金策に打って出るのである。勿論相手は金持ちの男である。ただその手口は中々凝っていて、おカネへの執着は半端でないと感心する。

例えば6作目の「Cometh The Hour」では、英国貴族に憧れるアメリカ人富豪に的を絞る。彼はルイジアナ州で28番目の資産家である。彼と一晩を共にした翌朝、「昨夜ベットでプロポーズされた」と(自分で用意した)指輪を見せる。ただそれだけではカネが取れないと分かると、妊娠を装って慰謝料と子供の養育費をせしめる戦略に出る。それもルイジアナ州で拓かれた彼の結婚式にわざわざ英国から参列、新郎に度肝を抜かせ先手を打つ。実際の子供は執事夫妻から引き取り我が子として育て、まさにカネのためなら手段を選ばない女性である。また7作目の「This Was A Man」では、夫人に先立たれた老貴族に的を絞る。新聞でとある葬式に彼が参列する事を知ると自分も同席し、懇意になると首尾よく後妻の座を得る。レストランで彼が払ったチェックにゼロを二つ付けて懐に入れる辺りや、伯爵が不在の時に相続品の鑑定を始めるなど、頭の中はカネだけだった。最後は貴族条項(aristocrats clause)で、血筋以外の承継が出来ない事が分かり失敗してしまう。男も男、分かっていて良くまあこんな女と付き合うとなあ!と思うが、どこの世界も成り行きがあるから分からない。

 世の中に悪女と呼ばれる女性は多い。ただ尾上縫みたいな大物を除けば、中島みゆきの歌「悪女」のように所詮は可愛い人が多い気がする。その点、アングロサクソンになるとちょっとスケールが違ってくる。

Thursday 17 December 2020

キヒヌ島の出会い

これもBSテレビだが、「心を繋ぐクリスマス」と称してエストニアのキヒヌ島(Kihnu)を紹介していた。縦7㎞、横3㎞の小さな島には600人が住んでいる。住民の織物文化が残っている処から、2003年に世界無形遺産に登録された。島の男は漁に出て島にはいないが、クリスマスには帰ってくるのでその様子を紹介していた。番組の解説によると、織物の基調は赤と黒だと言う。年老いた女性が、「年を取ると色々な事が分かるから黒の割合が多くなるの」と語っていたのが印象的だった。見ていて「あれ?此処って行ったことあった!」事に気付いた。

今から10年ほど前だったか、「地球の歩き方」に載っていたので訪れた。船で揺られること3時間、着いた港には建物すらなかった。港近くで自転車を借りて島を一周することにしたが、森の中に観光センターと称する木造の家が一軒佇む他は何も見当たらない。勿論レストランやキャフェも無ければ人影もない。あるのは点在する農家だけである。そんな中、自転車を漕いで反対側の海を目指した。葦が生い茂る沼地で行き止まりになったので、引き返そうとすると一台の車が止まっていた。見ると近くに女性が歩いていた。30歳半ばのブロンズの人だった。折角なので写真を撮ってもらうことにしてシャッターを頼んだ。「こんな辺鄙な処で何をしているの?」と聞くと、「私は診療医なの、タリン市の病院から派遣されていて駐在しているの」と言う。「こんな島で寂しくないの?」「ええそうよ」と言う。そんな会話をしてその場は別れた。来た道を引き返そうと自転車を漕いでいると、暫くして彼女の車が止まっていた。「やあ!さっきはどうも」と礼を言ったが、何か待っていたような雰囲気を感じた。それから島を一周した。自転車は空気が入っていなかったので重かった。やっとの事で港に近づいた時、ふと近くの岩場に女性が一人、水着姿で日光浴をしているのが見えた。確かにあの女性だった。どうしようかと迷ったが、船の時間も迫っていたので声を掛けることもなく通り過ぎてしまった。

キヌヒ島の寂寥感は半端ではない。自分だったら気が狂ってしまうかも知れない。そんな中で出会った一人の診療医を思い出した。

Sunday 13 December 2020

ナイキの創業逸話

やはりBSテレビで、「ナイキを育てた男たち~Shoe Dogとニッポン~」も面白かった。創業時に資金繰りで困っていたナイキに手を差し延べたのが、日商岩井のポートランド支店だった。銀行から融資を断られたナイキを、新任の駐在員が商社金融で救った。凄かったのは、Bank of Californiaが手形回収の貸しはがしを図った時、支店の財務担当が独断で全額肩代わりした事だった。ナイキはそれで危機を逃れ、その後のジョギングブームで軌道に乗り今に至る大企業になった。肩代わりの金額は確か1億9千万円だった。当然本社の決裁が要る処だが、担当者はそれをしなかった。一つ間違えれば越権行為どころか大きな背任で犯罪になる。そのリスクを取った人がテレビに出ていたが、ヒーローと見るか懲罰者と見るかは今でも分かれる処だ。ただ犠牲がないと成功もない。No Pain, No Gainの諺が頭を過った。 

ナイキは今でこそ大企業だが、当時のスポーツシューズはアディダスやピューマの時代だった。思い出したのは、そのアディダスを買収したベルナード・タッピ(Bernard Tapie)である。日本ではバブル絶頂期の1990年、フランスの実業家がドイツの看板企業を買収したと話題になった。タッピ氏はサッカークラブのオリンピック・マルセイエーズを買収するなど辣腕を振るったが、その八百長事件で失脚し収監も経験した風雲児である。パリのサンジェルマンにある大邸宅が差し押さえになったというので見に行った事もあったが、エネルギッシュな人だった。その点同じ業界とは言え、ナイキの創業者であるナイト会長はこの道一筋の人だ。

ところでナイキは靴を作る前は、日本のオニツカの輸入販売店だった事は意外だった。オニツカは60年代の東京オリンピックを契機に飛躍したスポーツシューズメーカーだった。当時陸上競技をやっていたので憧れのスパイクであった。ナイト会長のスタンフォードの論文も、「カメラで日本がドイツを凌駕したように、スポーツシューズでもそれが可能か?」だったから、昔からの思入れが大きかったのが功を奏したようだ。そう言えば、赤と青のストライブはどこかナイキのデザインと似ている気がする。

Thursday 10 December 2020

バルト諸国とマネロン

BSテレビで、BBCのマネーロンダリングの放送があった。タイトルは「汚い銀行の闇」(2012年作)と称して、エストニアに支店を持つSwedbankにスポットを当てていた。女性CEOが弁明に努めたが事件は明るみに出て辞任、その額は1300億ドルになったという。ロシアの闇資金をSwedbankのタリン支店からDanske銀行のロンドン支店に送金した事例や、究明したロシア人弁護士が獄中死するなど中々面白い番組だった。

見ていて思い出したのは首都タリンの風景である。旧市街から一歩出ると疎らに高層ビルが建っていたが、思えば入っていたのは殆ど銀行だった。先のSwedbankを始めやはりスウェーデン系のSEBやフィンランド系のNordea、地元のEestiなどである。良く考えれば人口120万人の国には余りに不似合いな数であった。タリンにはレッドゾーンと言われる歓楽街はない一方で、ベンツに黒服のロシアマフィアを時々見かけた。銀行はこうした人の温床だったのかも知れない。北欧から見ればソ連解体後のバルト三国の歴史は浅いし、法の抜け穴を探すのはそう難しい事ではなかったのだろう。

番組では雪を被った北欧の町が出てくる。一見美しいが、ひと気も疎らなので何か寒々しく感じた。昔読んだ小説「ミレニアム」もそうだった。ドラゴンタツゥーの女ことリスベットの復讐劇は冷たく残虐だった。男女の関係も動物的で寂寥感が募ったし、寒さは人を変えるようだ。

Friday 4 December 2020

小池知事と長幼の序

新コロナを巡り東京都の小池知事が頑張っている。こんな時にバカな知事でなくて本当に良かったと思っている。ただ国との関係が少しギクシャクしているのが気になる。一昨日も官邸を訪れ、東京発着のGo To Travelから65歳以上を自粛するよう申し入れたが、予てから国が決めるよう訴えてきたので痺れを切らした感じだ。専門家によると、両者の対立は今に始まった話でなく自民党時代から続いているようだが、根底には何か女性特有の何かを感じる。

それは男女の仕事観の違いである。昔ある人が、仕事をする時「男性は組織に忠実だが、女性な仕事に忠実だ」と言っていた。「木を見て森を見ず」ではないが、女性は仕事で一途になると、どうしても周囲への配慮を欠くようだ。配慮は優しさであり思いやりだから、それが欠けると人は付いて来ない。

  思い出すのは、昔一緒に働いていたTさんという女性である。国立大学の博士課程を出て、祖父から3代目続く大手メーカーに就職したTさんは、学歴と毛並みは申し分ない人だった。役員や上司でも祖父や父親から見れば皆部下だったから、若い頃から叱られたり注意される事はなかった。正に向かう処敵なしの人生だった。ところが50歳を過ぎた頃から様子がおかしくなった。仕事は完ぺきで言っている事は正しいのに、人は離れて行った。若い頃から続く自信に満ちた話し方が、段々と部下を委縮させて聞いている上司も不快にさせた。何より長幼の序に欠けていた。小池さんは立派な政治家だが、敵が多いのはそれもあると思う。オリンピックもあるし、都と国の溝は都民の生活にも関係するので気掛かりだ。

Wednesday 2 December 2020

William Warwick巡査シリーズ

もう彼是10年になるか、ジェフリー・アーチャーの新作が出ると読んでいる。クリフトン年代記が7冊続き、やっと終わったかと思ったら、William Warwick巡査シリーズが始まったのは昨年である。今回はその続編で「平地に隠れて(Hidden In Plain Sight)」である。果てしなく続く展開に、正直暫く前から食傷気味になっている。ただ書店で見付けると、ここまで来たので意地でも読んでやろう!とまた買い求めてしまう。

今回の物語は、前回レンブラントを盗んだ男に麻薬取引の嫌疑が掛かる。事件に関与していた主人公の同窓生に協力を頼み、現場に踏み込むとぶつが発見された。隠匿を認めない男に、主人公の妹弁護士がフォートナム・メイソンのキャビアの値段から矛盾を突いて事件を解決する辺りはジェフリー・アーチャーの骨頂である。主人公は巡査部長に昇格して画商で働く女性と結婚し双子を授かり、父親の弁護士は悪役の男の妻の弁護人を務めるなど、相変わらず家族的な英国社会の一端が伝わってくる。クリフトン年代記から続く品のいい仕上がりは変わらない。 

ただ物語は、捕まった男が監獄から脱獄する処で終わってしまう。オチを楽しみに読んできたのに流石これにはガッカリした。また男が元妻の持ち家を放火したり、殺された同窓生の犯人が分からないなど、何かしっくり来ない点も多かった。タイトルの由来も、麻薬工場にSASの協力を得て踏み込む際に、大勢で押しかけては犯人グループに気付かれるので、目立たない通勤バスで捜査員を運んだ事に由来していた。今まで意味深な表現が多かったので、著者らしくなかった。